褪せた狩人、猟犬の如く禍群に潜む   作:b畜農家

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#3【カムラでの生活:621の場合】

 明け方、621は目を覚ました。

 

「ふあぁ」

 

 欠伸をしながら起き上がると、傍らで丸くなっていたガルクも伸びをしながら後に続く。

 恩人はいつも通り先に起きていたようだが、本当に早起きしただけだろうか、誰かにさらわれてはいないだろうかといつも不安が胸によぎる。

 

 青年は寝間着から普段着に着替える。鎖帷子が下衣越しにちゃりちゃり擦れ合う音を聞くと心が安らいだ。かつての居場所では服の下に防弾スーツを着るのは当たり前だったから。

 

 寝室から廊下に出ると、かすかに炊事の音が聞こえてきた。

 仕事をしないと落ち着かないのだと恩人は言っていたが、年なのだからたまには休んでもいいのにと思った。その言葉を聞いた彼が、621にもちゃんとした常識が根付いたことへ見当違いな喜びを見せていたのが昨日のことのように思い出せる。

 

 居間に入る。

 ルームサービスの手を借りながら料理をしていた老人が、気配に気づいて振り向いた。

 

「ごす、おはよう」

「……あぁ、おはよう」

 

 彼…ウォルターの挨拶に応じるように、白いガルクがウォンッと鳴いた。

 

 

 ウォルターの食べる朝食は、いつも型崩れしていたり少し焦がしたものだらけだ。

 彼は「こういうのが好きなのでな」と言う。そういうものだろうか? おにぎり屋のセイハクは「焦げた卵焼きが出てきたらスゲーがっかりするよなー」と言っていた。ごす曰く(たで)食う虫も好き好きだと。よくわからない言葉だ。

 

「えあ、うまいか」

「ワフッ」

「…621、自分の食事をエアに食べさせるな」

 

 621がエアに自分の焼き魚を分けているのをウォルターは咎めた。

 その後はお互い黙って箸を動かす。

 ルームサービスのアイルーは二人を交互に見ながら食べている。

 心地よい沈黙を破ったのは621だ。

 

「ごす、ねれているか」

「寝れているぞ」

「きついかおをしてる」

「そうか。気を付ける。

 お前こそ、……最近、どうだ」

「なにが」

「…その、カムラには慣れたか」

「ごすこそ、なれたか」

「俺は問題ない」

「だったらおれももんだいない」

「お前というやつは…」

 

 ウォルターはため息を吐いたが、落胆を意味する態度ではないことはルームサービスのアイルーにはよくわかっていた。

 プライベートな場だと為人(ひととなり)というのは良く出る。

 自分の気持ちを素直に言えばいいのに何かと理由をつけて隠したがる。雇い主はそういう人だ。

 

 朝食を食べ終えた621は、箱膳を片付けだしたウォルターへ「きょうはどこにいくんだ」と聞いた。

 

「仕事だ。アイルーたちを指導しにな」

「じゃあおれもいく」

「駄目だ。お前はウツシのところへ行って訓練を受けろ。立派なハンターになりたいのだろう?」

 

 621は、だが、とか、でも、とか言っていたが、ウォルターに「基礎は大事だ」と正論を放たれ不満そうな表情でうなずいた。

 

「でも、たまにでいいからごすもなまけろ」

「……そんな言い方があるか」

 

 思わずアイルーはぷっと吹き出して、621に不思議そうに目を向けられたので慌てて口を引き結んだ。

 

 

「ンまだだぁ!! タイシの底力はそんなものじゃない!! もっと俺にたぎるパトスを見せてくれ!!」

「イヤーッ!」

「もっとだ!! もっともっと!! 君はすごい!! まだまだやれる!!」

「イ"ヤ"ーーーッ!!」

「もう一度!! もう一度君の情熱をここに響かせるんだ!! さんッ!! にッ!! いちィ!!」

「イ"ィ"イ"イ"ヤ"ァ"ァ"ァ"ーーーッ!!」

 

 やってるな、と思いながら大門をくぐる。

 修練場は吹き抜けになっていて、流れる川や風にそよぐ葉擦れの音もよく聞こえる。だから、今しがた訓練を終えた『せんぱい』の荒い呼気もよく聞こえた。

 

