嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる 作:なほやん
夜が明けない。
セラフィは眠れないらしかった。寝台の端で膝を抱えて、こちらをじっと見ている。暗がりの中で聖力が淡く明滅し、鈴を転がすような微かな音がしていた。
レオが俺とセラフィの間で丸くなっている。尻尾の房が時折震えていた。
「グレア様」
「……何ですか」
「明日、あの方が来るんですよね」
「大丈夫です。私は大魔女ですから」
暗がりの中で結界が微かに膨らむ。
久しぶりにまともな痺れだった。微かに。掠れるように。渇いた体が、一滴の嘘を貪っている。
「もしレオが連れて行かれそうになったら、私が盾になります」
馬鹿を言うな。
だがセラフィの目は本気だった。聖力が、不安の明滅をやめて静かに灯っている。
「あなたは盾にならなくていい」
「なります」
この子は一度決めると引かない。
「……聖女だからって」
「私だからです。グレア様こそ、一人で抱え込むのやめてください」
「抱え込んでいません」
「抱え込んでます。いつもそうです。お風呂のときも、訓練のときも、全部一人でやろうとする」
図星だ。だが今、風呂を引き合いに出すな。あれは別の理由だ。
「グレア様」
「……まだあるの」
「あります。終わったら、一緒にごはん食べましょうね」
約束だ、と言うように小指を差し出してきた。暗がりの中で、その指が淡く光っている。
「……ええ。食べましょう」
小指を繋いだ。細い。温かい。聖力が指先を通じて滲んでくる。甘い。薬草とも違う、この子だけの匂い。
「ずっと、こうしていたいです」
声が小さかった。聞こえなかったふりをした。
聖力の光がゆっくり消えていく。寝息のリズムに合わせて、毛布の下で微かに脈打っていた。寝息が聞こえるまで、長くはかからなかった。
——だが繋いだ小指だけは、眠ったはずのセラフィの指が、まだ俺を握っていた。
セラフィが起きる前に、家を出た。小指を、一本ずつ外して。
昨夜セラフィが用意していた朝食が並んでいる。パンと干し果実と、スープ。
手が伸びかけた。止めた。食えば音がする。音がすれば起きる。起きれば止められる。
戸口でレオが目を開けていた。丸い目がこちらを見ている。
「留守番だ。セラフィを頼む」
朝の冷たい空気を吸い込んだ。腹が鳴った。
* * *
「考えは纏まったか」
ビガロが結界の外に立った。昨日と同じ位置。同じ姿勢。鎧が朝日を鈍く弾いている。
「あの子を渡すわけにはいきません」
「仕方あるまい」
ビガロが一歩踏み出した。
嘘の力を弾くという鎧が、結界を軋ませる。
交渉は終わりだ。
「小さいですね」
わざと口に出した。
ビガロの足が止まる。
「言われ慣れている」
抑揚のない声。流したつもりだろう。
「身長じゃないですよ」
視線を、鎧の腰回りに落とし、親指と人差し指を近づける。
沈黙。
鎧の継ぎ目から、白い蒸気が漏れた。歯の軋む音。抑えていたものが、金属の中で擦れている。
「……貴様!」
怒りだ。あるじゃないか。
この男は感情を捨てたんじゃない。鎧で蓋をしただけだ。
ならば戦いようがある。
剣が横薙ぎに来た。
しゃがんで躱す。刃が帽子の先を掠めた。三角帽子が傾く。
——俺は研究者だ。後衛で、調合と解析が本職の人間だ。剣の間合いで戦う体なんか、していない。
「この結界の中では、私に逆らえません」
嘘と共に魔力を叩きつける。
弾かれた。鎧の表面で嘘が火花を散らして消える。手応えがない。
返す剣。今度は突き。身を捩って避ける。フリルの裾が刃風に煽られた。
「私は伝説の大魔女です」
嘘で魔力が溜まる。背筋に甘い痺れ。
「私は今朝、朝飯を食ってない」
溜めた魔力を、今度は真実に乗せて撃つ。
鎧が音を立てた。だが、軽い。
ビガロが間合いを詰めてくる。踏み込みが重い。鎧ごとぶつかるように来る。
横に飛んだ。靴底が石畳を滑る。
「私は昨夜、三百歳になりました」
体勢を立て直しながら嘘と共に魔力を放つ。フリルが揺れるたびに膝の裏を絹が叩く。
ビガロは避けなかった。この男は、嘘だと見抜けば攻撃を避けない。
「私はこの村が好きだ」
真実を放つ。避けきれなかった兜に罅が走った。
ビガロが半歩退いた。
なぜだ。
朝飯は大して効かなくて、村が好きは効く。
差は何だ。どちらも真実なのに。
考える間も与えてくれない。剣が袈裟懸けに振り下ろされる。
転がって避けた。
もう一つ試す。
「お前は身長を恥じて鎧で身を隠した」
ビガロの剣が止まった。
胸甲に細い亀裂。今のは——効いた。さっきの「村が好き」より、深く。
「黙れ」
声が低い。怒りではなく、拒絶だ。
だが剣は止まらない。怒りを乗せた横薙ぎ。背を反らして躱した。刃が鼻先を通り過ぎる。
