復讐の後は超強くてニューゲーム   作:実験者

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一話

 

 

 冷たい海水が肺に流れ込んでくる感覚で、俺はようやく目を覚ました――いや、目覚めたわけじゃない。

意識が海の底で揺らめきながら、ゆっくりと浮上していく。

 

 体はもう動かない。腹に刺さった包丁の柄が、まだ熱を持っている気がした。俺は死んだ。

 いや、殺した。

カミキヒカルを道連れに、海へ落ちたんだ。すべては 計算通りだった。

 

 『15年の嘘』――あの映画が公開された後、カミキを俺を呼び出した。

 映画の中で暴かれた「アイの嘘」。

 彼女がカミキを愛していたこと。

 妊娠を機に別れを告げたのは、彼を壊さないためだったこと。

 アイが遺したビデオレターで、すべてが明らかになった。

 カミキは震えていた。

「アイは……俺を愛していたのか」と。

 でも、その瞳の奥には、狂気が渦巻いていた。

 ルビーを殺す――そう呟いた瞬間、俺は確信した。

 こいつは救えない。

 アイの愛さえ、歪めてしまう。だから俺は、包丁を自分の腹に突き刺した。血が噴き出して、視界が赤く染まる。カミキの腕を掴み、崖の柵を越える。海面が急速に近づいてくる。

 

「これで……ルビーは安全だ」

 

 最後にそう思った。海の底は暗く、冷たく、静かだった。

 俺の体はゆっくり沈んでいく。

 肺が焼けるように痛い。でも、痛みより強いのは、後悔じゃなかった。

 虚しさだ。復讐は終わった。

 カミキヒカルは死んだ。

 俺も死んだ。

 これで、ルビーを狙う死神は消えた。

 映画の話題性で、B小町はさらに飛躍するだろう。

 ルビーはアイの夢を継いで、輝き続ける。

 完璧なエンディング。

 グッドエンド……いや、メリーバッドエンドか。でも、何かがおかしい。

 

 胸の奥で、何かが叫んでいる。

 俺は本当に、これで満足なのか?

 アイの死を、復讐で埋められたのか?

 ルビーを守った――それだけか?

 俺の人生は、復讐のためにあったはずだ。

 前世のゴローとして、アイを救えなかった後悔。転生して、アクアとして、母の仇を討つために生きてきた。

 なのに、今、死の淵で思うのは……。

 

「もっと、生きていたかった」ってことだ。

 

 海面が遠ざかる。

 光が届かない闇の中、俺はふと、歌を聞いた気がした。

 ルビーの歌。

 新生B小町のライブ。

 ドームを埋め尽くす歓声。

 アイの幻影が、微笑んでいる。

 

「アクア……ありがとう」

 

 ありがとう、だと?

 俺は何をありがとうと言われているんだ。

 母さんを殺した男を殺しただけだ。

 妹を守っただけだ。

 それで、終わりか?

 愛ほど歪んだ呪いはないとは、有名な漫画のセリフだ。アイの愛は、カミキを救おうとして、結果として彼を壊した。カミキの愛は、アイを独占しようとして、彼女を殺させた。

 

 俺の愛は……ルビーを守るため、俺自身を殺した。

 愛は、いつも誰かを傷つける。

 守ろうとするほど、歪んでいく。視界が暗くなる。意識が薄れていく中で、俺は最後に呟いた。

 

「……次は、もっとまっすぐに、生きてみたい。もっと、ちゃんと、みんなに向き合って。挫けず、曲がらず、折れずに」

 

 でも、もう遅い。

 俺は星野アクアとして、復讐を果たし、死んだ。

これで、すべてが終わる。海の底で、俺の体は静かに横たわった。

 波が、俺の血を洗い流していく。

 自然の漂白機能――俺が望んだ通りだ。

 ルビー、お前は、笑っていてくれ。

 俺の分まで、輝いてくれ。それが、俺の最後の願いだった。

 

 

 ……そして、俺の意識は、完全に闇に溶けた。

 しかし愛に憑かれて、逆行する。でも、もう戻れない過去を目指して。

 15年の嘘は、終わった。

 俺の人生も、終わった。これで、いいんだ。これで、いい。

 

 

 

 冷たい汗が首筋を伝い、背骨の溝を滑り落ちていく感覚で、俺ははっと目を覚ました。

 シーツが湿って重く、まるで水をかぶったみたいに体にまとわりついている。枕は汗を吸い込んで形を崩し、Tシャツの生地が背中にぴったり張り付いて、動くたびに不快な冷たさが肌を刺す。

