機動戦士ガンダムSEED / Re.00 -西暦の蒼き翼-   作:コエンマ

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お待たせしました。第10話です。

始めは一話で終わらせるつもりだったのですが、長くなり過ぎましたので前後編に分けることにいたしました。

それではどうぞー


第10話  (よみがえ) る 翼 (前編)

 砂漠の夜が、最果ての蒼へと溶け始めていく。 厚い雲間から差した暁の光が地平線の端を薄く照らし始め、辺境基地の無機質な輪郭を闇の中から炙り出していた。

 

 政府軍第14前線基地、メインハンガー。集落から運び出された灰色の巨躯が沈黙するその広大な空間は今、冷たい硝煙の臭いと張り詰めた殺気によって支配されていた。

 

 破壊された照明が不規則にスパークし、焼け焦げたオゾンの臭いと重油が混じり合って不快に澱んでいる。その混沌の中心で、キラ・ヤマトは静かに、しかし抗いようのない威圧感を纏って立っていた。

 

「う、うう、撃つな! や、やめろっ!!」

 

 血塗れの鼻面を抑え、床を無様に這いずるバシムの喉から裏返った悲鳴が漏れる。

 

 その視線の先にいる少年──キラはハンドガンを油断なく構え黙って彼を見下ろしていた。銃口が目の前に倒れてもがく男の正面を捉える。その表情には若干の揺らぎこそ感じるものの、纏った覚悟によって年相応の甘さは掻き消えていた。

 

(な、何なのだ、こいつは……なぜ、軍を相手にこれほど迷いなく向かってこれる!?)

 

 軍服さえ纏わぬ、目の前の華奢な存在。

 

 銃を構えるその指先には躊躇いはあっても震えはない。鏡のように澄み渡る瞳はこの場のすべてを冷徹に見透かし、自分のやるべきことをすでに決めていることを如実に示していた。

 

 バシムは自分の目の前に立つキラに、内臓を素手で掴まれるような戦慄を覚える。

 

 姿かたちは、確かにどこにでもいるような普通の少年だ。構えのぎこちなさから、銃を扱い慣れていないこともわかる。しかし、いま彼が纏っている空気はとても普通とは言い難い領域にあるものだった。

 

 滲み出た抜き身の刃のような異質で圧倒的な気配。数多の戦場を潜り抜け、極限の死線を日常としてきた者だけが放てる、絶対的な戦士の気魄(オーラ)がそこにあった。その研ぎ澄まされた佇まいは、あらゆる手管を使い、多くの邪魔者を日常的に切り捨ててのし上がって来たバシムをして見たことのないほどだった。

 

 近頃にあっては最前線に立つこともついぞなくなっていた彼だが、若かりし頃、幾度か死線を超えた経験が強く警鐘を鳴らす。

 

 ──―目の前にいるこの少年は、関わってはいけない類の人間だと

 

 雰囲気、視線、表情……いや、そんなわかりやすいものではない。彼自体に宿り、隠そうとしても溢れてくる得体の知れない『存在感』が、培ってきた過分なほどの自信を粉々に打ち砕いていた。

 

(く……あと少しだったというのに……!)

 

 彼の背後に佇む、翼を擁した灰色の機体を見やる。数日前に上層部から回って来た、武力介入を開始したとされる組織「ソレスタルビーイング」の映像データ。そこに映っていた世界を震撼させる「ガンダム」と非常によく似た形状のモビルスーツ。

 

 バシムも、辺境の集落に流れ着いたという「パイロット」やこの機体が、ガンダムと関わりがあるなどと初めから思っていたわけではない。フィオの言葉など最初から信用すらしていなかった。

 

 ジャンク屋が未知の機体を回収し修復を始めたことは把握していたが、外部からその詳細すべてなど到底調べられるはずもない。フィオに話したことで警戒が厳しくなってしまったこともあり、彼がそれ以降の情報を知るすべは限られていた。

 

 だが、バシムはそれでも問題ないと捉えていた。彼自身、この砂漠に来るものの大半がガラクタだということぐらい、十分に認知していたからだ。

 

