スタジアムを震わせる地鳴りのような大歓声と共に、審判のホイッスルが鋭く空気を切り裂いた。
「さあ、FF予選準決勝の幕開けだ! 序盤、華麗なパスワークでボールをキープするのは便利屋68!!」
実況席のモモイの興奮した声がスピーカーを通じてスタジアム全土に響き渡る。センターサークル。ムツキから軽やかなキックオフボールを受け取ったアルは、深紅のコートの裾を鮮やかにたなびかせ、その唇に不敵な、そして絶対の自信に満ちた笑みを浮かべる
「ふふん、早速行くわよ! これが新生・便利屋68の、そしてハードボイルドな私の開幕戦術よ!」
アルは卓越したステップでアビドス陣内へと猛然と攻め込む。彼女の視界には、ディフェンスの要として構えるノノミとホシノの姿が完璧に捉えられていた。経験と勘が弾き出す。二人の距離、そして現在の位置関係からして、ここから自分のボールを奪うことは物理的に不可能なはず
(勝機は見えたわ……!)
勝利への確信を胸に、アルは必殺シュートの予備動作に入った。軸足を強く踏み込み、右足を大きく振り上げる。喉元まで出かかった、誇り高き自慢の技名を叫ぼうとした――その刹那。
(…………え?)
アルの視界の端に、現実感を欠いたノイズのような「黒い影」が走った。
「……隙だらけ」
「なっ……ごふっ!?」
死角。意識の外側から突き刺さるような冷徹な呟きが聞こえたかと思うと、次の瞬間には内臓を揺さぶるほどの強烈な衝撃がアルの腹部を襲った。シュート体制、すなわち片足立ちという極めて不安定な姿勢だったアルに、抗う術など残されてはいない。彼女の華奢な体は木の葉のように宙に舞い、緑のピッチへと無惨に叩きつけられた。
「あ、アルちゃん!?」
「社長!!」
火花が散る目を細め、芝生に這いつくばったまま前を仰ぎ見る。砂塵の中に立っていたのは、シロコだった。だが、その瞳に宿っているのは、かつて共に競い合ったライバルへの敬意でも、親愛でもない。それはまるで、獲物の息の根を止めることだけを目的とした獣のような、底冷えする無機質な光だった。シロコはアルから強奪したボールを静かに足元に収めると、転倒した彼女へ冷徹な一瞥をくれた
「シロコちゃん!? 今のはファールギリギリ……というより、完全にアウトだよ!?」
ホシノの狼狽した叫びが響く。だが、その声はシロコの鼓膜を震わせることはなかった。
「アル様ぁぁぁ!? 何をするんですか……貴様ぁぁ!!」
アルの危機に、半狂乱となったハルカが凄まじい殺気を纏って突進する。地面を抉るような気迫。しかし、シロコはその猛攻を視界の端にすら入れない。わずかに一歩、磁石が反発するようにボールを後ろに引き、最小限の予備動作でハルカを軽々と躱すと、そのまま餓えた狼の如く便利屋ゴールへと牙を剥いた。
「くふふ……大抵のことは笑って許してあげるんだけどねー……。流石にこれは、たっぷりお仕置きが必要かな」
「あんた、こんなプレイをしてどういうつもり? チームプレイを捨てるなんて、あんたらしくないじゃない」
即座にムツキとカヨコがシロコのマークに割って入る。幾多の修羅場を潜り抜けてきた二人の熟練の連携。逃げ道を完全に塞ぎにかかる二人だったが、シロコはその問いかけに一言も答えない。ただ、肺の奥を凍らせるような言葉を吐き捨てる
「……邪魔」
「「!?」」
一瞬だった。たった一言の呟きと共に、シロコの身体が爆発的な加速を見せる。物理法則を無視したかのような初速。ムツキとカヨコはディフェンス技の初動に入る暇さえ与えられず、ただのシンプルな横抜きによって、まるで静止画のように置き去りにされてしまった
便利屋のメンバーもその変貌ぶりに戦慄していたが、誰より驚愕に打ち震えていたのは、背中を預け合ってきたはずの対策委員会のメンバーだった
「っ……シロコ先輩、早すぎる! 追いつけない……!」
司令塔のアヤネが悲鳴のような声を上げるが、シロコは一度として振り返らない。単独で便利屋の守備網を紙切れのように引き裂き、ペナルティエリアまで侵入した彼女は、ゴールマウスを守るキーパーを射殺さんばかりの鋭い眼差しで射抜いた
「ひっ……!?」
