裏通りを抜けると、表通りから続く道に合流する。ここからシャニのマンションまでは一本道だ。長い下り坂を下りていくだけ。
まだ遠い……だる……。
強制連行したアズラエルと、裏切りやがったバカ二人に舌打ちしつつ、シャニが歩き出した時、背後から猛スピードで走ってくる車の気配を感じた。
後ろから近づいてくるヘッドライトがシャニの目の前の下り坂を照らす。車がシャニを追い越した。暗闇に紛れるような漆黒の車はそのまま走り去るかと思われたが、次第にスピードを弛め、シャニの数歩先でハザードを点滅させて停まった。
こんな何もないところで、突然自分の目の前で停まる車。嫌な予感がする。
そして、すぐにその予感は的中した。
「どうも」
最悪……。
車の運転席の窓から、軽い挨拶と共に顔を出して手を振ってきたのは、アズラエルだった。
『アズラエル理事には気を付けろ』
カウンセリングの中でナタルに言われた言葉が蘇る。
シャニはアズラエルを無視し、無言で車の横を通り過ぎようとするが、「いやいや、待ちなさいよ」と窓から服を掴まれた。
「何だよ、鬱陶しいな……」
「センターの前で待つよう指示されたでしょ? どうして待ってくれないの」
「待ってたのに、来なかった」
「これは失礼。でもネ、ボクが君たちを監視しているように、ボクもまた平和評議会から目を付けられていて大変なんだ。色々と──ね」
アズラエルも監視されている。
それはシャニも初めて聞く事実だった。
なんだ。いつも偉そうにしておきながら、こいつもオレたちと同じじゃないか。
「……冗談のつもりで聞くけど、艦長が言ってた送迎係って、アンタ?」
「そうだヨ。嫌かい?」
嫌に決まっている。
強制連行で連れ去った張本人のくせに。
「僕が直に運転する車に乗れるんですよ? そんな人間、この地球上でも数えるほどしかいない。光栄に思いませんか?」
「全然……歩いて帰る」
「いいんですか? 家に着くのが遅くなっても。奥さんはもうとっくに着いてるけど、付けっぱなしだろう? “エアコン”」
「だから……誰のせいだよ……」
口答えしながらも、ここから歩いて帰る面倒臭さの方が勝ってしまい、シャニは大人しくアズラエル車の後部座席に乗り込んだ。
着くまで寝ていよう。耳のイヤホンはつけたまま、いつもの騒々しい音楽をかけながらシャニは目を閉じる。
「どうです? 結婚生活の方は」
「……」
「まぁ、ボクに何の苦情も来ないから、何だかんだ上手くやってるんだろうとは思うけど」
「……」
「ネェ、実際どうなの? 君たちでも、イチャイチャしたりするのかい?」
「……」
「というか、奥さんが働きに出てるのに、旦那の方がずーっと家でソファの上でダラダラしてるのもどうかと思うんだよね」
「……」
「最近、ボクが与えてやってる内職もやってないでしょう? 来年のカレンダーの梱包作業だけでもやってくださいよ? 年末近くなったら出荷しないといけないんだからサ」
……ウザい。
アズラエルはずっとしゃべり続けていた。
こっちはイヤホンをつけた状態。しかもかなりのボリュームで音楽をかけているというのに、この男の声は何故かそれらを貫通して耳に届く。
全て無視を決め込むつもりだったが、流石にこれでは眠れもしない。
シャニはイヤホンを外し、
「アンタ……喋んないと死ぬの?」
「いいじゃないの、たまには。ボクだってね、したいんです。“世帯持ち”トーク」
「する必要ないじゃん」
言いながら、シャニは窓の外を眺める。
「どうせ、ずっと
シャニが言うと、アズラエルがくくっと喉の奥で笑う。
「オルガたちのとこ……カメラ外したんだって?」
「えぇ。あの部屋、特に仕掛けても得るものがなさそうなので。カメラ代に稼働費用、いくらかかるか知ってるかい? ずっと回してると結構バカにならないんですヨ?」
「じゃあ」とシャニはダメ元で提案する。
「オレん家も外してよ。得るものないでしょ」
「君はダメ」
即答された。