 パイロットなる人物もフィオの出まかせか、いたとしてもせいぜい紛争地を転々とする傭兵の使い走り程度だと考えていた。偶然廃棄されたロールアウト前の機体、または試作機の残骸を手に入れたどこか組織の人間なのだと。襲撃後に工廠施設の関係者に聞き出すまでは、それが一人の少年だということすら知らなかったほどだ。

 

 情報に限りはあったものの、バシムはわかりやすい小金と中央への手土産を手に入れるぐらいの気持ちで、これを接収する計画を立て集落を襲った。フィオを完全に自分の支配下に置き、掃き溜めを処理するついでに。

 

 そうして襲撃した集落でこの機体を見た時、バシムは心底驚愕し、同時に思いもよらぬ事態でありながらも強く歓喜した。現在の世界を騒がせる嵐の中心『ガンダム』……あるいはそれらに連なる機体なのかもしれないと直感的に察せるほど、その姿かたちは似通っていたからだ。

 

 無論のこと、それが危険を抱え込む要素であることはわかっていたが、目の前に置かれたのは一等級も霞むほどに煌めく宝石。いくら小心者とはいえ、欲望に忠実な性分である。見ぬ振りができるほど出来た人物でもなければ、先を見越して我慢できるほど理性的でもなかった。

 

 ユニオンやAEUの機密、それらを使って上に媚びを売れればいいぐらいの認識で考えていた彼にとって、この『フリーダム』の存在は、自分の想定を遥かに超えて齎された幸運だったのだ。

 

 廃棄された機体、あるいは実証実験のための機体なのかもしれないが、これだけの完成度を誇る『未知の機体』なのであれば、人革連は是が非でも欲しがる。利用価値などいくらでもある。

 

 あと僅か一歩。それだけで自分はこのガンダムらしき機体を手中に収め、莫大な富と地位を約束されていたはずだった。それを、得体の知れない気配の少年に邪魔された挙句、いまなおこうして気圧されている。

 

 思い描いていた理想との差異が、バシムの内心にどす黒い屈辱と筋違いな報復心を同時に呼び起こしていた。

 

(機体どころか、フィオまでも……小僧め、許さんぞ……っ!)

 

 彼の後ろに隠れるように身を縮めるフィオを睨み据える。バシムがようやく手に入れ、思いのままにしようとしていた女すら、この少年が奪い取ったこともひどく癇に障っていた。それが警鐘を鳴らし続ける本能が発する危機感を煮えたぎるような怒りに変えていく。

 

「キラ……!」

 

 背後で拘束されたままのフィオが、震える声でその名を呼んだ。剥き出しになった肩を震わせ、涙に濡れた瞳で自分を見つめる彼女。

 

 それを今一度肩越しに認め、痛ましい表情になるキラ。視線を戻した彼は、不快感を隠さない様子でバシムを睨みつけた。

 

「フィオさんたちを解放してください。今すぐに」

 

 こぼれる低い声。目の前の状況にはとても合わぬ幼い響きだが、その鋭さが彼の抱いた覚悟を物語っている。キャットウォークの上にいるエミリアも、アサルトライフルを構えた状態でバシムに狙いをつけていた。

 

 それだけでバシムの精神は再びパニックに陥りそうになるが、無駄に重ねてきた年月による自尊心が、恐怖を上回る激情となって言葉を放った。

 

「く……貴様ら、自分が何をしているか分かっているのか! 政府軍への反逆は死罪だぞ!」

 

 バシムが虚勢を張って悪態をつく。ギリギリと嚙み締められた歯が嫌な音を立てた。その額からは脂汗が滴り、軍服の襟元を汚している。

 

「問答をするつもりはありません」

「ええ、二度は言わないわ。風穴を開けられたくないなら早くしなさい!」

 

 離れた場所にいるエミリアからも怒声が飛ぶ。彼女の瞳には、積み重なった怒りと焦燥が烈火となって宿っていた。

 

 この状況から切り返すのはいくらなんでも不可能だ。遮蔽のない状態では逃げることもできない。バシムの命は完全に二人の指先に委ねられていた。

 

 数秒の、しかし永遠に感じられるほどの膠着。

 

