TS転生美少女が圧倒的な才能で役者になるだけの話   作:でも実際TSしたら引きこもるよね

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1話

 鏡の中に、天使がいた。

 

 透き通るような白磁の肌に、大きな猫のような瞳。腰まで伸びた艶やかな黒髪は、照明の光を浴びてキラキラと輝いている。

 どう見ても、十代半ばの美少女だ。それも、クラスに一人はいるマドンナとか、そういうレベルじゃない。一万人に一人、いや、一億人に一人レベルの「SSR」だ。

 

 俺は洗面台に手をつき、その美少女──つまり自分自身に向かって、深いため息をついた。

 

「……顔が良い」

 

 声に出すと、鈴を転がしたような可憐なソプラノボイスが鼓膜を震わせる。

 中身が四十五歳の冴えないおっさんだなんて、誰が信じるだろうか。

 

 俺の前世は、売れない役者だった。

 来る仕事といえば「通行人A」や「死体C」、良くて「主人公に突き飛ばされるチンピラ」くらい。

 それでも芝居が好きだった。スポットライトの端っこでもいいから、あの板の上に立ち続けたかった。

 だが、現実は甘くない。

 結局、一度も名前のある役をもらえないまま、工事現場のアルバイト中の事故であっけなく人生の幕を閉じた──はずだった。

 

 気がつけば、俺はこの「朝倉凛」という少女になっていた。

 神様の気まぐれか、あるいは役者への執念が引き寄せた奇跡か。

 理由は分からない。けれど、一つだけ確かなことがある。

 

「今度こそ、真ん中に立つ」

 

 俺は鏡の中の美少女に向かって、静かに宣言した。

 この容姿と、前世で培った三十年の「現場経験」。この二つがあれば、もう脇役で終わるつもりはない。

 俺は今世で、かつて夢見た「主役」を掴み取るのだ。

 

 ◇

 

 大手芸能事務所「ステラ・プロモーション」直属、俳優養成所。

 その入所式は、むせ返るような熱気に包まれていた。

 

 会場を見渡せば、どこもかしこも美男美女だらけ。

 モデル上がりの長身男子に、アイドル志望のフリフリ女子。みんな「私が一番」と言わんばかりのキラキラしたオーラを放っている。

 その若々しいエネルギーに当てられて、俺は思わず胃もたれしそうになった。

 

(眩しすぎる……。若さってのは凶器だな、オイ)

 

 パイプ椅子の感触を背中で確かめながら、俺は気配を消すように浅く腰掛けた。

 中身がおっさんの俺にとって、この集団の中にいるのは、まるで女子校に迷い込んだような居心地の悪さがある。

 できるだけ目立たず、静かに入所式が終わるのを待とう。

 そう思って目を伏せた、その時だった。

 

「ねえ、隣、いい?」

 

 頭上から降ってきたのは、弾むような明るい声。

 顔を上げると、そこには太陽を擬人化したような少女が立っていた。

 ふわりと揺れる栗色のボブカットに、人懐っこい大きな瞳。見るからに「陽キャ」の波動が出ている。

 

「……どうぞ」

「ありがとう! 私、一ノ瀬紬。君、すっごく可愛いね! モデルさんか何か?」

 

 席に着くなり、彼女はぐいぐいと距離を詰めてきた。

 近い。物理的な距離もだが、心の距離の詰め方がバグっている。

 

「いや、私はただの……未経験者だよ」

「えー、嘘だぁ! そのオーラで? 絶対、どこかの事務所の秘蔵っ子だと思ってたのに!」

 

 紬はケラケラと笑うと、俺の腕に自然と触れてくる。

 前世の俺なら、こんな可愛い子に話しかけられただけで挙動不審になっていただろうが、今の俺は朝倉凛だ。

 美少女の皮を被っているおかげで、なんとか平静を装うことができる。

 

「私は朝倉凛。よろしく、一ノ瀬さん」

「紬でいいよ! 私も凛ちゃんって呼んでいい? ね、いいでしょ?」

「……好きにしてくれ」

 

