嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる 作:なほやん
家に戻った。
「グレア様!」
セラフィが駆け寄ってきた。レオが足元に纏わりついて、鼻先を膝に押しつけている。
「怪我……! 血が——」
「大丈夫です。相手は追い返した」
嘘ではない。追い返した。二人は無事だ。——それだけでいい。
セラフィの手が袖に触れかけて、止まった。裂けた布地の下の腕を見て、目が揺れている。
「手当てを——」
「先に着替えます」
遮った。この姿を、長く見せたくなかった。
鏡が映したのは、ひどい姿だった。
フリルが千切れて肩から垂れている。袖は裂けて、擦り傷だらけの腕が覗いている。三角帽子は戦場に置いてきた。スカートの裾が焦げて、膝が擦り剝けている。
半年かけて作った「グレア」の残骸が、鏡の中で息をしていた。
——脱いだ。
裂けた魔女服を床に落とした。絹が肌から離れていく。一枚ずつ。最後にリボンを解いたとき、首筋に冷たい空気が触れて、体が震えた。
箪笥を開けた。魔女服の隣に、地味な外套があった。フリルもリボンもない。男でも女でも通る、中性的な仕立て。
袖を通した。
楽だった。締め付けがない。膝裏を叩くものがない。腰骨に絹の縁が吸いつかない。——楽なのに、スカスカだった。体の輪郭が曖昧になっていく。鏡の中の自分が、男でも女でもない、誰でもない顔をしていた。
結界を修復しなければ。
「私は大魔女だ」
嘘をついた。
何も起きなかった。背筋に走るはずの甘い痺れが、来ない。
「私は——この地の守護者だ」
もう一度。強く。
魔力が微かに揺れた。だが、結界に届くほどではなかった。嘘をついても体が跳ねない。あの鋭い悦楽が、戻ってこない。
——当たり前だ。
あの服を脱いだのだから。あの嘘を自分で壊したのだから。
結界は痩せたままだった。薬草は生きている。季節も保っている。だが、それだけだ。
なのに足だけが、まだ小さく歩こうとする。半年かけて刻まれた歩幅が、骨の中に残っている。
「グレア様」と呼ばれるたびに背骨の隙間を滴っていた秘密の蜜が涸れていた。あの甘い震えを体が探している。指先が、唇が、鎖骨の窪みが——かつて反応していた場所だけが、空洞のまま脈を打っている。
「結界が……」
「聖教会に逆らったせいだろ」
「グレア様、どうしたら……」
答えられなかった。嘘でも真実でも、もう答えになるものが何もなかった。
セラフィが、隣で全部聞いていた。何も言わなかった。
空が鳴った。
魔力を帯びた風が村の上で渦を巻く。
『聖女セラフィーナを速やかに引き渡せ』
名指しだ。
『当該聖女は現在、王都特別治療院への帰還を命じられている。匿う者は聖教会への反逆と見なす』
村が静まり、次の瞬間、ざわめきが爆ぜた。
薄くなった結界では、もうこの声を押し返せない。セラフィの聖力を隠す覆いもとうに剥がれている。
セラフィが俺の袖を掴んでいた。指先が震えている。——だが顔は、もう決まっていた。
村の入口で馬のいななきが上がった。
フェリオだった。銀地に青の獅子。公の声で告げる。
「聖教会の命により、聖女セラフィーナ殿を保護・移送する」
「拒否します」
反射で答えた。フェリオは一瞬だけ目を伏せ、すぐに職務の顔へ戻った。
「拒否は認められない」
セラフィが一歩前に出た。フェリオではなく、俺を見ていた。
「私が行けば、村は……グレア様は助かるのですね」
「セラフィ……」
「私、聖女ですから」
笑った。目だけが泣いてる、あの笑顔。
「引き受けるのは、慣れてます」
レオが俺の腕の中で暴れた。セラフィがしゃがんで、レオの額に触れた。白い光がほんの一瞬だけ灯る。
「いい子で待っててね」
馬車が遠ざかる。
——行かないでくれ、セラフィ。
声にならなかった本心が胸の底に落ちた。
自分自身についていた嘘までが、暴かれていく。
* * *
誰もいない家。
セラフィの椅子は引かれたまま。軟膏の蓋が半分開いている。窓辺の鉢植えは萎れていた。レオがその下で丸くなっていた。
戸口に紙片が挟まっていた。フェリオの字。
『読んだら燃やせ。
王都北棟・特別治療院に、呪いで瀕死の大公がいる。
マローズは聖女に治療を強制するつもりだ。
すでに反動で療師が三人死んでいる。
止めるなら急げ』
手紙を握り潰した。
爪の剥がれかけた桜色が目に入った。
どうやって行く。魔力は空だ。
