ピィィィーーーッ!!
乾いた砂漠の空気を切り裂き、開戦のホイッスルが鋭く鳴り響く
その音と同時に、シロコが爆発的なダッシュで飛び出す。砂塵を巻き上げ、風を切り裂くその速度はまさに疾風
「ん、速攻で決める」
驚異的なスピードでゲヘナ陣地へと深く攻め込むシロコ。だが、彼女の瞳に映ったのは、迎撃の構えすら見せないゲヘナ風紀委員会の不気味な姿だった
「ちょっと、なんでアイツら動かないのよ!?」
最後方、ゴールキーパーを務めるセリカの驚きと困惑の声がピッチに響く
チナツも、イオリも、そして最後尾を固める一般委員たちすらも。まるでシロコのシュートを悠然と待っているかのように、その場に釘付けになったように立ち尽くしていた。その不自然な静寂が、かえってアビドスの面々に底知れぬ圧力を感じさせる
「……私たちを侮ったことが、貴方たちの敗因になるといい。『エターナルブリザード』!」
ペナルティエリアに侵入したシロコが、軸足を深く踏み込む。同時に、彼女のヘイローから溢れ出した強大な「神秘」が青白い冷気のオーラへと変質し、サッカーボールへと猛烈な勢いで収束していく。ボールが凍てつくエネルギーに耐えかねて悲鳴のような音を立てた瞬間、シロコは渾身の力でそれを蹴り抜く
極寒の猛吹雪を纏った白銀の弾丸が、大気を凍らせ、砂塵を白く染め上げながら一直線にゴールへと突き進む。アビドスの全員が、そして見ていた誰もが「決まった」と確信した、その時
「風紀の乱れは、私たち風紀委員が守るです!! 『パワーシールド』!!」
ゴール前に立ちはだかるキーパーが、気合とともに右拳を構える。全身のエネルギーを腕一本に凝縮し、力任せに地面を叩きつける。瞬間、凄まじい衝撃波と共に巨大な光の障壁がグラウンドから立ち上がった。シロコが放った渾身の『エターナルブリザード』は、そのバリアに激突した瞬間、必殺の威力を完全に殺され、力なく弾き飛ばされてしまう
「っ!? う、嘘でしょ……シロコ先輩の必殺技が、あんなにあっさりと……」
後方で戦況を分析していたアヤネの声が、絶望に震える
「っ……まだ!」
だが、シロコの闘志は潰えていない。シロコはすぐさま着地の衝撃を逃がし、こぼれたボールを拾うべく最短距離で走り出す。しかし、その先に待ち構えていたのは、鉄の規律を体現するゲヘナの守備陣だ
「もう、貴女たちのチャンスタイムは終わりです。『キラースライド』!」
「ぐっ……!?」
ボールをキープしようとしたシロコの死角から、一般委員が影のように肉薄する。鋭いスライディングがシロコの足元を正確に射抜き、ボールを鮮やかに奪い去る。しかし転倒しかけながらも、シロコは執念でルーズボールを近くのノノミへと繋いだ
「シロコちゃん、任せてくださいっ!」
「渡さないと言いましたよね。『サイクロン』!」
「っ……きゃあああ!?」
ノノミがボールを受け取った瞬間、もう一人の一般委員が鋭い回し蹴りで大気を蹴る。真空の刃が渦を巻き、突如として発生した巨大な竜巻がノノミの身体を呑み込み、彼女をボールもろとも遥か上空へと吹き飛ばし、アビドスの攻撃を完全に霧散させた
対策委員会の二人が見せた必死の抵抗。しかし、その努力も虚しく、空中で勢いを失ったボールは、重力に従って静かに落下する。その落下地点には、眼鏡の奥で冷静に戦況を掌握していたチナツが、事も無げにボールを足元に収める
「い、行かせません!!」
ノノミの窮地をカバーするべく、アヤネが勇気を振り絞って前線へ飛び出す。だが、チナツはその眼鏡の奥の瞳を冷徹に光らせ、静かに片手を掲げた
