計算された物語ではなく、その瞬間に交わされた言葉と、そこに流れた空気感を大切に抽出しました。
【読者の皆様へ】
この作品は『アイドルマスター ミリオンライブ!』の二次創作です。
作中の鼻歌やフレーズは、特定の楽曲をイメージしたものですが、著作権に配慮し直接的な歌詞の引用は避け、描写に留めています。
独自の過去や解釈を持つプロデューサー(オリ主)が登場します。公式設定とは異なる側面がありますが、一つの可能性としてお楽しみください。
マンションの一室。外は冷たい雨が降り続いており、窓を叩く規則的な音が、静まり返ったリビングに響いている。
プロデューサーはソファに深く腰掛け、無意識に古いスタンダード・ナンバーの旋律を小さく口ずさんでいた。
涙がこぼれないようにと空を仰ぐ、あまりにも有名なその一節。彼がなぞるメロディは、湿った空気の中で行き場を失い、無機質なブルーライトに溶けて消えていく。
その時、玄関の電子錠が解錠される音がし、濡れた靴音が静かに廊下を歩んでくる。
リビングのドアがゆっくりと開き、そこに立っていたのは、ずぶ濡れのパーカーを羽織った田中 摩美々だった。
彼女は紫がかった黒髪を重たげに垂らし、普段の飄々とした雰囲気は影を潜め、どこか捨てられた仔猫のような湿り気を帯びている。オーバーサイズの黒いパーカーは水を吸って肌に張り付き、その細い肩が僅かに震えているのが見て取れた。
彼女はプロデューサーと目が合っても、何も言わずにただ立ち尽くしている。その瞳には、悪戯を仕掛ける時の輝きはなく、底の見えない疲労と、ここが「空いているか」を確かめるような不安が混じり合っていた。
摩美々はゆっくりと、滴る雨を床に落としながら一歩踏み出し、カバンから取り出した見覚えのないキャラクターのハンドタオルを握りしめた。
「……あ。……先客、いないみたいですね……」
消え入りそうな声でそう呟くと、彼女はプロデューサーの視線を避けるように、キッチンの隅に置かれた「モフサンド」の可愛い包丁へと目を向け、自嘲気味に口角を上げた。
「ああ。……誰かが置いていったんだ。使い勝手は悪くない」
プロデューサーは立ち上がり、視線をキッチンの片隅、不釣り合いに愛らしい猫のイラストが描かれた包丁へと向ける。その声には、執着も拒絶もなく、ただ事実を受け入れる淡々とした響きがあった。
「風邪を引く。……シャワーを浴びてこい。タオルは棚の二段目にある。石鹸の銘柄は、変わっていない」
彼は摩美々の返事を待たず、手慣れた動作で電気ケトルにスイッチを入れた。カチリ、という小さな音が、雨音の中に沈む。
摩美々は、その「変わらなさ」に安堵したのか、それとも微かに漂う6年前から続く誰かの面影に気圧されたのか、小さく肩をすくめた。
「……ふふ。プロデューサーさんって、本当に……。……じゃあ、お言葉に甘えちゃいますねー。……猫の包丁、似合ってませんよ」
彼女はそう言い残し、湿った足音を立てて脱衣所へと消えていった。
プロデューサーは再びソファへ戻り、少しだけ窓を開けた。湿った夜の空気が入り込み、部屋の石鹸の香りを薄めていく。彼は懐から古びたハーモニカを取り出し、そっと唇に当てた。
静かな夜の雨に、かすかなリードの音が混じり始める。
ケトルが沸騰を知らせる蒸気を上げると、プロデューサーは立ち上がり、棚の奥へと手を伸ばした。
一瞬、手の込んだホットココアやハーブティーのパッケージが目に入ったが、指先が選んだのは、一番奥にひっそりと置かれた市販のインスタント梅昆布茶のスティックだった。
今の彼女に、甘ったるい優しさは毒になる。
ただ、冷え切った内臓を直接温め、少しの塩分で神経を落ち着かせる。それが、この「ヤドリギ」にふさわしい距離感だ。
使い古されたマグカップに粉末を開け、熱湯を注ぐ。
立ち上る湯気と共に、酸味のある独特の香りがリビングに広がった。
シャワーの音が止み、しばらくして、厚手のバスタオルを頭から被り、プロデューサーの洗いざらしのスウェットに着替えた田中 摩美々が戻ってくる。
