特別リハビリセンター。
街の繁華街で、ブティックや喫茶店等と共に並び立つこの施設は、身体的、精神的、両方の分野においてリハビリ治療が必要な患者をケアする場所である。
患者は主に先の大戦で心身共に障害を持った者が多く、肉体改造を施された生体CPUと呼ばれる青少年たちもその例に漏れず、治療と検査を行う為にこのセンターにしばしば通っている。
強制連行されたシャニが精密検査を受けたのは、特別リハビリセンターの中でも最も特別な処置を必要とする生体CPUを扱う特別病棟だった。
「脈拍、血圧、他バイタル数値、若干の乱れはあるが全て許容範囲」
ピシッと糊のきいたシャツの上に黒のジャケット、そして皺一つ無い黒のパンツをビシッと着こなしたスタイルでナタル・バジルールは書類をめくる。「カウンセリングするならもっと楽な格好にしたら?」と以前知人に薦められたが、結局、自分にとってこの格好が一番楽だったのだから仕方ない。
仮にラフな服装で来たら、今自分の目の前にいる青年―シャニ・アンドラスに「いつもと違うじゃん、彼氏でも出来た?」なんて笑いの種にされてしまう。
「深刻な異常は特にないな」
「だから、何回も言ったじゃん……ただ飲み忘れてぶっ倒れただけだって」
前髪で片目を隠している青年は、気怠そうな目をナタルに向ける。
「ただの飲み忘れ?違うだろう」
「……」
「私とて、何も知らないわけではないぞ」
シャニが目を細める。
「アンタも“そっち側”かよ……」と小さくぼやく声が聞こえた。
「そんなに警戒をするな。監視の報告は聞いているが、私はお前たちの身を案じているだけだ。だからこそ、教えてくれ。どうして今朝、薬も飲まずに家を出た?」
単刀直入。
ナタルは素早く要件を斬り込んだ。
シャニは直ぐには答えなかった。左手で頭の後ろを掻き、そのままの手で耳をいじる。
「
ボソッと彼は要求し、今度は左手を、長く垂らしている方の前髪の下に滑り込ませて少しだけ掻き上げる。
普段隠れている金色の瞳がナタルを射貫いた。
言うこと聞いてくれたら話すよ。彼の目がそう訴える。
エアコンと言ったが、実のところ、今はエアコンなどついていない。彼が切って欲しいのは“別のもの”だ。
「少し待っていろ」
シャニに背を向け、ナタルは携帯端末で上層部に連絡を取った。
一言二言メッセージの送受信を交わす。
「許可が下りた」
次にデスクの引き出しの中からリモコンを取り出して操作する。
「十分間だそうだ」
「えー、たったそれだけ?」
「贅沢を言うな。時間がない。もう一度聞く。何故今朝、薬も飲まずに家を出た」
「……ただの暇つぶし」
「という答えはもう聞き飽きた」
こちらを一切見ず、明後日の方向を見ながら言うシャニにナタルはすかさず釘を刺す。
「お前はいつも、そうやってはぐらかす。本当のことを教えてくれ。ここは、そういう場だ」
「……」
「誰にも言わない、約束する」
ようやく、シャニはナタルを見た。
さっきまでの興味の無さそうな態度とはうって変わって、真っすぐな視線を向ける。
「交換……」
「何?」
「やっぱ交換にしよ……オレが知りたいことと、艦長が知りたいこと」
つまり、情報の交換ということか。
何を知りたいのかは分からないが、こちらが承諾しなければ何も話が進展しない。上手いこと言いくるめられているような気もするが、ナタルは従うことにした。
「いいだろう。何が知りたい?」
「何でオレ……強制連行されたの?今まで、検査サボってもこんなことなかったじゃん」
ナタルは最初、どんなくだらないことを聞かれるだろうと思っていた。しかし、今のシャニの様子は真剣そのものだ。
戦争が終わって約二年。ナタルはリハビリセンターに非常勤で勤め、何度も彼のカウンセリングを行ってきたが、初めてまともな質問をされたかもしれない。
しかしナタルは、彼の問いに対する答えを持ち合わせていなかった。
「正直、分からない」
ナタルの回答に、シャニの表情が一瞬で曇る。答えを貰えると思っていたのにという、落胆の表情。
「強制連行の件は、アズラエル理事の独断だった。聞いたところによると、軍を使ったらしいな」
「そう。心配で見に来たとか、絶対に嘘……」
