剣聖「騎士団の教官になったから、気合い入れて厳しめに鍛えたら教え子全員殺意マシマシのガンギマリ集団になった」   作:アスピラント

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リッチーな彼女は師に名を貰った

 私はレクス様無しじゃ生きていけない。

 どん底だった私を救い、力を与えてくれた。

 他の皆も気持ちは同じだと思う。

 でも私は一番ドロドロしていて、じっとりしていて、重い自信しかない。

 

 よくナハトと張り合うけど、ナハトはまだ可愛げがある。私は師に流れている血肉すら欲しい。黒竜の猛毒を持っているとしも知った事じゃない。なら一緒に毒に侵されたっていい――そこまで思っている。

 

 ほら……ナハトはまだ乙女だから。

 私はそんなんじゃないから、もっと深くて底なんかないの。

 

 もちろん自分がおかしい自覚はある。

 私自身……どこまで行っても救いがないぐらい汚れてる。

 故に常人には理解できない愛、触れた者をおかしくしてしまうような愛が私に宿っている。

 

 そんな私の歪みをレクス様は肯定してくれたの。

 あの人の素敵なとこは歪みを認めて、それを個性と捉える寛容さにある。

 

 だから皆あの人から離れられない。

 皆寄りかかってしまう。

 私が一番だと知らない人たちが……寄りかかってしまう。

 

 ふざけるな、そこは私のだ。

 私の席だ、あの人が終わる時にいるのも私が隣にいるべきだ。

 

 ねぇ……レクス様、貴方が死ぬ時に私が側にいて、折り重なるようにして死にたいと思っているのだけれど、これって素敵じゃない??

 

 ◇◆◇

 

 夜――それは悪しき者たちが蠢く時間。

 月明かりがかろうじて地面を照らす中、森の奥深くに設けられた即席の拠点では、不気味な気配が漂っていた。

 

 焚き火の火は小さく、意図的に光量を抑えられている。周囲には粗末な天幕と荷物が散乱し、その中に紛れるようにして――“それ”はいた。

 

 低く唸る声と地面を掻くような音。

 獣とも、魔物ともつかない異様な存在が、闇の中で息を潜めている。

 

「……おい、そっちの奴、ちゃんと鎖締めとけ。暴れたら洒落にならねぇぞ」

 

 次に野太い声が響いた。

 

 野盗のリーダーだ。粗暴な顔つきに無精髭、片目には古傷が走っている。かつてはただの野盗に過ぎなかった男だが、今は違う。

 

 その手には――禍々しい杖が握られていた。

 魔物を操る杖だ。

 

 ゼヴルの手から逃げ延びた彼が一時的にこの魔物を管理していた。

 

「お頭、こいつら……本当に大丈夫なんですかい?」

 

 近くにいた部下が、不安げに声をかける。

 その視線の先には、鎖に繋がれた魔物たちがいた。

 狼のような姿をしたもの、虫のような外殻を持つもの、どれも普通の生物とは明らかに違う異形の存在だ。

 

「大丈夫じゃねぇよ、だからこうして見張ってんだろうが」

 

 苛立ったように吐き捨てていたが、その目は周囲をしっかりと警戒していた。

 

「いいか、油断すんなよ。騎士団が動いてる可能性もある。あのガキども……ただの餌じゃねぇからな」

 

 ゼヴルの件を思い出したのか、舌打ちをする。

 あの時は運が良かっただけだ。

 次に見つかれば確実に終わると理解していた。

 

「……ったく」

 

 ぼやきながら、彼はゆっくりと歩き出した。

 そして、ある一点で足を止める。

 

 そこにいたのは――他とは明らかに異なる、巨大な魔物だった。人の背丈を優に超える巨体。筋肉の塊のような四肢に、歪んだ角、そして赤く光る複数の眼。

 鎖で繋がれているにも関わらず、その存在感は圧倒的だった。

 

「……」

 

 リーダーはしばし無言でそれを見上げる。

 杖を握る手に、わずかに力が入る。

 

「……はぁ」

 

 深いため息をついた。

 

「こんなもん……操ってなきゃ、近寄る気にもなんねぇよ」

 

 これは本音だった。

 この魔物は明らかに“格”が違う。

 杖の力で従わせているからこそ成立している関係であって、少しでも制御を誤れば自分たちが餌になるのは間違いない。

 

 だがそれ以上に使える力でもある。

 

「……警戒は怠るな」

 

 改めて低く言い放つ。

 

「俺たちは今、綱渡りしてんだ。落ちたら終わりだと思え」

 

 焚き火の火がぱちりと弾ける。

 その音に混じって、巨大な魔物が低く唸った。

 

◇◆◇

 

 森の外縁――視界の開けた小高い場所。

 

 そこからは、野盗たちの拠点がはっきりと見下ろせた。焚き火の光、うごめく影、そして鎖に繋がれた魔物たちの異様な気配まで、距離があるにも関わらず感じ取れる。

 

「ジズさん、どうやら敵が――って、何寛いでるんですか?」

 

 思わず声が漏れた。

 

 その隣では、淡い紫色の髪をした小柄な少女が、岩に腰掛けて足をぶらぶらさせている。片手には干し肉、もう片方の手で地面に小石を転がしていた。

 

「んー?」

 

 気の抜けた返事をした彼女はちらりとも視線を向けず、もぐもぐと口を動かす。

 

