1989年9月 ミネルバ・マクゴナガル
新入生に教える最初の授業というものは、何年教師を続けても独特の緊張を伴う。
まだホグワーツへ来て数日しか経っていない十一歳の子供たちは、魔法というものに対して必要以上に期待を抱いていることが多い。杖を一振りすれば何でも好きなものへ変えられる、呪文さえ覚えればすぐに一人前の魔法使いになれる――魔法使いの家庭で育った者でさえ、その程度の認識しか持っていないことは珍しくなかった。
むしろ、幼い頃から魔法を目にしてきた子供ほど、それがどれほど繊細で、どれほど危険な技術であるのかを意識していない場合すらある。
だからこそ、最初に教えなければならない。
魔法は便利であり、素晴らしいものであると同時に、使い方を誤れば容易に人を傷つけるものでもある。
こと変身術においては、その危険性はなおさらだった。
私は教壇の前に立ち、教室をゆっくりと見渡した。
レイブンクローとハッフルパフの一年生たちが、それぞれ真新しい教科書と杖を机の上へ並べ、期待と緊張を入り混じらせた表情でこちらを見つめている。まだローブの着方にも慣れておらず、袖口が少し折れている者もいれば、机の端へ杖を置く位置まで慎重に決めている者もいる。
皆、幼い。
当然だ。
十一歳なのだから。
その中で、すでにいくつか気になる顔もあった。
前方にはセドリック・ディゴリー。先祖に魔法大臣がいることを鼻にかける様子はなく、周囲にもよく気を配る少年だった。
そして、その数席離れたところに座っているのがロベルト・フィッツロイである。
この少年は、入学式の夜から妙に印象へ残っていた。
組み分け帽子を頭へ載せた瞬間、帽子がほとんど迷うことなくレイブンクローと叫んだこと自体は珍しくない。問題は、その後だ。
普通の新入生であれば、自分の組み分けが決まれば安堵するか、喜ぶか、少なくとも緊張から解放された表情を浮かべるものだが、彼は帽子を外された直後、
「……もう終わりですか?」
と尋ねた。
さらには、組み分け帽子へ向かって、
「また機会があれば話そう」
などと言い残したのである。
組み分け帽子と後日改めて議論するつもりの一年生など、私の長い教師生活でも初めてだった。
そして、問題はそれだけではない。
その日の夜、レイブンクローの談話室にある壁の一角へ勝手に扉を作り、その奥に拡張空間を形成して、個人用の研究室を作ったという報告まで届いた。
最初に聞いたときは、言葉の意味がよく分からなかった。
本来ならば即座に撤去させるところだったのだが、寮監であるフィリウス・フリットウィックが術式を確認したところ、事態はさらに複雑になった。
単純な空間拡張だけではない。
換気。
耐火。
防水。
排水。
魔法薬を扱うための隔離区画。
さらには簡易的ながら、防爆処理まで施されていたという。
フィリウスは半分呆れ、残り半分を隠そうともせず興奮しながら報告してきた。
「ミネルバ、信じられるかい? 一年生だよ。それなのに拡張術式と環境制御術式をきちんと別層にしているんだ。だから互いに干渉しない。あの年齢でこれを自分で考えたのなら、実に――」
「感心するところではありません、フィリウス」
「もちろん勝手に城を改造するのは問題だとも。だが、それと術式の出来は別問題だろう?」
そう言いながら、彼自身が明らかに楽しそうだったので、結局、フィリウスの監督下に置くことを条件として、研究室は当面そのまま使わせることになった。
もちろん、許可なくそれ以上城の構造へ手を加えることは禁止した。
彼は素直に頷いた。
問題は、その「許可」の意味をこちらと同じように理解しているのかどうかである。
私はそんなことを考えながら教室全体へ視線を巡らせ、手にした杖をゆっくりと持ち上げた。
「いいですか。変身術は、ホグワーツで学ぶ魔法の中でも、最も複雑で、そして最も危険な分野の一つです」
それまで微かに囁き合っていた生徒たちが、一斉に口を閉じる。
「軽い気持ちで私の授業を受ける者は、今すぐ出ていきなさい。二度とこの教室の敷居はまたがせません。最初にはっきり警告しておきます」
静寂が落ちた。
誰も動かない。
よろしい。