「無意味な抵抗は時間の浪費です。……貴女には、一生出口は見つかりませんよ。『ザ・ラビリンス』」
チナツが指先を鳴らした瞬間、アヤネの視界が歪んだ。何層にも重なる巨大な石壁が幻影のごとく立ち上がり、ピッチを複雑怪奇な迷宮へと変貌させた
「なっ……何これ!? 道が、出口が……っ!?」
アヤネが壁に阻まれ、前後不覚に陥って右往左往している間に、チナツは事務的な足取りでその傍らを軽々と通り過ぎる。幻影の迷宮が霧散したときには、ボールはすでに最前線で不敵に腕を組んで待ち構えていたイオリの元へと届けられていた
「イオリ、あとは任せましたよ」
「分かってるって!こんな低レベルな試合、さっさと終わらせてあげるわ!」
パスを受けたイオリが、稲妻のような火花を散らしながら爆発的な加速でゴールへ肉薄する。迎え撃つセリカは、全身の毛が逆立つような威圧感に喉を鳴らした
「っ……ぜ、絶対に止めるわよ……!」
セリカが必死に腰を落として構える。だが、イオリが放ったのは必殺技ですらない、ただの「鋭い通常シュート」だった。
「もう撃ったわよ」
「…………へ?」
シュートが放たれた瞬間、空気を切り裂く鋭い破裂音が響いた。セリカが反応することすら許されない超高速の弾丸。ボールは彼女の耳元を熱風と共に掠め、無情にもネットを突き破らんばかりの勢いでゴールへと吸い込まれた
そこからは、もはやスポーツとは呼べない、目を覆いたくなるような一方的な蹂躙が始まった
「取られたのなら……取り返すだけ!!」
執念の炎を燃やすシロコが、単身で敵陣へと突っ込む。だが、ゲヘナの守備陣は鉄の規律をもってそれを迎撃する。
「無駄です。『サイクロン』!」
「っ……!?」
再び巻き起こった暴風にシロコが吹き飛ばされ、転がったボールは瞬時に最短ルートでイオリへと繋がれる。
「今度こそ……今度こそ絶対に止めてやるわよ!」
砂にまみれ、ボロボロになりながらもセリカが叫ぶ。しかし、イオリはその瞳を血のように赤く光らせ、跳躍した
「絶望的な実力差ってヤツを、その身に刻みなさい!『デビルバースト』!!」
イオリの背中から漆黒の翼が禍々しく広がり、周囲の光を飲み込む。闇の炎を纏い、巨大な魔弾と化したボールが、大気を焼き焦がしながらセリカを強襲した。
「っ……きゃあああああ!?」
防ぐ手立てなど存在しない。凄まじい爆風と共に、セリカの身体は木の葉のようにゴールの中へと吹き飛ばされた。砂塵が舞う中、無機質なスコアボードの数字だけが、アビドスの敗北を冷酷に刻み続けていた
試合開始からわずか10分。無情な電光掲示板に刻まれた「0-10」という数字は、ピッチ上の残酷な現実を何よりも雄弁に物語っていた
ユニフォームは泥と砂にまみれ、膝は震え、荒い呼吸が砂漠の熱気に混じる。対策委員会の面々はすでに満身創痍であったが、その瞳に宿る光だけは、決して消えてはいなかった。彼女たちは沈黙の中で、冷徹なチナツたちを鋭く睨みつけ、再び立ち上がる
もはや試合と呼ぶことすら憚られるその蹂躙劇を、瓦礫の影から便利屋68の面々は息を呑んで見守っていた
(あ、アル様……。もう、早く逃げましょうよ……見つかったら大変です……)
(ま、待ちなさいよハルカ……っ)
震えながら袖を引っ張るハルカを、アルは制した。本来なら、風紀委員の目がアビドスに向いている隙にこの場を離脱するのが、指名手配犯である彼女たちにとっての「正解」のはずだった。しかし、アルの視線はこの凄惨な光景からどうしても離れることができなかった
(あの子たち……なんで逃げないのよ。あんなに、あんなに絶望的な実力の差を見せつけられて……なんで、まだ立ち上がるの……?)
