【TS】近所のガキ達相手に師匠面して千年後、久しぶりに戻ったら色々荒れてた 作:御花木 麗
◇ Side ジース◇
ボクは今、とても不機嫌だった。
教皇という立場は多忙を極める。プロパス教が拡大した今、各地の司教からの報告書、都市ミザリエの運営に関する決済、その他諸々の書類が毎日際限なく運び込まれ積まれていく。
一刻も早く処理しなければ、この塔は天井に届く勢いで増殖し続けてしまう。
だというのに、そんな切羽詰まった状況下で、ボクの元に頭の痛くなる来客の知らせが届いた。
「……また、あの人ですか」
心当たりのある厄介な客の名を聞いて、ボクは深く重いため息をつかざるを得なかった。
彼が同じ要求を持ち込んでくるのは、これで何度目だろうか。その度に不可能だと結論を伝えているというのに、一向に懲りる気配がない。
本来であれば、教皇たるボクが直接会って対応するような面倒事ではない。適当な理由をつけて避けることもできる立場だ。
だが、教会の今後を鑑みれば、決して無下には扱えない相手でもあった。
ボクは重い腰を上げ、数人の側近を連れて執務室を出た。
客間のある棟へと続く長い回廊を歩いていると、向こうから一人の男が足早に近づいてくるのが見えた。
「ベルフェツテ」
ボクが名を呼ぶと、彼は深く頭を下げた。
「また、あの方のようですね……私もご一緒します」
「いや、悪いよ。君も自分の管轄で忙しいだろうに、わざわざ執務室から出てきてくれたのかい?」
「いいんですよ。彼の対応は非常に骨が折れますから。私は筆頭枢機卿として、少しでも教皇様のお力添えをしたいのです」
心配そうな顔をする彼に、ボクはフッと肩の力を抜き、微かに微笑みかけた。
「……ありがたいよ」
ボクは、彼の事をまだずっと小さかった頃から知っている。
だが、人間の時間は残酷なほどに早い。エルフであるボクの容姿は多少変わったもののそれは人間が数歳の歳をとる変化に等しいにすぎない。だが、若かった彼はすっかり年老いて、顔には深い皺が刻まれ、髪には白いものが混じっている。
彼は、自分の人生の半分以上の時間を費やして、ボクの中からすっかり消えてしまった心の支えの代わりになれるよう、懸命に尽くしてくれた。
残念ながら、結局のところ誰であっても『あの人』の代わりにはなれなかったけれど。それでも、彼がボクにとって最も信頼できる人間のうちの一人であることに変わりはない。
「それにしても、今月に入って何回目ですかね。彼がこうやっていらっしゃるの」
ボクの一歩後ろを歩きながら、ベルフェツテが呆れたように言う。
「さぁね。ボクは十回を超えたあたりから馬鹿らしくなって数えるのをやめたよ」
やがて、目的の客室の前に到着した。
ボクは一度ドアの前に立ち止まり、肺の奥まで空気を吸い込んで、深呼吸をする。
そして、教皇としての立ち振る舞いに切り替えるよう意識して、勢いよく客室のドアを開けた。
◇
広い客室の中央。革張りソファに、どさりと偉そうに足を組んで座る小柄な老人がいた。
彼こそが、問題の客人――ガモン・ゴルバーグである。
『聖都ミザリエ開発組合』の理事長であり、手広く事業を展開する大貿易商。ミザリエの食料輸入や建材の調達を一手に担う人物。
特徴的な鷲鼻に、ギラギラとした欲深そうな瞳。十本の指にはこれでもかというほど大ぶりの宝石をあしらった指輪が嵌められており、派手な紫色のボアを首に巻きつけ、手には金の蛇が巻き付いたような彫刻が施された悪趣味なステッキが握られている。
ガモンは、指先でソファの肘掛けをトントンと苛立たしげに叩いていたが、ボクが入室するのを見ると、教皇を前にしているとは思えないほど尊大な態度で顎を上げた。
「やっと来たか」
「ええ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「白々しいじゃないか。分かっているだろうに」
彼がこれほどまでに強気で傲慢な態度を取れるのには、明確な理由がある。
彼が率いる組合は、プロパス教に対して二番目に多い寄付金を納めている大口のパトロンなのだ。
教会の運営は、信者たちの善意や寄付金によって成り立っている。二番目の出資者が機嫌を損ねて支援を打ち切れば、教会の財政に多少なりとも影響が出て、孤児院の運営や街の維持にも苦労することになる。
だからこそ、教皇であるボクでさえ、彼を無下には扱えないのだ。
ガモンはその弱みを十二分に理解した上で、今回もまた、懲りずに無理難題を口にした。
