TS転生美少女が圧倒的な才能で役者になるだけの話 作:でも実際TSしたら引きこもるよね
養成所に入所して一ヶ月。
俺こと朝倉凛の評価は、うなぎ上りだった。
「天才」
「百年に一人の逸材」
「ステラの最終兵器」
廊下を歩けば、そんな囁き声が聞こえてくる。
正直、居心地が悪い。
俺は別に天才じゃない。ただ、前世で三十年間、現場の隅っこでプロたちの芝居を盗み見続け、泥水をすすりながら技術を磨いただけだ。言ってみれば「強くてニューゲーム」状態なのだから、初心者の彼らより上手くて当たり前だ。
だが、そんな俺の「ズル」が、思わぬ弊害を生み始めていた。
◇
「おい、相手が死んでるぞ」
レッスン場の空気を裂くように、黒岩の声が響いた。
俺はハッとして、目の前の相手役──同じクラスの男子生徒を見る。
彼は顔面蒼白で、唇を震わせていた。セリフが完全に飛んでいる。
今日のお題は『別れ話』。
俺が演じるのは、浮気がバレて開き直る女。相手役はそれを責める男だ。
本来なら、男の方が感情を爆発させて俺を問い詰めるシーンだ。
それなのに、俺が冷ややかな視線で「で? それが何?」と一言発した瞬間、彼は蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまった。
「……すみません」
「謝るな、朝倉。お前じゃない、そいつに言っている」
黒岩はパイプ椅子に深く腰掛けたまま、怯える男子生徒を一瞥した。
「朝倉の芝居に飲まれるなと言ったはずだ。彼女の空気感、間の取り方、視線の圧。それらに圧倒されて、お前はただの観客になっている。舞台の上で『観客』になる役者など不要だ」
男子生徒は「はい……」と消え入りそうな声で答え、逃げるように舞台袖へ下がっていった。
俺はバツの悪い思いで立ち尽くす。
「朝倉、お前もだ」
「えっ」
「お前の芝居は独りよがりだ。相手の力量を見極めず、全力でぶん殴ってどうする。それは演技じゃない、暴力だ」
黒岩の言葉が胸に刺さる。
暴力。
確かにそうかもしれない。
前世の俺は、常に「いかに主役の邪魔をせず、かつ印象に残るか」というギリギリの戦いを強いられてきた。だから、隙あらば爪痕を残そうとする癖が染みついている。
だが、ここは養成所だ。相手は素人同然の若者たちだ。
俺が本気で圧をかければ、彼らが萎縮してしまうのは当然だった。
「……加減が、難しいな」
席に戻りながら、俺は小さく息を吐いた。
手を抜けば「舐めている」と言われ、本気を出せば「暴力」と言われる。
才能がある(ように見える)というのも、楽じゃない。
「次は、一ノ瀬と真行寺」
黒岩の声がかかる。
俺の隣で、紬が「はい!」と元気よく返事をした。
彼女の相手役は、あの真行寺カナだ。
これは荒れそうだぞ、と俺は内心で身構えた。
◇
舞台に立った二人の空気は、対照的だった。
カナは静かに集中を高め、すでに役に入り込んでいる。
一方、紬は肩に力が入りすぎていた。拳を握りしめ、呼吸が浅い。
お題は『親友との喧嘩』。
些細なすれ違いから、溜まっていた不満が爆発するシーンだ。
「……ずっと、思ってたの」
カナが口火を切る。静かだが、芯のある声だ。
彼女もまた、俺に対して敵意を燃やしているだけあって、実力は本物だ。相手の感情を引き出すような、巧みなボールを投げている。
それに対し、紬が返した。
「私だって! 私だって我慢してたんだから!」
……大きい。
声が大きすぎる。
感情が乗っているというより、ただ怒鳴っているだけだ。
表情も作ったように歪んでいる。あれでは、観客は引いてしまう。
(紬、焦ってるな……)
俺は眉をひそめた。
紬の良さは、飾らない素直さと、天性の明るさだ。
技術がなくても、その場の空気をパッと華やかにする「愛嬌」という最強の武器を持っている。
なのに、今の彼女はそれを捨てていた。
無理にシリアスな表情を作り、低い声を出そうとし、結果として不自然な芝居になっている。
まるで、誰かの真似をしているような──。
ハッとした。
今の紬の間の取り方、視線の動かし方。
あれは、俺のコピーだ。
「カット」
黒岩が無慈悲に告げた。
