戦犯にはなりたくない! 作:蒼天
──サイド6。
この戦争が始まってすぐに中立宣言を行った地球連邦とジオン公国のどちらにも与さない中立コロニー群。
サイド6の支配下の宙域では、一切の戦闘行為は禁止されており、戦争が激化の一途を辿るこの時代に、ここだけは奇妙なほどの穏やかさが守られていた。
「研究所へ行けるのは自分だけなんでしょうか?」
「はい、研究所の存在は重要機密ですから。申し訳ありませんが、お連れの方々はホテルでお待ちください」
「わかりました。……というわけだから、せっかくだし、みんなは観光でもして待っててくれる? 2日後には合流できると思うから」
「了解です」
「羽目を外しすぎない程度に楽しんできます」
「テスト、頑張ってね。ライゼン」
僕はみんなに別れを告げて、案内人が差し向けてきた民間用の自動車に乗り込んだ。
「中尉、研究所に到着するまで、これを着けていただけますか?」
案内人は黒いアイマスクを差し出してきた。
(徹底しているな……)
心中でそう毒づきながらも、素直にそれを目元に覆う。
視界を奪われ、規則的なタイヤの振動とモーターの駆動音だけが耳に届く。
右へ、左へ、そしてスロープを降りて地下へ。車が意図的に複雑なルートを辿っていることは、肌に受ける慣性で容易に理解できた。
「随分と警戒しているんですね。この道は先ほど通ったと思うのですが……」
「……何故、わかったのですか?」
「自分はパイロットですから。重力加速度で大体の現在位置は特定できます」
言外に、これ以上の遠回りは時間の無駄だということを仄めかした。
全てのパイロットに同じことができるかどうかはわからないが、少なくともエースと呼ばれる人ならこれくらいはできるだろう。
「なるほど。常人よりもはるかに優れた空間認識能力……中尉は本物かもしれませんね」
「本物?」
「失敬、何でもありません。これ以上の詮索はどうかご勘弁を。我々も立場というものがありますので」
「すみません。少し意地が悪かったですね」
中立コロニーの懐深く、ジオン公国が極秘裏に拠点を構えているという事実そのものが、この戦争の裏の複雑さを物語っている。
車はそれからさらに数分走り、やがて完全に停止した。
アイマスクを着けたまま車から降り、しばらく歩いてから、ようやくアイマスクを外すことを許された。
「ようこそ、フラナガン機関へ」
照明の明るさに目が慣れると、白を基調とした無機質な空間が広がっていた。
目の前にはやや恰幅のいい中年の男性がいる。
「あなたがフラナガン博士ですか?」
「ええ、よろしくお願いします。ヴァルター・ライゼン中尉」
「こちらこそ、よろしくお願いします。……ところで、カーン家のご令嬢はどちらに?」
「テストが全て終わり次第、お引き合わせいたします。申し訳ありませんが、まずはあなたのデータを取らせていただきたい」
「……随分と急がれるのですね」
「2日後には本国へ向かわれるのでしょう? ジオンのエースを、このような場所に拘束するわけにはいきませんから」
博士の口調は紳士的で丁寧だったが、その瞳の奥にある瞳には、純粋な知識への異常な渇望と、どこか人間を生体標本として観察するような冷徹さが宿っていた。
促されるままに僕が連れて行かれたのは、一面に計器が並ぶ、巨大なシミュレーションルームだった。
「これを頭部に装着して、シートに座ってください」
差し出されたのは、無数の電極やコードが伸びた異様な形状のヘッドギアだった。言われるがままにシートへ腰掛け、機材を身にまとう。
「それではシミュレーションを開始します」
フラナガン博士の指示と同時に、部屋の明かりが落とされ、巨大なスクリーンに無数の光点が不規則に現れては消え始めた。
僕は息を整え、画面を凝視する。いや、凝視するというよりは、感覚を空間全体へと融解させていく。
(──次、右。……その次、左下。……次、後ろ)
チカッ、チカッ、と瞬く光。
光が発するよりも一瞬早く、僕の指がトリガーを弾いていた。
脳が認識してから身体が動くのではない。光が灯るその場所が、まるで最初から
(何だろう……? ただのシミュレーションのはずなのに、
まるで実戦の時……いや、それ以上に感覚が研ぎ澄まされていく。
スクリーンの光点が明滅する速度は、時間が経つにつれて異常なまでに加速していった。
それは人間の動体視力の限界を遥かに超越した、ただのノイズの奔流にしか見えない速度だった。