便利屋68のゴールマウスを守る傭兵キーパーは、数多の修羅場を潜り抜けてきた自負があった。あの日、報酬目当てに雇われた彼女だったが、風変わりで、それでいて情に厚い便利屋の面々とボールを追いかけるうちに、いつしか仕事の枠を超えた「楽しさ」を知っていた。この大舞台で、強敵である対策委員会と真っ向からぶつかり合う。その高揚感に胸を躍らせていたはずの彼女だったが――今、目の前に立つ少女から放たれる、生命を拒絶するような圧倒的な「死」の気配に、抗うための矜持を根こそぎ叩き折られた
「……『エターナルブリザード V3』」
抑揚のない冷徹なトーンで技名が告げられた
ボールに収束された冷気は、これまで仲間たちが目にしてきた『エターナルブリザード』の威力を遥かに超越していた。大気中の水分が瞬時に氷結し、スタジアム全体の温度が数度低下したのではないかと錯覚させるほどの絶対零度の衝撃波。それが、逃げ場のないゴールマウスへと襲いかかる
「っ! 避けなさい!!今のあなたに、それを止めるのは不可能よ!!」
「っ……ひぃ!!」
突き刺さるアルの悲痛な叫びに、キーパーは辛うじて我に返った。彼女は「便利屋のゴールを死守する」という個人の願いすら捨て、生存本能のままに横へと飛び退く。直後、鼓膜を震わせる凄まじい轟音と共に、鋼鉄の糸で編まれたゴールネットが引きちぎれんばかりに波打ち、ボールは無慈悲な質量を持ってその奥へと吸い込まれた
1-0。
電光掲示板に、非情な数字が刻まれる。しかし、巨大なスタジアムには歓声も、得点を祝う称賛の声も沸き起こらなかった。観客も、対戦相手も、そして仲間たちでさえも――あまりにも異質で、禍々しい「力」の顕現を前に、ただ言葉を失い立ち尽くすしかなかった
ゴールを決め、自陣へと戻ってくるシロコの足取りは、勝利の喜びとは無縁の、精密機械のように正確で冷淡なものだった。その背中からは、先ほど放たれた絶対零度の冷気が澱のように這い出し、ピッチの草を白く変色させていく
「シロコ先輩……どうしたんですか……? 今のプレイは、あまりに強引すぎます……っ!」
堪り兼ねたアヤネが駆け寄り、震える声で問いかける。ノノミやセリカも、普段の彼女とは決定的に何かが違うその様子に、かけるべき言葉が見つからないまま、金縛りにあったように動けずにいた
「……」
「シロコちゃん、少し落ち着こうか。今の君を見てると、おじさん、なんだか少し怖くなっちゃうよ」
ホシノがいつもの飄々とした調子を必死に保ちながら、諭すようにシロコの肩へ手を置こうとする。しかし、シロコはその手を、泥を払うかのような冷淡さで無造作に振り払う。その瞳は、確かに目の前の仲間たちを捉えているはずなのに、その焦点は遥か遠く――血の匂いが漂う、暗く深い深淵を見つめているようだった
「……点は、私一人で決める。だからみんなは、邪魔にならないように後ろにいて」
「なっ……!何言ってるのよ!私たち、チームでしょ!?一人で戦ってるつもり!?」
セリカの悲痛な叫びさえ、今のシロコの鼓膜には届かない。彼女はただ、次の獲物を待ち侘びる飢えた獣のような眼差しで、再びボールが動き出すのを待つセンターサークルを凝視していた
(シロコの様子が明らかにおかしい…だけど…今の私ができることはない…)
ベンチで見守る先生も、その異様な光景に拳を握り締め、唇を強く噛み締める。対策委員会は5人ギリギリの編成。控え選手はおらず、戦術的な交代カードを切ることもできない。今はただ、フィールド上の彼女たちの絆を信じ、この嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
「アル様!」
ハルカの鋭いキックオフにより、試合が再開される。ボールは再び、プライドを深く傷つけられたアルへと渡った
「シロコ、今のあなた、この前とは雰囲気が全く違ってまるで別人のようね。……でも! 私の社員を怖がらせたこと、絆に傷をつけるような不作法なプレイをしたこと……後悔させてあげるわ!!」
憤怒に燃えるアルが、激しく翻るコートと共にボールをキープしながらシロコと正対する。その瞳には、仲間を怖がらせたこのへの純粋な怒りと、アウトローの社長としての意地が宿っていた。しかし、シロコはそんなアルの熱い感情など露ほども視界に入れず、ただ無機質な暴風のようなプレッシングを仕掛ける
(っ!? この子……スピードもパワーも、ミレニアムとの試合の時より格段に上がってる……!?)
