無造作に、死体がひとつ、斉王都の地面になげだされた。
長い黒髪をした、なかなかの美男子だが、表情は破れた野望のいたみに醜くひきゆがんでいる。
死体にとりすがって泣いているのは、ひとりの美女。
そして寝具から身を起こし、短筒を手にしたまま、しずかにひとりとひとつの死体を眺めているのもまた、隻眼の美女であった。
「正宗公、このようなことになりまして、誠に申し訳もあいなく」
慇懃に下げられるのは、五丈の軍師、師真のあたま。
かれに向けられる隻眼の美女――正宗とよぶべきか、紅玉とよぶべきか――のひとつきりのひとみは、ひときわつめたい。
ふ、と銃口からたちのぼるけむりを吹く。
「おとこをあてがってくれるとは、五丈もなかなか気が利くではないか」
「なんと、この不埒者はそのようなことを」
「おんなは抱いてしまえばいうことをきくと思ったのであろうよ。竜王どのが羅候とのいくさに向かわれたあとの、みやこを手中におさめようとさそいをかけてきて、ことわったら押し倒しにきた。あいにくと好みのおとこではなかったので、きつく教育してやったがな」
死体にとりすがる美女の肩が、かすかにふるえた。しかし、かのじょは顔をあげられない。
代わって師真が、せずもがなの絵解きをする。
「この死体は
「なるほど、それゆえ錬との決戦まえに始末しておきたかったか。わが身が釣りのえさに役だったのであれば、光栄である」
ことさらにねまきの襟元をくつろげるようにして、正宗がいった。
師真がますます深くあたまを下げる。
「いえ、そのようなこと、ゆめゆめ考えてはございません。警備の不ゆきとどきの段はなにとぞご容赦いただき、今後も末永い御厚誼を」
「光栄である、といったであろう。なにしろ港をかしてくれと頼んでいる立場ゆえにな。この身ひとつでよければ、なんなら貴公にささげてもよいぞ」
「おたわむれを――」
正宗のあおじろい肌と桜色のつぼみをみて、さしもの師真の背すじにも、冷たいものがながれた。
正宗をもちいて鬱陶しい謀略家である玄偉を釣り出したことはもちろん、正宗にすべて見抜かれていることも、かれの想定どおりであった。
なにを言いだすかわからぬ竜我には知らせず、単身で詫びにあらわれたことも、むしろ正宗の口からおのれの策へのしぶしぶながらの称賛をひきだしたいという趣向でさえあった。
だが、かのじょに挑発されるとなると、いささか話がちがう。
ここであやまちをおかして竜我との関係がまったくおかしくならないとまでは、君臣のあいだに自信をもててはいない。
むろんそう思いこめるとしたら、自信ではなく過信と評されもしよう。
「しゃべりすぎるおんなは嫌いかね? くちびるをふさいでみるか」
かつてかれは、ここで泣き伏しているおんなに、そうしたことがあった。
まさか正宗に知られてもいるまいが、すくなくともいまは同じことはできぬ。
寝床から這い出てくる正宗を、あたかも蛇をみるねずみのような目でみる。
「おぞましいものをみるかも知れんが」
つめたい手が、身体にかかる。すくんだ師真を、笑いが打った。
「冗談だ。ここまでずるずると居のこっていた私が悪い」
「そう、おっしゃっていただけると」
「そなたらも出陣するのであろう。こなたもじきに智に帰らねばな」
師真は安堵の吐息をつきかけたが、
「いささか、おもしろいことになっているようであるし。この者も連れていく」
正宗のことばに、あらためてうろたえた。
玄偉がのこした情報網を根こぎにし、場合によっては自らが活用するうえで、側近であり情婦であったかのじょは欠かせない。
くわえて、師真はなぜか、
「は、いえ、それは。お怒りはもっともと存じますが、五丈の地でなされた罪は我らに裁かせていただきたく……厳罰に処すことはお約束いたしますゆえ」
「おや、おや、ならばなおのこと連れてかえらねば」
厳罰に処さないことも、そして、かれの感情も、とうぜんみとおしているという風情で、おんなはおとこをなぶる。
「かのじょはわたしを救ってくれたのだよ。さいごのところで、玄偉とやらの手をおさえて」
「しかし、いまはあのように」
「それが、おんなというものかもしれん。こどもにはまだわからぬだろうが」
師真は、血のにじむほどにくちびるを噛みしめた。目の前が赤くなる。
――知勇に優れているが、組織者としては失格。
かつてかのじょをそのように評したおのれを、殴りたくなる。
いまの、そしてこのあとの智に必要な人材は、宮中政治――自国のものも他国のものも――の力学に長けた、まさに華玉のような者である。
五丈と錬を身ひとつで翻弄したついでに、たかだか胸元の肌ひと目を対価ににんげんを得てゆかれてなすすべもないでは、軍師の名がすたる。
しかし。
――雪辱の機会は、ないな。
と、かれはおもった。