……そうか。
朝飯を食ってないのは、ただの事実だ。自分でもどうでもいい。
村が好きなのは——認めるのに少しだけ抵抗がある事実だ。ここを去れなくなるから。
鎧で身を隠した——これはビガロ自身が、たぶん認めたくない。
真実の威力は、どれだけ隠蔽されているか。
あるいは……どれだけ本人が認めたくないか、だ。
「マローズの狙いは、聖獣ではなく聖女だ」
剣を潜りながら魔力を乗せて撃つ。
鎧の肩が砕けた。ビガロがよろけた。
やはり、当たりだったか。
「お前は、そのための捨て駒だ」
膝当てに亀裂。ビガロが初めて片膝をついた。
「っ——黙れ!」
声が割れていた。鎧の隙間から、この男の素肌が覗いている。
細い腕だった。鎧の威圧とは不釣り合いなほど、華奢な。
——いける。もう一撃。
「その鎧はお前を守ってなんかいない。お前を閉じ込めているだけだ」
真実を放つ。
ビガロが——横に跳んだ。
外れた。魔力が地面を抉って消える。
兜の奥で、目が光っていた。冷たい目だ。さっきまでの怒りが引いている。
「……なるほど」
低い声だった。
「ならば——真実だけ避ければいい」
ビガロが間合いを詰めてくる。剣が横薙ぎに来た。
転がって躱す。石畳に肘を打ちつけた。
「私の魔力は無限だ」
嘘で充填。溜まる。
「お前は命令に縛られている!」
真実を撃つ。ビガロの体が沈んだ。——膝を折って潜る。剣の腹が足元を薙いだ。
靴ごと足首を刈られた。
「っ——」
倒れかけた体を手で支える。フリルの袖が石畳を擦って裂けた。
「お前は本当は戦いたくない!」
避けられた。ビガロは嘘と真実の気配を嗅ぎ分けている。嘘は無視し、真実だけを正確に避ける。
返しの剣。三角帽子が吹き飛んだ。結い上げた髪が崩れて肩に散る。
まずい。
嘘を撃つ。弾かれる。真実を撃つ。避けられる。
繰り返すたびに距離が詰まっていく。
剣の柄が胸を打った。息が止まった。仰向けに倒れる。
「ぁ——っ」
袖が裂けた。絹が肌から剥がれていく。
冷たかった。半年間、絹で覆い続けた素肌に、外の空気が直接触れている。
——怖い。
剥がれていく。俺の「グレア」が、一枚ずつ。
歯を食いしばって魔力を練る。
「お前は——」
「無駄だ。嘘は効かない。真実は避ければいい」
ビガロが剣を喉元に突きつけた。冷たい刃が首筋に触れている。
動けなかった。
真実を撃っても、この男は避ける。もう、通る弾がない。
衣のあちこちが裂けている。フリルが千切れて地面に散っている。
——半年かけて纏った「グレア」が、ぼろぼろだった。
セラフィが結んでくれた髪紐だけが、まだ残っていた。崩れた髪の中で、かろうじて。
——終わりだ。
「さあ——聖女のところへ案内してもらおう」
——聖獣を渡せという建前すら、もう言わないのか。
打つ弾がない。嘘は弾かれる。真実は避けられる。
この男に通る攻撃が、もう——
……ある。
一つだけ。
喉の奥に、ずっと転がっていた。石のように重い。飲み込めもしない、吐き出せもしない。
でも——いいのか。
これを言ったら。半年間の「グレア様」が壊れる。セラフィの前で微笑んだあの顔が。レオを膝に乗せた夜が。「ずっとこうしていたいです」と、あの子が言ったあの声が。
全部、嘘だったと認めることになる。
認めたくない。
だが、それ以外にない。
ビガロの剣が首筋を押す。冷たい。じわりと血が滲んだ。
——この男は、これを避けない。
避けようがない。こんなものが真実だとは、思いもしないから。
地肌が、冷たい空気に晒されて粟立っている。
肌に吸いついていた絹。唇に残る軟膏の苦み。桜色に塗った爪。
全部——嘘で出来た、俺の半年。
……ごめん。
「俺は——」
声が、震えた。目の奥が熱い。
「——男だ」
最後の力で、鎧の胸板へ拳を叩き込んだ。
「そんな嘘を——」
ビガロは避けなかった。
衝撃が通った。拳から、魔力を流し込む。
鈍い音が鎧の内側で鳴った。ビガロの目が見開かれる。
「——なに」
鎧が砕ける。
拳を当てた一点から罅が爆発的に広がり、残っていた胸甲が割れ、肩当てが落ち、兜の残骸が地面に転がった。
鎧を失ったビガロが、そこに立っていた。
喉元に魔力を集める。今なら、この男をここで落とせる。
でも、撃たなかった。
鎧を剥がされた者の顔は、俺自身が一番知っている。
ビガロは数秒動かず、低く言った。
「……命令の遂行は、不可能と判断する」
踵を返し、破片を引きずって歩き出す。
その背中が見えなくなってから、俺も倒れた。
結界が、薄れていた。
薄膜は残っている。
だが、外敵を弾き返す壁は——もうない。セラフィの聖力を隠す覆いも。
俺が女だと嘘をつき、その力で厚く保ってきた結界の大半が剥がれていた。