骨身を蝕む厳しい
ここは寒冷群島。
生命を拒むようなこの土地にも、逞しく息づく生き物はいる。
代表的なのはポポ、バギィ。ベリオロス──そして。
▼
「ギャギッ、ギュエッ」
「ギュッ、ギュッ」
群島地帯を北に下って行った先にある洞窟。
その奥で力なく倒れるポポを取り囲んで、バギィたちがいた。
久しぶりにまるまる太った獲物を仕留められて、その若いドスバギィは上機嫌だった。
これだけ大きくて脂の乗ったポポなら、当分群れも安泰だろう。
もうすぐ繁殖期。繁殖に耐えられる体を作るには美味しい肉を食べるのが一番であり、手下たちと共に我が世の春を迎えられるのが彼女は楽しみだった。
彼女は聡明な個体で、危機察知に優れ、大きな失敗をしたことがなかった。
さっそく、群れの長の特権として一口かじる。
毛皮を突き破って牙が肉を捉えたとたん、芳醇な甘みと血潮の旨味が口いっぱいに広がった。
蕩ける味わいだ。五臓六腑に染み渡るとはこのことだろう。
腹ペコで力が出ないのに、みんなで頑張った甲斐があったというもの。
ひとしきり肉を堪能したドスバギィは、貴方たちも食べなさいと振り返った。
「ギュ?」
…いない。
三匹ほど群れていた手下たちが、一匹残らずいなくなっていた。
どこに行ったのか? 久しぶりに美味しい肉にありつけるのに、急にいなくなるなんてそんなことがあるだろうか。
そもそもあの三匹は、自分を慕ってついてきてくれた忠義者だ。何も言わずに姿を消すなどありえない。
入り口を見やる。誰もいない。
「ギ? ギュエ?」
奇妙な不安に駆られながらも、手下に呼び掛けながら洞窟の奥へ入っていく。
ぴちゃ、ぴちゃ、と足が冷水を踏む。
この奥にはドスバギィも入ったことがない。未知への恐れで背中が粟立ち、鼓動が速まっていく。
…、
嫌な、匂いだ。
まるで胃液と唾液が混じり合ったような、匂い立つ──
バチィッ!!!
「ギャアッ?!」
背中が爆発したような衝撃に、ドスバギィはのけぞって吹っ飛んだ。
全身をしたたかに打ち、水が体を濡らす。
起き上がろうとしたが、全身が重く痺れていた。
──よくも私にこんなことを、殺してやる!
そう思いながら叫んだ瞬間、ドスバギィは下半身を強い力で包み込まれる。
「ガッ?!」
生暖かい肉の感触とギリギリと締め上げてくる感覚に、呑みこまれたのだと気づくまでにはそう時間がかからなかった。
体が地面から離れ、もがく前足が空を掻く。
「ギャヒッ!! ギィガッ!!」
下半身の骨が砕け、皮膚が溶けていく激痛に悲鳴が出る。
体が言うことを利かないのに、痛みだけは鮮明に感じ取れてしまえる。
わけのわからない状況にドスバギィは恐怖で折れそうな心を奮い立たせながら、自分を襲ったモノの正体を見た。
血の気が引く。
鼻も、角もなかった。
ただのっぺりとした顔に、乱杭歯が並んだ悍ましい口だけがある。
──こいつだ、こいつが私の群れを!!