手が伸びていた。箪笥の方へ。まだ中に入っている女物へ。
引っ込めた。拳を握って、離れた。
三歩。二歩。また手が伸びている。
やめられない。ずっと体が覚えている。腰骨が絹の縁を探している。指先がフリルの重みを求めている。必要だから着ていたはずの衣が、いつの間にか体の一部になっていた。
鏡の前に立った。
やつれた顔。乾いた唇。目だけが妙に生きている。
棚の軟膏を開けた。指先に取って、唇に塗った。あの子がしてくれたことを、今度は自分で。
桜色を、爪に塗る。下手だ。はみ出す。爪の縁からはみ出した桜色が指の腹を汚す。でも、やめない。一本ずつ、不格好に塗っていく。
右手が終わった。左手を持ち上げた。震えが止まらない。
「私は、可愛い」
小さく言った。誰にでもない。自分にだけ聞こえる声で。
箪笥を開けた。
石鹸。乾いた花。絹の澱み。匂いが手首まで昇ってきた。
手が先に動いた。女物の下着に伸びていた。
指が絹に触れる。冷たい。体温を吸っていない布は、こんなに冷たい。
足を通す。太腿を越え、骨盤を越え、布が吸いついた。あの時と同じだ。隙間がない。腰骨の窪みを絹の縁が埋めていく。自分で選んだ檻。鍵をかけたのは俺だ。
魔女服に袖を通す。腕の内側にフリルが触れた瞬間、毛穴が全部開いた。肌が覚えている。この布地を、体が待っていた。
リボンを結び損ねる。指が震えている。結び直す。三角帽子を被る。
押しつけられて着ていた頃と、同じ服だ。
でも今は違う。自分で着た。誰に命じられたのでもない。セラフィに着せられたのでもない。箪笥を開けたのはこの手で、足を通したのもこの手だ。
歩き方まで戻っている。小さく、優雅に。誰にも矯正されずに。体がもう知っている。
耳が熱い。奥歯を噛んでいるのに、口角が上がる。
裾が膝裏を掠めた。それだけで脇腹が締まって、背筋がすっと伸びた。体が勝手に姿勢を作る。この服の中にいる時の姿勢を。
腹立たしい。——こんなにしっくりくるのが、一番腹立たしい。
声を出してみた。「グレア様」の声を。
喉が覚えている、その声を。
「私は、魔女だ」
鏡に向かって言った。
胸の奥で、何かが揺れた。枯れた井戸の底で、水面が一瞬だけ光る。
「私は、この地の魔女だ」
もう一度。今度は強く。
魔力がまた少しだけ動いた。指先が温かくなる。
「私は最高に可愛い」
鏡の中の少女が、泣きながら笑い返した。
だが火は微かなままだった。半年使い込んだ嘘だ。肌に馴染みすぎて、もう体を騙しきれない。言葉が、擦り切れている。
コンコン。
重い。金属の手甲で叩く音。
開けると、ビガロが立っていた。割れた鎧を雑に繋ぎ直した姿。
「何を……」
「借りを返しに来た」
体をずらす。背後に、見慣れたヤギ髭。
「……先生」
ドレモント先生は昔と同じ皮肉な笑みを浮かべた。
「フェリオから聞いて来てみれば——ひどい顔じゃの、ガレア。儂がいない間に、泣き方を覚えたか」
先生の目が動いた。上から下へ。
魔女服。桜色に塗られた爪。軟膏で湿った唇。恩師の視線が、俺の全身を辿っている。
聞かれた、鏡に向かって言っていたことを。
顔が燃えた。耳まで熱い。スカートの裾を掴む指が白くなる。恩師に女装を見られている。その事実が、こめかみから踵まで一直線に走った。
逃げたい。隠したい。なのに、見ていてほしい。
「半年、魔女に慣れすぎてしまったのう」
先生が腕の包みを卓に置いてほどく。レース。フリル。リボン。光沢。
「……これは」
「フェリオ経由であの子から預かった。——『グレア様が必要になった時に渡してください』と」
布地に顔を寄せた。——セラフィの匂いがした。手縫いだ。一針ずつ、あの子が縫った。
先生が俺の肩を掴む。
「半年前、お主の嘘で儂は救われた。もう一度嘘をつけ。新しい嘘を、新しい願望を」
先生が背を向けた。ビガロは最初から見ていない。
「……私は可愛い」
魔女服を脱ぐ。
新しい布地に腕を通す。フリルの量が倍になっている。——あの子の匂いが、腕を包んだ。
「私は、強い」
リボンが鎖骨の上で揺れた。スカートの裾が膝上で広がる。布地のどこからでも、セラフィの匂いがした。一針ずつ、祈るように縫ったのだろう。
恥ずかしい。恥ずかしい。でもその恥が、腹の底から魔力を押し上げてくる。
もう誰のせいにもできない。誰かに押しつけられたのでも、村のためでもない。——でも、一人でもない。
「私は——魔法少女だ」
名乗った瞬間、体の芯が爆ぜた。