「いやだって別に焦るような内容じゃないもん」

「いやいやいや! 動き出しましたよ!?」

 

 野盗たちは慌ただしく動き始めていた。魔物の鎖を確認し、荷物をまとめ、周囲の警戒も強めている。

 

「ふーん」

 

 ジズは興味なさそうに頷くだけだった。

 

「……“ふーん”じゃないですよ! このままだと逃げられます!」

「逃げるでしょ、そりゃ」

 

 あっさりとした返答に後輩騎士は思わず言葉を失った。

 

「……え?」

「だって向こうも馬鹿じゃないし」

 

 ジズはようやく視線を向ける。

 その瞳は、眠たげだが妙に澄んでいた。

 

「囲まれる前に動く。それ普通でしょ?」

「そ、それはそうですけど……!」

「じゃあ問題ないじゃん」

「問題大ありです!!」

 

 思わず声が大きくなる。

 だがジズは気にした様子もなく、干し肉を飲み込むと軽く伸びをした。

 

「大丈夫だよ」

 

 軽い口調だ。

 あまりにも軽くて逆に不安になる。

 

「逃げようとしてるってことはさ」

 

 ジズは顎で拠点の方を示す。

 

「“焦ってる”ってことだから」

「……!」

「それに私たちのが強いから大丈夫」

 

 ジズは最初から勝ちを確信している。

 師匠であるレクスディアも同じだろう。

 この任務は見せしめという役割が強いのだから。

 

「指示が遅れて、判断もおかしい。あんな連中に遅れを取るなんて有り得ない」

 

 その言葉に、後輩騎士は息を呑んだ。

 さっきまでただ寛いでいるように見えた少女が、とんでもない怪物に見えた。

 

「だからね」

 

 ジズは岩からぴょんと飛び降りた。

 小柄な身体が、音もなく地面に着地する。

 

「こういう時に突っ込むと、一番綺麗に壊れるの」

 

 ぱんと手のひらを軽く払い、仄暗い笑みを浮かべる。

 

「逃げる準備してる最中の敵って、一番弱いから」

「……!」

 

 その言葉には、妙な説得力があった。

 経験から来るものだろう。

 

「私も楽しみにしてた、久々の任務……これはレクス様に報いる貴重な機会だから……」

 

 そう言ってジズはレクスディアと会った時のことを思い出していた。

 

◇◆◇

 

 それは今から10年以上前――ジズがまだ()()()()()()の話だ。

 

 地下に掘られた祭壇の間は、松明の火だけが揺れていた。石造りの壁に刻まれた魔法陣が赤黒く光り、空気そのものが腐ったように重かった。

 

 そこで少女は祭壇の上に縛り付けられていた。

 手首、足首、首。何重にも巻かれた拘束具が皮膚に食い込み、動く度に血が滲む。だが少女にはもう抵抗する力が残っていなかった。何日間ここにいるのか、もう分からなかった。食事はない。水もほとんどない。ただ意識だけが、細い糸のように繋がっていた。

 

 ローブを纏った人影が祭壇を囲んでいた。

 顔は見えない。

 声が重なって、呪文のような言葉を唱え続けていたが、少女は何を言ってるのかわからなかった。

 

「……っ」

 

 少女は唇を噛んだ。

 怖くない、とは言えなかった。

 ただ叫ぶ気力もなかった。

 

「では……始める」

 

 悍ましい儀式が始まった。

 最初は指先から感じる違和感だ。

 じわりと、内側から何かが這い上がってくる感覚。体温が奪われていく。血が冷えていく。心臓の鼓動が、ゆっくりと、ゆっくりと――遠くなっていく。

 

(……あ)

 

 死ぬんだ、と思った。

 だがそれは間違いであり、死よりも酷い状態に進む為の下準備だった。

 

 死よりも遠い場所へ、魂が引き摺り込まれていく。

 次の瞬間、全身を痛みが貫いた。

 

「――――ッ!!!」

 

 声にならない絶叫が喉を灼く。

 骨が軋む。内臓が歪む。細胞の一つ一つが焼き切られるような痛みが、波のように押し寄せては引き、引いてはまた押し寄せてくる。終わらない。どこにも逃げ場がない。

 

 意識を手放そうとした。

 だが手放せなかった。

 儀式がそれを許さなかった。

 死の淵まで引き摺られながら、死ねない。

 それが何度も、何度も繰り返された。

 どれほどの時間が経ったのか分からない。

 やがて痛みが、変質し始めた。

 

「あ――――――ぐ――――――!」

 

 熱が引いていく。

 感覚が遠くなり鼓動が止まった。

 少女は祭壇の上で目を開いた。

 さっきと同じ天井が見える。同じ松明の火が揺れている。何も変わっていない。

 

 

 だが何もかもが、変わっていた。

 自分の手を見た。

 青白くて血の気がなく、肌は冷たい。

 まるで死体の手だった。

 実際、そうなのだ。

 ローブの人影の一つが近づいてきた。

 

「成功だ」

 

 感慨のない声だった。

 

「お前は今日から死なない身体となった、それが我らからの贈り物だ」

 

 少女は何も言わなかった。

 ただ天井を見上げたまま、瞬きをした。

 痛みはもうない。

 悲しみも、怒りも、まだ形にならなかった。

 ただこれから先に待ち受けているのは、地獄だというのは何となく察していた。

 

 

 ――数日後、早速異形となった少女の日常が始まった。

 

 