そこにはいらだちよりも、満足のかおりが濃かった。
武人や将軍ならば、武芸や采配のかぎりを尽くして好敵手とむきあうことに満足をおぼえるのかもしれないが、策士はちがう。
どのようなかたちであれ、敵が退場してくれるならばそれで十分に満足だ。
「独眼竜の肌をみたと、誇らせてもらいましょう」
ゆえにせいぜい、いやがらせてやろうとおもった。
ことさらに女好きの顔をつくっていってみるが、かのじょは鷹揚にこたえた。
「そこにもうひとり、おなじことを誇れる者がいるが、おなじ相手に誇らぬようにな」
「これは、てきびしい」
玄偉はもはや、閻魔にしか誇れぬ。
師真も下手をうてば、おなじことになる。
最終の勝ちはおのれにあるとおもえることで満足するとして、かれは早々に退散することにした。
やや軽いあしおとが、斉王都の地面に鳴った。
智軍総旗艦〈大帝山〉の甲板に、ちいさなあしあとが印された。
智軍と錬軍、否、智軍に対する楪羽となかまたちの合同はまずは成った。
飛竜は智国のおかれた状況をかのじょに伝え、座王都と南帝閣への帰還は無血でなされることになった。
楊隼らはひとまず後方にしりぞいているが、それは念のために智軍兵卒の反感を慮った処置であり、かれらにもかれらをみる民の目にも、懸念をもたらすようなものはひとつもなかった。
だが。
そのようなおちつきをひっかきまわすのは、ちいさなあしあとのあるじ、ひとりのむすめであった。
まるでつむじ風のように大帝山をかけまわり、主砲の口径から装甲厚、かまどの数まで、おのれの手と目でたしかめる。
しかしながら居合わせた兵にたずねるのはそのようなことではなく、
――たれのめしがいちばんうまいか。
だの、
――たれがいちばんおんなに好かれるか。
だのであった。
正宗の調練のもと、軍機などは口にしないようきたえられている智の、それも旗艦の兵ではあったが、かのじょの問うような内容はべつである。
まして理由は民に炊き出しをするためであるというのだから、故地の家族を憂う兵たちはたちまちにしてかのじょのとりことなった。
もっとも、おんなたらしをさがしている理由のほうは、囲おうというわけではなく、
「わたしのほうがすごいと証明する」
ためである。
なんにんのおんな――むすめといったほうがあきらかに正確だろうが――に付け文をされたかと胸をはる小むすめに、おとこたちは大笑いした。
おとこからの文は勘定にいれていないぞ、と条件を対等にしているのか自慢しているのかわからぬところが、なおのこと笑いをさそう。
むろん文字など縁どおい兵のこと、恋文の数だけでいえば楪羽の大勝ちであるが、かれらもだまってはいない。
「紙きれの枚数などどうでもよい。そのさきを知っているのか」
「ううむ、きいたことはあるが、みたことはない。ここでためしてもよいか」
わざといやらしそうにいったおとこの態度は、きらめく瞳にみつめられてたちどころにくずれ去った。
「口を吸ったり、肌にふれたりするのだろう。楽しそうだ。さあ、してみよう」
むすめにせまられ、兵はたじたじとなる。
まわりの連中にとりおさえられているのをふりほどき、一目散ににげていった。
楪羽はいささか釈然としないかおで腕組みをしているが、無理強いするつもりはないようであった。
――わたしはおとなのおんなだからな。
うなずきながらそのように唱えていたが、おとこはのちに、
「とって喰われそうだった」
といった。そのくせ、故郷にかえって家族をもってからも、末永くそのことをかたりぐさにしていた。
おとこの名から、「あのおとこは
「さあ、もうよいか」
やっとのことで、飛竜と趙普がおいついてくる。
むろんかのじょらは楪羽に、それもあちこちで喋りちらして時をついやしている楪羽に置いてゆかれるようなことはないが、虎丸をつれていてははなしはちがう。虎丸こそ息も絶え絶えであった。
「こちらが、智王――」
いいかけた飛竜に、
「まだたりない」
託宣のように、楪羽が告げた。
「このうえまだうろつき回りたいのか、いいかげんにせよ」
「それとも、よもや」
趙普と飛竜が、口々にいいつのる。もっとも飛竜のほうは、中途でことばを切っている。
――虎丸ぎみでは不足だというのではあるまいな。
とは、口にできぬ。
だが、そうではないと、楪羽は邪気なくかぶりを振る。
そのどちらでもない、と重ねられて、声にしなかったぶぶんまで察せられた飛竜のほうはすこし汗をうかべたが。
「よいふねだが、ただ一隻であたりを変えるのはむつかしい。錬でつくったという、〈帝虎〉。あれがほしい」
飛竜も、趙普も、あっけにとられた。
一艦よく一軍に匹敵するという錬の巨艦については、かのじょらも聞きおよんでいたし、楪羽はなかまにした楊隼らからよりくわしく聞くことができただろう。