アルは自称「アウトロー」としてハードボイルドな生き方を追い求めてきた。だが、風紀委員長であるヒナの存在を知る彼女は、風紀委員会には逆らえない、関わってはいけないと本能で理解し、逃げ回ることを常としてきたのだ
しかし、目の前の彼女たちはどうだ
ホシノという絶対的な盾を欠き、四人という圧倒的な人数不利。戦術も、技の威力も、何もかもがゲヘナに劣っている。それなのに、誰一人として膝をついたまま負けを認めようとする者はいなかった
(……今の、私の……どこがハードボイルドなの……?)
自問自答が、鋭い痛みとなってアルの胸を刺す
(彼女たちみたいに、たとえ勝てないと分かっていても……自分の信念のために、巨大な壁に立ち向かっていく……それこそが、私が憧れた本当の『ハードボイルド』な生き方だったんじゃないの……!?)
今まで自分が掲げてきた理想が、足元から崩れ去るような感覚。アルの心の中には、かつて抱いたことのない奇妙な動揺と、言いようのない焦燥感が黒い渦となって激しく荒れ狂っていた
ピッチの上では、思うように試合を終わらせられない苛立ちを募らせたイオリが、強引にボールを奪って再び突進を開始していた。その進路を遮るように立ちはだかったのは、すでに体力の限界を超えていたアヤネだった
「アンタじゃ私を止められない! 邪魔よ!! 『ダッシュアクセル』!!」
「……っ、通しません!……あびっ!?」
イオリが稲妻のような加速で放った強烈な体当たりを受け、アヤネの身体は木の葉のように宙を舞い、硬い地面に激しく叩きつけられた
「アヤネ!!」
先生の悲痛な叫びが砂漠に響く。だが、勝負の熱に浮かされたイオリは止まらない。彼女は倒れ伏したアヤネを冷たく一瞥すると、再びその脚に禍々しい闇のオーラを収束させ始めた
「いい加減……負けを認めなさいよ!!『デビルバースト』!!」
今日何度目か分からない、漆黒の炎を纏った魔の一撃が放たれる
死神の鎌のように迫りくるシュート。それを見つめるセリカの視界は、絶望的な破壊の光に染まろうとしていた。今のセリカの技術では、もはや触れることすら叶わないはずだった……
「……い」
誰の耳にも届かないほど、小さく、掠れた声がセリカの唇から漏れた。
ゆっくりと、セリカが顔を上げる。その瞳は、逃れられぬ死の宣告であるはずの黒いボールを、逃げることなく真っ向から射抜いていた。
「私たちが……簡単に負けを認めるわけないじゃない!!!」
セリカの全身から、これまでとは比較にならないほど激しく、燃え盛るような「気」が噴き出した。怒りと意地、そして仲間を守りたいという純粋な想いが、その右拳に目に見えるほどの熱量となって宿っていく。彼女は、自分を何度も叩きのめした恐怖の象徴であるシュートに向かって、一切の躊躇なく右拳を振り上げた
「『いかりのてっつい』!!!」
ドォォォォォン!!