「お前はリッチーに転生した、我々の目的を叶えるために」

「…………目、的」

 

 少女に名は与えられなかった。

 与えられたのは力と、リッチーという生きた死体という存在証明。

 

「行け、あの冒険者どもを殺してこい」

 

 男がそう命じた瞬間、少女は無言で立ち上がった。

 感情はなかった。

 正確には感情を持つ必要がないと、体が覚えてしまっていた。

 

 リッチーとなった少女に与えられた武器は巨大な斧だった。刃渡りが少女の身長を超えるほどの代物で、普通の人間が持てる重さではない。だが少女の手には馴染んだ。この死者の膂力は、生者の常識を外れていた。

 

 冒険者たちの野営地は森の中にあった。

 篝火が数か所に焚かれ、見張りが二人、天幕の外に立っている。談笑する声が聞こえた。笑い声も聞こえた。

 

「みつけた……」

 

 少女は命令をこなすべく動き出した。

 まず右手を持ち上げると、紫色に染まった魔力が指先から滲み出し、地面へと流れ込んでいく。黒い靄が土を這い、枯れ葉を腐らせ、根を犯す。

 

 続いて地面が盛り上がり、最初の一体が土を割って這い出てきた。続いて二体、三体。骨と腐肉で出来た影が、音もなく立ち上がっていく。

 

 呼び出したのはアンデッドだ。

 少女が呼び出したそれらは主の意思を感じ取り、静かに野営地へ向かって歩き始めた。

 

「……? おい、何か――」

 

 見張りの一人が異変に気づいた時にはもう遅かった。  

 アンデッドが見張りの喉元に手をかけたのだ。

 

「――――っ!?」

 

 声にならない短い呻きが上がり、崩れ落ちた。

 篝火の光がアンデッドの影を地面に長く伸ばす。

 天幕の中から声が上がった。

 

「何だ、今の音――」

 

 飛び出してきた冒険者の目に、仲間の骸と歩き回るアンデッドが映った。

 

「起きろ、起きろ!!」

 

 野営地が一気に騒ぎ出した。

 武器を手に飛び出してくる者、逃げ惑う者、呆然と立ち尽くす者。

 

 少女はその光景を見ながら、静かに歩き出した。

 アンデッドが前を行く。剣で斬られても怯まない、矢を受けても止まらない。手足が落ちても這いずって向かっていく。冒険者たちの表情が、驚愕から恐怖へと変わっていく。

 

「斬っても死なないぞ!!」

「燃やせ、燃やせ!!」

 

 炎魔法が飛び、数体のアンデッドが火に包まれて崩れ落ちた。それでも少女は歩みを止めない。

 

 右手を再び持ち上げ、魔力を流す。

 崩れた骸の傍の地面が盛り上がり、また新しい影が這い出てくる。いくら倒しても増えていく様を見て、冒険者は絶望する。

 

「なんなんだこいつらは!!」

 

 冒険者の一人が少女に気づいた。小柄な姿が篝火の逆光に浮かんでいる。

 

「あれが術者か!! やれ!!」

 

 二人が少女に向かって走ってきた。

 剣を構え、速い。練度がある。

 少女は斧を持ち上げた。

 

「な……んてバカ力……!」

 

 少女は勢いよく振り下ろした。

 ドン、という衝撃が地面を揺らし、地面が抉れ、土が舞い上がる。間一髪で跳び退いた冒険者が息を呑んだ。

 

「……化け物め!」

「逃げろ!! こいつは駄目だ!!」

 

 声が飛んだが遅かった。

 少女は斧を横に薙ぎ、空気が裂ける音がして、逃げようとした冒険者の背中を刃が捉えると、鮮血が舞う。

 

「よくもぉ!!」

 

 もう一人が魔法を唱え、炎の塊が少女に向かって飛んでくる。

 

「当たった!!」

 

 直撃し炎が少女を包んだ。

 しかし少女は止まらなかった。

 炎の中から歩み出てきた彼女は崩れ落ちそうになった肉を、その手で無理矢理戻してくっつける。

 焦げた外套は魔法で戻し、少女は魔法を喰らう前と変わらない姿に戻った。

 

「――ッ、馬鹿な」

 

 冒険者の顔から血の気が引いた。

 少女はその目を見た。

 

「ごめんね……」

「ま、まて――」

 

 斧を振り上げ、断末魔が森に溶けた。

 やがて野営地は静かになった。

 

「よくやった……さすがだ」

「……はい」

 

 篝火だけが揺れている野営地は死体しかなかった。

 アンデッドたちが止まり、少女の傍で静止した。

 

「…………わたしは……」

 

 少女はその有様を見て、目を揺らす。

 何という事をしたんだ――そう感じた少女は、必死に無表情の状態を保った。

 

「…………わたしに…………くやむ…………資格はない」

 

 こんな怪物が罪悪感を感じる資格なんてないのだから。

 

◇◆◇

 

 その日も少女は命令通りに動いていた。

 カルト集団が用意した標的を排除し、また次の命令を待つ。それだけの日々が続いていた。いつからそれに慣れたのか、もう分からなかった。慣れたというより――感じる部分が、少しずつ死んでいった。

 

 異変に気づいたのは夜だった。

 拠点の外縁に、気配があった。

 一つや二つではない。複数……しかも練度が高い。素人ではない動き方だ。少女は無言で斧を手に取った。カルト集団の男たちが騒ぎ始める。

 