そう思うとドスバギィの心は復讐心で燃えて、奮起した体を折り曲げせめて一太刀と噛みつこうとした。
そしてソレは、獲物が暴れるのに腹を立て噛みついた牙に力を籠めた。
ぶつっ。
濁った音を立ててドスバギィの体が両断される。
地面に落ちた彼女の体はしばらくもがいていたが、やがて息絶えた。それも、つるりと吞み込まれて見えなくなった。
食いでの無い餌だったが、ソレにとってはドスバギィは本命ではなかった。
食うために殺したのではなく、殺すために食った。ただ邪魔だったからそうしたのだ。
そしてソレは、ポポの死骸に向かうと、少しずつ──ごちそうを食べるように少しずつ、その体を齧っていく。
▼
桜の大木と朱色のちょうちん、絶え間なく響く太鼓の音色。
そんな華やかな集会所の片隅に、切り絵のような黒があった。
外気を拒むようにきっちりと着こんだ漆黒の狩人装束。どことなく
顔を覆うマスクの奥には、依頼書が張り出されたボードを見つめる荒み切った青い目がある。
その立ち姿からは、どことなく余裕の無さを感じさせた。瞳の中で揺れる焦りは、依存症患者のそれだ。
やがて、依頼書の一つに目が留まる。
戦い慣れたハンターでも集中しないと文字を認識できない程度には距離が離れているはずだが、彼は何の迷いも無くその依頼書を取り、受付嬢の待機するカウンターへ向かおうとした。
「よっ、狩人」
その背中へ、褪せ人が声をかける。
男──狩人は鬱陶しさを吐き出すような息をつき、億劫そうに振り返った。
「なんだ、褪せ人」
「その依頼受けるのか? 俺も手伝うよ」
「いらん。失せろ」
……褪せ人からしか感じ取れない血の臭いに気づかないふりをしながら、褪せ人は親し気に喋り続ける。
「そんなこと言わずに~、同じ異邦人のよしみでたまには協力しようぜ」
「お前なんぞ死んでもごめんだ」
それはどうして、と頬に指をあてて子どものように首をかしげる褪せ人へ、うんざりだ、と付け足してから狩人は吐き捨てた。
「貴公の息は臭すぎる」
そして狩人は褪せ人に背を向け、受付を済ませてハンター用の出入り口へ足を運ぶ。
「あんまやりすぎんなよ」
罵倒という表現も生ぬるい言葉をかけられたにも関わらずのんびりした褪せ人の声が、そしてそんなやり取りを見たのに「そうだそうだ」「怪我すんなよ」と上がるいたわりの声も狩人の苛立ちに油を注ぎ、迷った腕はやけくそ気味に持ち上がって荒っぽく彼らに手を振り返すことで応えた。
自分などにそんなもの、あってはならないはずなのに。
▼
太陽が照らす白一色の寒冷群島を、矢のように行き過ぎる黒いシルエット。
狩人は、猛然と走っていた。
背負っているのはボウガンにしては小さな銃と、撃鉄のついたハンマー。
雪を蹴散らすほどの速さであるにもかかわらず、まるで影のように気配は薄く足音に至っては響きすらしない。
走る姿は人であるというのに、まるで老成した獣めいて達者な足運びである。
カムラの里から離れていくにつれてその表情から理性が消え去り、マスクの下からでもわかるほどの愉悦に染まっていく。
立ち止まり、鼻をひくつかせる。
その鼻腔は、彼にしかわからない臭いを嗅ぎ取っていた。それは吐き気がするほど生臭い、しかしひどく
ずっと待ち望んでいた、えづくような匂いだ。
その臭いがとりわけ強く漂う方角を見やり、狩人の唇が歪む。
狩人は狩りを楽しむように、今度はのっそりとした足取りで歩き出した。
▼
満足のいく日々だ。
毎日満腹になるまで食べられて、そのうえで誰にも狙われないということがどれだけありがたいことか彼は知っている。
そのフルフルは洞窟の天井に貼り付きながら考える。
やっぱり生存競争を生き抜くには、よそのモンスターが狩った獲物を掠めとるに限る。相手がちっぽけなメスなら、なおさら奪うのは簡単だ。
次来るのも、弱くて小さくて殺しやすそうなヤツならいいなと彼は思っていた。
ぱしゃ、ぱしゃ。
フルフルの感覚器官が、何者かが水を踏みながら入ってくる気配を捉えた。
推理するに、あまり大きな個体ではないだろう。だが今は繁殖期。小さな獲物でも思いのほか脂は乗っているものだし、弱い生き物は仕留めやすくていい。
フルフルは気配を殺して、獲物がやってくるのを待った。
水場に陣取っているのが幸いし、獲物はフルフルの間合いに入って来た。
フルフルは静かに首を伸ばしてその背後へと迫る。
柔らかな体は音を吸収し、その存在を気取らせない。
そうして屈みこみ何かをしている獲物の頭へ口を広げ──
頭を爆発的な火に包まれた。
「────!?!?」
フルフルは耳障りな悲鳴を上げながら地面に落ちる。
なんだ、この痛みは!? 恐ろしく冷たい氷で体を切ってしまったような激痛がひしゃげた頭を苛む。表皮が伸縮性を失い、首が元の長さに戻るにあわせて軋んだ。
獲物だと思っていたモノが
──こいつ、ハンターだ!!
