巨大な魔力が炸裂した瞬間、結界全体が低く唸るように震えた。地面が波打つように揺れ、木々の幹が軋み、葉が一斉に散り落ちる。
空気が重く圧迫され、耳の奥まで響くような衝撃が体を貫いた。
私の頭の中に連動していた監視魔物たちの視界が、一瞬白く焼け切れるほどに眩しく閃き、すぐに回復する。
中央の湖が、一瞬で凍りついた感覚が伝わってくる。氷の結晶が広がり、水面が鏡のように固まり、鳥の群れが慌てて逃げ惑う姿が、無数の小さな目から同時に入ってくる。
ユーベルが槍を握り直し、目を丸くして周囲を見回した。
「なにこれ? 空気が……重い」
フェルンが静かに、しかし確信を持って答える。
「フリーレン様ですね。あの魔力の質……間違いないです」
私はゆっくりと息を吐き、中央の方角を睨んだ。遠くの空に、淡い青白い光が広がっているのが見える。湖全体が凍結し、魔力が残滓となって空気に混じっている。
「中央の湖が凍ったわ。全部、氷に閉ざされている。鳥が寄り付かなくなったし、水の供給源も完全に断たれた」
ユーベルが舌打ちのように息を漏らし、槍の柄を軽く叩く。
「鳥を確保する機会が一番多い場所を破壊したのか。魔力が混じったなら鳥はもう寄り付かない。その上、水の供給源が断たれた。他のやつらの反応はどうなの?」
私は目を閉じ、散らばせた監視用の魔物たちから情報を引き出す。無数の視界と聴覚が頭の中に流れ込み、すぐに整理される。森の奥で慌てて移動するグループ、湖の周りに集まって氷を叩く者たち、互いに距離を取って武器を構える者たち……。
「別の狩場を探す、氷を溶かす、対人用意するの三つね。狩場を探すやつらは森の奥へ散らばり始めてる。氷を溶かそうとしてるやつらは湖の周りに十数人集まってるわ。対人用意してるやつらは……もう小競り合いが始まってる。互いに牽制し合って、隙を窺ってる」
ユーベルがにやりと笑う。瞳が輝き、興奮で頰がわずかに上気している。
「狩場を探すやつと氷溶かすやつは論外。対人用意をしているやつらとぶつかりたいね。殺し合いが始まってるなら、最高のタイミングじゃない」
私は軽く首を傾げて彼女を見る。
「戦うこと前提? 試験クリア目指さないの?」
ユーベルは槍を肩に担ぎ直し、楽しげに肩をすくめる。
「失格になっても、今の感覚は逃したくないんだよねぇ。殺す快感、血の匂い、心臓が鳴る感じ、相手の目が絶望で曇る瞬間……単独行動しても良い? 雑魚狩りだけでもしたい。邪魔されないで、思う存分やりたい」
私は小さく笑って頷く。
「私は構わないわよ。殺してきたら? 死なない限り好きに動いて良いわ。貴方がどこまでできるか、ここで観察してる。フェルンは?」
フェルンが淡々と答える。
「私は待機に賛成です。既に目標を達成してますから。水がなくても、魔法で生成すれば済むし、無理に動く必要はありません」
私は懐から二つの武器を取り出し、ユーベルに向かって軽く投げ渡した。
一本は短剣、もう一本は槍。どちらも黒く光沢を帯び、刃の表面に淡い魔力の脈が走り、触れるだけで冷たい殺意のようなものが伝わってくる。
ユーベルが両手で受け止め、目を輝かせる。短剣を軽く振り、槍を構えてみる。刃が空気を切り裂く音が小さく響く。
「なにこれ? 」
「神武解と飛天。貴方に似合う特別な武器よ。コレがあれば負けないでしょ。斬れ味も、魔力伝導も、最高級。特殊効果もある」
ユーベルが短剣を腰に差し、槍を肩に担ぐ。満足げに息を吐く。
「もらっていくね。ありがとう。じゃあちょっと雑魚狩りしてくる! 血の匂い、楽しみ〜」
彼女はくるりと背を向け、森の奥へ駆け出していった。足音が遠ざかるまで、笑い声が木々の間に響き、徐々に小さくなっていく。
私は軽く手を振って、犬型の魔物を召喚した。
ふわふわとした灰色の毛並み、大きな体躯。魔物は私の前に伏せ、背中を丸くしてベッドのように構える。
私はその上に横になり、モフモフの毛に顔を埋めた。柔らかくて温かい。
心地よい重みが体を包み、戦場の緊張が少しずつ解けていく。フェルンがこちらを見て、少しだけ目を細める。
「……可愛い」
私はもう一匹を召喚し、彼女の前に転がすように置いた。
同じく灰色の犬型魔物。ふわふわの毛が風に揺れ、尻尾を軽く振る。フェルンは一瞬迷ったように見えたが、静かに近づき、魔物の背中にそっと体を預けた。
両手で毛を抱きしめ、頬を寄せる。表情は変わらないが、肩の力が抜け、呼吸が少し深くなる。
