復讐の後は超強くてニューゲーム   作:実験者

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 雪が降り止まない夜だった。

 街灯の橙色の光が、積もった雪の上に柔らかい影を落としていた。

 68年前の呪術テロと両面宿儺により、日本の気候は大幅に変わった。

 

 俺はソファに深く沈み込み、背もたれに頭を預けた。

 今日の撮影は終わった。

 あの個室の、カラオケのような奇妙な高級店で、あかねとMEMちょと三人で話した時間が、まだ耳の奥に残っている。

 

 ジャンクフードと高級フレンチが同居するメニュー表。MEMちょの明るい笑い声と、あかねの抑えきれなくなった大爆笑。そして、有馬かなの話になったとき、あかねの瞳が少しだけ熱を帯びたのを、俺は見逃さなかった。

 

 『今日は甘口で』というドラマのことを思い出した。あの作品は、新人の顔見せが主目的の、どこか杜撰で、予定調和に満ちた仕事だった。

 脚本は薄く、演出は甘く、視聴率を狙うための若手アイドルや子役上がりの俳優たちを並べただけの群像劇。

 

 ベテランのスタッフと一部の役者が、必死にそれを「見れるもの」に整えていた。

 表向きは青春群像劇。

 裏では、若手が光るための舞台装置。

 そんな中で、有馬かなは際立っていた。

 

「あのドラマで目を引くのは、やはり主演の有馬かな、だろうな。彼女は子役から仕事してるだけあって上手かった」

 

 あかねが首を傾げた。

 彼女の蒼い髪が、照明の下で静かに揺れる。黒川あかねは、有馬かなの性格の悪さと、高い演技力の両方を知っている。

 それが混ざって、不満を覚えるのは当然だ。

 

『かなちゃんの本気の演技はあんなもんじゃない』

——ファンの心とライバル心が、複雑に絡み合って、彼女の表情を曇らせる。

 

「演技が上手いというより、仕事が上手いという表現が近い。自分だけ上手いと周りのメンツとの差で浮く。だが有馬は作品全体のクオリティを上げるために頑張っていた」

「そっか。他の人のサポートをしてたんだ」

「ああ。多くの視聴者は凡庸だと評価するだろ。利用する側の人間は便利だと思うだろう。同じ役者としても侮るやつは多くなる」

 

 あかねの顔が、露骨に顰められた。

 有馬かなの大ファンでありながら、本人の性格を知っているが故の反転アンチ。その矛盾が、彼女の眉間に小さな皺を刻む。

 蒼い瞳が、わずかに細められる。

 

「俺は有馬かなに敬意を払う。演技のクオリティは高く、作品理解も高解像で、共演者やスタッフにも気を遣える。凄い。アイツは凄い人間だ」

 

 しかし、あかねはまだ不満げだった。唇を軽く噛み、視線をテーブルに落とす。指先が、テーブルの木目を何度もなぞる。

 いつもの癖だ。

 

「あかねは不満そうだな。何か因縁があるのか? 一応、同期という括りだから共演もしたことがあったり?」

「うん、そうだよ。かなちゃんは凄い。でも今のかなちゃんは嫌い」

「どうしてそう思う?」

「かなちゃんは太陽みたいな演技をしてた。多くの人を惹きつけて、世界の輪の中心にいるみたいな極光」

「そうか。そうかもな。最終話の演技は凄かった」

「うん、凄かった。でも、もっとできる。手を抜いてるわけじゃないと思うけど、今のかなちゃんは見てられない」

「熱烈なファンだからこそ不満があるわけだ。複雑だな」

「複雑だよ。頑張っているのはわかる。でも便利に使われている有馬かなは嫌いだし、光り輝く演技をする有馬かなが見たい」

「そうか。そうかも。俺もそうだ。傑物が周囲に均されているのを見ると、やるせない気持ちになる分かる」

「そう、そうなんだよ! アンチコメントも酷いし」

「アンチコメントか。それは仕方ないで済ますしかないが、つらいな。嫌な気持ちにはなるのに」

 

 俺たちは有馬かなについて、長い間話した。

 子役時代の輝き。

 売れっ子になった頃のプレッシャー。

 落ち目になった後の、必死の踏ん張り。

 毒舌でマウントを取る性格の裏側にある、誰かをケアしたいという信条。

 俺はあかねの言葉を聞きながら、彼女の瞳の中に映る「有馬かな」の像を、静かに観察していた。

 

 役者の仕事について、真剣に語るあかねの声は、いつもの分析的な冷たさとは違う、熱を帯びていた。

 