「うんうん! お疲れ様! さすがは俺の教え子だ、いい掛け声だったよ! ……おやっ? ロクじゃないか!」

「へ? あっ、ロク! おざーっす!」

 

 木刀を取り落として肩で息をしていたタイシが、教官──ウツシの視線を辿り621へ笑顔を向けた。

 ロクというのはこの土地での621が名乗った偽名である。ウォルター相手には621と呼んでもらっているので、実のところ偽名のテイをなしていないのは知らない。

 

「うつしきょうかん、たいしせんぱい、おはようございます」

 

 19歳くらいの青年の、まるで幼児のようなお辞儀にウツシは嬉しそうに笑った。

 

「今日もいい挨拶だね。こんな朝から訓練をしに来たとは感心感心!」

「きょうは、かたてけんをくんれんしにきました」

「おぉ……白き鴉よ! 自分の苦手分野を克服しようというのかい、ますます感心するね! 喜んで手ほどきするよ!」

「ジブンも見学させてもらうっス」

 

 タイシは壁際のベンチに座って、そこに置いてあった竹筒から水をぐいぐいと飲みだす。

 621は木刀を借りて、ウツシ相手に稽古を始めた。

 

 お世辞にも流麗な動きとは言えない。言ってしまえばへっぴり腰だ。農夫のほうがよほど腰の入った動きをするだろう。

 だが驚くべきはその動体視力で、よく観察すればウツシの攻撃を全て読んでいる。ずば抜けた視力に体力がついてこれてない状態だとわかった。

 ウツシもそれをわかっていて、わざと避けられる攻撃を放ちながら、時々激励を飛ばしている。

 

 

 

「そこまで!」

 

 ウツシの掛け声で621は動きを止めた。

 息をつくと、滝のような汗があふれてくる。

 模擬戦闘だとしても、攻撃の軌道を読んで避け続けるというのは精神を削る。

 機械の中でなら621は慣れていたが、生身となると話は別だ。

 ウツシ教官は汗一つかいてない。

 

「ロクはやはり、優れた眼を持っているね」

「そうなんですか」

「うん、以前と比べたら見違えるようだよ! タイシにも言っていることだけど、君にはまだ課題はあるが必ず乗り越えてくれると確信できる! くーっ、俺ときたらこんなにも優秀な弟子たちに囲まれて、なんて幸せ者だろう」

 

 感動のあまり目を拭い出したウツシを、621は小首をかしげて、タイシは苦笑いしながら見守っている。

 思う存分感動を噛み締めたウツシは、十五分休憩を取ったら別の稽古をつけると言った。

 

 

 乾いた音が規則的に響く。

 621はライトボウガンを構えて、練習用のからくり蛙を撃っていた。

 胴撃ちを基本とした、教本に忠実な射撃。七発目がからくり蛙の眼球を穿つのと、里長がノッシノッシと修練場に入ってくるのは同時だった。

 

「里長」

「おう! やってるようだな、ウツシ」

 

 気さくに返した里長のフゲンは、ウツシから621(ロク)へ視線を向けた。

 孫を見つめるような厳しくも優しい目つきである。

 

「どうだ、ロクの調子は」

「初めて武器を持たせたときと比べれば見違えるようですよ」

 

 見てください、とウツシはからくりを指さした。

 黒く焦げた射撃跡を指しながら、彼は続ける。

 

「色々な武器を持たせましたが、どうやらロクはボウガンにもっとも適性があるようです。あの射撃跡! ()()()()()()()()()()()()など並大抵の修練では身に着く技術ではありません」

「ほう、将来有望ではないか」

「ええ。物の試しにペイント弾を持たせてデンコウとライゴウ相手に追いかけっこをさせたこともありますが、俺のオトモ相手に二十発中十三発を当てたほどです」

「オマエのオトモ相手にか! なかなかの腕前」

「初めて稽古をつけたときもその動体視力の高さに驚きましたが、才能だけでなく血のにじむような… それこそ死ぬほどの訓練を積むことで体得したのでしょう。

 ああ! ()()()ともども素晴らしい弟子を持てて俺は果報者だ」

「そうか、俺も鼻が高いぞ!」

 

 フゲンはにかっと笑った。

 どれどれと言いながら武器置き場から脇差ほどの長さの──フゲンが持つとミニチュアのように見える──木刀を抜いて歩き出した。

 

「おおい、ロク! 俺が稽古をつけてやる、来い!」

「え"」

「がっはっは! 渋い顔をするな、ジジイの運動に付き合う気分でかかってくればよい!

