「九郎くーん、お茶お代わり!」
「はい、只今!」
「このおはぎ美味いなぁ~」
「ありがとうございます!」
「お客様一名ごあんニャ~い!」
「うむ! かたじけない!」
活気あふれる茶屋に、やや似つかわしくない堅苦しい言葉。
それを発しているのは十二、三歳ほどの幼い少年。
清潔な前垂れと三角巾をきちっと纏い、
ときおり厨房小屋を覗き込み、おはぎを作っているアイルーを労っている。
製法を教えたのは少年──九郎だ。
私一人が製法を独占するのはもったいないと、里全体に広めた。
おはぎ自体はありふれているが、彼の伝えたとおりに作ると普段より美味しく感じると上々の評価だ。
九郎の顔を見ながら食べるとさらにオツだというなんとも言えない
しかしそういった人間は、彼の友達やとある男に追い払われて近寄ることもできない。
そして意外にも、常に九郎を守ってくれるこの人物は九郎の親ではないのだ。
「九郎さん、そろそろ休憩時間ニャ」
「あとはボクたちに任せるのニャ」
「あいわかった」
時間は昼時。一番客がやってくる時間帯だが、ここで昼ご飯を抜かすようでは働けない。
九郎は弁当包みを持って里の片隅にある休憩所に入る。そこでは、おにぎり屋のセイハクと飴屋のコミツが揃って昼飯を食べていた。すぐそばではロクも食事を摂っている。
「おっ、九郎じゃんか。おつか!」
「くろーくん、お疲れさま」
「うむ、セイハクとコミツも“お疲れ様”じゃのう」
「……」
ロクは黙ってどでかいおにぎりを頬張っている。とはいえかつての九郎の周りにいた人間は口が重いものだらけだったのでそんなに気になることもなく、九郎は椅子に腰かけて袋包みを開く。
いただきます、と手を合わせる九郎が気になったのか、おにぎりを食べていたセイハクがちょっと行儀悪く伸びあがって弁当箱の中身を見た。
「九郎の弁当っていっつも色んなおかず入ってるよな。すげーなー」
「フフ、前々から好きな物ばかりの弁当を作ってみたかったのでな」
──そんなことを言いつつも、その中身は雑穀ご飯にネギを刻み入れた卵焼き。ごぼうのきんぴら、大豆の煮物や菜っ葉の漬け物と健康的である。
「そなたこそ、そのおにぎりは毎日作っているのだと聞いたぞ。偉いではないか」
「そっかー? へへへ、オレって偉い!」
照れ臭そうに鼻をこするセイハクの横に座っていたコミツが、「そうだよ、セイハクくんってえらいんだ」と付け加えたので、彼は「よせよ~コミツ」と肘で彼女の肩をつついてまぜっかえした。
その時、沈黙を守っていたロクがおもむろに口を開いた。
「せいはくとこみつは、とってもなかよしなんだな」
「……はっ!?!? ち、ちげーし! 幼馴染を大事にするのは当たり前だって母ちゃんから言われてるだけだし!!」
「それじゃあ、わたしのこと嫌い?」
「え"ッ!!! いいいいやぁそんなわけでは……」
「じゃあ好き?」
墓穴を掘ってしまったことにハタと気づいたセイハクは、その場にいる全員からの視線が集まるにつれてかわいそうなほど真っ赤になっていき、散々唸った末に俯いて「……友達だから、な…」と蚊の鳴くような声でつぶやいた。
コミツは嬉しそうに笑みこぼし、ロクはやっぱりと頷き、九郎は彼らを優しく見守っている。
──そんな四人を、狼は見ていた。
彼の気配は影のように薄い。明かり窓から子どもたちの様子を盗み見る男という不審者丸出しの姿だが、身にまとうのは穏やかな雰囲気だからか声をかける者はいない。
かつての、忍びの掟こそ至上であると考えていた頃からは想像もつかない柔和な瞳である。
毎日美味しいものを食べて身だしなみの手入れをしているからか、心なしか肌つやもよさそうに見える。
ときどき、彼自身ですらそんな自分に驚くほどの変化だった。
そうして、狼は音も無くその場を離れ、自分の仕事をするべく集会所へ向かう。
食べていくための銭を手に入れるため。ひいては、施しではなく自分の力で
▼
車輪の転がる音が響く。
この辺ではありふれているガーグァ荷車は、とある温泉地へ続く街道を進んでいた。
御者のアイルーは、ガーグァの体力に気を遣いながらできるだけ素早く人里に出ようと手綱を操っている。
その荷車に寄り添う仏頂面の男がいる。
狼だ。
彼は辺りを警戒しているようだ。
顔は正面を向いていても耳はそばだてられ、些細な変化も聞き逃さない。刀の鯉口に指をかけ、いつでも抜刀できるようにされてある。
音を立てずに歩く姿は揺るぎなく、慣れた雰囲気だ。
──その気配が変わる。
佇まいこそ自然であるが、瞳孔が細かに収縮した。
手綱を握っているアイルーに、そっと耳打ちする。
「ジャグラスが三匹、こちらを狙っている」
アイルーの顔が緊迫し、思わず手に力がこもる。