「……弱い」
「きゃっ!?」
アルは必死に軸足を強め、ボールを守ろうと踏ん張る。だが、シロコの動きはもはや人間の限界を超え、物理法則を無視した不自然な加速でアルの懐へと食い込んでいく。肉体同士がぶつかり合う鈍い衝撃。アルの華奢な体躯はシロコの暴力的な突進に容易く弾き飛ばされ、ボールは再び、無慈悲な略奪者の足元へと収まった
「……終わり」
シロコは最短距離で最短の勝利のみを渇望し、再びペナルティエリアへと侵入する。右足に収束されるのは、先ほどゴールネットを破壊せんばかりに荒れ狂った『エターナルブリザード V3』。絶対的な終焉を告げる蒼白の弾丸が、再び便利屋のゴールキーパーを襲う
「社長が私たちのために必死に繋いだ舞台を、こんな独りよがりな力に壊させるわけにはいかないの」
カヨコが鋭く、凛とした声を張り上げた。その背後に、呼応するようにハルカとムツキが並び立つ。
「練習の成果、ここで見せなきゃね!」
「私も……いつまでも足を引っ張ってばかりなのは嫌なんです!!」
三人の気が完全に一つへと重なり、ピッチ上に巨大な石積みの城壁が刹那の間にそびえ立った
「「「一夜城!!!」」」
激突
漆黒を帯びた吹雪の衝撃波と、便利屋たちの固い絆が具現化した城壁が正面からぶつかり合う。スタジアム中に金属が軋むような轟音が鳴り響き、激しい火花が散る。あれほどまでに猛威を振るったシロコの強烈なシュートが、便利屋68の意地の前に初めてその勢いを完全に削ぎ落とされ、弾き飛ばされた
「っ!? ……と、止められた……!?」
初めてシロコの瞳に、戸惑いに似た揺らぎが走る。だが、便利屋の反撃は止まらない
「社長、任せたよ!」
カヨコが弾かれたボールを即座に回収し、起死回生の超ロングパスを放つ。それは美しい放物線を描いて空を切り、最前線で虎視眈々と逆襲の機会を待っていたアルの元へと吸い込まれていった
「……任されたわ! 社長として、そしてこのチームのキャプテンとして……これ以上、格好悪い姿なんて見せられないもの!!」
最前線でロングパスを足元に収めたアルの全身に、沸騰するような熱い衝動が駆け巡る。仲間の想い、挫折の悔しさ、そして自分を信じてくれる社員たちの視線。それら全てが一本の導火線となり、彼女の魂に火をつけた
「行かせないよ、アルちゃん!」
「止めます!」
アビドスの最終防衛ライン、ホシノとノノミが、波に乗るアルを食い止めるべく完璧なタイミングで立ち塞がる。その鉄壁のプレッシャーを前にしても、今のアルに微塵の揺らぎもなかった
(体の奥から、力が溢れ出してくる……これなら、いける……!)
アルの身体から、どす黒く、しかしどこか気高く、誇り高い漆黒のオーラが爆発的に噴出した。それは抑圧された感情が、限界を超えて臨界点に達した瞬間にのみ現れる、真の力の胎動。スタジアムの空気がみしりと軋み、観客席の喧騒さえも一瞬で飲み込むほどの圧倒的な質量
「顕現しなさい! 『幻影のダラマンガラス』!!」
アルが天を指差すと同時に、その背後から巨大な装飾杖を携えた、不気味かつ優雅な奇術師の幻影が姿を現した。便利屋68の社長としての矜持が形を成した、彼女にとって初めての「化身」の降臨である
「――ぶちかましなさい! 『ダンシングゴースト』!!」
「っ!? 何これ……!?」
アルの杖の一振りに呼応し、虚空から召喚された無数の紫煙のゴーストたちが、ホシノとノノミの周囲を狂ったように踊り狂う。ただの幻影ではない。物理的な質量と呪縛の力を伴った舞踏に足を取られ、アビドスが誇る最強の二人の動きが、文字通り空間に縫い付けられた
「はぁぁぁぁ!! これで終わりよ!!」
アルはその刹那の隙を見逃さない。化身を纏ったまま、全身のバネを使い切るような渾身のノーマルシュートをボールへと叩き込む。化身の魔力が上乗せされたシュートは、紫色の尾を引きながら、うねるような軌道でゴールへと肉薄した。
「なっ……間に合わ……っ!!」
ゴール前で構えていたセリカは、アルが放った突然の化身発動と、その禍々しいまでの威圧感に一瞬だけ思考が白濁した。必殺技を繰り出すコンマ数秒の猶予すら奪われ、反応が遅れた彼女の脇を、ボールは無慈悲な音を立ててゴールネットへと突き刺さった
ホイッスルの音が鳴り響き、電光掲示板に**「1-1」**の文字が鮮烈に表示される。
「アルちゃんやるー! さすが社長、期待を裏切らないね!」
