剣聖「騎士団の教官になったから、気合い入れて厳しめに鍛えたら教え子全員殺意マシマシのガンギマリ集団になった」 作:アスピラント
オレは最初から1人だった。
獣人の中で最も人と親しい関係にある犬人に生まれたオレだが、育った部族は犬人の中ではかなり珍しい、排他的な部族に生まれた。
ブラックハウンド――遥か昔から狩りを生業にしてきた一族、強さこそが全てという苛烈な価値観が蔓延る一族の中で、俺は圧倒的な弱者として虐げられてきた。弱き者に生きる価値なしという価値観の中にいたオレは当然、一族の恥として排斥された。
のたれ死ね、我が一族の恥晒し――憎悪を抱くには充分な扱いだ。
だからオレは諦めなかった。
一族から追い出されようとも俺は強くなると。
誰もが認める強さを手に入れて、俺を追い出したブラックハウンドに目にモノを見せてやると。
かつてオレを虐げた奴に唾を吐いてやるために、オレは何が何でも強くなると決めた。
そんな時にこんな噂を聞いた。
剣聖レクスディアが騎士団にて教官を務めるという噂だ。
歴代最強と名高いあの人の下ならと俺は騎士団に入ることにした。
その結果は――もう言うまでもない。
あの人の下についたことは正解だった。
同時にこう思った。
ブラックハウンドという小さな世界に拘っていたオレは愚かだった。もう以前のオレとは違うという事を、あの人にもそしてブラックハウンドの前で証明する。
過去のオレを燻らせる
◇◆◇
2週間という長い休暇はレクスディアにとっても久々だった。
もう前みたいに任務を受ける事がなくなり、基本的には後進の育成や事務的な作業がメインとなってはいるものの、世界最大かつ最強の騎士団の事務作業は、冒険者ギルドの総本部に務める一流の職員や、王国の中枢にいる貴族たちと引けを取らないぐらいは忙しい。
そんな彼は今何をしているのかというと、
王都リュミエールの中でも魔術研究機関や治療院が立ち並ぶその一角に、静かな石造りの建物がある。看板には簡素に「アルナ治療院」とだけ刻まれていた。
昼下がりの淡い陽光が差し込む診察室で、レクスディアは上半身の衣服を脱ぎ、椅子に腰掛けていた。
その鍛え上げられた肉体の胸から脇腹にかけて大きく抉れたような古傷が走っている。黒々と変色したその傷跡は、ただの裂傷ではないことを雄弁に物語っていた。
黒竜の鉤爪によって刻まれた古傷だ。
十の厄災の中で最も古く、最も強大とされる魔物の猛毒を身体に捩じ込まれた痕でもある。
「……相変わらずえげつない傷ね」
澄んだ声が静かに響く。
レクスディアの正面に立つのは、長い緑の髪を背に流したエルフの女――アルナだ。細身の体躯に深緑のローブを纏い、手には古代文字が刻まれた杖が握られており、その先端を傷に当てがっていた。
彼女はこの治療院を創設した大魔法使いであり、かつては剣聖とパーティを組んでいた元冒険者でもあった。
エルフ特有の長い寿命を持つ彼女は、今もなお若々しい容姿を保っているが、その瞳の奥には数多の戦場を渡り歩いた者だけが持つ静かな重みが宿っている。
何故騎士団じゃない彼女が剣聖とパーティを組んでいたかというと、簡単に言えばレクスディアの無茶苦茶な戦闘能力に合わせて動けるからだ。
何せレクスディアは基本的に単独で任務をこなしていた。
その実力は騎士団の中でも群を抜いており、並の騎士では連携する前に置いていかれてしまう。むしろ隣に立てば足手まといになってしまうため、彼はずっとソロだった。
だからこそ彼は例外的に外部の強者とだけパーティを組んでいた。
冒険者ギルドに名を連ねる歴戦の猛者たちを中心に組んでいった結果、その中でも長く組んでいたのがアルナだった。
魔法による広域制圧と支援に長けた彼女は、レクスディアの単騎突撃を成立させられる存在だったのだ。
「動かないで」
「……ガキじゃあるまいし」
「それでもよ」
アルナが杖を軽く掲げると、淡い蒼光が傷跡を包む。
内部の魔力の流れや組織の状態を探る魔法だ。
光が傷の縁をなぞるたび、微細な痛みと違和感が走る。
その横で、小柄な少女が真剣な表情で水晶板を覗き込んでいた。
「……毒素反応は残ったまま、進行は見られませんが……ちょっと変異していますね」
透き通る声の主はピクシスという少女だ。
アルナの助手を務めるヒーラーで、
「なので新しく魔法薬を調合します、少しお待ちを」
