復讐の後は超強くてニューゲーム 作:実験者
雪が好きだった。寒くて、積もって、人がいない街並み。ただ積もり乱雑に散らばる雪は綺麗だけど、人がいないことを連想させた。
車が走らない道路と、機械的に点滅する信号は無機質で寂しかった。冷たくなる顔と手足はその現実の厳しさを殴りつけてくるようで。それと同じ印象を、『今』の黒川あかねに抱いていた。彼女は笑っている。
でもその笑顔の奥に、どこか凍てついたものが残っている。
俺が何を言っても、どんなに軽く振っても、彼女の瞳の底には常に「分析」が沈んでいる。
俺を、俺の言葉を、俺の嘘を、俺の演技を、全部、分解しようとしている。だから、俺はここに連れてきた。
個室の扉を開けた瞬間、MEMちょが声を上げた。
「うわ、なにこれ!? なんか、違和感!! カラオケっぽいけどちゃんとプライバシーは守られる設計だし、俗っぽいのに上品で丁寧だ!?」
店内は確かに奇妙だった。
壁は落ち着いたダークブラウン、照明は暖色系の間接光。
テーブルには高級感のある木目調のメニュー表が置かれているのに、そこに並ぶのはコンビニで売ってるようなスナック菓子、ファストフードの定番ハンバーガー、チェーン店の定番パスタ、そしてなぜか高級フレンチのコース料理の名前までが同居している。
あかねがメニューをめくりながら、感嘆とも呆れともつかない声を出した。
「メニュー表もすごい。コンビニのお菓子からチェーン店特有の料理まで。ジャンクフードもあるし、高級フレンチやデザートもあります。星野さんよく知ってましたね、この……謎のお店」
俺は肩をすくめて答えた。
「ここも高級店ですからね。コンセプトは『貴族が庶民の暮らしを安心して楽しめるお店』だそうです。硬いお店より面白いお店の方が適切だと判断しました」
あかねの目が少しだけ柔らかくなった。
「流石です。確かに緊張しちゃうかも」
俺はMEMちょの方を向いた。
「MEMちょさんの動画や話題のネタになれば嬉しい。というか、MEMちょは高級店とか入るんですか?」
「無い! ある程度落ち着いて話せるお店に行くことはあるけど、こんな上級国民専用のお店なんか行く機会ない!」
MEMちょはいつもの明るいトーンで、でもどこか本気で驚いた顔で言い切った。そして、急に両手をパンッと叩いて立ち上がる勢いで宣言した。
「せっかくの交流会なんだし、敬語は無しにしよう! あくまで同級生。同年代。そんなんじゃ仲良くなろうにもなれないよ!」
ありがたい。MEMちょは年齢を偽っているが、実年齢はもう二十代の半ば近く。動画配信者としてバズった今も、根っこにあるのは「家族を支えた苦労」と「遅咲きの夢」だ。だから、俺たち二人の未成年を前にすると、自然と「大人の責任」を背負ってしまう。
正論を振りかざすタイプではない。ただ、俺たちが振り切れそうになったときに、そっとブレーキをかけてくれる。
そのブレーキを踏めれば苦労しない——と、俺も思うけれど、彼女のバランス感覚は確かに本物だ。
背後でアイの声が弾んだ。
『おお! すごーい! おもしろーい!』
幽霊の母さんは、今日も楽しそうだ。死んで、俺に取り憑いて、時間が巻き戻った今だからこそ、彼女はようやく「成熟した目」で世界を見られている。
それが、俺には少しだけ嬉しかった。
俺は軽く息を吐いて、言った。
「なら俺のことはアクアって呼んでくれ。黒川さんはあかねと呼んでも大丈夫か?」
あかねは少しだけ頬を緩めて、頷いた。
「はい、勿論です。アクアさん」
MEMちょが即座に続ける。
「アクたんと、あかねだね。よろしくぅー!」
俺はわざと大げさに頭を下げた。
「ええ、よろしくお願いします。MEMちょ先輩」
「……硬い!? なんか距離を感じる!? しかも先輩!? なにゆえ!?」
「だってほら、精神的に成熟されてるじゃないですか。動画配信も自己プロデュースだし、今だって緩いムードなるようにしてくれたじゃないですか。流石の手腕です。尊敬します。敬意を表します。先輩と呼ばさせてください」
「硬い硬い硬い! 重い重い重い! 嬉しいけど! 私のスタンスを理解してくれて嬉しいけど! でもッッ! 私の行動を全部壊したよ!? 慇懃無礼とはまさにこのこと!」
「MEMちょが柔らかくするなら、俺はコンクリートを投入していこうと思います」
「何でだッッ!! もうごちゃ混ぜで意味わかんないじゃんか!?」
そのやり取りを、黙って見ていたあかねが——突然、吹き出した。最初はくすくすと堪えていたのが、だんだん肩が震え始め、やがて声を殺そうとしても抑えきれず、テーブルに両手をついて大爆笑に変わった。
俺とMEMちょは思わず視線を合わせた。
ダイヤモンドみたいに硬くて真面目で、隙を見せないはずの黒川あかねが、こんな風に崩れるのは珍しい。