私は教壇の横に置かれていた木製の机へ杖を向け、軽く振った。
一瞬、机の輪郭が水面のように歪む。
四本の脚が縮み、天板が盛り上がり、古い木目が消えたかと思うと、その代わりに薄桃色の皮膚が現れた。
次の瞬間には、そこに丸々と太った豚が立っていた。
「わあ……!」
教室のあちこちから声が漏れる。
豚は鼻を鳴らし、床の匂いを嗅ぎながら短い尻尾を振った。
再び杖を振れば、今度は逆方向へ変化が起こり、豚の身体が縮み、皮膚が木へ、脚が机の脚へ変わり、ものの数秒で元の姿へ戻る。
その瞬間、生徒たちの表情が変わった。
つい先ほどまで緊張していた子供たちが、今では誰もが目を輝かせている。自分も早くやってみたい、いつかあんな魔法が使えるようになりたいという気持ちが、言葉にされなくても手に取るように伝わってくる。
こういう瞬間は嫌いではない。
長く教師をしていても、初めて本物の高度な魔法を目の前で見た子供たちの顔には、こちらまで初心を思い出させられるものがある。
もっとも、その興奮を一度冷ますのも教師の役割だった。
私は黒板へ向かい、基本となる変身術理論を書き始めた。
対象の把握。
変身前の状態。
変身後の形状。
材質。
質量。
密度。
構造。
術者の集中。
そして何より重要なのは、変身後の対象を術者がどこまで具体的に認識できているかである。
先ほど机を豚へ変えた際、生徒たちは単純に「机が豚になった」という結果しか見ていない。
しかし、その裏側では数え切れないほどの条件が同時に満たされている。
木材を肉体へ変える。
無生物を生物へ変える。
硬い構造物を、骨格と筋肉と内臓を持つ生きた存在へ置き換える。
そして、それらすべてを一瞬で成立させる。
当然ながら、一年生にできる魔法ではない。
説明を始めて十分も経つ頃には、生徒たちの顔から最初の熱狂はかなり薄れていた。
中には、早くも眉間へ皺を寄せている者までいる。
それでいい。
現実を知るのは早い方がよい。
私は用意していた箱からマッチ棒を取り出し、一人ひとりの机へ配った。
「今日、皆さんに行ってもらうのはこちらです」
一本を指先で持ち上げる。
「このマッチ棒を針へ変えなさい」
何人かがほっとした表情を見せた。
先ほどの机と豚に比べれば、遥かに簡単そうに見えたのだろう。
しかし、その程度の油断を見逃すつもりはない。
「ただし、形だけ針になればよいわけではありません。材質は金属。先端は十分に鋭く、多少の力を加えても簡単には折れず、表面へ木目が残っていてもいけません。火を近づけて燃えるようでも失敗です。あなた方が作るのは『針の形をしたマッチ棒』ではなく、『針』そのものです」
先ほど安心した生徒の顔が再び曇る。
私は杖の動きと発音をゆっくり実演した。
「始めなさい」
一斉に杖が上がった。
すぐに教室のあちこちで失敗が起こり始める。
先端だけが銀色に変わるもの。
妙に細長く伸びてしまうもの。
煙を出すもの。
ぐにゃりと曲がってしまうもの。
形は針に近いのに、木目だけがしっかり残っているものもある。
初めてならば、それでいい。
失敗して当然なのだ。
私は机の間を歩きながら、一人ずつ手元を確認していった。
「ミスター・ディゴリー。杖を振る速度が少し速すぎます。変身後の完成形をもっと明確に思い浮かべなさい」
「はい、先生」
セドリックが素直に頷き、もう一度杖を振る。
今度はマッチ棒の先端から半分ほどまでが金属へ変わった。
まだ不完全ではあるが、初回にしては悪くない。
さらに歩いていく。
そこで、一つだけ妙に静かな机があることに気づいた。
杖を振っていない。
悪戦苦闘している様子もない。
ロベルト・フィッツロイは椅子へ座り、片手で頬杖をつきながら、教科書の別のページを読んでいた。
「ミスター・フィッツロイ」
声をかける。
少年が顔を上げる。
「はい、先生」
「課題をしなさい」
「終わりました」
「……何ですって?」
視線を落とす。
机の中央には、一本の金属針が置かれていた。
拾い上げる。
銀色の表面には木目一つなく、太さも均一で、指先でわずかに力を加えてみれば適度にしなり、先端も申し分なく鋭い。
魔法を解除してみる。
瞬時に元のマッチ棒へ戻った。