「本当……黒竜の猛毒は厄介ね。肉体だけじゃなく、魔力の回路そのものを侵す」
「……おかげで継戦能力はガタ落ちだ、全くしてやられた」
レクスディアはシャツを着直し、軽く首を回す。
黒竜の猛毒はまるでウィルスのように変異する。進行を止める事しか出来ない理由はここにある。根治治療をしたくても変異してしまうため、イタチごっこになってしまうのだ。
アルナの声は冷静だが眉間にはわずかな皺が寄っていた。
「わかってるとは思うけど、ちゃんと来なさいよ。2か月おきに見ておきたいから。前サボったでしょ」
「仕事があったんだ」
「……自分だけの身じゃないんだから、気をつけなさい。私は嫌よ……貴方が死ぬのは」
アルナは比較的ツンケンした口調だが、かなり過保護だ。
治療院を作って冒険者を退いたのも、レクスディアの猛毒をなんとかしたくて作ったのだ。
(頭が上がらないな)
時折そんな彼女に甘えてしまいたくなるが、そうはしない。ただでさえ弱ったと知られている自分がそんな真似をしたら、つけあがる連中が現れる。
もっともそんな連中は弟子たちが許しはしないだろうが。
「今日は何するの? 休みなんでしょ?」
「最近荒ぶってる弟子たちに時間を作れと言われてる」
「最近……? もう2年ぐらい前からだいぶ荒ぶってるわよ?」
「…………言うな」
じとっとした目を向けられたレクスディアは必死に目を逸らした。今なんとかして頑張ってるんだからと内心で呟くが、アルナはもう諦めていた。
「だけど一応悪人限定だもんね、殺すのは」
「キアラは最近軽犯罪者は骨折ぐらいで済ませるように努力してる、でも重罪人や魔物は即処刑だ」
「……ま、まぁマシになったのかしら。でもあの子はまだ融通効く方でしょ? 他は無理じゃない?」
「……黙秘する」
残り11人……多分変わらないだろうなーと遠い目をする。
そんな時だった。
「失礼します」
「ん……?」
カランとドアベルが鳴り、誰かが入ってきた。
レクスディアが振り返るとそこにいたのは――
「マスター! 良かった……入れ違いになるかと思いました!」
「……ファング」
自らを師の猟犬と呼ぶ12人の教え子の1人――ファングが犬耳と尻尾を動かしながら入店してきたのだ。背中には愛用の大剣を背負っており、ちょっと店に入りづらそうにしていた。
ファング・オルダート――レクスディアの教え子の1人にして、大剣を操るパワータイプの剣士だ。黒髪には白のメッシュが入っており、たまにレクスディアが並んで歩くと兄弟みたいだと言われている。
ちなみに初対面だと一番人懐っこそうに見えるため、戦闘モードに入った彼を見てギャップに悶える奴と、素直にドン引きするというどっちかのパターンになりがちだ。
「噂をすれば何とやらね」
「お! アルナの姐さん! お疲れ様っす! んで噂って?」
「
「俺に振るな……」
ファングは頭の上にハテナマークを浮かべている。
こいつは皮肉がわからない奴だから、変な話題になるともっとややこしくなる。だからレクスディアは彼がやってきた理由を聞く事にした。
「んでファング、何か俺に用があったのか?」
「はい!」
すると曇りなき眼で言った。
「オレと一緒に来てください!」
「……ざっくりだな」
結局どこに行くのか、そもそも何の用かも説明されないままレクスディアは連れてかれる事となった。
◇◆◇
「――故郷まで来て欲しい……か」
「迷惑でしたか?」
「いや休暇中に個別の時間を作るつもりだったから、むしろ好都合だ」
診察を終え、薬をもらったレクスディアはファングと一緒に馬に乗ってリュミエールから離れ、ファングの故郷へと向かっていた。これだけ聞くと普通の里帰りに聞こえるが、
「ファング……お前大丈夫なのか?」
「はい! 大丈夫ですよ! むしろ……お互いの休みが重なった今がチャンスだと思ったので!」
レクスディアは、馬の手綱を軽く引きながら横目でファングを見る。彼は明るく努めているが、なかなか辛い過去を背負っているのを知ると、印象がまた変わる。
彼は家族に送り出されて騎士団に入ったわけじゃない。
縁を切られるような形で王都へやって来て、レクスディアの噂を聞いてから入ってきたのだ。
故郷は獣人の中でも誇り高い戦士を多く輩出する部族社会。強さを尊ぶ文化は美徳であると同時に、弱さを許さない冷酷さも内包している。
ファングは決して弱くはなかったが、それはあくまでも人間基準の話だ。ブラックハウンドの中では下から数える方が早く、周りから冷遇されてきた。
