剣聖「騎士団の教官になったから、気合い入れて厳しめに鍛えたら教え子全員殺意マシマシのガンギマリ集団になった」   作:アスピラント

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復讐者は師に仮面を被る事を覚えた

 俺――ユアンにとって先生は兄のような存在であり、鏡みたいな存在である。

 ダンピールという特殊な生まれの俺は、吸血鬼の父と人間の母の3人で一目につかない場所で静かに暮らしていた。

 

 だけどゼヴルのような魔族を筆頭に、一部の人間からは俺たちのような()()()()の種族は差別の対象となりやすい。アストライア王国では犯罪行為と定められている差別だが、俺のいた地域では違う国というのもあってかなり苛烈だった。

 

 その結果――俺の両親はイカれた新興宗教の連中に殺された。亡くなった両親のおかげで生き延びてしまった俺は復讐者となって、奴らを皆殺しにすべく力をつける事にした。

 

 冒険者は無理だ、英雄になりたいわけじゃないし冒険するために力をつけるつもりはない。

 

 そうなると必然的に騎士団という選択肢になる。

 何故なら正義という名目で奴らを殺せるからだ。

 

 入ったばかりの俺は抜き身の刃だった。

 誰とも馴れ合わず、ただ無心に……復讐を果たす為に力をつけようとした。友達なんて必要ない……力さえあれば良いと考えていた俺は望んで1人になった。

 

 しかし教官は1人で強くなろうとするなと言った。

 俺は抗おうとした――復讐心を忘れてしまうから、1人でいいと。

 

 でもあろう事か教官は復讐心を否定しなかった。

 

 ――お前と俺は似ている、復讐心は消さなくていい――

 

 ドス黒い気持ちを否定せず、それを力に変えれば人を救えると教官は示した上で、教官は人は独りじゃ生きていけない……信頼できる仲間がいれば、独りじゃ辿り着けない領域まで連れて行ってくれると言ってくれた。

 

 そう言われてから俺は仮面を被るようにした。

 友人を作るための仮面は役にたつ。

 おかげでかけがえのないモノを手に入れる事が出来た。

 

 もし仮面を取る時が来たとしたら――それは殺すと決めた奴だけだ。

 

 

◇◆◇

 

「――え、教え子たち全員で小物の悪党を潰すの?」

「ああ」

「…………すっごいオーバーキルね」

 

 ドラスケルが任務を果たした翌日、レクスディアはアルナの治療院によっていた。普段はレクスディアぐらいしかいないような、経営マジで大丈夫かと心配になるような客入りだが、今日に至っては他の人もいた。

 

(……なんか近いわね)

 

 だからコソコソ話すために、レクスディアはアルナの近くによって話していたのだが、アルナは内心嬉しかった。

 

「完膚なきまでに叩き潰したいという理由もあるが、他にもあってな」

「それは?」

「伯爵は王国政府の内部の人間だ、妙な真似をしたら騎士団が全力で潰すぞという脅しを見せつける」

「なるほど……抑止力ね」

 

 しかしそんな真似をしたらレクスディアの教え子たちの評判が、ますますとんでもない事になる。今更だが。

 

「ところで貴方は作戦に参加するの?」

「いや基本的には見届けるな、俺までは行く必要はない」

「……ま、そらそうか」

 

 ふとアルナはレクスディアの()()()を見て、気になっていた事を言った。

 

「んで……今日は何故私の店でエリクサー爆買いしてるの?」

 

 エリクサー……言わずと知れた怪我の治癒と魔力回復を同時に行う高級薬だ。普通の冒険者なら一本買うだけでもかなりの出費になる。

 だがレクスディアは、さっきからそれをまるで水でも買うかのように手に取ってはカウンターへ並べている。

 

「いや、買ってくれるのはありがたいわよ?」

 

 この店の経営は正直ギリギリだ。高級薬をまとめて買う客なんて滅多にいないからありがたい。

 

 だけど限度がある。

 まさか今からA級冒険者がやるようなクエストでも受けさせる気かと思ったほどだ。

 

「……なんでこんなに必要?これ一本いくらするか、あなた知ってるわよね?」

「知ってる」

「知っててこんな買うの? 理由は?」

「知ってる」

「…………」

 

 会話になってなさすぎる――アルナは半眼になった。

 

「いやだから理由を聞いてるのよ、何か誤魔化そうとしたでしょ」

「バレたか……まあ、これはな…今、俺の教え子が新人と二年目の騎士相手に稽古してるからだ」

 

 エリクサーがたくさん必要になる稽古は稽古じゃない――アルナは喉まで迫ってきていたセリフを言いかけた。

 

「なんでまたそんな手厚いサポートを?」

 

 率直すぎる質問にレクスディアは肩をすくめる。

 

「今回の任務は弟子たちがメインだ」

「それはさっき聞いた」

「だが伯爵のところは思ったより準備してるらしくてな」

 

 一本のエリクサーを手に取り、光に透かしながら続ける。

 

「荒くれ者をかなり雇ってるらしい。ついでに魔物も配置してるらしいな」

「……あー」

 

 アルナは納得したような、していないような顔をした。

 

