【TS】近所のガキ達相手に師匠面して千年後、久しぶりに戻ったら色々荒れてた   作:御花木 麗

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19.貪欲の先に

 

 

 

 

 

 

◇ Side ジース ◇

 

「ベルフェツテ! 速やかに現在の状況に対する対策を練って欲しい! それと、もし対策を練るのに煮詰まったら今日ボクが客人として招き入れた人物に相談して!

きっと彼女は役に立ってくれるッ!」

 

 そう言い残し、ボクはバルコニーのフェンスを蹴り上げた。眼下には数十メートル下の石畳。重力に身を任せ、夜の闇へと真っ逆さまに落下していく。

 

 上空では数百体の『マチュ』が毒の瘴気を吐き出し始めていた。すでに大気中には、薄らと紫色の靄が混じり始めている。

 同時に、落下地点の空中に防壁魔法『シールド』を等間隔で何層にも水平に重ねて構築する。

 

 パリンッ、パリンッ、バリンッ!

 

 自らの体重と落下の勢いでガラスのように次々とシールドを割りながら、確実に落下速度を殺していく。

 そして最後の一枚を砕いた時、ボクは膝を深く曲げ、片手を地面について音もなく石畳に着地した。

 

 立ち上がると同時に、着ていた法衣の裾を力任せに引き裂く。水魔法で生み出した少量の水で濡らし、口と鼻をきつく覆い隠すように巻きつけた。

 マチュの生成する瘴気は水に溶けやすい。こうしていればこの布は簡易的なフィルターの役割を担ってくれるはずだ。土壇場の応急処置として最低限は役に立つと踏んだのだ。

 

 手早い処置を終え、視線を前に向ける。  先ほど上から見下ろした、路地を走る黒い人影。  あいつだ。

 

 ボクは法衣の裾を翻し、弾かれたように駆け出した。

 

 深夜の静まり返った都市。互いに声を発することなく、足音と衣擦れの音だけが空気を切り裂いていく。

 相手が向かっているのは、都市を囲う大魔導防壁の限られた出入り口――四つある門のいずれかだ。方角的に西の門だろう。

 こんな事態を引き起こしておいて、逃げ切ろうだなんて……。

 

 ボクが絶対に許さない。    背後に迫るボクの気配に気づいたらしい。相手は走りながら路地に置かれた立て看板や植木鉢を、手当たり次第に掴んでは投げつけてくる。

 ボクは歩みを緩めることなく進行方向に小さなシールドを展開し、それらをすべて弾き飛ばした。

 

 その直後、相手の足元でボフッ! と空気が弾けた。

 風の魔法だろう。圧縮された空気が弾ける推進力を利用して、相手は一気に数メートル跳ね上がり、三階建ての民家の屋根の上へと鮮やかに着地した。

 

 あの身のこなし。そして、マナの扱いに慣れた様子。 今ので確信した。あれは一般人ではない。少なくともある程度の経験を積んだ魔術師だ。

 となれば、大魔導防壁上空に現れた数百体ものマチュの生成にも、この人物が参加していた可能性が高い。いくらマチュの生成難易度が比較的低いとはいえ、素人にできる芸当ではないのだ。

 

 人の家の屋根を踏み荒らしたくはなかったが、この非常事態では仕方がない。

 ボクも空中にシールドを平らに構築し、それを階段代わりにして一気に屋根の上へと駆け上がった。

 

 相手は空気を弾けさせる魔法を駆使して、次々と瓦屋根を飛び移っていく。ボクも負けじと家と家の隙間をシールドの足場で繋ぎ、最短距離で後を追う。

 

 ある程度進んだところで、相手が急に立ち止まり、こちらへと振り向いた。

 

 月明かりに照らされたその姿。相手はフードを目深に被り、口元を厚手の布でしっかりと覆っていた。

 ボクも先ほど布を巻いたが、上空にマチュが現れてから、あの男はずっとボクの視界にいた。逃走中に布を巻くような仕草は一切していなかったはずだ。

 なのに布をつけているということは……最初から瘴気が蔓延することを知っていて、事前に防毒対策をしていたということになる。

 この状況をあらかじめ想定できた人間は、実行犯か、それに関わった人物に他ならない。

 

 ボクの勘は間違っていなかった。

 

 そんな中、相手はようやく忌々しげに口を開いた。

 

「ちっ……どこまでも付いてきやがってよ……! ってかあんた、よく見たら教皇様じゃないですか」

 

 布越しのくぐもった男の声だった。

 

「もう嫌だなぁ……!