この土地にはたまに変な武器を持った人間がやってきて、バギィやイズチなど目でない力で自分より大きな獲物を狩るのだ。うかつだった。人間と言うモノは身の丈ほどもある武器を振り回してビュンビュン飛び回り、勝てるわけもない戦いに自ら身を投じる頭のおかしな奴らばかりなのだ!
フルフルは踵を返し、一目散に洞窟の出口を目指した。
こんな気狂いをわざわざ相手する必要なんかない。ほとぼりが冷めるまで他のモンスターが縄張りにしている場所を奪って隠れていればいい。
彼が戦うのは確実に勝てる相手だけだ。こんなに居心地がいい狩り場を手放すのは惜しいが命には代えられなかった。
だが。
バン! バァンッ!!
「────~~~~ッ!!」
足の関節がはじけ飛ぶ衝撃に、フルフルは転んで盛大に水を浴びた。
さっきと同じ熱さが両足を襲っていた。穴の開いたそこから、夥しい量の血が流れ出ている。
獲物が構えている、
どうにか身を反転させたフルフルは、反撃すべく電撃のブレスを放った。
直撃すれば心臓も止まるような本気のブレス。
しかし、その人間は見たことのない機敏な動きでそれを避け続け、少しずつ。獲物を甚振るように少しずつ近づいてくる。
──なんで!? 自分は何も悪いことをしていない! ただ勝てそうな相手から獲物を奪ったり、弱いメスを食い殺したりしていただけなのに、なんでそんなに酷いことを!?
「ヤーナム野郎が……」
その時、粘り付くような声を聞いた。
棒を引きずりながら距離を縮めてくる男の目は、流氷よりも青く、月のように光っている。
フルフルの背を、冷たいものが這い上った。
知らず、体が震え始める。
あんな目をしたモノを、自分は知らない。
まるで、悪夢の中の獣がヒトの形を成したような。
薄明かりが照らし出す影が、その男の影を受けて色を濃くする。
そして人間は、自分を取り戻したフルフルが何かするより早く鉄槌を振り上げ──
「あぁ………」
頭部を粉砕されたフルフルの死骸をらんらんと光る眼で見下ろしながら、狩人は息を整えていた。
また一匹、この世からえずく臭いがする獣を消した。潰して潰して、ピンク色の肉塊に変えてやったのだ。
心の底からすっとしていた。悪意を持つけだものは、もっと強い悪意を持つけだものに狩られるのがお似合いだ。そう思うだけで体の底から爽快感が湧き上がり、鬨の声を張り上げたい気持ちだった。
両手に血を掬い顔や体に塗りたくりながら、ほう…と熱い吐息をつく。
──懐かしい血の臭い。この生臭く吐き気を催す臭気を懐かしいと考えてしまう時点で、自分はもうどうしようもないモノなのだ。
こうして獣を狩ればわかる。どれだけ取り繕おうと結局自分はそんなモノ。ヤーナムの豚共と大差はない。
そう実感して、狩人は、心底可笑しそうに、心底可笑しくなってしまったように笑いだした。
「ああ……血、血、血だ。久方ぶりの、獣の血だ。
ヒヒヒ……ハハハ……」
哄笑が洞窟の中を、悲し気に吹く風のように響き続けていた。
▼
カムラの里を見下ろす丘陵地帯。
そこにある自分の屋敷へと、狩人は大慌てで走っていた。
無尽蔵のスタミナを持つ狩人と言えどこの坂道はきつい。暑苦しさにマスクを下ろせば、ハアハアと荒い呼気が出た。
やがて景色は一変する。木々が生い茂っていた周囲がぽかっと開け、無秩序にヒマワリの咲く壮観な風景に。屋敷は、その真ん中にあった。
前々からあった、というよりは、急に生えてきた、という表現が似合う洋館である。
「おーい、そこの板取ってくれぇ」
「あいよー」
「屋根の修繕はこんな感じでいいか?」
「そうだなぁ」
そんな気味の悪さが漂う屋敷から場違いなほどの活気を感じて、狩人の顔がどんどん険しくなっていく。
「みんなー、そろそろお昼ご飯にしよう! うさ団子いっぱいあるよ~!」
「おう! そりゃ助かるなぁ!」
「ご厚意に甘んじてそろそろ休むか~!」
