ナタルは時計を見た。
話を始めてから、本当にジャスト十分が経過していた。
シャニはというと、ニヤニヤしながらまた耳を触っている。時計を見ている様子はなかったと思うが、何故十分経ったと気付いたのだろう。
色々気になることや、先程の話でまだ言いたいことは沢山あったが、約束は約束だ。守らなければならない。
「……ならば、ここからはいつものカウンセリングだ」
立ち上がり、さっさと帰ろうとしたシャニが「え……」と声を漏らす。
「まだ話すの?」
「検査の後は必ずやる決まりだ」
「早く帰りたいんだけど……」
「私の質問に早く答えてくれれば、すぐ終わる」
「じゃあ……早くして」
不貞腐れながらシャニが乱暴に椅子に座り直すのを確認し、ナタルはデスクに向かう。
「最近、何か変わったことはあるか?」
「特に……無い」
「夢は?」
「夢……」
「MSの夢の話だ。今までもカウンセリングでずっと言っていただろう?」
「あ~あれね」
「そうだ。まだ見るのか」
「……うん」
ナタルの視界の隅で、シャニが頷いた。
「頻度は?」
「ほぼ毎日……昼寝してる時とか」
夢は本人の潜在的な願望を見せるとも言う。
MSに乗っている夢を見るということは、それが意味することは一つだ。
「また、乗りたいか」
無論、MSに──ということである。
「たぶんね」
「はっきりしない言い方だな」
「乗りたいって言っても乗れないじゃん。オレの機体、もう無いし……」
諦めたように、シャニは言った。
先の戦争の折、シャニ達三人は生き延びたものの、終戦後に結ばれた平和協定の為に機体は破棄されたとアズラエルから聞いている。
やはり、まだ未練があるのだな。
当然と言えば当然だ。
彼らはMSに乗るために作られたのだから。
それなのに、平和という時代が彼らをMSから引き摺り下ろしてしまった。
戦争が終わり、地球軍を辞めさせられた彼ら三人がどれ程の理不尽を主張したか。
特に、今自分が相対している青年、シャニの心境は酷い有り様だった。強化インプラントステージ4という、最も強化の度合いが高い彼は、薬物への依存度も、MSに乗ることへの依存度も高く、戦いから解放され、民間人になって新しい生活を送ることに猛反発した。
今でも彼を見るとあの時の言葉を思い出す。
は? 自由? 何それ。
ふざけんな! もっとMSに乗せろよ!
何のために、苦しくても我慢してきたと思ってんだよ!
今更普通に生きろなんて出来るわけねぇだろ!
嫌だ……嫌だよ……
他にやりたいことなんてねぇんだよ……
MSに乗れないならいっそ……[[rb:廃棄処分に > ころし]]してよ。
平和は多くの人々に安寧をもたらしたかもしれない。しかし、そうではない者もいる。
あの時、シャニはMSに乗れない人生に絶望し、何の為に生きればいいのか分からず、廃棄という名の自死すら望んだ。
そんな彼を救ったのは、彼らが言うところの、“お仲間”の一言だった。
『どいつもこいつも、できねぇできねぇって決めつけやがって! やってみなきゃ分かんねぇだろ! 俺たちは廃棄にもならねぇし、おめぇらの世話にもならねぇ! 俺達だけで、誰の手も借りずに生きてやるよ! それでいいだろ!』
それから一悶着ありはしたが、結局は無茶な提案をしたオルガがその場を押し切り、クロトとシャニも巻き込んで三人で暮らすという結末に落ち着いた。
オルガとクロトの二人は比較的早く新しい生活を受け入れたという。しかし、シャニだけはそうもいかなかった。
それどころか、あの頃の彼は廃人一歩手前だったように思う。
薬物依存を抑える為のリハビリにも来ず、共同生活を送る二人にすら心を閉ざし、薬を必要以上に飲もうとしたり、かと思えば突然飲むことすら拒否したり、常態を維持できずに入退院を繰り返した。
そんな彼が今では一人の女性と結婚までしている。そもそも、まともな会話が出来るようになったこと自体、奇跡のようなものだとナタルは感じていた。
変わった。素直にそう思った。
しかし、それだけではまだ足りない。
どうしたら、彼は自分を大事にしてくれる?
何が彼の生きる目的になりうる?