 俺はそれを、嬉しく思った。カメラはきっと、そんな俺たちを捉えている。少しでも、黒川あかねに好意的な視聴者が増えることを祈るばかりだ。撮影が終わり、家に戻った。

 

 リビングのソファに座り、俺は目を閉じた。

 静かな部屋に、雪の降る音だけが微かに聞こえる。

 冷たい空気が、窓の隙間から忍び込んでくる。

 

 

 教室の窓から差し込む午後の陽光が、埃の粒子を淡く浮かび上がらせていた。恋愛リアリティーショーの撮影セットとして使われているこの空き教室は、普段の授業の匂いがまだ残っていて、黒板の端に白いチョークの粉が薄く積もっている。

 

 カメラが三台、静かに俺たちを捉え、スタッフの足音が遠くでかすかに響く。

 マイクのブームが頭上をゆっくり回り、赤いランプが点灯している。

 

 俺と黒川あかねは、机を挟んで向かい合って座っていた。彼女の蒼いストレートボブが肩に落ち、瞳が少し緊張で揺れている。

 

 俺はポケットからトランプの束を取り出し、テーブルの上に置いた。

 

「特技があるんだ」

「特技?」

 

 あかねが首を傾げた。俺はトランプを軽くシャッフルしながら、続けた。

 

「ここにトランプがある」

「なんで?」

「これをピュー、シュッってやる」

 

 俺は一枚のカードを指先でつまみ、軽く息を吹きかけるようにして投げた。カードは弧を描き、教室の壁に向かって飛んでいく。シュッ、という乾いた音がして、カードはコンクリートの壁に深く突き刺さった。

 

 端がわずかに震えている。

 

「えっ、ええ!? 刺さった!? なんで!?」

 

 あかねの声が跳ね上がった。彼女は目を丸くして立ち上がり、壁の方を指差す。驚きのあまり、椅子が少し後ろにずれた。

 

 俺はその隙に、片手で残りのトランプをテーブルに広げた。扇状に広がる五十二枚のカードが、陽光を受けてきらめく。

 

 あかねが視線を戻し、息を飲んだ。俺は指でカードを軽く叩きながら、静かに言った。

 

「さぁ、選んで」

「じゃ、じゃあ、これ」

 

 彼女は震える指で一枚を引いた。ダイヤのエース。赤いダイヤが鮮やかに輝いている。

 

「ダイヤのエースか。では俺が教室に突き刺したカードの柄は?」

「ま、まさか……」

 

 あかねはドキドキとした様子で、俺の背中を見つめた。

 俺はゆっくり立ち上がり、壁まで歩いていく。足音が教室の床に小さく響く。壁に刺さったカードを指でつまみ、ゆっくり引き抜いた。

 

 コンクリートに小さな穴が残っている。あかねが声を震わせて言った。

 

「そのカードの柄は……! ダイヤの……」

 

 俺はカードをひらりと返した。

 

「キングだ」

「違うの!? そこは投げたカードと選んだカードの柄が合っている筈では!?」

 

 

 俺は静かに微笑んで、彼女の前に戻った。

 

「いいや、合っているさ。あかね。カードを確認してほしい」

 

 あかねは自分の手に持ったカードを、恐る恐る見下ろした。彼女の瞳が大きく見開かれる。

 

「私のカードはダイヤのエース……ではない!?」

 

 彼女の手には、ダイヤのキングが握られていた。さっき引いたはずのエースが、いつの間にかキングに変わっている。

 

 あかねはカードを二度見し、三度見し、息を詰まらせた。俺は憑依経験でアイの力を借り、世界を騙った。

 世界の認識を、ほんの少しだけねじ曲げた。トリックだ。手品。種も仕掛けもあるが、見破れる者はほとんどいない。

 

「どうだ? 少しびっくりしたか?」

「凄い! 凄いよ!? どうやったの!?」

 

 あかねの瞳が輝き、頰が上気している。俺は肩をすくめて、静かに言った。

 

「トリックだよ」

「トリックって……! そんな簡単に言わないでよ! 今ので心臓止まるかと思った!」

 

 俺は小さく笑って、座り直した。

 

「さて、今度はあかねが話題を提供してくれ。素晴らしく、緻密で、希少で、ヤバいくらいバズるネタを提供してくれ」

 

 あかねは一瞬、目を丸くした。

 

「多い多い多い!! 後半の失速感!! 語呂が悪い!! 無理矢理感あるよ!?」

「気にするな。俺も気にしない」

「気になるよ!」

 