 

 心臓が耳のすぐ横で暴れていて、鼓動が頭蓋骨の中で反響しているみたいだった。息を吸うたびに肺が震え、吐くたびに喉がカラカラに乾いている。

 

 ……夢だったのか。そう自分に言い聞かせようとしても、指先がまだ微かに震えていた。夢の中で握りしめていた何かの感触――冷たい床、温かかったはずの血のぬくもり、金属臭と甘い香水の混じった匂い――それらがあまりにも鮮明で、夢特有のぼんやりとした輪郭がまるでなかった。

 

 現実と紙一重の、残酷なまでのリアリティ。

 ゆっくりと上体を起こす。視界がまだぼやけていて、部屋の輪郭がにじんでいる。まぶたを何度も瞬かせて、涙腺の端に溜まった汗を拭うように目をこすった瞬間――そこに、彼女が立っていた。朝の薄い光がカーテンの隙間から差し込み、黒紫色の長い髪を淡く照らしている。

 

 髪の先がふわりと揺れるたび、光の粒子が散るようにきらめいた。

 

 瞳は、夜空に無数の星を閉じ込めたような深い青。あの頃と何一つ変わらない、無邪気で、どこか儚げで、触れたら消えてしまいそうな笑顔。

 

『やっほー。アクア。やっと話せるね!』

 

 星野アイ。

 俺の――母であるはずの女。

 血を流して倒れたあの日の記憶が、脳の奥から一気に蘇って焼き付く。

 俺の手でアイの冷たくなっていく手。

 死んだはずだ。

 完全に、不可逆的に、失ったはずだ。なのに今、廊下の真ん中で、軽く手を振って、にこっと笑っている。

 

 俺の喉が、乾いた音を立てて鳴った。唾を飲み込もうとしても、喉が締め付けられて上手く動かない。

 

「……何を、言ってるんだ?」

 

 声がかすれて、情けないほど震えていた。冷静を装おうとしても、指先が微かに震え、視線が定まらない。

 アイは少し首を傾げて、いつものように明るく、でもどこか優しい、懐かしい声で続けた。

 

『アクアの夢は本物だよ。私が死んだ後はずっとこうして見守ってた。ヒカルくんと一緒に死んじゃうまで……ずっと、ずっと、アクアとルビーのそばにいたんだから』

 

 その言葉が胸の奥に突き刺さる。

 ヒカル――あの男の名前を、アイがこんな穏やかな声で口にするなんて。

 

「はぁーッ。切り替えだ」

 

 俺はベッドの端に腰を下ろし、両手で顔を覆うようにして、深く深く息を吸った。頭の中で情報が高速で回り始める。

 パズルのピースが、勝手に組み合わさっていく感覚。

 

「アレが本当だと仮定する。俺は一度死んだ。それで死者のアイと同じ世界線に存在した――そこまでは理解した。だけど今、俺は生きている。心臓は動いている。息はできている。体温もある。なのに――」

 

 視線を壁のカレンダーへ移す。

 四月。淡い桜のイラストが描かれたページ。

今日の日付の下に、赤いマーカーで大きく、勢いよく「面接日」と書かれている。

 ルビーの字だ。間違いない。あいつの丸っこい、ちょっと子供っぽい字。

 

「カレンダーでは学校の面接の日だ。これはどういうことだ? アイ」

 

 アイの瞳が、ぱっと輝いた。まるで褒められた子供みたいに。

 

『これだけで理解できたの!? 頭良いねぇ、流石アクア。これはコンテニューなんだ。誰かがコインを入れた』

「コンテニュー」

『復讐劇は幕を閉じた。なら今度は別のジャンルの人生が見たい。そういう思想なんじゃないかな? カラスの子も、そういう存在いる話をしてたのは、アクアも覚えているよね』

「比喩でも冗談でもなく、神や上位存在が存在する、と」

『うん。そして同じ境遇のプレイヤーは他にもいるよ』

「プレイヤー?」

 

 俺の声が自然と低くなる。警戒心が、背筋を這い上がってくる。

 

『うん。私みたいな死者と対話するアクア、戦える人間、単純に周回クリアしている人とか。プレイヤーを集めて何かする。死後が続いた人達に課されたルール』

 

 俺は眉を寄せて、腕を組んだ。指先がまだ冷たい。汗が乾ききっていない。

 