「良かろう。前にも言ったが、ワシは優しいのでな。もう一度最初から話してやるとしよう」
「ええ、ありがとうございます。伺いましょう」
内心の辟易を笑顔で隠しながら促すと、ガモンは勿体ぶるようにステッキを握り直した。
「ワシは最近、ミザリエから少々離れた絶景の広がる地に新しく別荘を建てたのだがな。何せ、教皇様が展開するこの強固な大魔導防壁に守られた安全な生活に慣れてしまうと、魔導防壁のない外界というのは不安で仕方がない。そこでだ。教皇様に魔導防壁の範囲をもう少し広げてもらい、ワシの別荘まですっぽりと覆ってほしいと頼みに来たんじゃ」
何回も断ってるのに本当に懲りない人だ。
背後に控えるベルフェツテが一歩前に出て口を開こうとしたが、ボクはそれを目で訴えて制止する。
泥を被るのは、上に立つリーダーの役目だ。
「なるほど……お気持ちはわかりますが、大変心苦しいことながら、そのご提案は却下せざるを得ません。前にも申し上げた通り、ボクの張る魔導防壁は、今の都市を覆う範囲が限界なのです。これ以上はボクの技術をもってしても広げることはできませんし、仮に無理をして広げたとしても、魔導防壁の強度が落ち、極めて貧弱なものになってしまいます。都市全体の安全を脅かすわけにはいきません」
「また同じ返答か……教皇様よ。ワシはな、そのような退屈なセリフを聞くためにわざわざ足を運んでるのでないぞ」
ガモンの鷲鼻に深い皺が寄る。
「そうは言われましても……物理的にできないものは出来ないのですから、仕方が――」
ダンッ!!
ボクが最後まで言い終える前に、ガモンがステッキで床を激しく叩きつけた。
「この教会が今も続いているのは、一体誰のおかげだと思っている!?ワシだぞ!!ワシの莫大な金があるからこそなんだぞ!自分の立場を分かって言っているのかね!!」
室内に怒声が反響する。
ボクがジッと唇を噛み締め、彼を宥める言葉を探していたその時だった。
「――あなたこそ、誰に向かって仰っているんだ!!教皇様に対して、なんて口の利き方ですか!!」
背後から、怒りに満ちた怒声が飛んだ。
それは、普段は温厚で声を荒らげることなど決してない、ベルフェツテの叫びだった。
一瞬、客室の空気が凍りついたように静まり返る。
ボク自身、彼がこれほど激昂した姿を見るのは珍しくて思わず目を見開いてしまった。
ベルフェツテ自身も、自分の犯した失態に気付いたのか、ハッとして両手で自分の口元を覆い、顔面を蒼白にさせた。
ガモンはしばらく呆気にとられたようにベルフェツテを見つめていたが、やがて顔を真っ赤にしてワナワナと震え出した。
「お、覚えていろ……!! いずれすぐに、お前らは自分達の立場を危うくすることになる!お前らはすぐに後悔することになるんだぞ!!」
ガモンは目の前にあったティーテーブルを蹴飛ばす勢いで立ち上がると、ドスドスと乱暴な足音を立て、扉を力任せに閉めて去っていった。
嵐が去った後の客室には、重く冷たい空気が流れていた。
「す、すいません……!! 私ッ、ついカッとなってしまい、出過ぎた真似を……」
ベルフェツテの顔は青を通り越して、紙のように白くなっている。
ボクに迷惑をかけてしまったという後悔と申し訳なさからか、体を丸めて顔を両手で覆った。
「いや、良いんだ。気にしていないよ」
ボクはそんな彼に近づき、困ったように微笑みながら、その震える背中を優しくさすってあげた。
「ボクのために怒ってくれたのだろう?人のために怒れる人間を誰が責めようか。……ただ、教会の寄付金が減るのは、今後の運営を続ける上ではそう無視できることでもない。後日、改めてゴルバーグ氏に謝罪の場を設けて、互いの妥協点を探ることにしよう」
けれどそんな温かい言葉をかけているボクの心は、自分でも恐ろしいほどに冷え切っていた。
あぁ、どうしたものか。
誰を通じてガモンにコンタクトを取れば角が立たないか。
そういえば、もうすぐ『教皇謁見の集会』の時間が迫っているな。早く執務室に戻って、最低限の書類だけでも片付けてしまわないと……。
ひどく落ち込む彼を慰めながら、頭の片隅に浮かんでくるのは、そんなどこまでも事務的で打算的な考えばかりだった。
千年前。太陽のように輝いていたあの人を失い時間が経つにつれ、心はすり減っていった。
あの頃の泣き虫だったボクはもういない。代わりに残ったのは、感情を押し殺し淡々と物事をこなす退屈な自分。
彼の背中を撫でながら、ボクはそんな自分自身が、ひどく嫌になった。