【TS】近所のガキ達相手に師匠面して千年後、久しぶりに戻ったら色々荒れてた【書籍化決定】   作:御花木 麗@充電中

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23.酔いどれダークエルフ

 

 

 

ズキン、と。こめかみを鋭く突くような頭痛と、胃の奥で渦巻く不快感で、俺は目を覚ました。

 

 この鉛のように重い頭の感覚。まさか、千年間ソロサバイバルを強いられたあの謎空間にまた飛ばされたのではあるまいな……。

 一瞬、背筋が凍るような恐怖に駆られ、俺は弾かれたように顔を上げた。

 

 だが、見渡した景色は、俺のトラウマに刻まれたあの狂った空間ではなかった。

 使い込まれた重厚な木のカウンター。天井を走る太い丸太の梁。壁際には年季の入った酒樽がずらりと並び、小さな窓からは、柔らかな朝の光が差し込んでいる。

 

 ……居酒屋?

 

 俺はカウンターに突っ伏して眠っていたらしく、肩には温かい毛布がかけられていた。

 

「……あぁ、そうだった」

 

 ズキズキと痛む頭を押さえながら、昨夜の記憶をゆっくりと手繰り寄せる。そうだ、今朝はサンゴエさんがこのミザリエの街を出発する日だった。

 雑貨商である彼は、こちらでの仕入れの仕事もある程度片付き、落ち着きを取り戻したこの街を去って、再び商売の旅に戻るという。

 

 そこで「今度こそは本当の本当にお別れですから、せっかくですし、この巡り合いに感謝して最後にたんまりお酒を飲み交わす、送別会ならぬ離散会はどうでしょう」と誘われたのだ。

 お酒には千年前の『神の祝福の日』の一件もあり抵抗があったが、彼にはジースの命を救ってもらった多大なる恩がある。笑顔でそう勧められれば、無下には断れなかった。

 

 やっぱり、俺ってどうも押しに弱い気がする。

 

 結果としてその会に参加したのだが、酔いが回って調子に乗り、サンゴエさんのペースに置いていかれまいと沢山飲んでしまった。

 飲み始めから中盤あたりの記憶は割と鮮明に残っている。だが、終盤の記憶は完全に靄がかかったように薄れていた。

 見事な二日酔いである。

 

 というか、こうして昨日のことを振り返って考えてみると、サンゴエさんは酒にとても強いな。

 俺よりも全然飲んでいたというのに、顔色が全く変わっていなかった気がする。酒豪のペースに合わせて飲んだらそりゃあこうなるわなと、飲んでいる最中に気づかなかった己の浅はかさに呆れてしまう。

 

 俺が毛布を畳みながらため息をついていると、店の奥から足音が聞こえてきた。

 

「おお、ようやく起きたようだね」

 

 声をかけてきたのは、ふくよかで人の良さそうな笑顔を浮かべた、エプロン姿のおばさんだった。記憶が正しければ、確かこの店の店主だ。

 

「申し訳ないね……。どうやらここで寝潰れてしまったみたいで。お店に迷惑をおかけしてしまって……」

 

 俺が頭を下げると、おばさんは豪快に笑って手を振った。

 

「いやいや、気にしなくていいよ。ウチは夜からしか店を開けないし、アンタみたいに飲み潰れて朝まで寝ていくお客さんは珍しくないからね。それに、アンタのお連れさんから『朝まで場所を占領してしまうことへの場所代と、お世話をおかけするお詫びです』って、いくらかチップをいただいてるからさ」

 

 そう言って、店主のおばさんはニンマリと笑い、親指と人差し指でわっかを作って見せた。どうやら、かなりサンゴエさんに気を遣わせてしまっていたらしい……。

 

「あぁ、そうそう。そのお連れさんから、アンタに手紙を預かっているよ」

 

 おばさんはエプロンのポケットから丁寧に折り畳まれた紙を取り出し、俺に差し出した。

 受け取ってそれを開く。そこには、サンゴエさんらしい几帳面で整った字で、こう記されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親愛なる貴方様へ。

 

 昨日は私の誘いにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。数奇な縁で出会った貴方と、最後にこうして楽しく杯を交わすことができ、心から満足しております。

 

