嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる 作:なほやん
結界に、亀裂があった。
昨日の嵐——マローズの声が叩いた場所だ。塞いだ。だが、膜が薄い。他の場所より明らかに脆い。
この隙間から、セラフィの聖力が外に漏れたかもしれない。
今まではこちらの魔力で覆っていた。だが亀裂がある以上、俺の膜だけでは足りない。
セラフィ自身が、聖力を制御できるようにならなければ。
「今日から、訓練を変えます」
セラフィが背筋を伸ばした。レオがセラフィの足元で丸くなっている。
「聖力を球にしてください。昨日と同じ。ただし——自分で膜を張ること」
「膜……ですか」
「聖力を外に漏らさず、内側に留める。私の結界と同じことを、あなた自身の力でやるのです」
俺が教えたのは嘘だ。聖力の制御法なんて知らない。
魔力の扱いを聖力に当てはめて、それらしく語っていただけ。
なのに……
「三十秒」
セラフィが自分で数えていた。白い光が薄い膜に包まれて、掌の上で静かに回っている。
レオの尻尾の房が、光に合わせて揺れていた。
「グレア様の教え方が上手だから……」
「いえ、あなたの呑み込みが早いのです」
この子は才能がある。制御さえ覚えれば、俺の魔力の膜など最初から不要だった。
嘘が、いつの間にか本当になったのだ。
「グレア様。今、何かが変わりました」
セラフィが首を傾げている。光の球を見つめて、それから俺を見た。
「グレア様の魔力が、一瞬だけいつもとは違う、もっと……」
言葉を探している。見つからないようだった。
足元のレオが顔を上げていた。丸い目がこちらを見ている。尻尾の房が立っている。
俺には、何もわからなかった。
* * *
訓練で魔力を使いすぎた。汗が首筋を伝っている。
湯浴みは、唯一の聖域だった。
浴桶に湯を張り、「グレア様」の鎧を全部脱ぐ。一日の中でこの時間だけ、俺は俺に戻れる。
湯に沈んだ。肩まで浸かる。平らな胸。男の体。湯気が薬草の匂いを運んでくる。
湯気の中で、鎖骨の下に赤い筋が浮いていた。胸当てが食い込んでいた跡。昨日までの曲線を保つために、肌に刻まれた檻の痕だ。
指先でなぞった。まだ温かい。布の記憶が肌に残っている。だがその下は平坦で、男の胸でしかない。——なのに指先が膨らみを探して、空を掻いた。跡がついている場所だけが、まだ女の形を覚えている。
湯を掬い、鎖骨の下に落とした。湯がまっすぐ腹へ滑り落ちる。あまりに直線的だ。もっとこう——手に吸いつくような曲線が、そこにあるべきだった。
嘘で塗り固めた方が、今の俺には「正しい」。
畳んで脇に置いた下着が目に入る。
女物だ。絹が湯気を吸って、仄かに石鹸の匂いを放っている。
湯の中で桜色の爪だけが、水面に浮いて光っていた。セラフィに塗られた色だけが、裸になっても剥がれない。
浴場の戸が鳴った。
「グレア様、お疲れでしょう。お背中、流します」
セラフィの声。戸の向こう。
「入るな!」
地声が、狭い浴場に反響した。自分の声の低さに、全身が粟立つ。
慌てて声を作り直す。
「入ってはいけません」
「え? 女同士じゃないですか」
戸一枚の向こう。衣擦れの気配。セラフィが戸に手を置く音まで聞こえた。
裸の俺と、服を着たあの子。一枚の板を隔てて、俺を「女」として扱う少女の体温が、湿った空気に混じって流れ込んでくる。
「……体調が優れないのです。一人にしてください」
嘘で、結界が揺れた。
「大丈夫ですか? 無理してませんか?」
「だめ!」
湯を蹴立てて戸を押さえた。濡れた手が滑る。桜色の爪が、戸の木目に食い込んだ。
「女同士でも、師匠には師匠の威厳が……」
何を言っている。威厳。裸で戸を押さえながら。
戸の向こうで、レオが鳴いた。
「……分かりました」
セラフィの足音が遠ざかった。
浴桶に崩れ落ちた。湯が溢れた。
* * *
髪を拭いていたら、セラフィに布を奪われた。
「グレア様! そんな拭き方じゃ髪が傷みます!」
風呂の件を許してもらうかわりに、髪を預けることになった。
「いつもそのお手入れで、なんでこんなに綺麗なんですか……」
「……生まれつきです」
「ずるい。もう、放っておけません」
セラフィが布で銀の髪を挟み、毛先から水気を吸い取っていく。絞らない。叩かない。ただ挟んで、待って、離す。丁寧すぎる。
髪を通じて頭が揺れるたびに、うなじにセラフィの吐息がかかった。
結界の継ぎ目が、鳴った。
セラフィの手が止まった。昨日の嵐とは違う。もっと硬い。鉄を叩くような振動。
「セラフィ。レオを連れて家に」
髪がまだ濡れたまま、立ち上がった。セラフィの顔が強張る。レオを抱き上げて、家へ走る。
俺は結界の外縁へ向かった。濡れた髪が首筋に張りついている。桜色の爪に、まだ湯気が残っていた。
村の入り口。街道の先。
小さかった。
それが第一印象だった。結界の外縁に立っていたのは、俺より頭一つ低い全身鎧の男。
鎧の表面に紋章があった。聖教会の十字。だがその下に、もう一つ。銀地に歯車。
マローズ家の私紋だ。
「辺境の魔女グレア殿か」
声に抑揚がなかった。
「ええ。どなた様でしょう」
「ビガロ、聖教会の者だ」
結界越しに対峙する。鎧の男は結界の外に立ったまま、動かない。
「この村に、処分印を押された聖獣がいるはずだ。教会の管理物である。返還を求める」
「聖獣などおりませんが」
嘘の魔力が、空気を揺らす。
しかし、ビガロに触れたそれが、霧散した。
「この鎧にはある方の魔力が込められている。嘘をつく者にはこれを貫けない」
厄介なものを。
「聖獣を引き渡していただきたい」
「お断りします」
——空気が、鳴った。
嘘ではなかった。本心だった。だからこそ、魔力ではない何かが結界を伝って走った。
ビガロの鎧が、かちりと鳴った。小さく。ほんの一瞬、足が揺れたように見えた。
「……処分命令が出ている」
間があった。さっきまでなかった間が。
感情のない声。命令。それだけがこの男を動かしている。
「……考える時間をください」
「では明朝、迎えに来る」
ビガロが踵を返した。
* * *
セラフィがレオを抱いて待っていた。レオの毛が逆立っている。聖力が不安の色に明滅していた。
「どなたでしたか」
「教会の使いです。レオを返せと」
嘘はつかなかった。つけなかった。セラフィの目を見て、嘘をつく気にならなかった。
「返しません」
セラフィの声は静かだった。だが腕の中のレオを抱く力が強くなった。
「この子には処分印が押されています。返したら、殺されます」
レオがセラフィの腕の中で低く喉を鳴らした。
——猶予は一晩。
明朝、あの鎧が来る。
嘘の魔力が通じない相手に、どう戦う。
窓の外が暗くなっていく。
鎖骨の下が疼いた。湯の中で見た檻の跡が、まだ消えていない。
結界の亀裂が、昨日より少しだけ広がっていた。