TS転生美少女が圧倒的な才能で役者になるだけの話   作:でも実際TSしたら引きこもるよね

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2話

 初日のレッスンが終わった瞬間、俺のHPは限りなくゼロに近かった。

 

 演技による疲労じゃない。精神的な摩耗だ。

 三百人の視線を浴びて「天才美少女」を演じ続けるプレッシャーと、周りのキラキラした若者たちの熱量。

 中身が四十五歳の枯れたおっさんには、この空間の酸素濃度は濃すぎる。

 

「ふゥ……」

 

 荷物をまとめて、早々に退散しようとした時だ。

 

「凛ちゃん! 待って待って!」

 

 背後から弾丸のような勢いで何かが突っ込んできた。

 反射的に身をかわすと、一ノ瀬紬が勢い余って前のめりに転びそうになり、俺の腕をガシッと掴んで体勢を立て直す。

 

「危ないな」

「あはは、ごめんごめん! でも逃がさないよ? これからランチ行こ! ねっ?」

 

 紬は上目遣いで俺を見つめてくる。

 その距離、わずか三十センチ。

 甘い香水の匂いと、弾けるような笑顔。

 前世の俺なら、これだけで心臓発作を起こして救急車行き確定の案件だ。

 

「……ランチ?」

「うん! 駅前にすっごく映えるパンケーキ屋さんがあるんだよ。凛ちゃん、甘いもの好き?」

「嫌いじゃないが……」

 

 嘘だ。本当は塩辛と熱燗の方が好きだ。

 だが、今の俺は朝倉凛。パンケーキの一つや二つ、涼しい顔で平らげてこそ美少女というものだろう。

 それに、断る理由もない。同期との人脈作りも、役者として生き残るための重要な仕事の一つだ。

 

「分かった。付き合うよ」

「やったぁ! じゃあ行こ行こ! 私のことは紬って呼んでね!」

 

 紬は俺の腕に自分の腕を絡めると、スキップせんばかりの勢いで歩き出した。

 その無防備なスキンシップに、俺の脳内警報がジリジリと鳴り響く。

 おいおい、お前ら女子高生ってのは、いつもこんな距離感なのか? 

 おじさん、勘違いしちゃうぞ? 

 

 ◇

 

 案内された店は、パステルカラーの内装に包まれた、まさに「女子の園」だった。

 客層の九割が女性。残りの一割は、彼女に連れられて肩身が狭そうにしている彼氏たちだ。

 

 運ばれてきたパンケーキは、俺の顔より大きかった。

 生クリームの塔がそびえ立ち、その周囲を色とりどりのフルーツが彩っている。

 これは食事というより、一種の建築物ではないだろうか。

 

「ん〜っ! おいし〜! 凛ちゃんのも一口ちょうだい!」

「……どうぞ」

「あーん!」

 

 紬がフォークを差し出してくる。

 俺は一瞬フリーズした。

 これは、いわゆる「あーん」というやつか? 女子同士の友情の儀式なのか? 

 ここで拒否するのはノリが悪いと思われるのか? 

 

 葛藤すること数秒。俺は覚悟を決めて口を開けた。

 甘ったるいクリームとスポンジが口の中に広がる。

 

「どう? おいしい?」

「……甘いな」

「でしょでしょ! あー、幸せ!」

 

 紬は満面の笑みで自分のパンケーキを頬張る。

 その姿は小動物のように愛らしい。

 俺は自分の分のパンケーキを黙々と切り分けながら、彼女の様子を観察した。

 

 一ノ瀬紬。

 レッスンの休憩中に少し話したが、彼女は高校卒業と同時に上京してきたらしい。

 演技経験は高校の演劇部のみ。技術は未熟だが、あの明るさと素直さは、役者として大きな武器になるだろう。

 何より、この底抜けのポジティブさは、見ているだけで元気を貰える。

 

「ねえねえ、凛ちゃんってさ」

「ん?」

「好きなタイプとか、ある?」

 

 ぶっ。

 危うく紅茶を吹き出すところだった。

 出た。女子会トークの定番、恋バナだ。

 前世を含めて四十五年間、色恋沙汰とは無縁だった俺に、最も答えられない質問が来てしまった。

 

「タイプ、か……」

「うん! やっぱり背が高くてクールな人? それとも年上の包容力がある人?」

 

 俺の脳裏に浮かんだのは、行きつけの居酒屋の女将さん(六十代・バツイチ)の顔だった。

 いや、それは違う。そういうことじゃない。

 今の俺は十七歳の美少女だ。十七歳らしい答えを捻り出さなければ。

 

 しかし、十七歳の理想のタイプとは何だ? 

 アイドル? スポーツ選手? それともクラスのイケメン? 