 工廠内の巨大な換気扇が回る低い唸り音だけが、重苦しく停滞した空気をかき回している。キラの背後で怯えるフィオの震えが、背中を通じて伝わってきた。

 

 バシムは呼吸を浅く繰り返し、その視線はキラの瞳と銃口の間を、救いを求めるように彷徨っている。引き金にかけられた指がわずかでも動けば、その瞬間に全てが終わる──そんな極限の静寂が、空間の酸素を奪っていくようだった。

 

「く……わ、わかった……わかったから、だからそれを下げろ!」 

 

 ついに耐えかねたバシムが、屈辱に顔を歪ませて叫ぶ。

 

 吊り下げられたクレーンの鎖が、どこかでチリ……と小さく鳴った。広大なハンガーに満ちていた針を刺すような緊張が、彼の降伏によって行き場を失い、霧散していく。誰もがこのまま事態が収束へ向かうのだと、そう予感した。

 

 だが、その降伏の言葉をかき消すように、硬いコンクリートを打ち鳴らす無数の足音が反響した。一瞬の後、ハンガーの小扉が蹴破られるような勢いで弾け飛ぶ。

 

「司令官!!」

「小僧が! 司令から離れろ!!」

 

 ハンガーの通用口からなだれ込む増援の兵士たち。彼らは状況を深く顧みることもなく、バシムを救わんとしてキラに向けて一斉に引き金を引いた。激越な銃声がドーム状のハンガー内に乱反射し、鼓膜を激しく打ちつける。

 

「──くッ!!」

 

 思考よりも先に体が動いた。反射的にフィオの肩を抱き寄せたキラは、その細い身体を己の胸中に守る。そのまま横っ飛びするように近くの大型コンテナの陰へと身を躍らせた。

 

 直後、自分たちがいた場所のコンクリートが激しく爆ぜ、火花と礫が容赦なく襲いかかる。背後に迫る死の感触を肌で感じながら、キラの意識は再び研ぎ澄まされていく。

 コンテナの冷たい鉄板に背を預けたのはほんの一瞬。慣れない手つきで銃を構え直したキラの瞳が、硝煙の向こうにいる敵の姿を冷徹に捉え、一瞬の間をおいて応射した。

 

 だが、命を奪うことへの根源的な恐怖と拒絶がその銃口をわずかに鈍らせる。必死に狙いを定めた銃弾は、ライフルを構えた兵士の視界を激しく火花と共に叩き、あるいは突進してくる足元のコンクリートを砕くのみ。

 

 しかし、それを上から支援するエミリアの洗練された射撃が補った。

 

「いいわよキラ! そのまま撃って!」

 

 キラの射撃で怯んだ敵を、彼女の放つ鋭い一撃が捉える。二つの火線が交差する中、政府軍の兵士たちは次々と武器を取り落とし、あるいは地面に転がって呻き声を上げた。

 

 だが、この一瞬の混乱が卑劣な男に唯一の活路を与えてしまう。

 

「ひ、退けぇ! 全員、ここから退避しろ!」

 

 泡を食ったように叫んだバシムがいの一番に駆け出した。無様に転倒し、鼻から血を流しながらも死地から抜け出すためにひた走る。軍の司令塔を務める人間としては最悪と言っていい所業だったが、己を生かすことにかけてはその判断力も中々のものであった。

 

 兵士たちは驚いたものの、彼に続いてすぐに撤退を開始する。キラ達から思わぬ反撃を受けたことと、彼の救出という当初の目的を達したこともあったのだろう。

 

 兵士らと共に手足をバタつかせて走っていったバシムが通路の先で振り返る。その目に激しい怒りと憎しみを込めながらキラたちを睨み据えた。

 

「覚えておれ貴様ら! 私にこのような暴挙……許さんぞ! 眼にものを見せてくれる!」

 

「っ……待て……っ!」

 

 キラが声を張り上げるが、指先が躊躇った。背を向けて逃げる男を撃つことに心がブレーキをかける。再び銃口を向けた時には、バシムの背中はハンガーの非常用通路の先に消えていた。

 

「逃げられた……っ! チッ、逃げ足だけは速いんだから!」

 

