復讐の後は超強くてニューゲーム   作:実験者

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 俺と有馬は、住宅街の細い路地を並んで歩いていた。

 

 夕方の空は薄いオレンジに染まり、電柱の影が長く伸びてアスファルトに落ちている。風が時折吹き抜け、道端の桜の木から遅れて散った花びらが舞い上がった。

 

 俺の制服の裾が軽く揺れ、有馬のスカートもふわりと浮かぶ。有馬は歩きながら、何度も俺の横顔をちらちら見ていた。

 

 明らかに何か言いたげだ。やがて我慢できなくなったように、口を開いた。

 

「ねぇ、色々と聞きたい事があるんだけど。なんで演技やめたの? アンタ上手かったじゃない」

 

 俺は前を向いたまま、足を止めずに答えた。

 

「演技は手段の一つだったからな。親の呪いってわけじゃないが、役者の才能はあると言われて、それを目指していた時期はあった」

 

 有馬は少し眉を寄せた。

 

「いた、ね。もう嫌になったの?」

「好きも嫌いもない。あくまで手段の一つだった。でも、それに囚われる必要性もない。才能はなかったが、ある程度できるようになった。錆びついてもいないはずだ。定期的に復習はしてる」

 

 有馬は小さく息を吐いて、足音を合わせながら続けた。

 

「そう。役者は手段の一つ。そういう認識なのね、貴方は」

「あくまで俺の場合だ。俺にとっては人生で使う手札を増やした感覚だが、好きだからやる奴もいるのは理解している。有馬もそういうタイプだろ。子役時代の貯金を切り崩しても売れない役者を続けている」

 

 有馬の歩調が一瞬乱れた。

 彼女は唇を軽く噛んで、目を伏せた。声が少し低くなる。

 

「好き、ね。確かに私は役者が好きでやっているわ。コミュニケーション取れず落ちぶれたけどね。仕事全体のクオリティより、その場の気配りの役割としてしか期待されていない」

 

 

 俺は黙って頷いた。

 実力があっても態度が悪ければ弾かれる。弾かれてもしがみついて、過去のわがままを反省し、性格やスタンスを調整した演者なら、上から都合のいい道具として使い潰されるのは当然だ。

 

 過去の知名度、実力、周囲を活かす立ち回り――すべてが揃っていれば、問題ある現場の処理役として最適な人材になる。

 

 文句を言わず、適切に仕事をこなす。ギャラも安い。合理的だ。有馬が俺の沈黙に耐えかねたように、頰を少し膨らませて言った。

 

「フォローしなさいよ」

 

 俺は小さく息を吐いて、視線を彼女に戻した。

 

「そうだな。落ちぶれたとは言うが、現場は回る。それならそれで良いんじゃないか? クオリティの高い現場で活動したいなら、何も言えないが」

 

 有馬は即座に返した。

 

「したいわよ、クオリティの高い現場で全力の仕事。雑な仕事現場をフォローするんじゃなく、実力を買われた仕事をしたい」

「そうか。そうだな。そうだろう。ならお互いに助け合っていこう。厳しい現場で助けが必要なら呼んでくれ。逆に俺が困っていたら助けてくれ」

 

 有馬が少し目を丸くした。驚いたような、でもどこか嬉しそうな表情。

 

「助けてくれるの?」

「友達だからな」

 

 

 有馬は一瞬言葉に詰まって、それから小さく頷いた。頰がわずかに赤らんでいる。

 

「そっか。なら今助けてもらおうかな」

 

 俺は思い出した。少女漫画原作のドラマで、全体のクオリティが低く、役に穴が空いて困っていた現場だ。参加するのは構わない。スキルは使わないと錆びつく。

 現場の空気を体感しておくのも役に立つ。前とは違う感想を抱くかもしれない。

 

 

「問題ある現場だけど、良い?」

「友達だからな。友情出演だ。まぁ流石に事務所に話は通す必要があるが」

 

 有馬の顔がぱっと明るくなった。

 