「騎士団だ!! 囲まれてるぞ!!」

 

 声が飛んだ瞬間、外から光が射し込んできた。

 松明ではない。魔法の光だ。複数の光源が拠点を照らし出し、夜を昼のように変えていく。

 

「ヴァルハディス騎士団である!! 抵抗する者は容赦しない!!」

 

 宣告と共に、騎士たちが突入してきた。

 カルト集団の男たちが武器を構えて応戦するが、練度が違いすぎた。次々と制圧されていく。

 

 少女は動かなかった。

 アンデッドを呼び出す準備をしながら、状況を観察する。どこから突破するか。どこが手薄か。感情ではなく、計算として処理していた。

 

 その時だった。

 

「……待て」

 

 静かな声が飛んだ。

 騒乱の中で、不思議なほどはっきりと聞こえた。

 

 一人の男が前に出てきた。

 黒い外套、腰に差した杖。年若いが、その立ち姿には妙な重さがあった。周囲の騎士たちが自然と道を開けている。

 

「剣聖様、あれはリッチーです」

「分かってる、大丈夫だ」

 

 男は遮った。

 それだけで騎士が黙った。

 男はゆっくりと少女との距離を詰めながら、その目を細める。少女の全身を、値踏みするのとは違う目つきで見ていた。観察するような、あるいは何かを探るような目だ。

 

 

「君は何年そこにいる」

 

 唐突な問いだった。

 少女は答えなかった。

 

「カルトに囚われてから、どのくらい経つ」

 

 少女の手が、僅かに止まった。

 男はそれを見ていた。

 攻撃の構えは取っているが踏み込んでこない。

 

「貴方に……関係……ない」

「あるさ、今は敵同士だ」

「敵に……話すことなんて……ない!」

 

 少女は斧を持ち直し、魔力を込めて突貫した。

 

「………………っ!!」

 

 制御を捨ててただ魔力を放出する。

 紫色の靄が周囲に広がり、地面が腐食していく。草が枯れ、土が黒く染まり、そこから次々と手が伸びてくる。

 

 一体、二体、十体、二十体――。

 

 呼び出したアンデッドが少女を中心に渦を巻くように集まり、その大群がレクスディアに向かって殺到した。

 

 それでもレクスディアは動かないまま一瞬だけ、目を細めた。

 

「……甘い」

 

 次の瞬間――閃光が放たれた。

 居合いの軌跡が空気を引き裂いたのだ。

 一度、二度、三度……目で追える速さではなかった。

 ただ気づいた時には、最前列のアンデッドが音もなくバラバラになって地に落ちていた。骨が、腐肉が、靄が――散らばって消えていく。

 

 続く一閃で次の列が崩れた。

 また一閃で、また崩れる。

 止まらない。

 減らない。

 

「くぁあああ!!」

 

 少女は魔力を絞り続ける。倒れた端から地面を腐らせ、新しい影を呼び出す。

 

 だがレクスディアも止まらなかった。

 大群の中を、まるで散歩するように動いている。無駄がない。一切の焦りがない。斬るべきものだけを斬り、避けるべきものだけを避ける。

 

 そして少女を見ながら、静かに言った。

 

「動揺しているな、君は」

 

 少女の手が震えた。

 

「黙れ……!」

「アンデッドの呼び出しが雑になってる。魔力の流れも乱れてる。感情が出てる証拠だ」

「黙れと言った!!」

 

 少女が叫んでもレクスディアは怯まなかった。

 

「君は望んで戦っていない」

 

 その言葉が、空気を変えた。

 周囲の騒音が遠くなるような錯覚があった。アンデッドが動き続ける音も、カルト集団と騎士たちが交戦する音も、全部が遠ざかって――レクスディアの声だけが近かった。

 

「無理矢理リッチーにされて、兵器のように扱われている。君はずっとそうだったんだろう」

「……っ」

「今ならまだ間に合う」

 

 少女の動きが、一瞬止まった。

 間に合う……その言葉の意味を、少女は理解しようとした。

 理解したくなかった。理解してしまったら、何かが崩れる気がした。

 

「……間に合う?」

 

 声が震えた。

 気づかないふりをした。

 

「私は……もう怪物なんだ!!」

 

 叫んだ瞬間、少女は斧に全ての魔力を流し込んだ。

 紫色の光が刃を包む。尋常ではない量だ。空気が歪み、地面が陥没するように沈む。呼び出していたアンデッドが魔力を吸われて次々と崩れ落ちた。それでも構わなかった。

 

 全部をこの一撃に込めた。

 

「消えろ!!!」

 

 振り下ろすと大地が割れた。

 衝撃波が扇状に広がり、周囲の木々がなぎ倒される。

 土煙が舞い上がり、少女は着地しながら前を見た。

 

 煙の中に、影があった。

 レクスディアは立っていた。

 傷を負っている。外套が裂け、腕から血が滲んでいた。だが倒れていない。膝もついていない。ただそこに立って、少女を見ていた。

 

「怪物は……」

 

 静かな声だった。

 

「悪事をなす時に、辛そうな顔をしない」

「……っ!」

 

 少女は息を呑んだ。

 

「君はさっきから、ずっと辛そうな顔をしている」

「……違う」

「違わない」

 

 レクスディアは一歩踏み出した。

 少女は後退しなかった。できなかった。

 