「あ、アル様ぁぁ! 最高にかっこいいです! 一生ついていきます!!」
「ふふ、まさか本当にこの土壇場で化身を引き出すなんてね。……こういう泥臭いのも、悪くないわ」
歓喜に沸くムツキ、涙を流して咆哮するハルカ、そして満足げに微笑むカヨコ。便利屋68の絆が、最強の略奪者と化したシロコの独走を止め、ついに試合を振り出しに戻した瞬間だった
便利屋68の陣営には、同点弾の興奮と確かな手応えによる晴れやかな笑顔が戻っていた。しかし、対照的にその光景を見つめる砂狼シロコの表情は、底なしの沼のように暗く、深く沈み込んでいった
(アルですら、化身を……。なのに、私は……? 自分のシュートを、あんな奴らに止められて……。これじゃ、勝てない。もっと、もっと圧倒的な力が……)
「……シロコ先輩……?」
アヤネの震える声も届かない。シロコの足元から、不気味な漆黒のオーラがどろりと這い出し、霧のように立ち込め始める。それは純粋な勝利への渇望が、どす黒い自己嫌悪と他者への憎悪へと変質していく不吉な予兆だった
その異変に、ただ一人、本能的な危うさを感じ取ったのはホシノだった。先程、廊下の闇で耳にした「あの声」の予言が、最悪の形で現実になろうとしている。ホシノの脳裏に、かつて自分が失ったもの、守れなかったものの記憶が過り、背筋に冷たい戦慄が走った。
「……セリカちゃん! 悪いけど、おじさんにボールを頂戴!!」
いつもの昼行灯な昼寝好きの先輩という雰囲気は、塵一つ残っていない。ホシノの鋭く、切羽詰まった怒号に近い声がピッチの端々まで響き渡った
「!?……ホシノ先輩!」
セリカは一瞬その剣幕に圧されながらも、ゴール内に転がっていたボールを掴み、吸い寄せられるようにホシノへと強く投げ返した。ボールを受け取ったホシノの瞳に、決死の覚悟が宿る
「――悪いけど、一度頭を冷やしてもらうよ、シロコちゃん!」
ホシノは自陣深く、センターラインの手前でボールを蹴り上げた。それはまるで意志を持つ生き物のように虚空へと跳ね上がる。ホシノはそのボールをサーフボードのように足元に捉え、物理法則を無視した軌道で天空へと駆け上がった
「ホシノ先輩……あんな技を持ってたの……!?」
「『スパークルウェイブ』!!」
セリカの驚愕を切り裂き、夜空を無理やり引き寄せたような星々の煌めきがピッチを照らす。星屑と共に急加速し、光の奔流となったボール。しかし、その必殺の弾丸が狙う先はゴールマウスではなく――どす黒い闇に呑まれかけ、幽鬼のように立ち尽くすシロコの横腹だった
「っ!?」
スタジアム全体が、肺の空気を全て吐き出すような衝撃に包まれた。ホシノが放った『スパークルウェイブ』の直撃を受け、シロコの身体は真横から叩き伏せられる。衝撃波に煽られ、彼女の華奢な体はピッチの上を無残に数回転し、土煙の中に横たわった。
「シロコちゃん!!」
ホシノは砂塵を蹴立て、転倒したシロコの元へなりふり構わず駆け寄る。その瞳には、かつてないほどの激しい動揺と、壊れゆくチームメイトを案じる悲痛な色が混ざり合っていた。
「……何をするの、ホシノ先輩」
土に汚れ、銀色の髪を乱したシロコが、ギチギチと関節を鳴らしながらゆっくりと上体を起こした。その視線は凍りついた刃のように鋭く、剥き出しの敵意を宿してホシノを射抜く。だが、ホシノは一歩も退かず、絞り出すような声で叫んだ
「あんなプレイ、いつものシロコちゃんらしくないよ! アルちゃんたちに、あんなラフプレイを仕掛けて……仲間を無視して、ただ一人で戦うなんて……そんなの、アビドスのサッカーじゃない!」
「らしくない……?」
シロコはフラフラと立ち上がり、自身の掌を、まるで他人のものを見るような目で見つめた
「……セリカや、「あの」アルだって……この土壇場で化身を発動できた。エースとして点を取る私が、誰よりも強くならなきゃいけないのに。力が足りないなら、一人でだって……全てをなぎ倒してでも、私は……」
「シロコ……先輩……?」
どろりとした執着という名の猛毒が、再び彼女の言葉を、そして心を侵食しようとする。セリカ、ノノミ、アヤネ、そして対戦相手である便利屋68の面々までもが、ピッチの中央で渦巻くただならぬ気配に導かれるように、磁石に吸い寄せられる鉄屑のごとく二人の周りに集まっていた
スタジアムの喧騒が嘘のように引き、重苦しい静寂がピッチを支配したその時だった
(パァン!)