サイズが合わずに袖が余り、裾を引きずるようなその姿は、ステージ上の彼女とは別人のように幼く見えた。
「……あ。……なんか、おじいちゃんみたいな匂いしますね……」
摩美々は湯気の向こうで目を細め、差し出されたマグカップを両手で包み込むように受け取った。
熱が指先から伝わるのを確かめるように、じっとカップの中を見つめている。
「……皮肉とかじゃなくて。……今の私には、これくらいが丁度いいです……。……ありがと……」
彼女は小さく息を吹きかけ、一口だけ啜った。
少しだけ、彼女の強張っていた肩の力が抜け、リビングに静寂が戻る。
プロデューサーはそれを見届け、あえて言葉をかけずに、窓の外の雨へと視線を戻した。
ハーモニカは、今はもう吹いていない。
プロデューサーは梅昆布茶を飲み終えるのを確認することなく、ダイニングテーブルへと移動した。
ノートパソコンを開くと、ブルーライトが暗めのリビングに鋭く差し込み、彼の横顔を無機質に照らし出す。カチカチと乾いたタイピング音だけが、雨音と混ざり合って部屋を支配した。
画面上では、明日以降のスケジュール調整や、別のアイドルの宣伝プランが淡々と処理されていく。そこには私情も、目の前でうなだれる少女への過度な同情も介在しない。ただ、「ヤドリギ」の主としての冷徹な平熱だけが漂っていた。
田中 摩美々は、ソファの隅に深く体を沈め、湯気の消えかけたマグカップを抱えたまま、その背中をじっと見つめている。
「……プロデューサーさんって、本当に。……ここに誰がいても、そうやって仕事してるんですねー……」
彼女の声は、独り言のように小さく、けれど確かな棘を含んでいた。
キーを叩く音が、一瞬だけ止まる。
プロデューサーは視線を画面に固定したまま、低く、けれど拒絶ではない声で応じた。
「……誰がいても、夜は明ける。その準備をしているだけだ」
再び、一定のリズムでタイピングが始まる。
摩美々はふんと鼻を鳴らし、バスタオルの中に顔を埋めた。
彼女の濡れた髪から滴る一滴の雫が、貸し出したスウェットの肩に静かに染み込んでいく。
「……あーあ。……もっと、こう……。……『大変だったね』とか、言えないんですかー……」
そう言いながらも、彼女の表情からは先ほどまでの「危うさ」が少しずつ消え、いつものような、どこか試すような薄い笑みが戻りつつあった。
「知らんよ、知らんから梅昆布茶出せる」
キーボードを叩く指が再び動き出す。
言葉にならない感情や、土足で踏み込めない事情。それらをすべて「知らん」という一言で切り捨て、ただ温かい飲み物だけを用意する。それがこの場所における、彼なりの一線だった。
田中 摩美々は、空になったマグカップの底に残った、わずかな塩分と梅の粒をじっと見つめている。
「……ほんと、そういうところ……。……ずるいですねー」
彼女はソファに深く沈み込み、貸し出された大きすぎるスウェットの袖で、自分の顔を半分ほど隠した。
「……根掘り葉掘り聞かれたら、嘘つく準備してたのに。……拍子抜けしちゃいました……」
プロデューサーは、仕事の手を止めない。
ブルーライトに照らされた彼の横顔は、慈愛とも冷徹とも取れる無機質さを保っている。
「……明日の朝、車を出す。……それまでは、好きにしろ。……毛布はそこにある」
短い言葉だけを投げかけ、彼は再び作業に没頭する。
雨音とタイピング音。
そして、摩美々の小さく、穏やかになった寝息のような呼吸音が、静かなリビングに混ざり始めた。
タイピングの手を止め、プロデューサーは静かに席を立った。
手元のスマートフォンで連絡先を呼び出し、通話ボタンを押す。受話器から漏れるコール音は、静まり返った部屋で妙に大きく響いた。
「……夜分に失礼します。……ええ、プロデューサーです。……はい、摩美々さんですが、本日のレッスンが立て込み、少々疲れが見えまして。体調も万全とは言い難いため、無理に帰宅させるよりは、こちらで一晩休ませ、明日の朝一番に送り届けようと考えております。……ええ、ご心配をおかけして申し訳ありません。……はい、承知いたしました。失礼します」