「怪物になりたかったわけじゃないだろう。ただそうされてしまっただけだ」

「……それは」

「それは言い訳にならないと思ってるんだろう。自分がした事は消えないから」

 

 図星だった。

 少女の目が揺れた。

 

「消えないのはその通りだ。だが……」

 

 レクスディアは少女の目を真っ直ぐに見た。

 

「消えないものを抱えたまま、それでも変われる奴を俺は知っている」

「……!」

「俺がキミの心を人に戻す」

 

 その言葉が、少女の中で何かを壊した。

 

「……嘘だ」

 

 声が震えた。

 

「嘘だ、嘘だ嘘だ!! 綺麗事を言うな!!」

 

 斧を振り上げた。魔力はもうほとんど残っていない。それでも腕だけで振るった。滅茶苦茶な軌道だった。上から、横から、また上から。技術も何もない、ただの暴力だ。

 

 レクスディアは全部かわした。

 

「触れるな!! 近づくな!! 私は――私はもう――!!」

 

 叫びながら、少女は気づいていた。

 目が滲んでいる。

 いつから涙が出るようになったのか、分からなかった。リッチーになってから一度も泣いていなかったはずなのに。

 

「私なんか助けても意味がない!! もう遅いんだ!! 手を差し伸べるな――!!」

 

 最後の力を振り絞って突進した。

 レクスディアは避けなかった。

 踏み込んできた少女の勢いを、体を僅かに捌いて流す。そのまま自然な動作で少女の背後に回り込んだ。

 

 静かに、手刀を首筋に当てた。

 少女の体から力が抜けた。

 崩れ落ちる体を、レクスディアが静かに受け止めた。

 

「……っ」

 

 意識が遠くなる直前、少女はレクスディアの顔を見た。

 

「今はゆっくり休め……」

 

 それが少女の聞いた最後の言葉だった。

 

◇◆◇

 

 意識が、浮かび上がってくる。

 最初に感じたのは柔らかさだった。

 背中に敷かれた何か、頭の下にある何か。久しく感じていなかった感触だった。リッチーになってからは、まともに眠った記憶がない。命令が来るまで待機するだけの時間しかなかった。

 

「ん……?」

 

 目を開けると木の天井が見えた。

 小さな窓からは朝日の優しい光が差し込んできていた。

 

「……良かった、目を覚ましたみたいね」

 

 声がする方に視線を向けると、椅子に座った女性がいた。深緑の髪が肩に流れ、耳の先が緩やかに尖っている。エルフだ。年齢は読めないが、その目は穏やかで、少女を見て静かに微笑んでいた。

 

「ここは……」

 

 少女は身を起こそうとして、腕に力が入らない事に気づいた。魔力が空だった。あれだけ絞り出せば当然だ。それでもなんとか上体を起こし、周囲を確認する。

 

 小さな部屋だ。

 清潔で、薬草の匂いがする。治療院のような場所だろうか。

 その時、扉が開いた。

 少女は反射的に身構えた。

 

「呼ばれたから来たが……おお、良かった……目を覚ましたか」

「!」

 

 入ってきたのは――あの男だった。黒い外套、腰の杖。意識を失う直前に見た顔だ。腕には包帯が巻かれている。少女が振るった斧の傷だろう。

 

「く……!」

 

 少女は毛布を掴んで逃げ場を探した。

 だが体が動かない。

 

「ああ……俺は敵じゃない」

 

 男は少女の様子を見て、静かにそう言った。

 声は落ち着いていて威圧する気配はないわ、

 

「……」

 

 それでも信じられなかった少女を見かねたエルフがジト目をレクスディアに向けた。

 

「無理があるでしょ、レクスディア」

 

 呆れたような、しかしどこか温かみのある声だった。

 

「その子の立場で考えなさいよ。気絶させた相手が部屋にいたら、そりゃ身構えるわ」

「アルナ……追い討ちをかけるな」

 

 男――レクスディアが困ったように言うと、アルナと呼ばれたエルフはふんと鼻を鳴らした。

 

「事実を言っただけよ」

 

 それからアルナは少女に向き直り、椅子から立ち上がった。

 

「とりあえず聞きなさい。あなたに残っていた呪い……無理矢理従わせる類いのやつは、解いておいたから」

 

 少女は目を瞬かせた。

 

「解呪……」

「そう。あなたの意思とは関係なく命令に従わせる術式が、体に刻まれていたの。随分と念入りなやり口ね、全く」

 

 アルナは忌々しそうに言った。

 本気で腹を立てているのが伝わってきた。

 

「だけど……リッチーになった肉体は、元に戻せない。それは正直に言っておくわ」

 

 静寂が落ちた。

 少女はその言葉を受け取って、しばらく自分の手を見た。青白い、冷たい手だ。血の気がない。心臓は動いていない。それでも体は動く。

 

「……わかってた……」

 

 少女は静かに言った。

 残念がる素振りはなかった。

 最初から分かっていた事だ。あの儀式の夜から、もう戻れないと知っていた。

 

 アルナは少し意外そうな顔をしたが、何も言わなかった。

 沈黙の中で、少女はゆっくりと顔を上げた。

 

「……ところで」

 

 視線がレクスディアに向く。

 

「あいつらは」

 

 問いの意味は明確だった。

 カルト集団の事だ。

 レクスディアは少女の目を見て、真っ直ぐに答えた。

 

「お前を縛りつけていた連中は壊滅させた」

 