 エミリアが階段の手すりを飛び越えるようにして駆け下りてくる。彼女は着地と同時に腰のナイフを抜き払い、キラの隣で震えていたフィオのもとへ滑り込んだ。

 

「キラ、フィオ、大丈夫!?」

 

 鋭い刃先が、フィオの細い手首を縛っていた無骨な拘束バンドを、音もなく断ち切った。

 

「ありがとう、エミリア……キラ、貴方……」

 

 自由になった手で自分の肩を抱き、フィオは呆然とキラを見上げた。その瞳には、かつて彼を拒絶し、遠ざけようとしたことへの痛切な悔恨が滲んでいる。だがそれ以上に、そんな自分を助けてくれた彼への言葉にならない熱い想いが溢れ出していた。

 

「話は後です! 今のうちに脱出を──!」

 

 意識を切り替えたキラが周りを見渡しながら指示を飛ばそうとする。だがその言葉は最後まで続かなかった。

 彼の警告を塗りつぶしたのは、それまで鳴り響いていた銃声など児戯に等しい、空を裂くような凶悪な咆哮。直後、腹の底を直接掴んで揺さぶるような、凄まじい衝撃がハンガーを襲った。

 

「──っ!?」

 

 轟音と共に、メインハンガーの外壁の一部が、一瞬にして飴細工のようにひしゃげた。外部から加えられた重く強い衝撃。分厚い基幹部や装甲板が内側へと弾け飛び、巨大な瓦礫の塊が豪雨のように降り注ぐ。

 

「きゃああああああっ!!」

「いやあっ! 何っ!?」

 

 工廠に囚われていた少女たちの悲鳴が爆音に飲み込まれていく。突如として始まった崩落音の渦にエミリアの顔色が変わった。

 

「な……ッ! これは、砲撃……!? あんの馬鹿、何を考えてるのよ!!」

 

 頭上から降りかかる火花とコンクリートの礫からフィオを庇いながら、エミリアが怒りをあらわにする。爆風で乱される髪を空いた手でおさえつつ、信じられないものを見る目で崩落する壁面を睨みつけた。

 

「自分の基地の要所ごと私たちを抹殺する気!? 指揮官としてどこまで無能なの、あの男はっ!!」

 

 そこには、もはや戦術的な意図など微塵もなかった。

 

 自軍の大切な施設も、自身があれほど執着していた「貴重な機体」さえも、保身と逆恨みのためにすべてを灰にしようとしている。エミリアの胸に突き上げたのは、そのあまりに低俗で卑劣な男への身を焼くような純粋な嫌悪感と激昂だった。

 

 しかし、怒りだけで事態は好転しない。地響きは止むことなく、ハンガーの外部を囲むように重厚な鋼鉄の足音が幾重にも重なって響いてくる。

 

 それは単なる威嚇などではない。一歩、また一歩と距離を詰めてくるたびに床を伝う震動は、明確な殺意を孕んだ死の包囲網が完成しつつあることを告げていた。

 

 エミリアは血の気が引いた顔で、格納庫の壁面に備え付けられたモニターへ駆け寄った。激しい振動で乱れる画面を叩くように操作し、外部カメラの映像を呼び出す。映し出された光景を見た瞬間、彼女は奥歯を砕かんばかりに噛みしめた。

 

「く……囲まれた……!!」

 

 絞り出すようなその声に、ハンガー内が凍りついたような死の静寂に包まれる。

 

 地域での物量戦にて脅威となる『アンフ』に、人革連の誇る鋼鉄の巨人『ティエレン』の混合部隊。その総数およそ20機弱。この基地における戦力のほぼ全てが、キラ達を閉じこめるドームを処刑場に変えるべく銃口を揃え、近づいてきていた。

 

 まさしく八方塞がりだ。正面のハッチも非常通路も、外に控え撃ち下ろしの態勢をとるMSの射線に晒されている。自分たちが侵入してきた経路も既に瓦礫の下。

 

 逃げ道は完全に断たれている。工廠の分厚いコンクリート壁も、今や自分たちを押し潰し、生き埋めにするための墓標へと変わりつつあった。

 