特にひどかったのは同年代にひとり――常に彼の前に立ちはだかる“ガキ大将”のような存在がいて、そいつがファングを執拗にいじめていたらしい。反撃したくても腕っ節は強く、取り巻きからもボコボコにされる始末。
結果的に孤立。
家族もファングを庇う事はせず、悔しければ強くなれとしか言わない上に、情け無いと言って蔑んだ。
このままだと潰されると思ったファングは、すぐに故郷を去った。
「しかしお前はよく俺の鍛錬に付き合ってくれたよな」
「どうしたんです、急に?」
「だって俺の鍛錬はそれこそ部族にいた時の頃より、格段に厳しい内容だ。早々に俺に見切りをつけそうだなと」
あんな過去があったのに、意外にも一番早く鍛錬に順応したのはファングなのだ。最初は怒りを向けられていたのは視線や、気配でわかっていたレクスディアだったが、1週間もしない内にやる気満々で取り組んでいたのが印象的だった。
「あー……まぁオレって、部族の時にいっつも悪意を浴びてきたからですかね」
「ほう」
「ほら、やっぱそんな環境に居続けたら悪意に敏感になっちゃいますからね。それでマスターの鍛錬を受けて……悪意がないってわかったんですよ」
ファングは照れくさそうに頬を掻きながら答えた。
「それに気づいたら、自然とこの人って本当に愛を持ってくれてるんだって思いましてね。あ! あと夜な夜な先輩騎士と話してる時に、マスターがあいつら全員必ず俺より強くなる。他でもない俺が一番確信してるって、なんかすごい剣幕で言ってたのを聞いちゃって」
「……聞かれてたのか」
レクスディアは困り顔で笑うしかなかった。
勿論その事は覚えている。
先輩の騎士が12人に対して疑いの目を向けていたのが、レクスディアはどうしても我慢出来なくて、怒りのまま叫んだ事がある。
(……事実、そいつより何倍も強くなったしな)
結果は見事に示してくれた。
ちょっと予想外な方向に行ったけど。
「だからマスターを信じる事が出来ました。あのクソどもと違う、本当に向き合ってくれる人なのだと」
「そう思ってくれて何よりだ」
「皆そう思ってますけどね、オレらはマスターにしか忠誠誓ってないですし」
それは身をもって知っている。
教え子たちの抱く重すぎる忠誠心で胃が痛くなったりしてるのだから。
「それで故郷に向かうのはどういう理由だ?」
「簡単に言えば、
「ほう」
「オレはもうあいつらより強くなった、昔は見返すためでしたが……今は違う。もう完全に切り替えたんです」
段々と語るファングの目に光はない。
もうどうでもいいと見限ってるのがわかった。
「その事でひとつ、お願いがありまして」
「なんだ」
「途中で森に寄ってほしいんです」
「森?」
「はい。北側にある黒影の森です」
その名を聞いた瞬間、レクスディアの眉がわずかに動く。
黒影の森は割と有名な場所だ。
凶暴な魔物が頻繁に出没する危険地帯であり、冒険者のベテランでさえ寄りつかない場所だ。
「理由は?」
問いかけると、ファングは一瞬だけ真顔になり、それからいつもの調子で笑った。
「実はあの森に、ブラックハウンドが一番恐れてる魔物がいるんです」
「ほう」
「昔から、あいつの縄張りに近づくなって言われてました。何人も狩人がやられてて」
さらりと言うが、部族単位で警戒している相手ということだ。
「だから、ついでに倒していこうかなって!」
「……ついで、で済む相手か?」
「あ、それは余裕です」
一応念を押すように聞いたが、レクスディアはさほど警戒はしてなかった。あの森にいる魔物程度で遅れを取る彼らじゃないのは知っているからだ。
「倒したら、証になる部位を持っていきます。手土産がてらに」
「……なるほどな」
風が草原を渡る。
馬の蹄の音が規則正しく響く中、レクスディアは静かに考える。
ブラックハウンドが恐れる魔物を討伐してそれを持ち帰る。
それはつまり――
(部族を見返したい、か)
昔からファングは自らの成果をレクスディアに見てもらいたいという仕草というべきか、強さを証明したいという欲求が強い。昔はよく任務でぶっ殺した悪党の首を持ってきては「やりましたよ」と血走った目で自慢してきた。正直持ってこなくていいのだが、レクスディアは必ず褒める。
じゃないとガチでショック受けちゃうから。
(まぁ今回は割と普通だな)
