曰く付きの妖刀を拾った凡人が、天才を曇らせる剣鬼になる話。 作:白たくあん
我が道場の立地は素晴らしい。
都市部とは少し離れていて、極めてのどか。
広大な土地に、そよそよと吹く風が、春の訪れを感じさせる。
天気は快晴で、暑くもなく寒くもない気温。
……うむ!
まさに絶好の鍛錬日和だな!!!
「セイッ! セイッ! セイッ! セイッ!」
少々変わった掛け声と共に、全力で剣を振る。
素振り1000回が終わったら、走り込み。
街の外周を10週したら、腹筋、腕立て伏せ、膝屈伸運動、などなど。
自らの筋肉をとにかく痛めつける。
体が悲鳴をあげるくらいが、脳内麻薬が分泌されて気持ち良い。
健康的、かつ合法的にキマる。
溢れ出まくる脳汁で、意識が飛びそうになる感覚が堪らないのだ。
あまりの気持ちよさに浸っていると、物陰から1人の少女が顔を出す。
「
「頼むからやめてくれぇ! 社会的に死ぬ!」
自分の世界から、現実に引き戻される。
無表情のまま、冗談を言う少女の名は
俺と同じ剣の流派である
浅葱一門当主の一人娘である。
一際小柄な背丈に、艶やかで長い黒髪。
小動物のような外見に反して、鍛え抜かれた肉体を有する彼女は、我が終生の好敵手。
同世代の人間の中でも、最上位の実力を有する正真正銘の天才。
出会った頃から、俺の一歩先を歩いている。
まさに、目の前に聳え立つ壁のような存在だ。
「何、じっと見てるの? 憲剛のすけべ」
「す、すまん! だが、決して、そのような目で見てないぞ!」
「……ふふっ」
無様に慌てふためく俺を前にした灯花は、微笑みを浮かべる。
それにしても、彼女はよく笑うようになった。
初めて会った時なんか、人形と思ってしまうほど、感情を見せなかったのに。
個人的には、喜ばしい変化である。
「いい天気だし、勝負しない?」
「ああ、望むところだ」
いささか急な提案だが、戸惑いはない。
昔から、灯花は言葉足らず。
常日頃から、突拍子のない発言をしているため、すっかり慣れてしまった。
それに、俺にとっては願ってもない機会。
まもなく、門下生同士の序列戦が始まる。
なので、少しでも多く、強者との立ち会いをしておきたいと、考えていたところだからな。
「準備はできてる! いつでもかかってこい!」
灯花が臨戦態勢を整えたのを確認した俺は、木刀を手に取って向かい合う。
両手で木刀を携える彼女はいつも通り、楽しげな微笑みを浮かべていた。
「それじゃあ、いくよ」
開始の合図と共に躊躇なく詰め寄ってきた灯花によって放たれる突きを躱す。
相変わらず、体捌きに無駄がない。
迷えば、一瞬で勝負は終わる。
「いいね」
初撃を回避した俺の姿を見て、灯花は満足げに言葉を紡ぐ。
あちらには余裕があるみたいだが、俺には無い。
「うおおおっ!」
受けに徹しても、勝ち目はない。
そう判断した俺は、即座に横薙ぎを仕掛けるも。
灯花は難なく、剣の腹で受け止めた。
今の間合いでは、本来の力を発揮できない。
そう考えたであろう彼女は距離を取ろうとするが……行動を先読みした俺は踏み込み、上段から斬りかかる。
「なかなか、やる」
判断を誤ったのか、焦燥感に駆られたのか。
少し大袈裟に回避した彼女の隙をつき、燕返しの要領で刀の切っ先を逆方向に返す。
そして、自分に出せる最高速度で斬り上げた。
「……っ!」
が、既の所で躱される。
しかし、渾身の一撃を避けるのに必死だったらしい灯花の手から木刀が離れ、宙に舞う。
この勝負、貰った。
ああ。
俺は、この瞬間をどれだけ待ち侘びただろうか。
灯花と出会ってから、10年。
1000回勝負しても、1回も勝てない。
悔しさを抑えきれずに枕を濡らした回数は、今や数えきれない。
けれど、情けない敗北者として、彼女の一歩後ろを歩き続ける生活も今日で終わるのだ。
勝ちを確信した俺は、無防備な灯花に向かって木刀を振り翳す。
「えあっ?」
すると、体が浮遊感を覚えた。
俺はずっこけて、無様にも空を仰ぐ。
立ちあがろうとするも、既に木刀を拾い上げていた灯花によって、喉元に剣先がつきつけられる。
先程とは、立場が逆転していた。
もしかして。
俺、負けてしまったのか?
