アウラ「魔族は呪霊操術の術式対象だ」   作:あばなたらたやた

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二話

 古びた宿屋の二階、梁の低い天井が頭上を圧するように迫っているこの部屋が、今の私には妙に心地よい。暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音が、耳に心地よく響く。

 

 橙色の火光が壁に揺らめき、私の影を長く、歪に伸ばしている。窓の外は真っ暗で、遠くの森から聞こえる虫の声だけが、夜の静けさをかき乱すように響いている。

 

 私はテーブルの中央に座り、紫がかった深紅の髪を指で軽く梳きながら、トランプを配る。

 

 ふわっとしたボブカットの毛先が肩の上で内側にカールし、火の光を受けて柔らかく輝く。

 

 魔法で角を完全に隠している今、私はただの人間の少女にしか見えないはずだ。赤紫の瞳を細め、口元に不敵な笑みを浮かべながら、カードを一枚ずつ丁寧に並べていく。

 

 掌の中で、世界を弄ぶような感覚が、心地よい。右側にリュグナーが座っている。灰金色の髪が肩までさらりと落ち、真ん中分けの前髪が顔の両サイドを優雅に覆う。

 

 ダークブルーのロングコート、金糸の縁取り、白いフリルのクラバットに留められた緑の宝石――すべてが完璧に人間の貴族を演じている。彼の青みがかった瞳は冷たく、細められた目つきで盤面を観察している。長い湾曲した角も、私と同じく魔法で消している。静かにカードを手に取り、指先で軽く叩く仕草が、いつもの彼らしい。

 

 左側にはリーニエ。小さな体を椅子にちょこんと乗せ、明るいピンクのツインテールが外ハネして揺れている。大きなブラウンのリボンが頭頂部で可愛らしく結ばれ、紫色の大きな瞳を丸くして、テーブルの上のりんごをじっと見つめている。彼女もまた、角を隠し、ただの幼い人間の少女に成り果てている。

 

 小さな両手でりんごを一つ掴み、慎重に歯を立てる。カリッ、という乾いた音が部屋に響き、果汁が唇の端から滴り落ちる。

 

 彼女はそれを舌で舐め取り、満足げに目を細めた。ゲームはただの神経衰弱に近いもの。

 

 記憶と運と、ほんの僅かな駆け引き。でも、私たちは本気で勝ちを競っているわけじゃない。ただ、時間を共有し、互いの存在を確かめ合うための、静かな儀式だ。カードがめくられるたびに、薪が爆ぜる音が重なり、部屋に独特のリズムを生み出している。

 

 私はカードを一枚引き、勝ち誇ったようにテーブルに叩きつける。ぱしん、という音が心地よい。

 

「器用万能の私。中遠支援型のリュグナー。近接格闘型のリーニエで正道に試験を受ける。そして戦闘になった際の奥の手として使う魔族は……花御、で決まりね。ビジュアル的にも、能力的にも適切だわ。あの禍々しい花弁と、領域を覆う圧倒的な支配力。試験会場を一瞬で地獄に変えるのに、これ以上ない選択肢よ」

 

 りんごを手に取り、爪で皮を丁寧に剥き始める。果肉が露わになるたび、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 

 私は一口かじり、果汁を唇で受け止める。リュグナーが穏やかな声で応じる。

 

「赤血操術と御廚子……私の領域を展開すれば、試験官も受験者も、血の海に沈むことでしょう。ですが、アウラ様の服従魔法が基盤である以上、無駄な露呈は避けるべきです。まずは人間社会のルールに則り、正式に資格を得る。それが我々の美学です」

 

 リーニエは無言でりんごをもう一口。頬がぷくっと膨らみ、果汁が顎を伝う。彼女は袖で拭いもせず、次のりんごに手を伸ばす。

 

「……りんご、美味しい。もっと食べたい。たくさん食べられるように、考えるの、楽しい」

 

 私はくすりと笑う。声は低く、甘く。

 

「人間に擬態して、時間をかけて、丁寧に社会に溶け込んだわ。台無しにするのはもったいない。身分証明書、推薦状、履歴書……一級魔法使い認定試験の参加資格を手に入れるまで、随分と我慢したし。三年に一度のこの機会を逃すわけにはいかない」

 

 私は唇を舐める。

 

「ゼーリエを支配下に置くまでは、決して終わらせない。ハイリスクな決戦。燃えるわね」

 

 カードを一枚引き、盤面に並べる。指先が軽く震える。興奮を抑えきれない。

 

「雑魚は好きに出し入れするとして、貴方達首切り役人の二枚看板は、この私が徹底的に鍛え上げ、私との格差を教えて、逆らう心を折った。その上で人間の思考回路を教育し、魔族特有の無理解はそのまま演技ができるように調教した最高傑作」

