【一章終了】【TS】近所のガキ達相手に師匠面して千年後、久しぶりに戻ったら色々荒れてた 作:御花木 麗
◇ Side ロラン ◇
「あ、貴方様を、ゼロの魔術師様だと知らず……今までの大変なご無礼、どうかお許しください!!」
椅子から立ち上がり、床に崩れ落ちたかと思うと、ガモンはこれでもかというほど額を地面に擦り付けて平伏した。
「……あー、いや、そんなことは別にしなくていいって。どうか頭を上げておくれ」
これじゃあ話しづらいったらありゃしない。
俺は顔を若干引きつらせながらも、ガモンに土下座をやめさせようとする。しかし、彼は体を丸めたまま、頑なに顔を上げようとしなかった。
俺は困り果てるしかない。
それにしても、どうしてこうなったのか。
事の起こりは数ヶ月前に遡る。ジースから、ガモンという男があのテロ事件の事情について何か知っている可能性がある、という話を聞いた。
だが、ガモンは口を割らず、ジースも教皇という立場上、大パトロンである彼に確たる証拠もなく強く出ることはできないとのことだった。
そこで、俺が動くことにしたのだ。
このテロの情報は知っておいて損はないし、何より、俺の可愛い弟子の命を危険に晒した連中を今後のためにも知っておくことは、必要だと思えた。
とはいえ、身元もはっきりしない俺がいきなり正面から直談判しに行ったところで、俺に会ってくれるとは到底思えなかった。
まぁ、そういう事で俺は、絶対に面と向かって話さないといけない状況を作り上げるため、思い切って夜の屋敷にこっそり忍び込み、直接問いただすことにした。
朝や昼間は使用人や来客の目が多くて忍び込みにくい。相手を逃がさず直談判できる状況を作るには夜を狙うしかなかった。当然褒められたやり方ではないが、そうでもしなければ話を聞き出せないと考えたのだ。
別荘の方はジースが、魔導防壁の再構築の話し合いの際に流れで教えてくれたので居場所はわかっていた。本宅は知らなかったので、ここ数日夜の間に別荘に張り付いて明かりが灯る日まで待ったのだ。
もし彼が何かを知っているなら、俺が崇められているという、知らない間に生えた『ゼロの魔術師』という異名を借りてでも口を割らせるつもりだった。流石に信仰対象である存在から直接問われれば、信者である彼も嘘はつけまい。
まぁ、しかしやろうとしていることが公になれば、宗教の面目が立たない。ジースも俺がこんな事をしようとしているなんて知ったら、心配して止めてくる可能性が高かった。
ということもあり、魔導防壁が再構築され、少し落ち着いたこのタイミングを見計らって、周りには打ち明けずこっそり実行した。
とはいえ、不本意な形で広まってしまったその異名を嬉々として使うのは、自分の矜持が許さなかった。できればその異名を使わずに情報を引き出せるに越したことはない。
だから、ちょっとしたホラーっぽい演出で部屋の照明の魔法を消したり、他にもそれを意識した仕草を心掛け、恐怖心を煽って平常心を奪い、それをキッカケにポロっと言ってくれないかと期待した。しかし、恐怖してはいるようだったが、彼はなかなか吐いてくれそうになかった。もしや本当に何も知らないのではないかという疑念まで芽生え、内心不安になっていた。
何も知らない一般人を巻き込んでこんな事をしていたらいくらなんでもよろしくない。
そんな押し問答をしているうちに、相手が車輪のついた椅子ごと、後ろへ勢いよく下がった。 そのまま背中から本棚に激突する。俺はどうやら彼を怖がらせすぎたらしい。