 あ、ペイント弾を持ち出すのはよせよ。俺を医院(びょういん)送りにするつもりでやれ!」

 

 無茶苦茶な発言に反論する者は誰もいない。木刀を持ったフゲンは、挑戦的な笑みを浮かべながらもういっぽうの手をクイクイと動かした。

 621はすぐに切り替え、後ろに下がりながらフゲンを撃ち始めた。

 

 迫る弾丸をフゲンは無造作に木刀で払いながら、散歩のような調子で621に近づいてくる。

 一発一発が瞬きする間に発射される、急所を正確に狙った攻撃だ。それをボールでも撃ち返すような気楽な調子でフゲンは防御している。

 621は、武装ヘリ(ルビコプター)と戦ったときのような心情でフゲンを撃ち続けていた。それは人食い熊が近寄ってくるときの感情に似ていた。

 

「狙いどころがよくなったではないか」

 

 銃弾の雨あられの中でフゲンが上機嫌に言うのに対し、「こんなのどうすればいいんだろう」と621は考えている。

 唐突にフゲンが走り出した。621はびくっとして、教本通り散弾に切り替えようととっさに視線を落とす。

 そのわずかな時間にフゲンは距離を詰め、青年の頭目掛けて木刀を振り下ろした。

 

 

 

 木刀は、思わず防御した621の頭すれすれで止まっていた。

 へなへなと腰を抜かす彼へフゲンは笑いかけた。

 

「腕がよくなったぞ、ロク。これからも精進せい」

 

 

「う~」

 

 ちらりとウォルターは目をやる。

 ここはオトモダチ広場。立派なオトモを目指すアイルーやガルクがオトモ使いのイオリ、そしてウォルターの指導の下訓練を積み、事情があってオトモになれない他の獣人は体に障らない範囲で遊んでいた。

 近くでは交易船が停まり、褪せ人が女商人相手に買い物をしている。

 しゃぼん玉がゆったりと舞う景色の中、樹木にもたれた621は紙束を相手に頭を抱えていた。

 

「そんなに難しいッスか?」

 

 タイシが声をかけた。

 向き合っているのは、ある程度発展した集落でなら誰でも学ぶような簡単な計算式ドリルだ。

 どうも621は異分母分数でつまづいているらしい。白い髪をガシガシ掻いて、あーだのうーだの唸っている。

 エアは何もできなくても手助けしたくなったが、頭領(コガラシ)に「ニャッ」と鋭く声をかけられてしぶしぶ自分の訓練に戻った。

 

「そこはここにこの数字を……」

 

 親切に説明をしだしたタイシを横目にしながら、621は筆をおいてつぶやいた。

 

「なんであわなんかであそんでるんだろう」

「綺麗だからじゃないッスか?」

「あいるーもたのしそうだ」

「しゃぼん玉を飛ばすと楽しいッスからねー。ほら勉強するッスよ」

 

 ジブンもだりーけど、と言われて、621は「うぬ…」と呻き、頬を膨らませてまた数字と格闘し始めた。

 あどけない子どもがそんな仕草をするのならかわいらしいものだが、やっているのがもうすぐ成人する男では見ようによっては滑稽である。

 ウォルターは手を貸したい気持ちでうずうずしていたが、年寄りが若者の助け合いを邪魔してはいけないと我慢している。

 

 621は、19という年齢もさることながら素養も充分ということで本来ならもうハンターになっていてもおかしくない。

 だが誰の目にもわかるほど遅れている情緒面を考慮して、まずは他のハンター見習い同様に基礎を学んでからハンター試験を受けさせようとウツシが提案し、ウォルターも反対しなかったので、そういうことになっていた。

 

 タイシは再度自分のドリルに戻ったが、621がまだ厳しい顔をしているのでまた声をかけた。

 