「ありがとう、アクア。貴方の演技、楽しみにしている」

 

 俺たちはそのまま歩き続けた。住宅街の角を曲がると、古いアパートが見えてきた。有馬が少し照れくさそうに言った。

 

「なら、色々と情報を伝えないとね。そうね……話せる場所……私の家に来る?」

「ああ、行く」

「え!? 一人暮らしの女の子の家に行くの!? 即決即断で!? もしかしてアンタ」

「合意なく手を出したら犯罪だ。誘ってきたなら乗るのも良いと思うが、お互いに関係値がないからな。今日は普通に仕事の話だ」

 

 有馬は顔を真っ赤にして、慌てて手を振った。

 

「そ、そう。そうよね。当たり前の話ね」

「じゃあ家に案内してくれ。お前が何で困っているのかを、お前の口から教えてくれ」

 

 有馬の部屋は駅から徒歩十数分のマンションだった。途中でスーパーに寄り、俺は鶏もも肉、玉ねぎ、にんじん、ピーマン、醤油、みりん、酒、生姜、にんにくを買った。有馬が不思議そうに俺の買い物かごを覗き込む。

 

「何買ってるの?」

「後で使う」

 

 有馬は首を傾げたまま、俺の前を歩いていく。

 マンションについて部屋のドアを開けると、予想に反して質素な部屋だった。

 家具はシングルベッドと小さなテーブル、椅子一脚。壁際に仕事用のデスクとパソコン、台本の山。棚の上に置かれたブランドのバッグと靴が、妙に浮いている。

 

 個人的に好きなもの――本、CD、ぬいぐるみ、家族の写真――は何もなかった。

 部屋全体が、どこか仮住まいのような冷たさを持っていた。有馬がため息をついた。

 

「食事は全部外部に頼ってるわ。コンビニとかデリバリーばっかり」

「わかった。何か作るぞ」

「私、料理できないけど」

「見ていれば良い。ちなみに食べれないものはあるか? 苦手なピーマン以外にアレルギーとか」

「ないわ。というか何でピーマン嫌いなの知ってるの?」

「なんかで見た。俺も苦手だ。じゃあ作るぞ。材料は既に買ってある」

 

 有馬が目を丸くした。

 

「そのための買い物だったの? なんで、そんなこと」

「一人は寂しいからな」

 

 有馬は少しの間、黙って俺を見ていた。それから小さく笑った。どこか照れくさそうに。

 

「……変な人ね、貴方」

「そうかもしれない。そっちは仕事あるのか? 名前は聞かないが」

「うっ。そうね、仕事はあるけど端役ね。アクア、アンタも話を聞かないけど?」

「俺は裏方志望だ。演技もできるが、メインよりサポートの方がやりやすい。あるいはマネージャーか」「そう。残念ね」

「演者として期待してくれてたのか?」

「別に? そんなことないわ」

 

 俺はキッチンに立ち、肉を切り始めた。包丁がまな板に当たる音が、静かな部屋に響く。玉ねぎを薄切りにし、にんじんを乱切りにし、ピーマンを細切りにする。

 

 有馬はカウンターに肘をついて、じっと見ていた。俺はフライパンを熱し、油を引いて生姜とにんにくを炒めた。香りが部屋に広がると、有馬の鼻が小さく動いた。肉を加えて色が変わるまで炒め、野菜を投入。

 

 醤油、みりん、酒、砂糖で味を調える。蓋をして少し煮詰め、最後に火を止めて完成。有馬がぽつりと言った。

 

「……いい匂い」

 

 俺は皿に盛り、テーブルに置いた。

 

「食えよ。冷める前に」

 

 有馬はフォークを手に取り、一口食べて目を細めた。

 

「……おいしい」

 

 俺は向かいの椅子に座り、自分の分を食べ始めた。夕陽が窓から差し込み、部屋を柔らかく染めていた。

 

