剣聖「騎士団の教官になったから、気合い入れて厳しめに鍛えたら教え子全員殺意マシマシのガンギマリ集団になった」   作:アスピラント

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遅れてすみません。
ちょっとバタバタしてました。


弟子たちは師のようになりたい

 俺にとって弟子というのは、一言で言うと悩みの種である。

 だがこれは悪い意味も良い意味も含まれている。

 

 弟子たちはなんと言ってもとにかく我が強すぎる。

 強すぎて俺もどうしたらいいかわからない。

 

 キアラは忠誠心が天高く、ファングは狂犬、ナハトは構ってちゃんだし、ロラーナは風呂入らない。ゼヴルは敬語を使えない、トトはラリっててよくわからない。

 アルバートは知育玩具を与えた方がいい、ドラスケルは友達少ない、あとユアンは外面しか良くない。

 ラフィはとにかく痛い口調を直す事、ジズは人を好きになりすぎる気質を矯正して欲しい。

 

 あー……ミネルヴァはもう早く新興宗教を解体しろ、俺だけじゃなく色々な人に迷惑がかかってるから。

 

 弟子たちの直して欲しいとこを言った訳だが、改めて見ると異常者しかいない。厳しく鍛えた結果でこうなるどころの騒ぎじゃない。

 

 と……マイナスな事ばかりを俺は言った訳だが、それ以上に彼らには期待している。彼らはまだ若いのに……すでに最強の者たちがいるフィールドの手前にいるのだ。

 

 これは単純な努力だけでたどり着ける領域ではない。

 圧倒的な才覚がなければ到達し得ない偉業だ。

 だから俺は散々言ってしまったものの……弟子たちのことを全員誇りに思っている。

 

 願わくば彼ら全員――俺と同じぐらい強くなり、黒竜を討ち果たし、新たな大英雄となって欲しいものだ。

 

 ただ名を馳せる前に悪癖は直せ。

 

◇◆◇

 

 レクスディアは屋敷を見下ろせるほどの高台から静かに戦場を眺めていた。夜の闇に包まれた伯爵邸は、すでに各所で火の手が上がり始めている。怒号と金属音が入り混じり、静寂とは程遠い有様だった。

 

 その中心へと、十の影が迷いなく突き進んでいく。

 

 ジズとミネルヴァを除いた弟子たちだ。誰一人として足を止めることなく、躊躇もなく、ただ一直線に敵の本拠へと踏み込んでいく。普通ならば罠や待ち伏せを警戒する場面だが、あいつらにはそんな概念は最初から存在していない。

 

「……相変わらずだな」

 

 思わず小さく息を吐く。

 

 正面突破もいいところだ。戦術も何もあったものではない。ただし、それが成立してしまうだけの実力を全員が持っているのだから、質が悪い。

 

 屋敷の門前に展開していた傭兵たちは、すでに半壊状態だった。迎撃しようとした隊列はあっさりと崩され、各個撃破に近い形で蹂躙されている。悲鳴が夜に溶け、次の瞬間には途切れる。その繰り返しだ。

 

「……伯爵も災難だな」

 

 ぽつりと呟く。

 

 強化された魔物に加え、腕の立つ傭兵まで揃えていたはずだ。普通の騎士団相手なら、時間は稼げただろう。だが今回ばかりは相手が悪い。

 

 よりにもよって、あいつらだ。

 

 視線の先で、門を守っていた盾持ちの兵が吹き飛ばされる。その奥へと踏み込んだ一人の少女の姿が、炎に照らされて浮かび上がった。

 

「悪党は駆除一択、例外はない」

 

 赤茶けた髪を靡かせ迷いなく前へ進むのはキアラだ。

 その背筋はまっすぐに伸び、どこか神聖さすら感じさせる立ち姿だった。

 

「……来たか」

 

 レクスディアはわずかに目を細める。

 最初に目立つのは、やはり彼女だった。

 キアラ・ハルウィンド――簡単に言えばエース候補で、弟子の中じゃ一番剣聖に近い彼女は、サーベルに冷たい光を宿して振るう。

 

「この(あま)!」

 

 傭兵が魔法を使おうとして――ぶつ切りにされる。

 

「ひぃ!?」

「邪魔」

 

 キアラは懐に飛び込み、風の刃を纏うサーベルを目にも止まらぬ速度で振るった。一回斬る動作をするだけで、何十回分にも及ぶ斬撃が飛ぶという凶悪な剣技は、敬愛する師匠の技を自分流に再現した結果である。

 

「あ――――」

「ぎゃ――――」

 

 悲鳴すら細切れにされる傭兵たち、その凄惨な現場を一瞬で駆け抜けた彼女は一番最初に屋敷の中に入った。側から見たらまさに恐ろしい活躍ぶりを披露した訳だが、レクスディアはあまりいい評価を下してない。

 

 何故なら――

 

「掃除が大変になる殺し方するな……」

 

 あまりにも惨すぎる現場になってるからだ。

 ちなみに掃除するのは新入りが多い。

 軽くPTSDになりかけた子もいる。

 迷惑すぎる。

 

「どらァアアア!!」

「……おっと」

 

 すると今度はヤンチャそうな声が聞こえてきた。

 声の主は知っている――ファングだ。

 レクスディアが目を向けると、そこではまた別の惨劇が繰り広げられていた。

 