人じゃなくて魔物なら全然OKだ。
部族を見返すその瞬間を見届ける――実に結構。
いじめてきた奴に一矢報いるカタルシスを、師匠である自分が見届けてやろうとレクスディアは思っていた。
そう……この時までは。
◇◆◇
――その日の夜。
黒影の森はおどろおどろしい雰囲気を漂わせていた。
空を覆う枝葉が月明かりを遮り、内部はほとんど闇に沈んでいる。湿った土の匂いと、濃く淀んだ魔力の気配が肌にまとわりつく。
森の外れに馬を繋いだ二人は、最低限の装備だけを整え、そのまま徒歩で足を踏み入れた。
「……相変わらず、空気が重いな」
レクスディアが低く呟く。
魔物というのは、異常なほどの大きな魔力を生まれながらにして持つ動植物の総称である。
この森は魔力の濃度が普段の時でも高きさ、弱い魔物ならそれだけで狂暴化するし、強個体なら縄張り意識が極端に肥大する。
早い話――この森自体が魔物のようなものだ。
ファングは大剣を肩に担ぎ、鼻をひくつかせた。
「いますね」
「ああ」
まだ視認はできないが森の奥から圧のようなものが流れてくる。ずしり、と腹の底に沈む重い魔力、通常の魔物とは格が違うのがすぐにわかった。
「この森にいる代表的な魔物といえば、熊みたいな見た目した奴だったが……同じ個体か?」
レクスディアは記憶を辿る。
この森は何回か来たことがあるが、そんなに仕事をここではしていない。朧げな記憶の中から掘り出した魔物の見た目、名前を何とか思い出そうとしていると、ファングが答えた。
「グラヴォルグですね」
その名を口にした瞬間、空気がさらに冷えた気がした。
「ブラックハウンドが最も恐れる魔物です。縄張りに入った狩人は、ほぼ確実に殺される。だけど昔グラヴォルグを狩った事がある奴がいたらしくて、そいつは部族の中で一番の英雄として語り継がれてます」
「……ほう、じゃあ今からすることは――」
ファングは人懐っこい笑み――ではなく、目を見開いて犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべていた。
「オレが上書きしてやるんだよ……」
もうすでに彼はゾーンに入っていた。
彼の本性が露わになった瞬間でもある。
二人はそのまま足音を殺しながら進む。
落ち葉を踏む音すら最小限に抑え、木々の間を縫う。
やがて――ぴたり、とファングが止まった。
「……来ます」
同時にレクスディアも感じ取る。
「正面だな」
レクスディアが囁くと二人は木陰に身を寄せ、視線を向けた。
闇の中にいたそれを見て、最初はただの岩かと思った。
だがゆっくりと動いた時点で岩ではない。
月光をほとんど反射しない黒い体毛、体長は五メートルを優に超えているだろう。肩高だけで二メートル近く、筋肉の塊のような四肢が地面を踏みしめるたび、土が沈む。
「早く見つかってよかったな」
「ですね……」
そいつは顔を上げてレクスディアとファングを睨む。
赤黒い双眸が、闇の中で鈍く光っていた。
鼻先から吐き出される息が白く濁り、殺意が徐々に高まっていった。
「……」
ファングは獲物と睨み合うとドン、と地面が爆ぜた。
「ゴァアアア!!」
先に動いたのは魔物だ。
巨体に似合わぬ速度で、前脚が振り上げられる。
「お前に任せるぞ」
「勿論です、奴はオレの獲物です」
レクスディアの声と同時に、ファングが一歩前へ出て大剣を構える。
「来いや」
「――!!」
ファングの殺気に怯んだグラヴォルグの前脚が、夜気を裂いて振り下ろされる。魔力を纏った一撃は、ただの打撃ではない。地面ごと抉り取る質量と衝撃が込められている。
ガギィン!!
しかしその一撃は火花を散らして、それは止められた。
「ヒャハハハッ!!」
狂気じみた高笑いが森に響く。
ファングは大剣を真正面に構え、振り下ろされた前脚を受け止めていた。衝撃で足元の土が割れ、膝がわずかに沈む。それでも彼は笑っている。
「お前、こんなもんかよ!!」
ギリと歯を鳴らしながら押し返す。
「大したことねぇぞ、このクソゴミがァ!!」
力任せではない。重心を落とし、魔力で強化した脚力を地面に叩き込み、その反動を利用して前脚を弾き飛ばす。
巨体が一瞬よろめいたその隙を彼は逃さない。
ファングは右手から鋭利な爪を伸ばし、そのままグラヴォルグの顔面を切り裂いた。
「ゴォォオオ!!」
悲鳴とともに、赤黒い瞳の片方が弾けた。