空が割れるような爆音と共に、振り下ろされた巨大な光の拳が、イオリの放った闇の弾丸を真正面から叩き潰した。激突の衝撃で地面には巨大なクレーターが刻まれ、砂塵が舞い上がる。漆黒の炎を霧散させ、光に浄化されたボールは、凄まじい勢いで遥か空高くへと弾き飛ばされた
「なっ……止めた……!? 私の、『デビルバースト』を一人で……!? しかも、ついさっきグローブをはめたばかりの、素人同然のあの子が……っ!」
眼前で起きた信じがたい光景にイオリは戦慄し、その場に縫い付けられたように硬直した。地を這う闇の炎を力任せに叩き潰したセリカの右拳からは、今もなお陽炎のような熱気が立ち上っている。しかし、奇跡の代償はあまりにも残酷な形で現る
「……う、うぅ……っ」
「アヤネ!!」
光の拳が霧散すると同時に、中盤で崩れ落ちたままのアヤネが苦痛に顔を歪めた。先ほどのイオリによる強引な突破――その衝撃は、華奢な彼女の身体に深く刻まれていた。肩を抑え、荒い息をつくその姿は、もはやプレーを続行できる状態でないことは誰の目にも明らかだった
「……ここまでですね。最初から四人という数的不利があり、今また守備の要の一人が脱落した。三人に減ってしまっては、これ以上試合を続ける意義はありません。……不戦敗として、処理します」
チナツが感情を排した声で、冷淡に死刑宣告を下そうとした、その時だった
「……ちょっと、勝手に終わらせないでくれるかしら」
静寂に包まれようとしていたピッチに、場違いなほど毅然とした声が響き渡った。
砂塵の向こう、瓦礫の長い影を切り裂いて、黒いコートの裾を翻しながら歩み寄る二つの影。陸八魔アル。そして、その背後を静かに守る鬼方カヨコ。二人は悠然と、しかし確かな意志を宿した足取りでピッチへと踏み込み、呆然と立ち尽くすアビドスの面々の前に立った
「べ、便利屋……! アンタたち、まだ隠れてたの!?」
セリカが息を切らし、警戒を露わにして睨みつける。アルは一瞬、いつものように気まずそうに視線を泳がせたが、すぐに唇を噛み締め、覚悟を決めたようにセリカの目を真っ直ぐに見つめ返した
「……ムツキとハルカには、あのアヤネとかいう子の手当てをさせているわ。今頃は安全な場所へ運んでいるはずよ。……そして、この場は私とカヨコが、抜けた穴を埋めてあげる」
「何言ってるのよ! あんたたちは店を壊した敵でしょ! 今さら味方だなんて、誰が信じるっていうのよ!」
セリカの叫びに、アルの隣でカヨコが短く、溜息混じりに口を開いた。
「……貴方たちを見捨てて逃げるなんて選択、完全なアウトロー……『完璧なハードボイルド』を目指す私たちには、どうしてもできなかった。それだけだよ」
アルは一歩、泥にまみれたセリカへと歩み寄った。そして、周囲の誰にも聞こえないような、消え入りそうなほど小さな声で、震えを殺しながら呟く
「……さっきは、本当に悪かったわ。……あのお店のこと。爆破して、台無しにするつもりなんて……本当になかったのよ」
「……っ」
「……私たちが犯した不始末、そのお詫びはこの試合で必ず果たしてみせる。命に代えてもね」
セリカは驚きに目を見開いた。いつも自信満々で、どこかズレたことばかり言っていたあのアルが、これほどまでに切実な表情を見せるとは思わなかったのだ。しかし、セリカはすぐにいつもの調子を取り戻し、そっぽを向いてフンと鼻を鳴らした
「……当たり前よ! 感謝なんてしないんだからね。しっかり働きなさいよね。この後、あんたたちが壊した芝関ラーメンの片付けも、全部手伝ってもらうんだから!」
「ええ……。必ず、その恩は返すわ。今の私達は、一味違うんだから!」
「……先生!!」
セリカがフィールド脇の先生へと視線を投げる。その瞳にあるのは、もはや敵対心ではなく、共通の敵を倒すための闘志だった。先生は彼女の想いを即座に汲み取ると、審判を務める一般委員のもとへ走り、公式な選手交代を宣言した。
あまりにも予想外の展開に、一般委員たちは「指名手配犯との共闘など、前代未聞です!」と右往左往し、混乱は極まる。しかし――。
