嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる   作:なほやん

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09. 逃げたい。隠したい。なのに、見ていてほしい

 

 家に戻った。

 

「グレア様!」

 

 セラフィが駆け寄ってきた。レオが足元に纏わりついて、鼻先を膝に押しつけている。

 

「怪我……! 血が——」

「大丈夫です。相手は追い返した」

 

 嘘ではない。追い返した。二人は無事だ。——それだけでいい。

 

 セラフィの手が袖に触れかけて、止まった。裂けた布地の下の腕を見て、目が揺れている。

 

「手当てを——」

「先に着替えます」

 

 遮った。この姿を、長く見せたくなかった。

 

 鏡が映したのは、ひどい姿だった。

 フリルが千切れて肩から垂れている。袖は裂けて、擦り傷だらけの腕が覗いている。三角帽子は戦場に置いてきた。スカートの裾が焦げて、膝が擦り剝けている。

 半年かけて作った「グレア」の残骸が、鏡の中で息をしていた。

 

 ——脱いだ。

 

 裂けた魔女服を床に落とした。絹が肌から離れていく。一枚ずつ。最後にリボンを解いたとき、首筋に冷たい空気が触れて、体が震えた。

 箪笥を開けた。魔女服の隣に、地味な外套があった。フリルもリボンもない。男でも女でも通る、中性的な仕立て。

 

 袖を通した。

 楽だった。締め付けがない。膝裏を叩くものがない。腰骨に絹の縁が吸いつかない。——楽なのに、スカスカだった。体の輪郭が曖昧になっていく。鏡の中の自分が、男でも女でもない、誰でもない顔をしていた。

 

 結界を修復しなければ。

 

「私は大魔女だ」

 

 嘘をついた。

 何も起きなかった。背筋に走るはずの甘い痺れが、来ない。

 

「私は——この地の守護者だ」

 

 もう一度。強く。

 魔力が微かに揺れた。だが、結界に届くほどではなかった。嘘をついても体が跳ねない。あの鋭い悦楽が、戻ってこない。

 

 ——当たり前だ。

 あの服を脱いだのだから。あの嘘を自分で壊したのだから。

 

 結界は痩せたままだった。薬草は生きている。季節も保っている。だが、それだけだ。

 なのに足だけが、まだ小さく歩こうとする。半年かけて刻まれた歩幅が、骨の中に残っている。

 

 「グレア様」と呼ばれるたびに背骨の隙間を滴っていた秘密の蜜が涸れていた。あの甘い震えを体が探している。指先が、唇が、鎖骨の窪みが——かつて反応していた場所だけが、空洞のまま脈を打っている。

 

「結界が……」

「聖教会に逆らったせいだろ」

「グレア様、どうしたら……」

 

 答えられなかった。嘘でも真実でも、もう答えになるものが何もなかった。

 セラフィが、隣で全部聞いていた。何も言わなかった。

 

 空が鳴った。

 魔力を帯びた風が村の上で渦を巻く。

 

『聖女セラフィーナを速やかに引き渡せ』

 

 名指しだ。

 

『当該聖女は現在、王都特別治療院への帰還を命じられている。匿う者は聖教会への反逆と見なす』

 

 村が静まり、次の瞬間、ざわめきが爆ぜた。

 薄くなった結界では、もうこの声を押し返せない。セラフィの聖力を隠す覆いもとうに剥がれている。

 

 セラフィが俺の袖を掴んでいた。指先が震えている。——だが顔は、もう決まっていた。

 

 村の入口で馬のいななきが上がった。

 フェリオだった。銀地に青の獅子。公の声で告げる。

 

「聖教会の命により、聖女セラフィーナ殿を保護・移送する」

「拒否します」

 

 反射で答えた。フェリオは一瞬だけ目を伏せ、すぐに職務の顔へ戻った。

 

「拒否は認められない」

 

 セラフィが一歩前に出た。フェリオではなく、俺を見ていた。

 

「私が行けば、村は……グレア様は助かるのですね」

「セラフィ……」

「私、聖女ですから」

 

 笑った。目だけが泣いてる、あの笑顔。

 

「引き受けるのは、慣れてます」

 

 レオが俺の腕の中で暴れた。セラフィがしゃがんで、レオの額に触れた。白い光がほんの一瞬だけ灯る。

 

「いい子で待っててね」

 

 馬車が遠ざかる。

 

 ——行かないでくれ、セラフィ。

 

 声にならなかった本心が胸の底に落ちた。

 自分自身についていた嘘までが、暴かれていく。

 

 *  *  *

 

 誰もいない家。

 セラフィの椅子は引かれたまま。軟膏の蓋が半分開いている。窓辺の鉢植えは萎れていた。レオがその下で丸くなっていた。

 

 戸口に紙片が挟まっていた。フェリオの字。

 

『読んだら燃やせ。

 王都北棟・特別治療院に、呪いで瀕死の大公がいる。

 マローズは聖女に治療を強制するつもりだ。

 すでに反動で療師が三人死んでいる。

 止めるなら急げ』

 

 手紙を握り潰した。

 爪の剥がれかけた桜色が目に入った。

 

 どうやって行く。魔力は空だ。

 

 手が伸びていた。箪笥の方へ。まだ中に入っている女物へ。

 引っ込めた。拳を握って、離れた。

 三歩。二歩。また手が伸びている。

 