乾いた、そしてあまりにも鮮烈な衝撃音が、コンクリートの巨壁に反響してスタジアム中に鳴り響いた
衝撃に弾かれ、シロコの顔が大きく横を向く。銀色の髪が乱れ、視界が火花を散らす
「…………え?」
唖然として、熱を帯びた自分の頬を震える指先で押さえるシロコ。その目の前に立っていたのは、激しい呼吸で肩を上下させ、剥き出しの怒りに瞳を燃え上がらせた陸八魔アルだった。振り抜かれた彼女の右手は、微かに震えている
「……貴方は、その程度の器だったの? 砂狼シロコ」
アルの声は低く、地を這うような重みと、鍛え上げられた鋼のような硬質さを宿していた
「私が認めたアビドス対策委員会は……どんな理不尽な強敵に直面しても、どれほど泥にまみれて惨めに地を這っても、最後には仲間の力を信じて、泥臭く一緒に立ち向かっていく……。そんな、誇り高い奴らだと思っていたわ」
アルは一歩踏み込み、シロコの胸ぐらを掴まんばかりの距離でキッとその瞳を射抜く
「それなのに、今の貴方のプレイは何!? 独りよがりで、寒々しくて、見ていられないわ! そんな、心も絆も捨て去った空っぽのシロコに……私たち便利屋68が、一秒でも遅れを取るはずがないでしょう!」
魂を叩きつけるようなアルの叫び。その一言一言は、漆黒の霧に深く覆われていたシロコの意識に、容赦のない楔となって深く突き刺さった
ハッとして、シロコの視界が激しく揺れる
せき止められていたダムが決壊するように、脳裏へと濁流の如く流れ込んできたのは、これまで積み重ねてきたかけがえのない日々の記憶だった
初めて便利屋とぶつかり合ったあの砂漠の練習試合。圧倒的な戦力差で迫り来るゲヘナ風紀委員会との絶望的な死闘。緊張と高揚の中で初めて公式戦の舞台に立った補習部との一回戦。そして、バラバラになりかけたチームを再び一つに束ね、奇跡のような勝利を掴み取ったミレニアムとの激闘
どの瞬間を切り取っても、そこには息が切れるほどの苦しさがあった。けれど、それ以上に確かな体温を持って「みんな」が隣にいた。パスを通し、互いの名前を枯れるほど呼び合い、共に笑い、泥に汚れた顔を拭い合った。勝利の美酒も、敗北の苦渋も、常に独りではなく、五人で等しく分かち合ってきたはずだ
それなのに、今の自分はどうだ。独りで点を取れば、独りで強くなれば勝てると。仲間の存在すら邪魔な計算式の一部として排除し、ただ冷たく、虚無に近い「力」の深淵だけを覗き込んでいた
「シロコ先輩……」
アヤネが、今にも壊れてしまいそうな繊細な宝物を扱うような、けれど限りなく慈愛に満ちた温かい眼差しでシロコを覗き込む
「シロコちゃん、もし悩みがあるなら……おじさんに話して? これでも一応、君の先輩なんだからさ」
ホシノが、先ほどまでの厳しい表情を解き、いつもの柔らかな手つきでシロコの頭を優しく撫でる。その掌の熱が、凍てついていたシロコの心をゆっくりと溶かしていく
「そうですよ。私たちは五人で初めて『アビドス対策委員会』なんです。一人で全部抱え込もうとしたら、私たちが寂しいじゃないですか」
ノノミが、聖母のようなにこやかな笑顔でシロコを見つめる。その瞳には、一切の責める色などなかった
「シロコ先輩のシュート……いつもは無茶苦茶かっこいいと思ってたけど、今日のは……なんだか、すごく怖かったわ。だから、お願い。いつもの、私たちのシロコ先輩に戻ってよ」
普段は強気な言葉ばかりを並べるセリカが、今は迷子を心配する子供のように、弱々しく、けれど真っ直ぐな言葉でシロコに縋った
「…………っ。……ごめん、みんな。私、どうかしてた。……アル、貴女もありがとう。……私、やっと目が覚めたよ」
シロコは深く、深く頭を下げた。自分をどこまでも案じてくれた大切な仲間に。そして、己の傲慢を拳で、言葉で、真っ向から打ち砕いてくれたライバルに
彼女の周囲を覆っていた禍々しい黒いオーラは、春の陽光に晒された霧のように跡形もなく霧散していた。再び顔を上げたその瞳には、以前よりも澄み渡り、静かだが決して絶えることのない熱い闘志の光が宿っていた
「ふん、それでこそ、私たちが本気で勝ちたいと思った……最強のライバル、アビドス対策委員会よ!」
アルは満足げに鼻を鳴らし、再び不敵な、そして晴れやかな笑みを浮かべて真っ赤なマントを派手に翻した。その背中は、かつてないほど「ハードボイルド」に、そして何よりも頼もしく、夕映えのスタジアムに輝いて見えた
シロコは静かな足取りでピッチの中央、センターサークルへと向かい、白線の上にボールを据えた。その視線の先にあるのは、便利屋68のゴール。だが、そこに宿る光は先ほどまでの凍てつくような殺気ではない。自分を暗い深淵から引き戻してくれたアルたちへの、ライバルとしての深い敬意。そして、間違った道を選びかけた自分を正してくれた仲間たちへの、精一杯の「恩返し」を誓う、澄み渡った青い炎のような闘志だった
「ん……今度こそ、本当の私たちらしいプレイで、決勝点は貰っていく」
その言葉に、背後を守る仲間たちが力強く頷く。
