嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる 作:なほやん
花が、咲いていた。
窓辺の鉢植え。淡い青。
……咲いてしまった。
三日の約束。今日で、最後だ。
「おはようございます、グレア様」
セラフィの声はいつもと変わらなかった。台所に薬草茶の温かい匂いが満ちている。今日は一品多い。
何も言わない。「今日で最後ですね」とも「もう少し」とも。ただいつもより丁寧に、匙を並べている。
「グレア様、座ってください」
椅子に座らされた。背後に回ったセラフィの指が、銀の髪に差し込まれた。
櫛ではない。素手だ。指の腹が頭皮を擦る。こめかみから後頭部へ、絡まりをほどくように、ゆっくり。
「グレア様の髪、本当に綺麗ですね」
耳の後ろを掬われた。指先が耳朶の縁をかすめて、うなじに落ちる。
産毛が逆立った。背骨の一番上の突起を、体温のある指がなぞっている。
「毛先が少し傷んでますね。……ここ」
肩口に垂れた一房を、セラフィが両手で挟んで滑らせた。毛先まで。指の間を髪が抜ける感触が、頭皮を引っ張って、頭蓋の奥まで響いた。
気持ちいい。——こんなもので、溶かされてたまるか。
それから櫛に持ち替えた。歯が細かい。一梳きごとに頭が後ろに引かれて、喉が伸びる。天井が見える。セラフィの顔が、逆さまに覗き込んでいた。
「力加減、大丈夫ですか」
「……ええ」
声が掠れた。作っていない。勝手にそうなった。
「それと」
「何ですか」
「お胸の件です」
まだ言っている。
「作ったんです。グレア様に合うように仕立てました」
白い胸当てだった。薬草の綿が薄く入っている。
丁寧な縫い目。一針ごとに揃えて縫ったのだ。
いつの間に……
「つけてみてください。それとも私が……」
「っ! 自分でできます!」
恥ずかしいから一人で、と戸を閉めた。
胸当てを広げた。
薬草。蜜蝋。その奥に、セラフィの掌の匂い。あの子の体温が、糸の一本一本に残っている。
服を解いた。
胸当てを当てる。背中に手を回す。
初めての動作に、関節が悲鳴をあげた。
薬草の綿が鎖骨の下に触れた瞬間、肌が吸い込んだ。
それを隠したくて、慌てて上着を着る。
見下ろした。
——ある。
鎖骨の下に、昨日までなかった曲線。小さい。薄い。だが、ある。
二の腕の内側が、膨らみに触れた。
小さく反発する感触が腕と、胸に広がる。
鏡の前に立った。
銀の髪。細い肩。そして鎖骨の下の——柔らかな曲線。
魔力が肋骨の内側で燃えていた。
* * *
胸当ての綿越しに、心臓を数えていた。
——拍動が、乱れた。結界の端が、引きつっている。
「グレア様、村の方から結界の外に何かがいると……」
セラフィの声に、現実に引き戻された。
帽子を被り、村の外れへ向かう。セラフィが当然のようについてきた。
歩くたびに、知らなかった感触が肩を擦った。
結界の境目。薬草の香りが途切れる線。その向こうの枯れ草の中に、白い塊がうずくまっていた。
小さい。仔犬ほどの大きさ。丸い頭に、体に見合わない大きな前足。泥と血で汚れた毛並みの下から、淡い光が脈打っていた。
「……聖獣」
セラフィの足が止まった。
「大きくなりすぎると手に負えないからと……」
声が止まった。
獣の腹に焼印があった。十字の烙印。毛皮が焼き潰され、皮膚が爛れている。
「処分印です」
セラフィの声から温度が消えた。
足元の薬草がざわりと揺れた。風はない。聖力が地面を這っている。
獣が掠れた声で鳴いた。結界の外から、セラフィに向かって這おうとしている。
「グレア様」
