【TS】近所のガキ達相手に師匠面して千年後、久しぶりに戻ったら色々荒れてた 作:御花木 麗
◇ Side ジース ◇
「眠れない……」
自身の寝室。ベッドの上で、ボクはぽつりと呟いた。
ゆっくりと上半身を起こす。
ディナーの後、疲労感からかベッドに座るなり横に倒れて眠ってしまったお師匠。片眼鏡を外して、その身体にそっと布団を掛け、寝顔を少しだけ眺めてから、ボクは自室に戻ってきた。
そして、午前中には終わらせておかなければならなかった仕事のノルマを、執務机にかじりついて大急ぎで処理したのだ。
それにしても――。
ボクは下半身に掛かっている布団に、ばふっと顔を埋めた。
「ん〜〜〜ッ!」
抑えきれない感情が爆発し、ベッドの上で足をバタバタとさせる。
綺麗に整えられていたシーツと布団が、あっという間にもしゃもしゃに乱れていく。
眠りに落ちる直前、お師匠がボクに向けて言ってくれた言葉が、頭の中で何度もリフレインしていた。
とろんとした、黄金色の瞳。
強烈な眠気に抗うようにゆっくりと瞬きを繰り返しながら、それでもボクの顔をしっかりと見つめて、ゆったりとした微笑みを浮かべて言ってくれた。
微睡みの中で響いた、温かく柔らかい声色。
『……また会えて…………本当に嬉しいよ、ジース』
その言葉を聞けただけで、ボクは満足だった。 ボクの千年来のどうしようもない後悔を謝ろうとしたけれど、お師匠はやんわりと「君は悪くない」と慰めてくれた。
本当に、帰ってきたのだ。
ボクの太陽が。
千年の時を経ても、その眩しさは何一つ変わっていなかった。
いまだに実感が持てない。
これは、ボクの都合のいい願望が生み出した夢なのではないかとすら疑ってしまう。
朝に目を覚ましたら、まるで幻のように消えていなくなっているのではないか。あの日のように……何の予兆もなく、ふっとボクの前から姿を消してしまうのではないかと。
それが、恐ろしい。
そんな不安と再会の歓喜という両極端な感情がぐるぐると駆け巡るせいで、全く寝付くことができない。
お師匠の前では成長した教え子として、そして教皇として、落ち着いた振る舞いをしようと気を付けていたが、心の奥底で燻る興奮状態がいまだに収まらないのだ。
もっとも、再会してすぐの最初あたりのボクの醜態は無かったことにしてほしいけど。
それに、もう一つ。ボクの睡眠を激しく妨げる思考があった。
それは、レストランでの食事の最中、デザートを終えようとしていた頃に交わした会話だ。 ボクは思い切って、「お師匠はこれからどうするのですか?」と問うた。
お師匠は、フォークを置いて一瞬考えるような仕草をした後、あっけらかんとこう答えたのだ。
『まだ、これ! というものは決めてないけどね。ジース以外の他の六人の教え子たちや他の里の知人達にも会いに行きたいかなって思っているのさ』
『……ということは、私が一番最初ですか!?』
『ん? まぁ、そうだけど?』
その時は「やったぁ!一番最初に再会できた!」とお師匠が目の前にいなければ勢いよくガッツポーズを決めていたぐらい嬉しかった。けれど、一人になって冷静に考えてみれば、その言葉の持つ当然の意味に嘆くことになった。
お師匠は、いずれここを出て行くということ。
そうなれば、一人の弟子として当然ボクもついて行きたい。千年前のように、またあの人の背中を追いかけたい。
けれど、ボクには教皇として、この巨大な宗教都市のリーダーとして果たすべき重い責任がある。
師匠の残した足跡を後世に伝えるためとはいえ、ボク自身がこの『プロパス教』という巨大な宗教を立ち上げ、発展させ、世界中の信者たちの信仰の拠り所となるこのミザリエという街を作り上げたのだ。
魔導防壁を維持し、孤児院を運営し、何万という人々の生活と命を背負っている。トップとして君臨し続けたボクには、彼らを放置して途中で投げ出すことは許されない。
ボクはもう子供じゃない。飽きたからと言って、持っているおもちゃをぽいっと投げ出すのとは訳が違うのだ。
ボクが背負ったものは、あまりにも大きくなりすぎた。自分のワガママで放り出すことなど、絶対に許されないところまで来ている。
