復讐の後は超強くてニューゲーム 作:実験者
午後、部屋の中はすでに薄暗く始まっていた。
カーテンの隙間から差し込む光は、埃の粒子を浮かび上がらせながら、床の上に淡い四角形を描いている。
外では風が低く唸り、時折窓ガラスを小さく震わせる音がする。暖房の効いた室内は静かすぎて、自分の呼吸さえやけに大きく聞こえた。
俺はベッドの端に腰を下ろしたまま、膝の上に置いたノートパソコンをじっと見つめていた。画面の明るさが顔を青白く照らし、瞳に映る自分の影がぼんやりと揺れている。
ブラウザのタブは三つ開かれていて、一番手前のものが自動再生を待つ状態で止まっていた。『恋愛リアリティショー「今からガチ恋♡始めます」公式PV』サムネイル画像は六人の若者たちを、柔らかなピンクと白のグラデーションの中に並べていた。
全員が笑顔で、肩を寄せ合い、手を軽く繋いでいるように見える。でも俺は知っている。あの笑顔の下に、どんな不安や計算が隠れているかを。
俺はマウスをゆっくり動かし、再生ボタンを押した。軽やかな電子音が流れ出し、すぐに女性ナレーターの甘い声が重なる。
息を少し弾ませたような、わざとらしいほどの柔らかさ。
『今、始まる。本気の恋。本気の熱。本気のキス』
映像が切り替わる。
まず鷲見ゆき。
白いワンピースが風に揺れ、長い髪が肩から滑り落ちる。大手事務所に所属するファッションモデル。高校一年生。看板モデルの影に隠れがちだった彼女が、近年少しずつ雑誌のページを飾るようになっている。カメラが彼女の顔に寄ると、ふっと目を細めて微笑む。
その笑顔は、雑誌の表紙で何度も見たものと同じだ。完璧で、しかしどこか遠い。
次に熊野ノブユキ。
コンクリートのストリートで、ビートに合わせて体を弾ませる。汗が飛び散り、Tシャツが背中に張り付く。Japan spirits family、通称JSF所属のブレイク系ダンサー。高校二年生。回転のあと、カメラに向かって大きくウインクする。お調子者の笑顔が画面いっぱいに広がり、視聴者を引き込む。
憎めない、子供っぽい明るさ。
黒川あかね。
薄暗い舞台袖で、台本を両手で抱えるように持っている。劇団ララライの若きエース。舞台界では「天才」と囁かれる存在。高校二年生。
スポットライトの下では別人のように輝くのに、カメラが近づくと視線を逸らし、唇を軽く噛む。
引っ込み思案なところが、かえって痛々しく映る。
森本ケンゴ。
路地裏の街灯の下で、アコースティックギターを抱えて歌っている。マッシュヘアーが風に揺れ、指先が弦を優しく撫でる。
インディーズからメジャーへ這い上がったバンドマン。
作曲担当。高校三年生。
声は低く、少し掠れていて、夜の空気に溶けていくようだ。歌い終わると、カメラに向かって小さく頷く。その仕草に、どこか諦めのような優しさが滲んでいる。
MEMちょ。
ピンクと白で統一された部屋の中、ぬいぐるみに囲まれて座っている。メルヘン系ユーチューバー。18歳?
カメラに向かって手を振りながら、天然おバカキャラ全開で話す。時折プチバズりする動画の断片が挿入され、彼女の笑顔が画面を埋め尽くす。無邪気で、しかしどこか儚い。
そして、最後に俺。
星野アクア。
古いフィルムのスチール写真が流れる。
十三年前、子役として映画に出演した頃のもの。
その後長い間、無名だった。
ネットドラマ『今日は甘口で』で、ようやく一部の業界人に名前を覚えられた程度。
高校一年生。
映像では、俺はただ静かにカメラを見つめている。表情は読めない。何を考えているのか、自分でもわからない。PVはそこでフェードアウトし、テキストがゆっくり浮かび上がる。
『初回放送では、出演者のプロフィールを詳しくお届けします。彼ら彼女らの、初めての本気の恋を、見届けてください』
画面が暗転し、エンドロールが流れる。
俺は再生を止め、パソコンの蓋をゆっくり閉じた。部屋の中は、さらに暗くなっていた。外の風が強くなり、カーテンが軽く揺れる。俺はベッドに仰向けに倒れ込み、天井を見つめた。
白い漆喰に、午後の残光が薄い影を落としている。どこか遠くで、時計の秒針がカチカチと進む音がする。
エアコンの温風が、足元を優しく撫でていく。この番組に出る理由は、はっきりしている。
黒川あかねをフォローする。
それだけだ。
PVの映像が頭から離れない。
六人の顔。
それぞれの瞳に宿る、微かな期待と不安。
笑顔の裏側に隠れた、計算と迷い。
俺の瞳にも、同じものが映っているのだろうか。俺は目を閉じた。胸の奥で、何かが小さく疼く。それは痛みなのか、予感なのか、それともただの疲れなのか。
わからない。外では、冬の陽がゆっくりと沈み始めていた。部屋の中は、もうほとんど暗闇に近かった。ただ、ノートパソコンの電源ランプだけが、赤く静かに点滅している。
俺は深い息を吐き、もう一度、目を閉じた。
◆
恋愛リアリティーショーのルールは三つ。
・恋愛リアリティーショーに台本はない。