「残飯処理みたいな役割を彼らにさせると?」

「そうだ、取りこぼしが出る可能性がある。人ならまだしも魔物だと逃すわけにはいかん。伯爵の潜伏先は地方都市の真ん中だからな」

 

 レクスディアはエリクサーをカウンターに置いた。

 

「新人と二年目には出来るだけ経験させたい、普段の任務もいいが……最近は平和だ」

「……なるほど、平和ボケはさせないと」

「そうだ、正直言ってまだ冒険者の方が強くなりやすい。ダンジョンに潜ったりしてる奴らは、毎日実戦を経験してるからな」

 

 それもそうだなとアルナは納得する。

 総力で言えば騎士団が勝てるだろうが、はっきり言って今の若手は経験不足が否めない。レクスディアの弟子はともかく、冒険者は修羅場慣れしやすく、若手騎士より機転が効く動きが出来る。

 平和なのは悪い事じゃないが、騎士団という王国を守る者たちが弱体化したら、誰が人を守れるのか。

 

(俺より先輩……特に15年目以上の体たらくを見たら、あんな騎士にはなって欲しくない)

 

 脳裏に浮かぶのは平和な世の中に甘んじて、騎士としての最低限の精神すら無くした者たちだ。大団長のお叱りを受けて僻地へ飛ばされたり降格されたりしているが、他責思考まで染みついた奴らはもはや仲間じゃない。

 ただ辞めさせて外に出してから悪さをされたらたまったもんじゃないので、監視という名目で所属させてるのだが、実質クビなのは間違いない。

 

「未来ある若者を腐らせたりはしたくない、それだけだ」

「なるほど、ここ数年で随分と教官らしくなったわね」

「教官だからな」

 

 板についてきて何よりだ。

 アルナはほくそ笑みながら、カウンターに並ぶエリクサーを見て言った。

 

「…………他のお客さんの分も多少は残しなさい」

「わかった……」

 

 あとは加減を覚えるだけだな――とアルナは呆れ気味に言った。

 

◇◆◇

 

 騎士団本部の訓練場。

 乾いた石床の上に、数人の若手騎士たちが膝をついていた。

 

「……はぁ……っ」

「くそ……」

「ユアンさん……強すぎますよ……!」

 

 肩で息をし、剣を支えにしてようやく体勢を保っている者もいる。額から汗が滴り、腕は震え、呼吸は乱れていた。

 完全に力を使い果たしているのは明らかだった。

 そんな彼らの前に、一人の青年が立っていた。

 

「こんな感じかな」

 

 灰色の髪に赤い瞳、整った顔立ちは穏やかで、威圧感とは無縁の優しい印象を与える。そんな彼の手には美しいレイピアが握られていた。

 

 ユアン――剣聖の弟子の中で一番社交的で、女性人気の高い騎士だ。今この場にいる若手騎士たちは、ユアンの指導と聞いてすぐに駆けつけると「ぜひ! 貴方と一緒に訓練したいです!!」と頼み込んできた子達だ。

 

 ユアンは後輩たちからかなり好かれており、イケメン騎士としてランキングしている。優しいけどちゃんと強いし、教える時は厳しいのがギャップ感じていいという理由だ。

 

 しかし今日のユアンはちょっと違った。

 いつにも増して真面目だった。

 

「だいたい全体のレベルは分かった」

 

 若手騎士たちは顔を上げる。

 その視線を受けながら、ユアンは淡々と続けた。

 

「戦闘能力そのものは……思っていたより悪くない」

 

 何人かがほっとした顔をした。

 だが次の言葉で、その表情が固まる。

 

「ただ剣術以外の要素が足りないね」

「「「……!」」」

「経験は仕方ないとしても、状況判断能力が足りないかな。ちょっと俺の基準よりは低い」

 

 ちなみに騎士団のテストは受かってここにいるため、普通の人間よりは圧倒的に優れているが、基準が剣聖の教え子基準なため、ハードルがバカみたいに上がってる。

 そうとも知らない若手騎士たちは「マジで……?」という顔をしていた。

 

「だから俺がしてやれるのは……そうだな、シチュエーションを整えてやることかな。ロラーナ……彼らに治療を」

「皆さん、一旦動かないでくださいね」

 

 ユアンが隣にいたロラーナに呼びかけると、彼女は無表情で若手騎士たちに治癒を施す。

 

「あ、ありがとうございます」

「このぐらいは別に大丈夫です、むしろこれからもっときついですよ」

「…………本当ですか? 確か作戦って明後日ですよね?」

「体力はエリクサーで補給出来ますから、大丈夫ですよ?」

 

 あれ、話が噛み合わないぞと若手騎士たちは思った。

 作戦近いのにボロボロになっていたら、よくないのではという真っ当なツッコミは彼らの前じゃ無力だ。

 

  ――その時だった。

 

 訓練場の入口の扉が、静かに開いた。

 振り向いた若手騎士たちの視界に入ってきたのは、レクスディアだった。片手には木箱を抱えており、愛用の杖は腰に差している。

 

 彼は何でもない様子で訓練場の中央まで歩いてくると、抱えていた木箱をどさりと音を立てて地面に置いた。

 箱の蓋が少し開き、中から瓶がぎっしりと詰まっているのが見える。淡く輝く液体――エリクサーだった。

 

 一本や二本ではなく箱いっぱいに敷き詰められたそれを見て、若手騎士たちはポカンと口を開けていた。

 

(((多くない…………??)))