 俺が苦笑いすると、紬は「やったぁ!」と小さくガッツポーズをした。

 その屈託のない笑顔を見ていると、なんだか毒気を抜かれる。

 前世では、こういう真っ直ぐな人種が一番苦手だったはずなんだが。

 まあ、悪い気はしない。同期に一人くらい、こういう明るい友人がいてもいいかもしれないな。

 

 そんなことを考えていると、会場の照明が不意に落ちた。

 ざわめきが波が引くように収まり、ステージの中央に一人の男が現れる。

 

 黒いシャツに黒いスラックス。鋭い眼光は、まるで獲物を狙う猛禽類のようだ。

 黒岩誠。

 数々の名優を育て上げた伝説の演技コーチであり、この養成所の主任講師でもある。

 前世の俺にとっては雲の上の存在だった男が、今、目の前に立っている。

 

「おめでとう。そして、ご愁傷様」

 

 マイクを通さずとも、その低い声は会場の隅々まで響き渡った。

 生徒たちが息を呑む気配が伝わってくる。

 

「ここには三百人の人間がいる。だが、プロとして生き残れるのは、この中で三人いればいい方だ。残りの二百九十七人は、夢を食い物にされて消えていく」

 

 黒岩は冷徹な視線で俺たちを一瞥した。

 

「甘い夢を見るのは昨日までにしておけ。今日からは、己の魂を削って売り物にする修羅場だ。覚悟のない奴から今すぐ帰れ」

 

 会場の空気が凍りつく。

 泣き出しそうな顔をしている女子や、不満げに顔をしかめる男子もいる。

 だが、俺の胸の奥では、熱いものが渦巻いていた。

 

(これだ……このヒリつくような空気)

 

 工事現場で交通誘導の棒を振っていた時には決して味わえなかった、プロの世界の匂い。

 俺は思わず、口元を緩めてしまったらしい。

 ふと視線を感じて顔を上げると、ステージ上の黒岩と目が合った気がした。

 

「……ふん。面白い顔をしている奴がいるな」

 

 黒岩は口の端を吊り上げると、手元の名簿をパラリとめくった。

 

「おい、そこの女。真ん中の列の、髪の長いお前だ」

 

 ビクリ、と周囲の視線が一斉に俺に集まる。

 俺はゆっくりと立ち上がった。

 

「名前は」

「……朝倉凛です」

「いい度胸だ、朝倉。私の話を聞いてニヤついているのは貴様くらいだったぞ」

 

 ニヤついていたつもりはないが、高揚感が顔に出てしまっていたか。

 不覚。だが、ここで怯むわけにはいかない。

 

「上がってこい。手始めに、貴様の覚悟を見せてもらおうか」

 

 黒岩が手招きする。

 会場中がざわめく中、俺は静かに通路を歩き出した。

 背中に突き刺さる三百人の視線。好奇心、嫉妬、同情。それらすべてを肌で感じながら、俺はステージへの階段を上る。

 

「お題は『待ちぼうけ』だ」

 

 黒岩は簡潔に告げた。

 

「場所は公園のベンチ。恋人を待っているが、約束の時間を三時間過ぎても現れない。連絡もない。……以上だ。始めろ」

 

 小道具はパイプ椅子一つだけ。

 設定もありがちで、シンプル極まりない。だからこそ、役者の力量が残酷なまでに出る。

 素人がやれば、ただ時計を何度も見て、イライラして、スマホを取り出して電話をかけるフリをして終わるだろう。

 

 俺はパイプ椅子の前に立った。

 一度、深く息を吐く。

 瞼を閉じ、意識を内側へと沈めていく。

 

(俺は、朝倉凛じゃない)

(三十年、芽が出なかった男でもない)

 

 雑音を捨てろ。自我を消せ。

 ただ、その場に在る「誰か」になれ。

 

 スイッチが入る音がした。

 

 俺が目を開けた瞬間、そこはもう養成所のステージではなかった。

 冬の枯れ木が並ぶ、寒空の下の公園。

 冷たい風が吹き抜け、足元には乾いた落ち葉が転がっている。

 

 俺は椅子に座り、膝の上で両手をきゅっと握りしめた。

 

