痛い。
どこがって、口の中が。舌が。
お腹も結構悲鳴を上げているのがわかる。
吹き出る汗を垂らしたまま、蓮華で真っ赤な海を掬って口の中へと放り込む。豆腐があるのはわかるが、その甘みはちっとも感じない。一定以上の辛さを超えると味の判別がつかなくなってしまうんだろう。
無意識に水で口をリセットしようとした自分の手を制して、一つ息を吐き出す。
それじゃ面白くない。折角山海経に来たんだから、本場の味を楽しむべきなんだよ。いやまあ、周りの山海経生は結構途中で水を入れたりしてるけどさ。
こういうのはあまり私好みの痛さじゃないんだけど、それでもさ、感情は乗っているじゃない?
適当なチェーン店だと調理する人も仕事だからとあんまり心を込めない人もいるけど、ここ玄武商会は部活なのだ。つまり料理したい人がわざわざ入ってるってこと。
旨いものを食わせてあげたいという気持ちが籠っている分、それがどうしてかこの激辛に変換されているという奇妙さを全身で味わうのが癖になる。この痛みはバリエーションとして、味変としてかなりちょうどいい。
ひとしきり赤を味わい尽くして、ごちそうさまでしたと手を合わせる。それから名残惜しい心を抑えつつ、口内の洗浄も兼ねてようやく水を口に含んだ。
生き返るような心地。
水ってこんなに甘かったっけと思うほど壊れた味覚が、口の中で転がすうちに少しずつ改善されていく感覚。それは私の異常性が薄れてしまうようにも感じて、ほどほどのところで喉の奥に押し込んだ。
「良い食べっぷりでしたね! 山海経には観光で? その制服だと任務の休憩中でしょうか?」
一息つきながら水をちびちびと飲んでいたところに、玄武商会の生徒らしき子に声を掛けられる。他の客に話しかけていた記憶はなく、しかも客の入りもあってずっと忙しそうにしているように見えていたから、想定外の声掛けに反応が一歩遅れた。
店内を見回せば、空席がちらほらと。
私が激辛と格闘している間に、昼のピーク時間は過ぎて店内も少し余裕が出てきたのかもしれない。この子が仕事ができなくて暇なのかもと思ったのは許してほしい。許さなくていいけど。
そうなると、暗にさっさと出ろと言われているのかもしれないとも思うけど、まだ店内に人は残っているし、営業時間も夜まで休憩時間なく続いていたはず。だから今回声を掛けられたのは、単純に私が水を飲まずに料理と向き合っている姿に感心されたから、というだけなのだろう。
「少し用事があって。錬丹術研究会って、どこにあるか知ってます?」
ブラックマーケットで仕入れた情報に、こんなものがあった。
山海経の錬丹術研究会に一部で「五塵の獼猴」と呼ばれつつある怪物がいると。その人物は猿の手に始まる願望器のようにこちらの要望を叶える霊薬を作成してくれるのだが、その副作用として大きな代償を払うことになり、多くの被害者を出しているとのこと。
本来であれば玄龍門が対応すべき案件ではあるのだが、既に当該の人物が三年生であることから穏便に卒業してもらう方針を取っているらしい。それを知ってか最近は被害者を増やしているようなので、どう転んでしまうのかはわからないところだけど。
そんな訳で、私が
良い感じの霊薬を貰って、あわよくばいい感じの副作用も付けて欲しい。痛みに弱いから、みたいなのを言ったらめちゃくちゃ身体が痛む副作用をつけてくれる性格の悪さがあれば最高だ。
「錬丹術研究会かあ。うーんあんまりお勧めしないけど……」
そんなことを言いながらも、紙ナプキンにさっと地図を描いてくれる。
少し郊外にあるらしいが、目印がわかりやすいのでそこまで迷わずに行けると思う、とは先程の玄武商会の生徒談。
錬丹術研究会の場所を知らないということから駐在しているヴァルキューレ生でないことは割れていると思うが、応援だと思われたか、あるいは個人的に力を求めてきた一生徒だと思われたか。
後者は半分は正解なので、否定する理由もない。
そんなことを考えながら歩いていたら、意識の外から声を掛けられる。
「そこのお主」
「え、私?」
声のした方を向けば、小柄な玄龍門の生徒だった。事前に集めていた情報と照らし合わせれば恐らく執行部員、即ち治安維持部隊である。
ここまで歩いてきて何も見咎められなかったので山海経にはまだ私の顔は割れていないと思って呑気に歩いていたわけだけど、少し考えが甘かっただろうか。そんなことを玄龍門の生徒の頭に飾られている青い蝶の髪飾りを見ながら考える。
そして、そんなことを考えているうちに、最高の歓迎を受けてしまう。
「――へ?」
銃声が、遅れて聞こえた。
左肩に鈍い衝撃。意識を持っていかれそうなほどの
こちらを向いた銃口から立ち上る煙が私に対する態度を全て包含していて、笑みが零れる。
「あは」
ここは市街地。きっと暴れたら応援が来る。
撃たれたことに気が付かないほど、彼我の実力差は歴然としている。だけど、ゲヘナで味わった理不尽ほど話にならないわけじゃない。
本当は錬丹術研究会に辿り着くまでは大人しくしているつもりだったけど、喧嘩を売られたからいいよね?