「てめぇら全員地獄行きだ!!! まともな死なんて訪れると思うなよ!!!」

 

 ファング・オルダートは大剣を掲げて咆哮する。

 師の誇りになると決め、精神的に成長(?)した彼はかつてないほど戦意に満ちていた。

 その姿はもはや騎士というより、戦場を荒らす災害そのものだった。

 

「どけやァ!!」

 

 振り下ろされた一撃が、正面にいた傭兵ごと地面を叩き割る。衝撃は一直線に走り、石畳が波のようにめくれ上がった。足場を失った傭兵たちは体勢を崩し、その隙を逃すほど彼は甘くない。

 

「遅ぇんだよ!」

 

 踏み込みと同時に横薙ぎ。風圧すら伴うその一撃で、数人まとめて吹き飛ばされる。鎧ごと叩き潰された者、壁に叩きつけられて動かなくなる者、悲鳴が重なり合って耳障りな音を立てる。

 

「ははっ……! いいねぇ、まだまだ足りねぇ!」

 

 血飛沫を浴びながら、さらに前へと進む。盾を構えていた傭兵が必死に防御の姿勢を取るが――

 

「邪魔だ」

 

 次の瞬間、盾ごと叩き割られた。

 完全に戦線は崩壊していた。

 統率も何もない。ただ逃げるか、潰されるかの二択。

 

 そして、ファングはその中心で大きく息を吸い込むと――

 

「――まとめて吹き飛べやぁ!!」

 

 大剣を振り上げ、力任せに地面へと叩きつけた。

 轟音が夜を裂く。

 

 直撃した場所を中心に大地が割れた。亀裂が蜘蛛の巣のように広がり、そのまま地面が持ち上がる。まるで見えない手に掴まれたかのように、岩盤そのものが隆起していく。

 

「な、なんだこれ……!」

「地面が……浮いて――」

 

 理解が追いつく前に、地面は完全に剥がれた。

 巨大な岩塊となったそれを、ファングは片手で持ち上げる。

 

「おらぁ!!」

 

 そして力一杯にぶん投げた。

 あり得ない軌道で放たれた岩塊は、空気を裂きながら一直線に屋敷へと突き進む。

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃と共に外壁をぶち破り、内部へと突入した。建物が悲鳴を上げるように軋み、瓦礫と粉塵が一気に噴き出す。内部にいたであろう傭兵たちの悲鳴が、遅れて聞こえてきた。

 

「ぎゃあああああ!!」

「うわあああああ!!」

 

 それを見届けたファングは、満足げに鼻を鳴らす。

 

「はっ、雑魚が籠もってんじゃねぇよ」

 

 そして何事もなかったかのように、再び大剣を肩に担いで前へと歩き出した。

 

 ――その一部始終を、高台から見ていたレクスディアは。

 

「……」

 

 しばし無言だった。

 視線の先には、半壊どころでは済まない有様となった伯爵邸。そしてその原因を作った弟子の背中。

 

 ゆっくりと息を吐き、額に手を当てる。

 

「……騎士って何だっけな、本当に」

 

 あまりにも真っ当な疑問だった。

 民を守り秩序を守る者だったはずだ。

 少なくとも、屋敷に岩盤を投げ込む存在ではなかった。

 だが現実として、あれは自分の教え子であり、騎士団の一員である。

 

「……いやまぁ、結果的に敵は減ってるが」

 

 減りすぎている気もするが――と目を逸らせば、今度はまた変わったトラブルメイカーが乱入する。

 

「我の邪魔はするなよ、ナハト」

「はぁ〜指図するのうっざぁ、だるいだるい」

「仲間じゃなかったら斬り殺してるぞ」

「仲間でも刻むけどね、僕は」

「上等だ、クソメンヘラ」

 

 ゼヴルとナハトが敵地のど真ん中で言い争いをしてる。

 普通なら現場舐めてるのかと叱りつける場面だが、彼らは例外だ。何せゼヴルはキアラと双璧を成す傑物であり、ナハトも負けず劣らずの範囲攻撃持ちだ。

 

 ただ相性はあんまり良くない。

 ゼヴルもナハトも癖が強い。

 

「あー……早く終わらせたーい」

「ならしっかりと――ん?」

 

 次の瞬間だった。

 半壊した屋敷の内部から、不気味な唸り声が響いた。

 

「来るぞ、メンヘラ」

「あぁん? おや……」

 

 ゼヴルが短く呟くのと同時に、崩れた外壁の奥――暗闇の中から、ずるり、と何かが這い出してくる。

 

 それは人の形をしていなかった。

 膨れ上がった肉塊に、無理やり四肢を生やしたような異形。皮膚は裂け、内部の赤黒い組織が露出している。目にあたる部位は複数あり、それぞれがバラバラに動いて周囲を見回していた。

 

「うわ、キモ……生理的に無理だ、やる気なくなった〜」

 

 ナハトが露骨に顔をしかめて文句を垂れ流す。

 ゼヴルは青筋を浮かべながら吐き捨てる。

 

「文句言うな。敵だ、斬るだけだろうが」

「は? やだよあんなの触りたくないんだけど。ゼヴルが全部やってよ」

「ふざけるな、貴様も働け」

 

 言い合っている間にも、魔物は一体では終わらない。次々と屋敷の中から這い出し、地面を軋ませながら数を増やしていく。

 