私は空を見上げながら、ゆっくりと息を吐く。
鳥の群れはもうほとんど姿を消し、凍った湖の冷気が遠くから風に乗って届いてくる。結界内の空気が少しずつ冷え始め、木々の葉が霜で白く縁取られ始めている。
遠くで、ユーベルの笑い声と、誰かの悲鳴が混じった音が微かに聞こえてくる。
「フリーレン……あなたは本当に厄介ね。でも、それでこそ面白いわ。湖を凍らせて、水を断つなんて……シンプルで、効果的」
私は目を閉じ、モフモフの温もりに身を委ねた。
私は犬型の魔物の背中に横たわったまま、視線を遠くの湖の方角へ向けた。
モフモフの温もりが体を包み、冷え始めた結界内の空気を少しだけ和らげてくれる。フェルンは隣のもう一匹に寄りかかり、静かに目を閉じている。
彼女の呼吸は規則正しく、まるで戦場などどこにもないかのように穏やかだ。だが、私の意識はすでに別の場所に飛んでいる。
散らばせた監視魔物の一匹の視界を借りて、湖のほとりを覗き見る。
凍りついた湖面は、青白く輝き、太陽の光を乱反射して眩しい。そこに、数人の受験者が集まっていた。氷を溶かそうと、火の魔法を連発している者、重力で叩き割ろうとしている者、質量魔法で砕こうとしている者……必死だ。
喉の渇きと、生き残るための焦りが、彼らの動きをぎこちなくさせている。そして、その群れの端に、ユーベルが立っていた。
彼女は槍を軽く肩に担ぎ、短剣を腰に差したまま、ゆっくりと歩み寄っていく。神武解と飛天――私が与えた二つの武器が、彼女の体に馴染んでいるのがわかる。
足音はほとんどしない。獲物を前にした獣のように、静かで、しかし確実に近づく。
一人の魔法使いが気づき、慌てて振り向く。
「誰だ!?」
ユーベルは答えず、ただにこりと笑った。そして見えない斬撃が飛ぶ。空気が裂ける音が小さく響き、男の首が一瞬遅れてずり落ちる。
血が噴き出し、凍った湖面に赤い花を咲かせる。
男の体が崩れ落ちる前に、ユーベルはもう次の標的へ視線を移していた。
「次」
彼女の声は明るい。楽しげだ。もう一人が火の魔法を放とうとする。掌に炎が灯る瞬間、ユーベルは短剣を抜き、軽く振り下ろす。
今度は見える斬撃。刃の軌跡が空に赤い線を描き、炎ごと男の体を真っ二つにする。内臓がこぼれ落ち、湖面に落ちて凍りつく。血の臭いが風に乗って、私の鼻腔まで届いてくる。
ユーベルは立ち止まり、自分の手を見つめた。
「ん……まだ、イメージが甘いかな」
彼女は独り言のように呟き、短剣をくるりと回す。
「もっと細かく、もっと鋭く……切れ味を上げるには、刃の先端を尖らせるイメージじゃなくて、全体を一本の糸みたいに薄くする方がいい?」
次の受験者が逃げようとする。背中を向けて走り出す。ユーベルは槍を構え、軽く投げ捨てるように振るう。
飛天が弧を描き、逃げる男の背中を斜めに切り裂く。骨が砕ける音が響き、男は悲鳴を上げて倒れる。
ユーベルは槍を拾い上げ、血を払う仕草をする。
「これで……範囲は広がった。でも、威力は落ちてる。出力と範囲のバランスかぁ」
彼女は唇を軽く噛み、目を細める。
試行錯誤している。
殺しながら、自分の魔法を解剖し、再構築しようとしている。
一つ一つの斬撃ごとに、イメージを微調整し、感覚を確かめ、失敗を即座に修正する。
血を浴びながら、笑いながら、楽しそうに。
私はその様子を、監視魔物の視界越しに眺めていた。モフモフの背中で体を起こし、頰杖をついて、にこにこと笑みがこぼれる。
「ふふ……いいわね、ユーベル」
彼女の姿が、愛おしくて仕方ない。
自分の能力を上げるために、こんなにも真剣に、こんなにも貪欲に試行錯誤する姿。
殺す快楽に溺れながらも、それだけに満足せず、もっと深く、もっと鋭く、もっと強くしようとする姿勢。
それは、私が500年以上かけて追い求めてきたものと、とてもよく似ている。
「もっと頑張りなさい。もっと失敗しなさい。もっと血を浴びて、もっと痛みを味わって、もっと自分の限界を更新しなさい」
私は小さく呟き、目を細める。
湖のほとりで、ユーベルはまた一人を斬り裂いた。今度の斬撃は、さっきより細く、速く、正確だ。彼女は倒れた体を見下ろし、満足げに息を吐く。
「よし……次はこれでいけるかも」
彼女の笑顔が、遠くからでもはっきりと見えた。純粋で、残酷で、美しい。私はもう一度、モフモフに顔を埋めた。
胸の奥が、温かく、甘く疼く。
ユーベル。
あなたは本当に、面白い。
この先、あなたがどこまで伸びるか……楽しみね