「はぁ……」
今日、この思考に行き着いてから何度目かも分からない深いため息をこぼす。
だめだ、やはり眠れる気がしない。
でも、教皇としての激務をこなすためにも睡眠は大切だ。休まなければならないのに。
「そうだ……少し、風に当たろう」
気分転換に、お気に入りの共有ホールのバルコニーに出て夜景でも眺めよう。そうして頭を空っぽにしていれば、いずれ眠気もやってくるだろう。
そう思い立ち、ボクはベッドから這い出した。
静まり返った宮殿の廊下を歩き、ボクは夜景が最も綺麗に見渡せるバルコニーへと向かった。
◇
バルコニーに足を踏み入れると、そこには絶景が広がっていた。
白亜の街並みがガス灯の柔らかなオレンジ色に照らし出され、深夜の緩やかな人通りが見渡せる。空に目を向ければ、都市全体を覆う巨大な魔導防壁が夜空の星々の間に入り込み、鮮やかな光の膜を孕んでいる。
心地よい夜風が、火照った肌を優しく撫でた。
思考が沈みかかった時は、こういう場所で深呼吸するに限る。
そう思って大きく伸びをしながらバルコニーを見渡した時、端の方に人影があるのが目に入った。
最初は誰か分からなかったが、目が慣れてくるとその輪郭がはっきりと見えてきた。
大理石の手すりに肘をつき、手に顎を乗せて、物憂げに夜景を眺めている初老の男。
白髪交じりの髪に、深い皺の刻まれた横顔。教皇であるボクを幼い頃から支え続けてきた、筆頭枢機卿のベルフェツテだ。
彼もボクの気配に気づいたのか、ハッとしてこちらを振り向いた。
「あ、すいません。今気づきました。……夜分遅くにお疲れ様です、教皇様」
彼は慌てて姿勢を正した。
「珍しいね、ベルフェツテがこんなところで考え事なんて」
「あはは……そうですかね」
「いや、そうだよ。ボクは君がまだずっと小さかった頃から知っているんだから、間違いないさ」
「そう言われてしまっては、何も言い返せないのは困ったものですね」
ベルフェツテは、穏やかながらもどこか疲労の滲む顔で苦笑した。
「どんな悩み事かい? ボクに話してみたらどうだい。手伝ってあげられるかもしれないよ」
「いやぁ……それはちょっと、どうでしょうか」
「遠慮しなくていい。ボクを何だと思っているのさ。これでも教皇だよ?」
ボクは彼を和ませようと、わざとおどけて見せた。
だが、こんなに煮え切らない態度を取られると少々むっとしてしまう。
少なくともボクは今まで、彼にとって何でも話せる心強い味方として接してきたつもりだ。彼が小さい頃から、あのお師匠のように頼りになり、信頼されるエルフであろうと努めてきた。
今までは素直に頼ってくれていたのに、今日の彼は明らかに様子がおかしい。
ボクが少し口を尖らせていると、ベルフェツテは何か覚悟を決めたように、ボクを真っ直ぐに見つめ、真剣な声で口を開いた。
「悩み事、というかなんというか……でも、それに似たようなものは確かに私の胸の内にあります」
「でしょう? ならボクに……」
「でもそれは、私の悩みではなく、教皇様……貴方の悩みのはずです。そして、貴方の悩み事は、私にとっても悩み事になりますから……」
「……ッ」
ボクは息を呑み、言葉に詰まった。
「貴方の側近のサリエステが今日、ぼやいていましたよ。教皇様が、今日お会いになったあの客人に酷く執心しておられると。……あの方、一体何者なのですか?」
今日ボクが相手をしていた人物が、お師匠であり『ゼロの魔術師』その人であるということは、まだ誰にも言っていない。
お師匠と一番最初に再会して二人きりで面会した時、彼女はこう言ったのだ。
『自分がその人物だって大っぴらに喧伝して回るのも、なんか違う。何事もちょうどいい塩梅ってのがあってさ。だからジース、私がゼロの魔術師だっていうことを積極的に広めるような事はないようにお願いしたい』
正直、この宗教で師匠を困惑させてしまったことには深く反省している。だけど、お師匠の偉大さをボクたち弟子だけの秘密にしておくにはあまりにも勿体ないと今でも思っている。