ガモン本人は恐怖で気づいていないようだったが、ぶつかった衝撃で、本棚の上段から分厚い本が数冊、彼に向かって落ちてきそうになっていた。
俺は咄嗟の判断で、自分自身の身体に身体補助魔法の一種をかけ、一時的に身体能力を爆発的に向上させる事にした。
これは持続的に使用するものではないが、一瞬だけの瞬発力を得るには十分だ。
目にも止まらぬ速さでガモンの横へと移動し、落ちてきた二冊の本を見事キャッチする。
そのまま本棚に戻そうとしたが、悲しいかな、俺の背丈では届かなかったため、渋々机の上に置いた。
この魔法は、身体に無理な動きを強いる直接的な魔法だ。そのため、脳への負担は少なくても、使用直後に身体の酷使に起因する、魔力切れのような強烈な気だるさが一気に襲ってくる。実際にはマナを使いすぎた結果ではないので、魔力切れとは勝手が違うのだけど。
それでも連発すれば体が持たないので、あまり好んで使う魔法ではないのだが、背に腹は代えられなかった。これを強靭な肉体の持ち主が使えば、まだ長く使えるのかもしれないけど。
ともあれ、その行動のおかげでガモンのすぐ横に立った俺は、彼が首元にプロパス教の証であるネックレスをつけていることに気がついた。
ホラー演出のために部屋の明かりを消していたため、近くに寄るまで有無が分からなかったのだ。
これをつけているということは、彼がジースの治めるプロパス教の信者であることはほぼ確定だ。俺はそのペンダントを背後からそっと摘み上げた。
最終手段以外で言葉を吐かせることは諦めかけていたため、俺は結局、椅子ごと彼をくるりとこちらへ回転させ、最終手段に移行した。自分からこんな真似をするのは小っ恥ずかしかったが、覚悟を決めてフードを脱ぎ、自分がゼロの魔術師だという事を示すことにした。
そうしたら、態度は一変してこの有様である。
「まぁ、分かったから……一回落ち着いて」
俺はどうにかガモンを宥め、椅子に座らせて深呼吸をさせる。しばらくして、ガモンは冷や汗をハンカチで拭いながら、ぽつりぽつりと今まで隠していた事を話し始めた。
◆
あのマチュの大量発生事件が起こる数週間前。ガモンが屋敷の書斎で一人寛いでいたタイミングで、ある人物が訪ねてきたという。
その人物は、今の俺のように目深にローブを被っており顔は窺えなかったが、引き締まった体格と低く地を這うような声から、男であることは十分に分かった。
素性の知れない不審な客だ。ガモンも警戒はしたが、話を聞いてみないことには、儲けにつながるかは分からないと思いひとまず中に招き入れた。
男は部屋に入ってもすぐには喋らず、やがて気怠げな、それでいて底知れぬ圧のこもった声で、第一声をこう発した。
「……スルジアという男の居場所を、知らねぇか」
スルジア。ガモンがお抱えとして雇っていた魔術師だ。
だが、その時スルジアは数日前から無断欠勤を続けており、ガモン自身も彼の行方を知らなかった。それに、初めにそのような事を聞いてくる人物との話が、到底商談に繋がることはないだろうと即座に判断した。
得体の知れない人間を屋敷から追い出すため、ガモンはわざと相手を不快にさせるような尊大な態度で鼻を鳴らした。
「知るか! あんな急に仕事へ来なくなった奴の事など、ワシが知ったことではないわ! 分かったか。そういうことだからもう帰れ」
冷たく切り捨てたガモンに対し、男は何か感情を表に出すかと思ったが、そんなことはなく、ただ淡々とした声で返してきた。
「まぁ、いい。お前はスルジアの雇い主だったというし、ここでは大商人として名が通っている。情報を仕入れやすい立場だろう?