「残念。これで、1057勝0敗」
「…………」
ぼけっとした顔つきの俺を一瞥する灯花。
本当に、何が起きたんだ。
回避の際に彼女が剣を宙に放ったのは釣りであり、俺の意識がそっちに向いた瞬間に足払いをしたのか……?
「でも、惜しかったね。いい勝負だった……」
「あああああああああああああ!!!!!!!!」
「!?!?」
「くっそおおおおお!!! 悔しいっ! あまりにも、悔しすぎるぞっ!!!!」
「ひ、ひぇ……」
おもむろに立ち上がった俺は、青く澄み渡った空へと思いの丈を叫ぶ。
そして、僅かに体を震わせながらも俺から目を離さない彼女へと距離を詰めた。
「こ、こわい」
怯えている様子の灯花。
だが、そんなの関係ない。
意に介することなく、ずかずかと歩み寄る。
「いいか、よく聞けっ!」
「……うん」
「次に戦う時は、俺が勝つ!」
そう、力強く言い放った。
すると、呆然としていた灯花は安心したのか、ほっと一息ついて、こちらに向き直る。
「多分、無理。その台詞、聞き飽きてる」
「ぐっ……。やってみなければ、分からないだろう。次の俺は超進化を遂げているかもしれん」
「でも、楽しみにしてる」
ぐぬぬ。
上から見下ろしおって。
俺が挑戦者ならば、灯花はさしずめ不敗の王者と言ったところか。
確かに、実力の差は存在する。
それも、天と地ほどの差が。
「やっぱり、楽しい。私は……貴方と剣を交える時間が一番好き」
「そう言ってくれると嬉しい。もちろん、俺も同じ気持ちだ」
2人揃って、笑みを浮かべる。
好敵手と競い合い、高め合う。
剣の才能に恵まれた灯花といつでも戦えるなんて、幸せすぎると断言できる。
人の縁に恵まれた俺は、本当に果報者だ。
「ねぇ、憲剛」
「なんだ?」
「……やっぱり、何でもない。じゃあね」
どこか寂しげに微笑んだ灯花は帰路に着く。
その背中を見届けた俺は、原っぱの上にごろんと寝っ転がる。
ぼーっと空を眺めて、とある言葉を思い出す。
『女が剣を取り、男は守られるべきだ』
と、父は言っていた。
俺が生まれ落ちた世界は、男の数が少なく、女の数が多い。
さらに、非力な男に対して、女は怪力。
総じて、男は生まれながらに弱く、女は生まれながらに強い。
だからこそ、数が少ない弱者を数が多い強者が守るべきだと、言いたいのだろう。
その主張には、正当性しかない。
剣豪が跋扈する血生臭い世界で、人類を存続させるために必要な措置だとも思う。
けれども、捻くれたガキである俺は、どうしても納得出来なかった。
性別が男というだけで、好奇の視線を送られ、蝶や花のように愛でられることが。
庇護される対象として見られ、割れ物を扱うかの如く接されることが。
なによりも、こちらの姿を見る女達の愛玩動物を見るような視線が、気に食わなかった。
だから、俺は剣を振り始めた。
女に舐められないようにするために、最強になると心に誓って剣を手にしたのだが。
「まだまだ未熟だな、俺も……」
誰もいない広場で、本音を呟く。
我ながら鈍感だと自負しているが、それでも分かる事がある。
俺には、さほど才能がない。
膂力には自信があるものの、剣の腕は特別秀でている訳ではない。
日々鍛錬を積み重ねているものの、以前と比べて成長を実感しなくなった。
浅葱一門の序列は五位止まりで、格上の相手とは何度戦っても勝てない。
対して、灯花の成長速度は留まることを知らない。
戦えば戦うほど剣技が洗練されて、剣を振れば振るほど身体能力が向上する。