ただ、お師匠が少し困っている以上、その正体を周囲に悟られないように気をつけなければならないのも事実だった。
だから、ベルフェツテに対してどう誤魔化すべきか口籠もっていると、彼は静かに言葉を継いだ。
「あの方……教皇様にとって、とても大切な人なのでしょう? 私では到底務まらなかった貴方の心の支えに、彼女は難なくなっている……」
「そんなことは…………」
「いえ、間違えようがないですよ。……分かるんです。貴方にとっては、人間の私との関わり合いなんて、瞬きするような一瞬の時間に過ぎないでしょう。ですが、私は自分の半生、そのほとんどの時間を貴方の傍で過ごしてきたことになります。だから、そんな半生をずっと一緒にいた人物の目を通して見れば、あの方が貴方にとってどれほど大きい存在なのかは、分かってしまう」
彼は……もしかしたら分かってしまっているのかもしれない。 彼女の正体を。
直接答え合わせをするように「ゼロの魔術師様ですか?」とは聞かないが、ある程度の確信は持っていそうな気がした。
「あの方……ここから離れる予定なのですか?」
「いずれは……ね」
「では、答えは簡単です。ついて行くべきです」
「えっ? いや……でも、それじゃこの都市が……」
ボクが反論しようとすると、ベルフェツテは何かおかしなものでも見たかのように、ふっと柔らかい笑みをこぼした。
「普通、他の宗教において言えることなのですが……教皇というものは、千年や二千年も生きません。数十年単位で代替わりしていくものです。それが、貴方はエルフで長生きだから、かれこれ数百年間も近くで見守り、運営を行なっていらっしゃる」
「…………」
「別に、無理をして無責任に放り出せとは言いません。ですが、貴方はもう十分にお勤めを果たされたと思うのです。貴方は責任感が強いから、まだ自分が見守れるうちは見守ろうとお考えになられているかもしれませんが……私たちのこの宗教も、都市も、もう貴方一人が抱え込まずとも回るほどに、だいぶ安定したと思いませんか?
多少の問題は抱えてはいますが……」
最後の方はだいぶ小声になったが、「それはそれとしてです!」と声に力を入れ直し、落ち着いた様子でポツリと紡いだ。
「――生前退位などをして、次の世代に託すのも一つの手かと」
その言葉を聞いた瞬間、ボクの肩から一気に重い荷物が滑り落ちたような、不思議な脱力感を覚えた。
あぁ、なんだ……。
ボクがこんなに抱え込まなくても、それを理解した上でこのような提案をしてくれる頼もしい存在が、すぐ近くにいたじゃないか。
近くにいてくれる存在ほど認識がぼやけてしまい、正しく人を見られなくなる。
ボクが抱え込まなくても、このような素晴らしい人材がいるのであれば……この宗教も都市も、今後も続いてくれるだろう。そうなれば確かに、ボクの役目は十分に果たしたと言えるのかもしれない。
「ねぇ、ベルフェツテ。ボクたちの宗教の次期教皇って、どういう決め方になってたっけ?その機会が今まで訪れなかったから、すっかり忘れてしまったよ」
「え?ええ、そうですね……。一応、まだ一度も行ったことはありませんが、各教区の枢機卿を集めて選挙を行う形ではありましたね」
「まだ一回も実行していないなら、規則を変えても誰も分からないだろう。よし、指名制にしよう」
「え、ですが……それでは権力を私物化していると他派閥から批判されますし、不要な反発を招く恐れが……」
慌ててデメリットを並べ立てる彼を遮るように、ボクは言葉を重ねる。
「でも、メリットもある。ボクが心から『信頼に足る』と確信した人物を、確実にトップに据えることができる。そうだろう?」
「まぁ、理屈としてはそうはなりますが……」
「じゃあ、ボクはもしその時が来たら……君に任せたい」
「はえ!?」
ベルフェツテの口から、およそ筆頭枢機卿とは思えない、間の抜けた変な声が漏れた。
彼は目を限界まで見開き、口をパクパクとさせている。
「で、でで、ですが、それはっ! 私のような人間が、神聖なる教皇の座になど……!」
「さっき、ベルフェツテは言ったね?