それを視線で制して、狼は言った。
「油断さえしなければいい」
彼の言葉をアイルーは信じて、肩の力を少し抜いた。
この男に限らず、ハンターというのはいざというとき無駄口を叩かないものだ。この、いかにも狩技の卓越している男が言うのなら問題はあるまい。
馬車は再び動き出した。
違うのは狼が打刀を抜き、刃を日光にちらつかせながら歩きだしたことだ。
竹林からこちらを見ているジャグラスたちは、顔にチカッチカッと光がかかる度に迷うように前進しては後ずさるを繰り返す。
さっきと同じ、速くも遅くも無い速度でその視界から外れていく。
彼の腕前にかかれば、ジャグラス程度全滅させることはわけない。
しかしむやみやたらとモンスターを殺すのはよくない。たかが数匹の群れでも、もしかしたら他のモンスターの増加を気づかないうちに防いでいるのかもしれない。
自然の強さは甘くないが、かといって好き放題していいわけでもないのだ。
脅威から逃れる鼻を持っていても、恵みに慣れて驕るようならさらに強い脅威によって滅ぼされる。
ここ、大社跡の住人がそうだったように…
「、」
狼の目が鋭く動く。
背後にいたジャグラスの群れ、その一匹がしびれを切らしたのかこちらに走り出した。
若い個体だろう。体の色も薄く、全体的にほっそりしているジャグラス種の中でも特に小さい。
男は静かに歩調を緩め、馬車からほんの僅かばかり距離を置いて、義手に右手を添えると一気に振り抜いた。
そのジャグラスからしてみれば、人間が身じろぎしたようにしか見えなかっただろう。
次の瞬間殴られたような衝撃が頭を襲い、彼は何もわからなくなった。
撃たれたように小柄なジャグラスが倒れた。
その額には小ぶりなクナイが深々と刺さっている。
狼は鈍く光る瞳で残りの群れを見る。
絶句して動かなくなっている彼らを見つめながら、男は素早く馬車の傍に戻った。
「……ニャ? 何かあったのニャ?」
「いや」
物音を聞き取ったアイルーはまだ不安そうな目をしていたが、馬車を操っているのに後ろを向いてはいけないと正面を見るのに集中した。
ハンターが禿げ頭の男や目元を隠した女性と食べ歩きしながらなにやら喋っている。タマネギのような甲冑をまとっているので、気になって視線が流れる。
遠くにいるのでよく聞こえないが、ずいぶん楽しそうだ。
「いやァ~っ、助かったのニャ。おかげで無事にユクモに着けたのニャ」
ユクモ村に面した階段の横に荷車を停めて、商人アイルーは狼の手へ報酬金を握らせた。
狼は相変わらずムスッとしたまま、「……構わぬ」と言って来た道を戻ろうとする。
「ニャ? ユクモ温泉には入らないのかニャ?」
「ああ」
「ユクモに来たニャら温泉に入るのがマストなのニャ! 疲れも取れて気分爽快ニャよ~」
「疲れてはいない」
「ニャーに言ってるのか。 顔が『疲れてる』って言ってるニャよ」
思わず狼は顔に触れた。
確かに、さっきと比べて
一瞬、顔が湯けむりを見上げた。
ユクモの温泉は優れた効果を持つ。
狩りに出かける前にひと風呂浴びにいくハンターだって大勢いる。
少しくらいゆったりとしても誰も怒らない。
しかし彼は「ゆえにこそ」と頑固だ。
「そうなのニャ? だったらもう止めないけど。そんなに大事な用事があるのニャ?」
「……言えぬ」
アイルーは考え、「あ~、大事な人を待たせてるのニャね」と言って、それなら早く帰った方がいいと納得した。
言ってもいないことを、しかし事実なことを指摘された狼は、報酬を袂に仕舞い足早に帰路を急ぐ。
「またいつか会おうニャ、狼さん」
狼は立ち止まり──ぎこちなく首を動かして返事した。
▼
(何を考えているのだ、俺は)
主のいる里へ最短距離を突っ走りながら、狼は自問自答していた。
この過酷な世界では、昨日話していた相手が次の日死ぬこともよくある。
なのになぜ、みな気楽に「またいつか」と言えるのだろうか。
いつ死んでもおかしくない日常というのは安らぎを奪う。安らぎが無ければ人は余裕を持てない。余裕の無い人間は捨て鉢になるか非道に走る。
この世界の人々にはその特徴はまったく見受けられないように狼は感じる。いや、見受けられないというか、協調して生きられない人間は自然と淘汰されていったのだろう。
この土地の人々は、一日一日を大事にして生きているように見えた。
脅威が間近にあるからこそ、どっしりとした態度を取るのだ。
それには並ならぬ覚悟がいるだろう。
(彼らが傷つくようなことがあれば。もしも、そんなことがあれば)
そう考えると、胸に鈍い痛みを感じた。
葦名で出会った者たち。──そして九郎様の笑顔。
彼らのような純な心を持つ人々が蹂躙されると思うだけで、胸の痛みは増すような気がした。