「別の目的があると?」
「だから、それをアンタに聞いてんの」
「すまない。本当に分からないんだ」
ちっ、と彼は舌打ちをする。面白くないと思うのも当然だ。折角の交換条件の筈だったのに、何も得られるものが無かったのだから。
「私には、お前が欲しいものを与えることはできない。だが、これだけは伝えておく。アズラエル理事には気を付けろ」
「……」
「戦争が終わってから、私もあの男の動向には注意を向けていた。彼の憎悪はまだ消えていない。コーディネーターもだが、この平和な世の中すら恨んでいるように見える。それと、これは私の推測だが彼はまだ―お前たちを利用しようとしている」
「……やっぱりね」
忠告に対して、シャニは妙なしたり顔を浮かべた。
「やっぱり、とは?」
「だって、おっさん必死じゃん。オレ達が壊れないように、そういう“魔法”をかけたりしてさ」
“魔法”。
言い得て妙なことを言うな。
それが何を意味するか、ナタルはすぐに理解することが出来た。
アズラエルによって張り巡らされた、生体CPUだった彼らを見張る無数の監視網のことだ。
彼らの生活圏に設置されている防犯カメラ。それらの映像記録を見る権限をアズラエルは特別に得ている。
そして、彼らが何か問題を起こしたり、不慮の事態で薬が飲めず、禁断症状に陥ったりした際は部下に指示し、対処させる。壊れた物は修復し、修復不可能なら新しい物に取り替える。薬がなければこっそり与える。そうやって、彼らの不祥事を、全て揉み消す。
あまりにも現実的でないことが行われているわけだが、魔法と言われれば確かにそうかもしれない。
「艦長、何でオレが朝薬飲まないで出かけたか知りたいんだっけ?」
「そうだ」
「遊びだよ、遊び」
「遊び、だと?」
「そう。おっさんの“魔法”―監視から逃げる遊び」
監視から、逃げる。
その言葉が孕む様々な危険性をナタルは危惧した。
「逃げてどうするつもりだ」
「別に……どうもしない」
「意味が分からん」
「遊びに意味なんている?結構楽しいよ?秘密基地探すみたいでさ」
「禁断症状限界まで粘って隠れるのも、楽しいと思うのか」
「うん」
シャニは無邪気に頷く。
「苦しいけど……失敗しても、何だかんだいつも人よこしてくれるし。おっさんの“魔法”がある限り、オレは壊れない」
つまり、彼の今朝の行動を解釈するとこういうことか。
アズラエルの目の届かない場所、即ち―カメラの死角を探し、身を隠す。
しかし、それだと本当に監視網から外れているのか、監視の目は届いているがただ見過ごされているだけなのか分からない。
そこで、彼はある確認方法を思いついた。
その方法とは—自分をわざと禁断症状に追い込むこと。
アズラエルは彼らが壊れることを良しとしない。
詳しい理由は分からないが、アズラエルは彼らを失うことを恐れている。
故に、どんな状況でも秘密裏に部下を遣り、無理矢理にでも薬を飲ませ、リハビリセンターか自宅へ運ばせる。
シャニは、アズラエルのそのやり方を逆手に取ったのだ。
冗談で言っているようには見えなかった。
本当に楽しいと思っているのだろう。彼が言うところの、秘密基地探しとやらを。
裏を返せば、そこは彼らが唯一アズラエルに監視されない場所―即ち“自由”でいられる場所と言えるかもしれない。
彼はそういう場所を探しているのだろうか。そこで何をしようとしているのかは検討もつかないが、不審な行動を続ければ監視の目は更に厳しくなるし、何より彼の身に負担がかかってしまう。
やはり、一言物申さないわけにはいかない。
「遊びの為に、自分の身を犠牲にするのは感心しないな」
「……いいじゃん。オレの身体なんだし」
さっきまで上機嫌だったシャニが、不機嫌そうに口を尖らせる。
「やりたいことくらい、好きにさせろよ」
「だが、そんなことを続ければお前は―」
「終わりだよ」
言いかけたところを、シャニに遮られた
彼はナタルの目の前にぴっ、と人差し指を立てた。それを今度はすーっと自身の口元へ持っていく。
喋っちゃダメ。
よくある、分かりやすいハンドサイン。
「十分、経っちゃった。だからもう、この話は終わり」