 時計は見ない。スマホも取り出さない。

 ただ、視線を一点に固定したまま、微動だにしない。

 

 待つということは、時間を意識することじゃない。

 時間が過ぎていく恐怖と戦うことだ。

 

「…………」

 

 一分、二分。

 俺は何も喋らず、ただ座っている。

 だが、その背中は雄弁に語っていた。

 期待が不安に変わり、不安が諦めに変わり、それでも心のどこかで「もしかしたら」という微かな希望を捨てきれない、人間の哀れで愛おしい姿を。

 

 指先が微かに震える。

 寒さのせいか、それとも恐怖のせいか。

 吐く息が白い霧になって消えていく幻影すら見えるようだった。

 

 やがて、俺はゆっくりと空を見上げた。

 雪が降り始めたのかもしれない。

 瞳が潤み、光を反射して揺れる。

 その瞳には、来ない相手への怒りも悲しみもなく、ただ全てを受け入れたような、静かな絶望だけが宿っていた。

 

 ふっ、と短く息を吐き、俺は小さく微笑んだ。

 それは、自分自身を嘲笑うような、それでいてどこか救われたような、複雑な笑みだった。

 

「…………帰ろ」

 

 唇が動いただけで、声にはならなかった。

 けれど、その三文字は確かに会場の全員に届いたはずだ。

 

 俺は立ち上がり、架空のコートの襟を合わせると、背を丸めて歩き出す。

 一歩、二歩。

 そして、ステージの端まで来たところで、俺は「朝倉凛」に戻った。

 

 客席へ向き直り、深く一礼する。

 

「…………」

 

 静寂。

 拍手はない。咳払い一つ聞こえない。

 三百人の人間が、水を打ったように静まり返っていた。

 

 やってしまっただろうか。

 地味すぎたか? もっと分かりやすく、泣き叫んだりした方が良かったか? 

 不安が頭をよぎった瞬間、

 

 パチ、パチ、パチ……。

 

 乾いた音が響いた。

 黒岩だった。

 彼は無表情のまま、ゆっくりと手を叩いていた。

 

「……戻っていいぞ」

 

 それだけ言うと、黒岩はすぐに次の生徒を指名した。

 評価の言葉は一つもない。

 だが、席に戻る俺を見る彼の目が、獲物を見つけた狩人のそれになっているのを、俺は見逃さなかった。

 

「凛ちゃん……」

 

 席に戻ると、紬がぽかんと口を開けて俺を見ていた。

 その瞳は潤み、まるで信仰対象を見るかのようにキラキラと輝いている。

 

「すごい……すごすぎだよぉ! 私、鳥肌立っちゃった!」

「……そうか? ありがとな」

「今の、どうやったの!? 何もしてないのに、全部伝わってきた! 寂しいのも、寒いのも、全部!」

 

 紬は興奮して俺の手を握りしめてくる。

 その純粋すぎる称賛が、少しこそばゆい。

 周囲の生徒たちも、もはや嫉妬すら浮かばないのか、遠巻きに化け物を見るような目でこちらを見ていた。

 

 ただ一人を除いて。

 

 ふと視線を感じて横を見ると、少し離れた席に座る少女が、俺を睨みつけていた。

 切れ長の瞳に、腰まである黒髪。凛とした美しさを持つ彼女は、確か真行寺カナと言ったか。

 入所試験をトップで通過したという噂のエリートだ。

 

 彼女の瞳には、明確な敵意が宿っていた。

 それは獲物を奪われた肉食獣のような、強烈なライバル心。

 

(……やれやれ)

 

 俺は小さく肩をすくめた。

 目立ちたくないと言ったそばから、これだ。

 だが、悪くない気分だった。

 向けられる視線の種類が変わった。

「可愛いだけの美少女」を見る目から、「底知れない役者」を見る目へ。

 

 俺はもう一度、ステージを見つめた。

 ここが俺の戦場だ。

 二度目の人生、俺はここから這い上がってみせる。

 誰の目にも焼き付いて離れない、本物の主役になるために。

 

 俺の二度目の産声は、静寂という名の喝采で迎えられたのだった。

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