レゼは最小限の動きで攻撃を避け続けた。
後退、体捌き、視線の誘導──どれも教本通りの無駄のない回避。
「……っ」
アタシは間合いを詰める。
踏み込み、振るう、外される。
その繰り返し。
(やっぱり強いな)
だからこそアタシも本気になれる。
次第に呼吸が荒くなる。
体が重い。
視界も、少しずつ霞んでいく。
それでも足は止めない。
「どうして……!」
レゼが震えた声で言う。
アタシはそれを無視して、バカみたいに前へ出てナイフを振るう。
──届かない。
「もうやめて!」
レゼが叫ぶ。
「戦う理由なんてない……!」
「あるだろ」
短く返す。
「お前が生きるためだ」
「嫌だ……!」
レゼは首を振る。
「こんなの私は望んでない……!」
「それでも」
アタシは笑う。
「普通になりたいんだろ」
その言葉にレゼの動きが一瞬止まった。
致命的な隙。
前に突っ込んで喉元を狙う。
しかし手首を叩かれ、ナイフの軌道が逸れる。
立て直した次の瞬間には、距離を取られていた。
(……甘いな)
レゼは本気になれていない。
そしてアタシは本気だったけど、全力を出せていなかった。
どうしたらレゼを本気にさせられるか。
考えていると、頭の奥がズキリと傷んだ。
(なん、だ、これ……!?)
埋め込まれた心臓が激しく脈を打つ。
体がアタシの意思に反して勝手に動く。
踏み込みが鋭くなる。
視界がクリアになる。
力の入り方が変わる。
「っ……!?」
レゼが驚く。
当然だ。
今の動きは、さっきまでのアタシじゃない。
(マッドサイエンティストめ………!)
そうだ、一度だけ実験で味わったあの感覚だ。
苦痛にのたうち回り、暴れた時から頭に埋め込まれた制御装置。
体を乗っ取られる。
「避けろよ、レゼ!」
次の一撃は今までで一番速かった。
刃がレゼの頬を掠めた。
「っ!」
明らかに動きが変わったアタシに、レゼは対応しきれない。
攻撃が当たる。
切られた髪が舞い落ち、掠めた首から血が流れる。
「やめて……!」
レゼの叫びを聞いても、体は止まらないし止まれない。
このままいけばアタシが勝つ。
(……違う)
これは違う。
他者に操られてレゼを殺すなど……そんな結末は許さない。
チップの位置は大体分かってる。
無理やり抉り取っても少しの間は死なないはずだ。
覚悟を決めろ。
(ここだッ!)
自分の頭に横からナイフを突き立てる。
頭蓋骨を引き剥がす。
激痛で視界が歪む。
それでも震える手で金属片を摘み取った。
「……は、ぁ……っ」
一瞬だけ、自由を取り戻す。
頭から流れる血で赤く染まった視界。
目の前にはアタシの返り血を浴びたレゼ。
「ギリギリ、セーフ…って感じか」
刃は止まっていた。
レゼの胸元、数センチ手前で。
「……なんで」
レゼが、震える声で言う。
「なんで……止めたの……」
その顔を見て、その言葉を聞いて、確信した。
(このままじゃダメだ)
レゼはアタシを殺せない。
アタシに殺されるか、出来損ないと言われて教官に殺されるか、実験体として使い潰されて殺されるか。
あるいは、遠い未来で、もっと酷い形で壊される。
「お前は、生きろ」
「……っ」
「普通に、なりたい…んだろ」
何度でも一歩を踏み出す。
今度は自分の意思でナイフを構える。
「本気で来い。アタシを、殺せ」
「……できない」
「やれ」
「できない……!」
「やれ!!」
壊れかけの身体に鞭打ち、声を張り上げる。
レゼの体がびくりと震えた。
「……アタシは、どの道死ぬ」
「いや…いやだ……」
「どうせ死ぬなら、レゼの手で死にたいんだ」
レゼの目から涙が零れる。
それでも、何度でも、言わなくちゃいけない。
「なあ、レゼ。アタシを殺してくれよ」
レゼが一歩、踏み込んできた。
(いいぞ)
未だ余力のあるレゼが押し込む。
(それでいい)
一歩下がって受け流し、レゼの体勢を僅かに崩した。
飛び上がって足を振り上げる。
これを最後の一撃と定め、脳天目掛けて踵を振り下ろす。
しかし受け止められた。
左腕で、しっかりと。
そしてその瞬間から、レゼの目が変わった。
一瞬、世界が止まった気がした、次の瞬間。
胸に伝わる強い衝撃。
ぐらりと視界が揺れる。
「……っ、ぁ……」
視線を落とすと、肋骨をすり抜けて、アタシの心臓をレゼのナイフが貫いていた。
喉にせり上がる血のせいで、声がうまく出ない。
「……ごめん……ごめん……」
レゼは泣きながら、さらに力を込めて捻る。
ぐちゃり、と。
心臓が潰れる感覚。
なんだ、やればできるじゃないか。
少しだけ安心する。
体から力が抜けて、そのまま雪の上に倒れた。
冷たいという感覚すら麻痺している。
レゼがアタシを覗き込む。
涙でぐしゃぐしゃの顔。
やっぱり、この子は優しい。
「……レゼ」
かすれた声で名前を呼ぶ。
「……いつか……レゼを……普通に……してくれる……そんな奴が……現れる……」
レゼの目が見開かれる。
「……だから……」
視界が暗くなる。
「……死ぬな……」
◆◆
降りしきる雪が、赤く染まった地面をゆっくりと覆い隠していく。
私はその場に立ち尽くしていた。
手はまだ震えている。
「……普通って……何?」
誰に向けたわけでもない問いが零れる。
答えはない。
ただ一つ、分かっていることがある。
自分はもう──幸せにはなれない。
雪はいつの間にか止み、教官はどこかへ消えていた。
白かった地面は、ところどころ黒いぬかるみになっている。
踏みしめるたびに、ぐちゃりと音がした。
「……」
私は歩く。
振り返ることは無い。
振り返ったところで、遺されたのはオリガの抜け殻だけだ。
「私が、殺した」
暫くすればまた雪が降り、全てを覆い隠すだろう。
最初から何もなかったみたいに。
それでも、私だけは絶対に忘れない。
“秘密の部屋”を卒業した後の日々は、驚くほど順調だった。
任務は全て滞りなく成功する。
判断は早く、躊躇いは一切無い。
「優秀だな」
モルモットの誰かが言う。
私は何も答えない。
ある日。
一軒の古い丸太小屋。
中には老人が一人だけ。
暖かい光と、食事の匂い。
(……)
仕事はすぐに終わった。
教えられた通りに引き金を引く。
パン パン
確実に殺すために2回。
静かになった部屋の中で、私は立ち尽くす。
視線の先、棚の上に写真立て。
家族写真の中で、ついさっき殺した老人が幸せそうに笑っている。
「……普通って、何」
ぽつりと呟く。
答えはやっぱり返ってこない。
私を助けてくれる誰かが現れるわけでもない。
外に出ると、空気が冷たい。
吐く息も白い。
だけど手は震えなかった。
……ふと、どうでもいいことを思い出す。
「……カフェ」
かつて殺した彼女の夢を想像する。
コーヒーの匂い。
暖かい店内。
他愛もない会話。
(私には似合わないな)
殺戮の果てに待ち受けるのが破滅だと気づいていても、私は止まらない。
だってそれ以外の生き方なんて知らないから。
(きっと、これが私の普通)
たった一人、雪原を歩く。