復讐の後は超強くてニューゲーム 作:実験者
学校の教室は、午後の陽光が西からゆっくりと差し込み、埃の粒子を金色の細い糸のように浮かび上がらせていた。
窓ガラスの向こうでは、校庭の芝生が淡く揺れ、遠くのグラウンドから恋愛リアリティーショーの撮影クルーが発するざわめきが、波のように寄せては引いていく。
教室の中に残っているのは俺と黒川あかねだけだった。机を寄せ合って座る俺たちの間には、紙コップの底に残ったインスタントコーヒーの薄い苦味と、どこか甘い沈黙が漂っていた。
外では、熊野ノブユキと森本ケンゴが鷲見ゆきを真ん中に挟んで、微妙な距離を保ちながら何かを言い合っているのが見えた。
ゆきは長い髪を指で軽く巻きながら、困ったような、でもどこか優しい笑みを浮かべている。ノブユキの肩は固く、ケンゴの視線は鋭く、まるで二人の間に張られた見えない糸が、いつ切れてもおかしくない緊張を孕んでいた。
あの三人の関係は、重く湿った空気を纏っていて、見ているだけで胸の奥がざわつく。視聴者の中には、そういう生々しい感情のぶつかり合いを求めている人が多いのだろう。
正統派の恋愛ドラマとして、しっかりと刺さるはずだ。俺は紙コップを指先で軽く叩きながら、ぽつりと呟いた。
「今日も恋愛しているな。あの三人は」
あかねは窓の外を眺めたまま、静かに頷いた。彼女の蒼いストレートボブが、光の加減でわずかに青く輝いている。まつ毛が影を落とし、横顔がまるで古い映画のワンシーンのように静かだった。
「ゆきは美人だし、優しいから好きになる気持ちわかるなぁ」
その声は穏やかで、少しだけ遠くを見るような柔らかさがあった。俺は肩を軽くすくめて、机の木目を指でなぞった。古い机の表面には、何年も前の誰かが彫った小さなイニシャルが残っている。
「そうか。俺はあまりゆきとは関わりないから知らないんだ。男子メンツとは話すことがあるが」
「ああ、確かに。どうしても同性のほうが話しやすいから男子は男子、女子は女子で会話すること多いもんね。撮影のときは別として」
あかねの言葉は、当たり前の事実をそっと置くように軽かった。彼女は小さく息を吐き、窓枠に視線を移した。外の風がカーテンをわずかに揺らし、教室の中に淡い影を落としていく。
「そうそう。あかねはゆき達とどういう会話してるんだ?」
「うーん、最近の悩みとか、美味しいご飯屋さんとか、あとは恋愛リアリティーショーでどうやって頑張るか? とか」
彼女の瞳が、少しだけ柔らかくなった。俺はそれを見て、ふと口を開いた。
「そっか。そういう会話の中で、色々見えてくるものもありそうだ。あかねは正道を往くタイプだから、MEMちょ先輩みたいな搦め手が得意なタイプは新鮮なんじゃないか?」
あかねは小さく頷き、机の上で指を軽く組んだ。
「うん。MEMちょ先輩を見ていると生きる難しさと大変さ。ゆきのバランスの良さ。二人ともすごいです」
「わかる。そういう感覚ある。特に違うジャンルから聞く話とか。例のメモはまだしてるのか?」
「うん、うん。そう! よく覚えてるね。知らない話を聞いてると勉強になるから。アクアくんはよく見ているね?」
「え?」
「私がメモしてたり、こういう趣向の番組は向いてないって言い出したのアクアくんだから。MEMちょ先輩は私に配慮して誘ってくれたわけだし。人を理解してある」
確かに知っている。だが、今ほど個人に対して真面目に向き合ってはいなかっただろう。そういうのを含めて、理解している、という言葉を使うあかねこそ、分析の鬼だ。
「よく見ているのはお互い様だ」
俺は苦笑して、首を振った。紙コップの縁を指でなぞりながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「それに分かると言うより、確認に近い。俺はそう思った。だから、実際にあかねはどう思ったか? って訊いた感じだ」
「推測して、本人に伝えてるだけ?」
「その通りだ。今の俺はそういうのが得意だ。推測が合っていても間違っていても、敬意と礼儀を忘れず、相手を理解しようという姿勢さえそういえば、悪いことにならない。あかねはあるか? 得意だったり、好きなもの」
あかねは一瞬、目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。彼女の唇がわずかに動く。
「得意で好きなもの。演劇? お仕事だけど、ちゃんと好きだよ。与えられたキャラクターを読み取って、演じるのは楽しい」
「そうなんだ。なら『今日は甘口で』って漫画の知っているか? 俺も最後に出演したんだが」
その瞬間、あかねの瞳が、まるで夜の海に突然星が落ちたように輝いた。彼女の息が一瞬止まり、指先が机の上で小さく震えた。
すぐにそれを握りしめ、頰がうっすらと赤らむ。声は小さく、でも抑えきれない熱を帯びていた。
「知ってる……知ってるよ。すごく……」
言葉の端が震え、彼女は慌てて視線を逸らした。けれど、すぐにまた俺の方を見て、目を細めて微笑んだ。
その笑みは、長く閉じていた扉がゆっくり開くような、静かな喜びに満ちていた。
「ラストのシーン……あの台詞の言い回しとか、表情の作り方とか……本当にすごかった。どうやってあの感情を出したの? 私、何度も読み返したよ。あの漫画のドラマ化は、演劇の教科書みたいだって思ってた。特に最終話。全員のパフォーマンスが大きく上がった」
彼女の声は次第に熱を帯び、言葉が次々と溢れ出す。俺は静かに聞きながら、窓の外へ視線を戻した。遠くで、ゆきたちの三角関係がまた何かを動かしているのが見える。
カメラが回り、スタッフの声が響き、誰もが何かを演じている。けれど、今この机の上には、もっと静かで、もっと本物の何かが生まれ始めていた。陽光がゆっくりと傾き、教室の影が長く伸びていく。埃が舞い、コーヒーの香りが薄れていく中、俺たちはただそこに座ったまま、言葉の余韻を味わっていた。
外の世界は騒がしく恋愛を続けているけれど、ここでは、別の、もっとゆっくりとした時間が流れ始めている気がした。
「こういう裏話を撮影されているタイミングでするわけにはいかないから、ぼかす事が前提になるが、聞くか?」
「うん!」