序列が上の剣士を薙ぎ倒し、序列一位だった自分の母親すらも打ち破る。
灯花という本物の天才との力の差は、開いていく一方であった。
それ自体は、別に構わない。
どんなに願ったところで、生まれ持った才能が変化することはない。
出生時に与えられた手札でやりくりするのが、人生の醍醐味というものだ。
しかし、今のままでは……天と地がひっくり返っても、俺は灯花には勝てない。
「だが、どうすればいい」
強くなりたい思いはある。
灯花に勝ちたいと願い、灯花の隣に並び立ちたい気持ちもある。
だがしかし、方法が思いつかない。
どんなに剣を振っても、どんなに体を鍛えても、一向に成長しない。
精神面を叩き直しても、伴天連の術に頼っても、変化は見られない。
浅葱一刀流の型は、極めた。
肉体も精神も至高の領域へと至った。
ここまで突き詰めれば、理解できてしまう。
恐らく、ここが天井なのだ。
現地点が、浅葱憲剛という男の限界なのだ。
如何なる努力をしようとも、俺は今より強くはなれないやもしれん。
だとしたら、俺は。
一生、灯花に勝てないのではないか?
「兄上。お休みのところ、申し訳ございません」
不意に、俺を呼ぶ声が聞こえる。
後ろを振り返ると、そこには見知った顔の妹弟子がいた。
藍色の髪を一括りにした、落ち着いた雰囲気の少女。
名前は、浅葱
俺との序列戦に勝利して、序列4位になった今でも、敬意を払ってくれる心優しい少女だった。
因みに、瀬那は俺を兄上と呼んでいるが、血の繋がりは一切ない。
何故、俺を兄上と呼ぶかも分からない。
「幕府から出動要請が届きました。倒幕派の隠れ家を発見したようです」
◇
「御用改めである!!!」
決め台詞を吐きながら、俺は刀を抜く。
そうすると、浅葱一門の襲撃を想定していなかった倒幕派の浪士達は動揺し始めた。
「くそッ! 浅葱一門の連中が来やがった! 清浄たる世界を望む同志よ、であえであえ!」
見張り役の女性が高らかに叫ぶと、建物の奥から増援がぞろぞろやってくる。
日の国を支配する幕府を倒そうという浪士が、まだこんなにもいるのか。
もしかしたら、この国も末かもしれん。
だが、俺達がやるべき事は変わらない。
幕府お抱えの武士として、与えられた仕事を全うするだけである。
「……素っ首落とす」
「兄上に立ち塞がる者は妹である私が排除します」
溢れんばかりの殺意を抑える事なく、灯花と瀬那が突撃していった。
灯花は次々と浪士達の首を落とし、瀬那は浪士を切り伏せて道を切り開いていく。
海内無双と名高い浅葱一刀流の剣技を振るって、国賊の命を奪っていった。
「ふんっ! せいっ!」
俺も、負けてはいられない。
人並外れた膂力を活かして、豪胆に剣を振るう。
甲冑を着た浪士を真っ二つにし、切り掛かってきた浪士を刀ごと両断する。
「ひいっ……。どいつもこいつも化け物だぁ」
「投降する! 命だけは助けてくれ!」
浅葱一門に殺されていく同志の姿を見て、心が折れたのか、浪士達は助命を嘆願してくる。
揃いも揃って、刀を捨てて平伏したのだ。
国家転覆を企む割に骨がない奴らだが、個人的に有難くはある。
別に、人殺しが好きなわけではない。
平和的に解決するならば、それが一番である。
そんな事を考えて、刀を収めようとすると。
「隙だらけだなァ!」
物陰に隠れていた浪士が、奇襲を仕掛けてくる。
けれども、警戒を解いていなかった俺は、かろうじて受け止める事が出来た。