眼球が潰れ、血と体液が飛び散り、痛みでパニックになったグラヴォルグが頭を振り、咆哮しながら暴れ回る。
それを見たファングは狂気に満ちた笑みを浮かべて叫んだ。
「たかが眼球潰れた程度で喚くなよ、バカがァ!!!」
ファングはさらに踏み込むと地面を蹴って、巨体の腹部へと全力の飛び蹴りをかました。
魔力を集中させた一撃が、分厚い腹筋を貫く衝撃となって炸裂する。
「――――!!!」
五メートルの巨体が、凄まじい勢いで後方へ吹き飛んだ。
木々をなぎ倒し地面を抉りながら転がり、口から血反吐を大量に吐く。
「……ォオオオ!!」
それでもグラヴォルグは咆哮し、片目でファングを睨む。
その様を見たファングはさらにテンションが上がっていた。
「ヒャハハハハッ!! いいねぇ!!」
ファングは地を蹴り追撃。
倒れた巨体の顔面へ跳び上がり、踵を叩き込む。
「オラ!!! オラ!!! オラァ!!!!」
何度も何度も何度も叩き込み、ぐしゃぐしゃと肉を潰すような音が周りに響き渡る中で、グラヴォルグはヤケクソになったのか無理矢理身体を動かす。
素手で何とかしようとしたが、意外に頑丈だと気づいたファングは手をかざす。
「しぶてぇな!! いいねぇ!!」
すると森の闇に突き立てていた大剣が、魔力に応じて震えながら浮かび上がり、宙を裂いてファングの手に戻ると両手で柄を握り、巨体の首元へと全体重を乗せる。
「死ねやゴラァ!!!」
刃が分厚い皮膚と筋肉を貫通したが、骨が硬いせいで刃が止まる。グラヴォルグが絶叫し、体を捩る。
「動くな、ゴミィ!!」
ファングは歯を食いしばり、さらに魔力を流し込む。
ぐりっと刃をねじ込む度に肉が裂け、骨が軋む。
「――――――!!!」
足掻く魔物を無視してさらに、ぐりぐりと力任せに押し込む。血が噴き上がってファングの身体を濡らすも、彼は怯むことなく続けた。
「ぶった斬れろォォ!!」
全身の筋肉が膨れ上がり、血管が浮き出る。
――バキン
そしてついに頸骨が砕けたのを確認したファングはそのまま力任せに横へ薙ぐ事で、巨体の首を無理やり断ち切った。
「ふぃー……まぁ大したことないな、うん」
ファングは荒い息を吐きながら、血に濡れた顔で笑った。
「……こんなもんか」
ファングは大剣を肩に担ぎ直し、転がった巨大な頭部を見下ろした。
「さて、と……頭持っていくか」
まるで狩りの成果を籠に放り込むかのような軽い口調だった。血にまみれ、頬には返り血が線を描き、片目を潰された魔獣の頭を無造作に掴み上げる。
その姿は月明かりの下でやけに映える。
少し離れた場所から一部始終を見ていたレクスディアは、静かに腕を組みながらこう思った。
お前が一番魔物っぽかったぞ――と。
◇◆◇
翌日――黒影の森を抜け、さらに半日ほど馬を走らせた先に、獣人の集落はあった。
草原の中に円形に並ぶ住居が現れた。
皮と骨組みで作られた大きなティピーがいくつも立ち並び、その周囲には干された獣皮や、狩りの獲物の骨が並んでいる。
ブラックハウンドの集落だ。
二人は馬を止め、静かに地面へ降り立った。
風に乗って、獣人特有の鋭い嗅覚を刺激する匂いが漂う。
血と土と、獣の匂いだ。
「……」
レクスディアは無言で周囲を観察する一方で、ファングはどこか懐かしそうに目を細めた。
「お、まだ同じ場所にウチがあるな」
中央からやや外れた位置にある、少し大きめのティピーを指差す。軽い足取りで歩き出すその背中は、緊張よりも高揚の方が勝っているように見えた。
だが近づくにつれ、周囲の空気が変わる。
集落の住民たち――黒い毛並みに鋭い目を持つ犬人たちが、こちらに気付き始めた。
最初はちらりと視線を向けるだけだった。
だが次第に、その目が見開かれ、ざわめきが広がる。
「……誰だ」
「外の匂いがするぞ」
「人間……」
ひそひそとした声が連鎖する。
まぁよく思われてはいなかった。
それでも2人は気にせず歩き続ける。
その時――中央のひときわ大きなティピーの幕が乱暴に開かれた。
「何事だ」
低くしゃがれた声をした年老いた犬人が現れた。
灰色がかった黒毛、片耳は欠け、顔には幾筋もの古傷が走っている。背はわずかに曲がっているが、その眼光は未だ鋭い。
彼こそ集落の長にしてファングの父――ファングを追いやった張本人だ。老人はレクスディアとファングを一瞥すると、険しい顔で言い放った。
「外から来た者よ、今すぐ立ち去らねば命はないと思え」
