【TS】近所のガキ達相手に師匠面して千年後、久しぶりに戻ったら色々荒れてた 作:御花木 麗
土砂にまみれた体を払いながら、俺はあの場を後にする。
そしてある程度進んだところで、改めて周囲を見渡した。
一面、鬱蒼とした緑。
木々は天を隠すほどに枝葉を広げ、地面は膝丈まである下草に覆われている。
かつてここにあったはずのエルフの里の面影は、どこにもない。
住居の土台も、踏み固められた小道も、すべてが時間という巨大な力に飲み込まれ、痕跡すら残っていなかった。
ごくり、と息を呑む。
千年の時が流れたのだ。
この可能性も視野に入れていた。
頭では理解していたつもりだった。だが、実際にこの目で突きつけられると、胸に来るものがある。
「もう……里はないのか」
ポツリと漏れた言葉は、空気にすぐ溶けた。
あの神の祝福の日、俺は確かにここにいた。
滅多に交流することのない里のエルフたちと酒を飲み交わし、笑い合った。
あの日生きていた人たちがいた痕跡は、もうここには何一つ残っていない。
ふと、恐ろしい考えが頭をよぎる。
もしかして、エルフの里で暮らしていた記憶は俺の妄想だったんじゃないか?と。
千年の孤独が作り出した、都合のいい夢だったんじゃないかと。
それを否定する証明は、もうここには――。
「……いや、待てよ」
俺はある記憶を手繰り寄せる。
ほとんどのものが千年経て残っている方が希少だが、石や岩はどうだろう。
俺は草木をかき分け、記憶の中の、広場だったであろう場所を歩き回った。
確か、隅っこだ。俺が宴会の喧騒から少し離れて座っていた場所。
しばらくして、俺は一つの苔むした岩を見つけた。
大人が二人並んで座れるほどの大きさの岩。
「……この形、間違いない」
俺は逸る気持ちを抑えながら、岩の表面を覆う苔を、乱暴に剥がし取った。
現れた岩肌。そこに入念に目を凝らす。
そして、見つけた。
「……あった」
岩の表面に、鋭利なもので削られた線。
線と線を交差させて描かれた星のマークが、二列になって幾つか並んでいる。
その歪な星形を指でなぞる。
そうすると、千年前の記憶が鮮明に蘇ってきた。
◆
あの日――神の祝福の日。
俺は祭りの熱気に馴染めず、広場の端にあるこの岩を背もたれにして、ちびちびと果実酒を舐めていた。
里のみんなは、俺のことを変な事をしている変わり者と認識している。別にそれであからさまな差別やいじめを受けることはないが……それでも普段、里に顔を出すこともない分、居心地が悪いのは確かだった。それは俺自身の行いのせいだし、自業自得といえば自業自得だろう。
だが、やはりどう接していいのか分からない独特の気まずさがそこにはあった。
すると、どっかりと誰かが隣に腰を下ろした。
見上げれば、巨大なジョッキを持った、ゴツいエルフの爺さんがいた。爺さんと言っても、エルフは老けないので見た目は若々しいデカい男だ。
この里の長老であり、おさでもある。
この人は普段のんびりした人が多い里のエルフ達に比べて異質さが際立つ。筋肉質で豪快。
そんな、エルフらしからぬ豪傑だった。
「お前さんとすれ違うことはあっても、面と向かって話すのは、久々じゃな。何年ぶりかのう」
酒臭い息を吐きながら長老が問うてくる。
俺は「いつですかね……」と曖昧な笑みで返すしかなかった。
「ワシはな、お前のことが心配だったんじゃよ。ずっと森の奥に引きこもってばっかりだったからの」
俺は相槌の打ちようもなく、ただジョッキを見つめる。
「……でもな」
長老の声色が、少しだけ柔らかくなった。
「最近は楽しそうだな」
その言葉で再び長老を見やる。
「私が……ですか?」
「ああ、イキイキしておる。特にあの子らとつるむようになってからな。君の母さんから聞いたぞ、子供達にかまって遊んであげてるって」
長老の視線の先には、広場の中心で料理を囲んで楽しそうに騒いでいる七人の弟子たちがいた。
その姿を見て、俺の頬が自然と緩むのを止められなかった。
「……遊んでもらってるのは、私の方ですよ」
俺がそう呟くと、しばらくの沈黙が降りた。
やがて、長老はニヤリと悪戯小僧のような笑みを浮かべた。
「そうか……。そんじゃあ、今から飲みゲーな」
「……はい? 今の話からどうやったらそうなります?」
「嬢ちゃんよ、人生の先輩からアドバイスだ。『細かいことを気にしない』ってな」
長老は懐からナイフを取り出すと、背もたれにしていた岩をコンコンと叩いた。
「5回負けるたびに酒を飲む。そうだな、記録はこの岩でいいか。1回負けるごとに1本線を削って書き加えていく感じでな」
この里では、五の倍数を数える時、線を交差させて星を描く風習がある。前世でいう「正」の字みたいなものだ。
それにしても、大学生の飲み会かよ。
俺は呆れながらも、それに付き合うことにした。
俺と長老が飲みゲーをすると知って他の大人達も寄ってきたのは、また別の話だ。
◆
指先に触れる、風化した傷跡。
千年経っても里があった証として残り続けていたのが、まさか飲みゲーの勝敗記録だとは。
俺はふっと笑い声を漏らした。
でも、それがなんだか、俺が暮らしたあの里らしくて好きだ。
千年前、確かに俺はエルフの里で、暮らしていたという証拠。