 外では遠くで子供の笑い声が聞こえる。静かな夕暮れの中で、俺たちは黙って食事を続けた。有馬が小さく呟いた。

 

「……ありがとう、アクア」

 

 俺は箸を置いて、静かに頷いた。

 

「ああ。いつでも呼べよ。愚痴でも、雑談でも構わない」

 

 有馬は少し照れたように笑って、頰を赤らめた。部屋の中は、温かい匂いと、ほんの少しの安堵に満ちていた。

 

 夕陽が完全に沈み、部屋の明かりだけが柔らかく灯っていた。

 有馬の小さなテーブルに、湯気の立つ皿が二つ並んでいる。

 

 俺が作った生姜焼きと野菜の炒め物。香りがまだ部屋に残り、静かな空間を温かく包んでいた。有馬はフォークを手に取り、一口、二口とゆっくり食べ始めた。

 

 最初は黙って咀嚼していたが、ふと箸を止めて俺を見た。

 

「……本当に、おいしい。ありがとう、アクア」

 

 彼女の声は少し掠れていて、どこか照れくさそうだった。俺は自分の皿に箸を動かしながら、軽く頷いた。

 

「気にすんな」

 

 有馬は小さく笑って、再び食べ始めた。しばらくの間、フォークと皿の音だけが響く。

 彼女は時折、視線を窓の外の暗くなった空に移し、それからまた俺の方に戻す。何か言いたげな様子だった。やがて、有馬がぽつりと口を開いた。

 

「今の仕事……本当に厳しいわ」

 

 俺は箸を置いて、彼女の顔を見た。有馬は皿を見つめたまま、言葉を続けた。

 

「顔の良いモデルを起用して、演技力なんて二の次みたいな現場。監督もプロデューサーも、予算も時間も計画も全部杜撰で、ガタガタよ。台本は直前まで変わるし、照明は適当、カメラワークは迷走してる。だけど……その中で私は役者としても、人間関係に気遣いして回さなきゃいけない」

 

 彼女は苦笑いを浮かべた。

 

「肝心の演技力を抑えて、周りを立てる。相手のモデルが棒読みでも、なんとかシーンを成立させる。表情でフォローして、間を取って、流れを整える。顔が良いだけのモデルが主役で、私みたいなのは主役ではあるけど立場としては調整役。……接着剤みたい」

 

 有馬はフォークを皿に置いて、ため息をついた。

 

「金も時間も計画も全部適当なのに、それでも……私、少しでも良いドラマにしたいって思っちゃうの。誰も見ていないかもしれないけど、ちゃんとやりたい。自分の中で、許せないの」

 

 彼女の瞳が少し潤んでいた。俺は静かに聞き終えて、ゆっくりと言った。

 

「俺はそれで良いと思う。崩れた現場でも誠実に頑張るのは、他人より自分に意味がある。プライドがなくなるとクズになるからな」

 

 有馬は少し驚いたように俺を見上げた。

 

「そう、かしらね。誰も見ていなくても、ちゃんとやる意味はあるのかしら」

「あるだろ。手を抜く癖がついたら、本命の現場で実力は発揮できないし、そもそも自分が許せなくなる。それに一度、手を抜いた仕事をしたら続くからな。手を抜く癖ができる」

 

 有馬は小さく頷いた。視線を皿に戻し、残っていたご飯を一口運ぶ。

 

「そうね。確かに」

 

 部屋の中は静かだった。外から聞こえるのは、遠くの車の音と、時折の風の音だけ。テーブルの上の皿はほとんど空になり、温かい湯気がゆっくりと消えていく。有馬が小さく笑った。

 

「……なんか、救われた気分」

 

 俺は肩をすくめて、軽く言った。

 

「大げさだな」

 

でも、有馬は首を振って、穏やかな目で俺を見た。

 

「違うわ。本当に、ありがとう」

 

 俺は言葉を返さず、ただ静かに頷いた。窓の外では、夜の帳が完全に降りていた。部屋の中の明かりが、二人の影を優しく壁に映していた。

 

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