俺はねぇ、こう見えても一応プロパス教の信者には違いないんですよぉ……。教皇様にこんな荒事はしたくない。でも……ここまで邪魔されたら、仕留めないといけなくなっちゃうんですよ!

あんたが悪いんですからねぇ……!」

 

 そう叫んだ瞬間、男は懐から素早く革袋を取り出した。乱暴にキャップを外し、中身を足元へと傾ける。

 ダラダラとこぼれ落ちた水は、しかし地面に触れることはなかった。マナの干渉を受けた水は空中でピタリと静止し、彼の手に吸い寄せられるように収まっていく。

 次の瞬間、水の塊の周囲に白い冷気が渦巻き、パキパキと音を立てながら瞬く間に鋭く尖った氷の槍へと姿を変えた。

 

 男は足元で空気を弾けさせ、その反動を利用してボクの正面へと突進してくる。殺意を伴った氷の刃が、真っ直ぐにボクを貫こうと迫っていた。

 

 急いで目の前にシールドを構築する。だが、相手の踏み込みが速すぎた。構築に割ける時間が短く、マナの密度を高めきれない。

 

 ガキィッ!!

 

 不完全なシールドは氷の槍の先端を受け止め、相手の勢いを半減させたものの、コンマ数秒後には耐えきれずにパリンと砕け散った。

 だが、その一瞬の時間稼ぎがあれば十分だ。

 ボクは砕けるシールドの手前から深くしゃがみ込み、相手の脇をすり抜けて背後へと回り込む。

 

 そのまま背中から制圧しようと手を伸ばした瞬間、相手は空気が弾ける力を利用したバックステップで大きく後退した。

 

 くっ……! 気づかれたか。ガガガッ!

と瓦を削りながら靴底でブレーキをかけ、相手は屋根のギリギリの端で立ち止まる。砕けた瓦の破片が、暗い路地へとパラパラと落ちていった。

 

 再び、二人の間に数メートルほどの距離ができる。

 

「人の屋根の上で暴れて……下の住人に迷惑だとは思いませんか? ボクもこんな事はしたくない。大人しく捕まるのが賢明な判断です」  

 

 静かに落ち着きはらった声でそう言うと、男は鼻で笑った。

 

「はい? 何言ってるんです? あなたが執拗に追ってこなければ、俺はこんな場所で暴れずに、さっさとこの都市から出られたんですよ。……そうでしょう?」

 

 来る……ッ!

 

 相手は足元で空気を真下に向けて弾けさせ、上空へと高く跳び上がった。

 月を背にするような形で空中からボクを見下ろし、手にした氷の槍を真っ直ぐに下方へと突き出してくる。

 

 重力と推進力が乗った、先ほどとは比べ物にならないほど速く重い一撃。

 

 ボクは脳内で、瞬時に最善の選択肢を導き出す。  これは、避けるべきか?  シールドの生成時間や強度を考えれば、横に回避する方が圧倒的に安全だ。

 

 だが、もしボクが避ければどうなる?  あの氷の槍は、ボクのいた場所――つまり、この民家の屋根を間違いなく貫通する。

 そうなれば屋根にぽっかりと穴が開き、家屋の密閉性が失われる。上空から降り注いでいる瘴気が、眠っている下の住人たちに直接流れ込むことになるだろう。

 

 そんなこと、絶対に許されるはずがない。

 防ぐしかない。だが、防壁魔法は本来、時間をかけてマナの信号を構築し、送り込むことで強度を増す性質を持つ。他の魔法にも言えることだが、それが最も顕著に表れるのが防壁魔法なのだ。

