復讐の後は超強くてニューゲーム 作:実験者
黒沐死は沈んだ。
特級レベル4人からの最大火力。あべこべの術式を持つ黒沐死とはいえ勝てなかった。正面から圧倒的な火力で討滅された。
「はい、終了。解散、解散」
しかし問題はここからだった。
恋愛リアリティーショーで発生する黒川あかねに対する意味不明な炎上。
その理由はゴキブリの特級呪霊、黒沐死の『あべこべ』の余波だ。
黒川あかねは『炎上する可能性が低い』だから『炎上する可能性が高くなる』。
ここで問題となるのは、今回の『あべこべ』による炎上被害を生み出した黒沐死を討伐しても、結果は残る。
黒川あかねが『意味不明』で『理解不能』な『理不尽な事故』で大爆発して大炎上した結果は残る。そして被害者の心の傷も残るのだ。
俺は黒川あかねの家に向かった。
あかねのお母さんが出迎えてくれて、家に通してくれた。そして、あかねの部屋の空気は、静かで温かく、でもどこか甘い疲労感に満ちていた。スタンドの橙色の灯りが薄れ、夜の闇が窓の外からゆっくりと部屋に忍び込んでくる。
あかねはベッドの上で、膝を抱えたままの姿勢で眠っていた。呼吸は穏やかで、腫れていた目はもう閉じられ、頰の涙の跡だけが、淡い光に残っている。彼女の蒼い髪が枕に広がり、静かな海の底に沈んだように見えた。
俺はベッドの端からゆっくり立ち上がり、彼女の肩にそっと毛布をかけた。
指先がわずかに触れた瞬間、彼女の体温が伝わってきて、胸の奥が小さく疼いた。眠っているあかねの顔は、穏やかだった。
心の傷を『なかったこと』にした代償として、彼女は今、少しだけ違う表情を浮かべている。少しだけ、無防備で、少しだけ、軽い。胸の奥で、アイの声が響いた。いつものように、甘く、からかうように。
『あかねちゃんことは好き?』
俺は小さく息を吐き、部屋の隅に視線を移した。半透明のアイが、笑顔を浮かべて佇む。
「好感は持てる」
アイは俺を見て、ニヤニヤと笑った。星を宿した瞳が、暗闇の中で輝く。
『ふーん。好感は持てるかぁ。アクアらしいね。素直じゃないんだから』
俺は肩をすくめた。言葉を返す気にもならず、ただ静かに部屋を見回した。あかねの机の上に置かれたスマホは、電源が切られている。
『嘘は愛だよ』
アイの声が、また優しく響く。
『私も、アクアも、ルビーも。そうやって生きてきたんだもん。あかねちゃんにも、少しだけ嘘ついた。彼女の心の傷をなかった事にした。フィクション。大嘘を使った。それはアクアからの愛だと言っても過言じゃない』
俺は答えなかった。ただ、頷くように息を吐いた。俺は静かに部屋を出た。扉を閉める音が、廊下に小さく響く。
あかねの母親が階段の下で待っていた。彼女は俺を見て、穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、アクアくん。あの子、少し思い詰めているかもしれなくて」
「いえ。少し休ませてあげてください」
俺は頭を下げ、玄関へ向かった。靴を履き、ドアを開けると、夜の冷たい風が頰を撫でた。高級住宅街の通りは、静かで、街灯の光がアスファルトに細長い影を落としている。
俺はポケットに手を入れ、ゆっくり歩き始めた。
嘘は愛。それは俺とルビーとアイの、共通の認識だ。自らの愛ゆえに嘘を吐き、他者を愛するが故に嘘をつく。
アイはいつも笑って言っていた。
『本当の愛は、相手を傷つけない嘘の上に成り立つ』って、
俺はそれを信じてきた。信じ続けている。でも今、俺の嘘はあかねの心に小さな歪みを残した。
彼女の傷を『無かったこと』した。炎上の実感をほとんど失い、理由のわからない恐怖や困惑はなかった事にしたなった。
上手く扱えば成長の糧になるはずだった痛みを、俺は奪ってしまった。それが正しかったのか、間違っていたのか。わからない。ただ、あかねが今、穏やかに眠れている。それだけで、十分だと思いたかった。
次は、この『意味不明な炎上』についての対応だ。
黒沐死の『あべこべ』の余波は、まだ終わっていない。効果範囲も効果対象も意味不明だ。
あかねの心の傷は消えたが、世界に残穢は残っている。
俺はスマホを取り出し、七海さんからの連絡先を確認した。
短いメッセージを打つ。
『あべこべが発端で、SNSで炎上した被害者がいます。俺は彼女を助けたいです。協力お願いできないでしょうか?』
送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた。
七海さんからの返信は、簡潔だった。
『了解しました。引き受けましょう。その上で説明したいこともあるので、空いている時間を教えてください』
俺は小さく笑った。夜空を見上げると、星が一つ、ぽつんと光っている。アイの瞳みたいだ。
俺は歩き続けた。足音が、静かな住宅街に響く。嘘を纏いながら、本物の愛を探して。
いつか、この嘘が本物になる日が来るのか。それとも、永遠に嘘のままでいいのか。わからない。でも、今はまだ、歩ける。
夜風が、俺の髪を優しく揺らした。
翌日、仕事だ。
学校の屋上は、午後の陽光が斜めに差し込み、コンクリートの床に長い影を落としていた。