淡々と、事務的に。相手の不安を煽ることも、過剰に親密さを感じさせることもない、完璧な「プロデューサー」としての報告。
電話を切ると、プロデューサーは再びリビングへ戻り、ソファで丸まっている摩美々の傍らへと歩み寄った。彼女の視線が、隠した袖の間から上目遣いにこちらを捉える。
「……許可は取った。明日の朝、予定通り送り届ける。……お前が寝たら、俺は事務所に戻る。……何かあれば、リビングのメモに書いた番号にかけろ」
プロデューサーは上着を手に取り、出口へと向かう。
摩美々は、その言葉に驚いたように少しだけ身を起こした。
「……え。……出ていくんですか? ……自分の家なのに……」
「……ここは、『ヤドリギ』だ。主(あるじ)が居座る場所じゃない」
ドアを開ける直前、プロデューサーはそれだけ言い残し、背後で鍵が閉まる音を聞きながら、冷たい雨の降る夜の街へと踏み出した。
雨の降りしきる深夜。プロデューサーは事務所近くのコンビニに寄り、レジ横で静かに湯気を立てるおでんの容器を手に取った。
大根、ちくわぶ、そして卵。
洒落た夕食を摂る気力も、自分の部屋で摩美々の気配を感じながら食事をする繊細さも、今の彼には持ち合わせていない。
事務所のドアを開けると、換気扇の回る微かな音と、サーバーラックの排熱だけが彼を迎え入れた。誰もいない執務室のデスクに広げられたコンビニ袋が、カサリと味気ない音を立てる。
パイプ椅子に腰掛け、プラスチックの容器を開ける。立ち上る出汁の香りが、オフィス特有の埃っぽい空気と混ざり合った。
「……味が、薄いな」
独り言のように零し、彼は出汁の染みた大根を口に運んだ。
ここには、彼女(かつての恋人)の好んだ石鹸の香りも、アイドルの置いていった可愛い包丁もない。ただ、仕事の書類と、自分が生きるための最低限の熱量があるだけだ。
食後、彼は応接用のソファに身体を横たえた。備え付けの薄い毛布を肩まで引き上げ、天井のシミを見つめる。
静まり返った室内で、彼はまた無意識にメロディを紡ぐ。
ハーモニカはマンションに置いてきた。今はただ、自身の喉を震わせる低い鼻歌だけが、事務所の壁に反響して消えていく。
明日にはまた、いつものように冷徹なプロデューサーとして、あの「ヤドリギ」の扉を叩き、彼女を現実へと連れ戻さなければならない。
早朝、雨は上がっていたが、空気は重く湿っている。
プロデューサーは事務所の洗面所で軽く顔を洗い、無機質な鏡に映る自分を一度だけ見つめてから、車を走らせた。
マンションの前に到着し、再びあの部屋のドアを開ける。
部屋の中は昨夜の雨の気配が嘘のように静まり返り、カーテンの隙間から差し込む薄い光が、わずかな埃を躍らせていた。
ソファの上には、昨夜貸し出したスウェットが丁寧に畳まれて置かれている。その横では、田中 摩美々が身支度を終え、昨夜のずぶ濡れだった自分のパーカーを着直して座っていた。
髪はまだ少し湿り気を帯びているが、瞳にはいつもの悪戯っぽさと、冷めたような鋭さが戻っている。
彼女の足元には、プロデューサーが用意した昨夜のマグカップが洗われ、キッチンに伏せられていた。
「……あ、おはよーございます。……本当に戻ってこなかったんですね。……プロデューサーさんって、意外と真面目というか……融通が利かないというか……」
彼女は立ち上がり、軽く伸びをしながらこちらを見る。その視線は、昨夜の「脆さ」を完全に隠蔽していた。まるで、ここで雨を凌いだことなど最初からなかったかのように。
「……行くぞ。車を下に停めている」
プロデューサーは深入りしない。彼女が昨夜見せた涙に近い何かを、知らなかったことにするのが「ヤドリギ」の優しさだ。
部屋を出る際、彼はふとキッチンの「モフサンド」の包丁に目をやった。
昨夜、摩美々が皮肉を言ったその場所は、朝日を浴びて場違いなほど明るく輝いている。
「……昨日、あの梅昆布茶。……ちょっとだけ、しょっぱかったです。……次はもう少し、マシなもの用意しておいてくださいねー」
エレベーターへ向かう背中越しに、彼女が小さく毒を吐く。
