【TS】近所のガキ達相手に師匠面して千年後、久しぶりに戻ったら色々荒れてた 作:御花木 麗
【11189日目】
今日は――
◇
羽ペンの先をインク瓶の縁で軽く叩き、余分なインクを落とす。
羊皮紙に向かうものの、そこから先が続かない。
薄暗い小屋の中、頼りない蝋燭の火が揺らめいている。壁の隙間からは、虫たちの涼やかな鳴き声と共に、遠くから微かに祭囃子のような賑やかな音が漏れ聞こえてきていた。
やはり、頭がうまく回らない。
文字がミミズのようにのたうち回って見えるのは、久しぶりに酒を飲んだせいだ。
今日は『神の祝福』の日。
エルフの里どころか、世界規模で千年に一度だけ訪れるとされる奇跡の日だ。
この日がそう呼ばれるのには理由がある。空にオーロラのような極彩色の光の帯が揺らめき、月が一際大きく膨張して見える幻想的な絶景が見れる。
神話によれば、神が地上に最も近づく日とされ、世界中のあらゆる場所でこの幻想的な光景が見られるという。
そしてこの『神の祝福』の日はエルフの里全体で、祝祭を行うという。
普段は落ち着いているエルフたちも、千年に一度の祝祭とあっては無礼講だ。広場に集まり、秘蔵の果実酒を開け、朝から晩まで歌い踊っている。
そんなハレの日だからと、普段は俺を変わり者としてあまり関わってこない周りの大人たち――見た目は若いが中身は千年越えの高齢者連中に捕まり、酒をたんまりと飲まされた。
前世も含めて俺は酒に強くない。下戸だ。
だが、弟子たちの手前、師匠が顔を真っ赤にして千鳥足なんていう無様な姿を見せるわけにはいかないので、必死で澄まし顔を作り、なんとかその場をやり過ごしてきた。
まあ、酒をたんまり飲まされたのはアレだったが、弟子たちがそれぞれ楽しそうに各々祭りを楽しんでいる姿を見られただけで、お祭りに出席したかいはあったと思う。
そんな俺は酔い潰れる前に、毎日欠かさず書いているこの日記と、もう一つ――今日中に試したかったことを済ませるために、こっそりここへ戻ってきたわけだが……。
このザマだ。筆が全く進まない。
ぼんやりと部屋をぐるっと見渡す。
あちこちに弟子達の荷物や、書き損じのメモが散乱している。
最初この部屋で一人で研究を始めた時には広く感じたものだったが、俺と七人の弟子が入り浸るようになってからは、広く感じることはなくなり逆に窮屈に感じることが多くなった。
――でもその窮屈さは嫌いじゃない。
ギィ、と背後のドアが軋む音がした。
振り返ると、月光を浴びて逆光する一人の影が立っていた。
「お師匠……」
そう言ってその逆光の中に佇んでいたのは、ジースだった。
スラリとした体躯、ボーイッシュで中性的な顔立ちをした女の子だ。
あれから時が経ち中学生くらいの身長や外見になっている。
「なんだ、ジースか。どうした、そんな涙目になって」
俺は苦笑交じりに声をかける。
彼女の大きな瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっていた。
この子は昔からそうだ。感情がすぐに表に出る。一番最初に会った時、俺が魔法を見せるのを渋ったせいで大泣きしたのも彼女だ。
「だって……だってお師匠、お祭りの最中にいなくなっちゃうから」
ジースは入り口でモジモジと指を絡ませながら、絞り出すように言った。
「なんか、このまま永遠に会えなくなるような気がして……怖くなったんです」
「なんなのさ、それ。私はこの里以外に行くあてなんてないよ」
俺は椅子から立ち上がり、彼女に近づく。
目元に溜まった雫を指先で拭ってやり、その頭をポンポンと撫でた。
「本当ですか……? 本当の本当に、いなくなりませんか?」
俺の目を、潤んだ瞳が真っ直ぐに射抜く。
あぁ、本当に。
酔いが心地よく回った頭で、俺は思う。
こんな純粋な瞳を向けられたら、俺は――。
「……君には嘘をつけないね」
俺はわざとらしく肩をすくめ、芝居がかった声を作った。
酔っ払いの悪ふざけだ。ちょっとからかって、この湿っぽい空気を吹き飛ばしてやろう。
「実を言うとね、いずれ来るであろう『世界的な大厄災』を少しでも遅らせるため、可能ならそれを阻止するために私は出かけようと思っていたのさ。この世界のためにね……!」
もちろん、真っ赤な嘘だ。そんな厄災の予兆なんて欠片もない(というかあったとしても俺が知る由がない)。俺はただの引きこもりエルフなのだから。
前世の漫画で見たような、厨二病全開のセリフ。
ジースが息を呑む音が聞こえた。
数秒の沈黙。
そして――。
「ふふっ……あはははっ!」