 飾りのない短い言葉を聞いて、嘘がないと分かった。

 少女は黙っていた。

 何かを感じているのかもしれなかった。だがそれが何なのか、少女自身にもまだ分からなかった。

 

 ただ、握っていた毛布から、少しだけ力が抜けた。

 

(安心……してるのかな……でも……私……)

 

 これからどうすれば――生き残った少女は、これから何すべきかわからなくなっていた。

 

「さて……」

 

 レクスディアは部屋の中に入り、少女から少し離れた場所に腰を下ろした。

 

「え……と」

 

 少女はうつむいたまま、毛布の端を指でなぞっていた。

 これからどうするのか。どこへ行くのか。カルト集団がいなくなった今、自分を縛るものは何もない。それは自由のはずだった。

 

 なのに、足がなくなったような感覚があった。

 命令がなければ動けない。

 目的がなければ立てない。

 そういう存在に、いつの間にかなっていた。

 

「……なあ……君は行くところはあるか」

 

 少女は答えなかった。

 答えられなかった。

 

「そうか」

 

 レクスディアは決心した。

 

「なら……騎士団に来ないか」

 

 少女は顔を上げた。

 意味が、すぐには分からなかった。

 

「騎士団……?」

「俺がいるところだ。仲間もいる」

 

 レクスディアは真っ直ぐに少女を見ていた。

 

「勘違いするなよ、戦力が欲しいわけじゃない。君の力を利用したいわけでもない」

 

 一拍置いた。

 

「君の居場所を作りたい。それだけだ」

 

 少女は黙っていた。

 その言葉が嘘かどうか、判断する方法を持っていなかった。騙された事しかなかったから。

 

 するとアルナが横から口を添えた。

 

「私もサポートするわ。この朴念仁一人じゃ頼りないでしょうから」

「朴念仁は余計だ」

「事実でしょ」

 

 アルナはレクスディアにジト目を向けてから、少女に向き直って柔らかく笑った。

 

「あなたが居場所を見つけられるように、私たち二人でちゃんと側にいる。それだけは約束するわ」

 

 少女はアルナとレクスディアを交互に見た。

 

「……私みたいな化け物でも……いて……いいの?」

 

 静寂が落ちた。

 アルナが何か言おうとする前にレクスディアが先に口を開いた。

 

「君は化け物じゃない、守るべき子供だ」

 

 少女の目が揺れた。

 

「あ……う……」

 

 唇が動いたが、言葉が出なかった。

 化け物じゃない――その言葉を、今まで誰にも言われた事がなかった。自分でもそう思えなかった。だから上手く受け取れなかった。

 

 それでも――胸の奥で、何かが溶けていくような感覚があった。

 

「よしよし……」

 

 アルナがそっと少女の頭に手を伸ばし、軽く撫でた。

 

「貴女だけに背負わせたりはしない、貴女が犯した罪も私たちが背負う」

「これからは命を奪うのではなく、救う側に回るんだ」

 

 2人はただ少女を慰める。

 しばらくして、少女は小さく息をついた。

 

「……わかった」

「ん?」

「行く……騎士団に」

 

 レクスディアは頷いた。

 多くを言わなかった。それだけで十分だという顔をしていた。アルナがようやく手を離し、にこりと笑った。

 

「じゃあ決まりね……。あ、そうだ」

 思い出したように言った。

 

「あなた、名前は?」

 少女は少し間を置いた。

 

「……ない」

「ない?」

「名前、もらった事がない。あいつらといた時は……ただ少女と呼ばれてた」

 

 アルナは眉をひそめた。怒っているのではなく、胸が痛いという顔だった。レクスディアは何も言わず、少し考え込んでいた。

 

「レクスディア」

 

 アルナが促すように名を呼んだ。

 レクスディアはしばらく黙ったままだった。何かを選ぶように、あるいは探るように、視線を少し落として考えていた。

 

 それから、口を開いた。

 

「……ジズ、はどうだ」

「ジズ?」

「古い言葉だ。儚くとも美しい……そういう意味がある」

 

 アルナが少し目を丸くした。

 レクスディアは少女を見た。

 

「嫌なら別の名前を考えるが」

 

 少女は何も言わなかった。

 ただその名前を、口の中で転がしてみた。

 

「……ジズ」

 

 声に出すと、思ったより自分の声に馴染んだ。

 

「ジズ……」

 

 もう一度。

 

「ジズ……ジズ……」

 

 何度も繰り返した。

 噛み締めるように、確かめるように。自分のものにしようとするように。

 

 それを見たアルナは口元を緩める。

 レクスディアは静かに少女を見ていた。

 

「……ジズ」

 

 少女はもう一度だけ繰り返して、それからゆっくりと顔を上げた。

 

「これが……私の名前?」

「ああ」

「……うん」

 

 少女――ジズはこの時初めて世界に生まれ落ちた。

 

「ジズ……私、ジズっていうんだ」

 

 そして初めて……愛に目覚める瞬間でもあった。

 

◇◆◇

 

「――ふふふふ……」

 

 そして現在(いま)――ジズは夜の闇を駆けながら妖しい笑みを浮かべる。

 

 ジズはアジトの外縁で足を止めた。

 後輩騎士たちが隣で息を呑む。焚き火の光と、鎖に繋がれた魔物の唸り声。野盗たちはまだこちらに気づいていない。

 

「いい?」

 

 ジズは振り返らずに言った。

 