 ざっと見ただけでも十や二十では利かなかったが、2人に焦りはない。

 

「……はぁ、だる」

 

 ナハトは頭をかきながら一歩前に出ると足元の影がゆらりと揺れた。

 

「まとめて消えろよ、鬱陶しい」

 

 ぼそりと呟くと影が一気に広がった。

 まるで液体のように地面を這い、魔物たちの足元へと絡みつく。気づいた時には遅い。影は一斉に跳ね上がり、刃の形へと変質する。

 

「消えろ」

 

 音すら遅れて届くほどの速さで、複数の魔物が同時に切り裂かれた。肉塊が崩れ、ぐちゃりと地面に落ちる。

 

「……おい」

 

 ゼヴルが眉をひそめる。

 

「なんだよ」

「今の、我の間合いの奴まで巻き込んだな」

「あー? 細かいこと言わないでよ。どうせ殺すんでしょ?」

「我の見せ場がない」

「しょーもな!」

「大事な事だ」

 

 そう言いながらゼヴルは既に動いていた。

 踏み込みと同時に、一閃。

 ナハトの影が届く前に、最前列の魔物の首が滑り落ちる。続けざまに二体、三体と間合いの内側に入ったものを正確に斬り捨てていく。

 

「グォォォオオ!!」

 

 残った魔物たちが一斉に襲いかかってくる。

 

「我がお前より上だと知らしめてやる為にな」

「……むかつく、やる気出させるなよ……」

 

 同時に舌打ちし、そして同時に前へ出た。

 影が奔り、刃が閃く。

 噛み合っていないはずの二人の動きは、結果として戦場を効率よく削っていく。前に出た魔物はゼヴルが斬り伏せ、間合いの外はナハトの影が刈り取る。

 

 だが当人たちにその自覚はない。

 足元に既に動かなくなった魔物の残骸が積み上がり、

 戦場の中心で、二人は変わらず不機嫌そうに睨み合っていると――

 

「頭を冷やしてください、お二人とも」

「「!!」」

 

 2人の下にロラーナが舞い降り、吹雪を起こして2人を凍てつかせる。一瞬完全に凍った2人だが、すぐにぶち破るとロラーナに睨み効かせた。

 

「ロラーナ……」

「ゼヴル、アンガーマネジメントをしっかり受けなさい」

「ロラーナ! なんでボクまで!」

「やる気を出させる為です、逆ワークライフバランスはただの怠け者です」

 

 ピシャリと言い切って2人を黙らせる。

 2人はロラーナより強い自信はあったが、彼女の口喧嘩スキルは仲間の中で一番高い。言い返しても無理矢理ねじ伏せられるのが目に見えているので、何も言えなかった。

 

「さっさと屋敷の中に入りますよ、2人とも」

「もうキアラが突っ込んだら終わりそうだがな」

「甘いですねゼヴル」

 

 チッチッチッと指を振りながら彼女は言う。

 

「あの脳内パーティーピーポーな2人が先に行ってます」

「「ああ……」」

 

 2人は一瞬でげんなりした。

 もう誰が先に行ったのか、これだけで理解出来るメンバーだからだ。

 

◇◆◇

 

「急いで逃げるぞ、このバカモンが!!」

「は、はい!」

 

 一方伯爵は滝汗を流しながら逃げようとしていた。

 ならず者や傭兵を雇い、しかも魔物まで配置していたのだが、結果は見るも無残な内容になっていた。

 まぁ理由は単純で剣聖の弟子が化け物だったというだけで、それ以上も以下もない。

 

「剣聖の弟子め……!!」

 

 まさかあんな狂ってるとはと苦虫を噛み潰したような顔をした伯爵は踵を返し、裏口へ駆け出そうとした――その瞬間だった。

 

「ドォォォン!!!」

 

 逃走経路となるはずの壁面が、間抜けな掛け声と共に内側からではなく外側から弾け飛んだ。石片と粉塵が室内へ雪崩れ込み、護衛たちが反射的に身を庇う。伯爵は足をもつれさせ、その場に尻餅をついた。

 

「ひ、ひぃぃぃ……っ!?」

 

 視界を覆う煙の中、何かが“着地”する気配がした。軽い――だが妙に騒がしい気配。

 次の瞬間、煙を割って飛び出してきたのは、両手を大きく広げた少女だった。

 

「ジャジャーン!!! アタシ……トト様の参上!!!」

 

 甲高い声が室内に響き渡る。続けて、その隣にぴょこんと小柄な影が跳ねる。

 

「ラフィちゃん降臨!! トト助とラフィちゃんのコンビは世界一イケイケ!!」

「おひょー! トト助って何それ初耳!!」

「今考えたからねぇ! キヒヒ!」

 

 ピンクのツインテールがぶんぶん揺れ、ギザ歯がにやりと光る。背後ではまだ瓦礫がぱらぱらと崩れ落ちているというのに、二人は完全にステージに立つアイドルのようなテンションだった。

 

「な、なんだ貴様らは……!?」

 

 護衛の一人が剣を構える。だがトトは気にも留めず、くるりと一回転してからビシッとポーズを決めた。

 

「聞いて驚け! 見てもっと驚け!! 今夜の主役はアタシらだァ!!」

「いぇーい!! 先公いなくても暴れられるもんねー!!」

 

