TS転生美少女が圧倒的な才能で役者になるだけの話 作:でも実際TSしたら引きこもるよね
初日のレッスンが終わった瞬間、俺のHPは限りなくゼロに近かった。
演技による疲労じゃない。精神的な摩耗だ。
三百人の視線を浴びて「天才美少女」を演じ続けるプレッシャーと、周りのキラキラした若者たちの熱量。
中身が四十五歳の枯れたおっさんには、この空間の酸素濃度は濃すぎる。
「ふゥ……」
荷物をまとめて、早々に退散しようとした時だ。
「凛ちゃん! 待って待って!」
背後から弾丸のような勢いで何かが突っ込んできた。
反射的に身をかわすと、一ノ瀬紬が勢い余って前のめりに転びそうになり、俺の腕をガシッと掴んで体勢を立て直す。
「危ないな」
「あはは、ごめんごめん! でも逃がさないよ? これからランチ行こ! ねっ?」
紬は上目遣いで俺を見つめてくる。
その距離、わずか三十センチ。
甘い香水の匂いと、弾けるような笑顔。
前世の俺なら、これだけで心臓発作を起こして救急車行き確定の案件だ。
「……ランチ?」
「うん! 駅前にすっごく映えるパンケーキ屋さんがあるんだよ。凛ちゃん、甘いもの好き?」
「嫌いじゃないが……」
嘘だ。本当は塩辛と熱燗の方が好きだ。
だが、今の俺は朝倉凛。パンケーキの一つや二つ、涼しい顔で平らげてこそ美少女というものだろう。
それに、断る理由もない。同期との人脈作りも、役者として生き残るための重要な仕事の一つだ。
「分かった。付き合うよ」
「やったぁ! じゃあ行こ行こ! 私のことは紬って呼んでね!」
紬は俺の腕に自分の腕を絡めると、スキップせんばかりの勢いで歩き出した。
その無防備なスキンシップに、俺の脳内警報がジリジリと鳴り響く。
おいおい、お前ら女子高生ってのは、いつもこんな距離感なのか?
おじさん、勘違いしちゃうぞ?
◇
案内された店は、パステルカラーの内装に包まれた、まさに「女子の園」だった。
客層の九割が女性。残りの一割は、彼女に連れられて肩身が狭そうにしている彼氏たちだ。
運ばれてきたパンケーキは、俺の顔より大きかった。
生クリームの塔がそびえ立ち、その周囲を色とりどりのフルーツが彩っている。
これは食事というより、一種の建築物ではないだろうか。
「ん〜っ! おいし〜! 凛ちゃんのも一口ちょうだい!」
「……どうぞ」
「あーん!」
紬がフォークを差し出してくる。
俺は一瞬フリーズした。
これは、いわゆる「あーん」というやつか? 女子同士の友情の儀式なのか?
ここで拒否するのはノリが悪いと思われるのか?
葛藤すること数秒。俺は覚悟を決めて口を開けた。
甘ったるいクリームとスポンジが口の中に広がる。
「どう? おいしい?」
「……甘いな」
「でしょでしょ! あー、幸せ!」
紬は満面の笑みで自分のパンケーキを頬張る。
その姿は小動物のように愛らしい。
俺は自分の分のパンケーキを黙々と切り分けながら、彼女の様子を観察した。
一ノ瀬紬。
レッスンの休憩中に少し話したが、彼女は高校卒業と同時に上京してきたらしい。
演技経験は高校の演劇部のみ。技術は未熟だが、あの明るさと素直さは、役者として大きな武器になるだろう。
何より、この底抜けのポジティブさは、見ているだけで元気を貰える。
「ねえねえ、凛ちゃんってさ」
「ん?」
「好きなタイプとか、ある?」
ぶっ。
危うく紅茶を吹き出すところだった。
出た。女子会トークの定番、恋バナだ。
前世を含めて四十五年間、色恋沙汰とは無縁だった俺に、最も答えられない質問が来てしまった。
「タイプ、か……」
「うん! やっぱり背が高くてクールな人? それとも年上の包容力がある人?」
俺の脳裏に浮かんだのは、行きつけの居酒屋の女将さん(六十代・バツイチ)の顔だった。
いや、それは違う。そういうことじゃない。
今の俺は十七歳の美少女だ。十七歳らしい答えを捻り出さなければ。
しかし、十七歳の理想のタイプとは何だ?
アイドル? スポーツ選手? それともクラスのイケメン?