 

 誰もが思ったが口には出せない。

 そんな彼らを横目に、レクスディアは視線をゆっくりとユアンへ向けると、ユアンは姿勢を正す。

 

「お疲れ様です、教官」

 

 背筋を伸ばし、きっちりとした騎士の礼をして挨拶。

 その姿を見た若手騎士たちも、慌てて反応した。

 

「お、お疲れ様です!」

「教官!」

 

 バタバタと立ち上がり、慌てて姿勢を正す。

 だが何人かは足が震えてよろめいた。

 レクスディアはそれを見て軽く手を上げる。

 

「楽にしていい」

「「「はっ……!」」」

 

 若手騎士たちは互いに顔を見合わせ、少しだけ力を抜いた。

 レクスディアは箱の横に立ちながら、ユアンへ視線を向ける。

 

「どうだ」

「剣術と魔法は……まあ、騎士団の基準としては問題ないと思います」

「そうか」

「ただ……」

 

 ユアンは少し肩をすくめた。

 

「体力、反射神経、状況判断……そういう剣術以外の要素が足りませんね」

 

 レクスディアは黙って聞いている。

 

「なので今からは、この能力を鍛える訓練をしようかなと」

「なるほど」

 

 レクスディアは短く頷いた。

 ユアンはキアラに負けないぐらい真面目だ。

 面倒見もいいが、厳しい。

 自分にはもっと厳しいし、ストイックな一面が他のメンバーより強い。

 

(流石にやりすぎることはない筈だとは思うがな)

 

 などと思っていると――横からすっと人影が近づいてくる。

 

「師よ」

 

 ロラーナだった。

 いつの間にか隣に立っている事にレクスディアは少し驚いた。

 

「私も頑張りました」

「ああ、そうか……ご苦労様だ。ちょっと楽にしていいぞ」

 

 だがロラーナは動かなかった。

 むしろずいっと一歩、さらに近づく。

 

「頑張りました」

 

 さっきより少し強い口調をしてアピールするとレクスディアは一瞬だけ沈黙する。

 そして数秒経ってレクスディアは理解する。

 

(皆が見てんだけど……)

 

 ちょっと公衆の面前は嫌だなと思いながらも彼は軽く手を伸ばし、ロラーナの頭にぽんと手を置くと優しく撫でる。

 

「よくやった」

 

 ロラーナは一瞬だけ目を細めた。

 それから満足そうに鼻を鳴らす。

 

「ふん」

(めっちゃドヤ顔するな)

 

 案の定若手騎士たちはその光景を見て、内心かなり驚いていた。

 

(……え)

(……ギャップ萌えってこれを言うのね)

(ロラーナ先輩……顔が蕩けてるじゃん……)

 

 困惑が広がる一方でユアンは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべていた――殺気をロラーナにだけぶつけて。

「ロラーナ」

「何ですか」

「君、大したことしてないでしょ」

 

 ロラーナの眉がぴくりと動いた。

 

「しましたよ? 若手騎士たちの英気を養う大事な仕事をしました」

 

 薄い胸を張ってロラーナは更にドヤ顔する。

 

「とても重要です、ユアンの目が節穴なだけでしょう」

「なるほど……」

 

 ユアンは相変わらずニコニコしている。

 

「つまり回復魔法をかけただけだね」

「それが重要なんです」

 

 ロラーナは腕を組んだまま言い切った。

 

「治療がなければ彼らは訓練を継続できません」

「まあ確かに」

 

 ユアンは頷いた。

 

「じゃあ次はもっと頑張ってもらおうかな」

「?」

 

 ロラーナが首を傾げる中でそのままユアンは、にこやかな顔のままレクスディアへ視線を向けた。

 

「教官、伯爵の邸宅はかなり大きいんですよね」

「まぁな」

 

 ドラスケルたちのおかげで伯爵の潜伏先は把握している。恐らくそこにはゼヴルが逃した野盗のリーダーや、魔物を操る杖もある。そのせいか……邸宅というより、半ば要塞のようになっているらしい。

 

「攻城戦用の大きいフィールド、ありますよね?」

「…………何をやりたいか、わかったぞ」

「ほほー、私を引っ張り出す気ですかユアン」

 

 いつのまにかロラーナも燃えている。

 つまりこれからするのは――

 

「俺と若手騎士たちで、ロラーナから一本取ります」

「エルフだって売られた喧嘩は買いますよ……ふふふ」

「……」

 

 訓練の名目でお互いをぶちのめせると思っているのだろう。レクスディアはちらっと若手騎士たちを見ると、心なしか戦慄してるように見えた。

 

(ちょっとは落ち着いてほしいもんだ)

 

 とレクスディアは思ってはいるが、ユアンとロラーナをこんな風にしたのは彼である。

 

◇◆◇

 

 騎士団本部の奥にある巨大な訓練フィールドはは通常の訓練場とは規模がまるで違う。

 石造りの高い外壁に囲まれた広大な敷地を持っており、その中央には訓練用に建設された要塞が堂々とそびえている。高さのある城壁、狭い通路、弓兵用の櫓、さらに攻城戦を想定した門や防壁まで用意されていた。