 ラフィが机の上にひょいと飛び乗り、そのまま足でグラスを蹴飛ばす。酒がぶちまけられ、床を濡らした。

 

「逃げるとかダサくなーい? せっかくラフィちゃんたちが来てあげたのに!!」

 

 ぐいっと前傾し、伯爵を覗き込む。距離が近い。近すぎる。伯爵は喉を鳴らしながら、必死に後ずさった。

 

「く、来るな……来るなぁ……!」

「えー? やだよ。だって――」

 

 ラフィがにやりと笑う。

 

「ここからが一番楽しいとこじゃん?」

 

 同時に、トトが背後で何かの魔導具をカチカチと鳴らした。

 爆ぜるような光が、一瞬だけ室内を白に染めた。

 

「排除シマス」

「っ!!!」

 

 トトの指先で鳴っていた魔導具が甲高い音を立てた瞬間、室内に眩い光が弾けた。次いで放たれた光線が一直線に走り、護衛の一人をまとめて吹き飛ばす。壁に叩きつけられた衝撃で石材が砕け、粉塵が舞い上がった。

 

「排除シマス、排除シマス、排除シマス」

 

 トトは楽しげに笑いながら連続して光線を撃ち込む。狙いは正確というより雑で、だが威力だけは無駄に高い。護衛たちは必死に散開しながら盾を構えるが、防ぎきれるものではなかった。

 

 その横でラフィが軽やかに一歩踏み出すと、腰を落とし、低く構えた。

 

「ラフィちゃんのターンいくよぉ、ちゃんと見ててねぇ!」

 

 次の瞬間、姿がぶれた。速すぎて視認できない速度で動いたせいだ。気づいた時には既に最前列の護衛の背後に回り込み、刃が閃く。斬撃は一度では終わらず、二撃、三撃と重なり、まるで波のように連続して襲いかかった。鎧ごと切り裂かれた護衛たちが崩れ落ち、床に血が広がっていく。

 

「遅い遅い、全然足りてないってばぁ!」

 

 笑い声と共にさらに踏み込み、逃げようとした護衛の背を容赦なく斬り裂く。狭い室内での連撃は逃げ場を与えず、瞬く間に防衛線は崩壊した。

 

 だが、その混乱の中で伯爵は一瞬の隙を見逃さなかった。残っていた配下を無理やり前へ突き飛ばし、盾代わりにする。

 

「止めろ! 時間を稼げ!」

 

 命令と同時に数人が必死に立ち塞がる。

 悲鳴と怒号が重なり、再びトトの光が炸裂した。

 

「うわっ、まだやるの? しぶとーい!」

「いいじゃんいいじゃん、数いる方が楽しいし!」

 

 二人が完全に戦闘に夢中になったその瞬間、伯爵は踵を返した。転がるように廊下へ飛び出し、裏口へと一直線に駆ける。

息は荒く、足はもつれそうになる。それでも止まらない。背後からは爆音と笑い声が追いかけてくる。

 

「急げ……急げ……!」

 

 必死に扉を押し開けると、夜気が流れ込んだ。屋敷の外には既に数名の従者たちが待機しており、伯爵の姿を見るや駆け寄ってくる。

 

「ご無事で!」

「馬を用意しております!」

 

 その言葉に、伯爵はわずかに安堵の色を浮かべた。だが振り返る余裕はない。ただ生き延びるために、彼はそのまま外へと飛び出した。

 

 ――だがその安堵は一瞬で砕け散った。

 

「――伏せろッ!!」

 

 誰かが叫ぶよりも早く、空気が震え視界の端から何かが走り抜けた。その正体は濃密な魔力の奔流だ、横薙ぎに外庭を薙ぎ払い、一瞬で辺りに破壊を撒き散らした。

 

「ぐああああッ!?」

「な、何だこれは――!」

 

 馬ごと、従者ごと、まとめて吹き飛ばされる。悲鳴と骨の砕ける音が重なり、地面に叩きつけられた者たちは動かなくなった。繋がれていた馬は暴れ狂い、そのまま自由の身になって走り抜けた。馬には当たらないように計算された軌道になっているようだ。

 

 衝撃は一瞬で通り過ぎ、後には抉れた地面と、無残に転がる人影だけが残った。

 

「……は?」

 

 伯爵はその場に立ち尽くした。

 何が起きたのか理解が追いつかない。ただ目の前にあったはずの逃げ道が、完全に消し飛んだという事実だけが、じわじわと現実として突き刺さってくる。

 

「な、何だ……今のは……」

 

 魔法? いや、詠唱はなかった。気配も――直前まで、何も感じなかったはずだ。

 

 あり得ない。

 こんなことが、あっていいはずがない。

 

 呆然としたまま、伯爵はゆっくりと顔を上げる。視線の先、屋敷からやや離れた小高い位置に、人影があった。

 

 月明かりに照らされ、その輪郭が浮かび上がる。

 細身の少年が一人、静かに立っていた。

 

 すっと指で眼鏡を押し上げる仕草がやけに様になっている。

 

「――やはり、僕の計算通りだね」

 

 アルバートは淡々と、しかしどこか誇らしげに言い放った。吹き飛ばされた地点を一瞥し、満足げに頷く。

 

「風向き、地形、対象の密集度……全て理論値通り。誤差は……許容範囲内か」

 