「ふん、隠れていたネズミが自ら出てくるっていうなら好都合じゃない。まとめて相手をしてあげるわよ。このまま全員、ピッチの上で逮捕してやるまでだわ!」
最前線で苛立っていたイオリが、強引にその場を黙らせた
「そ、それでは……イオリ様が認めたため、アビドス対策委員会と便利屋68の『混合チーム』の参入を正式に認めます!」
審判の絶叫が、奇跡の始まりを告げる
数分前まで命を狙い合い、憎しみ合っていた二つの勢力が、今、一つのボールを追いかけるために手を取り合う。アビドスの砂漠に、これまでにない異様な、そして熱い絆が芽生えようとしていた
「みんな、ここからが本当の反撃開始だよ!」
先生の力強い声が、ピッチ全体を鼓舞する。その声に応えるように、シロコが、アルが、そしてカヨコが、それぞれの「戦場」へと散っていく
「ん、行くよ」
「ええ、最高のショーを見せてあげるわ!」
シロコとアル。二人のエースが横に並び、ゲヘナの陣壁を睨み据える。アビドスの不屈の意志に、便利屋の狡猾なアウトロー精神が加わった。砂漠の風が、激しく、熱く吹き荒れ始める
「……ん。ここからが本当の勝負」
シロコが短く呟き、荒い呼吸を整える。ピッチの空気は、便利屋68の参戦によって劇的な変貌を遂げていた
ゲヘナ風紀委員会の一般委員によるフリースローで試合が再開される。ボールを保持したチナツは、事務的な手際でアビドスの包囲網をかい潜り、すぐさま前線のイオリへと決定的なパスを送り出そうとした
「ふん、便利屋が数人混ざったくらいで、この実力差が埋まるとでも思っているんですか?」
チナツの冷徹な声が響く。だが、そのパスコースを、影のように音もなく遮る者がいた。鬼方カヨコである。彼女は無機質な瞳の奥に鋭い光を宿し、静かに、しかし重々しく地を踏みしめた
「悪いけど、今日はちょっと本気を出させてもらうよ……。『ゴー・トゥ・ヘル』」
「っ…!?!」
カヨコが黒いオーラを纏わせた足を地面へと叩きつけると、衝撃波と共に地鳴りが響き、磁場が歪んだかのようにボールがその場に沈み込んだ。漆黒の衝撃がチナツの体勢を崩し、自由を奪う。その刹那、カヨコは鮮やかな手際でボールを奪取し、前線を見据えた。
「社長、あとは任せたよ」
「カヨコ! ナイスパスよ!」
放たれたボールは、すでに加速を開始していたアルの足元へと吸い込まれる
しかし、ゲヘナの精鋭も甘くはない。圧倒的な脚力を誇るイオリが、砂塵を巻き上げながら物凄いスピードでバックダウンし、アルの進路を完全に塞いだ
「逃がさないわよ、陸八魔アル! 隠れていればいいものを、わざわざ捕まりに出てくるなんてね!」
イオリが気迫に満ちた構えを見せる。どんなトリッキーなドリブル技が来ようとも、その瞬発力でねじ伏せてやる――そんな猛々しい意志が彼女の瞳には宿っていた。だが、アルは不敵な笑みを浮かべると、突如として足を止め、キョロキョロと周囲を見渡し始めた
「いい? イオリ……これこそが、真のアウトローだけが使いこなせる究極の必殺技よ!」
アルは唐突に、チナツが陣取る中盤のはるか上空を鋭く指さす
「見て! 『あそこにUFO』!!!」
「なにっ!? ゲヘナの増援……それとも未確認飛行物体……!?」
あまりにも真に迫ったアルの叫びと、その大仰な仕草。生真面目で職務に忠実すぎるがゆえに、「予測不能な事態」に弱いイオリの思考は一瞬でフリーズした。彼女は疑うこともなく、吸い込まれるように砂漠の青空を見上げてしまった
当然、そこにあるのは照りつける太陽と、果てしなく広がる虚無の青だけだ
「……なんてね! これがアウトローの狡猾さ、タクティカル・ハプニングよ!」
「なっ……あ、あんた! こんな……こんな卑怯な技に、私はっ……!?」
イオリが視線を戻したとき、アルはすでに鮮やかなターンで彼女の脇をすり抜け、ゴールへと突き進んでいた。背後で「屈辱よ! 一生許さないんだから!」と絶叫するイオリの声が響く
(……アルって、意外と可愛い技しか持っていないのかな)
フィールド脇で見守る先生は、そのあまりにも「アルらしい」戦法に思わず苦笑いを浮かべた。しかし、その表情の裏には確かな手応えがあった