「シロコ先輩、行きますよ! 私たちの絆、見せてあげましょう!」
アヤネの鋭く正確なパスがシロコの足元に吸い込まれる。再開のホイッスルと共にシロコが地を蹴った。その加速は先ほどよりも軽やかで、迷いがない
「そう簡単に通すほど、私は甘くないわよ!」
目前に立ち塞がるのは、不敵な笑みを湛えた陸八魔アル。化身の余韻を纏った圧倒的な威圧感がピッチを支配する。正面突破か、それとも回避か――シロコが重心を沈めたその瞬間
「……なんてね?」
アルが小悪魔的な笑みを浮かべ、あえてシロコの横を風のように通り過ぎた。
「なっ……!?」
シロコが虚を突かれた刹那、視界の下から泥臭く、執念の塊のような「影」が飛び込んできた。いつの間にか背後で気配を完全に殺し、アルの動きを囮にして潜んでいたハルカだ
「アル様のためなら、私は……地の果てまで食らいつきます!」
ハルカの捨て身のスライディングが、シロコの足元から鮮やかにボールを奪い取る。
「アル様ぁぁ!!」
「ハルカ、最高のパスよ! 全員、私に続きなさい!」
ボールを回収したアルが、勝利の女神をその背に従えるかのようにアビドス陣地へと猛然と切り込む。だが、そこにはアビドスの二枚看板、ノノミとホシノが壁となって待ち構えていた。
「いかせないよ、アルちゃん! ここからはおじさんたちも本気だ!」
「必ず止めます!私だって勝ちたいんです! 」
二人の鉄壁のディフェンスがアルを挟み込む。しかし、アルの瞳に宿る輝きは消えない。むしろ、強敵との邂逅を喜ぶかのように、その身体から再び漆黒のオーラが爆発した。
「はぁぁぁ……! 来なさい、私の誇りの象徴! 『幻影のダラマンガラス』!」
スタジアムを圧する咆哮と共に、巨大な奇術師の幻影がピッチに降臨する。
「踊り狂いなさい! 『ダンシングゴースト』!!」
「くっ…!?」
「きゃっ!?」
召喚されたゴーストたちが乱舞し、ホシノとノノミの視界と足取りを幻惑する。一瞬の硬直。アルはその僅かな隙間を縫うように、重戦車のような迫力で二人を軽々と抜き去った
ついに訪れた、守護神セリカとアルの1対1。
「来なさい、アル! 今度は絶対に止めてみせるわ!」
セリカが身構える。先ほどの失点で気を引き締め直した今の彼女から点を奪うのは、至難の業だ。アルは冷静に分析する
(……この化身の力押しだけじゃ、今の油断していないセリカを打ち破るのは難しい。……だったら、これよ!)
アルはあえて、背後の巨大な化身を霧散させた。魔力の奔流が消え、静寂が訪れた瞬間に、アルは渾身の力でボールの側面を十字に切り裂くように叩く
「 『クロスドライブ』!!」
「っ!? どこに打って……えっ、そっち!?」
放たれたのはシュートではない。ゴールから大きく逸れた、誰もいないはずのスペースへの超高速弾。セリカがその意図を測りかねて戸惑った刹那、死角から音もなく一条の閃光が突き抜けてきた
「ナイスパス、社長。……仕上げは私に任せて。『刹那ブースト』!」
いつの間にか、誰よりも早く前線へ影のように進出していた鬼方カヨコ。彼女がアルの放ったパスをダイレクトで捉え、さらに威力を上乗せする「シュートチェイン」を敢行した。二段構えの奇襲に、セリカは化身を発動するタイミングを完全に奪われる
「くっ……負けるもんか! 『熱血パンチ 改』!! ……きゃあああっ!?」
咄嗟に全神経を集中させた拳を繰り出すセリカだったが、二人の絆が乗ったシュートの威力は、その防壁を容易く粉砕した。衝撃波に弾き飛ばされ、セリカの体はゴールマウスの中へと無様に転がっていく。爆発的な轟音と共に、アビドスのゴールへと吸い込まれようとしていたボール。誰もがその瞬間、勝負が決したと確信し、スタジアム中の視線がネットの揺れを予期して固定された。しかし、その結末を真っ向から拒絶する叫びが、ピッチの底から突き抜けた。
「まだ……まだですッ!!!」
「なっ……!?」
カヨコの驚愕に満ちた声が木霊する。ゴールラインの僅か数センチ手前、神速の反応で飛び込んできたのは、司令塔として自陣深くへ全速力で帰還していたアヤネだった。もはや技術や戦術ではない。泥臭く、執念だけでその身を投げ出した彼女の華奢な体躯が、勢いを失いかけていたボールを正面から受け止める。衝撃に突き飛ばされながらも、アヤネは執念でその球筋を殺し、自らの支配下に置いた
「シロコ先輩ッ!!」
アヤネの喉を裂くような咆哮と共に、起死回生の超ロングパスが放たれた。それは美しい放物線を描き、最前線で孤高の影を落としていた砂狼シロコの元へと、吸い込まれるように繋がっていく
(……そう。初めて便利屋のみんなと戦ったあの時も、私はこうしてアヤネのパスを貰ったよね)
足元に収まるボールの重み。そこにはアヤネの、そして対策委員会全員の勝利への渇望が宿っていた。シロコの脳裏に、かつて共に戦い、辛くも勝利を掴んだ瞬間の記憶が奔流となって流れ込む
(私は……一人で戦っているわけじゃない。仲間の背中を預かり、みんなの想いを乗せて、私はここに立っているんだ……!)