 まるで実験結果を確認するかのような口ぶりだった。

 だが、その隣に立っていた若い騎士が、露骨に胡乱な目を向ける。

 

「いや、軌道の最終調整、私が指示しましたよね?」

「……」

 

 アルバートの動きがぴたりと止まる。

 

「あのままだと屋敷の壁に当たって減衰するし、馬が可哀想だから角度を三度修正した方がいいって、私が言いましたよね?」

「……細部の補正は誤差の範囲だ」

 

 わずかに顔を背けながら、アルバートは咳払いを一つ。

 

「貴方頭が壊滅的に悪いんだから無理でしょう」

「……直接的に言うな、僕はまだ世界を知らないだけだ」

「勉強してください」

 

 容赦のないツッコミが刺さるとアルバートは一瞬だけ言葉に詰まり、それでも何とか取り繕うように眼鏡を再びくいっと上げて言った。

 

「覚悟しろ、悪党」

「……逃げた……」

 

 そんなやり取りなど露知らず――いや、正確には理解する余裕など一切なく、伯爵はただ震えていた。

 

「化け物め……!」

 

 こうなったら仕方ない――伯爵は杖を地面に向ける。

 

「使いたくはなかったが……! 仕方あるまい!」

 

 アルバートが動き出したが、伯爵の方が早かった。

 荒く息を吐きながら、伯爵は震える手で杖を握りしめる。額から流れる汗が目に入り、視界が滲む。それでも、脳裏に焼き付いて離れない言葉があった。

 

『それは万が一の切り札だ。だがな――使えば、お前ごと喰われるかもしれんぞ』

 

 あの時、魔物を操る連中は確かにそう言った。薄気味悪い笑みを浮かべながら、まるで未来を見透かしたような声音で。

 

「……ふざけるな」

 

 伯爵の唇が歪む。

 

「知るか……そんなもの……!!」

 

 もはや逃げ場などどこにもない。ならば、道をこじ開けるしかないのだ。たとえその先が破滅であろうとも。

 

「喰われるだと……!? 上等だ……!!」

 

 叫びと同時に、杖を地面へと叩きつける。

 

「来い――来い来い来い来い来い来いッ!! 全てを喰らい尽くせぇえええええッ!!!」

 

 詠唱は支離滅裂で、もはや呪文と呼べるものですらなかった。だが杖は応じた。黒く濁った魔力が地面へと流れ込み、次の瞬間――

 

 地面が割れ、轟音と共に庭が大きく裂ける。石畳が砕け、土が跳ね上がり、深い亀裂が一直線に走る。その奥底から、何かが蠢いた。

 

「……おー」

 

 アルバートが間の抜けた声を漏らす。

 次の瞬間、地面を押し広げるようにして()()は現れた。

 

 ずるり、と巨体が地上へと躍り出る。

 

「オ…………オオオ!!」

 

 それは獣だった。だがその巨体は常識の範疇に収まって稲生。全長は優に15メートルを超え、四肢は岩を砕くほどに太く、黒ずんだ体毛の隙間からは赤黒い光が脈打つように漏れている。口を開けば鋭利な牙が幾重にも並び、吐息一つで周囲の空気が震えた。

 

「グルルルルルルル……ッ」

 

 低い唸り声が地面を伝い、空気を揺らす。

 その場にいた者たち全員が、本能的に理解する。これは――まともに相対していい相手ではないと。

 

「はは……はははは……! 来た……来たぞ……!! これで……これで貴様らを――」

 

 だがその言葉は、途中で止まった。

 巨大な獣の眼が、ゆっくりと伯爵へ向けられたからだ。

 

「へ……?」

 

 そして伯爵は怪物に摘まれて、口の中に放り投げられた。

 

「あ、食われた」

「あ、食われた――じゃないですよ!! 一旦下がりましょう!! アルバートさん!!」

「確かに……このままだと僕の見せ場が――」

「いいから!」

 

 わずかに未練を滲ませつつも、アルバートは素直に頷いて新人と共に退がる。この異変を遠くから見ていたレクスディアはと言うと――

 

◇◆◇

 

「あれは情報になかったな」

 

 特に焦る様子もなく、冷静に分析していた。

 とは言え暴れ狂う巨大な怪物は、新人には荷が重い。

 

「仕方ない、か」

 

 低く呟くと、視線だけをわずかに横へ流す。

 

「ユアン」

 

 呼びかけた瞬間、風が揺れた。

 

「――お呼びでしょうか、教官」

 

 気配もなくすぐ傍らに一人の青年が現れる。ダンピールの教え子である彼は膝をついて頭を下げた。

 レクスディアは一瞥だけをくれて、すぐに視線を戦場へ戻す。

 

「見ての通りだ。想定外のバケモンが出てきた」

「ええ、確認しております。あの規模……新人では対応不能でしょう」

 

 即答だった。

 感情を挟まない冷静な判断だからこそ信用できる。

 

「新人たちは退避でいいが……ひとつ頼みたい」

「何でしょうか」

「周囲に結界を張れ。被害を広げないようにだけしてくれるとたすかる」

「結界、ですね。範囲はどの程度を想定されますか?」

「屋敷一帯……いや、庭まで含めて囲ってくれ。あれが街まで行く事がないようにだけ」

 

 淡々とした口調だが、その内容は重い。ユアンは一瞬だけ視線を上げ、巨獣の動きを観察した後、静かに頷いた。

 