「……憲剛!」
「きっ、貴様ァァァ!!! 私の兄上に何しとんじゃゴラァァァ!!!」
灯花と瀬那が、即座に反応する。
不意打ちしてきた浪士と戦う俺の救援に向かおうとしてくれるが。
「俺は問題ない。二人は、投降した浪士を見張っていてくれ」
投降したとは言えど、倒幕派の浪士に隙を与えるわけにはいかない。
二人や三人がかりで一人の相手をしてたら、奴らは絶対に後ろから襲いかかってくる。
「きききっ。か弱い男が戦場にでやがって。いいのか、女共に守ってもらわなくてよォ!」
鍔迫り合いをしながら、不気味な笑い方の浪士は挑発してくる。
なんだか、彼女は様子がおかしい。
笑い方も変だし、目が虚だし。
何よりも、剣技がおかしい。
剣を振り始めてから10年。
模擬戦でも実戦でも数えきれないほどの相手と戦ってきたが、こいつの剣は異質にも程がある。
有名な流派のどれにも当てはまらない。
かといって、完全に我流というには、一つ一つの動作が格式ばっている。
要するに、彼女は……今までに見た事もない流派の使い手なのだ。
重度の鍛錬中毒者である俺は、さほど知られていない流派も調べ尽くしているのに。
「貴様、何者だ……?」
「あたしが何者か、だと? 強いて言うなら、妖刀に取り憑かれし者かなァ!」
妖刀……?
聞き慣れない言葉を耳にした俺は、戦闘中だというのに思考を割いてしまう。
その隙を見逃さない妖刀使いは僅かに距離を取った後に、奇妙な構えをし始めた。
「フェンシングって知ってるかァ? 力だけが取り柄の脳筋ゴリラさんよォ!」
刹那。
熾烈な突きの雨が降り注ぐ。
妖刀使いの女性は、重い筈の日本刀を片手で軽々と握り、前足を踏み込んで刃を突き出す。
突いては下がり、突いては下がる。
一連の動作は洗練されていて、反撃の糸口は見つからない。
俺は刀を振る事すら叶わず、回避に専念せざるを得ない。
本当に何なのだ、こいつは。
ただでさえ異質だった剣の型が、より異質なものへと変化していく。
対応する前に、手数で押し切られる。
こんなにも引き出しが多い相手と戦うのは、生まれて初めてだ。
ふぇんしんぐに、ごりら。
これらの言葉も聞き覚えがない。
もしかして、彼女は伴天連の一味なのだろうか。
けれども、ボサボサの黒髪に小柄な体躯。
見た目は、日の国の者にしか見えない。
「…………」
「あ、兄上……っ! ああっ、見てる事しか出来ないのが、もどかしいっ!!!」
灯花と瀬那は、苦戦する俺の姿を固唾を飲んで見守っていた。
もしかしたら、俺が負けるのではないか。
嫌でも、そんな感情が感じ取れてしまう。
……心配をかけている、自分が情けない。
俺が相手している妖刀使いは、戦い方こそ異質なものの、実力は大した事ない。
膂力も平凡で、技術もそこそこ。
そのような相手に手こずっているのは、一重に俺が弱いからだ。
灯花や瀬那ならば、こうはならない。
並外れた適応能力がある灯花ならば、妖刀使いの剣技を完璧に封じ込められる。
先の先を極めている瀬那ならば、相手が強みを押し付けてくる前に速攻で倒す事ができる。
だが、俺に二人のような芸当は出来ない。
俺にあるのは、無駄に頑強な体だけ。
でも、今はそれで十分だ。
「ほらほら、どうしたよ!? お仲間さんに助けを求めてみるか? 負けそうなので、助けてくだちゃーい……ってよォ!」
妖刀使いは、煽りに煽る。
恐らく、何も出来ない俺の姿を見て、勝ちを確信しているのだろう。