 

・心を折って、意思を喪失させ、その上で服従させる魔法で支配した。故に自律思考による擬態と、私を裏切らない安全性が両立する。

 

「人類種に対する手札として完璧ね。言葉を紡げば人間は油断する。笑みを浮かべれば信頼する。涙を流せば同情する。あの単純さが、愛おしくて仕方ないわ」

 

 それを知っているから無視することは出来るだろう。特にフリーレンや魔族狩りをする存在には、演技の効き目が薄い。しかし人類種は社会的動物だ。他のやつらを動揺して、隙を作ることは可能である。

 リュグナーが静かに頷く。

 

「ええ、そのとおりです。あの擬態演技は魔法のようでした。突然変異個体である天才ではなく、一つ一つ丁寧に自らを研鑽するのは……気持ち良いものです。努力の積み重ねが、血肉となって体を満たしていく感覚」

 

 リーニエがりんごの芯をぽいと暖炉の方へ投げ、新しいりんごに手を伸ばす。小さな声がぽつりと落ちる。

 

「りんごは美味しい。だから沢山食べられるように考えるのは楽しい。人間の言葉を真似て、笑って、泣いて、怒って……それで狩れるなら、もっと楽しい」

 

 私は二人を見回し、ゆっくりと息を吐く。瞳に喜びが宿り、口元が大きく吊り上がる。

 

「私は引き篭もりのゼーリエを支配下にさせる事を決めてから、ずっとワクワクしながら生きてきたわ。計画を練り、実行して、反省して、改善する。そして更に加速、改善、創造して高みに至る。失敗と敗走を積み重ね、理想に向けて一つ一つ自らを改造、調整していく。傷ついて、痛んで、血を流して、それでもまた立ち上がる。その過程が、私を強くする」

 

 テーブルに肘をつき、頬杖をついて二人を見つめる。火の光が赤紫の瞳を妖しく照らす。

 失敗続きでストレスがある時間だった。しかし試行錯誤に愉悦と快楽を見出したのはいつだっただろうか。

 

「生きるって、楽しいと思わない?」

 

 リュグナーが静かに、はっきりと頷く。

 

「はい。生きる味を、ようやく理解できた気がします。魔法を、一歩ずつ積み上げる快楽。人間を欺く演技の妙味。そして、何より……この世界を、自分の手で料理していく喜び」

 

 リーニエも小さく頷き、りんごを頬張りながら。

 

「……うん。楽しい。りんごみたいに、もっともっと食べたい」

 

 私は大きく笑う。かつてはただの獣だった。人の感情など理解できず、欺き、誑かし、殺し、食べる過程に生まれる僅かな愉悦と快楽。

 

 それだけが生きる意味だった。ストレスを溜め、発散し、また溜め、また発散するだけの繰り返し。

 でも今は違う。

 

「人の感情を理解できないのに、人間を油断させて狩る。その手段として言葉と態度を使う獣だった私達。でも今は違うわ。生きる味を理解できる今、世界を料理するシェフ。私達は負けない。どんな天才も、どんな英雄も、どんな神話も、私達の前ではただの食材。私達は調理する側にいる」

 

 暖炉の火が一際強く燃え上がり、私たちの影を長く壁に伸ばす。影は揺れ、絡み合い、まるで一つの巨大な獣のように蠢く。カードが一枚、静かにめくられる。りんごをかじる音。そして、私たちの静かな――しかし確かな――笑い声が、宿屋の夜に深く、深く溶けていった。この瞬間が、永遠に続けばいいのにと思う。だって、生きるって、本当に楽しいんだもの。

 

「あ、勝った」

 

 テーブルの上には散らばったトランプのカードが、私の勝利を証明するように並んでいる。

 

 神経衰弱の最後の1枚をめくった瞬間、私は小さく息を吐き、口元に満足げな笑みを浮かべた。

 

「はい、ゲーム終了」

 

 カードを指先で軽く叩きながら、私はリュグナーを見やる。彼は静かに頷き、灰金色の髪を軽く払って立ち上がる準備を始める。

 

 リーニエはまだりんごの最後の一切れを頬張り、紫色の大きな瞳をぱちぱちさせて私を見つめている。小さな口元に果汁の跡が残ったまま、彼女は無言で新しいりんごに手を伸ばしかけたが、私の視線に気づいてぴたりと止まった。

 

 私は椅子に深く腰を沈めたまま、ゆっくりと過去の記憶を辿る。500年以上の時を生きてきた中で、数え切れないほどの天才たちを見てきた。あの瞬間、頭に浮かんだのは、かつての魔法理論書に記された、ある一文だった。