「これから私が突っ込んだら、逃げ出す奴らと魔物の処理をお願い。取りこぼしは無しで」

「わ、わかりました……!」

「逃げ足は速いから気をつけてね。あと怖くなっても目を閉じないこと」

 

 最後の一言の意味が分からないまま、後輩騎士が頷いた。

 ジズは前を向いた。

 地面に片膝をつき、手のひらをゆっくりと土に押し当てる。指先から紫色の魔力が滲み出した。地面に染み込み、根のように広がっていく。

 

「来なさい」

 

 呟くように、しかし確かな力を持った言葉だった。

 地面が揺れた。

 アジト全体の土が盛り上がり、あちこちから手が伸びてくる。普通のアンデッドではない。魔力を十分に込めた、強化された兵隊たちだ。鎧のように硬い骨、人間の二倍を超える体躯、目の窪みに宿る紫の光。それが十体、二十体、三十体と立ち上がっていく。

 

 その異変に野盗たちが気づいた。

 

「な、なんだ!? 地面から――」

「化け物が出たぞ!!」

 

 パニックが起きる前に、ジズは立ち上がった。

 右手を前に向け、指先を鳴らす。

 

「行って」

 

 その一言で、アンデッドの大群が動いた。

 地響きのような足音がアジトに向かって殺到する。野盗たちが武器を構えるが、強化されたアンデッドは剣を受けても止まらない。矢が刺さっても怯まない。ただ命令通りに進み続ける。

 

「ぎゃあ!!」

「囲まれた! 逃げろ!!」

 

 悲鳴が上がり始めた。

 その瞬間、後輩騎士たちが動く。逃げ出した野盗を追い、魔物の鎖を断ち切られる前に抑え込む。ジズが任せた仕事だ。

 

 ジズ自身は空を見上げた。

 魔力を右腕に集中させる。紫色の光が腕を伝い、手の中で形を成していく。柄が現れ、刃が現れ、見慣れた重さが手に戻ってきた。

 

 巨大な斧だ。

 ジズはそれを両手で掴み、大きく振りかぶると跳んだ。

 

「フッ!!!」

 

 常識外れの跳躍だった。小柄な体が夜空に舞い上がり、アジトを見下ろす高さまで一瞬で到達する。眼下に広がる野盗たちの姿が、小さく見えた。

 

「いい夜だね……こんな夜は悪党を殺すに限る」

 

 ジズは呟いた。

 眠たげな声だった。

 

「レクス様の邪魔をした者には死を」

 

 斧を振り下ろしながら、魔力を解放し炸裂した。

 紫色の爆炎がアジトの中心から広がり、天幕が吹き飛び、荷物が散乱し、野盗たちが衝撃波に吹き飛ばされる。地面が抉れ、焚き火が消し飛び、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄が出来上がった。

 

「ひ、ひいいい!!」

「何が起きてる!!」

 

 立っていられる者がほとんどいない。

 アンデッドの大群が生き残りに向かっていく。ジズは着地しながら斧を引き抜き、何事もなかったような顔で周囲を見渡した。

 

「まだいるね」

 

 仄暗い笑みのまま、ジズは斧を構えた。

 次の瞬間――鎖が断ち切られる音が連鎖した。

 どこかで誰かが魔物を解放したのだろう。野盗たちに操られていた魔物たちが一斉に解き放たれ、ジズ目がけて殺到してくる。狼のような魔物が地を駆け、虫の魔物が横合いから挟み込もうとする。数は十を超えていた。

 

「多いだけ」

 

 ジズは眠たげに呟いた。

 斧を横に薙いだ。

 ズドン、という鈍い衝撃音と共に、最前列の狼のような魔物が三体まとめて吹き飛んだ。着地した先の岩に激突し、動かなくなる。血飛沫が弧を描いて飛んでくる――ジズは半歩だけ右にずれてそれをかわした。外套に一滴もかからなかった。

 

「邪魔」

 

 虫の魔物が横から爪を振るう。ジズは屈んでそれをやり過ごし、すれ違いざまに斧の背で頭部を叩き潰した。硬い殻が砕ける音がした。

 

 さらに前へ進む。

 魔物が群がるたびに斧を振るい、血飛沫をかわし、また進む。止まらない。遅れない。まるで散歩でもするように、ジズはアジトの奥へ向かって歩き続けた。

 

「ぐ、ぐああ……っ」

 

 野盗たちがアンデッドに追い詰められる悲鳴が聞こえる。後輩騎士たちも動いている気配があった。外へ逃げ出した者は抑え込まれているようだ。

 

 包囲は完成していた。

 ジズがアジトの中心部まで踏み込んだ時、正面から怒声が飛んだ。

 

「化け物がァ!!」

 

 野盗のリーダーだった。

 無精髭の顔が怒りと恐怖で歪んでいる。片目の古傷が引きつり、手に持った杖を天高く掲げた。

 

「これでも喰らいやがれ!!」

 

 杖が禍々しい光を放ち、鎖が弾け飛ぶ音がした。

 遅れて地響きがしてジズは音のした方を見た。

 

「お、なんか他とは違うのがいる」

 

 それは、他の魔物とは明らかに次元が違った。

 人の背丈を優に超える巨体。筋肉の塊のような四肢が地面を踏みしめるたびに、石畳にひびが入る。頭部には歪んだ二本の角、そして顔に並ぶ複数の眼が、血のように赤く光っていた。

 