 

 騎士団の中でも大規模な模擬戦を行う時にしか使われない特別な場所だ。

 

 これは騎士団大団長の肝入りで作られたフィールドであり、「実戦に近い訓練」を重視する彼の思想がそのまま形になった設備でもあった。

 

 普段は滅多に使われない場所だが、今日は違う。

 訓練場の中央では、若手騎士たちが緊張した顔で並んでいた。

 

 その前に立っているのはユアンだ。

 

「よし、まずはチーム分けからだね」

 

 穏やかな声で言いながら、ユアンは若手騎士たちを見回す。

 そして手早く人数を数えると、あっさりと告げた。

 

「こっちから半分は俺の側、残りはロラーナ側に分かれて」

「「「は、はい……!」」」

 

 綺麗に2グループに分かれると、ユアンは説明を再開する。

 

「攻城戦は攻める側だけじゃなく、守る側の動きも理解しておいた方がいいよ。守る側を経験すれば、敵がどんな思考で動くか想像できるようになる」

 

 それは確かに理にかなっていた。

 

 だが――

 

(いや……)

(理屈は分かるけど……)

(これ絶対違う理由あるよね?)

 

 若手騎士たちは薄々気づいていた。

 

 どう見てもこれはユアンとロラーナの競い合いだ。早い話――代理戦争みたいなもんた。

 少し離れた場所ではロラーナが腕を組んで仁王立ちしている。

 

「ふふ……望むところですよ、ユアン」

 

 完全にやる気だった。

 そんな様子を観客席から眺めているのがレクスディアだ。

 腕を組みながら静かに座っている。

 

「……」

 

 彼の周囲には数名の騎士団関係者もいるが、皆どこか緊張した顔をしていたがレクスディアは落ち着いている。

 

(まさかこうなるとはな)

 

 以前のユアンなら考えられない事だ。

 こうやってムキになって、仲間と競い合うなんて昔のユアンが見たら信じられないと思うだろう。

 

「……変わったな、ユアン」

 

 そしてレクスディアは何とか変わろうと努力するユアンを思い出していた。

 

◇◆◇

 

 レクスディアの脳裏に浮かぶのは、騎士団に入りたての頃のユアンだ。

 

 あの頃のユアンは今とは似ても似つかない。

 笑わないし愛想もなかった。

 ただひたすらに、刃のように鋭く、冷たかった。

 訓練では誰よりも早く動き、誰よりも正確に剣を振るった。だが終わればさっさと一人になり、声をかけようとする者を無言の圧力ではねのけた。食事も一人、休憩も一人、移動も一人。まるで仲間という概念そのものを拒絶しているようだった。

 

 ある日――レクスディアはユアンに声をかけた。

 

「……精神的にキツくなってないか?」

「……!」

 

 ユアンの動きが一瞬止まった。

 彼は振り返らずに答える。

 

「何か問題が?」

「ない。ただ聞いただけだ」

 

 レクスディアは近くの壁に背を預けながら、腕を組んだ。ユアンはまた素振りを再開する。規則正しく、機械的に。感情のかけらも感じられない動きだった。

 

「お前は……何のために強さを求める?」

 

 問いかけると、手が止まった。

 

「……関係ないでしょう」

「関係ある、俺はお前の師匠だぞ」

 

 しばらく沈黙が続いた。

 月が雲に隠れ、訓練場が暗くなる。

 

「復讐です」

 

 ユアンは静かに、しかしはっきりと言った。

 振り返った顔には、年齢に似合わぬ昏い光があった。

 

「両親を殺した奴らを、皆殺しにする。それだけです。仲間も、友人も、必要ない。力さえあれば――俺は目的を果たせる」

 

 その言葉に嘘はなかった。

 レクスディアはユアンをしばらく無言で見つめた。

 責めるでもなく、哀れむでもなく、ただ静かに。

 

「……そうか」

 

 それだけ言うと、レクスディアはゆっくりと壁から身を離し、ユアンの隣に並んだ。突然の行動にユアンが僅かに眉を動かす。

 

「何を――」

「俺も昔、お前と同じ事を考えていた」

 

 静かな声だった。

 感傷も、芝居がかった響きも一切ない。

 ただ事実を告げるように。

 

「……教官が?」

 

 ユアンの声に、かすかな疑念が混じる。

 レクスディアは月のない夜空を見上げながら続けた。

 

「俺にも、消えない怒りがあった。忘れたくない憎しみがあった。それを胸に抱えて、ひたすら一人で強くなろうとした」

 

 レクスディアは自分の事をあまり話さない。

 過去については色々知っている奴はいるが、その内に眠る思いまでは話してこなかった。

 

「…………俺、は」

 

 ユアンはそれ以上何も言えなかった。

 ただ、剣を持つ手が少しだけ緩んだ。

 

「独りでいると……楽なんだ。誰かに気を遣わなくていい。誰かを心配しなくていい。守るものがなければ、迷いなく前だけを見ていられる。そう思っていた」

 

 レクスディアは一拍置いた。

 

「だが違った」

 