これが、心、というものだろうか。
忍びとしては無視すべきものではあるが、この痛みを無いことにしてはいけない。そうも思う。
この痛みが次第に薄れて、何も感じなくなれば、自分はけだものよりも悍ましい修羅に成り果てる。そんな嫌な予感が常に頭の隅にある。
狼に
いや、知っていなかったとしても御子はあの言葉をかけてくれたはずだ。
あのお方は、何も考えずに善行を積むほど心の清らかな人物なのだから。
(忍びは人を殺すが定めなれど、一握の慈悲だけは捨ててはならぬ。
忘れておりませぬ、我が御子)
念じると、手を添えている楔丸がわずかに震えた気がした。
「うわー!!」
悲鳴が聞こえた。
狼は走る速度をそのままに急転換し、声がした方へ駆けた。
片手剣を携えたハンターがファンゴに小突かれて転んでいた。辺りにはキノコが散乱している。
もたつきながら立て直しを図っている彼の後ろで、ファンゴは突進の予備動作をしている。
狼は飛びあがり、真下に楔丸を突き付けて落下した。
頭を刺されたファンゴは地面に倒れ、死んだ。
血を払って納刀する狼に、ハンターが近づいてくる。
「あんたすごいな! 助けてくれてありがとう、おかげで命拾いしたよ」
その瞳は狼への尊敬で煌めいており、気恥ずかしくなった狼は目を逸らしてしまった。
▼
「これは?」
「……返礼の品でございます」
「そうか、人助けをしたのだな。ありがとう狼」
ハンターからもらった特産キノコの盛り合わせに、九郎は喜色を露わにした。
狼は断ったのだが、どうしてもと言われたので譲ってもらった。
御子が喜ぶだろうという下心があったのも否定できない。
が、人助けをして礼を貰うというのは心が清らかになる気がして不思議にこそばゆい。
狼は「如何いたしますか」と聞いた。
「うむ、ちょうど買い出しに出ようと思うていたのだ。ちょうどいい、夕餉はキノコ尽くしじゃ!」
九郎はうきうきしながら炊事の準備を始めた。
主に台所仕事をさせることに居心地の悪さを感じる。
そんな狼の気持ちを汲み取ったのか、九郎は「一人では苦労しそうな量じゃ、そなたも手伝ってもらえぬか?」と言った。
着替えて台所へ向かう狼はやはりいかめしい顔をしたままだったが、心なしか尻尾をぶんぶん振っているように見える。
袖をまくると、二の腕から先に備えた義手がよく見える。
恩義ある人が作ったものとは形状が違う。
かつてつけていたものは狼がここに来る前に外してしまっていた。
これはこの土地での恩人、ハモンが作ってくれたもの。
カムラに流れ着いて右も左もわからない狼を何も言わずに助けてくれて、この義手も融通してくれたのだ。
『倉庫で埃をかぶっていたのを思い出しただけだ。気になるのなら里に奉仕してくれればそれでよい』
ハモン老は腕や足を失ったハンターの為、義手義足を作っているのだという。そのことを聞いた時、狼は彼に尊敬の念を抱いたものだ。
(あの
もしも仏師殿が乱世の中、道を間違えずに生きることができたなら、ああいう風に様々な人に認められ、慕われる人生を歩めたはずだ。
間違える、といえば。
キノコを切りながら、九郎もまた従者のことを考えていた。
──人として、生きてくだされ。
朧げな意識の中で聞いた最後の言葉を思い出すたび、九郎は喉が詰まるような思いになる。
なぜ狼は道理に逆らってまで自分を助けてくれたのか。不死を断つには自分一人の犠牲が支払われればそれでよかったのに、狼は自分の命を捧げて九郎を人に戻してくれた。
それにはどれほどの覚悟がいっただろう? そんなことをする意味はあったのか?
九郎は葦名を旅立ってから悩み抜いていたが、何の因果か狼と再会できて気づいた。
(きっと狼もそうだったのじゃ)
あの目を記憶に蘇らせるたび理解できる。きっと“この”狼も、いたわしい犠牲を払って不死の呪いから解放されたのだと。そして、消えない傷を抱えながら生きてきた。
そう思って、初めて私はなんて残酷なことをしてしまったのだと九郎は後悔した。
自分の存在をあまりにも軽く見なしていた。まことに周りの人々を思いやるのなら、自分が死ぬことで誰かが悲しむことを気に留めるべきだった。
不死の呪いは断ち切るべきだった。その思想は変わらない。
だが、今では考えが変わった。生きるべきだった。
心から狼を思うのなら。
「九郎様?」
気づけば包丁が止まっていた九郎は、誤魔化すように笑って手を動かし始めた。
九郎様はいくら盛っても許される風潮、いいと思います。
ハモンさん周りの設定は捏造。ハンターをリアルに落とし込んだら義手義足とは切っても切れない関係になりそうだし、あとモンハンの鍛冶屋がそういうのを作ってたらかっこいいなぁってロマン。