『殿堂入りウマ娘』   作:灯火011

8 / 15
『永劫回帰のモーニングコール』

「はい、カットォーッ!!」

 

 突如、張り詰めた絶望の空気を真っ二つに切り裂くように、メガホンを通した明るく快活な声が、スタジオの高い天井に反響した。

 

「OK! カフェさん、素晴らしい、文句なしのいい演技でした! あなたも、最高の演技でしたよ! これにて本日の撮影、すべて終了。オールアップです!」

 

「……ふふ、ありがとうございます」

 

 パンッ、という乾いた拍手の音が合図となり、それまでセットを覆っていた薄暗く不気味な照明が一斉に落ちた。代わりに、眩いほどの白いスタジオライトが点灯し、カメラの背後にいた大勢のスタッフたちが、一斉に安堵の息をつきながら動き出す。重い機材を運ぶ音、ケーブルを巻く音、そして「お疲れ様でした」という日常の挨拶が、数秒前までの『地獄』を急速に過去へと追いやっていく。

 

 張り詰めていたコズミック・ホラーの空気が、機材の擦れる音やスタッフの談笑といった「当たり前の日常のノイズ」によって一瞬にして塗り替えられていく。壁掛けの大型モニターに映っていたウイニングライブの不気味な映像は消え、ただの味気ないグリーンバックの布へと変わり、マンハッタンカフェが飲んでいた『真実の苦味を孕んだコーヒー』は、ただの黒い絵の具を溶かしたぬるい水へと戻った。

 

 ―――そう、すべては作り物だった。

 

 因子という名の魂の抽出。暗闇の底での永遠の幽閉。盤外の神様による無慈悲なオートラン。それらはすべて、この巨大な映画スタジオの中で作り上げられた、悪趣味でよく出来た『ホラー映画のシナリオ』に過ぎなかったのだ。

 

「ふうーっ、お疲れ様です、カフェさん!」

 

 カメラの死角から、さっきまでモニターの中で「因子にされて泣き崩れる哀れな主人公」を演じていたウマ娘が、小走りに駆け寄ってきた。

 彼女の身を包んでいるのは、先ほどのシーンで彼女自身が「見知らぬ不気味な衣装」と絶望した、あの豪奢で洗練された『アーモンドアイの勝負服』のままだった。

 

「ええ、お疲れ様でした。本当に、迫真の演技でしたよ。それに、その勝負服、よくお似合いです」

「えへへ、ありがとうございます! ……でもこの勝負服、デザインはすごく綺麗でかっこいいんですけど、着ているとなんだか背筋がゾワゾワして……。それにこのカラコンも、視界が変な感じで怖かったです。でも、アーモンドアイさんに成りきれたのは嬉しかったです!」

 

 彼女はそう言いながら、不気味に十字に割れたデザインのカラーコンタクトを指先で器用に外し、小さなケースへとしまった。カラコンの下から現れたのは、感情を持たない虚ろな瞳ではなく、年相応の好奇心と疲労が入り混じった、どこにでもいる平凡で明るい少女の素顔だった。

 

「お水、飲みますか?」

「あっ、ありがとうございます!」

 

 カフェから手渡されたペットボトルの水を一気に飲み干し、彼女はブルッと大げさに身震いをして、セットの脇に置かれた赤いパイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。重厚な作りの勝負服の襟元を少しだけ緩め、安堵のため息を大きく吐き出す。

 

「私、演技中も本当に怖くなっちゃって。……あの、こういうことって、本当にあるんでしょうか?」

「本当にある、とは?」

「私たちウマ娘が、三女神様のような、得体の知れない上の次元の存在に、最初から最後まで操られている、なんて……。自分が自分の意志で走っていると思っていたのに、全部が誰かの掌の上だったなんて、想像しただけで息ができなくなりそうです」

 

 少女は自分の膝をギュッと抱え込み、少しだけ声を震わせた。

 

「私、走るのが大好きだから。泥まみれになっても、勝てなくて悔しい思いをしても、自分の足でターフを蹴る瞬間が何よりも好きだから……。もしあんな風に、走る喜びを誰かの『因子作りの作業』にされたらって思うと、怖くて」

 

 怯えたように尋ねる少女に、カフェはいつもの物静かで優しい微笑みを浮かべ、ゆっくりと首を横に振った。

 

「ふふっ。まさか。あれは映画の中だけの作り話ですよ。私たちはちゃんと、自分の足で、自分の夢に向かって走っています」

 

 その言葉に、少女はパッと顔を輝かせた。

 

(作り話……。そうだよね。あんな理不尽で恐ろしい地獄が現実にあるはずがないもん!自分たちの流す汗も涙も、全部、自分たち自身のものなんだから!)

 

 ―――自分たちは安全な現実世界に生きる、血の通った存在なのだ。その圧倒的な安心感が、スタジオの温かい空気となって二人を包み込んでいた。

 

「あ、そういえば! 今日の午後って、ジャパンカップじゃありませんでしたっけ!?」

 

 少女がふと思い出したように声を上げ、パイプ椅子の脇、スタッフの待機スペースに置かれた小さなテレビモニターを指差した。

 

 時刻はちょうど、レース発走時刻を迎えようとしていた。画面には、超満員に膨れ上がり、地鳴りのような歓声に包まれた東京レース場のターフが映し出されている。

 映画のセットとは違う、本物の熱気。本物の歓声。スピーカーから漏れ出す実況の興奮した声が、静まり返りつつあるスタジオの片隅にも鮮明に響き渡ってくる。

 

『さあ、歴史的瞬間をその目に焼き付ける時が来ました! 世紀の対決、ジャパンカップ! 圧倒的強さを誇る絶対女王アーモンドアイ、そして無敗の三冠牝馬デアリングタクト! さらには無敗の三冠ウマ娘! 三人の三冠ウマ娘が激突する、かつてない夢の祭典です!』