 工廠員の少女たちは互いに抱き合い、言葉を失ってガタガタと震える。フィオもまた、あまりに理不尽な戦力差を前にして、蒼白な唇を戦慄かせることしかできなかった。

 

 追うごとに砲撃音は激しさを増していく。断続的に撃ち込まれる重MS用の滑腔砲。次々に響く轟音が堅牢なハンガーの外壁部を容赦なく削り取り、剥き出しになった鉄筋が断末魔の悲鳴を上げるように軋む。

 

 一度、二度、三度。着弾のたびに耳を聾する爆音が響き、断続的に木霊する巨大な破砕音が閉鎖空間の中で増幅されて鼓膜を突き刺した。

 

 天井の照明はとうに弾け飛び、火花を散らして沈黙していた。

 舞い上がる硝煙が暁前のハンガー内に薄暗く立ち込め、天井の亀裂からさらさらと零れ落ちる塵が、明滅を繰り返す赤色の非常灯に照らされる。それはまるで死を告げる砂時計が怪しく煌めいているようだった。

 

「嫌……! 嫌あああああ!」

「そんな……嘘よ、こんなところで……っ」

「誰か……誰か助けて……お願い……!」

 

 少女たちの叫びは、もはや言葉の体をなしていなかった。それは剥き出しの生存本能が上げる、血を吐くような絶望の旋律。隅に固まった彼女らの頭上から巨大な瓦礫が雨のように降り注ぐ。

 

 その凄惨な光景は、数分後に訪れるであろう自分たちの末路を如実に示していた。

 目の前に迫る死は、もはや地平線の向こうの出来事ではない。今この瞬間に自分たちを押し潰そうとしている物理的な現実だった。

 

 フィオは、隣で震える幼い少女の一人を壊れ物を扱うように強く抱きしめ、奥歯を噛み締めた。バシムの凶行と爆風に裂かれた服の肩を震わせながら、崩落し続ける周囲の惨状を仰ぎ見る。

 

 自分はリーダーなのだ。どんな時でも、皆を導かなければならない。だが、外には鋼鉄の軍勢が待ち構えており、自分がいるのは退路を絶たれた檻の中だ。こんな状態でちっぽけな人間一人に一体何ができるというのか。

 

「……ごめんなさい。私のせいでみんなを……」

 

 フィオの唇から、弱々しい謝罪が零れ落ちた。誇り高く、気丈であろうとしてきた彼女の精神もすでに限界を迎え、物理的な破壊と圧倒的な武力の暴風を前に折れかけている。

 

(終わり、なの……? こんな惨めな終わり方が私たちの最期なの……?)

 

 絶望という名の冷気が、背筋を這い上がる。視界が涙で滲み、膝を屈しそうになったその時──。

 

「……大丈夫よ、フィオ」

 

 不意に確信に満ちたエミリアの声が響いた。弾かれたように顔を上げる。

 フィオの目に映った彼女の表情に陰りはなかった。舞い乱れる塵の中で一度も視線を逸らすことなく、笑みを向けてくる。

 

 瞳にあるのは根拠のない盲信ではなかった。一人の『仲間』としての、そして真実を知った『技術者』としての確信に近い光が宿っている。しかし、声を掛けられた側の少女は、それを読み取れるほど冷静な状態ではなかった。

 

「エミリア……何を言って……外には一個中隊を超える規模のMS部隊がいるのよ!? それに出口も塞がれて、私たちは……!」

 

 迫りくる振動と轟音の中、フィオは親友の正気を疑った。彼女とて考えを放棄したわけではない。しかし、ここから助かる方法など、今に至っても全く浮かばないのだ。

 

 エミリアの言い分はフィオが知る「戦い」の常識にはない。歩兵同然の自分達がMS部隊に包囲された時点で、既に勝負は決している。逃げ場のないこの状況では、彼女の言葉はただの現実逃避にしか聞こえなかった。

 

 だがエミリアは動じない。降り注ぐ火花を厭うこともなく彼女は静かに、しかし凛とした佇まいで背後へと振り返った。

 

 その視線の先に、一人の少年を映して。

 

 

 

「なんとかできるでしょ? ……貴方と、フリーダムなら」

 

 

 