もしアイツの情報を掴んだら教えろ。……俺は、地道な情報の収集は得意じゃねぇんでな」
「誰がそんなことをするか! ワシになんのメリットがあると言うのだ!」
そう言うと、男はのそりと顔だけを動かし、ガモンを注視した。ローブの奥、深淵のように黒い瞳が、ガモンを射抜く。
その眼光に対して一瞬、背筋に冷たいものが走ったが、男はまるで何事もなかったかのように続けた。
「……まぁ、確かになぁ。そうだな」
少し考え込むような仕草をした後、男は思いついたように口を開いた。まさか相手が素直に自分の主張を聞き入れるとは思っていなかったガモンは、少々拍子抜けした。
「じゃあ、情報を提供してくれんなら……何か一つお前が望むことに対して力になってやる。なんでもだ、そこに善悪は問わねぇ。今の俺には、それをしてやれる」
その時、ただでさえ光を映さず暗かったその瞳がさらに暗さを増したような気がした。それはまるで深淵を彷彿とさせるものだった。
ガモンはうっすらと、この状態に当てはまる言葉があるとするのなら、それは悪魔との取引なのではないかと感じた。
それから数日が経った、あのテロ事件の当日。
男が残した「望むことに対して力になってやる」という言葉を完全に信じたわけではなかったが、雇い主としてスルジアの動向を把握しておくのも悪くないと考え、ガモンは自身の情報網を使って密かにスルジアについて探らせていた。
そんな中、ガモンは教皇宮殿を訪れ、新しく建てた別荘を魔導防壁の安全圏に含めるよう、何度目かの要求を行っていた。
しかし、その日はいつもと違い、教皇であるジースに冷たくあしらわれただけでなく、普段は温厚な筆頭枢機卿のベルフェツテにまで怒鳴られ、激しく窘められたのだ。
大パトロンである自分へのその扱いに、ガモンは腸が煮えくり返るほどの憤怒を抱え、屋敷へと戻った。
苛立ちが収まらない中、再びあのローブの男が来訪したという知らせが入る。
男は屋敷に入ってきて早々本題を口にした。
「……何か、情報は手に入ったか」
この時のガモンの胸中は、複雑に揺れ動いていた。
仮にも自分は、教会の運営を支える大パトロンだ。いくら腹が立っているとはいえ、一時的なこの感情を晴らす為、このような得体の知れない男を頼るなど……。
だが、その僅かな呵責は、今朝味わった教皇たちへの強烈な怒りと屈辱感へとすぐに上書きされてしまう。
それに加えて、男が残した「望むことに対して力になってやる」という言葉が、呪いのようにガモンの理性を絡め取っていく。
魔が差した、としか言いようがなかった。 鬱憤を晴らしたいというどす黒い感情が先行し、ガモンはスルジア周りの調べた情報をすべて男に吐き出してしまった。
スルジアは、プロパス教の過激派グループと裏で繋がり、神聖な教義を汚す背徳的な絵画を販売していたり、他にも色々やっていたらしいこと。
それが教会側に危険視され雲隠れしていたものの、つい最近、異端審問局に捕らえられたこと。
そして、過激派集団は、仲間が捕まれば必ず助け出すという誓いを立てているらしいこと。彼らの多くは行き過ぎた信仰にのみ関心があり、仲間意識は希薄だったが、集団の体裁を保つための取り決めとしてそうした誓いがあるのだという。そのため、今回もスルジア奪還のために動き出す可能性が高いこと。
ガモンは、尋ねられた以上の詳細な情報まで、まるで何かに取り憑かれたようにペラペラと喋ってしまった。
男はガモンの話を最後まで無言で聞き終えると、しばらく顔を伏せて考え込み、何かブツブツと小さく言っていたかと思うと、やがてゆっくりと顔を上げた。
「なるほど。そんなとこに捕まってたのか……。それ以前の雲隠れも、ここの土地勘がない俺に探せるわけもねぇか。……助かった」
そう言い残し、男は背を向けて部屋を去ろうとした。 その背中を見て、ガモンはハッとした。情報だけ持っていかれて、こちらの見返りはないのかと。
冷や汗を流しながら、「お、おい!」と思わず男を呼び止める。
「……あ?」
男が振り返る。 ドスの効いた、地の底から響くような声。一瞬にして放たれた濃密な殺気に、ガモンの心臓は早鐘を打ち、全身の毛穴が総毛立った。
だが、男はすぐに殺気を引っ込め、「あぁ」と思い出したように態度を和らげた。
「そういえば、望みがあればそれに対して、力になってやるとかなんとか言ったっけな。いいだろう。その件、ちゃんと引き受けてやんよ。今日は機嫌がいい。……もっとも、金持ちのじいさんだ。そもそも望みなんて俺なんかに頼らずとも容易く手に入れられると思ってたがな」
「わ、ワシは……」
いざとなると言葉に詰まるガモン。それに焦れたのか、男が苛立たしげに小さくため息を吐いた。 ガモンは相手の気が変わるのではないかと焦燥を覚え、口早に答えた。
