烏の王冠   作:西雲

1 / 3
一人称は余


1.魔法使い

1989年8月 ロベルト

 

「こちらがお求めの本でございます」

声に顔を上げると、執事が引き攣った笑みを浮かべ、分厚い本を机に置いた。
その指先は、わずかに震えている。

「ありがとう」

余が微笑むと、彼は深く一礼し、逃げるように部屋を出ていった。

……相変わらずだ。

静まり返った書斎で、余は椅子にもたれ、この数奇な人生に思いを馳せた。

余には前世の記憶がある。
前世では大学院に通う一学徒だった。最後の記憶は、学会前夜、ポスター発表の練習を終えて布団に入った瞬間。

次に目を覚ましたとき――ここはイングランドの片田舎。
広すぎる屋敷。怯えた執事。姿を見せぬ両親。

赤子の頃、感情が昂ると周囲の物が浮かんだらしい。
前世を思い出して以降は制御できているが、それでも両親は余を“隔離”した。

だが、不満はない。

望めば本が届く。
望めば器具が揃う。
屋敷から出られぬ代わりに、世界が本棚に詰め込まれている。

読書こそ、余の自由だ。

新しい本を開こうとした、その瞬間――

コン、コン。

窓を叩く音。

顔を上げると、一羽の茶色い梟がこちらを見つめていた。嘴には手紙。

妙に胸がざわつく。

梟は紙を窓の隙間にねじ込み、じっと余を見つめ続ける。
立ち上がり、封筒を手に取った。

 

ハンティンドン郡ウッドウォルトン
林の中の大きな屋敷
ロベルト・フィッツロイ 宛

 

封を切る。

 

親愛なるロベルト殿

 このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。

新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。

敬具

副校長 ミネルバ・マクゴナガル

 

思わず、声を上げて笑った。

そうか。
ここは――ハリー・ポッターの世界か。

胸が高鳴る。十一歳にもなって、これほど心が躍るとは。

鈴を鳴らす。

執事が現れる。

「これを見たまえ」

彼は手紙を読み、妙に落ち着いた顔で頷いた。

「知っていたのか?」

「お父上より、十一歳になれば別の務めに就かれるとだけ」

父は何を知っている?
問いは返らない。

返書を書き、梟に託す。
梟はホーと鳴き、空へ消えた。

夕刻。
再び手紙。

二日後、教員が迎えに来るという。

 

そして当日。

「吾輩はセブルス・スネイプ教授である。袖を掴みたまえ。」

漆黒のローブ、冷たい眼差し。

袖を掴んだ瞬間、世界が歪む。圧縮され、引き裂かれ、吐き出される。

姿現し。

「体調はどうかね」

「問題ありません」

スネイプの目が細まる。

 