 やめられない。ずっと体が覚えている。腰骨が絹の縁を探している。指先がフリルの重みを求めている。必要だから着ていたはずの衣が、いつの間にか体の一部になっていた。

 

 鏡の前に立った。

 やつれた顔。乾いた唇。目だけが妙に生きている。

 

 棚の軟膏を開けた。指先に取って、唇に塗った。あの子がしてくれたことを、今度は自分で。

 桜色を、爪に塗る。下手だ。はみ出す。爪の縁からはみ出した桜色が指の腹を汚す。でも、やめない。一本ずつ、不格好に塗っていく。

 右手が終わった。左手を持ち上げた。震えが止まらない。

 

「私は、可愛い」

 

 小さく言った。誰にでもない。自分にだけ聞こえる声で。

 

 箪笥を開けた。

 石鹸。乾いた花。絹の澱み。匂いが手首まで昇ってきた。

 手が先に動いた。女物の下着に伸びていた。

 

 指が絹に触れる。冷たい。体温を吸っていない布は、こんなに冷たい。

 足を通す。太腿を越え、骨盤を越え、布が吸いついた。あの時と同じだ。隙間がない。腰骨の窪みを絹の縁が埋めていく。自分で選んだ檻。鍵をかけたのは俺だ。

 

 魔女服に袖を通す。腕の内側にフリルが触れた瞬間、毛穴が全部開いた。肌が覚えている。この布地を、体が待っていた。

 リボンを結び損ねる。指が震えている。結び直す。三角帽子を被る。

 

 押しつけられて着ていた頃と、同じ服だ。

 でも今は違う。自分で着た。誰に命じられたのでもない。セラフィに着せられたのでもない。箪笥を開けたのはこの手で、足を通したのもこの手だ。

 

 歩き方まで戻っている。小さく、優雅に。誰にも矯正されずに。体がもう知っている。

 耳が熱い。奥歯を噛んでいるのに、口角が上がる。

 裾が膝裏を掠めた。それだけで脇腹が締まって、背筋がすっと伸びた。体が勝手に姿勢を作る。この服の中にいる時の姿勢を。

 腹立たしい。——こんなにしっくりくるのが、一番腹立たしい。

 

 声を出してみた。「グレア様」の声を。

 喉が覚えている、その声を。

 

「私は、魔女だ」

 

 鏡に向かって言った。

 胸の奥で、何かが揺れた。枯れた井戸の底で、水面が一瞬だけ光る。

 

「私は、この地の魔女だ」

 

 もう一度。今度は強く。

 魔力がまた少しだけ動いた。指先が温かくなる。

 

「私は最高に可愛い」

 

 鏡の中の少女が、泣きながら笑い返した。

 だが火は微かなままだった。半年使い込んだ嘘だ。肌に馴染みすぎて、もう体を騙しきれない。言葉が、擦り切れている。

 

 コンコン。

 

 重い。金属の手甲で叩く音。

 開けると、ビガロが立っていた。割れた鎧を雑に繋ぎ直した姿。

 

「何を……」

「借りを返しに来た」

 

 体をずらす。背後に、見慣れたヤギ髭。

 

「……先生」

 

 ドレモント先生は昔と同じ皮肉な笑みを浮かべた。

 

「フェリオから聞いて来てみれば——ひどい顔じゃの、ガレア。儂がいない間に、泣き方を覚えたか」

 

 先生の目が動いた。上から下へ。

 魔女服。桜色に塗られた爪。軟膏で湿った唇。恩師の視線が、俺の全身を辿っている。

 

 聞かれた、鏡に向かって言っていたことを。

 

 顔が燃えた。耳まで熱い。スカートの裾を掴む指が白くなる。恩師に女装を見られている。その事実が、こめかみから踵まで一直線に走った。

 逃げたい。隠したい。なのに、見ていてほしい。

 

「半年、魔女に慣れすぎてしまったのう」

 

 先生が腕の包みを卓に置いてほどく。レース。フリル。リボン。光沢。

 

「……これは」

 

「フェリオ経由であの子から預かった。——『グレア様が必要になった時に渡してください』と」

 

 布地に顔を寄せた。——セラフィの匂いがした。手縫いだ。一針ずつ、あの子が縫った。

 

 先生が俺の肩を掴む。

 

「半年前、お主の嘘で儂は救われた。もう一度嘘をつけ。新しい嘘を、新しい願望を」

 

 先生が背を向けた。ビガロは最初から見ていない。

 

「……私は可愛い」

 

 魔女服を脱ぐ。

 新しい布地に腕を通す。フリルの量が倍になっている。——あの子の匂いが、腕を包んだ。

 

「私は、強い」

 

 リボンが鎖骨の上で揺れた。スカートの裾が膝上で広がる。布地のどこからでも、セラフィの匂いがした。一針ずつ、祈るように縫ったのだろう。

 

 恥ずかしい。恥ずかしい。でもその恥が、腹の底から魔力を押し上げてくる。

 もう誰のせいにもできない。誰かに押しつけられたのでも、村のためでもない。——でも、一人でもない。

 

「私は——魔法少女だ」

 

 名乗った瞬間、体の芯が爆ぜた。

 

 

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