「なんかヤな事でもあったんスか?」

「…どうしたらさとおさにかてるだろう」

 

 え~? とタイシは頬をかいた。

 

「そんなの無理っスよ、里長はカムラ一番のハンターって言われるくらいの腕利きなんだ。勝てなくたってしょーがないッス」

「でも、いつかはかたないといけない。さとおさよりつよいってことは、このさとでいちばんつよいってことだ」

「そりゃそうだけど… なんでそんな強くなるのにこだわるんスか?」

 

 621は筆を持ったまま、遠い目をした。

 視線の先にはしきりにアイルーたちを褒めながら熱心に指導するウォルターと、生き生きした様子で頭領と組み打ちするエアの姿がある。

 

「……さとおさよりつよくなれば、こんどこそうぉるたーをまもれる」

 

 筆から垂れた墨汁が、和紙に染みを作っている。

 

 この年上の後輩に何があったのかは知らないが、その目に宿るのは真剣そのものの──まるであの老人を一度喪ったことがあるかのような焦燥を感じさせる光。

 そんな彼に告げるべき気の利いた言葉を見つけられなかったタイシは「…あんま根を詰めちゃ駄目ッスよ」と言って、紙面に目を落とした。

 

 621は黙ってウォルターを見ていたが、視線に気づいた彼がこちらを不思議そうに見たので、静かにかぶりを振りまた筆を動かし始めた。

 

 

 

 その帰り道。

 

「今日もよく働いたようだな」

 

 勉強が終わってからも、621はエアとウォルターの傍にいた。

 仕事が済んだらウォルターにぴったりくっついて離れないさまはまるで要人護衛のような雰囲気だが、初めて里に来たときからそういう態度だったのでそんなに違和感を持たれていない。

 

「時々見ていたが、熱心なのはいいことだ。だがたまには休むんだぞ、お前は昔から…」

「ごすはちゃんとやすんだか」

「? …あぁ、ちゃんと休んでいる」

「ほんとうか」

「俺はつまらない嘘は言わん」

 

 ──621が心配するのもさもありなんと言うか、ウォルターは合計で15分程度しか休憩を取っていなかった。

 

「いおりにいわれた、うぉるたーはおじいさんなんだからちゃんとやすめって」

「だから、休んでいるぞ。だいいちハモン老もあの歳でよく働いてるだろう。俺のような年寄りから生きがいを奪わないでくれ」

「…たにんのせいかとじぶんのせいかをくらべるなって、ごすがいったことだろ」

 

「それは…」と反論しようとするのを咎めるように、エアがワン!と吠える。

 

「あさのみーてぃんぐとはあべこべだ」

 

 621がニヤリとした。

 ウォルターは口元に手を当て、しばらく思案していたが、やがて「……弁が立つようになったな」と静かに言った。

 口角が柔らかく上がって、新しい皺が刻まれていた。

 621は軽い調子でその肩を肘で小突き、夕暮れに染まる空を見た。

 遠くに見える居住区では農夫たちが田畑を耕し、大通りではアイルーが商人と連れ合い客寄せをしている。

 ルビコン(別の星)では見られなかった、のどかな情景。

 621はまだまだ情緒が育っていないので、農場を作ってしまえばいいのにと思っているが。

 

 ここは厳しい自然の掟が支配しているが、決して血も涙もないわけではない。

 どうしようもない運命の下殺すか殺されるしかなかったあちらとは違いすぎて、ラスティたちの肌には合うだろうか、底抜けに優しいここの人たちに戸惑うかもしれないなと思う。

 

 ちらりとウォルターを見る。

 

 彼が時々魘されていることを621は知らない。それくらいこの里に馴染んだということだ。

 最初は人間不信の極致のような有様だった621も、いつかはハンターになってエアと共にウォルターの手から飛び立っていくだろう。

 その日が楽しみで、だからウォルターは弱みを見せられなかった。いつまでもこの優しい青年を縛り付けたくなどなかった。

 

 621が離れていく気など無くても、ウォルターが今のところそれに気づくことは無い。

 こんな才能ある人材は自分などにはもったいない、と思い続けるあまり、手放した手綱を咥えて戻ってくるなど想像もつかないのだ、彼は。

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