「SAWのデスゲームというより、異星の使徒から蘇生させる為の人理修復シュミレーションに近いか?」

 

 アイは少し困ったように笑って、人差し指を頬に当てた。昔、テレビの前でよく見ていた仕草だ。

 

『うーん、全力で生きることゲーム……あれ? ルールとしては他にも、なんかもっと面倒なのあった気がするんだけど……』

 

 彼女は首を振って、申し訳なさそうに肩をすくめた。

 

『ごめん。忘れちゃった』

 

 俺は一瞬、完全に固まった。

 

「……ま、マジか」

 

 呆れた声が、思わず漏れる。記憶の中のアイはいつも完璧だった。嘘も本当も、すべてを完璧に演じきる天才。カメラの前では神のように微笑み、俺たち姉弟の前では少し抜けた母親を演じきっていた。なのに今、こんな決定的なところで「忘れた」って……。

 

 いや、よく考えれば、母親としては結構ダメな部類に入る女だったのかもしれない。スケジュールを忘れて約束をすっぽかしたり、誕生日ケーキを買い忘れたり、夜中に突然「今からアイス食べに行こう!」とか言い出して俺を連れ出したり。

 

 そのとき、部屋の外から、弾けるような元気な声が響いた。

 

「おにーちゃん! 学校の面接行くよー! 遅刻したら可愛いルビー泣いちゃうよー! ルビーの涙は超貴重品だから責任取ってよねー!」

 

 妹の声。

 ルビーの、昔と変わらない、耳に残るくらい明るい声。階段をトントンと駆け下りる足音まで聞こえる。

 俺は反射的に返事をした。

 

「あ、ああ。わかった。今行く」

 

 声が少し上ずってしまった。

 自分でも情けないと思う。

 アイは小さくくすりと笑って、俺の顔を覗き込むように近づいてきた。

 距離が近い。でも、触れられない距離だということは、もうわかっていた。

 

『ルビー、今回も元気だね。よかった……本当に、よかった』

 

 その笑顔は、どこか切なげで、どこか温かくて、胸が締め付けられる。

 

『これからよろしくね、アクア。またルビーやみんなを守って上げて。私も手伝うから。……今度は、ちゃんとそばにいるから』

 

 俺は静かに息を吐き、アイの瞳をしっかりと見つめた。

 かつての復讐の炎は、もうそこにはなかった。

 燃え尽きて、灰になって、風に吹かれて消えた。代わりに、静かで、確かで、重い決意が宿っていた。

 

「ああ。復讐じゃない。今度は守るために戦う。何度でも、何度だって。今度こそ、文句のつけようのないハッピーエンドにしてやる。失うものは、もう何一つないように」

 

 アイの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。まるで、長い間待っていた言葉を、ようやく受け取ったように。

 

『うん。アクアなら、きっとできるよ。……信じてる』

 

 部屋の外では、ルビーが鼻歌を歌いながらキッチンを動き回っている音がする。

 トーストが焼ける、かすかに焦げた匂い。

 コーヒーメーカーがピーッと鳴って、豆の香りが漂ってくる。

 すべてが、失ったはずの日常そのものだった。俺はベッドから立ち上がり、制服のジャケットに袖を通した。

 

 肩が少し固い。緊張がまだ抜けていない。鏡に映る自分の顔は、以前より少しだけ穏やかだった。

 

 目尻の皺が、ほんのわずか薄くなっている気がした。

 アイはそっと手を伸ばし、俺の頰に触れようとして――触れずに、優しく微笑んだ。

 

『行ってらっしゃい、アクア。今日も、頑張ってね』

 

 俺は小さく頷き、ドアノブに手をかけた。新しい朝が、静かに、しかし確かに始まろうとしていた。

 今度こそ、失わないために。

 何度でも、何度でも、守るために。ドアを開けると、階段の下からルビーの声がまた響いた。

 

「おにーちゃん遅いー! もう制服のネクタイ曲がってるよー! 直してあげるから早く降りてきてー!」

 

 俺は小さく息を吐いて、唇の端を少しだけ上げた。

 

「……ああ、今行くよ」

 

 階段を降りる足音が、俺の心臓の音と重なる。

 新しい世界。

 新しい朝。

 そして、もう二度と失いたくない、たった一つの家族。

 俺は、今日も、生きる。全力で。

 

 





特級過重怨霊アイから『ノイズの削ぎ落とし』と『ラブコメ7割、キャラ2、バトル1割』をコンセプトにしたリファイン作品です。
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