「一ノ瀬、座れ」
「えっ……まだ、最後まで……」
「見る価値がない。お前、誰の芝居をしている?」
図星を突かれ、紬の顔が強張る。
「朝倉の真似事をして、何になる? お前にはお前の声があるはずだ。借り物の技術で張り合おうとするな。滑稽だぞ」
容赦ない罵倒。
紬は唇を噛み締め、涙を堪えるように俯いた。
その隣で、カナが冷ややかな視線を送っている。
「身の程知らず」とでも言いたげな目だ。
紬は逃げるように席に戻ってきた。
俺の隣に座る彼女の肩は、小刻みに震えている。
「……紬」
「……ごめんね、凛ちゃん。私、ダメだなぁ」
紬が無理やり作った笑顔を向けてくる。
その笑顔があまりに痛々しくて、俺は胸が締め付けられた。
◇
レッスン終了後。
更衣室は重苦しい空気に包まれていた。
紬は着替えもそこそこに、誰とも目を合わせずに帰ろうとしていた。
俺は慌てて彼女を追いかけ、廊下で呼び止めた。
「紬! 待ってくれ」
「……あ、凛ちゃん。ごめん、私ちょっと急いでて」
「今のレッスンのことだけどさ」
俺は言葉を選んだ。
中身はおっさんだが、今の俺は彼女の親友だ。
傷ついた彼女を励まし、正しい道へ導いてやるのが、経験者としての義務だと思った。
「黒岩先生の言う通りだなんて言わないけどさ。俺は、紬の芝居、好きだよ」
「え……?」
「紬には、俺にはない魅力がある。見てるだけで周りを明るくする華やかさとか、素直な感情表現とか。それって、技術じゃ身につかない才能なんだ」
俺は本心からそう言った。
テクニックで固めた俺の芝居は、確かに上手いかもしれないが、どこか冷たい。
対して紬の持つ陽性のオーラは、努力で手に入るものじゃない。
彼女は自分の武器に気づいていないだけだ。
「だからさ、無理に俺の真似なんてしなくていい。紬は紬らしく、そのままでいた方が絶対に輝けるよ」
俺は彼女の肩に手を置き、にっこりと笑いかけた。
完璧なアドバイスだと思った。
自分の長所を伸ばせ。他人と比べるな。
役者として最も基本的で、かつ重要なことだ。
けれど。
俺は気づいていなかった。
その言葉が、今の紬にどう響くかを。
紬の表情が、一瞬だけ凍りついたように見えた。
光の消えた瞳が、俺を見つめ返す。
『あなたは私とは違う』
『同じ土俵に上がろうとするな』
『あなたはあなたの(低い)レベルでお似合いだ』
劣等感に苛まれている人間に、天才(と思われている人間)からの「そのままでいい」という言葉は、残酷な宣告にしか聞こえないのだと、俺は知らなかったのだ。
「……うん。そうだよね」
数秒の沈黙の後、紬は顔を上げた。
そこには、いつも通りの太陽のような笑顔が張り付いていた。
「ありがとう、凛ちゃん! 私、やっぱり凛ちゃんには敵わないや! もっと自分らしく頑張ってみるね!」
「お、おう。そうか、分かってくれたか」
俺はホッとして胸を撫で下ろした。
よかった、伝わった。これで彼女も吹っ切れたはずだ。
「じゃあ、また明日ね!」
紬は元気に手を振って、駅の方へと走っていった。
その背中が、どこか泣いているように見えたのは、夕暮れの逆光のせいだったのだろうか。
俺は一人、その場に残された。
なんだろう、この胸のざわめきは。
正しいことを言ったはずなのに、何か決定的な間違いを犯したような気がしてならない。
「……考えすぎか」
俺は首を振り、踵を返した。
俺には俺の戦いがある。
次のレッスンでは、どうやって相手を殺さずに自分を生かすか、その調整をしなくては。
だが、俺は知らなかった。
走り去った紬が、角を曲がった瞬間に足を止め、壁に手をついて崩れ落ちていたことを。
「……なによ」
彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「私らしくって、何? 下手なままでいろってこと? あなたの引き立て役でいろってこと?」
握りしめた拳に、爪が食い込む。
「凛ちゃんには……私の気持ちなんて、一生分からないよ」
夕闇の中、少女の純粋な憧れが、黒く濁った何かに変わり始めていた。
俺たちが「親友」でいられる時間は、もう残りわずかだったのかもしれない。