「お前は休みたいだけだろー」
はたせるかな、庭先では数人の大工たちががはは、と陽気な笑い声をあげており、その中心で茶屋の娘が昼ご飯の準備をてきぱきと行っていた。
彼女──ヨモギが狩人に気づき、「あっ、狩人さんだ。お~い!」と手を振った。
「よォ、狩人じゃねえか。仕事してきたんだな、お疲れさん!」
「どうだ、よかったら一緒に」
狩人は──自分の服装は(少なくとも血は落としてきたが)かつてヤーナムでさんざん忌み嫌われた黒装束だと自認している狩人は、彼らの陽気さに不気味なものを感じながら口を開く。
「貴公ら何の用事だ」
「人形ちゃんに頼まれたんだよ、この屋敷は雨漏りが酷いから修繕してほしいって」
「オマエな~、女子に頼み事なんかさせんなよ。そういう時こそおれらの出番だろが」
思わず相方の定位置──窓辺を見やる。
美しい乙女人形は、こちらを見ながらコクンと首を振った。
前々から自分で修繕していたのだ、と狩人は言いたくなったが、こうなるくらいならノウハウのない自分より専門家の彼らに素直に頼るべきだったのだと痛感し、
「……悪かったな」
そうもじもじと言った。
「代金はいくらいる」
「何言ってんだよー、俺たちが押し掛けたみたいなもんだからそんなもんいらんって。
里の依頼をこなしてくれればあとは文句ねぇよ」
「………」
狩人は報酬金を持ち出し、黙って大工衆のリーダーに握らせた。
男は狩人の
目を見られたことになんとも言えないいたたまれなさを感じながら、狩人は屋敷に戻ろうとした。
「あっ、待って待って」
ヨモギは慌てて、狩人の手を握った。
──手袋越しに、ふんわりとした温もり。
──お母さんとお父さんと、お爺ちゃんの次に大好きよ。
狩人はバネ仕掛けのように手を引っ込め、わずかに竦んだ顔で、自分よりずっと小さい、やろうと思えば簡単に殺せてしまえる少女の細い面立ちを見下ろした。
まるで絶対に触ってはいけない──彼女が聖なるものであるかのように。
「うさ団子持ってって。依頼してお腹空いてるでしょ?」
ヨモギは気づいているのかいないのか、彼の手を優しく取って小さな風呂敷を持たせた。
狩人は震える瞳でそれを見届けたが、やがてぎくしゃくした動きで承諾の意を示し、逃げるように屋敷の扉を開いた。
扉を後ろ手に閉め、それを背にずるずるとへたり込む。
『けだものめ! 出ていけ!』
『悍ましい、醜い獣狩りめ』
『臭う、臭うぞ獣めが、消え失せろ!』
そうだ、その通りだ。自分は醜い畜生。獣を狩り、その血で恍惚とする人の形をした獣。
罵声には慣れていた。だから微睡みから覚めた時まったく知らない土地に居た時でも、ああ、また別の悪夢に足を踏み入れたのだと思っていた。
『お疲れ狩人さん! 腹減ってるだろ、よかったら食べな』
『ワシら年寄りや孫が安全に過ごせているのはあんたのおかげじゃ』
『大儀です、狩人。これからも精進なさい』
これこそ悪夢。自分などにあんな優しい、親し気な声をかけられるなんてあってはならないはずなのに。時折それを嬉しく思う自分に戸惑うし、罵倒も攻撃もかけてこない彼らに本気で困惑する。気持ち悪いくらいだ。
──だからこそ、あの大いなる災いは許せない。
嵐のように現れて、当然のように全てを奪っていった、醜悪なあの龍。
この里を、
人形の足音が近づいてくる。そのためには力を磨かねば。
もっともっと、たくさんの獣を狩って力を得なければ。
そう思いながら、狩人はゆっくりと立ち上がり、部屋の奥へと──魔物の喉のように薄暗い闇の中へと消えていった。
【補足】
:ドスバギィ:
メス。生まれついての聡明さで堅実に生きていて面倒見の良さから手下からも慕われていた。
フルフルに出くわしたのは不幸としか言いようがない。
:フルフル:
オス。弱いものから獲物を奪うことが当たり前だと思っている純粋悪。大体忍極のヤクザ。