その姿には、既視感があった。
というか、調子に乗った結果、灯花に不意を突かれて負けた俺そのものだった。
人間は、こういう時が一番脆い。
何故なら、慢心して……想定外の事態に対応できなくなってしまうから。
「……っぐ!」
思わず、呻き声をあげる。
俺の左腕には、妖刀使いが勢い良く突き出した妖刀が刺さっていた。
刃が鋭いため、貫通しており、血もドバドバと流れ出ている。
正直、めちゃくちゃ痛いけれど、これで厄介な突きを封じる事が出来た。
「なっ……」
敢えて、攻撃を受ける。
左腕に刀が突き刺された後、力を込める事で引き抜けなくする。
俺の意図を察した妖刀使いは、言葉を失う。
「て、テメェ! イかれて」
悪態をつきながら、俺の左腕から妖刀を引き抜こうとするが、時すでに遅し。
刀を握りしめていた右腕を思いっきり振り抜く。
そうすると、妖刀使いの首が切断されて、何処かへと飛んでいってしまった。
不気味な振る舞いの謎の女性。
未知の単語を頻繁に口にして、見た事もない剣の型を自在に操る。
そんな妖刀使いの秘密は最後まで明かされる事なく、闇の中へと葬られたように見える。
けれども、まだ終わっていない。
左腕から妖刀を抜いた俺は、少しばかり大袈裟にしゃがみ込んだ。
「兄上、血、血が、いっぱい出てっ! 私が、今すぐに止血する、しますので安静にして下さい!」
「止血はありがたいが、まずはお前が落ち着け」
「憲剛、大丈夫?」
「見た目より傷は浅いから問題ない。心配をかけて済まなかった」
自然な動作で妖刀を仕舞い込む。
瀬那の治療を受けながら、倒幕派の浪士の様子を確認する。
「あ、ああ……。我らのリーダーが殺された。もう、終わりだ……」
どうやら、妖刀使いが倒幕派の頭目らしい。
導く者が居なくなった事で戦意を失った彼女らは、すっかり意気消沈していた。
これにて、任務は終了したのだった。
◇
怪我の治療は、すぐに終わった。
元より、俺は異端。
女性の方が身体能力が高い世界で、女性を超える肉体を持っていた事が功を奏したのか、一晩眠っただけで左腕は完治した。
とはいえ、ひっきりなしに同門の剣士がお見舞いに来てくれて、騒がしい事この上ない。
だが、心遣いは嬉しかった。
そうして、左腕の機能が復活した俺は、浅葱一門の当主の元を訪れていた。
「天晴れです。倒幕派を壊滅させるとは。それでこそ、海内無双。天下の浅葱一門ですね」
戦闘中に失った左目を隠す眼帯、肩まで切り揃えた黒髪、剣士とは思えないほど嫋やかな所作。
我が浅葱一門の序列二位であり、灯花の母親でもある師匠は、柔らかく微笑む。
彼女はお淑やかな性格だが、幕府への忠誠心は並々ならぬものがある。
故に、喜んでいるのだろう。
浅葱一門の武士が、幕府に仇なす逆賊を殲滅させた報告を聞いて。
「時に、憲剛さん」
「はっ」
「貴方は妖刀を扱う者と交戦したそうですね。件の刀を拝見しても宜しいですか?」
「差し支えございません」
俺は平伏しながら、妖刀を差し出す。
丁寧な所作で受け取った師匠は、鞘から刀を引き抜いて、しげしげと眺め始めた。
妖刀の刃紋は美しい。
何処までも真っ直ぐ、透き通るような直刃。
刃中の出来栄えは冴えており、至高の芸術作品と形容しても過言ではない。
比喩表現抜きで、ずっと見ていられる。
妖刀という名に相応しい、不思議な魅力を携えた刀であった。
「邪気や妖気の類が宿っている可能性を危惧していましたが……眉唾だったようですね」
師匠の言う通り。