 エミリアの揺るぎない声が預言のようにハンガーの空気を震わせた。

 フィオは言葉を失い、息を呑んでキラを見つめる。泣きじゃくっていた工廠員の少女たちも、縋るような、あるいは信じがたいものを見るような瞳を一斉にその少年へと向けた。

 

「キラ……?」

 

 フィオが零した声、その視線の先でキラは静かに佇んでいた。絶望に支配されたこの空間において、一人だけ別の何かを見ているかのように。

 

 たった一人の少年。

 たった一機の、未だ動いたことのない灰色のモビルスーツ。

 

 外から二十機近い鋼鉄の巨神が、逃げ場のない自分たちに迫っている。たとえ高性能なMSが一機あったところで、この状況を「なんとか」するなど、子供が描くお伽話に等しい。常識的に考えればそれはあまりに無謀で、狂気に満ちた信頼だった。

 

 だがエミリアは知っている。自分が見たデバイスに記録された異界の機体。この少年の背負う翼がどれほどの不可能を可能にしてきたのか。

 その光景を実際に見てなどいなくとも、彼女は確信していた。

 

 圧倒的な「数」という暴力の前に一人の人間ができることなど何もない──そんな絶望がハンガーを満たそうとする中にあってすら、怯えることも狼狽えることもないキラを目にして。

 

 キラは銃を収めると、降り注ぐ塵と硝煙の向こう側、静かに再起を待つ灰色の翼を黙ったまま、しかし真っ直ぐに見上げた。

 恐怖も諦念も浮かんではいない。彼が宿していたのは、ただ一つの鋼の決意。舞い上がる砂塵と火花の中、深紫の瞳は濁りのない静かな光を湛え、己の半身たる『翼』を仰ぎ見ている。

 

 その横顔に異界の空で幾千の絶望を切り裂いてきた、不屈の戦士の覚悟が宿る。

 エミリアの信頼に視線で応えると、不安に揺れるフィオの瞳を静かに見つめ返し、力強く頷いた。

 

「……みんなを、あの支柱の基部へ。この中で一番頑丈なあそこなら、天井が落ちてきても持ち堪えられます。エミリアさん、お願いします」

 

「ええ、任せて……暴れてきなさい」

 

 キラは踵を返し、硝煙の向こうに佇む灰色の巨像へと向かって走り出した。

 油と硝煙にまみれたハンガーの床を蹴り、機体の脚部に設置されたメンテナンス用のラダーを駆け上がる。その姿はもはや一人の少年ではなく、かつて世界の命運をその翼に担った戦士のそれであった。

 

 タラップから機体の上に飛び降り、装甲の上を軽快に駆ける。その背中に向けてフィオが声を上げた。  

 

「キラ……っ!」

 

 声を掛けられた少年は一度だけ振り返り、彼女たちを安心させるように小さく微笑む。そして、解放されたコックピットの闇へとその身を投じた。 ハッチが閉じる重厚な音が、ハンガーに響き渡る。

 

 背後にいるエミリアから少女たちを誘導する声が響いている。フリーダムの中に消えたキラ。そんな彼の背中を今だ目に宿しながら、黙って見つめることしかできない自分。

 

 フィオは万感の思いを込めて祈った。

 

(キラ……どうか死なないで……)

 

 

 

 コックピットの内部に滑り込んだ瞬間、ハッチが重厚な金属音を立てて密閉された。直前まで耳を聾していた爆音や少女たちの声は何層もの特殊装甲と緩衝材に遮られ、水底に沈んだかのように遠のいていく。

 

 代わりに彼を包み込んだのは、高周波のようなが微かな駆動音と、電子機器が発する凛と張り詰めた静寂だった。

 

 かつて幾度となく戦場を共にした、懐かしくも冷徹な香りが鼻腔をくすぐる。キラは深く息を吐き、身体を包み込むコックピットシートの感触を確かめた。

 

 コンソールが滑らかな光を帯びて立ち上がり、漆黒だった多面モニターに西暦の世界が投影されていく。砂塵に煙るハンガー、崩落する天井、そして自分を見つめる少女たちの姿。それらを瞳に焼き付けながら、キラの細い指先がキーボードを叩き始める。