 その言葉は、静かな夜に沁み込むように落ちた。

 

「独りでいると……限界が見えなくなる。自分がどれだけ追い詰められているか、自分では分からなくなる。折れそうになっていても気づかない。ただ、ひたすら削れていく。自分が何のために戦っているか、そのうち分からなくなる」

 

 ユアンはレクスディアの横顔を見た。

 その目には珍しく、どこか遠い色があった。

 

「俺はある時――本当に、限界だった。復讐心だけで動いていたが、それすら霞んで見えなくなった。怒りは残っているのに体が動かなかった。あの感覚は今でも覚えている」

「…………」

「その時、手を貸してくれた奴がいた」

 

 レクスディアの声が、わずかに低くなった。

 

「俺は突っぱねた。お前と同じようにな。必要ない、余計な事をするな、放っておけと。だがそいつは離れなかった。……うるさいぐらいに、傍にいた」

「その人って……」

「今勇者と呼ばれて、調子に乗ってる女だな。あいつにパーソナルスペースとかはないからな」

 

 苦々しいような、しかしどこか温かみを含んだ笑みが口元に浮かぶ。

 

「おかげで俺は気づいた。独りで辿り着ける場所には、限りがある。誰かが隣にいる時に初めて、踏み込める領域がある。それは弱さじゃない。当たり前の事だ」

 

 夜風が吹いた。

 ユアンはしばらく黙っていた。

 レクスディアも急かさなかった。

 

「……俺は」

 

 ユアンがやっと口を開いた。

 声は低く、かすれていた。

 

「仲間を作ったら……復讐を忘れる気がする。大切なものが出来たら、それを守る事に必死になって、憎しみが薄れていく気がする」

「ああ」

 

 レクスディアは否定しなかった。

 

「そうなるかもしれんな」

「それって――」

「だけど復讐だけを支えにしたら持たない、他の支えは必ず必要だ」

 

 何せ人間はそこまで強くない。

 刃のように振る舞っても、完全な刃になる事は出来ない。

 

「俺が12人の仲間を集めた理由は何かわかるか?」

「なんですか……?」

「遠慮なくお互いに支え合っていける仲間を作るためだよ」

 

 そこからユアンは変わろうとした。

 レクスディアの言葉を胸に、意識して周囲へ目を向けるようにした。話しかけられたら答える。無視しない。壁を作らない。それだけを心がけた。

 ――だが、上手くいかなかった。

 

「……教官」

 数日後の夕暮れ、ユアンはレクスディアの執務室の扉を叩いた。入室を許可され中に入ると、レクスディアは書類から顔を上げた。

 

「どうした」

「……言われた通りにやってみました」

 

 ユアンは率直に言った。

 感情を抑えた声だったが、その奥にかすかな苛立ちが滲んでいた。

 

「話しかけられたら返事をする。目を逸らさない。訓練が終わっても話しかけたりする、それをずっとやってます」

「ああ」

「でも友人が出来ません」

 

 間があった。

 レクスディアは書類を置いて、椅子の背もたれにゆっくりと体を預けた。

 

「なるほど……」

「なんで出来ないんですかね」

 

 ユアンの声は静かだったが、どこか本気で解せないという響きがあった。指示通りにこなした。条件はクリアした。なのに結果が出ない。そういう困惑だ。

 

「お前、返事をする時どんな顔してる」

「……普通の顔です」

「それが問題だ」

 

 レクスディアは短く言い切った。

 

「人と仲良くなるには、技術がいる。話す内容だけじゃない。声とか言葉遣い、距離の取り方……そして顔だ」

 

「顔」

「お前の『普通の顔』は、他人から見ると『話しかけるな』に見える」

 

 ユアンは無言だった。

 反論しなかったのは、心当たりがあったからだろう。

 

「人間ってのはな、相手の表情を無意識に読む。どれだけ言葉が丁寧でも、顔が壁を作っていたら近づけない。お前は今、言葉の扉を開けて顔の扉を閉めてる状態だ」

「…………」

「仮面が要る」

 

 レクスディアはあっさりと言った。

 ユアンは少し目を細める。

 

「仮面、ですか」

「そうだ。本心を全部見せろとは言わん。ただ、相手が近づきやすい顔を作る。それだけでいい。友人を作るための仮面だ」

 

 ユアンはしばらく考えた。

 それから静かに答えた。

 

「……出来ないと思います」

「何故」

「俺には、愛想を振りまくような真似は向いていない。柔らかく笑って、気さくに話して……そういう振る舞いを自然にやれる気がしない」

 

 嘘のない言葉だった。

 ユアンは自分の不得手を正確に把握していた。

 レクスディアはそれを聞いて、少し考えてから口を開いた。

 

「お前、顔はいいよな」

「……は?」

 

 ユアンは完全に予想外の言葉を受けて、間の抜けた声を出した。構わずレクスディアは真顔のまま続ける。

 

「整った顔をしてるのは事実だろう。そういう奴はな、大げさな事をしなくていい。愛想笑いも、気さくな振る舞いも、無理にやらなくていい」

「……それは」

「薄く笑うだけでいい」

 

 レクスディアは淡々と言った。

 