 ただ、気が回らず、貴方をすっかり酔い潰れさせてしまったこと、深くお詫び申し上げます。

 貴方がお泊まりになられている宮殿までお送りしようと何度かお声をかけたのですが、一向に目を覚まされる気配がなく……。仮にも女性である貴方のお体を、私が勝手に抱き抱えて運ぶわけにもいきません。

 思案に暮れていたところ、店主殿が「よくある事だから、そのまま朝まで店で寝かせていって構わないよ」と温かいお言葉をかけてくださいましたので、そのご厚意に甘え、貴方をここで休ませていただくことにいたしました。

 

 私は前に話した通り、次の商いの予定もあり、今朝の夜明けとともにこの街を出発する予定です。恐らくこの手紙を見てくださっている頃にはすでに出発していることでしょう。

 瘴気をばら撒くマチュが空を埋め尽くした恐ろしい騒動から、早いものでもう四週間と五日が経ちます。

 貴方は、あの事態を収拾するために一時的に破壊した魔導防壁をなるべく早く、教皇様と共に再び一から構築し直すため、あと数ヶ月はこのミザリエに留まると伺いました。

 魔導防壁の再構築が終われば、古馴染みである他の者達に会いに行く旅に出ると、昨夜楽しそうに語っておられたのが印象に残っております。

 

 本当であれば、貴方が目を覚まされるまで傍にいて、直接顔を見てお別れをしたかったのですが……それが叶わなかったことだけが心残りです。

 ですが、お別れの言葉自体は昨夜のうちに交わしましたから、きっと貴方も気になさらないだろうと勝手に思っております。それに、貴方も旅を続けるのなら、またどこかで偶然お会いすることもあるでしょう。人の縁は巡り巡るものですから。

 

 互いのこれからの旅が、最高のものにならんことを願って。

 

 サンゴエより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は口元をふふッと緩め、その手紙を再び丁寧に折りたたんで懐にしまった。

 

 最後まで、本当にいいおじさんだったな。

 

 毛布を畳んでカウンターに置き、改めて店主に挨拶をしてから、俺は店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手紙にもあった通り、あのマチュ大量発生事件から、すでに四週間と五日が経過していた。

 

 無理をして倒れたジースは、完全復活とまではいかないものの、今ではベッドから出て屋敷内を動き回り、通常の執務をこなせる程度には回復している。

 かく言う俺は、あの日、高難度の魔法を行使した反動による魔力切れの症状からは、三日ほど前に完全復活を果たした。

 

 ……魔力切れからは復活したのだが、あいにく魔法に「二日酔いをピンポイントで治す」なんて都合のいいものは知らない。

 朝の空気を吸い込んでも胃のムカムカは消えず、足取りは重い。

 

 通りにはすでに多くの人々が行き交い、店先から漂う焼きたてのパンの匂いや、物売りの活気ある掛け声が耳に届く。

 誰もが笑顔で、平穏な日常を謳歌している。あの夜、空を覆い尽くした死の靄と絶望の静寂が、夢だったのではないかと思えるほどに、街は活気に満ち溢れていた。

 

 そんな平和な景色を、頭の痛みを堪えながら半眼でぼんやりと眺めて歩いていると、不意に声がかけられた。

 

「あ、いた!」

 

 声のした方へ顔を向けると、生真面目そうな丸眼鏡をかけた青年が、俺を見つけて早足でこちらへ向かってくるところだった。

 

「おや、君はえっと……あっ、そうそう、サリエステくん?」

 

 ジースの側近だ。

魔力切れから復活するべく休んでいる療養期間中に名前を知った。

 

 俺がのんきに名前を呼ぶと、サリエステは一瞬呆気に取られたような顔をした後、深々とため息をついた。

 

「何が『サリエステくん?』ですか……。教皇様が、朝になっても宮殿にお戻りにならないあなたを大変心配なされましてね。だから私はこうして、朝から街中を駆け回ってあなたを探しに行く羽目になったんですよ。少しは私の身にもなってください」

 

 俺は思わず身を縮こまらせた。

 よくよく考えてみれば、このサリエステという青年には、事あるごとに俺を探させている気がする。集会に乱入した直後や、マチュ対策の緊急会議の時など、彼には苦労をかけっぱなしだ。

 

「そうだね……確かに君の言う通りだ。心配をかけて本当にすまないね……」

 