変身の安定性にも問題はない。
「いつ終わったのです?」
「先生が『始めなさい』とおっしゃった直後です」
「一度で?」
「はい」
教室がざわめいた。
私はもう一度マッチ棒を机へ置いた。
「もう一度やってみなさい」
「はい」
ロベルトが杖を取る。
構える。
ほとんど無駄のない動作で呪文を唱え、杖を一振りする。
本当に一瞬だった。
木製のマッチ棒が完全な金属針へ変わる。
今度こそ見間違いではない。
「……見事です。レイブンクローに二点」
レイブンクローの生徒たちから小さな歓声が上がった。
しかし本人は、ほとんど反応しない。
「ありがとうございます」
そう答えるだけで、また針へ視線を戻す。
そこで、教師としての好奇心が刺激された。
教科書の課題を事前に練習していた可能性はある。
それだけなら珍しくはない。
彼が入学前に一年生の教科書をほぼ読み終えていたことも、すでにフィリウスから聞いている。
ならば。
「ミスター・フィッツロイ」
「はい」
「それ以外の変身もできますか?」
少年が少し考えた。
「どの程度までなら許可されますか?」
質問の仕方がおかしい。
普通なら、何を変身させればよいか尋ねるところだ。
この少年は先に許容範囲を聞いた。
私は念のため釘を刺す。
「今のマッチ棒を使いなさい。危険な生物は禁止です」
「分かりました」
ロベルトが机上の針を見る。
杖を上げる。
今度は呪文を口にしなかった。
ほんの一振り。
針が小さく震える。
銀色の金属が溶けるように膨らみ、細かな輪郭へ分裂していく。
羽毛。
翼。
脚。
嘴。
次の瞬間。
机の上に、一羽の鷲が立っていた。
教室から音が消えた。
鷲はゆっくりと翼を広げ、羽を整えたあと、黒い瞳で周囲を見回す。
どこかで誰かが息を呑む音がした。
私自身も、すぐには言葉が出なかった。
生物への変身。
しかも、この完成度。
外見だけではない。
動きまで自然だ。
変身術をある程度学んだ者ならば分かる。
無生物を生物へ変える場合、単に外見だけを再現すればよいわけではない。
骨格。
筋肉。
羽毛。
感覚器官。
運動機能。
それらを整合させなければ、見た目だけの不完全な変身になってしまう。
それを一年生が入学して数日で。
「……元へ戻しなさい」
「はい」
杖が動く。
鷲は一瞬で元のマッチ棒へ戻った。
変身にも解除にも乱れがない。
私はマッチ棒を手に取り、改めて状態を確認した。
完全だ。
「レイブンクローに二十点」
今度は教室全体から大きなどよめきが起きる。
「素晴らしい変身です。皆さんもよく覚えておきなさい。大切なのは派手さではありません。変身後の対象を正確に理解し、それを最後まで維持することです」
生徒たちは感嘆の眼差しでフィッツロイを見る。
しかし、本人はすでに興味を失っている。
窓の外へ視線を向けていた。
褒められて嬉しそうな様子もない。
二十点という大きな加点にもほとんど反応していない。
私は小さな懸念を覚えた。
才能がある。
それは間違いない。
しかし、才能がありすぎる子供というのは扱いが難しい。
周囲を見下すようになった者。
失敗を知らないまま育ち、初めて大きな壁へぶつかったときに折れた者。
学校の課程を退屈だと感じ、学ぶことそのものへの関心を失ってしまった者。
長く教師をしていれば、そういう生徒も見てきた。
この少年も、その類いなのではないか。
授業中の態度だけを見るならば、そう思っても仕方がなかった。
もっとも、その心配は授業が終わるまで持たなかった。
基本理論の説明へ戻り、予定していた範囲を進めていると、フィッツロイが手を挙げた。
「先生」
「何です、ミスター・フィッツロイ」
「質問があります」
「どうぞ」
少年が教科書を開いた。
ただし、指を置いたのは今日扱っている一年生向けの部分ではない。
巻末の参考文献だった。
「ここで採用されている変身安定性の説明ですが、五年前に『トランスフィギュレーション・トゥデイ』で発表されたクロード・ウェストンのモデルとは前提が異なりますよね?」
私は一瞬、返答を忘れた。
それは一年生が読むような論文ではない。
「……読んだのですか?」
「はい」