「口の端を少し上げる。目を少しだけ和らげる。それだけで、お前の場合は十分だ。顔がいい奴がそれをやると、感じがいいに変わる。難しい事じゃない」

 

 ユアンは黙って聞いていた。

 

「話しかけてくれた相手に、それをやれ。完璧にやれとは言わん。ぎこちなくていい。最初はそれで十分だ」

「……薄く笑う、だけで」

「それだけでいい」

 

 ユアンはしばらく黙っていた。

 それから、ぎこちなく口の端を上げてみた。

 レクスディアはそれを見て、一拍置いてから言った。

 

「……少し怖い」

「……」

「目が笑っていない。口だけ動かしてる」

 

 ユアンは表情を戻した。

 若干傷ついたような沈黙だった。

 

「眉を少し下げる……あとは力を抜け。やってみろ」

 

 ユアンはもう一度試みた。

 今度は眉を意識して、目の力を緩めた。

 レクスディアはそれを見て、今度は何も言わなかった。

 数秒後、短く頷く。

 

「……まあ、それで行け」

「合格ですか」

「及第点だ。合格とは言ってない」

 

 辛口だったが、先ほどの「怖い」よりはましだった。ユアンは小さく息をつく。

 

「うまくいくのか……」

「諦めずにやってみろ、お前なら出来る」

 

 レクスディアはそんな彼の背中を優しく叩いて言った。

 

「お前ならすぐに友達ぐらい……沢山出来るさ」

 

 ◇◆◇

 

 (あの時からあいつは段々と仲間と話すようになった)

 

 ナハトとは違い、自ら独りの道を歩む彼を独りにしないようにしたのは、かなり大変だった。アドバイスしてから多少はまともになったが、中々うまくいかなかった。

 

 でも今はどうだろう――彼の周りに集まる後輩たちはユアンを慕っている奴が多い。教え子たちの中で一番社交的になり、支えてくれる人が沢山増えた。

 

「ルールは単純――防衛側の城の中には旗があって、それを取られたら防衛側の負け。攻撃側は制限時間以内に取れなきゃ負けで」

「わかりました」

 

 ロラーナとユアンが簡単にルールを決めると、2人はそれぞれのチームに戻る。ユアンは早速皆の下に駆け寄ると、すぐに近くに寄って話し合うよう命令する。

 

 ロラーナも同じように話し合って、要塞の奥へ向かう。

 多分何か色々と仕掛けているとユアンは予想し、チームの方へと視線を戻す。

 

「ロラーナと勝負と言う流れにはなったけど、明後日の任務も似たような感じになる。旗は伯爵……残りは彼の部下だね」

「ユアン先輩は今までこういった突入作戦は何回もありますか?」

「あるよ、まぁ俺達は単騎で突っ込んだりするけど」

「「ええ……」」

 

 ちょっと規格外だなと引いてしまったが、それが出来る実力なのだと改めて思い知る。ユアンは優しい笑みを浮かべたまま言った。

 

「皆は俺みたいにやらなくていい」

 

 ユアンはさらっと言った。

 

「単騎突入は俺たちが異常なだけだから、参考にしないで。大事なのは、仲間と連携して動く事だよ」

 

 若手騎士たちの緊張が、少しだけ解けた。

 

「今日の訓練は明後日の為にある。上手くやろうとしなくていい、失敗していい。失敗した時に何がまずかったか、それを体で覚える方が大事だから」

 

 ユアンは一人一人の顔を見渡した。

 

「君たちは弱くない。さっき俺と手合わせしてみて分かった。ちゃんと力はある」

 

 若手騎士の一人が、おずおずと口を開く。

 

「……でも、ロラーナ先輩は」

「強いよ、本当に」

 

 ユアンは即答した。

 隠しも誤魔化しもしない。

 

「だからこそ、やりがいがある。格上と戦う経験は、なかなか出来ないから」

 

 それからふっと笑う。

 

「俺も一緒にいる。後ろは任せていい……だから前を見て、思い切りやってみて」

 

 短い沈黙の後、若手騎士たちの顔つきが変わった。

 

「――皆、勝とう。ロラーナは確かに強いが……あいつは俺が抑える。君らの強さを見せつけてやれ」

「「「はい! ユアンさん!!」」」

「よろしい、じゃあ……色々と作戦を考えようか」

 

◇◆◇

 

「――そろそろいいですかね、ユアン」

「ああ」

 

 通信用の魔導具越しに2人は会話する。

 準備は万端だ。

 

「いつでもどうぞ」

「……じゃあいくよ、皆」

「「「はい!!」」」

 

 号令と同時に、ユアンのチームが動いた。

 だが正面から突っ込むような真似はしなかった。

 

「散開。三人は左の外壁沿いに、残りは俺に続いて」

 

 指示を出しながら、ユアンは走る。要塞の正面門を真っ直ぐ目指すのではなく、まず外壁の死角へ滑り込んだ。

 

「ユアンさん、正面から行かないんですか」

「守る側は正面を一番固める。真っ先に突っ込んだら、そこに全ての攻撃が集中する」

 

 ユアンは外壁に背を預けながら、城壁の上を素早く観察した。

 

「ロラーナは頭がいい。俺たちが来ると分かった瞬間、弱点を全部塞いでるだろうね。だから……先にその弱点を作る」

 