 俺が素直に反省し、頭を下げると、サリエステは何故か「なっ」と驚きの声を上げ、唖然とした顔で一歩後ずさった。  勢い余って、彼の眼鏡が鼻筋から少しズレる。

 

 俺がその予想外の反応にキョトンとしていると、サリエステはズレた眼鏡を指でクイクイと押し上げながら、どこか気まずげに視線を逸らした。

 

「そ、そうやって素直に謝られてしまうと、それはそれで居心地が悪いというか……。ま、まぁ、仮にもこの都市を教皇様と共に救っていただいた恩人でもあるわけですし。私もぐちぐちと文句を言うのはここまでにしましょう」

 

 サリエステは咳払いを一つして、急に声のトーンを落とした。

 

「…………なんというか、私も、その……すいませんでした」

 

 後半は早口でモゴモゴと尻すぼみになったため聞き取りづらかったが、確かに「すいません」と聞こえた。

 

「え? 君、私に何か謝るようなことしたかい? 本当に身に覚えがないんだけども」

 

 俺が不思議そうに首を傾げると、サリエステは観念したように息を吐き、静かに口を開く。

 

「私、あなたに対して、出会った時からずっとカリカリと刺々しい態度をとっていたじゃないですか。それは……その、あなたが怪しい人物に見えたからというのはもちろんありますが、それと同じくらいかそれ以上にあなたに嫉妬してしまっていたんです」

 

「……???」

 

 本気で頭の中に疑問符がいっぱいになる。嫉妬? 俺に? それはまたなんで。

 

 俺の本気で困惑している顔を見たのだろう。サリエステは、今にも羞恥で死にそうだと言わんばかりに顔を真っ赤に染め上げ、早口でまくし立て始めた。

 

「教皇様の件ですよ!!!

突如として現れた素性の知れないあなたに、教皇様は異常なまでにご執心で、あんなに嬉しそうで熱心な対応をされているお姿など、私はこれまで一度も拝見したことがありませんでした!

どなたかとお尋ねしても『古い知人だ』としかお答えになられませんし……」

 

 サリエステは拳をぎゅっと握りしめる。

 

「私も側近として、尊敬する教皇様に少しでもお力添えできるよう、一番の理解者として信頼していただけるよう、必死に努力してきました。教皇様もそれに応え、私を重用してくださってはいました。……ですが、あなたが現れて気づいてしまったんです。教皇様が私や他の者に見せる『部下への笑顔』と、あなたに見せる『心の底からの無防備な笑顔』は全く違うということに」

 

 そこまで一気に吐き出し、彼は肩で息をした。

 

「そこに恋愛感情や性別などは関係ありません。あの方はそんな些末なことで壁を作る方ではない。もっと……もっと根本的な何か。あなたと教皇様の間には、途方もなく深く絶対的な絆があって、そこに私は到底踏み込むことができない。それを突きつけられて、私は側近としての自分の限界を悟り、あまつさえあなたに嫉妬せざるを得なかったんです」

 

 そこまで言って、彼はハッとして顔を覆う。

 

「あぁ、もう! もういいですか、この話は! 早く戻りましょう! 教皇様がお待ちですから!」

 

 彼は顔を真っ赤にしたまま踵を返し、カツカツと足音を立てて早足で歩き出した。

 俺はしばらく間抜けな顔でポカンとしていたが、気を取り直し、小走りで彼の背中を追いかけた。

 

 彼の背中を追いかけながら、俺はニヤニヤと笑いかける。

 

「いやはや、君、案外可愛いところがあるじゃないか。これが俗に言うギャップ萌えというやつかね。普段は生真面目な堅物なのに、実はそんな熱い敬愛と嫉妬を隠し持っていたなんて。そのギャップを上手く活かせば、放っておかない女性はいくらでもいるだろうに」

 

 俺が冗談めかしてからかうと、ピタリと足を止め、サリエステはゆっくりと面倒くさげにこちらを振り返った。

 

「何の話ですか……。我がプロパス教には聖職者の婚姻を禁ずる制約はありません。ですから、私にはすでに愛する妻がいますよ」

 

「えっ! そうなの!?」

 

 先ほどまで赤面して照れていた様子は一瞬にして霧散し、サリエステの額にはピキリと青筋が浮かんでいた。ふつふつと肩を震わせ、前よりもひどい『ゴミを見るような冷ややかな目』を俺に向けている。