だが、僕の感覚はその超高速の明滅を完璧に捉えていた。
「凄まじいな……。他の被験者たちのスコアを凌駕しているぞ」
「パイロットとしての技量だけではない。このスコアは360度、全ての空間を正確に把握していなければ不可能だ」
「ああ、間違いない。彼は本物の──
観測室のざわめきを煩わしく思いながら、僕は最後の標的を完璧に撃破していた。
「……シミュレーションは終了です。お疲れ様でした、ライゼン中尉」
ヘッドギアを外すと、どっと冷や汗が吹き出してくる。わずか数分間のシミュレーションだったというのに、全身を鉛のような倦怠感が苛んでいる。
それは肉体的な疲労というよりも、自分の脳が、本来触れてはならない未知の領域の力に触れてしまったかのような……得体の知れない全能感による精神的な摩耗だった。
「素晴らしい結果ですな、ライゼン中尉。おかげさまでいいデータが取れました」
「それはどうも……ところで、博士。試験中、スピーカーからニュータイプという言葉が聞こえましたが……」
「おや、聞こえていましたか。やはりあなたの知覚能力は、観測室の微かな音漏れすら拾い上げるのですね」
僕がそう問いかけると、フラナガン博士は目をわずかに見開き、それから至極穏やかな、しかしどこか狂信的な色を孕んだ笑みを浮かべた。
「ニュータイプ……ジオン・ズム・ダイクンが提唱した、宇宙という新たな環境に適応した人類の進化形態。これまでは多分に政治的、思想的な概念として扱われてきましたがね……」
博士はそこで言葉を区切り、僕の顔を真っ正面から見据えた。
「我々フラナガン機関は、それを科学的、医学的なアプローチから実証しようとしています。そしてライゼン中尉、たった今あなたが叩き出した数値は、空間認識を司る領域の活性化において、まさしくそのニュータイプの兆候を明確に示している」
「僕が、ニュータイプ……?」
ニュータイプという言葉自体は知っていた。ジオン公国に生きる者なら、一度は耳にするお題目だ。
だが、それがまさか自分のことを指す言葉だとは、到底信じられなかった。
「……博士も、ニュータイプなのですか?」
「いえ、私は一介の技術者です。人の革新が本当にあるのなら、それを見届けたい。それだけの男にすぎません」
「……」
フラナガン博士の言葉を咀嚼しようとするが、脳がそれを拒絶するように滑り落ちていく。
人類の革新。宇宙に適応した新人類。そんな大層なものに、一兵卒に過ぎない自分が当てはまるとは思えなかった。
「では、カーン家のご令嬢も?」
「ええ、ハマーン様もあなたのように素晴らしい才能を持っています。もっとも、最近の彼女は我々の研究に非協力的でして……。マハラジャ様のご息女という立場もあり、私どもも無理強いはできず、難儀しているのです」
確かに、12歳の女の子には先ほどのようなテストは酷だろう。音を上げるのも無理はない。
(だから、貴重なサンプルとして、僕がここに呼ばれたのか……)
カーン家のご令嬢は無理でも、軍人の僕なら上官であるキシリア様の命令は拒否できない。
要するに僕は、お嬢様の代わりにデータを引っこ抜かれるためのモルモットの1人というわけだ。わかってはいたことだが、冷徹な現実を突きつけられた気分だった。
「あまり嬉しそうではありませんな。選ばれた者としての誇りは湧きませんか?」
「まさか。自分はただのパイロットです。戦場で敵よりほんの少し早く動けるからといって、自分が特別な存在だなんて思いたくはありません」
僕の素っ気ない返答に、博士はフッと皮肉げな笑みを漏らした。
「合理的で現実的な思考だ。しかし中尉、あなたが認めようと認めまいと、その『力』は確実に存在し、これからの戦争の形を根底から変えることになる。キシリア様が、何故この機関に莫大な予算を投じているか、その意味をよくお考えください」
それ以上の会話を打ち切るように、博士は手元の端末を操作した。
「では、次のテストに移りましょう。中尉、今度はあなたの睡眠時の脳波検査を──」
「──博士、ヴァルター・ライゼン中尉が到着したとお聞きしました」
張り詰めた無機質な部屋に、凛とした幼い声が響いた。
ツインテールの美しい髪を揺らしながら、少女は周囲の大人たちを気後れさせることのない堂々とした足取りで歩み寄ってきた。
「これはハマーン様。珍しいですな、最近はここには近寄らなかったというのに……」