「承知しました。魔力の消耗はやや嵩みますが、維持は可能です」

「お前なら出来るだろ」

 

 即答だった。

 それ以上の説明も、根拠もいらない。ただ事実として、ユアンならやる。

 

「……光栄です」

 

 わずかに口元を緩め、ユアンは再び頭を下げる。

 

「それと弟子たちには伯爵は生きたまま回収するように言ってくれ」

「食べられましたけど……」

「まだ消化はされてないだろうし、噛み砕いて食べたわけじゃない。腹をぶん殴るか引き裂くかしてくれたら良い」

「わかりました、皆には共有します」

 

 踵を返しかけたその瞬間、ユアンはふと足を止めた。

 

「……教官は、動かれるので?」

 

 振り返らずに問うとレクスディアは数秒だけ沈黙する。

 

「伯爵を引っ張り出したあとは任せろ」

 

 その一言を聞いて――ユアンは身震いした。

 久々に彼の技が見れると。

 

「わかりました、早急に終わらせます」

 

 そのままユアンが去っていくのを見届けたレクスディアは、杖のような鞘から剣を引き抜く。

 

「たまには運動しないと……健康的な意味で」

 

 案外……動く理由はかなりしょうもなかったりした。

 

◇◆◇

 

「もう怪獣だな、あれは」

 

 キアラは遠い目をする。

 屋敷の奥から地を割るような轟音が響いたかと思えば、次の瞬間にはあの巨体だ。しかも出てきて早々、標的だった伯爵を丸呑みときた。

 

「……情報量が多すぎる」

 

 キアラは小さくため息を吐いた。目の前では、黒ずんだ巨獣が低く唸り、喉の奥で何かを嚥下するように蠢いている。討つべき敵が増えたうえに、回収対象はその腹の中。状況は最悪に近い。

 

「フンッ!!」

 

 ぼやきながらも、足は止めない。サーベルを一閃。風を纏った斬撃が一直線に飛び、巨獣の体表を浅く裂いた。だが――

 

「オオオオオ……!」

 

 裂けた肉が、蠢くように盛り上がり、瞬く間に塞がっていく。

 

「再生持ち……」

 

 眉一つ動かさず、淡々と観察する。

 

「余計に面倒ですね」

 

 追撃はしない。無駄だと即座に判断したからだ。火力で押し切るのは簡単だが、それでは腹の中の伯爵ごと消し飛ばしかねない。

 

 ふと視線を巡らせると、屋敷一帯を淡い光が包み始めていた。空間を縁取るように魔力の膜が展開されていく。

 

「……結界」

 

 わずかに目を細める。

 

「ユアンか……仕事が早い」

 

 逃げ場は完全に封じられた。ならば、あとは処理するだけ――そう結論づけた瞬間、耳元で微かな振動が走る。

 

『――キアラ、聞こえるか』

 

 通信だ。ユアンの声は相変わらず冷静だった。

 

「ええ、聞こえてるわ」

『伯爵は生かしたまま回収が必要だ。怪物は討って構わないが、火力の入れ過ぎには注意しろ。内部の損壊が大きすぎると――』

「伯爵が死ぬ、か」

『その通りだ』

「何を勝手に食われてるのか」

 

 今度ははっきりと口に出した。斬れば終わる相手を、わざわざ手加減しながら処理しなければならない。キアラにとっては、あまりにも非効率だった。

 

「再生持ちで、中に人質……最悪の組み合わせだ」

 

 軽く首を鳴らす。どう動くべきかを思考し始めた、その時だった。

 

「――その点については、心配いらん」

 

 気配はあった。だが、それでも近づくまで一瞬遅れる程度には静かだった。キアラが横目で見やると、そこには長身の影が立っている。

 

「ドラスケル」

「随分と不機嫌そうだなキアラ」

 

 ぼさぼさの髪に、覇気の薄い目。だがその手には、いつの間にか黒ずんだ小瓶が握られていた。

 

「私が毒を喰らわせる。体内から侵せば、怪物の体調は悪くなる」

「何となくやる事が見えてきたな」

 

 そこから先はキアラの予想通りだ。

 

「弱らせたところで腹を殴ればいい。飲み込んだものは、吐き戻すはずだ」

「……言うのは簡単だけど」

 

 キアラは怪物を一瞥する。

 あの質量、あの硬度。並の打撃では通らない。

 

「誰が殴る?」

「それは――」

 

 ドラスケルが口を開きかけた、その瞬間。

 

「殴るなら、私の役目だよね」

 

 明るいのに底冷えする声が響いた。

 空気がわずかに震える。次の瞬間、キアラのすぐ隣に彼女は立っていた。

 

「ジズ」

 

 振り向くと、そこには小柄な少女が一人。だがその手には、彼女の体格には明らかに不釣り合いな巨大なハンマーが握られている。柄を軽く肩に乗せ、にこりと笑った。

 

「さっきの連中じゃ消化不良だし……あれなら殴り甲斐がある」

「ストレス発散ね……いいわ、付き合いましょう」

「さすがキアラ、略してさすキラ」

「……やめなさい、その呼び名」

 

 ジズは無表情で「むふー」と言いながらキアラを囃し立てる。実際……ジズはキアラに妙に懐いている。理由が一切わからないのが不気味だとキアラは語っている。

 