 

 最強と最強がぶつかり合う、現実世界での真の頂上決戦。画面を見つめる少女の瞳が、映画の中での空っぽのそれとは全く違う、キラキラとした純粋な憧れと熱を帯びて輝いた。

 

「凄いですね……! さっき劇中ではURAを優勝する役をもらいましたけど、現実の私なんか、やっとメイクデビューを果たしたばかりのひよっこなのに。画面越しでも、皆さんのオーラが伝わってきて、足が震えちゃいそうです」

 

 少女はぎゅっと拳を握り締め、食い入るようにモニターを見つめる。

 

「……でも、私もいつか絶対にあんな風に走りたい! いつの日かあの大歓声の中心に立って、誰よりも速く駆け抜けてみせます! 負けてられません!」

 

 希望に満ちた、泥臭くて、真っ直ぐな決意の言葉。カフェはそんな彼女の、生命力にあふれた横顔を見て、ふわりと目を細め、優しく微笑みかけた。

 

「ええ。頑張っていれば、きっと夢は叶います。……こうしてここで会ったのも何かのご縁です。困ったことがあったら、いつでも私に言ってください」

「え? 本当ですか!?」

 

 少女は弾けるような笑顔で振り返った。

 

「G1ウマ娘のカフェさんにそう言っていただけるなんて! はい! ぜひ、色々と相談させてください!」

「ええ、もちろん。あなたのその純粋な祈りが、いつか形になる日を楽しみにしていますよ」

 

 平和な日常。夢に向かってひたむきに走る少女と、それを見守る優しい先輩。ホラー映画の撮影現場という「恐怖の裏側」にある、あまりにも温かくて真っ当な現実の光景。彼女たちは疑いようもなく、自分たちが生きるこの現実の自由を謳歌していた。

 

 

 ゲートが開き、歴史的なレースが幕を開ける。三冠ウマ娘たちが形成する、あまりにも美しく、強固なヒエラルキー。誰もが、その王道とも言える決着を疑わなかった。

 

  ――しかし。

 

 レースが中盤に差し掛かったその時。テレビのスピーカーから響き続けていた実況のトーンが、唐突に、焦燥と驚愕の入り混じった異様な悲鳴に跳ね上がった。

 

『――おおっと!? キセキが、キセキが止まらない!! ペースを全く落とすことなく、依然として先頭を単騎で大逃げ! 後続を10バ身、いや15バ身以上引き離している!!』

 

「えっ……!?」

 

 少女が、目を丸くしてテレビ画面に釘付けになる。画面の中で起きている異常事態。

 前半1000メートルの通過タイムは、57秒9という常軌を逸したハイペース。どう考えてもスタミナが持つはずのない、自滅覚悟の無謀な逃げだ。

 

 誰もが、後方で脚を溜める三冠ウマ娘たちの劇的な逆転劇を信じて疑わなかった。それが、このレースに用意された『最高に美しい結末』であるはずだったからだ。

 

『さあ、最終コーナーを回って最後の直線! 逃げて逃げて逃げまくってキセキは依然として先頭! しかし後方から一気にアーモンドアイが上がってくる! デアリングタクト、無敗の三冠ウマ娘も外から飛んできた!』

 

「すごい、すごいですカフェさん! あの絶対女王や無敗の三冠ウマ娘たちを相手に、キセキさんがあんな逃げを打つなんて!」

「……ええ。まさか、あんな無茶なペースで大欅を越えるなんて。凄まじい執念ですね」

 

 カフェもまた、目を細めてモニターの向こうの『奇跡』を純粋に称賛していた。映画の恐ろしい設定などとうに忘れ、現実のターフで起きた本物のドラマに胸を熱くする少女たち。

 

 だが、その熱狂は、残り400メートルを切った地点で、名状しがたい『戦慄』へと変わった。

 

『――届かない!!』

 

 実況の喉が裂けんばかりの絶叫が響く。

 

『後続が届かない! キセキが落ちないッ! アーモンドアイもデアリングタクトも、あの思い切った大逃げに届かない!!』

 

 ありえない。あってはならない。どれほど大逃げを打とうとも、最後の直線では失速し、後続の圧倒的な力に飲み込まれる。それが誰もが予想していた展開であり、この世界の理に適った光景のはずだった。

 

 だが、キセキの脚は止まらなかった。

 

 絶対女王アーモンドアイの、すべてを蹂躙するはずの完璧な末脚をもってしても。まるで世界そのものの演算が狂ってしまったかのように、その差は一向に縮まらない。キセキの泥だらけの背中が、用意された完璧なシナリオから、狂ったように逃ざかっていく。

 

『まさかまさかのキセキ先頭、残りわずか!!! ジャパンカップ、世紀の三冠ウマ娘の祭典を見事、キセキが! キセキが逃げて逃げて、逃げ切って今――――!!ゴールイン――ッ!!!』

 

 スタジアムを包む、熱狂を超えた巨大な戸惑いと、地鳴りのようなどよめき。誰もが信じていた結末が、たった一人の泥臭い執念によって、完全に破綻した瞬間だった。

 

「う、嘘……! 逃げ切っちゃった……!?」

「これは、これは……。まさか、逃げ切るとは」

 

 少女は興奮で顔を紅潮させ、思わずパイプ椅子から立ち上がった。

 

「私も、いつかあんな風に――!」

 

 少女が、目を輝かせてターフの映像に向かって元気よく手を伸ばそうとした。

 

 ――その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジリリリリリリリリリリリリッ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「はっ……なんだ、夢か」

 今日は大切なレースの日。

 夢のことは忘れて、早くアーモンドアイのところに行こう――。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。