 彼女はむっとした顔で、腕を組んだ。でもすぐに、コホン、と小さく咳払いをして、考え込む。

 

「うーん、そうだね。私が炎上して自殺する夢を見た、とか?」

 

 その言葉が落ちた瞬間、俺の背筋が凍った。心臓が一瞬、止まったような気がした。

 教室の空気が、急に重くなる。カメラの赤いランプが、静かに点滅している。

 あかねはまだ軽い調子で続けようとしたが、俺の表情を見て、言葉を止めた。

 

「……アクアくん?」

 

 俺はゆっくり息を吐き、視線を彼女に合わせた。

 

「……それは、ヤバいくらいバズる前に、俺が止めるネタだ」

 

 あかねは少し慌てて手を振った。

 

「ご、ごめん! 冗談、冗談だって! 暗すぎたよね……」

 

 彼女の頰が赤くなり、視線を逸らす。俺は小さく頷き、テーブルのトランプを片付け始めた。

 

「ああ、ほんとに燃えるぞ」

 

 あかねは黙って頷いた。瞳が少し潤んでいる。教室の外で、雨が降り始めたような音がした。いや、気のせいかもしれない。

 俺たちはしばらく黙って座っていた。

 陽光がゆっくり傾き、影が長く伸びていく。カメラはまだ回っている。

 

 

 

 

 

 

 雪が降り続けていた。

 街は白く覆われ、信号の赤が雪に滲んでぼんやりと広がっていた。俺は事務所の窓辺に立ち、コーヒーのカップを握ったまま、外を見ていた。

 

 カップの縁が冷たく、指先が少し麻痺する。

 黒い液体が、表面で小さな波を立てる。

 一口飲むと、苦味が舌の奥に残った。

 スマホの画面が、時折振動して光る。

 通知の嵐だ。

 俺は見ないようにしていたが、結局、見てしまう。

 

 黒川あかねが炎上した。

 理由はわからない。いや、誰も正確に知らない。

『なんとなく』『流れで』『意味もなく』『覚悟もなく』『それっぽいから』『暇潰しで』『勢いで』——

そんな曖昧な言葉で、黒川あかねを差し貫く刃がネットの海に浮かんで、波のように広がっていく。

 

 火種はどこにもない。あるのは、結果だけ。

 黒川あかねという名前が、突然、憎悪の対象になったという事実だけ。

 昨日まで彼女の名前は、好意的なタグで埋まっていた。

#黒川あかね演技神

#あかねちゃん応援

#努力の結晶

 

 それが、一夜にして反転した。

 理由など、最初からなかった。ただ、誰かが呟いた一言が、誰かのリポストを呼び、誰かの引用RTを呼び、誰かの匿名垢を呼び……雪のように、積もる。

 積もり続ける。SNSのタイムラインをスクロールすると、言葉が並ぶ。

 

容姿。

「顔がキモい」「目が冷たい」「笑顔が不自然」

性格。

「真面目ぶってるだけ」「陰キャ」「自己中」

声。

「声が低い」「鼻にかかってる」「演技臭い」

表情。

「いつも計算してる顔」「目が笑ってない」

努力。

「努力アピールうざい」「根性論で誤魔化してる」

真面目さ。

「真面目ぶってるのが一番嫌い」

すべてが、批判の的だ。

 

「なんか気に入らない」

 その一言だけが、伝播する。

 理屈はない。論理はない。ただ、感情の塊が、雪崩のように降り積もる。

 

 トレンド1位。

#黒川あかね消えろ

#黒川あかね最低

#あかね炎上

 

 関連ワードが、次々と浮上する。画像合成された悪意のコラ画像。過去のインタビュー動画に、侮蔑のコメントが無数に付く。

 彼女の公式アカウントの最新投稿は、数百件の「いいね」に対して、数万件の悪意の返信。数字が、ただの数字ではなく、刃のように感じる。俺はカップを置いた。

 指が震えていた。いや、震えていない。俺の心が、静かに震えているだけだ。部屋の中は静かだった。

 雪の音が、窓ガラスを優しく叩く。

 カーテンの隙間から、淡い光が差し込む。

 アイの声が、頭の中に響く。

 

『アクア……あかねちゃん燃えちゃったねー』

「知ってる」

『でも、理由がないんだよね。なーんにも悪いことしてなかったたのに』

「ああ、炎上自体はよくあることだ。前もそうだった。怖いのは、理由がないことだ。何かバトル漫画的な現象。原因があって炎上したのではなく、炎上を確定させてから原因が発生したのかもしれない」