ブラックハウンドは排他的だ。部族以外の者を容易く受け入れはしない。まぁ無断で入ってきてるのだから当たり前だなとレクスディアは思っていた。
するとファングは口元を吊り上げながら言った。
「クソ親父、久しぶりだな」
「……何?」
老人の目がぴくりと揺れると、そのままファングを観察する。鍛え上げられた体躯とどこか見覚えのある顔立ちがマッチしてなかったのか、数秒遅れて気づいた。
「貴様……まさかファングか!?」
ざわり、と周囲が一斉に騒めいた。
「ファング?」
「あの……?」
「追い出された奴だろ?」
「あの臆病者の?」
臆病者……それが彼に貼られた烙印だった。
レクスディアは隣でただ見守る、これは彼のケジメみたいなものだ。邪魔する訳にはいかない。
「そうだよ。あの臆病者だ」
ファングはゆっくりと大剣を地面に突き立ててにやりと笑う。
「……今更……何しに戻ってきた、この恥晒しめ」
「まぁ……自分なりのケジメかな。この人……オレの師匠なんだけど、オレがわがまま言ってさ、見届けてもらいにきたんだよ」
「師匠だと? この病人みたいな男がか? くはははは!! まさかそこまで落ちぶれていたとは!」
すると一斉にレクスディアを嘲笑しだし、周りも笑い出す。レクスディアは別に何も思わなかった。このように世俗から離れた生活をしてる獣人たちが、自分たちのことを知らないのはよくある話だし、見た目だけで言えば杖をついた顔色悪い男でしかない。
ただ師匠に対して並々ならぬ感情を持つ者が、こんな侮辱を許す訳もなく――
「笑うな、皆殺しにするぞ……」
「「「「!!!」」」」
ファングから突如放たれる――ドス黒い殺意。
ブラックハウンドは一瞬で黙り込み、ファングの父でさえ冷や汗をかいていた。
(な……本当に同じファングか!? なんだこの殺意は……!!)
彼の殺意を受けた彼はある存在が頭によぎった。
それはグラヴォルグの姿だ。
部族の中で語り継がれる怪物を想起させた。
「……まぁお前らみたいな弱小かつ世界をしらねぇ奴が、この人の強さを見抜けないのも無理はないか」
「……なんだと?」
「オレがここに来たのはな……もうお前たちとの繋がりを完全に断ち切り、最後に愚かさと未熟さを思い知らせるためだよ」
ファングはそう言って後方に下がり、物陰に向かっていくと何か大きな物体を担いでまた戻ってきた。ブラックハウンドの住民はさっきから異臭を感じていたのだが、ファングが担ぎ上げたものから発せられたものだと気づいた。
「親父、あんたはオレを見捨てたな? 雑魚だと決めて……のたれ死んでも構わないと思って、そのままにした」
「……弱き者など恥でしかない。よくお前が倒れて、這うように後退りするのを見て、あんな情け無い者は我々に相応しくないと痛感したのだ」
苦い記憶が思い出される。
よく集落一番のヤンチャ坊主――テオンという少年に叩きのめされ、いじめられ、這うようにして逃げた記憶だ。
「まさか生きていたとはな……、今更戻って我々の下に戻れ――何だそれは」
「ああ……これはな、あんたがよく知ってる奴だよ」
そう言ってファングは担ぎ上げていたそれを投げ込む。
ファングの父は転がり込んできたものを見て――驚愕のあまり、後退りした。
「な……!! これは――」
「グラヴォルグ、昨日の夜に仕留めた。そいつを手土産にして持って来たんだよ」
「!?」
ファングの父だけじゃない、部族全員が驚愕していた。気づいたらグラヴォルグの頭の周りはブラックハウンドばかりになっていた。
「バカな!? これは偽物だ!! お前みたいなやつに殺せるものじゃ――」
「本物と偽物の違いすらわからなくなったかジジイ? まぁ耄碌していたら無理はないな」
「……貴様……!! どうせたまたま死骸を見つけて……千切りとってきただけだろう!!」
一向に認めない老人に呆れながらも、ファングは血に濡れたグラヴォルグの頭部を顎でしゃくった。
「ここを出てからな……オレは死ぬほど鍛えた。死ぬほど戦って、死ぬほど強くなった。あんたらが恐れて森に近づきもしなかった魔物も――」
足先で転がる巨大な頭を軽く蹴る。
「簡単に殺せるぐらいにはな」
ざわりと空気が震え、ファングは父を真っ直ぐ見据える。
「いつまでもオレを“弱いまま”だと認識してると思うと……ムカつくからな。今日はそれを思い知らせるために来たんだよ……」
その一言に、長年押し込めてきた感情が滲んでいた。