 名を、ヴォルガナスという。

 かつて山岳地帯の奥地に生息していた上位魔物であり、その膂力と再生能力から「歩く災害」と呼ばれた種だ。伯爵が秘密裏に手に入れ、強化を施した個体だった。

 

 ヴォルガナスはジズを見た。

 複数の赤い眼が、小柄な少女を捉える。

 低く、腹の底に響く唸り声が夜の空気を震わせた。

 

「……へぇ」

 

 ジズは斧を肩に担いだまま、それを見上げた。

 眠たげな目が、わずかに細くなる。

 

「どんぐらい持つのかな」

 

 先にヴォルガナスが動いた。

 最初の一撃は拳だった。

 巨大な四肢が地面を蹴り、信じられない速度でジズに向かって振り下ろされる。地面が割れ、土煙が舞い上がり、衝撃波が周囲の残骸を吹き飛ばした。

 

「ジズさん!!」

 

 後輩騎士の一人が叫んだ。

 土煙の中に、ジズの姿が見えない。

 だが次の瞬間、煙の中から声がした。

 

「……思ったより速いね」

 

 ジズは斧でヴォルガナスの拳を受け止めていた。

 膝が少し沈んでいる。それだけだ。表情は変わっていない。眠たげな目が、ヴォルガナスを静かに見上げている。

 

「ジズさんが押されてる……!?」

「あれを受け止めてるんですよ!? 無理もない!」

 

 後輩騎士たちが戦慄する中、ヴォルガナスは連撃に移った。右、左、また右。巨体から想像できない手数で、ジズに叩きつけてくる。地面が抉れ、周囲の岩が砕け、爆風のような余波が後輩騎士たちを揺らした。

 

 だがジズは全部捌いた。

 斧で受け、体を捌き、時に一歩退いてやり過ごす。どれだけの攻撃が来ても、顔一つ変えない。ただ黙々と、機械のように凌ぎ続ける。

 

 やがてヴォルガナスが口を開いた。

 深紅に輝く複数の眼が収束し、喉の奥から光が漏れてくる。魔力を凝縮した熱線だ。

 

「伏せて」

 

 ジズが後輩騎士たちに一言だけ言った。

 次の瞬間、熱線が放たれた。

 太い光の柱がジズを直撃し、爆発が起きた。

 

「……ジズさん!!!」

 

 後輩騎士が叫ぼうとした時、爆煙の中からジズが歩み出てきた。外套の端が焦げていたが……それだけだった。

 

「……ふぅ」

 

 ジズは小さくため息をついた。

 失望したような、呆れたような息だった。

 

「これだけ?」

 

 斧を両手で握り直し、紫色の魔力が刃に集中していく。

 

「時間の無駄だった」

 

 もう見れるものはないと判断した彼女は踏み込んだ。

 あの小柄な体のどこにその脚力があるのか分からないほどの加速で、ジズはヴォルガナスの懐に潜り込んだ。

 

「フッ……!」

 

 一撃目で右腕を断った。

 二撃目で左膝を砕いた。

 三撃目で胴に斧を叩き込み、ヴォルガナスの巨体が傾いた。

 それでも再生しようとする。傷口が塞がり始め、断たれた腕が繋がろうとする。

 

「再生するんだ」

 

 ジズは興味なさそうに言った。

 

「全部壊すから意味ないけどね」

 

 以降は一方的だった。

 再生が追いつかないほどの速度で斧を振るい続け、ヴォルガナスの体を削っていく。腕、脚、角、眼。巨体がどんどん小さくなっていく。断末魔の咆哮が夜に響いたが、ジズは止まらなかった。

 

「これで終わり」

「――――――!!!」

 

 最後の一撃で、ヴォルガナスは動かなくなった。

 後輩騎士たちは誰も声を出せなかった。

 

「ひ……ひぃ……!!」

 

 野盗のリーダーが後退った。

 ヴォルガナスの残骸を背に、ジズがゆっくりと振り返る。返り血一つない。眠たげな目が、リーダーを静かに捉えた。

 

「逃げても無駄だよ」

 

 リーダーが踵を返した瞬間、背後から気配が迫った。

 アンデッドだった。左右から現れた二体がリーダーの両腕を掴み、そのまま引きずってくる。

 

「放せ、放せ放せ!!」

 

 暴れても抜け出せない。アンデッドの力は人間のそれではない。リーダーはジズの足元に引きずり出され、地面に膝をついた。

 

「た、頼む……! 命だけは……! 金ならある、なんでも言う事を聞く!!」

 

 ジズは斧を肩に担いだまま、リーダーを見下ろした。

 

「私たち剣聖の教え子はね、ある教訓があるの」

「な、なんだ……! なんでもする……!」

「悪は全て根絶やしにする」

 

 リーダーの顔から血の気が引いた。

 

「それが私たちの教えだよ」

 

 そのまま斧が振り下ろされ、肉が潰れる音がした。

 それから、静寂が戻った。

 ジズは斧を持ち直し、その場に立ったまま夜空を見上げた。遠くから、伯爵邸の方角で魔力の光が散っているのが見える。仲間たちが動いている証拠だ。

 

「……ゼヴル、貴方の獲物を奪ってごめんね」

 

 謝罪の言葉だったが、声のトーンは眠たげで、静かで、どこか満足そうだった。

 

「さて……レクス様に合流しなきゃ」

 

 そのままジズはどこか楽しそうに、恩師の下へ向かった。

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