『よくわかんない』

「因果律の反転。原因と結果があべこべなんだ。小さな原因と大きい結果。だからこそ、か? 黒川あかねは炎上しない。だからこそ大炎上する。逆説的なスタイル」

 

 俺はコートを羽織った。

 厚手のウールが、肩に重くのしかかる。

外へ出る。雪が、靴の先を白く染める。街路樹の枝に積もった雪が、風に揺れて落ちる。

誰もいない道を歩く。足跡だけが、黒く残る。時折、通り過ぎる車が、雪を跳ね上げる。

 タイヤの音が、遠くで響く。

 スマホがまた振動した。

 通知。

 また通知。

 あかねの名前が、トレンドに上がっている。

 ハッシュタグが、増殖する。

#黒川あかね最低

#あかね消えろ

#演技下手

#性格悪い

#顔が気に入らない 気に入らない。

 

 それだけだ。理由など、最初からない。

ただ、誰かが呟いた一言が、誰かのリポストを呼び、誰かの引用RTを呼び、誰かの匿名垢を呼び……

雪のように、積もる。積もり続ける。

 俺は歩きながら、思い出す。

 あの個室での会話。

 MEMちょの警告。

 

『恋愛リアリティーショーに出るなら、もう一人のキャラクターを作らないと』

 

 あかねは頷いた。

 真面目に、努力して。

 自分を開示する練習を、必死にやろうとした。

モンブランが好きだと言ったときの、わずかな照れ。

 ティラミスを挙げたときの、小さな声。

 ショートケーキの生クリームが多めのやつ——

 そんな些細な本音を、初めて言葉にした瞬間。

 あのときの彼女の瞳は、ほんの少しだけ柔らかかった。

 でも、今は違う。

 これは、番組の外だ。

 何の演出もない、ただの現実。

 火種すらない炎上。カフェのガラス越しに、自分の姿が見えた。

 金髪。

 アクアマリンの瞳。

 陰のある顔。

 俺は、静かに息を吐いた。

 白い息が、ガラスに曇る。すぐに消える。あかねは今、どこにいるのだろう。部屋に閉じこもって、スマホの画面を眺めているのだろうか。

 

 エゴサーチをやめられない彼女は、きっと今も、言葉の嵐の中にいる。食欲を失い、眠れず、ただ耐えている。ベッドに横たわり、膝を抱えて、震えているのかもしれない。または、鏡の前で、自分の顔をじっと見つめているのかもしれない。

 

 「気に入らない」と言われた顔を、何度も、何度も。雪が、頰に当たる。

冷たい。でも、俺の胸の奥は、もっと冷たい。

 俺は歩き続ける。黒川あかねに会いにいく。ただ、あかねのいる場所へ、近づきたいと思った。いや、近づけないかもしれない。

 

「死なせないぞ、絶対に」

 

 彼女は一人で抱え込むタイプだ。

 真面目で、努力家で、内向的で。

 だからこそ、壊れやすい。壊れたら、二度と元に戻らないかもしれない。街の角を曲がると、大きなスクリーンがあった。

 

 広告が流れている。

 黒川あかねの顔が、一瞬映った。

 次の瞬間、周囲の人達からの叩きの嵐。

「消えろ」「死ね」「演技下手」「性格最悪」

 

 俺は立ち止まった。

 雪が、肩に積もる。誰も俺を見ていない。誰も、俺の瞳を見ていない。

 

『アクア』

 

 アイの声が、また響く。

 

『あかねちゃんを、助けてるの?』

「当たり前だ」

 

 俺は頷いた。小さく。雪は降り続ける。白く、無機質に。街は静かに眠っている。でも、この街のどこかで、黒川あかねは、まだ息をしている。少なくとも、今は。

 まだ、終わっていない。

 俺は歩き出した。

 雪の中を。彼女のいる場所へ。理由など、いらない。ただ、行きたいと思った。

 それだけだ。

 

『アクア。ちょーっとヤバいかも。凄い強いお化けがやって来ちゃった』

 

 俺は目を開けた。

 

「なに?」

『いやー、特別なのも困りものだね。私に惹かれてやってきちゃったのかな?』

「何の話だ」

 

 その瞬間、スマートフォンが小さく振動した。ピコン。

 画面に、奇妙なメッセージが浮かぶ。

 