 

 複雑怪奇な電子の鎖で縛られ、沈黙を強要されていたOS。幾重にも施されたその封印を、キラは流麗な動作で瞬く間に解き放った。

 

 同時に、機体の深部に位置する原子炉が、眠りから覚醒した獣のように低い唸りを上げた。その振動はシートを通じて直接キラの背骨を揺さぶり、機体各部の駆動系へ血潮のような熱さを伴ってエネルギーを送り込んでいく。自身の神経系と機体のクロックが同期を始め、静止していた巨像が明確な力と守護の意志を帯びて脈動を開始した。

 

 息を吐き、操縦桿を静かに握り込む。

 

 掌から伝わる悲しいほどに馴染んだ感触が、自分の内側に眠っていた「戦士」の自覚を呼び覚ましていく。守るために戦い、戦うことでしか守れなかった、あの痛切な日々。そのすべてがこの手の中にあった。

 

「……行こう」

 

 誰に聞かせるものでもない、己の魂への再契。

 視線を鋭く尖らせ、迷うことなくフェイズシフト装甲の起動ボタンを押し込んだ。

 

 それは単なる防護機能の展開ではない。かつて幾度となくその目に焼き付け、平和への願いと絶望の両方を内包した存在を、キラは今、自らの意志で再び戦うための力へと変えたのだ。

 

 灰色の沈黙を保っていた巨像の表皮に、電子の奔流が駆け抜ける。装甲の分子構造が瞬時に再配列され、鈍い金属色は闇を切り裂く鮮烈な色彩へと塗り替えられていった。

 

 

GENERATION

UNSUBDUED

NUCLEAR

DRIVE

ASSAULT

MODULE

       COMPLEX

 

 [ G.U.N.D.A.M.Complex ]

 

 

 

 幾度となく目にしたOSの起動画面を契機に、広域を映す多面モニターが限界まで輝度を上げる。システムの覚醒を告げる鮮烈な閃光がコックピットを白一色に染め上げた。

 

 次の瞬間、漆黒の宇宙(そら)で無敵を誇った自由の翼が、硝煙と瓦礫に塗れた地上のハンガーで、その真の姿を現した。

 

 

 

 

 

 ハンガーの堅牢な床を直接叩き割るような重低音が、凄まじい地響きを伴って轟いた。再始動した動力炉が、これまでの静寂を塗りつぶすような莫大な熱量を吐き出し、その奔流が機体各部のエネルギー伝達経路を光速で駆け抜けていく。

 

 長い眠りから覚めた鋼鉄の巨神が、その相貌に鋭い戦士の眼差し──双眸のセンサーを灯した。

 

「……っ! 装甲が……!?」

 

 フィオが目を見開いた。

 

 それまで死を象徴していたような無機質な灰色が、魔法にかけられたかのように鮮烈な色彩へと変貌を遂げたのだ。装甲の隅々にまで電力が浸透し、浮かび上がった「色」が、絶望に満ちたハンガーを鮮やかに塗り替えていく。

 

 闇を凝縮したような漆黒を基調とする胴体と正面を走る真紅のライン。腕や脚の肢体は、砂漠の埃さえ寄せ付けぬ高潔な白。そして、背後に畳まれた十枚の翼は、明けていく空さえも塗り潰すような蒼穹のごとき蒼と漆黒のコントラストを描き出していた。

 

「……これ、は……」

 

「機体の色が……変わった……?」

 

 身を寄せ合っていた工廠員の少女たちが、震える声で言葉を零す。

 

 それは、西暦の住人たちがこれまで目にしてきた、重油と煤にまみれた「武骨な兵器」の概念とは一線を画すものだった。

 

 安っぽい塗装などではない。装甲そのものが意志を持って輝きを放つその現象は、この世界の兵器体系では絶対に起こり得ない、魔法か神話の如き神聖な変革であった。

 

「信じられない……あれが、あのボロボロだった残骸の本当の姿……? あれが、キラの……」

 

 フィオは、その圧倒的な威容に射すくめられ、震える唇で呟いた。かつて自分たちが必死に修復し、磨き上げてきた機体。しかし今目の前に立ち上がったそれは、自分たちの知る「機械」を遥かに超越した、未知の生命体のような気迫を放っている。

