復讐の後は超強くてニューゲーム   作:実験者

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 廃工場の内部は、埃っぽい空気が重く淀んでいた。コンクリートの床に古い機械の残骸が散らばり、天井から垂れ下がった鉄骨が影を落としている。

 

 撮影スタッフが慌ただしく動き回り、照明機材を組み立て、カメラをセットし、簡易的なセットを組んでいる。

 

 廃墟らしい荒廃感を活かしたロケ地だが、スタッフの動きはどこか雑で、監督の指示も曖昧だ。素人モデル出身のキャストたちが、緊張した顔で待機している。

 

 俺は壁際に寄りかかり、静かに待っていた。

 制服の上に羽織ったコートが埃を払うように軽く揺れる。

 

 アイが俺の横に浮かんで、楽しげに周りを見回していた。

 

『うわー、強い呪霊がいるね。領域展開が組み込まれているから、アレを倒さないと出れないよ。ゴミみたいな演技したら、そのままみんな食べられちゃうね』

「説明を詳しく」

『呪霊は虚。領域展開は卍解』

「わかりやすい」

 

 俺は小さく息を吐いた。視線を動かさず、内心で状況を分析する。アイによると領域展開は必中必殺が多いが、この呪霊のそれは少し違う。

 

 必中は「撮影が一定のクオリティに達しないと終わらない」という効果。

 演技が下手だと、シーンが永遠に繰り返され、精神が削られ、最悪の場合、参加者全員が「食べられる」――つまり、領域の外に出られなくなる。

 

『私を憑依させて、世界を騙し、身体能力を底上げすればフィジカルで倒せそうだけど、人目があるところで戦えないしねぇ』

「この領域持ちの呪霊は、俺の能力を試す良い機会だ。物理ではなく、異能で破る」

 

 有馬が近づいてきて、俺の横に立った。彼女の表情はいつもより少し硬い。

 

「緊張している?」

 

 俺は首を振った。

 

「いいや、大丈夫だ。俺のパフォーマンスはあんまり上下しない。有馬の方が気を使って疲れるだろう? 大丈夫か」

 

 有馬は小さく笑って、肩をすくめた。

 

「何年やっていると思っているのよ。それに散々でボロボロの道を歩みながらもここまでやってきたしね。ここはよくある悪い現場の見本だけど、作品の最低クオリティを保証する為に私はここにいる」

 

俺は淡々と返した。

 

「敗残者。されど負け戦なら百戦錬磨というわけだ」

「そうそう。敗戦処理なら右出るものはいない……ってふざけんな!」

 

 有馬が軽く俺の腕を叩いた。俺は小さく笑った。本番前の練習が始まった。素人キャストたちの演技は予想通りひどい。

 

 棒読みで、間が取れず、感情が乗っていない。モデルだから仕方ない部分はあるが、原作者の苦労が目に浮かぶ。有馬はそんな中でも、相手の棒読みを自然に受け止め、間を埋め、表情でシーンを成立させていく。

 

 彼女の動きは無駄がなく、声のトーン、視線の配り方、呼吸のタイミング――すべてが計算されている。俺はそれを間近で見ながら、感服した。三度目の人生で積み重ねた経験があるからこそ、有馬のレベルがわかる。

 

 彼女はただ上手いだけじゃない。現場全体を俯瞰し、キャストの弱点を補い、スタッフの苛立ちを抑えながら、作品の最低ラインを死守している。

 

 練習が終わると、俺は有馬に近づいた。

 

「流石の練度だな。高い演技力に、キャストや裏方に配慮しつつ、作品のクオリティ全体を見据えられる。素晴らしいのに燻るのは残念極まるな」

 

 有馬は少し照れくさそうに目を伏せた。

 

「ありがと。それが大切だと気付くのが遅かったし、身につけるまで時間がかかっちゃった。でも、巡り巡ってこうして主演の役が回ってきた。もしかしたら評価されるかもしれないと、この業界にしがみついている」

 

 俺は静かに頷いた。安くて、使いやすくて、便利なハイスタンダードなオールラウンダー。演技力というよりお金と知名度とキャストの調整が今の彼女に仕事を与えている。高いクオリティの作品では、彼女は必要とされない。低品質で乱雑な数打ち作品に、雑に据える駒として認識されている。

 

「これは単純な疑問なんだが、名脇役として生きるのは駄目なのか? ギャラが安く、何でもできる便利なキャラ。キャストやスタッフに配慮して、作品のクオリティではなく、作品の制作体制に貢献する。世間からは脇役だから高評価され辛いが、業界内部の人達から人間性と安定感を評価される。そんな演者になるのはどうなんだ?」

 

 有馬は少し考えて、苦笑した。

 

「主演やりたいわよ。名脇役の人達だって演技力が評価されているし。あくまで役者として評価があることが前提として人間性や信頼があって名脇役もできるなら最高ってことかしらね。もちろん理想論だとわかっているけど」

「確かにな。主演で賞を取りまくるのは憧れるな。作品も高いクオリティで高評価なもの作りたいのもわかる。どうにかなると良いな」

 

 有馬は小さく頷き、目を細めた。

 

「ありがとう、アクア」

 

 本番が始まる。

 スタッフの慌ただしい動きが一瞬止まり、監督が

 

「よし、行くぞ!」

 