「……あのむかつくあいつら……プロパス教の教皇をはじめとした、上の連中に、恥をかかせんと気がすまん……!!」
男は一瞬、呆気に取られたように目を丸くした。
その反応を見て、ガモンは我に返り、さすがにとんでもない事を口に出してしまったと激しく後悔した。
望みの内容に善悪は問わないと言われたとはいえ、ただの情報提供の対価として要求するには、あまりにもリスクと釣り合っていない。
相手は一つの魔法を極めた『七魔星』の一人であり、世界最大規模の宗教を束ねる教皇なのだ。そんな生ける伝説に喧嘩を売るなど、失敗した時の報いを考えただけで背筋が凍る。仮に教皇本人が慈悲を見せたとしても、世界中にいる信者たちが決して許しはしないだろう。
大金をどれだけ積んだところで、そんな依頼をまともに受け入れる命知らずがこの世にいるはずがない。ましてや今回は金すら払っていないのだ。自分の提供した情報にどれほどの価値があるのかは分からないが、割に合わないにも程がある。
不気味なこの男を呆れさせたか、最悪の場合、怒らせてしまったかもしれない。ガモンが慌てて今の発言を撤回しようと口を開きかけた、まさにその時だった。
「――っ、くははははっ!」
突如として、男が腹を抱え、思わず吹き出したような哄笑を部屋に響かせたのだ。
自ら撤回しようとしていたとはいえ、笑われるのは本意ではない。ガモンは思わず顔を顰めた。だが、その時に抱いた不快感は、男の次の一言によって一瞬にして消失することになる。
「なんだ、そんな事でいいのか? まるで千の敵兵がいる死地にたった一人で乗り込むような悲壮な顔をしてたから、どんな大層な願いかと思ったが。要は、プロパス教の評価が下がるような事をすればいいってことだよな」
男は可笑しくてたまらないといった様子で肩を揺らし、言い放った。
「それだったらちょうどいい。今日、スルジアの元へ行くつもりだが……ついでに、その過激派のスルジアの仲間とやらも巻き込んで、派手にやってやんよ。俺の本来のタスクのついでみたいなもんだし、快く受けてやる」
男は、まるで今日の食事はどうしようかというような軽薄な口調で、約束した。
「もう数時間……遅くとも二十四時間以内には、結果が出てると思うぞ」
男はそう言い残し、屋敷を去っていった。
一人取り残された静かな部屋で、ガモンは自分がとんでもない引き金を引いてしまったことの重大さに気づき、唖然とした。
◆
「……というわけなのです」
とガモンは絞り出すような声で、そう言って話を締めくくった。 俺は黙ってその話を聞きながら、頭の中で情報を整理していた。
今の話を聞く限り、そのローブの男の口ぶりは、どう考えても過激派グループの一味のそれではない。仲間であれば「過激派のスルジアの仲間とやら」などと、聞き馴染みのない言葉を口にするような言い方はしないはずだ。
ということは、その男は過激派とは全く別の思惑で、個人的にスルジアに会おうとしていた……?
スルジアを探していた真の目的は何だったのだ? 疑問は尽きないが、少なくともテロの全容と主犯格の輪郭は少しだけ見えてきた。
「ワシのせいでこのような事が起こってしまった。スルジアもワシが情報提供しなければ脱獄することはなかったかもしれない……ワシは……いったいどう償えばよろしいのでしょうか……ゼロの魔術師様……」
ガモンは脂汗を額に滲ませながら、後悔に打ちひしがれていた。 俺は彼を擁護する気はさらさらない。だが、客観的な事実として、あり得る可能性を口にした。
「そうとは限らないさ。だって、その男はスルジアを探していたんだろう?
君から情報を引き出さずとも、もう少し時間はかかっていただろうが、いずれは別の方法で見つけ出していた可能性もあったし、過激派グループの動向についても同じことが言える。……まぁ、これほど酷い有様にはならなかった可能性は確かにあるがね」
「ぐぅ……」
ガモンは呻き声を上げ、さらに深くうなだれた。
「償いに関してだけどね。私はこっちに帰ってきたばかりで、この都市がどういう法で動いているかは詳しくない。君自身が実行をしたわけではないが、少なくともテロの実行犯とおぼしき人物に情報提供をしている。自分の立場が危うくなるため、今まで黙っていたのだろうから、ここでも決して褒められたことではない事というのは確かだろう。だけど、私は今、秘密裏に動いている。君の襟首を掴んでジースの元へ引っ張り出すようなことはできそうにない」
俺は静かに言い含める。
「だから無理強いはしないよ。でも、もし君が少しでも罪悪感を抱き、悔い改めたいと思っているのなら……私に今話したことのすべてを、この都市の然るべき所に出向いて自ら話すことをお勧めするさ」
「……」
「君のやったことは、確かに感心できるものじゃない。でも、その男の行動が都市全体を巻き込むほどのテロに発展するとは、君も予想できていなかったんだろう?