『死滅回游が開始されます。参加しますか? YES・NO』

「今はそれどころじゃない」

『アクア、放っておくとみんな死んじゃうかも』

「ふざけんなよ、マジで。タイミング悪すぎるだろ」

『今、だからだよ。黒川あかねへの負の感情が高まった。だからそれに伴って、敵が現れた。呪霊。それもかなり強い。どうする? アクア』

「クソっ、最速最短で倒す。手伝ってくれ、アイ」

『いいよ!』

 

 俺は指を動かした。

 YES。画面が一瞬、白く閃いた。

 空気が、わずかに歪む。

 雪の降る音が、遠ざかる。代わりに、何か巨大なものが、ゆっくりと息を吐くような気配がした。

 俺の胸の奥で、心臓が一つ、大きく鳴った。外の雪は、まだ降り続けている。

 街灯の下で、積もった白が静かに輝く。でも、俺の胸の奥で、何かが始まっていた。冷たい、

 

 無機質な、死の遊戯。

 俺の知る世界は、もう少しだけ、歪み始めていた。

 少なくとも、今は。

 

 渋谷の街は、静かすぎるほど静かだった。スクランブル交差点の信号は、赤と青と緑を機械的に繰り返すだけ。

 車は一台も走っていない。

 人影はどこにもない。ただ、雪が積もり、足跡のないアスファルトを白く染めていく。

 

「綺麗だ」

 

 ぼんやりと光を放ち、雪に反射して淡く揺れる。

まるで、世界が一時停止した後の残像のように。俺は、センター街の入り口に立っていた。

 コートの下で、息が白く凍る。

 

「なんだあれ」

 

 何かが変わった。

 空気が、重く、粘つく。

 遠くで、何かが息を潜めている気配。

 

「憑依経験」

 

 俺は小さく呟いた。頭の中に、アイの声が響く。

 

『黒沐死。ゴキブリの特級呪霊。能力は分からないけど、このタイミングで現れたってことは、あかねちゃんの炎上と関係あるんだろうね。全力でやろう。大嘘憑きは使う?』

「あれは取り返しがつかない。乱用すれば世界をなかったことにしてしまう。使うのは最後の手段だ」

『わかった。あ、他のプレイヤーだ』

 

 視界の端で、二つの影が現れた。

 雪の粒子を切り裂くように、ゆっくりと近づいてくる。

 情報が脳内に直接入ってくる。

 一人は、スーツにネクタイをきっちり締めた男。

 七海建人。

 眼鏡の奥の瞳は、冷静で、どこか疲れた色をしている。もう一人は、黒いシャツにズボン、筋肉が服を押し上げるような体躯。

 伏黒甚爾。

 天与呪縛によりフィジカルギフテッドを得て、鬼人のように化けた男。呪力は微塵もなく、ただ肉体だけが異常に研ぎ澄まされている。

 

『何故かわかる。プレイヤー同士の情報は共有されるのかな』

 

 その存在感は、空気を歪ませる。

 甚爾が、口の端を歪めて笑った。

 

「今日はボス一人か。サクッとやって終わりだ」

 

 七海が、静かにため息をつく。

 

「油断していると死にます。気をつけてください」

「はいはい」

 

 甚爾の声は、低く、楽しげだ。七海はネクタイを軽く直し、俺の方を見た。その視線は、俺を値踏みするように冷たい。

 雪が、俺の髪に積もる。

 冷たい。でも、俺の胸の奥は、もっと冷たい。渋谷の街は、民間人など一人もいない。ただ、プレイヤーだけが、結界の中に閉じ込められている。

 死滅回游。

 プレイヤーと呪霊の殺し合い。

 俺は、コートのポケットに手を入れた。

 指先が、わずかに震える。いや、震えていない。俺の心が、静かに震えているだけだ。

 

 甚爾が、一歩踏み出す。地面の雪が、音もなく潰れる。七海が、ゆっくりと呪力を纏う。比率術式。七対三の線。

 甚爾は、そんなものなど関係ない。ただ、肉体で、すべてを砕く。

 俺は、息を吐いた。白い息が、雪の中に溶ける。アイの声が、また響く。

 

『頑張れ、男の子』

「アイがあれば、俺は負けない」

 

 俺は頷いた。

 小さく。雪は降り続ける。

 白く、無機質に。

 渋谷の街は、静かに眠っている。

 黒沐死から距離を取り、二人のそばに近づくべく俺は、一歩踏み出した。

 雪の中を。

 二人の男に向かって。理由など、いらない。

 ただ、生き残りたいと思った。そして、黒川あかねを助ける。

 

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