 

「あなたって人は……本当に、どこまでも失礼な人ですね。そんなに私が、女性経験のなさそうな哀れな男に見えましたか?」

 

「いや、えっと、そういうわけじゃ……」

 

 射抜くような冷たい視線に、俺はいたたまれなくなって冷や汗をかいた。完全に地雷を踏み抜いてしまったらしい。

 

「さ、さぁ! ジースが待ってるんだってね!? 早く行かなければ、そんなジースが可哀想だ!」

 

 居心地の悪さと身の危険を感じ、俺は小走りでその場を後にする。

 

「あっ、こらっ!!」

 

 背後でサリエステの怒声が響くが、俺は行き交う人々をするすると交わしながら、教皇宮殿の方へと急ぎ足で逃げ出した。

 

 その際、ある魔法を使用した。

 流石にこの二日酔いの体調がすぐれない中、走り出したら碌なことにならないのは目に見えている。謎空間の千年間に開発した魔法の一つであり、身体補助魔法の亜種である『一時的に気持ち悪さを抑える魔法』を発動する。

 

 すると、スーッと二日酔いの吐き気が引いていき、走るのが格段に楽になった。ついでに別の身体補助魔法で体も動きやすくしておく。

 

 説明しよう! これにより、今の俺は「二日酔いの運動音痴」ではない。

 

「運動がまぁまぁできる奴の中の下くらいの身体能力を兼ね備えたダークエルフ」なのだ!

 

 そんなこんなで俺は教皇宮殿へ急ぎ足で向かった。

 

 

 

 

 

 

サリエステを置き去りにし、魔法の力でタッタッとリズム良く路地を抜け、あっという間に教皇宮殿の表門までやってきた。

 後ろを振り返ると、魔法も使わずに自力で走ってきたサリエステが、遥か後方で「はぁ……はぁ……」と息を切らしながらフラフラになってこちらへ向かってきている姿が見えた。

 

 魔法はズルだって? まぁ、使えるものはなんでも使わなきゃ勿体無い。

 

 宮殿の門の前には、すっかり顔見知りになった、全身を銀色の鎧で覆った男が立っていた。俺は軽く手を挙げる。

 

「やぁ、今日も門番のお仕事、お疲れさん!」

 

 俺の挨拶に、門番の男も手を挙げて応えようとした。

 

「よお……って、朝から何やってんだか」

 

 だが途中で、遥か後方から死に物狂いで走ってくるサリエステの姿が見えたらしく、俺と交互に見たあと呆れたような口調でそう言った。

 

 俺はそれにも構わず門の中をくぐる。

 

 

 

 

 宮殿内を歩いていると、ちょうど執務室を出てきたベルフェツテさんと目が合う。ベルフェツテは俺に気づくと、元からある目元のシワを深めた。

 

「おや」

 

 彼が小さく声を漏らす。

 

「おはよう、ベルフェツテさん」

 

 こちらから挨拶をすると、彼は頭を下げる。

 

「おはようございます。教皇様が、とても心配しておられましたよ。昨日『ちょっと出掛けてくる』と言ってふらっと居なくなってから、一向に帰ってこないと気が気じゃないご様子で」

 

 俺は苦笑する。

 

「あはは、すまないね……。まさかこんなに遅くなるとは思ってなくてね……。彼女には今回の件といい、ずっと昔から迷惑をかけっぱなしだ」

 

 ポツリとこぼした俺の言葉を、彼が静かに拾い上げる。

 

「ずっと昔から……ですか」

 

 俺は不思議に思って首を傾げた。

 

「ん? どうかしたかい」

 

 心なしか、彼の細い目が糸のようにもっと細められた気がした。

 

「いえ。あなたは彼女の古い知人だと伺いました。恐らくあなたは、私の知らない過去の彼女を知っているのでしょう。それが……少し羨ましく思えたもので」

 

 その初老の男の顔が、ふと寂しげに笑う。俺はこの人とジースの間にどのような関係があったのか、詳細までは分からない。

 だが、その慈しむような眼差しと、彼女を案じる深い声音を聞けば、彼女のことを大切に思ってくれていることは分かっていたし、この人の存在はジースにとって、本人が気づいているかはわからないが客観的に見たら決して小さくない存在であることは明白だった。