 言いながら、ユアンは左手の指先を噛んだ。

 にじんだ血が、すうっと空気に溶けるように広がる。ダンピール特有の血液を扱う魔法――それが発動する気配を感じ、隣の若手騎士が息を呑んだ。

 

「装備を出して」

 

 数人が剣を構えると、ユアンの血が細い糸のように伸び、刀身へと絡みついた。じわりと赤黒い光が刃を包む。

 

「……これは」

「強化したよ、これで斬撃に魔力が乗る。魔法障壁ごと斬れるようになる」

 

 淡々と説明しながら、ユアンは自分のレイピアにも同じ処理を施した。血の魔力が刀身を這い、刃が暗赤色に輝く。

 

「左チームは外壁の角から囮になって攻撃を引きつけろ。本命は俺たちだ」

 

 指示を受けた三人が頷き、外壁沿いに駆けていく。

 数秒後――要塞の城壁上から鋭い冷気が走った。

 

 

 一方……要塞の内部では――

 

 

 ロラーナは城壁の上から攻め手の動きを静かに観察していた。すると銀の瞳が細くなる。

 

「……散開しましたね」

 

 隣に立つ若手騎士が緊張した声で報告する。

 

「左から三人来ます、ロラーナ先輩!」

「分かっています」

 

 ロラーナは腰の湾刀には手をかけず、弓を取り出した。

 氷の鏃を持つ矢を番え、狙いを定める。

 

「あれは囮です」

「え?」

「ユアンは私のことをよく知ってますからね、翻弄させたいのでしょう」

 

 それでも彼女の表情は変わらない。

 ただ淡々と、矢を放った。

 ヒュッ、と鋭い音とともに氷の鏃が地面に突き刺さり、左から来た三人の足元に霜が広がって動きを封じる。

 

「左は貴方達が、私は正面を……ユアンは必ず正面から来ます」

「でも本命は別ルートでは……」

「あいつは正面から来ます」

 

 ロラーナを抑えられるのはユアンしかいない――それも理由もある。だが一番はレクスディアが見ているという事。

 

(先生の前でかっこつけたいのは貴方だけじゃないんですよ、ユアン)

 

「今だ――皆、続いて」

 

 左チームが引きつけた一瞬の隙を縫い、ユアンは正面門へ向けて一気に加速した。レイピアを逆手に持ち、血の魔力を全開にする。暗赤色の輝きが増し、足元にまで薄く広がって身体能力そのものを底上げする。

 

 門が迫る。

 守備側の若手騎士が魔法障壁を展開した。

 分厚い光の壁が正門前に出現し、進路を塞ぐ。

 

「止まれ!」

 

 だがユアンは止まらなかった。

 レイピアを正面に構え、そのまま障壁へ刃を叩き込む。

 ガッ、と硬質な音がした。

 通常の剣なら弾かれる。だが血の魔力を纏った刃は障壁に食い込み――亀裂が走った。

 

「もう一度、同じところを叩け!」

 

 後ろから続いた若手騎士たちが同じ箇所へ斬りかかる。強化された刃が重なり、亀裂が広がり、障壁が砕け散った。

 

「突入!」

 

 要塞の内部へ踏み込んだ瞬間、横から冷気が奔った。

 ロラーナだった。

 城壁の上から飛び降り、着地と同時に足元の石畳が白く凍りつく。湾刀を両手に構え、銀の瞳がユアンを捉えた。

 

「来ましたね、ユアン」

「お待たせ、ロラーナ」

「「じゃあさっさと倒れてくれ、友よ」」

 

 レイピアが煌めき、ロラーナの湾刀が交差する。

 甲高い金属音が要塞に響き渡ると同時に、二人の間から衝撃波が弾け、周囲の若手騎士たちが思わず後退した。

 ユアンの血の魔力とロラーナの冷気が鬩ぎ合い、ぶつかった空気が白く染まる。

 

「皆、奥を制圧して。ロラーナは俺が抑える!」

 

 指示を受けた若手騎士たちが左右に散り、守備側との戦闘が始まる。あちこちで魔力の火花が散り、攻城戦は一気に乱戦の様相を呈した。

 

「フッ――――!!」

「ハァ――――!!」

 

 乱戦の中、ユアンはロラーナと斬り結びながら、視界の端で味方の動きを把握していた。

 若手騎士たちは奮闘していた。だが守備側も粘り強い。要塞の通路は狭く、数の利を活かしにくい。一対一の局面が各所で生まれ、攻め手は思うように前へ進めなかった。

 

(このままじゃ時間切れになる)

 

 ユアンはロラーナの斬撃を流しながら、素早く思考を巡らせた。

 

「ユアン、随分と余所見をしますね」

 

 ロラーナの刃が鋭く迫る。

 冷気をまとった湾刀が空気ごと凍らせるように薙いでくる。ユアンはレイピアで受け流しながら一歩退いた。

 

「ごめんごめん、ちゃんと見てるよ」

 

 笑みを崩さないまま、ユアンは左手の指先に意識を集中した。

 