「行儀の悪さが頭一つ抜けてるからネ。目を離すとすぐ変なことしようとする」
「だから何だよ。結婚生活見られるのウザいんだけど……」
「とか言って、ボクが君たち夫婦のやり取りだけは見れないの知ってるでしょ? 邪魔してるのは他でもない──君じゃないか」
「許可したのはそっち……」
「あぁ、その通りだ。今思い返しても嘆かわしいヨ。あんなものがボクからの結婚祝いになるなんて。もっとこう……ペア旅行券とかそういうのをあげたかったのに。『艦長が持ってるリモコンが欲しい』なんてサ。意地張ってプレゼントしてしまったボクもボクだけど」
ふっ、とシャニは鼻で笑う。
「『お祝いに何でも欲しいものをあげる』……なんて言う方が悪い」
「君、そういうの得意だよね。人の隙に付け込むのが上手いというか。案外、ビジネス向いてるんじゃないの?」
アズラエルの言葉に、シャニは驚いた。
まさか、この男からそんな風に評価されるなんて思わなかった。
「別に……オレはあんたに嫌がらせしたいだけ」
「嫌われてるネェ。君たち三人の中で、ボクは一番君にはシンパシーを感じていたのに」
「……何で?」
バックミラーを通して、シャニはアズラエルが笑うのを見た。
嫌な笑い方だ。人を戦争の道具としてしか見ていない表情。
次にどんな嫌味が飛んでくるだろうと待ち構えていたが、
「君、またフォビドゥンに乗りたいって思ってるでしょう?」
シャニははっと息を飲んだ。
破棄されたはずの、かつての自分の機体名に目を開く。
何で今そんな話をするんだ。
もしかして──
「オレ達のMS……まだあるの!?」
まだ車は走っていたが、構いもせずに後部座席から腰を上げ、アズラエルが座る運転席のヘッドレストに縋りつく。
「お客さん、危ないので走行中は席を立たないでください」
「人の話を聞け! 答えろ!」
声を荒げるシャニの口元に、アズラエルの指先が添えられる。
「人の話を聞いた方がいいのは君の方だ。これは“忠告”じゃあナイ。“命令”だ。従わないなら今すぐ降りてください」
シャニはギリッと奥歯を噛み締める。
終戦から約二年。ずっと、ずっと──“それ”が欲しくて仕方がなかった。
それが今、アズラエルの口から出た。
少しでもその情報を得たい。ならば、従うしかない。
シャニは一度浮かせた腰を渋々シートに沈めた。
「いい子いい子♪」とアズラエルが馬鹿にした口調で言う。
「てかその話……今していいの? 平和何とかに聞かれたらやばいんだろ」
自分達がアズラエルに監視されているように、アズラエルもまた上に監視されていることはさっき本人から聞いた。
破棄しろと命令されていたのに、破棄していないと知られたら問題になる筈だ。
「平和評議会のことカナ? もちろん、ヤバいヨ。でも大丈夫、ボクの車には盗聴機も何も仕掛けられてないことは確認済み。だから、この会話を聞いてるのはキミだけだ」
「……そう」
ここまで聞いて、ようやく合点がいった。
訳の分からない強制連行。直々の送迎。
いつもは自分で運転なんて滅多にしない男が、わざわざ自分で運転してるのもそういうことだ。
オレに、MSの話をする為……。
それだけの為に、人のマンションの一室に軍を送り込むなんて滅茶苦茶なことをしたのか。そりゃ監視もされるだろ、なんて、オルガが言いそうなことを思ってしまう。
「話を戻しますヨ。君たちのMS、もしあったとしても動かせるわけではない。平和協定のおかげで、勝手にMSを動かせば世界中から非難を浴びせられる時代だからネ。ましてや、君たちの機体は完全に戦闘用のMSだ。それなりの理由がないと起動の許可も下りない。だから、機体が残っていても君たちが乗れるとは限らない」
「じゃあ……何で今そんな話すんの」
遠回しなアズラエルの言動にシャニは苛立つ。
いつのまにか、足を上下にゆすってしまっていた。
「ただの意識調査ですヨ。もしも君たちのMSがまだ残っていて、乗ってもいいという状況になった時──」
──君は、どうします?