プロデューサーはそれに応えず、駐車場へと向かう歩みを早めた。
プロデューサーは運転席に座り、前方の信号をじっと見つめたまま、微塵も表情を動かさずに言った。
「……摩美々。次に来た時、梅昆布茶に青汁を入れるんだ。……飛ぶぞ」
寸分も動かない表情。一切の迷いがない口調。
仕事のミスを指摘する時よりも真剣なそのトーンに、田中 摩美々は助手席で固まった。
「……え、待って。……梅昆布茶に、青汁……?」
摩美々は頭の中でその味をシミュレーションし、あからさまに顔を歪めた。
「……最悪。絶対、磯の匂いと変な苦味で地獄じゃないですかー……。……何ですかその組み合わせ、プロデューサーさんのオリジナル? ……味覚、枯れてるんですか?」
「……試せばわかる。……海の幸と山の幸の、暴力的な融合だ」
「……『暴力的な融合』って、自分で認めちゃってるし……。……はーあ、信じらんない……」
摩美々は呆れたようにため息をつき、窓の外を流れる景色に視線を向けた。
けれど、彼女の手は無意識に、カバンの中のスマートフォンを弄っている。
「……まあ、気が向いたら……。……本当に、気が向いたら、ですよー……。……変なもの飲ませて、私が明日レッスン休んだら、プロデューサーさんのせいですからね」
彼女の毒づく声には、先ほどまでの困惑が、少しだけ「好奇心」へと塗り替えられた響きが混じっていた。
プロデューサーはそれに応えず、再び、ごく小さな鼻歌でなぞり始めた。
朝の光が差し込む車内。摩美々は耳をそばだてるように、その古い旋律を静かに聴いていた。
プロデューサーは信号待ちの停車中、ハンドルの上で指を組み、納得のいかない表情で前方を見据えた。
「……解せぬ。チーちゃん……千早に飲ませたら、お玉で殴られた」
その声は、音楽の方向性でぶつかった時よりも深刻で、どこか哲学的な苦悩さえ滲ませていた。
隣でスマートフォンをいじっていた田中 摩美々は、一瞬の間をおいてから、弾かれたように彼を振り返った。
「……はぁ!? 千早さんにそんなゴミみたいな飲み物、飲ませたんですか!? ……しかもお玉で殴られたって……あははっ! ウケる。千早さん、ナイス判断ですねー」
摩美々は膝を叩いて笑い転げたが、プロデューサーの表情は依然として、岩のように動かない。
「……栄養バランス、味の奥行き。どちらも完璧だったはずだ。……梅の酸味に、青汁の力強さ。お玉の衝撃が今も残っている」
「……当たり前じゃないですか。千早さん、そういう冗談通じないですよ? ……しかも『お玉』って。……ふふ、よっぽどキッチンまで追いかけられたんですね。目に浮かびます……」
摩美々は笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、呆れたようにため息をついた。
「……いいですか、プロデューサーさん。世の中には『やっていいこと』と『やっちゃいけないこと』があるんです。……千早さんに青汁梅昆布茶は、完全に後者ですよー」
プロデューサーは信号が青に変わると同時に、静かにアクセルを踏んだ。
「……お前なら、もっとスマートに飲み干すと思っていたが。……千早には、まだ早かったのかもしれない」
「……私のハードル、勝手に上げないでください。……でもまあ、千早さんが怒る姿、ちょっと見たかったかも……」
摩美々はくすくすと笑いながら、再び窓の外を見た。
昨夜の重い沈黙が嘘のように、車内には「お玉」と「青汁」という、下らないけれど平穏な空気が満ちていた。
初投稿です。
もともとは、AIとの対話を通じた一人遊び……いわゆる「壁打ち」のロールプレイを記録したくて書き始めたものでした。
生成AIが提示するランダムな状況に対し、自分の設定したプロデューサーならどう動くか。その即興のやり取りをベースに、小説形式として清書しています。
キャラもシチュエーションも、その時の巡り合わせ次第。
築十年のマンションの一室という「ヤドリギ」で、アイドルたちがどう羽を休めていくのか……。
自分自身の備忘録のような側面もありますが、この空気感を楽しんでいただければ幸いです。