極めて精巧な作りではあるが、それだけ。
特別な力など宿っていない名刀。
それが、妖刀と呼ばれる刀の本質だった。
邪気や妖気など、この世界には存在しない。
伴天連を忌み嫌う者が宣っているだけの世迷言なのである。
普通なら、そう思うだろう。
「では、報酬の話に移りましょう。此度は大義でした。遠慮せず、望む物を言いなさい」
「私は、妖刀を所望します」
だが、俺は確信していた。
あの妖刀は、本物だ。
必ず、手中に収めなければならない。
何かに取り憑かれたように、強迫観念に駆られていたのだ。
「もちろん、構いませんよ……どうぞ」
「ありがとうございます」
師匠から妖刀を手渡して貰う。
鞘を握るだけで、幸福感が押し寄せてくる。
今までに扱った、どの刀よりも手に馴染んでいく実感があった。
『力が欲しいか……?』
不意に、脳内で声が響く。
この部屋の中には、俺と師匠しか居ないのに。
聞いたこともない声が、聞こえてくる。
「私はこれで。失礼します、師匠」
「ええ。ゆっくりと体を休めてください」
平然を装いながら、部屋を退出する。
それでも、俺の口元は歪な形になっていた。
「…………っ!」
俺は、無意識のうちに走りだす。
あてもなく、とにかく走る。
無我夢中になって駆けると、辺りは真っ暗になっており、空には煌々と輝く満月が浮かんでいた。
そんな中、呆然と周囲を見渡す。
鬱蒼と生い茂る木々、鳴り止まない虫の音色。
人里離れた場所まで来たので、誰も居ない。
もちろん、来ることもない。
『もう一度、尋ねよう。力が欲しいか?』
再度、脳内に声が響く。
荒唐無稽な話だけど、間違いない。
この声の主は、妖刀である。
意思を持った刀が、俺に話しかけている。
妖刀は……本物だった。
妖が宿っている刀だったのだ。
『出血大サービス。こちらが提示する条件を飲んでくれるなら、力を無料で差し上げよう。今なら、アフターサービスも付いてくるよん』
しかも、初対面とは思えないほど友好的だ。
まるで、試供品を提供するような感覚で、俺に力を授けようとしている。
さーびすという言葉は分からないが、悪意がない事だけは分かる。
「いくつか、質問がある」
『好きなだけ、答えるよ。消費者の疑問に答えるのは、事業者としての務めだからね〜』
「力というのは、身体能力を向上させる類のものか? 或いは、世に出ていない剣の型を授ける類のものか?」
『後者だねぇ』
「ならば、俺が殺した妖刀使いの剣技は……貴様が指導したもの、という解釈で宜しいか」
『そうそう、そんな感じ。私が授けるのは純然たる力じゃないんだよ。あくまで、私に出来るのは、妖刀を手にした剣士が進むべき方向性を指し示す事だけ〜』
ようやく、腑に落ちた。
妖刀は、出来がいい刀に過ぎない。
妖気や邪気など、特別な力は宿っていない。
そのため、剣士の肉体を強化したり、超人じみた技術を与えたりする芸当は出来ない。
しかし、妖刀には意志がある。
世人が知らぬ、叡智を授けられる。
妖刀使いの面妖な剣技は、妖刀が伝授したもの。
この時代の剣士達が知り得ない未知の剣の型を、所有者に教示することは出来るのだ。
要するに、強くなれるかどうかは、妖刀を手にした剣士次第……という事なのだろう。
楽に強くなれる道は、存在しないようだ。
「それで、条件とはなんだ」
『君に、闇堕ちして欲しい』
「……は?」
聞き慣れぬ単語を耳にした俺は、唖然とする。
ヤミオチ……やみおち?