私はね、君に思うところがないといったら嘘になるが、それよりも私の大事な弟子を危険に晒した実行犯の方に更なる憤りがある。それに実行に移すために少なくとも数名の命が奪われた。それもやるせない。……今の話から人物の特定まではいかなそうだけど、情報が手に入ったことには変わりない。私はそろそろいとまするよ」
俺はそう言って切り上げようとした。そうすると彼は再び地面に這いつくばり、土下座するような格好になった。そこには大商人としての威厳など見る影もなく、実年齢以上に老け込んだように見えた。
ガモンが慌てたように声を上げる。
「お、お待ちください! もう一つ、お伝えせねばならない事があります!」
「ん? なんだい?」
「あの男が立ち去る時、ローブの隙間から一瞬だけ腕が覗いた時があったのです……その時に……」
「その時に?」
「はい、今、巷で噂になっている盗賊団の印……二つの剣が交わったような『ばつ印』の刺青が見えた気がするのです。ほんの一瞬のことでしたから、ワシの見間違いかもしれませんが……一つの可能性として、お耳に入れておきたく」
◇
「んんっ……」
眩しい。 窓から朝の日差しが容赦なく俺に注ぎ込まれていた。 チュンチュンと小鳥のさえずりが耳をくすぐる。
昨夜、ガモンの別荘に忍び込んで情報を聞き出した後、俺が教皇宮殿の客室にこっそり戻り、ベッドに倒れ込んだのは日が昇り始める頃だった。
その時、ちゃんとカーテンは閉めたはずなのに……。
目がしばしばする。俺は重い瞼をこすりながら、再び布団に潜り込んで全身を丸め、山を作った。 すると、すぐそばから声が降ってきた。
「あっ! ボクがせっかく陽の光を浴びさせてお師匠を起こすためにカーテンを開けたというのに、閉めないでください!」
「寝不足なんだ……私をもう少し寝かせておくれよ……」
「何言ってるんですか。あなたを寝かせるわけにはいかないんですよ!」
バサァッ! 容赦なく布団が引っぺがされた。
「なにするのさ! 酷い! その布団が私の生命維持装置なのだよ!」
俺は寒さと眩しさで抗議の声を上げる。
「何言ってるんですか……今日は、お師匠とボクが旅立つ日じゃないですか。ベルフェツテやサリエステ、他にも教皇宮殿の中であの事件の時にお師匠のご活躍を見ていた人達が、裏口の方でお見送りをしてくださろうと集まってくれているんです。あまり待たせてはいけません。さあ、行きますよ!」
そうか、そうだった。
まだ半分眠っている頭で考える。あらゆる想定の穴を塞ぎ、敵に隙を与えない新たな強固な魔導防壁がようやく完成した。そして今日こそが、俺が他の昔馴染みの弟子たちに会いに行くべく、このミザリエを旅立つ日だったのだ。
……仕方ない。
あまり寝ていないが、人を待たせるのは良くないと思い直す。俺はしぶしぶベッドから這い出し、ぼーっとする頭のまま、昨夜のうちに用意しておいた服に着替え始める。
……ん? 着替えの手が、ふと止まった。
先ほどのジースの言葉が脳内でリフレインする。
『今日はお師匠とボクが旅立つ日じゃないですか』
「……気のせいかな。今さっき、お師匠と『ボク』って言ったかい? 旅立つのって私だけのはずじゃ……」
俺が振り返ると、ジースは真顔で小首を傾げた。
「あれ、言ってませんでしたっけ? ボクも、お師匠の旅にお供させていただくって」
その発言に、俺の眠気は一発で吹き飛んだ。
「いやいやいや、聞いてない! というか、君には教皇としての重大な仕事があるだろうに! 私と旅している暇なんてどこにも……!」
「それについては、あのテロ事件が解決して割と早い段階で、主にベルフェツテと話し合って段取りを決めていました」
ジースは得意げに胸を張る。