その自覚が引き金となった。シロコの全身から凄まじい純白の光が溢れ出し、心の中で渦巻いていた不気味な黒い澱を一瞬で焼き払った。光の奔流の中で、彼女の姿が劇的な変貌を遂げていく。獣耳はそのままに、銀色の髪は艶やかな黒へと染まり、その瞳には知性の象徴である青色の眼鏡が浮かび上がる
光が収まった中心に立っていたのは、シロコの鋭敏さとアヤネの理知的な風格を融合させた、奇跡の結実だった
「あれは……『ミキシマックス』……!?」
ベンチで戦況を見守っていた先生が、その信じがたい光景に驚愕の声を上げる。
「化身と同じ…他者のオーラを己の魂に融合させ、潜在能力を極限まで引き出すという都市伝説の技……!」
「あれは……アヤネちゃんなの……? それともシロコちゃん……?」
仲間たちが呆然と立ち尽くす中、アヤネの鋭く冷徹なオーラを纏ったシロコが、ピッチに猛烈な旋風を巻き起こしながら右足を振り抜いた。シロコの爆発的な脚力に、アヤネの緻密な魔力制御が加わった至高の合体シュート
「アヤネ……力を借りるよ。『ゴッドウィンド』……!!!」
放たれたボールは、スタジアムを飲み込まんばかりの巨大な竜巻を纏い、天を衝くほどの威容で便利屋ゴールを強襲した。大気が鳴り響き、ゴール裏の観客席まで届くほどの衝撃波がピッチを揺らす
「ま、負けたくない……!! 私だって、このチームで戦って、みんなと一緒に強くなってるんですッ!!」
便利屋に雇われた傭兵キーパーが、身を削るような恐怖を剥き出しの闘志でねじ伏せ、吠えた
「よく言ったよ、傭兵ちゃん! 私たちも乗るよ!」
「絶対に止めて……アル様にもう一度、最高のパスを繋げるんです!」
「「「『トリプルディフェンス』!!!」」」
ムツキとハルカが瞬時にキーパーの背後に潜り込み、三人の肉体と意志を鋼の盾として一つに束ねた
「ぐっ、ぐぐ……ぁぁぁ!!」
傭兵が激痛に耐えながらボールを正面で受け止め、それをムツキとハルカが背中から全力で支え抜く。凄まじい摩擦音が響き、竜巻の威力がミリ単位で削られていく。だが――
「きゃああああああっ!?」
絆によって覚醒したシロコの『ゴッドウィンド』は、その懸命な防壁さえも無慈悲に粉砕した。絶対的な破壊力を伴った衝撃波と共に、三人の体はゴール奥のネットへとまとめて叩き込まれた。鋼鉄の糸で編まれたネットが千切れんばかりに激しく波打ち、審判のホイッスルがスタジアムの喧騒を切り裂いた
2-1。
あまりにも劇的な逆転劇。審判の長い笛の音が鳴り響き、FF予選準決勝、その過酷な死闘の勝者はアビドス対策委員会に決定した
激闘の余韻が冷めやらぬスタジアムの喧騒を背に、アビドス対策委員会と便利屋68の面々は、共に同じ待機室へと戻っていた。室内には、勝利の熱量と敗北の悔恨、そして何より死力を尽くし合った者同士にしか流れない、奇妙に澄んだ空気が漂っている
「負けた……あんなに社員のみんなが頑張ってくれたのに、社長である私が……」
ベンチに深く腰掛けたアルは、トレードマークのマントを力なく垂らし、目に見えて項垂れていた。完璧なアウトローとしての計画が崩れ去ったショックか、あるいは全力を出し切った反動か、その背中からはいつもの自信満々なオーラが消え失せている
「ア、アル様……! そんなに自分を責めないでください! 元気を出してください……っ、そうだ、今すぐ景気づけに私の『人間花火』をご覧になりますか!?」
「それはやめてちょうだい!?」
隣で半狂乱になっていたハルカが、主の落胆を汲み取りすぎて、自らの体に物騒な爆弾を巻き付け始めた。慌てて飛び起きたアルが、涙目になりながらその狂行を必死に制止する。そんな便利屋らしい、どこかコミカルで騒がしいやり取りを見つめていたシロコが、意を決したように歩き出し、アルたちの正面に立った
シロコは静かに、けれど深く、腰を折って頭を下げた
「アル、便利屋のみんな……改めて、本当にごめん。私、どうかしてた。勝つことだけに囚われて、あなたたちに対してあんな非道な真似を……」
沈黙が流れる。しかし、アルは顔を上げると、少しだけ照れくさそうに、けれど晴れやかな笑みを浮かべてマントを翻した
「……いいのよ。最初の方は確かにどうかしていたけれど、最後は最高にハードボイルドで、いい試合だったじゃない。私を本気にさせたんだから、誇りなさい!」