理不尽なまでの実力差に沈んでいたアビドスの面々に、活気が戻っている。便利屋68という、予測不能で不敵な「毒」が混ざったことで、停滞していた試合の流れは完全にアビドスへと傾き始めていた
アルは地を這うような鋭い低姿勢のドリブルへ移行し、さらに加速する。屈辱に震えながら食らいつこうとするイオリの股を、精密なボールタッチで鮮やかに抜き去るその姿は、まさに一閃の銃弾
舞い上がる砂塵を蹴り上げ、全速力で敵陣へと斬り込むアル。その視線の先には、阿吽の呼吸で最高速へと到達したシロコが並走していた
かつてこのピッチで火花を散らし、死闘を繰り広げた宿敵同士。だが今、二人の間に言葉は不要だった。ただ一瞬の視線の交差だけで、互いの魂がかつてないほど深く共鳴する
アビドスの執念と便利屋の意地。対極にある二つの「神秘」が、一つのボールへと凝縮されていく。アルの足元にはすべてを焼き尽くす烈火の如き熱気が、シロコの足元には万物を停止させる絶対零度の冷気が。正反対のエネルギーが激しく衝突し、渦を巻く
「「『クロスファイア』!!!」」
咆哮と共に放たれた弾丸は、爆炎と吹雪が螺旋状に絡み合う巨大な光の槍と化した。それはもはや物理的な法則すら置き去りにし、ゴール前へと迫る
「っ……ぱ、パワーシールド……ぎゃあああ!?」
これまで鉄壁を誇ってきた風紀委員の守備陣が、防波堤を飲み込む津波のように一瞬で粉砕される。光の槍はキーパーの手を弾き飛ばし、凄まじい衝撃波を撒き散らしながら、ネットを突き破らんばかりの勢いでゴール奥へと突き刺さった
ピィィィーーーッ!!
「……やったぁ! 一点返した! 私たちの、私たちの勝ちよ!!」
セリカがゴール前から空に向かって拳を突き上げ、喉が枯れんばかりの歓喜の声を上げる。満身創痍になり、一度は絶望の淵に立たされた彼女たちが、泥にまみれながらもぎ取った一撃。一点でも取ればアビドスの勝ち――そのあまりに高い壁を、彼女たちは「絆」の力で乗り越えたのだ
しかし、砂漠に響き渡る歓声は、突如として降り注いだ冷酷なノイズによって遮られた
「……随分と、騒がしいですね。低レベルな騒ぎはそれくらいにしてください」
フィールド中央に、巨大なホログラムが青白く投影される。現れたのは、ゲヘナ風紀委員会行政官、天雨アコ。彼女は氷のように冷ややかな瞳の奥から、敗北の屈辱に顔を真っ赤にして立ち尽くすイオリを冷酷に射抜いた
「イオリ、独断専行の末にこのような無様な失態……後でじっくり反省文を書いてもらいます。……それから先生。この試合の結果を認めるわけにはいきませんね」
アコは事務的に書類を整理するような仕草で、無慈悲な言葉を継ぎ足していく
「先ほどの条件は、イオリが勝手に提示した非公式なもの。しかも、それはアビドスが4人だからこそ成立した温情です。それを便利屋を介入させて5人になった時点で、貴方たちの重大なルール違反。よって、この得点は無効……どころか、試合そのものが貴方たちの反則負けです。当然ですよね?」
「っ! ……こ、この……卑怯者!!」
流れるような屁理屈を並べ立て、強引に状況を自分たちの都合の良い色に塗り替えようとするアコ。そのあまりに理不尽な物言いに、セリカが激昂して一歩前に出ようとした、その時だった――
「……何をしてるの、アコ。……イオリも」
背後から響いたのは、地を這うような静かな、しかし抗い難い威圧感を持った声だった。その場の空気が一瞬にして凍りつき、全員の背筋に鋭い氷を押し当てられたような緊張が走る
砂塵が舞うピッチの境界線に、その少女は立っていた。小さな体に「キヴォトス最強」の一角としての重圧を纏った少女――ゲヘナ学園風紀委員長、空崎ヒナ。彼女が歩み寄るたび、乾燥した砂の音さえも恐怖に静まり返っていくようだった
「ヒ、ヒナ委員長……っ!?」
アコとイオリが、まるで見えない重力に押し潰されたかのように、即座に直立不動の姿勢をとって震え上がる。ヒナは冷徹な眼差しで二人を一瞥すると、一度深く、あまりにも深く重苦しいため息をついた。そして、フィールド脇で見守る先生の顔をじっと見つめてから、静かに、重々しくその頭を下げた