終戦となってから、出来る限り彼らのような子供たちのケアが出来ればと思ってこの施設に非常勤で勤めてはいるが、未だに彼らに道を示せずにいる。
しかし、まだ諦めるわけにはいかない。
対話が出来るなら続ける。
自分の思考を隅へと追いやり、ナタルは再び目の前の青年と向き合う。
「夢を見るのは、昼間だけか」
「うん……」
「夜に眠る時はどうだ?」
「夜は、全然」
「それは、全く見ないということか」
「そう。MSの夢だけじゃなくて、他の夢も、何も見ない……朝まで、ぐっすり」
他の夢も、何も……か。
それもまた、不思議な話だ。
「夢を見ない理由に、心当たりは?」
「さぁ」
「……そうか」
ナタルは目線だけを動かしてシャニを盗み見た。
どう見ても、笑っている。口角を吊り上げながら、ナタルが報告書を書くのを見ている。
これは、本当は心当たりがあるのにわざと言わない時の顔だ。
シャニは一度こうなると、何を聞いても茶化したり、くだらない話題にすり替えようとしたりしてくる。これ以上の進展は望めないだろう。
今日はこれまでだな。
ナタルは観念し、ペンを置く。
「ねぇ……あいつは?」
診察室の壁にかけられている時計を見ながら、シャニが言った。
釣られてナタルも時計を見る。まもなく午後十九時。すっかり夜だ。
「あいつ、今日こっちで仕事だったんでしょ」
あいつ。
つまり、シャニの嫁のことだ。彼女のことを指すとき、彼はいつもそう呼んでいる。
「とっくに上がったはずだ。ちょうど、お前が全ての検査を終える頃に帰った」
「じゃあ、もう家に着いてるか……」
「今朝検査に来なかったことは彼女には伝わっていない。もちろん、強制的に精密検査をしたことも。今日のお前のことは、何も」
「へぇ」
シャニが口の端を更につり上げる。
「庇ってくれるんだ……硬そうに見えて、オレには甘いよね」
甘い? 違う。
迷っているだけだ。
様々な問題を抱える彼らに、どうこうしろという意見をナタルは持ち合わせていない。
それが夫婦間の話なら尚更だ。
「ねぇ……黙んないでよ」
シャニに話しかけられ、はっとする。少し考え込んでしまった。
「これじゃ、どっちがカウンセリングしてんのか分かんないじゃん……」
「……すまない」
「もしかして、まだ思ってる?」
「何をだ」
「オレたちのこと、まだ──“保護”しなきゃって思ってる?」
“保護”という言葉に、ナタルの胸がチクりと痛む。
それはかつて、三人の処遇を議論した時に咄嗟に口をついてしまった言葉だった。
「あの時の私は、浅はかだった」
「オルガ、凄かったもんね。オレより怒ってた……」
「今でも反省している。言葉の選び方も適切ではなかった。許してくれ」
「ホント、いい迷惑。艦長があんなこと言ったから……オルガも三人で生きてやるなんてバカみたいな意地張っちゃってさ」
それから、シャニは「オルガの飯はクソ不味かった」とか「クロトのいびきがクソうるさかった」とか、「あいつらと暮らすくらいなら、廃棄処分された方がマシだった」とか、普段の彼からは想像できない程に饒舌になりながら二人の文句を言いまくった。
言い方こそ口汚かったが、この青年がこんな風に自分から語るのは珍しいことだった。口調も、どこか楽しげに聞こえる。
戦争が終わり、シャニが結婚するまでの一年半、彼らは共に過ごした。決して順風満帆ではなかったことはナタルも知っている。それでも、三人で暮らすという──誰もが無謀だと言った彼らの選択は間違いでは無かったのかもしれない。
今のシャニの話を聞いてナタルはそう思った。
カチッ。
時計の針が動く音がした。
ちょうど十九時を差した音だ。
その音を合図に、シャニは再び口を開く。
「もう帰っていい?」
「あぁ」
無言で立ち上がりながらシャニは自分の端末を見る。何を見たのか、一瞬驚いたように、あるいは訝しむに眉を寄せる。
「どうした?」
「ゲームバカから、メッセージ……早く帰って来いって」
「それなら車を正面に回しておこう」
「そう……」と短く告げてシャニは診察室を出ていく。
「あーそうだ」
診察室を出る前に、シャニは何か思い出したように首を回してナタルを見る。
「知ってる? リハビリセンターの前にある喫茶店」
「知ってるが」
「いつも店の奥の窓際の席に座りながら、誰かを待ってる男のことは?」
「それは、知らない」
「もしかしたら、艦長の知り合いかも……今度声くらいかけてやれば?」
バイバーイ、と子どものように手を振って、シャニは今度こそ診察室を出ていった。
喫茶店?
男?
「……何のことだ?」
閉じられたドアを見つめながら、ナタルは一人、首を傾けた。