復讐の後は超強くてニューゲーム   作:実験者

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 豪華なホテルの最上階、グランドボールルーム。

天井から吊るされた無数のクリスタルシャンデリアが、淡い金色の光を無数に砕きながら床に降り注いでいた。

 

 壁一面を覆う巨大な窓の向こうには、東京の夜景が宝石箱をひっくり返したように広がっている。ネオンとビルの灯りが遠くまで連なり、まるで地上に降りた星の海のようだった。

 

 会場内は、控えめながらも華やかな喧騒に満ちていた。タキシードやイブニングドレスに身を包んだスタッフ、俳優、監督、プロデューサーたちがグラスを手に立ち話をしている。

 

 弦楽四重奏の柔らかな調べがBGMとして流れ、時折誰かの笑い声が軽やかに跳ねる。シャンパンの泡が立ち、フォアグラやトリュフを乗せた小さなカナッペがトレイに乗って運ばれていく。

 

 俺――星野アクアは、白いワイシャツに黒のタキシードを着込みながら、右手に持ったワイングラスに注がれたりんごジュースをそっと揺らしていた。

 

 未成年でアルコールを飲めないからだ。グラスの縁に唇を寄せ、甘酸っぱい香りを吸い込む。すぐ隣に立つ有馬かなは、別世界から降りてきたような姿だった。

 

 深いネイビーのオフショルダードレスは、肩から腰にかけて流れるようなシルエットを描き、胸元と裾に施された細かなスパンコールが光を乱反射させている。普段の現場で見る彼女とはまるで違う。

 

 幼さの残る可愛らしさではなく、静かで凛とした大人の美しさ。髪はゆるやかなウェーブを残してアップにまとめられ、耳元で揺れる一粒のダイヤが、彼女の白い首筋を際立たせていた。

 

 化粧もいつもより少し濃く、唇には深いローズの色が乗っている。俺はグラスを軽く傾けながら、静かに声を掛けた。

 

「お疲れ。ドレス似合っているな。可愛い系ではなく大人っぽい美しさで驚いた。ドラマに関しては俺は最後の参加だったから良いが、そっちは主役だ。大変だっただろう」

 

 有馬かなは、グラスを胸の前で軽く持ちながら、わずかに目を細めて微笑んだ。

 

「ありがと。そうね。でも文句言っても仕方ないわ。ただ……」

 

 言葉の途中で、彼女の表情に一瞬の翳りが差す。長い睫毛が影を作り、瞳の奥に何か重いものが沈んでいくのがわかった。

 

「私の演技うんぬん以前に、好きな作品がああいう扱いを受けるのは物寂しい物があるわね」

 

 俺は小さく頷いた。

 

「そうかもな。確かに好きな作品が世間に受け入れられないと悲しいし、そういう扱いで良いと判断する内部事情のことを考えると、やるせない」

 

 彼女はグラスを唇に寄せ、一口だけ飲んでから続けた。

 

「もちろん、現場のこともあるけどね。これは仕方がないことよ。こういう現実は当たり前に存在する。……わかってるわ」

 

 その声には、諦めと、それでも消えない痛みが混じっていた。俺は彼女の横顔をじっと見つめながら、言葉を探した。

 

「厳しい世界だ。有馬。お前は大丈夫か? 辛くはないか?」

 

 有馬は一瞬、目を伏せた。長い睫毛が頬に影を落とす。

 

「……辛いわよ。苦しくて、泣きたくて、絶望して。それでも私は夢を見るのよ。情けなくても、私はプライドを張り続けるの」

 

 その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるように低く、しかし強く響いた。俺は小さく息を吐き、静かに返した。

 

「天才は素晴らしい。諦めることもなく、挫折することもない。それはとても素晴らしいだろう」

 

 有馬の瞳が、暗く沈んだ。

 誰かの――おそらくかつての自分や、今の誰かと――比べているかのように。彼女の指が、グラスの脚をきつく握りしめるのが見えた。俺は彼女の今の姿を、改めて見つめた。

 かつての天才子役としての傲慢さ、社会性の欠如が招いた転落。そして、それでもなお立ち上がり続ける、痛々しくも美しい姿を。

 