 と声を上げた瞬間――本番が始まった。俺はストーカー役の位置に立ち、ゆっくりと息を整えた。心臓の鼓動が耳に響く。

 

 視界の端で、有馬が緊張した表情で待機しているのが見える。

 素人キャストたちは、顔を強張らせ、台本を握りしめていた。俺は静かに目を閉じ、心の中で呟いた。

 

「アイ、力を貸してくれ。世界を騙す」

『おっけー』

 

 アイの気配が、俺の体に溶け込むように流れ込んだ。甘い香りが鼻腔をくすぐり、視界が一瞬鮮明になる。

 

 筋肉の繊細な動き、呼吸のタイミング、視線の配り方――すべてが、アイの天才性で最適化されていく。

 俺の体は、外付けのエネルギーが流入することによって別の生き物のように軽くなった。

 

「脚本折り(ブックメーカー)」

 

 瞬間、世界が歪んだ。廃工場の空気が、ガラスが割れるような音を立ててひび割れ、俺を中心に新しいルールが塗り替えられた。

 俺に合わせた領域が展開される。

 

 俺の「脚本折り(ブックメーカー)」は、他者の能力を俺と同じレベルするもの。だが今、アイの憑依が加わったことで、その効果は飛躍的に増幅されている。

 

 アイの「騙す能力」は、本来、人を騙すためのものだ。嘘を本当のように見せかけ、演技で相手を欺く。だが、解釈を広げれば世界そのものを騙すことも可能になる。

 世界のルール、常識、原則。つまり物理法則さえ突破する。

 

「人間にできることならば、全て最高レベルで再現できる」という誤解を、世界のルールに植え付ける。

 

 その瞬間、領域内部の空気が震えた。俺の領域と、すでに存在していた呪霊の領域が、激しく押し合いを始めた。空気が圧縮され、耳鳴りがする。廃工場の壁が微かに軋み、照明の光が揺らぐ。

 

 スタッフの一人が「なんだ、この違和感……?」と呟いたが、誰も本当の理由に気づかない。呪霊の領域は「一定のクオリティに達しないと撮影が終わらない」という必中効果を持っている。

 

 演技が下手だと、記憶が抹消された状態で永遠にループし、魂と精神が削らる。

 最悪全員が「食べられる」。だが、今、俺の領域がそれを上書きし始めた。

 

 俺の基礎能力――三度目の人生で磨き上げられた冷静な分析力、演技の精度、現場全体を俯瞰する視野――に、アイの外付けエネルギーが加わる。

 

 憑依による身体能力の底上げと、世界を騙す力の増幅。領域同士の押し合いが、静かな爆発のように広がった。

 

 最初に変化を感じたのは、有馬だった。彼女の呼吸が深くなり、肩の力が抜ける。瞳に、いつもの迷いが消え、代わりに鋭い集中が宿る。台詞を吐く声が、微かに震えていたものが、完全に安定した。

 

 表情の微妙な変化、視線の動き、指先の震え――すべてが、プロの域を超えたレベルに引き上げられていく。

 

 素人キャストたちも、無意識に変わった。棒読みだった声に、感情が乗る。ぎこちない動きが滑らかになり、間が自然に取れる。

 

 モデル出身の彼らは、顔の良さだけが取り柄だったはずなのに、今は演技として成立するラインを軽々と超えていた。

 

 スタッフ側も変わった。カメラマンの手が安定し、フォーカスが完璧に合う。照明担当が、無意識に光の角度を調整し、影の美しさを引き出す。

 監督の指示が、曖昧だったものが、明確で力強いものになる。領域内部のすべての人間のパフォーマンスが、俺を基準に引き上げられた。

 

 俺はストーカー役を演じながら、内心で小さく笑った。代わりに燃えているのは、守りたい人たちへの想いと、この新しいコンテンツへの興奮だ。

 

 呪霊の領域が、徐々に後退していく。押し合いの圧力が弱まり、俺の領域が優位に立つ。呪霊の必中効果が、俺の演技基準によって「クオリティはすでに達している」と判定され、領域効果が薄れていく。

 

 俺はゆっくりと有馬に近づき、ストーカーらしい執着した視線を向けた。息遣い、足音、指の震え――すべてが完璧だ。

 

 

「聞こえなかったか?そんな女に守る価値なんて無いって言ったんだ!」

「この子は俺の大事な友達だ!」

 

 

 有馬はそれを受け止め、恐怖と拒絶の表情を浮かべながらも、シーンを美しく成立させる。

 

「カット!」

 

 監督の声が響いた。廃工場の空気が、一気に元の重さに戻る。領域が完全に解け、呪霊の気配が消えた。スタッフたちが息を吐き、互いに顔を見合わせる。

 

「なんだ……急にみんな上手くなったな?」

「俺もなんか、集中できた気がする……」

 

 有馬が俺の方を振り返り、息を整えながら微笑んだ。瞳に、感謝と驚きの色が混じっている。

 

「アクア。アンタのお陰で良い演技ができたわ。なんというか、ストーカーの雰囲気にのまれちゃったわ。悔しいけど」

 

 俺はコートの埃を払い、静かに頷いた。

 

「そうか、貢献できたようで何よりだ」

 

 呪霊の本体は、格好つけたアイが両手から螺子を生み出し、捻じ伏せていた。

 流石は特級過重怨霊だ。

 

 

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