アズラエルの問いに、シャニは足を止めて思考する。
またMSに乗れる。
また色んな物をぶっ壊せる。
また──あの景色が見れる。
そんなの、答えるまでもない。
確かな意図を込めて、暗闇の中でシャニは静かに笑った。外から差し込む街灯の光が、彼の口許だけを照らす。
アズラエルもまた、そんな彼の様子をバックミラー越しに見て満足そうに笑っていた。
シャニの家からリハビリセンターまでの距離は車で移動すればそれ程時間はかからない。
ものの十分もしない内にアズラエルはマンションの前に車を止めた。
「もし君に“欲しいもの”があるなら、ボクの命令には絶対従うことだ。“それ”は君たちが勝手な行動を起こせば手に入らなくなるものだから。あと、君が壊れても元も子もないからネ。今朝みたいな馬鹿な真似はもうしない方がイイ。検査も、ちゃあんと来ること」
シャニにいくつもの注文を投げてから、アズラエルは走り去って行った──と思ったらすぐにバックで戻ってきた。
「忘れ物ですヨ、お客さん」
窓を越しに渡されたのは、さっきステラから貰ったドーナツの袋だった。そういえばさっき、座席の下に落とした気がする。
「では、良い夢を」と、最後に嫌味を残し、今度こそアズラエルの車は街灯の少ない夜の闇の中へ消えていく。
「はぁ……ウザい」
マンションの四階分の階段を上がるのも億劫で、シャニはエレベーターを使った。このマンションのエレベーターは何故かいつも一階か四階に止まっている。その為、すぐにくるか、かなり待たなければならないかのどっちかだったが、今回は四階から降りてくるのを待つ羽目になってしまった。
ただいまも言わずに玄関のドアをくぐる。
今朝荒らしてしまった玄関は綺麗に片付けられていた。やったのはオルガとクロトでは無いと思う。アズラエルが片付けてくれたに違いない。いつものように。
「遅かったじゃん」
リビングに足を踏み入れると、クロトがいた。
相変わらずゲームに忙しいようで、テレビから目を離さずに片手をヒラヒラと振ってくる。
色々と言いたいことがあるが、その前に、とシャニはリビングの壁に取り付けられた
「絞殺、撲殺、爆殺……どれがいい?」
「ただいま代わりのあいさつとしてヤバすぎ」
「お前らのせいでいらん検査受けさせられた」
文句は言いつつ、実はそこまで怒ってはいない。
強制連行されたおかげで、アズラエルからいい話も聞けた。
「悪かったって。でも、ちゃんとフォローしてやっただろ? カミさんにも黙ってやったしさ。で、アイスは?」
「……?」
「何だっけ、みたいな顔すんなよ。メッセ送ったじゃん!」
これが証拠だと言わんばかりに、クロトはシャニの目の前に端末の画面を見せつける。
〈カミさんにはお前がゲームに負けた罰ゲームでアイス買いに行ってることにしたから、アリバイ用のアイス買って来い〉
「あー」
リハビリセンターでナタルと話をしていた時に送られてきたメッセージのことだ。
すっかり忘れていた。
「買って来なかったのかよォ。使えな」
「ドーナツなら……」
「何でドーナツ?」
「センターで貰った」
ドサッ、と今日三人でピザを食べたローテーブルの上に置く。
ステラから貰ったことは伏せた。説明が面倒臭い。
「何でお前ばっかそんないい物貰ってんの」
「日頃の行い♪」
「お前がそれ言ったら、今頃全世界の人間がドーナツを支給して貰ってるよ」
ゲームの方が一段落ついたのか、クロトはおもむろにコントローラーを置いてドーナツの袋を漁り始めた。
そのすぐ側にカルピスが入ったコップが置いてある。いつもクロトが来た時に嫁が出す、カルピスの原液から作られたものだ。
そういえば、先に帰って来たはずの嫁の姿が見当たらない。
ここにいないってことは、寝室……。
そういえば、一番荒れたであろう寝室はどうなった。あそこも片付けられているか確認しないといけない。
思い立ってシャニは寝室へと足を運ぶ、が、
「ちょい待ちぃ!」
床の上にあぐらをかいていたクロトが突然床を這いながらシャニの脚にしがみつく。
「寝室はダメです旦那様!」
「は?」
急に何、こいつ。
「……何で?」
「何で、というか……ほら、今、