闇おちとは、一体なんなのだろうか。
『この時代の人間にどう説明すれば良いか、分からないけど……とにかく、君には闇に堕ちて欲しいんだよ』
「……犯罪に手を染めろという事か? 先の妖刀使いのように、倒幕運動を主導しろと?」
『いやっ、そうじゃなくて。倒幕運動は、君が殺した子が元からやってた事だから、私の趣味じゃない。私は幕府なんてどうでもいいんだよ。ほら、なんていうか、剣は使い手を選べないじゃん?』
妖刀は、しどろもどろになる。
発言がいまいち要領を得ないが、幕府に反旗を翻す事を望んでいないのは分かった。
『単刀直入に言うと、君には浅葱一門を抜けて欲しいんだよね。そして、力のみを追い求める剣の鬼になって欲しいんだ!』
「……何故?」
『私は、そういう展開が大好きだから!』
妖刀は、自らの欲望をあけっぴろげにする。
そこには、悪意がなかった。
面白い物を見たいという好奇心しか無かった。
だからこそ、厄介極まりない。
妖刀にとっては遊び半分の提案かもしれないが、俺にとっては何よりも重い選択だったから。
浅葱一門の人々は、俺を救ってくれた。
師匠は、問題児だった俺を弟子に取って、家族同然に接してくれた。
門下生は、男ながらに剣を取った俺を色眼鏡で見る事なく、対等な立場で接してくれた。
何よりも、灯花は……。
「わかった。その条件でいい」
灯花の事を考えた瞬間、どうでも良くなった。
彼女はこれからも強くなるだろう。
踏み台にもならない俺の存在なんか置いて。
ひたむきに強さを追い求める灯花は、ありとあらゆる強敵を打ち倒し、人々に慕われるようになる。
天下無双だの大剣豪だの呼ばれて、獅子奮迅の活躍の果てに、自他共に認める最強になるだろう。
それに対して、俺は何も残せない。
浅葱一門の教導役として、数人の弟子を育てながら細々と生きるのが関の山。
希少な男として、強い女に守られながら、朽ち果てるのを待つだけ。
生涯を剣に捧げても、何も成せない。
こんな人生、俺は満足できない。
『え? いいの? もっと考えなくていいの?』
「ああ、闇堕ちしてやる。浅葱一門も抜ける。絶対に、俺は、強くなりたいんだ」
そうだ。
俺は、誰にも負けたくない。
女に守護されるばかりの男にも、倒幕派や攘夷派の浪士にも、他の流派の剣士にも、同門の門弟にも、師匠にも、灯花にも。
だが、俺には才能がない。
限界まで肉体を鍛え上げているから、伸び代だって存在しない。
ならば、正攻法を捨てる他ない。
妖刀を手に取って、邪道を歩むしかない。
「……憲剛」
突然、俺の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
ゆっくりと振り向くと、見知った姿があった。
夢か、幻か。
俺の宿命の好敵手である少女……浅葱灯花が、呆然とした表情を浮かべていた。
「浅葱一門を抜けるなんて、嘘だよね?」
何故、ここにいるのだろうか。
現在地は、山奥の鬱蒼とした森。
こっそりと後をつけたりしない限り、見つけることは出来ない場所なのに。
『……………』
妖刀に視線を向けるも、何も喋らない。
ただの偶然か、こいつの姦計か。
真実なんて、どうでもいい。
肝心なのは、口にする事だった。
灯花が投げかけてきた、問いの答えを。
「嘘じゃない。俺は浅葱一門を抜ける」
「……なんで?」
「強くなりたいんだ。誰にも負けない力が欲しい」
闇堕ちすると宣言したはいいものの、心の準備は出来ていない。
まさか、こんなにも早く、灯花と決別するとは思わなかった。
俺の言葉を聞いた彼女は、少なからずショックを受けたようで、僅かに涙ぐんでいる。
なんていうか。
これ以上ないくらい、心が痛い……!