それはよい。
敵としては脅威であるし、ぜひ味方にあらまほしい。
大帝山が単艦では帝虎におよばぬことも、事実ではある。
だが。
「このふねが足りたとしたら、奪うというのか。みのほどを」
腰のつるぎに手をかけ、額に青筋をうかべて、趙普がさけびかけた。
しかしこれもさきほどの飛竜とおなじく、ことばはとぎれる。
ひとりで座王都と南帝閣を解放してのけたおんなに、みのほどを知れといってもむなしい。
なぜ怒っているやらわからぬ、と、かわいらしく小くびをかしげ、楪羽はすたすたと虎丸にあゆみよった。
「むろん、奪わぬ。ちゃんとたのむ」
まっしろい繊手で、かれの両頬をつつむ。
「どうだ、虎丸。紫電清霜の旗をおしたて、一隻で名乗りをあげる。楽しいだろう」
さきほどの丘明なら、あわをくってにげだしたか、はたまたまっ赤になったか。
だが虎丸はどちらでもなく、薄暗くうつむいた。
楪羽のつぶらなまなこが、いぶかしげに細められた。
「楽しくないのか?」
「楽しくなど」
しぼり出すように、虎丸はいった。
「国を追われて夷の地のなさけにすがり、姉上は病にくるしみ、智の民はしいたげられ奴隷として連れ去られる。このありさまを楽しいと思えるほど、私は狂っていない」
かれのことばに、飛竜らは息をのんだ。
狂の一字をはりつけられた楪羽がへそを曲げたらどうなるか、というだけではない。
じぶんたちが虎丸に押し付けていた期待の重さに、いまさらながらに気づいたからでもあった。
しかしそのような緊張をつきぬけ、楪羽のみはどこまでもかろやかであった。
「虎丸はすごいな」
まっすぐに目をみつめ、真剣なかおでいった。
「わたしは楽しいとおもってしまった。わたしの舞台ができたと。たしかに、民が苦しんでいるのだから、楽しんでばかりもいられないな」
胸をつかれたように、虎丸が息をのむ。
まだ楪羽のやわらかな手に頬をつつまれていては、あまり格好はつかないが。
そして横合いから、おもおもしく趙普が割ってはいる。
「しかし、これにかぎってはこの者のいうことに理があるのでは」
「これにかぎってはとはどういうことだ」
「いやいや助けられて、心底から喜ぶ民がおりましょうか。兵も、我らとてもおなじことです。正宗公が――あいや、紅玉様が単身五丈に向かわれたのも、おのれの楽しみを犠牲にしてであったとは思いませぬ。この戦国乱世、狂うくらいでなければまっすぐにすすめぬ、虎丸ぎみにも、そのことは理解していただく要があろうかと存じまする」
「ひげおとこよ」
これにかぎってはと限定されたうえにつっこみを流されたからかもしれないが、いささかじっとりとした目で趙普をみて、楪羽がいう。
奇妙な呼ばれかたに、かれが反応できないうちに、ひとこと。
「理屈っぽいといわれることはないか?」
かのじょの、いうとおりではあった。
勇将として名のある趙普であるが、ふしぎなほどに、
――論議をするおとこ。
としても知られている。あるいはその勇猛も、教本どおりの勇猛さ、とでもいうべきものであったろうか。
むろん実際のいくさ場で、教則どおりに勇気を発揮することは、なまなかのことでないのもまた事実だが。
「ともかく」
ためいきをついて、飛竜がいう。
ついでのように、小むすめの背を子ねこにするようにつかみ、虎丸から引きはがす。
これまたねこのように、楪羽がしゃあとうなり声をあげているが、気にせずにつづける。
「せねばならぬことは、山とある。領内の巡検、艦艇の整備、それに」
「炊き出しだ!」
楪羽がぴんとひびく声でわりこみ、手をふりほどいて艦橋のかなたへとびだしてゆく。
虎丸をひっさらおうとして、そればかりは趙普に止められたが、さきほど目をつけていた兵のところへ駆けてゆくのは誰にもさまたげられない。
飛竜は天を仰ぎ、嘆息した。
「ちかごろのむすめは、みなああいうものなのか」
「いや、まさか、そのような。しかし座王都と南帝閣をとりもどしたのはたしかにあの者ですからな」
ふたりで、顔をみあわせる。
――正宗公がなんというか。
そう、飛竜と趙普はおもった。
虎丸がなにをかんがえたかは、伝わっていない。
玄偉は原作では胎内の子に成り代わろうというネクロニカのエンブリオですかあなたは、みたようなことをしていたのですが、文字ではシリアスに描く自信がなく……という次第でその一つ前、西羌を外患誘致して実権を握ろうとしていたくだりを本作情勢に合わせて継続した、という設定にしています。
華玉をここで引き抜くとあとで効いてくるような予感も。
なおひげおとこ(ヒゲマン)とかしゃあ(シャア)とうなるとかは小ネタのたぐいです。
趙普がシャリア役というわけではない……はず……。
ご意見ご感想いいねなどなどもお待ちしてます!