「ボクはこれから、空気の澄んだ森の中に小屋を建てて、一連の事件の心労から長期間療養するという名目で表舞台から下がるということになっています。そして、その間の教皇の代理をベルフェツテに一任するんです。そのまま長い時間をかけてボクは目立たずにこっそりフェードアウトし、気づいた時には完全にベルフェツテが実権を握り、この宗教をエルフが仕切っていた時代は幕を閉じる……そういう寸法です。だから今日見送りに来てくれる人達以外は、今話した表向きの理由が真実ではなく、本当はボクもこのようにして一緒にあなたと旅立とうとしていることなんて知らないというわけです」
俺はあまりのことに言葉を失い、口をポカンと開けるしかなかった。 俺、そんな話聞いてない。
俺が唖然としていると、ジースの表情が急に不安げに曇る。 眉を八の字に下げ、潤んだ上目遣いで俺を見つめてきた。
「ボクが……お師匠についていくこと、嫌だったでしょうか……?」
俺は慌ててそのことについて否定する。
「……いや、いや。私は、ジースがお供してくれること、とても嬉しいけど……あまりにもびっくりしすぎてね……うん」
「嬉しいって、そう言ってくれるんですね……!」
「それはもちろんだよ。嬉しくないわけがない」
「それなら……!」
ジースはパッと花が咲いたような笑顔になり、俺に向かってスッと右手を差し伸べてきた。
だがその時、不安で潤んでいた瞳のせいで、目を細めて顔を綻ばせた拍子にポロリと一滴の涙がこぼれ落ちる。
その結果、泣き笑いのような表情になり、俺を見つめた。
俺はふと、マチュを殲滅したあの夜の出来事を思い出す。あの時、風の魔法の共同作業を提案され、俺が手を取るのをためらっていたから、彼女の方から強引に手を握ってくれたのだった。
なら、今回は俺から応えなければ師匠としての名折れだ。
「まぁ、君が来てくれるのなら、詳しい話はその時にでもゆっくり聞くさ。旅は長いんだ。いくらでも話せるよ。……よろしく、ジース」
俺は微笑みながら、彼女の差し出した手をしっかりと自分の意思で握り返した。 ジースは涙を拭うのも忘れて、これ以上ないほど顔をいっぱいに綻ばせた。
「あなたと旅ができるなんて、夢のようです。この千年間、そんなことがあなたと出来たらなんて、どれほど思ったことか……。よろしくお願いします……! お師匠!!」
窓から差し込む清々しい朝の日差しが、これから始まる俺たちの新たな旅立ちを祝福するように、暖かく包み込んでいた。
◇
ベルフェツテなどの後押しもあり決めたこの決断。
ジースはロランの手を強く握りしめ、心の中である事を誓う。
もう二度と、あんな深い深い喪失感に囚われるのは御免だと。
次からはそうならないように、ボクはずっとあなたの近くであなたを追い続ける。
一同じ過ちを犯さないように、次は、絶対に放さないから。
これにて一章終了になります。
この小説は息抜きで、ハーメルンの自主企画に参加するために書いた小説でした。
ですが予想以上の反響をいただけることになり、作者としてはビックリです。
ありがたいことに皆様の応援のお陰でこの作品は、書籍化する運びになりました。
今後情報が解禁になり次第、主にXで、他は近況ノートやあとがきで、随時お知らせできたらなと思っております。
今後の方針としては、ある程度話数をためてから心に余裕を持って公開したいと考えてるのですが、ストックが尽きてしまったので、数ヶ月の充電期間に入ろうと思っています。充電期間を得て2章開始です。
更新のための進捗具合も主にXでお伝えできたらなと思っています。
再開した時にはまた読んでくださると嬉しいです。
出来ればこの小説をいろんな方におすすめしてくれると尚更嬉しい!
その間、本当にスローペースですが、幕間の番外編のお話も書きたいなんて。
では、またお会いしましょう。