父は唸るように低く息を吐く。
「……何が望みだ。我々の英雄として認めろと言うことか? 部族の誇りとして迎え入れろと?」
周囲の住民たちが息を呑む。
確かにグラヴォルグを討った戦士は英雄の証となる。
だがファングは――
「んな訳ねぇだろバカ」
鼻で軽く笑って見下した。
「オレは思い知らせるために来たんだ、お前たちは所詮弱者だと。いつまでも小さな世界で威張ってるだけの虫だと」
次第に周りから怒りの感情が発せられるようになった。
ただファングは涼しげな顔をしている。
「そんな連中が、オレを“雑魚”だの“臆病者”だの決めつけて放逐した。その判断が、どれだけ愚かだったかを後悔させるために来たんだよ……雑魚」
「……貴様ァアアア!!」
怒号が炸裂した。
ファングの父の毛が逆立ち、吐き捨てるようにして怒りを撒き散らす。
「部族を愚弄するか!! 外の世界にかぶれただけの若造が!!」
殺気が爆発的に広がる。
周囲のブラックハウンドたちも唸り声を上げ、牙を剥いた。
「弱者だと!? 虫だと!? 貴様こそ、あの時泣きながら逃げた腰抜けではないか!! テオンに叩き伏せられ、這いずって地面を逃げたあの姿を忘れたか!?」
そしてファングの父はこの愚か者を罰することにした。
「……テオンを呼べ」
父が低く命じるとざわめきが割れ、群れの奥から一人の獣人が姿を現す。
ファングよりも頭一つ高い長身に分厚い胸板、丸太のような腕。かつて集落一番の荒くれ者と呼ばれた男は、今やそれに見合う体躯を備えていた。
鋭い犬歯を覗かせ、にやりと笑う。
「……へぇ……懐かしい顔だなぁ、おい」
テオンは鼻で笑った。
あのいじめ甲斐がある奴が現れたことに喜びすら感じていた。
「あれだけいじめてやったのに、またノコノコ戻って来たのか? バカが」
周囲から嘲り混じりの笑いが起こる。
「また這いずって逃げるか? 今度は森の奥まで追いかけてやってもいいぜ」
挑発するもファングは怒らない。
彼は静かに大剣を地面へと置いて父を真っ直ぐ見据えた。
「親父、決闘の儀をこいつとさせてくれ」
その一言に周りは沈黙する。
それはブラックハウンドに古くから伝わる伝統的な儀式だ。
族長を決めるとき、裏切り者を裁くとき、あるいは誇りを懸けた争いのときに素手のみで戦い、どちらかが死ぬまで終わらないというもの。
「お前……それが何を意味してるか分かって言ってんのか?」
テオンが目を細めながら言った。
「負けたら終わりだぞ? 言い訳も逃げ場もねぇ。本当に死ぬんだ」
対するファングは首を鳴らしてあっさり答えた。
「だから何だ? いいからかかってこい、どうせすぐ死ぬんだからな」
殺気が爆ぜる。
テオンの毛が逆立ち、牙が剥き出しになる。
「……上等だ」
父がゆっくりと腕を掲げた。
部族の者たちが円を描くように下がり、広場に空間が生まれる。
中央に立つのは、かつてのいじめられっ子と、かつてのいじめっ子。因縁の対決が始まる前にして、レクスディアはファングがずっと何がしたかったのかを理解した。
(そうか……お前は部族と縁を切りに来たんだな)
復讐の意味合いも強いのだろう。
でもそれだけじゃない。
ファングはもう過去の自分にも別れを告げようともしてる。
(見届けるよ、最後まで)
そして2人は睨み合うと――
「ブラックハウンドの名のもとに決闘の儀を執り行う……始め!」
合図と同時に、地面を蹴る音が弾けた。
先に動いたのはテオンだった。
「死ねぇッ!!」
野太い咆哮とともに、丸太のような腕が唸りを上げる。一直線に放たれた右拳は、かつて何人もの若者を沈めてきた破壊の一撃だ。
「……!」
だがテオンの拳は虚しく空間を薙いだだけだった。
ファングは半歩、身体をずらして紙一重でかわしている。
「てめぇ、逃げるな腰抜けが!」
続けざまに左、右、肘打ち、回し蹴り。
猛獣のような連撃が襲いかかる。
「また這いずって逃げる気か!? あの時みたいになぁ!」
罵声を飛ばしても当たらない。
ファングは最小限の動きで躱し続ける。足運びは滑らかで、呼吸すら乱れていない。
その様子にざわめきが広がる。
「どうした!? 怖いか!? 震えて――」
「……なぁ」
ファングが、ぽつりと呟いた。
ひらりと拳を外しながら、心底呆れた声で。
「お前って本当弱いな」
「……ッ!?」
テオンの目が見開かれた次の瞬間。
ドンッ――!!