「五年前の論文を?」
「同じ分野の論文を年代順に追っていましたので」
何でもないことのように答える。
教室中の生徒がこちらを見ていた。
フィッツロイはそれにも気づかないのか、気にしないのか、そのまま話を続ける。
「ウェストンのモデルでは、変身後の安定性は術者から継続的に供給される魔力によって維持されると考えています。しかし教科書では、変身成立時に対象へ魔法的状態が固定され、その後の維持には必ずしも継続的な供給を必要としないと説明されています」
「その通りです」
「ところが、両方のモデルを一次変身へ適用すると、一定時間後の崩壊率についてほとんど同じ予測になります。前提が異なるのに、どうして同じ結論へ収束するのでしょう?」
なるほど。
ただ読んだだけではない。
比較している。
理論の前提を理解し、そのうえで双方を実際の変身現象へ当てはめている。
「非常に良い質問です」
私は教壇へ戻り、黒板へ二つの模式図を書いた。
「二つの理論では、魔力がどこに存在し、どの段階で変身後の対象へ作用するかについて異なる解釈を採っています。しかし、一次変身の範囲では観測できる変数が限られるため――」
説明を始める。
すると、フィッツロイの表情が変わった。
先ほど、完璧な変身を成功させてもほとんど感情を見せなかった少年が、今は目を輝かせている。
身を乗り出し、黒板を追う。
そして途中でまた手を挙げた。
「では、二次変身になると両者の差が出る?」
「ええ」
「特に生物間変身なら?」
「その通りです。ただし――」
「変身後の生体側に自己維持機構があるから、一次変身よりパラメータが増える?」
私は思わず微笑んだ。
「先に答えを言わない」
「あ、失礼しました」
謝っているが、ほとんど反省していない。
それよりも早く続きを聞きたい、という気持ちが顔に出ている。
なるほど。
そういうことか。
この子は変身術に興味がないのではない。
自分がすでにできることに興味がないのだ。
すでに理解しているもの、すでに成功できるものには長く留まらない。
だが、知らないものへぶつかった瞬間。
驚くほど素直に目を輝かせる。
「先生」
また手が上がった。
「では、変身対象に意識がある場合、術者側の固定だけでは――」
「ミスター・フィッツロイ」
「はい」
「残念ですが、今日の授業時間は有限です」
時計を見る。
すでに終了時刻が迫っている。
教室を見回すと、他の一年生たちは完全についてこられなくなり、半ば茫然としていた。
セドリック・ディゴリーなど、苦笑しながら隣の生徒と顔を見合わせている。
「この続きは授業後にしましょう」
「よろしいのですか?」
その瞬間、初めて少年の顔へ年相応の喜びが浮かんだ。
ほんのわずか。
しかし確かに。
「ええ。ただし、まず今日の授業を終わらせてからです」
「ありがとうございます」
フィッツロイは素直に座った。
私は授業へ戻りながら、胸の奥で静かに安堵した。
どうやら心配する必要はなかったらしい。
典型的なレイブンクロー。
いや。
少々、典型から逸脱しすぎてはいるが。
知識を得ることそのものを楽しんでいる。
理解できないものへぶつかれば退屈するどころか、むしろ目を輝かせる。
教師にとって、これほど教え甲斐のある生徒も珍しい。
授業が終わり、他の生徒たちが教室を出ていったあと。
フィッツロイはすぐに教壇へやってきた。
手には教科書だけではなく、五冊ほどの専門書と大量の羊皮紙を抱えている。
いったいどこに持っていたのやら。
「では先生、先ほどの二次変身についてですが」
私は思わず時計を見た。
「……次の授業は?」
「二時間後です」
「そうですか」
二時間。
まあ、いいでしょう。
教師として、優秀な生徒の質問に答えるのも仕事のうちだ。
「では、どこから始めましょうか」
少年の顔が輝いた。
その時の私は、まだ知らなかった。
この日を境に、ほぼ毎回の授業後、フィッツロイが大量の本と質問を抱えて私のところへやって来るようになることを。
そして一月も経たないうちに、私自身が彼から何を尋ねられるか分からないため、昔読んだ論文を引っ張り出し、事前に復習してから授業へ臨む羽目になることを。