最初にグリンゴッツ魔法銀行に行った。

重い扉を押して中に入った瞬間、空気が変わった。

ひんやりと乾いた匂い。
石と金属と、濃密な魔法の気配。

長いカウンターの向こうに、ずらりと並ぶゴブリンたち。
鷲のような鼻、鋭い黒い瞳、節くれ立った指先。羽根ペンを走らせる音が、やけに規則正しい。

床は磨き抜かれ、天井は高く、声は奇妙に反響する。

「本日は如何されましたかな」

声は低く、湿っていた。

余は5000ポンドの小切手を差し出す。
ゴブリンはそれを両手で受け取り、宝石でも鑑定するかのように隅々まで調べ始めた。

紙質。透かし。署名。インクの滲み。
爪が紙をなぞるたび、ぞわりと緊張が走る。

「……問題ありません」

カウンターの奥から金貨が滑り出てきた。

ガリオン金貨は思ったより重い。
陽光を浴びた液体のような金色。縁には精緻な刻印。

袋に落ちるたび、

カラン、カラン。

澄んだ金属音が高い天井に反響する。

「1000ガリオンと3シックル。口座を開設されますか?」

余は頷いた。

差し出されたのは古びた羊皮紙。
ただの紙ではない。表面に魔法陣が微かに脈動している。

「手を」

触れた瞬間、指先から魔力が吸い上げられた。

羊皮紙が震え、縮み、折り重なり――金色の鍵へと変化する。

小さい。だが、異様な存在感。

「100ガリオンをこちらに渡して残りはその口座に入れたまえ。」

ゴブリンはぴくりと片眉を上げた。

「……かしこまりました」

声音は丁寧だが、わずかに試す響きが混じる。

長い指が素早く金貨を数え分ける。
革袋に丁度100枚が滑り込む。

――カラン。カラン。カラン。

残りは黒い盆に移され、鈴が鳴らされた。

奥から現れた別のゴブリンがそれを持ち去る。
遠く、地下深くで金庫の扉が幾重にも閉じる音が響いた。

鍵の持ち手には見慣れぬ紋様。
余の魔力に反応し、淡く光る。

「こちらが金庫の鍵でございます。紛失なさらぬよう」

革袋を受け取る。

ずしりとした重み。

金の重さだけではない。
信用と、契約と、力の重み。

「残額は金庫へ納めました。ご確認になりますか?」

「不要だ」

即答。

ゴブリンの目がわずかに細くなる。

信用か。
傲慢か。
あるいはその両方か。

「承知いたしました。フィッツロイ様の資産は、グリンゴッツが保証いたします」

余は金の鍵を指先で転がし、静かに微笑んだ。

――これで、魔法界に足場ができた。

 

次はマダム・マルキンの洋装店。

鈴の音とともに扉が開く。

店内は柔らかな布の匂いに満ちていた。
ローブが壁一面に吊るされ、色とりどりの布地が棚に積まれている。

奥から現れたのは、丸顔で愛想の良い婦人。

「ホグワーツの制服ですかな?」

台の上に立つと、巻き尺が勝手に跳ね上がり、身体に巻きついた。

肩幅、腕の長さ、股下、首回り――
くすぐったい。

巻き尺はさらに大胆になり、耳の位置、足の甲、果ては鼻の高さまで測り始めた。

「ほほ、良い体格ですわ。成長期ですから少し余裕を持たせましょうね」

布が宙に浮かび、裁断され、縫い合わされていく。
針がひとりでに走る音。糸が光る。

魔法の裁縫は芸術だった。

鏡に映る自分。

黒いローブ。
胸元にはまだ何もない。

けれど、その姿は確かに“魔法使い”だった。

ほんの少しだけ、胸が熱くなる。

 

店を出るとスネイプ教授が待っていた。
「スネイプ教授、魔法界には便利な鞄はありませんか?」

両手いっぱいに鍋と薬草を抱えた教授の背に向かって問う。

黒いローブがふわりと揺れた。

「……」

返事はない。

だが次の瞬間、顎がわずかにしゃくられた。

――ついて来い。

無言の命令。

路地を折れ、看板も傾いた古びた店の前で足が止まる。

軋む扉。
埃っぽい空気。
店内には大小さまざまな鞄や袋が雑然と積まれている。

「この中から選びたまえ」

低く、短い。

余は一つ一つ観察した。

擦り切れた皮袋。
内部拡張の呪文が施された手提げ鞄。
重厚な金具のついた黒いトランク。

トランクの側面には古い魔法陣が刻まれている。
容量拡張、重量軽減、衝撃吸収。

――悪くない。

「これを」

店主が金額を告げると、スネイプは一瞬だけ視線を走らせた。
値踏みか、確認か。

支払いを済ませると、トランクは見た目より遥かに軽かった。

 

次に訪れたのはフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店。

扉を開けた瞬間、紙とインクの匂いが押し寄せる。

天井まで届く本棚。
梯子が勝手に滑り、注文された本を運んでいる。

教科書を揃えながら、余はふと問う。

「スネイプ教授、おすすめの本はありますか?」

沈黙。

数秒。

教授は無言で一冊の分厚い本を引き抜いた。

『魔法薬学大全』

重い。鈍い緑色の装丁。
表紙には複雑な薬品図が刻まれている。

「基礎を理解せず応用に手を出す愚か者になるな」

低く、刺すような声。

「ありがとうございます」

余が微笑んでも、スネイプの眉間の皺は消えない。

だが、その目は一瞬だけこちらを観察していた。

試されている。

悪くない。

教科書と『魔法薬学大全』を購入し、トランクに収める。

本が中でわずかに震えた。
拡張空間に収まったのだろう。

 