「迎えが来たんでしょう? 私、一日でも早くお父様やお姉ちゃんに会いたいんです」
フラナガン博士の言葉に、ハマーンと呼ばれた少女は、不快そうにその愛らしい眉をひそめた。
(この子がハマーン・カーン……)
まだ12歳だというのに、その佇まいにはすでに名家の血筋を感じさせる気高さが満ちていた。
しかし、その大きく澄んだ瞳の奥には、どこか底の知れない寂しさが張り付いているようにも見えた。
「初めまして、ハマーン様。あなたのご護衛を仰せつかりました、ヴァルター・ライゼンです。短い間ですが、よろしくお願いいたします」
僕がシートから立ち上がり、軍人として極めて自然に一礼すると、ハマーン様は一瞬だけ驚いたようにその大きな瞳を瞬かせた。
「随分と若いのね……。鋼鉄の虎だなんていうから、もっと恐い人だと思ってたわ」
「よく言われます」
僕が苦笑交じりにそう言うと、ハマーン様は僕の顔をじっと見つめてきた。
何かを見定めようとするような、あるいは言葉にできない何かを僕の奥底から感じ取ろうとするような、12歳の少女とは思えないほど鋭く、深い知性を孕んだ眼差しだった。
その瞬間、言葉ではない何かが、互いの意識の境界を越えて触れ合ったような、奇妙な感覚を覚えた。
「ハマーン様? 今、何か──」
「……何でもないわ。早く私をお父様たちの下へ連れてって」
「申し訳ありません、ハマーン様。それはこちらのテストを全て終えてからになります」
フラナガン博士が宥めるような、しかしどこか事務的な笑みを浮かべて二人の間に割って入った。
「テストなんて何の意味もないでしょう」
ハマーン様は不満を隠そうとしなかった。
「ただ暗い部屋に閉じ込められて、機械を押し当てられて、変な数字を並べられるだけ。そんなことで、私たちの何がわかるというんです?」
「我々が少しでも、あなた方のことを理解するためのものです。どうかジオンの勝利のため、ひいては人類の未来のために、ご協力いただけないでしょうか?」
人類の未来はともかく、ジオンの勝利のために必要だと言うなら僕たち軍人は拒否できない。
ハマーン様には申し訳ないが、待ってもらうしかないだろう。
「ハマーン様、テストが終わり次第、必ずお迎えに上がりますので、それまでお待ちいただけますでしょうか?」
「……いつ終わるの?」
「明日中には、全て。2日後にはサイド6を発ちます」
「……2日後ね。わかったわ」
ハマーン様はそう言って小さく胸を張ると、フラナガン博士を一瞥もせず、流れるような足取りで部屋を去っていった。
(可哀そうに……家族と離れ離れで、寂しいんだな……)
大人びているとはいえ、12歳の女の子がこんな隔離された場所で1人で暮らしていて辛くないわけがない。
その小さな背中を見送りながら、僕は知らずのうちに止めていた息を深く吐き出した。
「ふむ……不思議なこともあるものですな」
フラナガン博士が顎に手を当て、目を細めて呟いた。
「何がですか?」
「ハマーン様が自ら他者に興味を示し、言葉を交わすなど、この機関に来てからは一度もなかったことです。彼女は自らの持つ『力』の鋭敏さゆえに、大人の持つ下俗な思惑や嘘を、肌身で察知してしまう。だからこそ心を閉ざしていたのですが……」
博士はそこで言葉を切り、僕の顔を興味深そうに見つめた。
「どうやら中尉、あなたに対しては、恐怖や嫌悪を抱かなかったようだ。同じ資質を持つ者同士、共鳴するものがあったのかもしれませんな」
「共鳴、ですか……。ですが、ここには他にもニュータイプがいるのでしょう? その人たちには心を開かなかったのですか?」
「ええ、まあ……。被験者の中には素性の知れない者も多くいますから……。カーン家のご令嬢である彼女には、そう容易く近づけるわけにはいかないのですよ。キシリア様からも丁重に扱うよう厳命されておりますから」
「なるほど……」
怪しげな研究機関ではあるが、ハマーン様は一応大事にされているらしい。
「それもこれからの検査で明らかになるでしょう。さあ、ライゼン中尉。次の脳波測定を行います。こちらのカプセルへ」
僕は促されるままに、センサーが無数に並んだ無機質なカプセルへと横たわった。
部屋の明かりが再び落とされ、静寂が満ちていく。
先ほどのシミュレーションの疲労のせいか、あるいは張り詰めていた緊張が切れたせいか、僕の意識は急速に暗闇の底へと沈んでいった。