 

 今、あの超高速の落下攻撃を受け止めるだけの強固なシールドを、この一瞬で構築するのは至難の業だ。最悪、先ほどのように破壊され、ボク自身が串刺しにされる可能性が高い。

 

 自分の命か、住人の命か。

 

 いや、迷う必要なんてどこにもないか。だって、ボクは――。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

『お師匠……ボクは、お師匠みたいに上手くいきません……。ボクはお師匠と違って、才能がないから……』

 

 千年前、まだボクが小さかった頃。  お師匠から与えられた防壁魔法の基礎がどうしても上手くいかず、思わずそんな愚痴をこぼしてしまったことがあった。

 

 すると、お師匠はボクの頭を優しく撫でながら、こう言ってくれたのだ。

 

『馬鹿いうんじゃないさ。私だって、才能があるかどうか……私より、君たちの方がよっぽど優れてるんじゃないかと思う瞬間が何度もあるくらいさ。それでも、もし君から見て私が優れているように見えるのだとすれば――』

 

『……すれば?』

 

 当時はまだずっと身長が低かったから、お師匠の顔を上目遣いに見上げて問うた。

 

『それは、私が君らよりも()()だからかもしれないね』  

 

『……貪欲?』

 

 ボクはその言葉に首を傾げた。一般的に『貪欲』とは、私欲にまみれた罪深いものとして、あまり良い意味では使われないからだ。

 

『そうだよ。私は他の誰よりも貪欲だからこそ、魔法という超常的な奇跡を望んで、諦めずに手を伸ばし、結果として手に入れた。そして手に入れると、次はどんなことができるのだろう、もっと知りたい、もっと極めたいと、欲を満たすたびにまた新しい欲が湧いてくる。そのために魔法研究をひたすら続ける……その結果が、今の私だろうから』

 

 一呼吸置いて、お師匠は黄金色の瞳をキラキラと輝かせて言った。

 

『まぁ、何が言いたいかというと……私たち魔術師は、貪欲であればあるほどいいってことさ。未知を求めて、どんどん奥深くを目指そうとするのだから』

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 ――そう、ボクも魔術師だから。

 

 お師匠が言った通り、貪欲じゃなきゃダメだ。

 

 自分の命は絶対に捨てない。そして、この家で眠る住人も絶対に危険に晒さない。  その両方を絶対に守り抜く。  そんな欲深い人間でいい。いや、だからこそいいんだ。

 

 貪欲にすべてを追い求め――その結果たどり着くのが、ボクの太陽なのだから。

 

 ボクは迫り来る氷の刃から目を逸らさず、意識のすべてをマナの構築に集中させた。

 

 行ける……いける……いける!!

 脳に強烈な負荷がかかる感覚がジンジンと伝わってくる。強度の高いシールドの信号の組み立てと、送信までのプロセスを極限まで加速させる。

 

 そして――。

 

 ガァァァァンッッ!!!

 

 激しい衝突音が夜空に響き渡った。

 ボクの頭上に展開されたシールド。そこに激突した氷の槍は、貫くどころかひび一つ入れることができず、槍のほうが粉々に砕け散った。

 

「……は!? なんでだよっ! くそっ、さっきは防げてなかったのによぉっ!」

 

 空中で体勢を崩し、驚愕に目を見開く男。  その隙を、ボクが見逃すはずがない。

 

 落下してきた男の懐へと一瞬で踏み込み、腰の回転を乗せた渾身の回し蹴りをその腹へと叩き込んだ。

 

「ぐふぉ……ッ!? 急に物理かよっ……」

 

 男はボクの蹴りを受けて吹き飛んだ。  そのまま屋根から路地へと落下していく男の下に、ボクは寝かせたシールドを途中に生成することで、一番下の地面への激突を防ぐ。

 