ジースが吹き出した。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、彼女は腹を抱えて笑い出したのだ。
「もう、お師匠ったら! そんな嘘、子供だって騙されませんよ!」
「お、バレたかい、私の演技力もまだまだだね」
「ええ、大根役者です」
「ぐっ……結構言ってくれるじゃないか」
「……でも……ボク、安心しました」
ジースは目尻の涙を拭うと、先ほどまでの不安げな表情を一掃し、晴れやかな笑顔を見せた。
「ほら、わかったら先にお祭りに戻りな。私も用事済ませたら戻るからさ」
「……はい! 待ってますからね、お師匠!……今、ジャミルお兄ちゃんとミーシアお姉ちゃんが逆立ちした状態で熱々のスープをどちらが早く飲み干せるか競争してて、周りの大人達がどっちが勝つか賭け事してるんですから、早く来ないと見れませんよ!」
なにそれ見たい。何やってんだ俺の弟子達は。
そしてそれで何、賭け事してるんだ、周りの大人達は。
そう言い残すと彼女は、軽い足取りで夜の闇へと駆けていった。
さてと……。
静寂が戻った小屋で、俺は一つ息を吐く。
日記はもういい。明日に、今日の分と明日の分をまとめて書こう。
それよりも、もう一つの『したいこと』をささっと試しておくとしよう。早く戻らないと、またジースに心配をかけてしまう。
試したいこと――それは、今までやりたくても出来なかった、ずっと温めていたある魔法の実践だ。それは……。
――転移魔法。
空間の座標と座標をマナで強制的に接続し、その間にある距離をゼロにする魔法。
理論は完成していた。マナに送る信号の組み立ても完璧なはずだ。
だが、今まで一度も実行に移せたことはない。
なぜなら、この魔法を実行するには、空間そのものに満ちている大気中のマナが膨大に必要だからだ。普段のマナ濃度では、実行ができないのだ。
だが、今日は違う。
皆んなはこの日、神秘的な現象が起こる理由を神話的な何かだと思っているが、俺はこの『神の祝福』の原因を、異常なまでのマナの増加にあると睨んでいた。
先ほど分かった事だが、何故かこの日に限って空気中を漂うマナが異常なほど増えているのだ。
空に浮かぶオーロラも、巨大な月も、飽和状態になったマナが引き起こしている光学的な現象なのだろう。
何故こんなにマナの増加が千年に一度だけ起こるかは今の俺には分からない。
今の、この濃密なマナに満ちた大気の中なら……俺の理論を実行できる。
千年に一度しかチャンスがないとしても、出来る時に試したいのが魔法のロマンを追い求める俺という生き物だ。
それに、酒の酔いからくる謎の全能感もそれを後押ししていた。
転移する場所はどうするか。
いきなり遠くへ飛ぶのはリスクが高い。まずは、この小屋の中から、小屋の外へ転移してみよう。
壁一枚を隔てた数メートル先への移動。それなら失敗しても大事には至らないはずだ。
「よし……やるか」
俺は部屋の中央に立ち、集中力を高めて目を閉じる。
自分の理論通りに組み立てた複雑な信号を、周囲の溢れんばかりのマナに同調させるように意識する。
小屋の中の空気が震え、積み上げられた本やドライフラワーがカタカタと揺れ始めた。
今いる座標と転移したい座標から逆算した信号を送るのには成功した。
あとは俺が転移をするだけ。
いける。
今のマナ濃度なら、俺の理論は机上の空論で終わらない。
そう確信して練り上げた信号をマナに送り込もうとしたその時だった。
視界の端。
歪み始めた空間の向こう側に、ぼんやりと黒い人影が立っているのが見えた。
「……ん?」
ジースか? いや今あっちに行ったばかりじゃないか。
忘れ物でもしたとか?
俺はゴシゴシと、乱暴に目を擦った。
……誰もいない。
そこにあるのは、見慣れた古ぼけたドアだけだ。
「なんだ、気のせいか……」
いよいよ酒が回って幻覚まで見え始めたらしい。
俺は気を取り直し、再び信号を練り上げマナに送り込んだ。
「いってくれ!!」
俺がそう叫んだ瞬間。
バシュッ、と。
前世で聞いたカメラのシャッターを切るような乾いた音が響いた。
――そして次の瞬間、俺の姿は小屋から忽然と消え失せた。
◇
目を覚ました時、酷い目眩と吐き気に襲われた。
三半規管が裏返ったような気持ち悪さに、俺は地面に手をついてえずく。
「うぇぇぇ……酒のせい?……それとも別に原因がぁ?」
涙目のまま顔を上げ、周囲を見渡す。
予定では、小屋のすぐ外に出ているはずだった。
だが、そこに小屋は見当たらなかった。
意識が覚醒するにつれて、俺の思考は困惑や恐怖で塗りつぶされていった。
……ここは、どこだ?