思考が空転し、俺は無言のまま紅茶のカップを見つめて固まってしまった。
すると、紬が勝手に目を輝かせ始めた。
「……もしかして、恋愛には興味ない、みたいな?」
「え?」
「うわぁ、やっぱそうなんだ! 『私の恋人は芝居だけ』みたいな? かっこいい〜!」
……まあ、そういうことにしておこう。
訂正するのも面倒だ。
「まあ、今は演技のこと以外、考えられないからな」
「ストイックだなぁ。私なんて、いつか素敵な王子様が迎えに来てくれないかなーって、毎日妄想してるのに」
「王子様か……」
紬なら、いつか本当に王子様みたいな男を捕まえそうだが。
そんな他愛ない会話を続けていると、ふとテーブルの横に影が落ちた。
「楽しそうね」
冷ややかな声。
顔を上げると、そこには黒髪の美少女が立っていた。
真行寺カナだ。
腕を組み、切れ長の瞳で俺たちを見下ろしている。その視線は、明らかに友好的なものではない。
「あ、カナちゃんだ! カナちゃんもここだったの? 一緒に食べる?」
空気を読まない紬が、無邪気に手招きする。
カナは紬を一瞥もしないまま、俺だけをじっと見据えた。
「朝倉凛、と言ったわね」
「ああ。君は真行寺カナさんだろ。入試トップの」
「知ってるのなら話が早いわ。単刀直入に聞くけど、あなた、どこの劇団の出身?」
「劇団? どこにも所属してないよ」
「嘘をつかないで」
カナは語気を強めた。
「あの『待ちぼうけ』のエチュード。あれは素人の芝居じゃない。間の取り方、視線の動かし方、そして何より、あの哀愁の表現。……人生を何十年も経験したような重みがあった」
ギクリとした。
鋭い。鋭すぎる。
さすがはエリートと言うべきか、彼女の観察眼は本物だ。
「買いかぶりすぎだ。ただの直感だよ」
「直感であんな芝居ができるなら、私たちは苦労しないわ」
カナは唇を噛み締め、悔しそうに俺を睨む。
その表情を見て、俺は理解した。
彼女は怒っているんじゃない。怯えているのだ。
自分が一番だという自信を、根底から揺るがされる存在が現れたことに。
「……いいわ。隠すなら隠し通せばいい。でも、これだけは言っておく」
カナはテーブルに手をつき、顔を近づけてきた。
「私は負けない。養成所を卒業して、トップの座に座るのは私よ。あなたのその余裕ぶった顔、いつか歪ませてやるから」
捨て台詞を残し、彼女は踵を返して店を出て行った。
嵐のような去り際だ。
「……何だったんだろ、今の」
紬がぽかんと口を開けている。
俺は残りのパンケーキを口に運びながら、苦笑した。
「宣戦布告、だな」
「ええっ? 怖いよぉ……。でも、凛ちゃんは全然動じてなかったね」
「そう見えるか?」
内心では冷や汗ものだったが。
しかし、彼女のようなライバルがいるのは悪くない。
切磋琢磨できる相手がいなければ、芸は磨かれないものだ。
◇
すっかり日も暮れ、紬と駅で別れた後。
俺は一人、養成所の出口へ向かっていた。
楽しかった女子会(?)の余韻に浸りつつも、心身の疲労はピークに達している。
早く家に帰って、熱い風呂に入りたい。
そう思って足早に歩いていると、校門の影から男が現れた。
「いい度胸だ、朝倉」
心臓が跳ね上がる。
黒岩誠だ。
煙草の紫煙をくゆらせながら、彼は俺の前に立ちはだかった。
その威圧感は、昼間のレッスンの時以上だ。
「……お疲れ様です、黒岩先生」
「挨拶はいい。朝倉、お前の演技について一つだけ忠告がある」
黒岩は吸い殻を携帯灰皿に押し込むと、射抜くような視線を俺に向けた。
「お前の芝居は、完成されすぎている」
それは褒め言葉のようでいて、明らかに批判の響きを含んでいた。
「完成されていることの、何がいけないんですか?」
「若さがない。危うさがない。お前は役を『理解』し、『再現』することには長けているが、それは所詮、小手先の技術だ」
黒岩が一歩近づく。
「綺麗に整った芝居なんぞ、AIでもできる。人が人の心を動かすのは、もっと泥臭くて、不格好で、魂が千切れそうなほどの熱量だ。……今のままでは、お前のその器用さは、いずれお前自身を殺すぞ」
意味深な言葉だった。
前世の俺には、誰もそんなことを言ってくれなかった。
ただ「上手いね」「使いやすいね」と言われ、そのまま消費されて終わった。
だからこそ、彼の言葉が胸の奥深くに突き刺さる。
「……肝に銘じます」
「フン。まあいい。せいぜい足掻け。化けの皮が剥がれるのを楽しみにしているぞ」
黒岩はニヤリと笑うと、闇の中へと消えていった。
「……厳しいな」
俺は夜空を見上げた。
東京の空には星が見えない。
だが、俺の心には小さな火が灯っていた。
ライバルの敵意。師の警告。そして、隣で笑ってくれる友人の存在。
前世では手に入らなかったものが、今、ここにある。
「やってやるさ」
俺は拳を握りしめ、家路についた。
ポケットの中で、スマホが震える。
紬からのメッセージだ。
『今日は楽しかったね! また明日、学校で会おうね! おやすみ、凛ちゃん大好き!』
文末についたハートマークのスタンプを見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「……距離感、バグりすぎだろ」
そう呟く俺の顔は、自分でも驚くほど緩んでいたに違いない。
二度目の人生、悪くないスタートだ。
そう思っていた。
この時の俺はまだ、自分の放つ光が、誰かの影を色濃く焼き付けてしまうことを知らなかったのだ。