 その結果、男は致命傷を避けられたはずだ。  いろいろ聞かないといけない事があるから、ここで死なれては困る。  

 そう思いシールドの上を覗き込むと、男は白目をむいて気絶していた。

 

 成功だ。  あのまま地面に落下していたら命に関わったが、中間にシールドを敷けたので、気絶だけで済んだようだ。  

 

「ふぅ……」

 

 それを確認した途端、気が抜けて膝からカクンと力が抜け、ボクはそのまま瓦の上にへたり込んでしまった。

 

 視界がぐらぐらと揺れ、激しい頭痛と吐き気が襲ってくる。

 

 完全に魔力切れだ。脳に莫大な負担をかけ、強引に生成速度と強度を引き上げた代償だった。

 

 しばらく動けそうにない……。

 

 上空からは依然としてマチュの瘴気が降り注いでいる。口元に濡れ布があるとはいえ、こんな場所に長居するのは危険だ。

 そんな焦燥感を抱きながら夜空を見上げた時だった。

 大魔導防壁の中心、空高くに、ポツンと浮かぶ一つの物陰が暗闇の中、微かに見えた。

 

 あれは……。 あまり喋らない方がいいと分かっているのに、布越しに思わず呟いてしまった。

 

「お師匠……!!」

 

 あれは――何をしているのだろうか。

 

『あーあー、マイクテスト、マイクテスト。聞こえてるかい?』

 

 その直後。 都市全体を包み込むように、澄んだ声が響き渡った。

 今のボクとお師匠はかなり距離が離れている。それなのにくっきりと聞こえるということは、魔法で声を拡声させているのだろう。

 だが、これほどの距離に届く大音量でありながら、音割れすらしていない。ボクの知る拡声魔法に、そんな規格外の代物はなかった。

 

『夜分遅くにすまないね。この拡声させる魔法を扱えるのが私しかいないみたいだから、教会の者達の代弁者としてみんなに今の状況を話すよ。落ち着いてよく聞いてほしい。まだ寝ている人もいると思うけど、これはみんなに知って欲しいから声は大きめだ』

 

 お師匠のゆったりとした、あえて人を焦らせないような落ち着いた声が街に降り注ぐ。

 

『今、この都市の上空に紫色の瘴気を出す魔法生物がたくさん出現している。あの瘴気は吸い込むと体に悪い。だから、絶対に外には出ないでほしい。家の窓やドアをしっかりと閉めて、隙間があれば水で濡らした布やタオルで塞ぐんだ。そうすれば、瘴気は入り込みにくくなるだろう』

 

 お師匠の言葉は続く。

 

『現状、教会の人達を中心に事態の解決に向けて動いている。だから安心して、家の中で静かに待っていてほしい。……大丈夫、必ずなんとかなるからね』

 

 そう言って締めくくられた。

 

 どうやらベルフェツテたちは、市民を屋内退避させるという判断を下したらしい。そしてボクの言い残した通り、お師匠を頼ってくれたのだろう。あの知らせを聞けば、パニックに陥りかけていた人々もある程度の落ち着きと正しい判断ができるようになるだろう。

 

 ボクは深く安堵する。 となれば、次はボクの番だ。この男を拘束し、急いで教皇宮殿へ戻って事態の収拾に当たらなければ。

 

 そう気を取り直したものの、限界を超えた脳と身体は思うように動いてくれなかった。

 霞みかける視界に鞭を打ち、これ以上の脳に負担がかからないようなしながら、最小限のマナ消費の魔法で男と共に屋根から路地へと降り立つ。

 

 だが、そこまでが限界だった。 気絶している男の襟首を掴み、引きずって歩こうとした途端、両膝からガクンと力が抜けた。

 立ち止まっている暇はないのに、足取りは重い。その場に留まれば留まるほど、布を身につけているとはいえ、薄く広がり始めた瘴気が確実に肺へと侵入してくる。

 

 意識が、暗い水底に沈むように遠のきかけた。

 

 その時だった。

 

「こっちです! 早く!」

 