「じゃあ……お先にどうぞ」

 

 ジズがハンマーを肩に担いだままドラスケルに言うと、彼は一瞬で姿を消した。

 

「行くぞ」

 

 次の瞬間、彼の足元からじわりと黒い霧が滲み出した。魔力を帯びた濃密な霧は、瞬く間に周囲へと広がり、巨獣の視界を覆い隠していく。

 

「オオオ……?」

 

 巨獣が低く唸る。視界を奪われ、警戒するように首を振った。だが、完全に見失ったわけではない。気配はある。だが位置が曖昧だ。苛立ちが、じわじわと膨れ上がっていく。

 

「……いい目くらましね」

 

 キアラは小さく呟くと、一歩前に出る。

 サーベルを軽く振る――それだけで十分だった。

 

「フッ」

 

 風を纏った斬撃が、霧を裂いて飛ぶ。

 狙いは急所ではない。あくまで当てることだけを目的とした浅い一撃。

 

「ガァッ!?」

 

 巨獣の肩口に走る細い傷。

 すぐに塞がる程度のものだが、確かに刺激にはなる。

 

 もう一閃。

 今度は脚部へ。

 

 さらに一閃。

 胴へ。

 

 リズムよく、無駄なく、だけど決して致命には至らない絶妙な加減で斬撃を飛ばし続ける。

 

「オオオオオオッ!!」

 

 巨獣が吠えた。

 視界は効かないが攻撃は来る。しかも位置が定まらない。どこだ、どこにいる――苛立ちと焦燥が混じり、巨体が乱暴に動き始める。

 

 腕を振るう。

 踏みつける。

 だが霧の中では、その全てが空を切る。

 

「いい感じに荒れてきたな」

 

 その死角――完全に意識の外から、ドラスケルが滑り込む。

 気配を殺し、呼吸すら抑え、地面を舐めるように低く移動する。

 

 手に握られているのは、短剣。

 その刃は、鈍く濡れていた。

 

「少し借りるぞ」

 

 ぼそりと呟き、跳ね上がる。

 

 一閃。

 

 肉を裂く感触。

 だが深くは入れない。狙いはそこではない。

 

 すぐに離脱。

 別の位置へ。

 

 再び跳ねる。

 

 一閃。

 

 今度は脇腹。

 浅く、しかし確実に傷を刻む。

 

 その度に、刃に塗られた毒が体内へと流れ込んでいく。

 

「グ、ォ……?」

 

 巨獣の動きが、わずかに鈍る。

 まだ誤差の範囲。だが確実に、内部で何かが狂い始めている。

 

 ドラスケルは止まらない。

 

 三度。

 四度。

 五度。

 

 位置を変え、角度を変え、同じように浅く、確実に傷を刻み続ける。

 

 気づいた時には、巨獣の全身に細かな裂傷が無数に走っていた。

 

「オオオオオオッ!!」

 

 咆哮。

 だが先ほどよりも、わずかに重い。

 

 呼吸が乱れる。

 四肢の踏み込みが、ほんの僅かに遅れる。

 

「……効いてきたか」

 

 霧の中で、ドラスケルは目を細めた。

 

 毒は派手ではない。だが確実に蝕む。

 再生能力があるからこそ、傷は塞がるが蓄積された毒は解毒出来てないのか、じわじわと内側から体調を崩していく。

 

「ガ……ァ……」

 

 巨獣の脚が、ぐらりと揺れた。

 そして――ドン、と鈍い音を立て、片膝をつく。

 

「今」

 

 短い合図の後、霧が裂けた。

 

「おまたせ」

 

 そこから飛び出してきたのは、ジズだった。

 軽い体躯が嘘のように、空気を押し潰す圧が伴う。

 

 振り上げられた巨大なハンマーが狙いを定めるのはただ一点。

 

「いくよ」

「――ッ!!」

 

 大気を揺るがすような衝撃波が辺りに行き渡る。

 凄まじい音と共に、巨獣の腹部に叩き込まれて肉が歪み、骨が軋み、衝撃が内部へと伝播していく。

 

「グォォォオオオッ!?」

 

 巨獣が絶叫した。

 だが――

 

「……あれ?」

 

 ジズが首を傾げる。

 吐かない。

 期待していた反応は、来ない。

 

「まだ足りないか」

 

 すぐに理解する。

 

「じゃあ――もう一回」

 

 軽く言って再び構える。

 踏み込み、振り上げ、そして二撃目。

 先程よりも深く、重く、確実に内部へと響く一撃だ。

 

「グ、ォ……!!」

 

 巨獣の体が大きく揺れる。

 だが、それでも――吐き出さない。

 

「……しぶとい」

 

 ジズは淡々と呟いた。

 

「いいよ、付き合う」

 

 にこりと笑う。

 

「出すまで、叩くから」

 

 それから何度も叩くが、キアラが焦ったように言う。

 

「伯爵も潰れないかな、それ」

「あ゙」

 

 やべっ――と口に手を当てていると、今度はより場違いな乱入者が2人の間を突き抜けていった。

 

「腹を叩いても無理なら、引き裂けば良いのでは〜?? おほほほ!!」

「ミネルヴァ!!」

 

 ついに現れた最後の弟子――ミネルヴァはチェーンソーのような刃を持つダブルブレードをぶん回しながら怪物に突っ込むと、そのまま勢いよく腹に突き立てた。

 