鈍い衝撃音が鳴る。
ファングの拳が、深く、正確にテオンの腹へとめり込んでいる。それはそれはもう完璧なレバーブローが決まった瞬間だった。
「が……っ……!?」
空気が強制的に吐き出され、テオンの口から血混じりの唾液が飛び散り、膝から崩れ落ちるとその頭部をファングは容赦なく掴む。
「う、ぐ……!」
「終わりだよ」
ファングの膝が跳ね上がり、顔面に膝蹴りを叩き込む。
鼻が砕け、血が噴き出しながら意識朦朧としたテオンに対して、ファングは一瞬だけ目を細めてから言った。
「じゃあな」
振り抜かれた拳が、真正面から顔面を撃ち抜いた。
バキン、と嫌な音が響くとテオンの巨体が宙に浮き、背中から地面へと叩きつけられた。
「……ばかな……」
白目を剥き、口から血泡を零しながら、完全に沈黙しているテオンを見てファングの父は力無くつぶやいた。
「……信じられん……」
父の瞳が揺れる。
次第にそれは恐怖ではなく、怒りへと変わった。
「囲め!! その裏切り者を殺せ!! 今すぐだ!!」
周囲の戦士たちが一斉に牙を剥き、武器へと手を伸ばす。
ファングは父が現在進行形で落ちぶれていくのを見て、何とも言えない感情を抱いた。
ただこんな真似をされたら流石にレクスディアも動かない訳にはいかなかった。
「――もう終わりにしろ」
「……!!」
レクスディアが音も立てずにファングの父の眼前に現れた。
ゆっくりと見上げると、感情のない瞳がファングの父を見下ろしていた。
「テオンは生きてはいる、だがもう決着はついた。これ以上何かする必要はない」
「だが……やつは……決闘の……儀式」
「勝者であるファングに水差すのか? 族長のお前が部族のしきたりや誇りを無下にするのか?」
そう言われたらもはや何も言えない。
ファングの父が黙っているとレクスディアは少しだけ圧を込める。
「どうなんだ?」
「ひっ……!!」
後退ろうとして、足がもつれる。
尻餅をつき、地面に倒れ込むとファングは言った。
「親父……今のあんた、昔のオレみたいだな」
「あ……」
奇しくもそれは自らが愚かだと断じた、息子の逃げる様と全く同じような姿だった。
「……これからオレはブラックハウンドの名は捨てる。お前らとも赤の他人だ」
その姿を見て、ファングは決定的な一言を言った。
「オレは剣聖の
◇◆◇
夜の森を、二頭の馬が静かに進んでいく。
背後には、かつて故郷と呼んだ集落の灯りが小さく揺れていた。
しばらく無言が続いた後、レクスディアが口を開く。
「……もう未練はないのか?」
ファングは一瞬だけ振り返ると静かに答える。
「はい。もうありません。今日で全部、終わりました」
その横顔にかつての少年の面影はない。
1人の戦士がそこにいた。
「……オレの家の事情に巻き込んですみません」
ぽつりとファングは呟く。
「あなたがいなかったら、あそこまできっぱり終わらせられなかったかもしれない」
「別に構わない」
ファングは少しだけ顔を上げる。
「俺の前でわざわざ宣言したのも……理由は分かっている」
「もう過去は捨てたと、生まれ変わったと。その目で見て、証明したかったんだろ?」
図星を突かれたファングは苦笑した。
「……そうです」
少し照れくさそうに頭を掻く。
「あなたはオレにとってマスターでもありますけど……ある種、兄貴みたいに思ってるので」
その言葉にレクスディアはわずかに眉を上げる。
「ほう」
「だから……ちゃんと見ていてほしかったんです」
「世話のかかる弟だな」
「すみません。まだまだ未熟者なので」
素直に頭を下げる姿に、先ほどまでの荒々しさはない。
部族のことは割り切ったつもりでも、やっぱり完全には断ち切れていないのは明らかだった。
「テオンを殺さなかったのは何故だ?」
決闘の儀は本来、死で終わる。
だがファングは止めたのだ。
「もう、そんな価値もないです。アイツを殺したところで、何も残らない」
少しだけ目を細める。
「多分、ブラックハウンドはこれから没落していくでしょう」
族長は誇りを曲げ、決闘の掟を破ろうとした。
戦士たちは恐怖に流された。
あの瞬間、部族の芯は折れたのだ。
「でも……それで良かった」
きっぱりと言い切る。
「ブラックハウンドの教えなんて、歪んでる」
「……そうか」
その声に憎しみはなかった。
ただすべきことをした――ファングはそう思っていた。
「未来の子供たちのためにも……ブラックハウンドの在り方は、早いうちに変わった方がいいですからね」
自分のような子供が、もう出ないように。
森の奥へと馬を進めながら、レクスディアは静かに呟く。
「お前も成長したな」
「本当ですか!」
「ああ、勿論。だけど街中で戦闘モードの笑みは見せない方がいいぞ」
「何でですか! だって仕方ないじゃないですか!」
そのまま2人は和やかに話しながら帰路につく。
そしてこの日以来――ファングがマスターの猟犬宣言をしたことで、教え子たちの嫉妬を買うのはまた別の話。
面白くなっていたらいいなぁ……