「……事前通達なく交戦、そして他校の自治区で騒ぎを起こしたこと、貴方達対策委員会を侮辱したこと。このことについては私、空崎ヒナよりアビドスの対策委員会に対し公式に謝罪する。……撤収するよ、アコ。これ以上の無意味な騒乱は許さない」
その一言で、すべてが終結するはずだった。だが、納得のいかない叫びが、砂漠の静寂を切り裂いた。
「なっ……ちょっと待ちなさいよ!?」
矛を収めて去ろうとするヒナの背中に向かって、セリカが激昂した声をぶつける。
「勝手に私たちの街へ乗り込んできて、無茶苦茶な理屈を並べ立てて……! アヤネちゃんに大怪我をさせておいて、謝罪一つで全部おしまいだなんて、そんなの通るわけないでしょ!?」
ヒナは足を止め、振り返ることなくもう一度ため息をついた。その瞳には尽きることのない深い疲労と、それ以上に一校の秩序を司る者としての絶対的な決意が宿っていた
「……分かったわ。そこまで言うなら、ここはルールに則って『サッカー』で決着をつけましょう。ただし、私はもう事務仕事で疲れているの。だから、PK戦で貴女と一対一の勝負よ」
ヒナはゆっくりと向き直り、紫色の瞳でゴールマウスの前のセリカを射抜く
「一本勝負。……もし貴女が私のシュートを止められなかったら、正式に謝罪を受け入れてもらう。それでいいわね?」
「っ……やってやるわよ。望むところだわ!」
セリカが吠える。しかし、その足元に駆け寄ったアヤネが、負傷した肩を押さえながら青ざめた顔で彼女の制服を掴んだ
「せ、セリカちゃん……やめてください……! 危険すぎます。いくらなんでも、貴女があの人の……空崎ヒナさんのシュートを止められるはずが……っ!」
「こんなのじゃ、到底納得いかないわ。アヤネちゃんを傷つけられた落とし前は、私がきっちりつけてやるのよ……!」
もはや、セリカの耳にアヤネの制止の言葉は届いていなかった。だが、強気な言葉とは裏腹に、キーパーグローブを嵌めたセリカの両手は、本能的な恐怖に抗えず小刻みに震えている。ヒナから放たれる、次元の違う「神秘」のプレッシャーが、フィールド全体を支配していた
やがて、両者がそれぞれのポジションに着く
真っ白なペナルティマークにボールを置くヒナ
そして、その数メートル先で、アビドスの命運を背負い、震える足でゴールラインを踏みしめるセリカ
砂漠の風が止まり、世界が二人だけの対峙を見守るように、静止する
「……無理はしないで。怪我だけはしないでよ……。おいで、『暗黒神ダークエクソダス』」
ヒナが祈るように、あるいは宣告するように低く呟く。その瞬間、彼女の背後の空間が歪み、深淵の底から這い出してきたかのような禍々しい紫のオーラが噴出する。それは凝縮された神秘の奔流となり、ヒナの影を飲み込むようにして、巨大な異形の化身を形作った。
「な、なにこれ……嘘でしょ……!?」
セリカの喉が恐怖で引き攣る。視界を覆い尽くすほどの巨体、威圧感。それはもはやサッカーという競技の枠組みを完全に超越した、未知の暴力の顕現だった
「あれは……化身!? 意識を物質化させ、自身の神秘を直接投影させる高等技術……! そんなの、一部の強者にしか許されない都市伝説のはず……! セリカちゃん! 逃げてください! 死んじゃいます!!」
アヤネが負傷した身体を震わせ、悲鳴に近い声を上げる。だが、ヒナの動作に慈悲はなかった。彼女が小さく一歩踏み出し、ボールを蹴り抜く予備動作に入ると同時、背後のダークエクソダスが呼応する
「『魔王の斧』」
漆黒の雲が割れ、天より降り注いだ巨大な魔斧を化身がその剛腕で掴み取る。ヒナの足から放たれたシュートは、その斧の斬撃と完全に同期し、空間そのものを切り裂きながらセリカへと襲いかかった
イオリの放ったデビルバーストが子供騙しに見えるほどの、圧倒的な格の違い。死の礫が、防壁を削り取りながら迫る。「あっ……止められない……」セリカの脳裏を絶望が支配した。反射的に腕を交差させ、迫りくる衝撃に備えて固く目を閉じる
(ごめん、みんな……)
だが、予期していた衝撃は訪れなかった。代わりに、耳元でふわりと馴染み深い、眠たげで、けれど誰よりも温かい声が響く
「……あとは任せて、セリカちゃん」
ドオオオオン!!