「強くなりたいなら、浅葱一門を抜ける必要がない。私達と一緒に鍛え続ければ」
「それじゃ、無理なんだよ。俺には才能がない。天才と同じ速度で進んでも、一生追いつけん」
申し訳なさを感じつつも、俺の本音を曝け出す。
努力する天才に、凡庸な人間は追いつけない。
それでも尚、追い縋ろうとするならば。
天才の何倍も死に物狂いで努力して、血反吐を吐きながら喰らいつく他ないのだ。
「そ、れは……」
灯花は、口を閉ざす。
どうやら、彼女も納得しつつあるようだ。
よし、いいぞ。
このまま、理論立てて説き伏せていけば、意外と穏便に済ませる事ができるかもしれない。
今まで通りの関係を続ける事が……。
『ここで突き放す台詞を言ってみようか。闇落ちはインパクトがあればあるほどいいからね』
ぶっ壊すぞ、性悪妖刀が。
面白い物みたさで余計な茶々を入れるな。
と、言いたいところではあるが、従わなければ後が怖い。
浅葱一門を抜けた上に、妖刀の指導を受けられない状況になったら、最悪にも程がある。
だから、言わなければならない。
ここで、灯花を突き放すような台詞を。
……本当に、やりたくないけども!
「止めたいならば、刀を取れ。本気で、俺を殺す気でかかってこい」
「そ、そんな事、私には」
「出来ない、か? 木刀と違って、真剣だと手を抜けないから。俺を殺してしまう可能性があるから」
「……っ」
灯花は目を見開く。
図星を突かれた、とでも言いたげに。
やはり、そうだったのか。
俺との決闘で、彼女は手を抜いていたのか。
その理由は、嫌でも分かる。
多分、灯花は心を折りたくなかったのだろう。
圧倒的な才能の差を見せつけて、俺が絶望するのを防ぎたかったのだろう。
謂わば、これは気遣い。
強者が弱者を慮る、慈悲のようなものだった。
手心を加えられるのは、剣士として屈辱だ。
苛立ちを覚えるし、不快に感じる。
だがしかし。
灯花は全く悪くない。
寧ろ、非があるのは俺の方だ。
俺が弱いから、手を抜かざるを得なくなる。
逆に言うと、強くなれれば、俺たちは対等な立場になれるのだ。
「さらばだ、灯花。次に会う時は、刀を抜いてくれる事を願う」
踵を返して、歩き始める。
この時になって、やっと覚悟が決まった。
俺は闇に堕ちる。
ひたすらに、強さだけを追い求める。
そうしなければ、俺は。
灯花が居る領域には、たどり着けないから。
「待って、憲剛。お願いだから、行かないで……」
生まれて初めてだった。
感情が乏しい灯花が、縋りつくのは。
彼女は涙を流しながら、俺の体を抱きしめる。
力強く、全身を包み込む。
その行為から「絶対に離したくない」という思いを、ひしひしと感じた。
「断る。もう、置いていかれるのは御免だからな」
そんな灯花を、俺は容赦なく振り払った。
迷いも、戸惑いも、後悔もない。
何故なら、灯花は強いから。
俺が居なくなっても、立ち直れる。
絶望する事なく、前に進むと信じている。
「ぐすっ……ひぐっ……」
俺は歩みを進める。
幼馴染が啜り泣く声を背にしながら。
そして、何も聞こえなくなった所で。
『いやぁ〜。やっぱり、曇らせって最高だね! 心がぴょんぴょんしてくるねぇ!』
いつの日か絶対に、妖刀をへし折る……と、心に誓ったのだった。
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