復讐の後は超強くてニューゲーム   作:実験者

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 雪が止んだ後の東京は、どこか息苦しかった。

 午後の陽射しが薄く、ビルの隙間を抜けてアスファルトに淡い影を落としていた。恋愛リアリティーショーの撮影スケジュールは午前中で終わった。

 芸能科学校の講義は午後遅くから。

 その狭い合間に、俺はスマホを握りしめ、有馬かなに短いメッセージを送った。

 

『二人っきりで会いたい』

 

 送信ボタンを押した瞬間、胸の奥で小さな波が立った。

 返事はすぐに来た。

 

『どこ? 時間あるわよ』

 

 俺は鏑木プロデューサーが以前に教えてくれた店を指定した。

「密会向け」と彼が笑いながら言った、あの店。

表向きは小さなバーだが、地下に防音の個室があって、カメラもマイクも入らない。

 芸能人が息を潜めて会うための場所。

 鏑木プロデューサーは「ここなら、誰にも邪魔されずに本音が出せる」と、意味深に付け加えていた。

 

 店は、渋谷の路地裏、古いビルの地下にあった。階段を降りると、湿った空気と、かすかにジャズのメロディーが混じり合う。木の扉を開けると、カウンターの向こうにバーテンダーが一人。

 無言で頷き、俺たちを奥の個室に案内した。

 壁は深緑の布張りで、吸音効果が高い。

 テーブルは黒檀、照明は橙色に落とされ、まるで時間が止まったような静けさ。

 部屋に入ると、ドアが閉まる音が小さく響いた。

 外の喧騒が、完全に消えた。有馬かなは、コートを脱いで席に着いた。

 紅い髪が、照明に照らされて柔らかく光る。

 彼女はグラスを指で軽く叩きながら、俺を見上げた。

 

「なんでこんなお店知っているわけ?」

「コネ」

「お金はあるんでしょーね。アンタみたいな木っ端役者は金がないと思うけど。貴方がお願いするなら貸しにしてあげても良いけど?」

「ありがとう、その気遣いだけは受け取る。が。大丈夫だ。最近、纏った金が手に入った」

「臓器売買はやめなさい。身体壊すわよ」

「そういう問題じゃねーだろ」

「それなら薬? 購入者より売人の方が罪が重いからやめなさい」

「なんで法律違反前提なんだ。お前は俺をなんだと思ってんだ」

「じゃあなんで?」

「コネ」

「全部コネじゃねーか!」

 

 彼女は小さく笑った。毒舌のトーンに、どこか安心したような響きが混じってきている。

 俺たちはグラスを傾け、軽い雑談を続けた。学校の先生の愚痴、最近のドラマの裏話、SNSでバズったくだらない動画。

 ジャズの低音が、部屋の隅を優しく撫でる。

 心地よい間が流れる。

 照明が、彼女の紅い瞳を柔らかく映す。

 俺はようやく、息を吐いて本題を切り出した。

 

「有馬。演技について相談だ」

「演技?」

 

 彼女の目が、ぱっと輝いた。自分の領域に踏み込まれた喜びが、隠しきれずに顔に出る。

 有馬かなは、天才子役だった。

 幼少期から演技力に優れ、人格面は傲慢で、周囲を圧倒する光を放っていた。でも今は違う。

 平凡に近い。

 それが、彼女の強さでもある。

 売れなくなった後の、長い沈黙。

 再び立ち上がるための、静かな努力。

 

「演技で飯食ってる私への相談なんてこれは大きな借りになるわよ」

「ここの飯代じゃ駄目か?」

「駄目」

「わかった。俺としても切実な問題でな。ある程度は許容する」

「言質とったわ。で?」

「内容としては、どうやれば『弱くなれるか』という話だ。天才一括りに語ると失礼な話だが、天才子役の有馬かなは傲慢かつ適正年齢を過ぎた際に売れなくなった。逆に黒川あかねは子役は売れず、しかし今、売れている。売れた天才ならば早いか遅いかの違いでしかない。実力面でも努力すれば最高クラスの実力というのも実証している。だからこそ、有馬かなに問いたい。どうやって弱くなった?」

 

 有馬は一瞬、目を細めた。

 それから、ゆっくりとグラスを置いた。

 指先でテーブルの木目をなぞる。

 いつもの癖だ。

 

「なに、喧嘩売ってるわけ? はぁ、でもおおよその内容は理解できたわ。貴方の言いたい部分は。確かにこれはハイレベルのクオリティを安定させる人間でないと理解できない話でしょうね」

 

 彼女は椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げた。ジャズのサックスが、ゆっくりと息を吐くように響く。

 

「演技の技量ではなく、そこから戻る方法について聞きたいわけね。それも強い人間から弱い人間に戻る。何かしらの逸脱した存在を演じた後に、星野アクアという人間。アンタの言葉に合わせるなら弱くなる方法が知りたいと。だから順当に成長した黒川あかねではなく、年齢と価値が反比例した私に問う必要があるわけね」

 

 俺は、彼女の知性に静かに驚嘆した。

 一言で、俺の核心を突き刺す。

 

「さすがの理解力だ。その考えで間違っていない。最近の俺はビックマウスの連続で、それを現実にできている。だが、これほまずい。現実はそういうのではない」

「はぁー? 現実にできているならそれでいいと思うけど? 生活に問題があるわけでもなく、その危険性に気付いている。それなら問題ないじゃない」

「朱に交われば赤くなる。いや悪魔と遊べば悪魔になる。俺は悪魔になっている気がする。しかもその根幹が『成長し続ける特性』だ。言い換えれば停止の利かない欠陥。ある目的に果たす為に強く成長し続ける人生から解放されても、逆に弱くなれない後遺症が残ってしまった」

 

 有馬は黙って俺を見た。

 紅い瞳が、橙色の照明に揺れる。

 彼女はグラスを指で軽く叩きながら、ぽつりと言った。

 

「随分と言い回しが詩的ね。こういう言い方は失礼だとは思うけどスキルじゃなくてメンタルの話なら両親とかに相談したほうが良いんじゃない?」

「母親は刺殺された。俺が看取った。父親は消えた。親代わりの人はいるが、事情を知ってるからこそ負担をかけたくないんだ」

 

 有馬の表情が、わずかに変わった。彼女はグラスを置いて、俺の顔をじっと見つめた。

 

「私なら構わないと?」

「友達だからな。それにもっと深い関係になりたいと思っている。お前にも色々あったのは知っている。芸能人だから、調べればすぐ見れた」

「そう」

「俺だけお前の過去を知っていて利用するのはフェアじゃない。だから両親の事も話した。言いふらすのはやめてくれ」

「ええ、もちろん。でも、アンタは役者になる前に病院で休んだほうが良いんじゃない? 壊れるわよ、きっと」

「ありがとう。母さんの呪いでね。役者になった俺が見たい、って言って死んだんだ。だからまぁ、出来る限りやってみようって思っているんだよ」

 

 有馬は小さく息を吐いた。

 それから、ゆっくりと笑った。

 毒舌の仮面の下に、優しさが覗く。

 

「呪いか。祝福か。大変ね。でも友達の私は優しいから隣にいてあげるわ。一人で老後を過ごすのも寂しいでしょう」

「感謝するよ」

 

 個室の空気が、ほんの少し温かくなった。

 ジャズの音が、遠くで続く。

 グラスの氷が、静かに溶けていく音。

 外では、雪の残る街が静かに息を潜めている。でも、ここだけは、少しだけ、時間が止まっていた。少なくとも、今は。

 俺たちはグラスを合わせた。

 小さく音が響いた。

 

 

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