「……ぷっ。ふふ、くくくくっ、はははっ。すみません、すみません。でもっ、くふふっははっ」
俺もつられて小さく笑った。MEMちょも「やっと崩れたー!」と嬉しそうに声を上げながら、笑い始めた。個室の中は、ジャンクフードと高級フレンチが同居する奇妙なメニュー表と、三人の、どこか不器用で、どこか必死な笑い声で満たされていた。雪の降る外とはまるで別世界みたいに、
ここだけは少しだけ、温かかった。少なくとも、今は。
個室の空気が、さっきまでの軽い笑い声の余韻を残る。MEMちょがメニューをぱたんと閉じて、あかねの顔を真正面から見つめた。
「ねえ、あかねちゃんは本当に、本気で恋愛リアリティーショーするもり?」
あかねは一瞬、視線を落とした。指先がテーブルの木目をなぞるように動く。それは彼女が考えるとき、いつも無意識に出す癖だ。
「……はい。オファーをいただいて、私自身も……挑戦してみたいと思っています。だから真剣に、真面目にやるつもりです。恋人ができるかは分かりませんが」
声は静かだった。でも、その静けさの中に、いつもの分析的な冷たさとは違う、微かな熱が混じっているのがわかった。
あかねは本気だ。
それが、俺には逆に怖かった。MEMちょは大きく息を吐いて、背もたれに体を預けた。
「うん。わかった。じゃあさ、今日は遠慮なく本音で話すね。あかねちゃんのこと、少し話したからこそ、言わなくちゃって思ったことがある」
あかねの肩が、わずかに強張った。
「まず、あかねちゃんの強みから言うと……演技力は、もう芸能界でもトップクラス。『演技という特殊技能に全振りした、極端な内向型パフォーマー』って表現、ぴったりだと思う。現場で求められる役を、完璧に、誰よりも深く理解して、身体ごと作り上げられる。それって、ゲームのTier表ならSランクだよ。環境そのもの。間違いなく」
あかねは小さく頷いた。自分の強みを認められるのは、悪い気はしないはずだ。でも、MEMちょの目はまだ優しくない。
「でもね、その全振りが逆に仇になる瞬間が、恋愛リアリティーショーには山ほどある。あそこは『演技の場』じゃない。台本がない。演出はあるけど、基本は素の自分を晒すことを強制される場。
視聴者は、あかねちゃんがどれだけ綺麗に役を演じられるかじゃなくて、『黒川あかねって人間が、恋愛したらどうなるの?』『本当の気持ちは?』『素の表情は?』ってのを、貪るように見に来る」
俺は黙って聞いていた。MEMちょの言葉は、俺が何度も頭の中でシミュレーションしてきたことと、ほぼ一致していた。
「で、あかねちゃんの弱点……というか、致命的な部分をはっきり言うと」
MEMちょは指を一本立てた。
「自己開示が、極端に苦手。自分の内側を、簡単にポンと出せない。それ自体は、悪いことじゃない。むしろ、すごく人間らしいし、尊い部分だと思う。
でも、恋愛リアリティーショーでは、それが一番の減点ポイントになる」
あかねの瞳が、わずかに揺れた。MEMちょはさらに言葉を重ねた。
「去年、一昨年、再来年……ここ数年で恋愛リアリティーショーに出た子たちの末路、結構見てきたでしょ? 本音を言わなさすぎて冷たいって言われて、ネットで袋叩きにされた子。『計算高い』『演技してるだけじゃん』って言われて、結局『素が見えない女』ってレッテル貼られて、CMもドラマも激減した子。『好きな人いるって言ったのに態度が薄い』って言われて、浮気疑惑まで盛られて、事務所が緊急コメント出す羽目になった子もいたよね」
俺はここで、静かに口を挟んだ。
「具体的な名前は出さないけど……去年の冬に炎上したあの番組のメイン女性陣、覚えてるか? 最終回近くになって『あの子、ずっと作ってるよね』『本気で恋してないでしょ』って空気が一気に広がって、放送終了後3日でトレンド1位、アンチ垢が一晩で800件近く増えた。その子、今ほとんどテレビで見かけない。使いにくいから使われない。やるとしても組織ではなく個人での活動に限られる。アンチがいる状態でな」
あかねの指が、テーブルの上で止まった。俺は淡々と、でもはっきりと続けた。
「今のSNSの空気は、すごく速くて、すごく残酷だ。『好感度高い演技』を完璧にこなしても、『でも本当はどう思ってるの?』が見えないと、逆に不信感に変わる。不信感は、すぐに『あざとい』『計算高い』『性格悪い』『裏がある』に変換される。一度火がついたら、トレンド入りして、1週間でアンチ垢が数百から千単位で増える。拡散されたスクショの残り火は半年経っても消えない。そしてその現象はデジタルタトゥーとして消えない」
MEMちょが頷いて、言葉を継いだ。