振り向いた目。初めて会った時と同じ——切実な青。
「この子を助けてください」
セラフィが結界の外へ踏み出そうとした。
「出るな!」
腕を掴んで引き戻した。
結界の外でセラフィの聖力が剥き出しになれば、追手に位置を知らせるようなものだ。
獣を見た。動けない。引きずった跡が血で途切れている。
俺が結界の外に出れば、維持者を失った結界が揺らぐ。一瞬でもセラフィの聖力が外に漏れれば、追手を呼ぶ。外に出て連れてくることはできない。
だが、結界を広げることはできる。
今の出力では足りない。結界の外縁をこれだけ押し出すには、嘘が要る。大きな嘘が。
聖女を匿った上に聖獣まで隠せば、教会への全面対立になる。
フェリオが見逃してくれた借りも帳消しだ。
——それがどうした。
息を吸った。
「私はこの地の守護者。結界の内に在るものは全て、私の庇護の下にある」
大嘘だ。
守護者などではない。
偽りの名で、偽りの性別で、先代からなし崩しで引き継いだ称号で、ここに居座っているだけの詐欺師だ。
だが、嘘に力は応える。
肺の奥が、熱い鉄を流し込まれたように灼けた。吐き出した息が、唇に残る膏の甘さを連れて、冷たい外気と混ざる。
魔力が爆発した。
足元から衝撃波のように広がっていく。結界の外縁が膨らむ。
白い獣が、結界の内側に呑み込まれた。枯れた草が、境界線を越えた瞬間に青みを帯び始める。
フリルが爆風で膨らんで全身を叩いた。
足首から力が抜けた。視界がちかちかする。魔力を出しすぎた。
この声で嘘を吐くたびに、声帯が弦のように軋んで灼ける。偽りの名。偽りの性。
守るためについた嘘の全部が、肋骨の裏側を内から焦がしている。
最悪で、最高だ。
* * *
聖獣を家に運んだ。抱え上げた時、あの日のセラフィと同じ軽さだった。
泥を拭うと白い毛並みの下に金色の斑が透けていた。尻尾の先に、小さな房。
セラフィが獣の傍にしゃがむ。手を翳すと、白い光が指先から流れ、焼印の傷に染み込んでいく。
獣が小さく鳴いた。痛みが抜けていく声だった。
同時に、セラフィの手首が赤く染まった。焼印の爛れが、獣の腹から少しずつ這い上がるように移っていく。皮膚が水膨れを起こし、薄い皮が破れる音がした。
セラフィは眉一つ動かさない。この子はもう、慣れている。
薬草棚から軟膏を取ると、セラフィは何も言わず手首を差し出した。
獣がセラフィの腕の中で丸くなって目を閉じた。
セラフィの指が、焼印の痕をそっと撫でた。自分の手首の火傷と見比べるように。
長い沈黙だった。
「……名前、つけていいですか」
黙って頷くと、セラフィが獣を覗き込んだ。
丸い顔。金色の房がついた尻尾が、鼻先に巻きついている。安心しきった寝息。
「レオ」
柔らかい声だった。レオは寝たまま、セラフィの指に頬を寄せた。
「レオ。私たちの子供ですね」
「……え」
「だって、グレア様がこの子をお家に迎えて、私が治して。二人で育てるんですもの」
セラフィの声が、一音だけ低くなった。
「誰にも渡しません。この子も、グレア様も」
レオを抱くセラフィの腕に力がこもった。
胸当ての綿が、心臓の拍動を押し返している。セラフィが縫った偽物の曲線が、こんな時にまで鼓動を拾って、体温を溜めて、離さない。
——ああ。もう、どうにでもなってしまえ。
「レオには……今しばらく聖力を扱える保護者が必要なようです」
「それって……」
「ええ」
「っ! グレア様! ありがとうございます!」
セラフィの光が、部屋を照らした。
レオが腕の中で寝息を立てている。セラフィの聖力と、部屋に漂う俺の魔力に包まれて。
窓辺の花が、光の中で揺れていた。