鼓膜を破らんばかりの凄まじい衝突音がピッチを震わせた。爆風が砂埃を巻き上げ、視界を真っ白に染め上げる。恐る恐る目を開けたセリカの前にあったのは、夕焼けのようなピンクの長い髪。自分よりも小柄なはずなのに、地平線よりも広く、不動の山よりも頼もしい「背中」がそこにあった
「「アビドスの盾」……ってね? あはは、間一髪だったよ~」
「ホシノ、先輩……!!」
そこには、『IRON HORUS』の紋章が刻まれた漆黒の巨大な盾のオーラを展開し、ヒナの断罪の一撃を左手一本で平然と受け止めたホシノが立っていた
ヒナは初心者のセリカを気遣い、出力を極限まで抑えてはいた。それでも、並の生徒であればヘイローに亀裂が入りかねない破壊的な一撃。それをホシノは、まるで昼寝の邪魔をされた時の欠伸でも噛み殺すかのような、圧倒的な余裕で受け流してみせたのだ
「……小鳥遊ホシノ。貴方、どこかで見ていたわね。……ずっと隠れていたの?」
ヒナが細い目をさらに細め、探るような視線を送る。
「いや~? たまたま到着した時にさ、風紀委員長ちゃんの派手な化身が見えたからさ。おじさん、びっくりして走ってきちゃったよ」
「……ふん。はぁ、そういうことにしておいてあげるわ」
ヒナは憑き物が落ちたように化身を霧散させると、わずかに口角を上げた。その表情には、敵に対する憎しみではなく、同格の強者と相まみえた者だけが抱く、奇妙な満足感が滲んでいた
「全員、撤退よ」
ヒナの短い号令が響く。一糸乱れぬ動きで一般委員たちが回れ右をし、行軍を開始する。イオリとチナツは、失態の責任とこれから待ち受けるであろう反省文の山を想像してか、目に見えて肩を落とし、震えながらその後を追った
ヒナは最後、静かに先生の元へと歩み寄り、二人だけに聞こえる声で告げた
「……先生。今度アビドスで開催される『フットボールフロンティア』……それには、必ず参加した方がいいわ。カイザーコーポレーションが、その舞台裏で不穏な動きを見せている。……気をつけて」
それだけを言い残し、ヒナたちは砂漠の蜃気楼に溶けるように、風と共に去っていった
静まり返ったフィールド
便利屋の協力を得て一点をもぎ取り、最強のシュートをホシノが防いだ。事実上の勝利を手にしたはずの対策委員会だったが、彼女たちの胸に去来したのは、歓喜ではなかった
目の当たりにしたヒナの圧倒的なオーラ。そして、それを軽々と防いで見せたホシノの、自分たちとはあまりにかけ離れた「高み」の実力。自分たちが立っている場所の低さを、突きつけられたのだ
シロコは震える自分の拳を強く握りしめ、セリカは守りきれなかったゴールマウスの感覚を反芻し、ノノミは静かに目を伏せて唇を噛んだ。負傷したアヤネもまた、悔しそうに下を向いている
「……もっと、強くならなきゃ」
誰からともなく漏れたその独白は、砂漠の熱風にさらわれ、高く舞い上がった
アビドス高校、再起を懸けたイレブンの道は、今ようやくスタートラインに立ったばかりだった
あまり見られてないけど気楽に書いていきます〜
次回どうしようかな…(((