「それに、もう一つ。あかねちゃんは協調性と信頼性は、本当にSランクだよ。共演者やスタッフに嫌われることは、まずない。現場で『あの子、感じいいよね』って言われるタイプ。でも、自己主張とメンタル耐性が……正直、DかEだと思う。嫌なことを我慢しすぎる癖がある。我慢してる自分を『これも役の一部』みたいに処理しようとするでしょ? でも、恋愛リアリティーショーは撮影時間以外の時間もカメラが回ってるようなものだから、我慢の限界が来たら、心がぽきっと折れるか、我慢したまま爆発するか、どっちかしかない。そして、ストレスが溜まると思考力が落ちて、極端になり、炎上の火種になる」
あかねは長い間、黙っていた。メニュー表の端を、何度も何度も指でなぞっている。やがて、ぽつりと呟いた。
「……つまり、私には向いていない、ということですか?」
俺は首を振った。
「向いてない、とは言わない。ただ、『今のままのあかね』で出たら、かなりの確率で傷つく。しかも、君が一番大切にしてる『演技者としての自分』が、視聴者から否定される形で傷つく。それが、一番恐ろしい」
MEMちょが柔らかく、でも力強く言った。
「だからさ、もし本気で出るなら……『恋愛リアリティーショー用の黒川あかね』っていう、もう一人のキャラクターを作らないといけない。演技じゃなくて、『自分を少しだけ開示する練習』をするって意味で。『嘘という鎧を纏う』。たとえば、好きな食べ物の話でもいい。嫌いなことでもいい。小さなことから、自分の『本当の気持ち』を言葉にする練習して、膨らませて、誇張する」
俺はMEMちょの言葉に少し、解説を挟む。
「豚の脂身が嫌いという事実を、お肉が苦手だと誇張する。嘘ではないが、拡大解釈する」
「それができないまま番組進んだら、あかねちゃんが壊れちゃう気がするんだよねー今回は私たちがいるから大丈夫でも、次はドボン」
あかねはゆっくりと顔を上げた。いつもの分析的な瞳が、そこにあった。でも、その奥に、ほんの少しだけ、怯えのような、頼りなさのような光が混じっていた。
「……二人が、そこまで心配してくれるなんて、思ってませんでした」
俺は小さく息を吐いた。
「俺たちは、君が『役者として死ぬ』のは見たくない。炎上して、心が折れて、キャリアが崩れて、演技ができなくなって……そんな終わり方は、君に似合わない。天才役者なんだろう」
MEMちょが急に明るい声に戻して、テーブルを軽く叩いた。
「だからさ! とりあえず今日のところは、この謎の超高級ジャンクフード店で、恋愛リアリティーショーの『生存戦略会議』にしよっか! あかねちゃんが自分を守る練習をする場として、ここ使っちゃおうよ! 私とアクたんが、鬼コーチになるから!
まずは……好きなスイーツ、3つ挙げてみて!
それだけでいいから!」
あかねは一瞬、呆れた顔をした。それから——小さく、でも確かに、口元が緩んだ。
「鬼コーチ、ですか……ふふ。わかりました。お願いします」
彼女は深呼吸をして、メニュー表をもう一度開いた。
「えっと……まず、モンブラン。それから、ティラミス。あと……ショートケーキ。生クリームが多めのやつ」
MEMちょが目を輝かせた。
「いいじゃん! めっちゃ具体的! じゃあ次、なんでモンブランが好きなの? 理由を一言で!」
あかねは少し考えて、ぽつりと言った。
「……栗の甘さと、渋さがちょうどいいから」
MEMちょがガッツポーズをした。
「いえーい最高! それ、めっちゃあかねちゃんらしい! この調子でいこう!」
俺は黙って二人を見ていた。外では雪が降り続けている。冷たくて、無機質で、寂しい雪。でも、この個室の中だけは、少しずつ、少しずつ、温かくなっていた。
トイレのために外に出て、少し風に当たる。
そこに金髪で眼鏡をかけたスーツの男性と、デカくて筋肉モリモリマッチョマンがいた。
「悪い、スッちまってな。接待に使う飯屋じゃねぇが悪くねぇ」
「貴方のギャンブルに巻き込まないで欲しいのですが。私がたまたま近くにいたものの、戦いの外では関わりたくありませんので」
「連れねぇな。けどまぁ……あん?」
筋肉モリモリマッチョマンが、俺の方に視線を向ける。心臓を締め付けられるような感覚があった。けど、アイが前に出た。
「なんだ、お前」
『やっほー! 今度一緒に戦うかもしれないから!』
「すげぇもんがいるな」
「特級レベルの呪霊。彼に憑いている。しかし高い知能を有している。それにプレイヤー候補ですか。判断に困りますね」
「別に良いだろ。本当ならゲーム当日に話せば良い。俺は帰って寝る」
そう言って二人組は消えていった。
「伏黒甚爾と、七海健人。存在質量……スゴ味があった」
『強そうだね。でも、大丈夫。アクアなら大丈夫だよ」
俺は息を吐いて、MEMちょとあかねのいる部屋に戻った。