フェンスの向こうに広がるグラウンドでは、恋愛リアリティーショーの撮影が再開され、スタッフの声が遠くから波のように寄せては返ってくる。
俺とMEMちょは、いつものように屋上の隅に腰を下ろし、ペットボトルの水を分け合っていた。彼女の金髪が風に揺れ、悪魔のカチューシャが陽光を受けて小さく光る。
鷲見ゆきたちの三角関係は、変わらず続いていた。熊野ノブユキの固い肩、森本ケンゴの鋭い視線、ゆきの困ったような微笑み。
あの三人は、カメラの前で本物の感情を晒し続けている。俺たちはただ、それを静かに眺めるポジションに落ち着いていた。
友人として、傍観者として。MEMちょは膝を抱え、スマホを弄りながらぽつりと呟いた。
「なぁ。MEMちょ先輩」
彼女は顔を上げ、いつものぶりっ子した笑みを浮かべた。
「なに〜? アクたん後輩」
俺は息を吐いて、言葉を続けた。
「MEMちょ先輩は、あかねの炎上の件はどう見る?」
「え」
MEMちょは一瞬、言葉を失った。彼女の瞳がわずかに泳ぎ、すぐに視線を落とした。ため息が、ゆっくりと漏れる。彼女なりの損得勘定が、頭の中で回っているのがわかった。個人で生きてきた人間の、慎重な呼吸。
「……個人的な意見として言わせてもらえるなら、交通事故かな」
「交通事故?」
「炎上にもパターンがあるし、今回はその典型例の一つではあると思う」
俺は黙って頷いた。彼女は続ける。
「具体的には?」
「本人が関係ない場所で、肯定派と否定派が燃え上がって、煽る人があかねちゃんを巻き込んだ結果、多くの人に伝播して大爆発。これほど大規模な炎上になるには弱いとは思うけど、それについてはなんとも言えないね」
「運か」
「だね。場外乱闘に巻き込まれた感じ」
弱い。可能性は低い。だからこそ、『あべこべ』の効果で強く、可能性は高くなる。黒沐死の残した呪いが、世界の理屈を逆さまにしていた。
俺は静かに息を吐いた。
「場外乱闘はこちらの操作できない運だよ。だからアクたん後輩はあかねちゃんを支えてあげて」
「……わかった。出来る限りやってみよう。彼女には時間が必要だ」
MEMちょは小さく頷き、スマホの画面を閉じた。彼女の横顔は、いつもより少し疲れていた。俺は一人になった。屋上の風が、髪を軽く揺らす。
そこに、アイがいた。誰もいないはずの空間に、彼女の存在が静かに浮かぶ。星を宿した瞳が、俺を覗き込む。『嘘』アイは笑った。
いつもの、甘く、少し意地悪な笑み。
『時間が必要? それはそう。でも、アクアは舞台に引き上げるんでしょう? あかねちゃんの力を引き出す為に。スパルタだね』
俺は答えなかった。ただ、フェンスに寄りかかり、空を見上げた。
『嘘は愛。だけどそれは私達の話。私達の価値観であり、感じ方。みんなは違う。ほかの人はそうじゃない。私達は外れ値』
アイは笑う。声が、風に混じって耳に届く。
『今度はアクアが叩かれるかもよ。アクアは何になりたいの?』
俺は静かに、しかしはっきりと答えた。
「俺は太陽になりたい」
全てを照らし、力を与える極光。近づくものを全て焼き尽くして、浄化する圧倒的な存在。俺はそうなりたい。どんなに熱くても、どんなに痛くても、ただそこに在って、光を注ぎ続けるもの。アイの笑みが、少しだけ柔らかくなった。
『太陽』
彼女の姿が、ゆっくりと薄れていく。風が強くなり、グラウンドの喧騒がまた聞こえてきた。俺は目を閉じ、深く息を吸った。胸の奥で、何かが静かに燃え始めているのを感じた。
嘘は愛だ。でも、それは俺たちの話。他の人は違う。俺は知っている。それでも、俺は太陽になる。たとえ叩かれても、焼かれても、ただ照らし続ける。
俺は『カメラ』に向かって、格好つけて言う。
「まずは気概を見せるべし。それがないと羽ばたくことはできない」
揺るがぬ決意が明日を目指す光になるなら、それは逆説的にいちいち迷っている者には資格がないということ。
迷わず、利用して、自らの命すら使用した。
迷った時はあるが、復讐する必要が無くなったからであり、復讐対象が明確にいる限りその理念に迷いはなかった。
ああ、確かに。前の人生ではそうだった。
「安全圏から石を投げつけられると? そいつらのことが気になると? だから? それが? 何だというのだ、関係ないだろう。勝てば良い。命を燃やし、全身全霊で進み続け粉砕する」
厳しい現実など二の次だ。重要なのは覚悟。
気合、根性、精神力。それを滾らせて怒りを糧に立ち向かう雄々しさこそ光なら、黒川あかねが衰弱する理由もまさしく単純。
理屈をこねて、視聴者の撃滅を後回しにする輩など燃え尽きて当然だ。
「己が誇る真実は、己の意思で掴み取れ」
前へ、前へ。
壊れたように歩み続ける決意と対抗できるのは狂気のみ。
英雄という魔人になれ、と。
「黒川あかね。砕き、穿ち、蹂躙しろ。お前の未来を閉ざそうとする邪魔な現実など、実力で捩じ伏せ、壊してしまえ」
カメラに対して挑むように立ち向かう。
「前を向け。今のお前になら聞こえる筈だお前の道を塞いでいるのは取るに足らぬ恐怖心。恐怖を捨てろ。前を見ろ。進め。決して立ち止まるな」
俺は立ち上がり、階段の方へ歩き始めた。
「戻ってこい。共に戦う準備はできている」
足音がコンクリートに小さく残る。
太陽は、沈まない。少なくとも、今は。