「ご開帳……ですわ」

 

 そのまま彼女は高笑いしながら引き裂いた。

 その光景は残酷な現場になれたキアラも「うぇ」と軽く気持ち悪っとリアクションする凄惨さ。ジズに至っては「ミネルヴァめちゃくちゃ色々浴びてるから、風呂入ってもたまに臭いんだよな」と場違いな感想を抱く。

 

「ん……?」

 

 ミネルヴァの刃が腹部を裂いた瞬間、巨獣の体内から噴き出したのは血肉だけではなかった。粘ついた液体と共に、ぐったりとした人影が覗く。

 

「……あら、いたじゃありませんの」

 

 ミネルヴァは一切躊躇することなく、その中へ腕を突っ込んだ。ぬちゃりと嫌な音が響くが、本人は意にも介さない。

 

「見つけましたわよ、伯爵」

 

 掴んだのは意識を失った伯爵の身体だった。引きずり出すようにして一気に腕を引くと、肉片と体液を撒き散らしながら、伯爵は外へと放り出される。

 

「はい、確保完了ですわ」

 

 無造作に地面へ転がされた伯爵は、かろうじて息をしている。ジズが一歩近づいて覗き込み、「まだ生きてるね」と淡々と呟いた。

 

 その様子を確認したユアンは、すぐさま通信を開く。

 

「教官、伯爵は確保しました。意識はありませんが、生命反応は安定しています」

『……了解だ』

 

 短い応答の後、僅かな間を置いて続く。

 

『お前たち全員、そこから下がれ』

 

 その一言で空気が変わった。

 キアラは一瞬だけ視線を上げ、すぐに理解する。

 

「……来るわね」と小さく呟き、踵を返した。

 

「撤退する。距離を取れ」

 

 淡々とした号令に、誰も逆らわない。ナハトは「あーやっと終わりか」と気だるげに影を引き、ゼヴルは無言で後退する。ファングは一瞬で笑顔になって退避する。

 

 全員が戦線から離脱する中、巨獣はなおも低く唸り続けていた。腹を裂かれ、毒に侵され、それでもなお再生を繰り返すその姿は、執念じみた生命力の塊だった。

 

 だが――それも、ここまでだ。

 

◇◆◇

 

「さて……」

 

 高台の上にてレクスディアは、静かに剣を構えていた。

 無駄な力みはない。ただ自然体のまま、刃を水平に構える。その姿は戦場の喧騒から切り離されたように、異様なほど静かだった。

 

 だが、その内側では膨大な魔力が収束している。

 

 空気が震える。音もなく、しかし確実に周囲の魔力が引き寄せられ、刀身へと吸い込まれていく。紫電が淡く走り、やがてそれは明確な光となって刃を包み込んだ。

 

「……久々に使うか」

 

 小さく息を吐く。

 

「出力は半分以下……じゃないと被害がとんでもない事になる」

 

 視線の先には、なおも暴れようとする巨獣の姿。

 だがレクスディアの眼には既に斬る対象としてしか映っていない。

 

 

「――無双の一太刀」

 

 その一言と同時に、剣がわずかに動いた。

 次の瞬間、空間そのものに切れ込みが入る。

 放たれたのは一筋の斬撃……ただそれだけだ。

 

 ――キィィィン

 

 紫電を纏った光が一直線に走ると切り裂かれた音が鳴る。

 空間を裂き、音を置き去りにし、ただ消し飛ばすという結果だけを伴って進む一撃だ。

 

 巨獣が気づいた時には、既に遅い。

 

「――――ッ」

 

 声にならない咆哮が漏れた後。その巨体は中央から断たれていた。すると断面は崩れ、潰れ、内側へと引き込まれる。まるで存在そのものが否定されるかのように、巨獣の肉体は内側へと圧縮されていく。

 

「空間ごと切り裂き、空いた避け目に対象を引きずりこんで爆縮させる――溜めは必要だがな」

 

 レクスディアはちょっとため息混じりに呟くと巨大だったはずの質量が、一点へと収束して消えた。

 音は遅れて訪れる。空気が引き裂かれ、衝撃波が周囲を撫でるように駆け抜けた。

 

 そこに残るものは何もない。

 血も、肉も、骨も、塵すら残さず、完全に消滅していた。

 ただ抉れた地面と、歪んだ空間の名残だけが、その一撃の規格外さを物語っている。

 

◇◆◇

 

 しばしの静寂の後、ジズがぽつりと呟いた。

 

「……やっぱり、おかしいよね」

 

 ジズだった。

 キアラは同意するように小さくため息を吐き、「比較対象があれだと困るわ」とだけ返す。だがその目は爛々としていた。

 

「だからこそ……目指し甲斐がある」

「……そうだね」

「きっと皆そう思っている」

 

 むしろあれほど理不尽な強さがあっても黒竜は倒せなかったのだ。となれば自分たちも理不尽に強くなるしかない。

 

「私たち全員で……先生と同じ剣聖になれば良い」

 

 剣聖は何も1人じゃなきゃダメという決まりはない。

 むしろ弟子たち皆で同じような二つ名をもらえるように頑張る必要がある。

 

「それが私たちに出来る……貢献よ」

 

 このまま弟子という立場に甘んじるつもりはない。

 いつかその背中を追い越す――改めて、彼女たちは決意した。

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