 血の中にある魔力を若手騎士たちに纏わせた装備と接続――ロラーナに気取られないよう、石畳の隙間を這わせるように強化した味方の装備に、魔力の糸を繋いだ。

 

 直接操るわけではない。ただ薄く信号を送るように、魔力の流れを作る。それだけでいい。あとは装備が応える。

 

(三人……繋がった)

「先輩、少し押されてます!」

「構いません、下がらないで」

 

 守備側の若手騎士がロラーナに報告する。攻め手の圧力が増している。だがロラーナは動じない。

 

 しかしその直後だった。

 守備側の陣形の中央で、攻め手の若手騎士の剣が突然、軌道を変えた。狙いを外したように見えた刃が、弧を描いて隣の守備側へ流れる。

 

「っ!?」

 

 守備側が咄嗟に弾いたが、体勢が崩れた。その隙を突いて別の攻め手が踏み込む。連動しているように見えない動きが結果として綺麗に噛み合っていた。

 

「……なるほど」

 

 ロラーナの眉がわずかに動いた。

 

「装備を通して動きを誘導していますね」

「見抜くの早いな」

「そら気づきます」

 

 守備側の陣形に綻びが生まれた瞬間、攻め手の二人が一気に駆け抜けた。通路を抜け、要塞の奥へと向かう。

 

「追いなさい!」

「は、はい!」

 

 守備側が追うが、残った攻め手が通路を塞ぐように立ち塞がる。もはや捨て身の遅延だった。

 

「実戦なら彼らはただじゃ済まないでしょうに」

「俺なら死なせないからね」

「……大層な自信ですね」

 

 これなら復讐者だった時の方がマシですね――と強かになったユアンに舌打ちしつつ、ロラーナは若手騎士を信じるしかなかった。

 

 

 ――そして要塞の最奥。

 

 

 薄暗い石造りの部屋の中央に、赤い布が静かに垂れた旗が立っていた。そこにユアンチームの二人の若手騎士が飛び込んできた。

 

「あった……!」

「取れます、ユアンさん!」

 

 思わず声が出た。

 だが――その瞬間、部屋全体の温度が急激に落ちた。

 

 床から、壁から、天井から。

 無数の霜が走り、部屋そのものが凍り始める。ロラーナが事前に仕掛けておいた氷の魔法陣が、侵入者を感知して起動したのだ。

 

「まずっ――」

 

 逃げる間もなかった。

 冷気が足元から這い上がり、二人の動きを瞬時に封じる。膝まで、腰まで、胸まで。氷が全身を包み、二人は旗の手前で完全に凍りついた。

 

 旗は目の前にある、手が届きそうなほど近いのに指一本動かせない。

 

(……くそ、できれば――()()()()()()()()()()())

 

 一人が歯を食いしばった。

 その時だった。

 体の内側から、じわりと熱が広がった。

 ユアンが繋いだ魔力の糸が、装備の中で脈打ち始める。強化された刃に蓄積されていた血の魔力が、限界まで圧縮されて一点に収束する。

 

 それが弾けた。

 

「ユアンさんの読み通りだ!」

 

 ユアンはロラーナが何も仕掛けていないわけがないと読んでいた。油断したタイミングで罠に嵌め、勝利をもたらすのが彼女の手法だ。

 

 だからこそユアンは若手騎士たちの装備に血の魔法による装備を纏わせ、ロラーナの魔法を検知したら弾け飛ぶ細工をした。

 衝撃が内側から外側へ向かって炸裂し、全身を包んでいた氷が粉砕される。破片が四方へ飛び散り、二人は膝をついたまま自由を取り戻した。

 

「……っ、今だ!」

 

 一人が腕を伸ばし凍えた指が、旗の布を掴むと勢いよく引き抜いた。

 

「「やった!!! ユアンさん!!! 勝ちましたよ!!!」」

 

 ◇◆◇

 

 同時刻――要塞の外まで、歓声が響くとロラーナ側の若手騎士たちは肩を落とした。

 

「取った……!」

「ユアンさん、旗取れました!!」

 

 通路で遅延していた若手騎士たちが顔を上げる。守備側との鍔迫り合いの中で、それでも笑みがこぼれた。

 

 ユアンとロラーナの2人は剣戟が止めた。

 2人の表情は変わらなかったが数秒の沈黙の後、小さく息をついた。

 

「……まさか仕掛けを突破するとは思いませんでした」

「君の仕掛けは読めてたよ。だから強化した装備に保険をかけておいた」

 

  ユアンは肩をすくめた。

 

「ロラーナなら絶対に最後の最後に仕掛けがある。君はそういう奴だから」

「……私のことをよく知っていますね」

「仲間だからね」

 

 即答するユアンを見て、ロラーナはフッと笑う。

 

「本当……変わりましたね」

「……まぁな」

「ですが、次は負けませんよ――明後日は私が貴方より沢山殺します」

「……はっ、言ってろ」

 

 勝負内容が血生臭いのはさておき、2人は再戦を誓う。

 そんな後ろ姿を見ていたレクスディアはふと思う。

 

(独りを望んでいたユアンがここまで変わるとはな、感慨深い)

 

 後輩たちに囲まれ、笑顔を浮かべるユアンを見ながら、本当に良い方に変わって良かったと心底安堵するのだった。

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