・基本的に自由に過ごして良いとされている。
・原則としてカメラマンが寄ってきた時はさりげなく前後のやり取りを要約したトークする。
休憩時間ということで参加者たちはそれぞれの場所で自由に振る舞っていた。誰かが遠くで笑い声を上げ、誰かがスマホをいじりながら独り言のように呟いている。
カメラマンは影のように移動し、決して割り込まず、ただその瞬間を捉えようとレンズを向ける。台本はない。
自由に過ごせ、というルールが、かえって全員の肩に微妙な重さを乗せていた。
俺は校舎の端からゆっくりと歩を進めた。金髪が照明に照らされて淡く輝き、アクアマリンの瞳は感情をほとんど映さず、ただ静かに周囲を観察するモードだった。
アイ譲りの綺麗な顔立ちは、この甘く軽やかな空間にどこか異質な緊張感を漂わせている事に貢献する。
歩みは自然で、誰が見ても「計算された自然さ」ではなく、ただの「自然」として受け取られるように技術を使う。
視線が、窓際の椅子に腰掛ける黒川あかねを捉えた。あかねは膝の上に両手を置き、指を軽く絡め合わせていた。
蒼色のストレートボブが肩に落ち、照明の光を受けて艶やかに輝いている。シンプルだが上品なワンピースが、彼女の細い体躯を包み、スタイルの良さをさりげなく際立たせていた。
普段の劇団ララライで見せる凛とした表情とは違い、今の彼女の瞳には戸惑いと緊張が色濃く浮かんでいる。指先が微かに震え、時折視線を床に落としては、すぐに周囲を見回す——まるで自分を落ち着かせようとする小さな儀式のようだった。
俺は彼女の前に立ち、声を低く、穏やかにかけた。
「お疲れ様です。大丈夫ですか? 緊張しているようですが」
あかねはぴくりと肩を震わせ、顔を上げた。驚きが一瞬瞳を大きく見開かせ、すぐに慌てて表情を整える。控えめな、しかし丁寧な微笑みが浮かぶ。
「あ、アクアさん……なんとか大丈夫です。戸惑ってはいますけど」
彼女の声は小さく、しかしはっきりしていた。言葉の端に、素直さが滲んでいる。俺は軽く頷き、隣のソファの端に腰を下ろした。距離は近すぎず遠すぎず、相手を圧迫しない絶妙な間合い。
「そうですよね。確かに。ジャンルが違うから大変でしょう。俺も演技と裏方がメインだったので、こういう……恋愛を『見せる』場はなかなか肩が凝る」
あかねの瞳が再び大きく見開かれた。今度は驚きがより鮮明に浮かぶ。
「え?」
彼女は思わず身を乗り出し、すぐに恥ずかしそうに体を引いた。
「そうなんですか? すごくお話上手かったので、こういうの得意なのかと……思ってました」
声に純粋な驚きと、少しの尊敬が混じる。アクアは小さく笑みを浮かべ、肩を軽くすくめてみせた。計算された仕草ではなく、自然にこぼれたような笑みだった。
「そう思ってくれて嬉しいですよ。実際は、ただの慣れと……観察の積み重ねなんですけどね。良ければ、少し話をする機会を作りませんか? お互いの意見交換や、今日の感想を語れると嬉しいんですが」
あかねの表情が一瞬曇った。頰がほんのり赤らみ、視線が泳ぐ。指が膝の上でより強く絡まり、爪が布地に食い込むのが見えた。関係がまだ浅い今、二人きりで深い話を——それは彼女にとって、予想外に高いハードルだったようだ。
喉が小さく動く。
「そ、そうですね……確かに、人と会話することで得られるものは大きいですし……」
声がだんだん小さくなる。俺はそれを敏感に察知し、内心で次の手を計算した。
理想は二人きり。空間演出と精神干渉技術を最大限に活かせる距離と静けさ。しかし、今押しすぎれば逆効果だ。
もう一人を巻き込むのが、現時点での最適解。
「そうだね、もし良ければMEMちょにも声をかけようかと思うんだ。彼女は大衆向けの技術に長けているから。それに芸能人である性質上、個室になるけど、男女で二人っきりは怖いだろうし。黒川さんはどう思う?」
あかねの表情が、ぱっと明るくなった。安堵の色が一気に広がり、肩の力が抜けるのが分かる。瞳に興味の光が戻る。
「はい、良いと思います。私も……聞いてみたいです。MEMちょさんの視点、すごく参考になりそう」「良かった。なら、キャスト用のグループで連絡をしよう。不慣れな者同士、お互いに助け合って頑張ろう」
俺は言葉を柔らかく、しかし確かな安心感を伴うようにしていた。あかねは小さく頷き、ようやく自然な、穏やかな笑みを浮かべる。頰の赤みが少し残っているが、それはもう緊張ではなく、ほんの少しの嬉しさから来るものようだった。
「はい、わざわざありがとうございます。気を遣って貰って……こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに軽く会釈を交わした。
その一瞬のやり取りが、ちょうど寄ってきたカメラマンに収まる。
俺は歩き出しながら、内心で小さく息を吐いた。
あかねの緊張の糸が、ほんの少しだけ——だが確実に——緩んだことを感じ取っていた。