 思考が空転し、俺は無言のまま紅茶のカップを見つめて固まってしまった。

 

 すると、紬が勝手に目を輝かせ始めた。

 

「……もしかして、恋愛には興味ない、みたいな?」

「え?」

「うわぁ、やっぱそうなんだ! 『私の恋人は芝居だけ』みたいな? かっこいい〜!」

 

 ……まあ、そういうことにしておこう。

 訂正するのも面倒だ。

 

「まあ、今は演技のこと以外、考えられないからな」

「ストイックだなぁ。私なんて、いつか素敵な王子様が迎えに来てくれないかなーって、毎日妄想してるのに」

「王子様か……」

 

 紬なら、いつか本当に王子様みたいな男を捕まえそうだが。

 そんな他愛ない会話を続けていると、ふとテーブルの横に影が落ちた。

 

「楽しそうね」

 

 冷ややかな声。

 顔を上げると、そこには黒髪の美少女が立っていた。

 真行寺カナだ。

 腕を組み、切れ長の瞳で俺たちを見下ろしている。その視線は、明らかに友好的なものではない。

 

「あ、カナちゃんだ! カナちゃんもここだったの? 一緒に食べる?」

 

 空気を読まない紬が、無邪気に手招きする。

 カナは紬を一瞥もしないまま、俺だけをじっと見据えた。

 

「朝倉凛、と言ったわね」

「ああ。君は真行寺カナさんだろ。入試トップの」

「知ってるのなら話が早いわ。単刀直入に聞くけど、あなた、どこの劇団の出身?」

「劇団? どこにも所属してないよ」

「嘘をつかないで」

 

 カナは語気を強めた。

 

「あの『待ちぼうけ』のエチュード。あれは素人の芝居じゃない。間の取り方、視線の動かし方、そして何より、あの哀愁の表現。……人生を何十年も経験したような重みがあった」

 

 ギクリとした。

 鋭い。鋭すぎる。

 さすがはエリートと言うべきか、彼女の観察眼は本物だ。

 

「買いかぶりすぎだ。ただの直感だよ」

「直感であんな芝居ができるなら、私たちは苦労しないわ」

 

 カナは唇を噛み締め、悔しそうに俺を睨む。

 その表情を見て、俺は理解した。

 彼女は怒っているんじゃない。怯えているのだ。

 自分が一番だという自信を、根底から揺るがされる存在が現れたことに。

 

「……いいわ。隠すなら隠し通せばいい。でも、これだけは言っておく」

 

 カナはテーブルに手をつき、顔を近づけてきた。

 

「私は負けない。養成所を卒業して、トップの座に座るのは私よ。あなたのその余裕ぶった顔、いつか歪ませてやるから」

 

 捨て台詞を残し、彼女は踵を返して店を出て行った。

 嵐のような去り際だ。

 

「……何だったんだろ、今の」

 紬がぽかんと口を開けている。

 俺は残りのパンケーキを口に運びながら、苦笑した。

 

「宣戦布告、だな」

「ええっ? 怖いよぉ……。でも、凛ちゃんは全然動じてなかったね」

「そう見えるか?」

 

 内心では冷や汗ものだったが。

 しかし、彼女のようなライバルがいるのは悪くない。

 切磋琢磨できる相手がいなければ、芸は磨かれないものだ。

 

 ◇

 

 すっかり日も暮れ、紬と駅で別れた後。

 俺は一人、養成所の出口へ向かっていた。

 楽しかった女子会(?)の余韻に浸りつつも、心身の疲労はピークに達している。

 早く家に帰って、熱い風呂に入りたい。

 そう思って足早に歩いていると、校門の影から男が現れた。

 

「いい度胸だ、朝倉」

 

 心臓が跳ね上がる。

 黒岩誠だ。

 煙草の紫煙をくゆらせながら、彼は俺の前に立ちはだかった。

 その威圧感は、昼間のレッスンの時以上だ。

 

「……お疲れ様です、黒岩先生」

「挨拶はいい。朝倉、お前の演技について一つだけ忠告がある」

 

 黒岩は吸い殻を携帯灰皿に押し込むと、射抜くような視線を俺に向けた。

 

「お前の芝居は、完成されすぎている」

 

 それは褒め言葉のようでいて、明らかに批判の響きを含んでいた。

 

「完成されていることの、何がいけないんですか?」

「若さがない。危うさがない。お前は役を『理解』し、『再現』することには長けているが、それは所詮、小手先の技術だ」

 

 黒岩が一歩近づく。

 

「綺麗に整った芝居なんぞ、AIでもできる。人が人の心を動かすのは、もっと泥臭くて、不格好で、魂が千切れそうなほどの熱量だ。……今のままでは、お前のその器用さは、いずれお前自身を殺すぞ」

 

 意味深な言葉だった。

 前世の俺には、誰もそんなことを言ってくれなかった。

 ただ「上手いね」「使いやすいね」と言われ、そのまま消費されて終わった。

 だからこそ、彼の言葉が胸の奥深くに突き刺さる。

 

「……肝に銘じます」

「フン。まあいい。せいぜい足掻け。化けの皮が剥がれるのを楽しみにしているぞ」

 

 黒岩はニヤリと笑うと、闇の中へと消えていった。

 

「……厳しいな」

 

 俺は夜空を見上げた。

 東京の空には星が見えない。

 だが、俺の心には小さな火が灯っていた。

 

 ライバルの敵意。師の警告。そして、隣で笑ってくれる友人の存在。

 前世では手に入らなかったものが、今、ここにある。

 

「やってやるさ」

 

 俺は拳を握りしめ、家路についた。

 ポケットの中で、スマホが震える。

 紬からのメッセージだ。

 

『今日は楽しかったね! また明日、学校で会おうね! おやすみ、凛ちゃん大好き!』

 

 文末についたハートマークのスタンプを見て、俺は思わず吹き出してしまった。

 

「……距離感、バグりすぎだろ」

 

 そう呟く俺の顔は、自分でも驚くほど緩んでいたに違いない。

 二度目の人生、悪くないスタートだ。

 そう思っていた。

 この時の俺はまだ、自分の放つ光が、誰かの影を色濃く焼き付けてしまうことを知らなかったのだ。

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