 突然、すぐ横の建物の扉が勢いよく開いた。

 中から飛び出してきた一人の男が、ハンカチでしっかりと口と鼻を覆いながら駆け寄ってくる。彼はボクが何かを言う暇も与えずボクの腕を引き、強引に建物の中へと引き入れた。その時、気絶した男も一緒に。

 

 バタンッ! と扉が閉められ、外の空気が遮断される。

 

「ちょっと、困りますよ! 先ほどの知らせで瘴気が舞っていると聞いたばかりなのに、勝手に扉を開けたりして! うちの宿に瘴気が入り込んだらどうするんですか!」  

 

 背後から、血相を変えた宿屋の主人が怒鳴り声を上げた。

 

 ボクたちを引き入れた男は、申し訳なさそうに何度も頭を下げる。

 

「す、すみません……!

窓越しに人が倒れそうになっている影が見えまして……先ほどの声を信じるなら、外で倒れるのは大変危険だと思いましたので、気づいたら咄嗟に体が動いてしまっていたんです……」

 

 ペコペコと謝るその男は、恰幅が良く、立派なちょび髭を蓄えた人の良さそうな人物だった。

 

 ボクは床にへたり込んだまま、荒い息を整えながらそのやり取りをぼんやりと聞いていた。

 外より安全な室内に引き入れられたことで、限界だった身体が完全に休眠状態に入ろうとしている。

 だが、こんなところで休んでいるわけにはいかない。

 

 ふらつく足に力を込め、壁に手をつきながらどうにか立ち上がった。

 

「助けていただいたことには、感謝します。ですが……ボクは、やらなければならないことがあります。だから……戻らないと……」

 

 途切れ途切れにそう告げ、再び扉に手をかけようとした。

 

「ダメです! 行かせませんよ!」

 

ちょび髭の男が、ボクの服を引っ張って外に出させないようにする。  

 

「先ほどの声をあなたも聞いていたでしょう!?

今、外に出るのは自殺行為です! 瘴気が収まるまでここに隠れているべきです!」

 

「……でも」

 

ボクは真っ直ぐに彼の目を見つめた。

 

「ボクは、教皇ですから。……こんな異常事態の中、トップであるボクが油を売っているわけにはいかないのです」

 

 少しずつではあるが、途切れずに言葉を紡ぐことができた。 その言葉に、男と宿屋の主人は揃って息を呑んだ。

 薄暗い室内で改めてボクの顔をまじまじと見つめ、ようやく目の前の人物が誰なのかに気づいたのだ。

 

「「えっ!! きょ、教皇様!?」」    

 

宿屋の主人は腰を抜かさんばかりに驚いている。

 

 ボクは彼を振り切るように、再び扉のノブに手をかけた。今のボクには彼を説得する体力も時間も残されていない。

 だが、ちょび髭の男はそれでも扉の前に立ち塞がってどこうとしなかった。

 

「……どいてください。教皇宮殿に行かせてください」

 

「どきません。……教皇様、あなたのそのふらついたお身体で外に出れば、宮殿に辿り着く前に確実に倒れます。瘴気が舞う外で意識を失えば、命を落とす可能性すらある。そんな状態で、一人で行かせられるわけがないでしょう!」

 

「それでも……ボクは、行かなくちゃいけないんですッ!」

 

 ボクはこの街を統べる者として譲れない意思を込めて睨みつけると、男はぐっと言葉に詰まった。

 目元に涙が溜まっていたかもしれない。お師匠が戻ってきてから、ボクはまたあの頃に逆戻りだ。

 引き止めても、ボクは絶対に行く――それを悟ったのだろう。男はギリッと奥歯を噛み締め、葛藤に耐えるように強く目を閉じた。

 

 数秒後、目を開いた彼の瞳には、なにかの決意が宿っていた。

 

「……意地でも行くとおっしゃるのなら。私もついて行きます」

 

「え……」

 

ボクは唖然とした。

 

「何を言っているんですか。外に出るなと、先ほど自分で言ったばかりじゃないですか。一緒に外に出れば、あなたまで危険に晒されますよ」

 