それにしてもあの長老、最近と言っていたが、あの時には既に、弟子たちとはもうかれこれ三十年くらいの付き合いになっていたと思う。『俺より遥かに長く生きているこの里のおさなだけあって、時間感覚が違いすぎるな。俺もエルフの端くれだというのに、前世の感覚が抜けていないのかもしれないな』と当時思ったものである。
耳を澄ませば、風の音に混じって、あの夜の賑やかな祭囃子や、弟子たちの笑い声が聞こえてくるような気がして、俺は髪をかき上げ、エルフ特有の長い耳を外気に晒して、しばらく耳を傾けた。
◇
感傷に浸るのはこれくらいにしておこうか。
俺はこの森を出ることにした。
里が無くなっている以上、ここに留まる理由もない。里は別の場所に移したのかなんなのかは知らないが、とりあえず里のエルフ達、なにより弟子達にも会いたい。そうなればここに居ないというなら別の所を探すしかない。
俺は今世に転生してから、一度もこの森を出たことがない。
俺自体が引きこもりだったのもあるし、エルフの里のエルフ自体が滅多に森から出ることがなかったのも一つの要因としてあるだろう。
エルフが人間と積極的に関わろうとしなかった結果、エルフだけ集まって森の中でひっそりと暮らすという選択を祖先がとったというし。
過去に人間とエルフの間に何かあったのかもしれないが、俺はそれを知らない。
それはそれとして、森を出た先には人間が暮らす人間圏になっているという。
つまり、これが俺にとって今世で初めての人間圏への進出ということになる。千年前ですら未知が広がる場所だったのに、さらに千年後の世界だ。緊張しないわけがない。
だが、出発するにあたって一つ、重大な問題があった。
俺の今の格好だ。
俺が千年前に着ていた服は、あの狂った空間でのサバイバル生活の初期にとっくの昔にダメになっている。
今の俺が身にまとっているのは、あちらの世界で自生していた植物の葉やツルを編んで作った、極めて原始的な格好だ。
正直、これで人間圏に行くのはアウトだ。
格好がいくらなんでも際どすぎる。
肌色面積が多すぎて、下手すれば痴女が出たと通報されかねない。というか、俺が人間側ならそうする。
そこで俺は、誠に申し訳ないとは思いつつ、先ほどゴーレムに襲われていた推定山賊さんたちの元へと戻っていた。
改めて惨状を確認する。
周囲に転がっている四人の男たち。
身なりは薄汚く、顔つきも凶悪だが、間違いなく人間だ。
皆手首に、バッテンの交差点を貫くように剣のアイコンが描かれたタトゥーをしていた。
このチームのシンボルか何かだろうか。
彼らの目はカッと見開かれたまま、虚空を見つめている。
ゴーレムの一撃だろう、体があらぬ方向に曲がっている者もいた。
「……南無」
俺はそっと彼らの瞼を撫でて閉ざしていく。
死人の持ち物を頂くのは、気分のいいものじゃない。
だが、背に腹は代えられないのだ。このまま痴女スタイルで森を出て、通りすがりの人とかとトラブルになるのだけは避けたい。特に俺はダークエルフという、この世界でも珍しい容姿をしている。変な目立ち方は避けた方がいい。
俺はすまないねと念じながら、男たちの荷物を漁った。
……あった。
いかにも身元を隠したい人間が使いそうな、目深にかぶれるフード付きのローブだ。生地は粗末だが、全身を覆い隠すには十分すぎる。
やはりこんなのがあるということは、彼らは山賊だったのではないかと認識を強める。
それから、使えそうな清潔な布を見つけた。これは、下着代わりにしようと思う。
他にも着衣として使えそうなものをいくつか頂戴する。
それと、比較的サイズの合いそうな革のブーツも拝借した。
ブーツに足を通した瞬間、感動で涙が出そうになった。
ある時期から裸足で地面を駆け回っていた俺にとって、靴底のクッション性は文明そのものだ。
「ありがとう、名も知らぬ山賊さんたち」
俺はせめてもの礼として、地面の土を掘り返し、彼らの遺体を埋葬した。
近くにあった手頃な石を墓標代わりに置き、手を合わせる。
彼らが何者で、何をしようとしていたのかは知らないが、とにかく安らかに眠れ。
俺は植物で作られた服を脱ぎ捨てると、布を下着代わりに巻き、フードを目深に被った。
その際、俺は一つ、とっておきの小技を使うことにした。
まさかこの技を役立てる時が来るとはね……。
千年間、あの虚無の中で暇を持て余しすぎて習得した謎特技、『耳折り』だ。
俺は長い耳の付け根に意識を集中し、器用に後頭部の方へとペタッと寝かしつけた。
ドヤッ。
エルフの中でもこれできる人、あんまり居ないんじゃないかな。
履歴書に書けないけどちょっと誇っていいタイプの小技である。
ちなみにもうひとつ小技として、舌でサクランボの茎を結ぶことも習得済みだったりする。
その話は一旦置いといて、これなら長い耳がフードの生地を突き上げることもないし、引っかかってシルエットが崩れることもない。
こうして隠してしまえば、傍から見れば普通の人間と見分けがつかないはずだ。
これから向かうのは人間圏。エルフという種族が彼らにどう受け止められているのか俺は全く知らない。
友好的ならいいが、そうでなかった場合、無闇にこの長い耳を晒してトラブルの種を蒔く必要はない。
これで見た目はだいぶマシになっただろう。
まぁ、こんなフードを目深に被っている奴もだいぶ怪しいが、痴女よりかはいくらかマシだ。
「……よし、行きますかね」
ここから先は、俺にとって未知の世界だ。
期待と不安を抱きながら、俺は作った墓を背にして歩み始めた。