そして、最後に訪れたのがオリバンダーの店。

薄暗い店内。
積み上げられた杖箱。天井まで、果てしなく。

埃が舞い、古い木と樹脂の匂いが漂う。

奥から現れた老人の銀色の瞳は、妙に澄んでいた。

「杖が魔法使いを選ぶのです」

巻き尺が勝手に身体を測る。
肩、肘、指先――そして鼻の穴。

一本目。
栗の木、ドラゴンの心臓の琴線。

振る。
杖先が弱々しく瞬く。

老人はすぐに奪い取る。

二本目。
ドッグウッド、ユニコーンの立髪。

触れた瞬間、杖が弾かれたように飛ぶ。
棚に激突。

三本目。
カラマツ、不死鳥の羽。

振ると、棚の箱が一斉に落下。
老人は楽しそうに目を細める。

そして――奥から埃を被った箱を持って戻ってきた。

ブラックウォルナット。
ドラゴンの心臓の琴線。
13インチ。

握った瞬間。

カチリ。

身体の奥で歯車が噛み合う。

血流が変わる。
魔力が循環する。

杖が“こちらを知っている”。

軽く振る。

眩い光が爆ぜ、空気が震えた。

老人がゆっくり頷く。

「洞察力に富む者にふさわしい」

余は理解した。

杖とは道具ではない。

――対話だ。

10ガリオンを支払い、店を出る。

杖は手の中で静かに脈打っている。

これから始まる世界。
魔法。知識。可能性。

胸の奥が静かに燃えていた。

 

屋敷へ戻ると、さらなる訪問者がいた。

暖炉の前に、小さな影。

屋敷しもべ妖精だった。

大きな目。痩せた身体。耳は蝙蝠のように尖っている。

「ペンと申します」

床に額がつくほど深々と頭を下げる。

「どこから来た」

「気づけば玄関におりました。その前の記憶はございません」

記憶が曖昧。

不審。

――だが。

魔力の揺らぎを観察する。
敵意はない。恐怖と忠誠だけだ。

「まあ良い。執事、これからの仕事はこのペンとやらに任せよ。引き継ぎをしておけ。それとペン――その服はいただけぬ。執事のような格好をせよ」

空気が凍った。

ペンは、びくりと肩を震わせた。
大きな目がみるみる潤む。

「ご、ご主人様は……ペンに、お暇を与えてくださった……」

震える声。

「……お暇?」

意味が分からぬ。

「ペンは至らぬ妖精……ついにお役御免に……!」

床に崩れ落ち、今にも消えてしまいそうな顔でこちらを見上げる。

余は軽く額を押さえた。

「違う違う。そうではない」

きっぱりと言い直す。

「単純に服を変えよと言う話だ。身なりを整えよ、という意味だ」

沈黙。

ペンの表情がぱっと明るくなる。

「そうでございましたか……!」

胸を押さえ、心底安堵した様子で深々と頭を下げる。

「ペンはまだお仕えできる……!」

「当然だ」

バチン、と小さな音。

数秒後、きちんと整えられた執事風の装いで再び現れる。

余は一瞥し、頷いた。

「うむ。その方が良い」

ペンは感極まったように何度も礼を繰り返す。

 

それからの日々は怒涛だった。

教科書を読み込む。
呪文を分解し、再構築する。
魔法薬を理論通りに、そして理論を逸脱して調合する。

「ペン」

バチッ、と空気が裂ける音。

「ダイアゴン横丁まで」

瞬間移動の感覚にも、もう慣れた。

材料を買い、羊皮紙を買い、本を買い――
書店主に「全部は困ります」と止められるほど買った。

気づけば夜明け。

窓から差し込む淡い光が、開きっぱなしの本を照らす。

そして――明日は入学式。

本を閉じる。

静かな音。

胸に宿るのは、不安ではない。

孤独でもない。

期待だ。

未知への渇望。
世界への挑戦。

指先で杖を転がす。

「待っていろ、ホグワーツ」

この世界のすべてを――解き明かしてみせよう




初めて二次小説というのを書きました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。