「ええ、危険なのは百も承知です。ですが、ふらついた状態のあなたを一人で歩かせる方がよほど危険だ。言っても聞かないなら、それ以外で最善の方法を模索するしかありません。あなたが一人で歩くより、宿の裏手に停めてある私の大きな手押し台車を使ったほうがいい。それに教皇様とそこの男を乗せて、私が宮殿まで走りましょう。その方が断然早く着きますし、瘴気に晒される時間も最小限で済むはずです」

 

「商人のあんた……正気かい!?」

 

宿屋の主人が悲鳴のような声をあげるが、男は首を横に振った。

 

「どうして……そこまでしてくれるんですか?」    

 

それは純粋な疑問だった。見ず知らずの他人のために、そこまでして自分の命を危険に晒す理由を知りたかった。

 

「そうですねぇ…………」

 

 男は少し目を伏せ、懐かしむように目を細めた。

 

「かつて、ある村の知人の息子を預かり、商人のイロハを教え込んでいた時期がありました。とても素直な子で、私にもよく懐いてくれていました。数年後、彼は一人前の商人として独り立ちしたのですが……」

 

   男はギュッと拳を握りしめた。

 

「独り立ちした矢先、遠国との取引のために荷を載せた彼の船が、嵐で沈んでしまったのです。彼は全財産を失いました。商人にとって、一度でも支払いが滞ることは社会的な死を意味します。莫大な負債と失墜した信用の重さに耐えかね、彼は誰にも相談することなく、自ら命を絶ってしまいました」

 

 男の声は次第に震えを帯びていた。

 

「一言でも相談してくれれば、立ち直らせることも、別の生き方を提案することもできたはずです。世の中、商人の道だけではないのですから……。実は、彼の窮地を耳にした時、私は大事な商談の真っ最中で、駆けつけるのが二日遅れました。そのせいで、若くして彼を逝かせてしまった……」

 

  悔しさを噛み殺すように、男は目を閉じた。

 

「それ以来、私は幾度となく同じような後悔を味わってきました。もうあんな思いは懲り懲りです。だから、命の危ういあなたを見て、一人で見送ることなど、私には絶対にできません。そんなことをすれば、また必ず後悔する」

 

 ボクはその言葉を聞いて、先ほどの彼の提案が決して軽はずみなものではないことを理解した。

 

 だからこそ――

 

「――本当に……いいんですか?

ボクを見捨てた後悔は避けられても、ついてきた結果、命を落として後悔するかもしれない。後悔を避けるために選んだ道が、結局別の後悔を招く可能性だってあるんです。それなら、自分の命が危険に晒されない方を選ぶのが賢明じゃないですか」

 

 ボクがそう言うと、男はちょび髭を揺らし、フッと人の良さそうな笑みを浮かべた。

 

「ええ。確かに……言われてみればそうですね。後悔を嫌っているのに、どちらを選んでも後悔する可能性があるなんて。なんだか馬鹿みたいだ、私は……」

 

 男はそうやって含み笑いをする。

 

「……でもね、……目の前の人を救えずに一生後悔し続けるくらいなら、人を救おうとして後悔するほうが、何百倍もマシですよ」

 

 その言葉には確かな力強さがこもっていた。  この人がさっき話してくれた後悔を、失礼ながらお師匠と突然離れることになった、あの日のボクの後悔と重ねてしまった。

 どちらも軽く考えた結果が招いた悲劇。

 そう思ったら、もうボクはNOとは言えなかった。 ボクはこの男の覚悟を見込んだのだ。  

 

「……じゃあ……頼んでもいいですか。えっと……お名前は?」

 

「あぁ、申し遅れました。私はしがない商人をやっております、サンゴエと申します。以後、お見知りおきを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




tips:tips:ジースの魔導防壁の大きさや、時間をかけた先にあるその硬度は、彼女の右に出るものはほとんどいないくらいの出来ですが、それには準備に時間がかかるため、事前に準備が出来ないタイプの戦闘とは合性が悪いです。
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