嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる 作:なほやん
レオが来てから数日が過ぎた。日々が変わった。
朝、レオの餌を用意する。薬草を刻んで湯で戻す。レオは食べる時に前足を皿の中に突っ込む癖があった。拭いてやると、尻尾の房で手を叩いてくる。
昼、セラフィがレオを膝に乗せて聖力の訓練をする。レオが近くにいると聖力が安定する。暴走しかけても、レオが短く声を上げると光が収まった。
「グレア様、見てください。今日は十秒も保ちました」
セラフィが笑った。
十秒。たった十秒だ。だが一昨日は三秒だった。昨日は五秒。
「流石です」
伸ばした俺の手を、セラフィが取った。
「グレア様」
掌を上に返して、指を一本ずつ見ている。
「割れてます。ここも。……ここも」
「薬草仕事ですから、仕方がないです」
「仕方がなくないです」
セラフィが棚に向かった。戻ってきた手に、小さな壺が三つ。
「これは……」
「軟膏です。爪に塗ると割れにくくなるんですよ」
三つの壺の蓋を開けた。淡い桜色。透き通った琥珀色。それと、透明の白。
「どれがいいですか?」
しない、と言う選択肢は与えられなかった。
「……目立たないものを」
「ではこれを」
セラフィが手に取ったのは、桜色だった。
「それは、一番目立つものでは」
「一番綺麗なものです」
反論を封じる笑顔。手を引こうとしたが、指を掴まれていた。
「右手からいきますね。動かないでください」
小指から始まった。セラフィの指が俺の小指を挟んで、持ち上げる。
小さな刷毛が爪の表面に触れた。爪に神経はないはずだ。なのに、刷毛の毛先が根元から先端へ滑るたびに、指の芯まで何かが通る。硬い面を柔らかいものが撫でている。それだけのことが、指の腹を裏側からくすぐるように響いた。
「グレア様、手が綺麗ですよね」
「……そうですか」
「指が長くて。羨ましいです」
薬指。中指。人差し指。一本塗るたびに、指先の色が変わっていく。
塗った端から軟膏が冷えて、爪の表面で薄い膜になる。液体だったものが、乾いて、固まって、俺の爪の一部になっていく。
爪に薄い桜色が乗る。指先から「女」が浸透してくる。——自分の手なのに、自分の手じゃない。
嘘を纏って、魔力が腰骨の奥で湧き上がる。
セラフィが塗り終わった指先を、そっと握った。
「次」
右手で知っている。刷毛の感触も、乾いていく温度も、指を挟まれる圧も。
知っていて——左手を差し出していた。自分からだった。
セラフィが一瞬だけ目を上げた。何も言わなかった。ただ、口の端がほんの少し上がった。
——見られた。自分から欲しがったのを。
「左手の方が荒れてますね。薬草を左で持つんですか」
「ええ」
セラフィの指が、俺の左手の小指を挟んだ。温かかった。
同じ手順。同じ丁寧さ。二度目だから、次に何が来るか分かっている。分かっているのに、刷毛が爪に触れるたびに息が浅くなった。
「乾くまで動かさないでくださいね」
「……どのくらいですか」
「少し」
両手を膝の上に揃えて、動けなかった。
桜色の指先が十本、朝の光を受けて薄く光っている。膜が完全に乾くまで、何もできない。何も触れられない。
茶碗に手を伸ばしかけた。
「まだです」
セラフィの声に止められた。乾くまで触れてはいけない。塗ったのも、止めるのも、全部この子だ。
セラフィに塗り替えられた指先を、ただ見ている。
「ほら、似合います」
セラフィが、満足そうに頷いた。
その日は何をしても目に入った。薬草を刻む指。茶碗を持つ指。
レオの頭を撫でた時、桜色の爪が金色の毛に沈んだ。あの子に塗られた指で、別の温もりに触れている。爪の表面と毛並みの間で、膜がかすかに軋んだ。
村の女が声をかけてきた。「あら、グレア様。お爪、おしゃれですね」
返事をする前に、魔力が肋骨の裏で跳ねた。
——洗っても落ちない。こすっても消えない。セラフィの指が触れた場所だけが、一日中、俺の手の上で光っていた。
夕刻、戸口が叩かれた。
「お届け物です、グレア様」
村の男だった。包みを差し出されて、受け取る。指が触れた。
男の目が、一瞬だけ桜色の爪に落ちた。
——それだけのことで、指先が熱くなった。
「グレア様、何ですかそれ」
セラフィの声が、すぐ後ろから飛んできた。
包みを開ける。セラフィ用の調合だ。聖力を安定させる配合。
「これは……? どなたから?」
「わかりません」
嘘の魔力が喉の奥で鳴った。
この調合ができる人間には、一人しか心当たりがなかった。
ドレモント先生だ。なぜ……いや、間違いない。フェリオが知らせたのだ。
包みを開ける桜色の指先が、一瞬止まった。半年前の自分の手には、この色はなかった。
石造りの廊下。銀の杖が床を叩く音。マダム・マローズの、嘘を見抜く瞳。
——『俺がやりました』。
生涯で一番重い嘘。先生を庇って吐いた、喉が焼き切れるほどの。
見抜かれていた。分かっていて、見逃された。先生は助かった。俺は追放された。
あれ以来、喉の奥はずっと焦げたままだ。
薬草の束を握る指が、桜色の爪ごと白くなった。
不意に、レオが鳴いた。甲高い、怯えた声。セラフィが抱き上げる。
「グレア様」
「家にいなさい。出てこないで」
空を見上げた。風が渦を巻いている。
魔力の嵐だ。
風に声が乗っていた。
『危険な猛獣が逃走中である』
女の声だった。低く、澄んでいて、冷たい。一音ずつ鋳型に流し込んだような、完璧な発声。
『聖教会は、当該猛獣の処分に懸賞金を設定する。発見した者は最寄りの教会に届け出よ』
結界が軋む。声が壁を殴っている。
村人がちらちらとこちらを見ている。
レオのことだ。これ以上皆に聞かせるわけにはいかない。
「私はこの地の守護者です」
あの時吐いた嘘を、もう一度。結界が厚くなる。声が、壁の外で弾かれる。
『繰り返す。危険な猛獣は……』
「私の結界は誰にも破れない」
嘘をもう一枚纏う。
鳩尾が軋む。視界が揺れる。出力が足りない。ここ数日、嘘をつかなさすぎた。
何でもいい。嘘なら何でも。
「私の胸は、大きい」
足元から力が噴いた。くだらない。だが、嘘だ。
「私の爪は、生まれつき桜色です」
全身が震えた。馬鹿馬鹿しいほどに。結界の強度が上がる。
風が止み、声が途切れた。
村人が不安げに空を見上げている。
膝が震えて、汗が顎から落ちた。
あの声。あの発声。間違いない。
——マローズだ。
「グレア様!」
セラフィが飛び出してきた。出てくるなと言ったのに。レオを抱えたまま駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか。結界がすごく揺れて……」
「大丈夫です」
嘘だ。大丈夫ではない。
「嵐が来ただけです。もう去りました」
そう言いながら結界の端を探る。
もし、あの魔力で亀裂が入っていたら……
無意識に自分の爪を見た。
桜色に、小さな傷ができていた。