 

 だからこそ、この人に言いたいことが俺にはある。

 

「きみは私を羨ましく思っているかもしれないけど、それは私だって同じようなものさ」

 

 意外そうな声が漏れる。

 

「……え」

 

 俺はまっすぐに彼を見つめて言葉を続けた。

 

「私にはどうしても彼女と過ごせなかった、埋められない空白の期間があった。私が彼女を見てやれなかったその時間の中で……あなたは彼女の傍に寄り添い、近くで、支え続けてくれたのだから」

 

 

 

 彼がどれくらいの期間彼女の元にいたのかは知らないが、それでも筆頭枢機卿として彼女のことを常に思ってくれていたことは、彼を見ていれば分かる。

 

 ベルフェツテが彼女の元にいた時間は、彼がエルフではなく人間である分、ジースと俺が会えなかった期間のほんの少しにすぎないかもしれない。

 だけど、少しでも近くで支え続けたことには変わりないと思っている。

 

 

 だから、今はベルフェツテのような存在が近くにいるということが知れて安心して旅立てるというものだけど。

 

 ベルフェツテは少し呆気に取られたような顔をしたかと思うと、ふっと頬を緩めた。

 

「では、お互い様というやつですか」

 

 その言葉に、俺は頷く。

 

「……そうかもしれないね」

 

 そう言って、俺も笑みを浮かべた。

 

 互いに穏やかな笑みを交わしている最中だった。俺たちではない第三者の声が、廊下に響いた。

 

「あ! やっと帰ってきたんですね! 本当に心配したんですからっ!」

 

 廊下の曲がり角から俺の顔を認めるなり、走ってこっちまで駆け寄ってきたのは、俺の弟子であるジースだった。完全に涙目になっている。

 

「…………教皇たるお方が、そんなに泣いていていいのかい」

 

 俺が苦笑交じりにそう言うと、彼女は涙目のまま言い返してきた。

 

「ここにはボクとあなたしかいないからいいんですよ!」

 

 きょとんとした俺は周囲を見回す。

 

「はい? いや……今さっきまでベルフェツテさんと……って……あれ」

 

 横を見ると、今しがたまで自分と喋っていたベルフェツテの姿が、影も形もなくなっている。

 どうやら、全然そんなことはないのに俺たちの邪魔になると思ったのか、気を利かせて去ったらしい。

 

 サンゴエさんといい、ベルフェツテさんといい……。

 本当に、気遣いのできる立派な大人たちだ。

 俺も見習わなくてはならない……。

 

「ボク、またあなたがふらっと消えてしまったんじゃないかと、本当に心配だったんですよ!」

 

 彼女は詰問するような口調で近づき、至近距離にまで迫ってきた。

 

「……う、すまないね、言い訳のしようもない」

 

 これはどう考えたって俺が悪いので、そう言うしかない。

 

「まぁ、ですけど……そんなんじゃなくて、本当に良かった」

 

 彼女の声が、心底安心したような、震える声音になる。俺はそんな彼女を優しく見つめる。

 

「ジース……」

 

 互いの目が合う。柔らかい空気が二人の間を包み込んだ。

 そして――。

 

「吐きそう……」

 

 うぶっ、と口を抑える俺。

 

「お師匠!?」

 

 ジースと会って安堵したことで気が抜け、俺の魔法が切れたのだ。あの魔法は『二日酔いを治す魔法』ではない。あくまで『一時的に気持ち悪さを抑える魔法』に過ぎない。

 

 そしてあの魔法には、一時的に感覚を麻痺させる代償としてのデメリットがある。

 魔法が解除された瞬間、今まで抑え込まれていた吐き気と不快感が、一気に反動として体内を駆け巡るのだ。

 

「そ、そのままでいてくださいね……いいですね! 出来ればまだ、吐かないでくれると助かります。いまから、吐いたものを入れるバケツ持ってきますから!」

 

 教皇宮殿の豪奢な廊下で、大惨事を引き起こす一歩手前の俺を前にして、ジースは悲鳴のような声を上げながら慌てふためいて走り出したのだった。

 

 




まだあと数話一章続きます。
前回の話で、60人強の方から10の評価を頂いて、ここまで貰えるとは思っていなかったので、とても驚いています。ありがとうございます。
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