「だけど、いつだって諦めながら、いつだって挫折しながら、それでも奮起して戦う者も同じくらい素晴らしいと思う」

 

 有馬は言葉を失った。瞳が大きく見開かれ、俺をまっすぐに見つめる。

 

「…………」

「もう嫌だ。付き合いきれない。今回だけとか言い訳しながら戦い続けた。結果は重要だが、それまで耐え抜いた有馬かなは輝いて見える」

 

 その瞬間、彼女の頬がゆっくりと朱に染まっていった。瞳が潤み、キラキラと光を反射する。まるで初めて恋を知った少女のように、息を呑み、言葉を失い、ただ俺を見つめていた。

 

 会場のにぎわいが遠のき、二人の間にだけ、静かな時間が流れた。そのとき、背後から柔らかな女性の声が割り込んだ。

 

「有馬さん、撮影お疲れさまでした」

 

 有馬がハッとして振り返る。

 

「あ、先生」

 

 三十代半ばくらいの女性が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。今回のドラマ――原型を留めていないと言っても過言ではない低クオリティの映像作品――の原作者だ。

 地味なグレーのパンツスーツに、控えめなパールのネックレス。表情は柔らかく、しかしどこか疲れを隠しているようにも見えた。

 

「いろんなことを言う人がおられますけど、少なくとも私はこの作品は有馬さんに支えられていたと思っています。本当にありがとうございました」

 

 有馬の目が、わずかに揺れた。唇が小さく震え、声が少し上擦る。

 

「ありがとうございます。これ以上ない言葉です」

 

 原作者は軽く頭を下げ、静かに人混みの中に溶けていった。背中が少し小さく見えた。俺は有馬の横顔を見ながら、素直に呟いた。

 

「よかったな。演技を見ていてくれる人がいて」

 

 有馬は小さく頷き、唇の端を上げた。目尻に、うっすらと光るものが見えた気がした。

 

「ええ、報われるわ」

 

 会場を見渡す。華やかな衣装、笑顔、グラスを傾ける仕草。どれだけの人間がこの一つの作品に関わったのか。スタッフ、キャスト、宣伝、スポンサー、配信プラットフォーム……。

 分業の極致とも言えるこの光景は、人類がここまで文明を築いてきた証でもあった。

 

「しかし人が多いな。それだけ関わっている人が多いってことなんだろうが。分業することで栄えた人類特有の現象だよな、こういうの」

 

 有馬がくすりと笑った。少しだけ、いつもの調子が戻っている。

 

「アンタ、変な方向に考えるわね。普通は多くの人が関わっているから、責任とか結果を出さないといけない、って思うものだと思うけど」

「それはそうだ」

 

 前回のパーティーなら、鏑木プロデューサーが絡んできたはずだ。だが今回は違う。

 

 「新しい要素」で無理やりクオリティを上げたせいで、誰も俺に近づこうとはしなかった。恋愛リアリティショーへの誘いも、もう来ることはないのだろう。

 俺は空になったグラスをサイドテーブルに置き、軽く息をついた。

 

「……少し、お手洗いに行ってくる」

「ええ」

 

 有馬から離れ、会場の端へと歩く。

 人混みを抜け、廊下に出た。

 そこは宴の喧騒から切り離された、静かな空間だった。絨毯が足音を吸い込み、壁の照明だけが淡く灯っている。

 そこで、いつものようにアイの声が響いた。

 透き通った、どこか寂しげな声。

 

『誰かを幸せにすることを自分に強いたら駄目だよ』

「あいつらが幸せになるのは大切なことだ。笑ってくれれば俺も嬉しい」

『でも大切なことを忘れない? みんなの為というけど、アクアは自分の命についてどう思うの? アクアがやらなくても、ほかの誰かが笑顔にするんじゃない?』

「かもな。だがそれは、やらない理由にはならない。他の誰ががやるとしても、俺がやらない理由にはならないんだよ。リスクを背負って、進むだ」

 