ああ、最近は準備ばっかりで溜まってたから、とっても楽しみ。
思う存分、私を撃ってよ。あなたはそれができる実力があるんでしょ?
「居垂タウ、じゃな? ヴァルキューレの裏切り者」
「だとしたら、どうするの?」
「其方は元とは言えヴァルキューレの生徒。そちらの管轄は妾たちでは与り知らぬ。引き渡した後は大方矯正局に放り込まれるのであろうが、実際どうなるのかは把握しておらぬ」
「とりあえず、ヤル気満々ってことはわかったよ」
難しい物言いをしているけど、とりあえず顔は知られてて、捕まえる気があることはわかった。
これ以上の問答は不要。そう考えて踏み込もうとしたところに、正確に足を射抜かれて、バランスを崩して前方に身体が放られる。上目に銃口がこちらの意識を刈り取ろうと向いているのを見て取って、咄嗟に腕で頭を覆うと同時に衝撃。
その勢いを利用して体勢を立て直してリボルバーに力が入ったところで、右手に着弾。私の得物が手から零れて地面に向かう。空いていた左腕でキャッチしようと手を伸ばしたが、まるで曲芸のように射抜かれた空中のリボルバーが私の手の届かない後方へ吹っ飛んでいく。
その方向に視線を向けた刹那、その隙さえも利用されることに気付いて身を屈め、ようやく一発の回避に成功。頭を狙われていたから直撃していれば危なかった。身体の痛みは耐えられても、急所で強制的に気絶させられたらどうしようもないから。
「……はあ」
「どうした? 大人しく降参するかの?」
一連の
左肩と右足は動かせるけど、手の甲を撃たれた右手は最高の痛みを主張しながら痺れて使い物にならない。一撃の重さが違うから、これは多分私のリボルバーを当ててもあまりダメージを通せなかったかも。
ならば、やることは決まっている。
「降参? まさか」
白兵戦だ。
頭を庇いながら、姿勢を低くしながら相手に突っ込む。何発も当たっても怯まない私に、彼女はようやくその表情から余裕を消す。
彼女の銃はサブマシンガン。その銃身はそれなりに長く、潜り込めばその動きを阻害することができる。そして彼女のサブマシンガンの間合いギリギリのところでもっと姿勢を低くして、銃の下へと身体を滑り込ませ、左腕で腰から引き抜いた警棒を振り抜く。
右脇を揺らす一撃に、その細腕からサブマシンガンが落ちる。
何が起こったのか理解した彼女が足で銃を蹴り上げて手に戻そうとしたので、右腕でその蹴りを受け止め、銃に届かないように阻害する。何も握れないほど痺れていたって、手首から上は動く。細い脚から繰り出されたとは考えられない重さに、ミシリと骨が嫌な音を立てたのが聞こえた。
サブマシンガンを蹴り飛ばそうとした私に対して、彼女は蹴り上げた右足を防がれたのを利用してそこを軸に身体を回し、スーツだとは思えない軽やかさで私の顔面目掛けて左足を振るった。
「……んぅ。足癖悪いって言われない?」
「生憎、優等生で通っておっての。今しがた今世で初めて言われたばかりじゃ」
咄嗟に左手を防御に回していなかったら、今の一撃で決着だったかもしれない。何とか凌いだものの、警棒を握りながら直撃した中指と薬指は完全に私の制御から離れてぶら下がっている。
正攻法じゃ無理だからと接近したのに、力負けしている現状では攻略法がない。
まあでも、武器は確保したから、戦略は増えたかな。
「お主の足癖も悪いよのぉ」
「両腕の代償としては収支マイナスかなって思うけど……ねッ!」
彼女から奪ったサブマシンガンを牽制に撃ってみても、今度は彼女がそれを意に介さずにこちらへ駆けてくる。
握り込まれた小さな拳は受ける術がないので顔を逸らして避けるしかなく、逆腕の一撃が握られているのを見て、咄嗟に彼女の愛銃を使って受け止める。右腕は肘で挟んでいるだけなので少し踏ん張りが効かず、彼女の拳に負けて跳ね飛んだサブマシンガンに、彼女の細い腕が伸びる。
これは届かない。体勢的に足も間に合わない。普通にやるなら、彼女の方が早い。
ならば。
「ぐっ」
初めて彼女から苦悶の声が漏れる。
私は跳ね戻ってきたサブマシンガンをキャッチしつつ、鼻を押さえて一歩下がった彼女を見た。
良い表情。先程までとは違って、私を一人の厄介な手合いとして認識した鋭い眼。手負いの獣ほど厄介なものはないと言うけれど、こちらを処理する相手ではなく敵として見てくれたことに私は喜びを隠せない。
今までの
銃の熱は最高だけど、たまにはこういう
私は額から垂れてきた血を舐めながら、この愉しい時間がもっと続けばいいと祈ってみる。
次はもう少し早めに投稿するつもりです。