いや、どこという次元の話ではない。
目の前に広がる光景は、崩壊や歪みといった言葉がお似合いの異常な空間だった。
まるで神様がこの場所を作る途中で放棄したような、あるいは計算式を間違えたまま出力してしまったような、狂った空間。
「な、なんなのさ、これ……」
大地は滑らかな曲線を描くことなく、鋭利な刃物で抉り取られたように断絶し、その断面からは土ではなく、無機質な灰色の岩肌が幾何学模様のように剥き出しになっている。
視線を上げれば、空中に巨大な土の塊が浮遊している。重力という概念が欠落したその浮島には、木々が逆さまに生え、根を空へと伸ばしていた。
ある場所では滝の水が下から上へと逆流していたり、あるいは空中で直角に折れ曲がって流れていたりと、物理法則が完全に狂っている。
そのようなおかしな光景が、地平の果てまで続いているようだった。
バグ。
俺の頭に浮かんだのは、その単語だった。
前世でゲームの不具合やエラーなどで見たそれが、現実の解像度で目の前に広がっている。
俺は焦る気持ちをどうにか抑え込む。
「おーい!! 誰か!! 誰かーッ!!」
腹の底から声を張り上げて叫ぶ。
だが、返ってくるのは虚しい反響音だけ。
「戻らなきゃ……!」
そうだ、転移魔法でこんなおかしな場所に来たのなら、転移魔法で戻ればいい。
座標の計算さえやり直せば、元の小屋に戻れるはずだ。
だが――。
「……発動、しない?」
信号は練り上げ、理論も間違っていない……はずだ。
けれど、魔法が発動しない。
理由は明白だった。
マナが足りないのだ。
この空間には転移魔法をするための大気中のマナが、十分に満たせていないのだ。あの時感じたような、皮膚がピリピリするほどの濃密なマナがここにはない。
俺は青ざめながら、何度も、何度も信号を送ろうと試みた。
だが、そのたびに魔法は不発に終わる。乾いた音すらせず、ただ虚空にマナが霧散していくだけだ。
「嘘だろ……なんでだよッ!!」
俺はふらつく足取りで、しばらくこの狂った空間を歩き回ってみた。
どこまで行ってもバグった様な光景が続いている。出口などない。無限に続く狂気の空間。
人工的な建造物はおろか、命ある生き物が俺以外存在していないようだった。
俺は絶望にうちひしがれていると、もう少し早く気付いても良かったある事に気がつく。
それはこの空間の空はエルフの里で見たような、神の祝福の日だけ見られるマナが引き起こす幻想的な空模様がないという事だ。
そこで考えられる可能性は主に二つ。
一つは、ここがそもそも神の祝福の日だとかが無縁な場所でマナが増えていない可能性。
正直考えうる中で一番最悪な可能性だ。
マナがどれだけ経っても増えないなら転移魔法を実行できる日が訪れないということになるから。
そしてもう一つ。
希望を見出すならこっちの可能性だ。
この世界自体は俺がいたところと同じ世界であるという前提で考えた場合――俺が転移の衝撃で意識を失っている間に、『神の祝福』の日が終わってしまったということ。
あの溢れんばかりのマナの奔流は、たった一日だけの奇跡。
それが過ぎ去れば、世界はまた通常のマナ濃度に戻る。つまり、転移魔法など到底使えない通常の濃度に。
小さな灯りの魔法を使ってみると、弱々しいながらも光が灯る。
どっちの可能性にせよ、マナがあるのは不幸中の幸いかもしれない。
魔法を上手く扱えば、この場所で生き延びることはできるだろう。
だが、転移魔法を行使するための膨大なマナだけがない。
俺は震える手で顔を覆った。
もし、この空間が俺の元いた世界と概念を共有しているのなら。
次に大気中のマナが転移魔法を使えるほどに満ちる神の祝福の日は――。
「……千年後」
俺は拳を強く強く握りしめる。
希望のある可能性にかけたとしても、千年はここで過ごすことになるのだ。
――俺は覚悟を決めざるをえなかった。
「――なんとしてでも、生き残って絶対に、……絶対に帰還してやるからなぁッ!」