 北へ。新しい自分になる為に。

 俺は廊下の先に視線を投げ、静かに答えた。

 

「人間として新しい能力を得た俺だが、この異能についてあまりにも無知だ。なら調べるためにリスクを冒すのは当然のことだ。力不足で大切なものを失うのは嫌だからな」

『それって必要? 知らなくても使えれば良いと思うけどなー』

「自分一人の頭はしょせん70〜100年程度の試行錯誤しかできない。でも過去の蓄積に接続すれば、数千年〜数万年分の試行錯誤が手に入る。すぐに実践とはいかないが、あるとないとでは運転の差だ」

 

 俺は拳を軽く握った。

 

「結論、必要だ。人間には累積的文化がある。俺みたいなやつが、他にもいる。俺だけ特別なわけがない」

 

 アイは少し間を置いて、呟くように言った。

 

『……アクアって、本当に変わってるよね』

 

 俺は小さく笑った。

 

「自分に想定外の能力がある時、どの場面で発揮されるのか見当がつかない。逆にこれを活かしたら逆に損する場面があるのではないか? 周囲の人と比べて『これって普通? 珍しい? 危険?』という基準がわからない」

 

 俺は壁に再び背を預け、天井を見上げた。

 

「この不確実性に対して、一人で考え続けるのは非効率極まりない。一人でグルグル回るだけになる。最悪、自分を過大評価しすぎるか、過小評価しすぎるかのどちらかに極端に振れる」

 

 そして、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「俺は今、自分一人では解けない高次元の探索問題に直面している。ならば、人類がすでに何万〜何百万回も似たような探索をしてきたデータベースに接続すべきだ」

 

 そのデータベースがあのスカウトマン達だ。

 

『でもアクアだけの例外かもしれないよ? そういう能力ボーナスを持った人なんて』

「いる。呪霊がいて、それを殲滅するシステムがあり、プレイヤーとして国家が管理しているんだ。それにアイも言っていただろ、周回クリア者とかバトル特化型のプレイヤーとか」

『言ったっけ?』

「覚えてないか」

 

 俺ポケットから名刺を取り出し、銀箔の文字を指でなぞった。

 俺が持つ死後の意識継続ボーナス――『憑依経験/脚本折り』という異能。それに加えて幽霊のアイと、アイの大嘘憑きが憑依させることで使える力。

 

 どう使えばいいのかわからないという問題。

 似た特性を持った人が実際にどう活かして成果を出したか/失敗したかの記録が、すでに大量にある。ゼロから試すより遥かに効率的だ

 

 どこで有利/不利になるのかわからないという問題。

 

 同じ特性がどの文脈・時代・組織・人間関係で強み/弱みになったかの事例を知ることができれば、自分の周囲数人よりはるかに広いサンプルが得られる。

 

 この特性をどう伸ばすべきか、どう抑えるべきかという問題。

 

 伸ばして成功した人、抑えて成功した人、両方やってみた人の長期結果を知れば、『伸ばす/抑える』のどちらが正解かの確率分布が見えてくる。

 

 俺は名刺を握りしめ、静かに呟いた。

 

「自分一人では、自分の特性が『どの文脈で・どれくらいの確率で・どんな形で』価値を発揮するのかを正確に推定することはほぼ不可能である。ならば、人類がすでに何世紀にもわたって同じような特性を持った人を観察し続け、試し続け、記録し続けてきた膨大なデータに接続するのは、むしろ当然の判断だ」

 

 つまり、「過去にアクセスする」ことは、「自分の未知の力を、できるだけバイアス少なく、できるだけ高い精度で評価・活用するための最短経路」だ。

 

「とはいえ、まずは情報収集と地位の確立だ」

 

 遠くで、パーティーの音楽が再びかすかに聞こえ始めた。

俺はゆっくりと歩き出し、宴会場へと戻る扉に向かった。

背後で、アイの声が小さく響く。

 

『……アクア、死なないでね』

 

 俺は振り返らず、ただ小さく頷いた。

 

 

 

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