 

「天才って嫌よねぇ。特にメカニズムが情熱という精神論で理屈を越えるタイプは、再現性に欠けてしまう」

 

 リュグナーが穏やかな声で応じる。表情は変わらず、しかし言葉には微かな熱が籠もっている。

 

「その意見には同意します。戦士や聖職者ならば正しいですが、魔力理論で運用される系統化された技術が魔法です。それを一部の天才やベテランのみが扱える突然変異を魔法などと呼ぶのに抵抗があります」

 

 私はくすりと笑い、指でテーブルの木目をなぞる。

 

「誰にも真似できない現象。それを呪いと表現した過去の人々は敬意を抱くわ。技術継承できない魔法に何の意味があるのやら。魔法と呪い。技術と芸術。魔族の魔法ですら研究すればみんな使えんるんだから、呪いという別系統に分類したのは正解ね」

 

 元々、魔法の恩恵を受けるのはどこにでもいる一般人だ。発明された新技術が普遍化して社会の当たり前になることで、文明は進化してきた。

 

 限られた超越者にだけ扱える特殊技能では、全体の底上げに役に立たない。誰でも扱えるチープな技術こそが、世界をより良くしていく。

 

 魔法はチープ化して、普遍化してこそ価値がある。

 ゾルトラークの時のような『熱』を感じない。管理して収集するだけの存在に意味はない。

 未来が見える? その為に人類種全体の為に制限する。それは結構だが、それは楽しくないだろう。必死なって、嘆き、苦しみ、それでも前へ進むからこそ、生きる感覚がある。

 長命長寿の種族特有の諦観と現状維持。なら、私が有効に使ってあげる。

 

「何が手にはいるのかしら。宝箱までもう少し」

 

 私は視線を窓の外に移す。まだ薄暗い空に、朝焼けの気配がわずかに混じり始めている。

 

「誰でも扱えるチープな技術こそ、世界をより良くしていく。その点、ゾルトラークは素晴らしいわ。基礎は単純かつ高性能。拡張性も高く、派生や改造されて、それらに対するメタとして防御魔法が開発された。それに対抗するために質量と魔力を組み合わせた物質系統の魔法が作られて……と環境が回っている」

 

 リュグナーが静かに頷く。貴族然とした仕草でコートの裾を整えながら。

 

「一時期はゾルトラーク一強でしたが、それを崩すために創意工夫やカスタマイズで魔法全体が多様化したのは、やはり根本となる魔法が優秀だったからでしょう。研究し、学べば誰でも使えるチープな魔法。まさに魔法の鑑です」

 

 私は小さく息を吐き、苦笑する。

 

「だからこそ封印から目覚めた時差ボケと魔力制御による初見殺しで殺されてしまったのは痛いわね。彼にはもっと魔法を学んで欲しかった……」

 

 カードを一枚、指で弾いて宙に浮かべる。ゆっくりと回転しながら落ちていくそれを、私は視線で追いかけた。そして、時間になった。

 

 部屋の空気が、微かに変わる。外から聞こえ始めた鳥の声、遠くの街路を歩く人々の足音。

 

 すべてが、今日という日の始まりを告げている。一級魔法使い認定試験――三年に一度の、この大陸で最も厳しく、最も華やかな舞台が、今まさに幕を開けようとしている。私は立ち上がり、ゆっくりと髪を払う。

 

 支配の魔法で隠された角が、頭の中でかすかに疼くような錯覚を覚えるが、それはすぐに消える。

 

「いい子がいたら、コレクションにしようっと」

 

 胸の奥で、何かが熱く脈打つ。

 ゼーリエとの戦闘というメインディッシュの前にある、前菜の魔法使いたち。

 どれだけの実力者たちが、私の前に並ぶのだろう。

 どれだけ鮮やかな魔法を、私に見せてくれるのだろう。

 どれだけ脆く、簡単に折れて、私の掌に落ちてくれるのだろう。

 

 私はリュグナーとリーニエを振り返る。

 二人とも、すでに立ち上がり、私の後ろに控えている。

 

 リュグナーの青みがかった瞳は冷静に、リーニエの紫の瞳は無垢に――しかし、その奥には同じ獣の輝きが宿っている。

 

「行きましょうか」

 

 私は不敵に笑い、部屋の扉に手をかける。暖炉の最後の火が、ぱちんと小さく爆ぜた

 外へ出る一歩が、まるで世界を踏み出す一歩のように、重く、甘く、胸を震わせる。今日から、私たちの宴が始まる。

 ワクワクする。生きるって、本当に楽しい。

 

 

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