「そうそう〜終わりよければすべてよしってね! シロコちゃんのあの新しい技、すっごくワクワクしちゃった!」
アルの寛大な言葉に、ムツキがいつものようにクスクスと笑いながら同意する。その言葉に救われたように、シロコは長く止めていた息を吐き出し、ホッと胸を撫で下ろした。しかし、その場の空気を引き締めるように、カヨコが鋭い視線をシロコに向けた
「……和解できたのはいいけれど、シロコ。何があったのか、詳しく教えて欲しいわ」
「うん、おじさんもそれが一番気になってるかな。昨日の練習までは、シロコちゃんはいつも通りだったよね?」
カヨコの真剣な問いに、ホシノもまた、普段の昼行灯な様子を消して頷く。シロコは少し罰が悪そうに視線を泳がせた後、ぽつりぽつりと昨日起きた「怪異」について語り始めた
「……昨日、帰り道のことなんだけど。暗闇の中から現れた誰かに話しかけられて……『後輩は凄い勢いで成長しているのに、お前は停滞している』って言われたの。反論しようとしたけれど、私の渾身のシュートを、その人は……必殺技も化身も使わず、ただ片手で、赤子を扱うみたいに止めた」
「シロコ先輩のシュートを……片手で……?」
話を聞いていたセリカが、戦慄を隠せずに絶句する。シロコの『エターナルブリザード』がどれほどの威力を持つか、身をもって知っている彼女たちにとって、それは怪談に等しかった
「そこからの記憶が曖昧で……ただ、暗い闇の中で『もっと強くならなきゃいけない』っていう声だけが、ずっと頭の中に響いてた」
「……シロコちゃん、他にも何か言われたりしなかった? 相手の正体に繋がるような、些細なことでもいいから」
ホシノの問いかけは、どこか切羽詰まったような熱を帯びていた。いつになく真剣な先輩の様子に少し驚きながらも、シロコは腕を組み、記憶の断片を懸命に手繰り寄せる。そして、ふと思い出したように顔を上げた
「そういえば……その人、私のことを『アヌビス』って呼んでいたような気がする」
「……っ!」
その名がシロコの唇から零れた瞬間、ホシノの瞳が大きく見開かれ、身体が微かに震えた
「アヌビス……? エジプト神話の神様の名前?」
アヤネやノノミが不思議そうに首を傾げる中、ホシノだけが、まるで目に見えない巨大な影に射すくめられたかのような表情で立ち尽くしている
「ホシノ先……」
シロコが異変に気づき、声をかけようとしたその時――
「もう! そんな湿っぽい話は、勝利の余韻が台無しよ! 私たちに勝ったのだから、盛大に祝勝会をやりなさい!」
場を支配しかけていた停滞を打ち破るように、アルがパンと勢いよく両手を叩いた。それは、沈みかけていた対策委員会のメンバーを鼓舞し、ホシノの異変から意識を逸らさせるための、彼女なりの不器用な気遣いだった
「そ、そうね! 私たち、次は決勝戦なんだから……今は前向きに、美味しいものでも食べて精をつけなきゃ!」
セリカもアルの意図を汲み取ったのか、慌てて明るい声を出す。先ほどまでの重苦しい空気はどこへやら、負けてしまったはずの便利屋を交えて、祝勝会という名の「反省会」をどこで開催するか、メンバーたちは思い思いの候補地を挙げ始めた
「あっ、ごめん! おじさん、これからちょっと急な用事があるのを思い出して……。みんなだけで先に楽しんでて!」
しかし、ホシノだけはどこか焦ったような足取りで、そそくさと部屋の出口へと向かう
「ホシノ先輩? どこに……」
「大丈夫、すぐ戻るから! じゃあね!」
呼び止めるアヤネの声を背中で受け流し、ホシノは逃げるように部屋を飛び出していった
「用事があるなら仕方ないわね……。さあ、ここはアウトローな私が最高にクールなお店を決めてあげるわ!」
「ふふふ、アルちゃん、それは祝勝会じゃなくて『完敗した便利屋の反省会』になっちゃいそうだけどね♪」
「ムツキ! 余計なことは言わないで頂戴!」
アルの空回る熱意にムツキの茶化しが重なり、待機室は再びいつもの騒がしくも温かな活気で満たされた。笑い声を上げるシロコも、呆れながらも微笑むノノミたちも、まだ気づいていなかった
自分たちの背後で、運命の歯車がどれほど不気味な音を立てて回り始めているのかを。そして、独りスタジアムの影を走るホシノの瞳に、どれほど深い孤独と決意が宿っているのかを
嵐の前の静けさは、ゆっくりと、けれど確実に、決勝の地・ゲヘナ学園へと繋がっていく