エルフの寿命が長いから、人間の自分と過ごした期間はあっという間だ、と。……確かに、種族の寿命からすればその通りかもしれない。だけどね」
ボクは一歩彼に近づき、あの人みたいにイタズラっぽく笑いかけた。
「信頼は、時間があるに越したことはないが、絶対にそれに左右されるわけではない。そうだろう?」
その言葉に、ベルフェツテは何かを言い返そうと口を開いたが、やがて諦めたように目元を拭い、深く、深く頭を下げた。
◇
そんな話をしていた、その時だった。
――ゾワッ。
一瞬、全身の肌が泡立つような、強烈な悪寒を覚えた。
次の瞬間。
『ゴォォォン……ッ、ゴォォォォォン……ッ!』
空間そのものがブレて歪むような、不快な低い鈴の音が夜空に響き渡った。
これには、聞き覚えがあった。
嫌な予感が、瞬時に警鐘を鳴らして脳内でマックスに跳ね上がる。
この音は――魔法生物をマナで構築した時に発せられる、特有の駆動音だ。
本来、魔法生物を構築する際、この不協和音をどれだけ抑え込めるかが術者の腕の見せ所なのだが、今回鳴り響いた音は、街全体に響いたのではないかというぐらい大きいものだった。
ただ単に術者の技術が稚拙だったのか。
それとも、音を抑える余裕すらないほどの『何か』があるのか――。
瞬時にそこまでの思考を巡らせた、その時。
「き、教皇様……! あ、あれっ!!」
震える声で、ベルフェツテが夜空を見上げて指を差した。
ボクが展開している魔導防壁のドーム状の膜、そのちょうど頂点付近の空域。
夜空を背景に、紫色の濁った水晶玉を不気味な紫の瘴気が覆い尽くしたような異形の存在が、フワフワと浮遊しているのが見えた。
「マチュ……」
瘴気を生成し、周囲に散布する魔法生物。 単体での生成難易度はそれほど高くなく、厄介な性質ではあるが、戦闘能力や耐久値自体は大したことはない。
だが、一番の問題は、そこではなかった。
「なんだ……あの数は!?」
「…………ッ」
ベルフェツテが動揺して叫ぶのも無理はない。ボクは絶句して夜空を睨みつけた。
空を埋め尽くさんばかりに浮かんでいるマチュの数は、ざっと見積もっても数百体には上る。
しかも、最悪なのはその『場所』だ。
ボクの張った魔導防壁は、都市の住人が生活できるよう、酸素や二酸化炭素、マナなどの流動は許容する設定にしている。しかし、扱うマナの量とコストを抑え、リソースを魔導防壁の強度に回すべく、それ以外の物質――すなわち、瘴気などの通り抜けは完全に遮断しており、内部を実質的な『密閉状態』にしてしまっているのだ。
外部からの外敵や災害には無敵を誇るこの魔導防壁。
だが、その守りの要が、今回ばかりは致命的な弱点として突かれた。
誰が、どのような目的でこんなテロを引き起こしたのかは分からない。外部の攻撃には強いが、まさか魔導防壁の内部でこのようなものを一斉に使用されるとは想定していなかった。
このまま放っておけば、数百体のマチュが吐き出す猛毒の瘴気が魔導防壁の内部に充満し、逃げ場を失った瘴気は確実に都市の住人すべての命を奪い去る。
人を守るためにボクが設計した最高強度の魔導防壁が、ボク自身の都市を破壊するための『死の監獄』へと早変わりしてしまうのだ。
人を全て魔導防壁外へ逃すことができればそれに越したことはないが、マチュの数からして、瘴気が街を満たす速度と全住人が避難する速度では、圧倒的に前者が早いと思える。
その最悪の結末に思い至った時、ボクは無意識のうちに下唇を思い切り強く噛み締め、血を滲ませていた。
その時だ。 眼下の街並みに目を凝らしていたボクの視界の端で、怪しい動きが捉えられた。
バルコニーから遥か下、入り組んだ街の路地裏を、目深にフードを被った黒い人影が、尋常ではない速度で疾走して逃げていくのが見えた。
直感した。 あのふざけた数百体の魔法生物を何人で召喚したのかは分からないが……あいつは間違いなく、このテロの関係者、あるいは術者の一人だと。
「ベルフェツテ!」
ボクはフェンスに足をかけながら、鋭く声を張り上げた。
「速やかに現在の状況に対する対策を練って欲しい! それと、もし対策を練るのに行き詰まったら今日ボクが客人として招き入れた人物に相談して!
きっと彼女は役に立ってくれるッ!」
「貴方は……どうされるおつもりですか!?」
「怪しい人影を見た……ボクはそれを追う……!」
そう言い残し、ボクは地上から数十メートルも離れた高層のバルコニーのフェンスを力強く蹴った。
風を切り裂き、教皇の豪奢な法衣を夜の闇に大きく翻しながら、ボクは混沌に包まれようとしている街へと一直線に落下していった。
いよいよ一章の終盤にさしかかってまいりました。
ここまで読んでくださってる方には感謝しかありません!