 

 データ上で知っていたはずのエミリアでさえ、現実に「力」を得たフリーダムの放つ神々しいまでの威圧感に言葉を失っていた。

 

 その右手が重厚な駆動音とともに専用のビームライフルを握り直した。迷いのない動作で、銃口が真上の天井へと向けられる。

 

 動力炉から汲み出された巨大なエネルギーが一瞬のうちにライフルの機関部へと充填され、大気を震わせるほどの高周波が響き渡る。兵装の隙間から漏れ出した電磁光は周囲の砂塵と反応し、紫電となって飛び散った。

 

 外界の砲撃が一瞬、間を置くように途切れた。外に広がる世界が、あるいは自分たちの命を刈り取ろうと死神が息を呑んだかのような奇妙な静寂がハンガーを支配する。

 

「っ!!」

 

 キラは一度だけ深く瞑目する。目を開くと同時、己の迷いを断ち切るように引き金を絞った、その刹那──―視界が純白の閃光に塗りつぶされた。

 

 雷鳴を凝縮したような凄まじい発射音。それと共に放たれたエメラルドグリーンの光条は、爆音を伴ってハンガーの天井を刺し貫いた。自分たちを閉じ込め、つい先ほどまで「絶望の壁」だったはずの分厚い特殊コンクリートが、まるで紙細工のように一瞬で焼き切られ、夜空に向けて猛烈な勢いで吹き飛ばされる。

 

 吹き荒れる爆風と肌を焼くような熱波が視界を埋め尽くす残光の中で、フリーダムの背面スラスターが咆哮を上げた。空気を切り裂く高周波と地鳴りのような重低音が、ハンガー内で複雑に交差する。

 

「くっ……!!」

 

 凄まじい風圧がハンガーを吹き抜け、フィオたちは舞い上がる土埃から身を守るように、姿勢を低くして思わず顔を覆った。

 

 次の瞬間、巨大な鋼鉄の塊であるはずのフリーダムが目を疑うほどの瞬発力で加速した。天井に穿たれた巨大な穴を通じ、一筋の光の矢となって垂直に飛び出す。

 

 それは西暦の機体が行う強引な『跳躍』でも、揚力を用いた『滑空』でもない。フラッグと同様の、いやそれより遥かに巨大なエネルギーによる『飛行』。地上の理から解き放たれたかの機体は、鳥のように軽やかに、文字通り空を「翔けて」いたのだ。

 

「嘘…………」

 

 フィオが呆然と呟く。

 

 見上げた空には、翼から放たれる熱気と冷却システムが干渉し合った、赤い煌めきが尾を引いていた。それらは、死の恐怖に満ちていたハンガーの暗がりに、まるで火の粉が舞うような幻想的な軌跡を美しく描き出す。

 

 眼下に呆気にとられて停止するティエレンやアンフの群れを捉えながら、その機体は厚い雲から暁の光が差し込む空の一点に静かに、そして傲然と静止した。

 

 立ち尽くしていたフィオとエミリア、そして少女たちは、大きく抉られたハンガーの天井から吹き込む、冷たくも清々しい朝の空気を感じながら空を仰ぎ見た。

 

 自分たちを閉じ込めていた絶望の檻を内側から切り裂き、閉ざされた暗がりから光の射す世界へと突き抜けていった一機の騎士。

 

 あまりにも気高く、震えるほどに美しい鋼鉄の相貌は、奪われかけていた彼女たちの『明日』を取り戻し、その網膜に永遠に消えることのない救済の記憶を刻み込んでゆく。

 

 それは、絶望の淵に現れた希望の象徴。

 

 異界の空に甦った、自由という名の翼だった。

 




 【あとがき】

第10話、フリーダム復活回の前編でした。

この物語における最大の見せ場であり、最初の山場となるのは間違いないと思い、気合入れて自分でいろいろ書き足しておりました。

そのせいで、初めの仮完成時の文字数からいつの間にか倍近くになってしまっていましたが(汗)。後編はこんなには長くならない予定です(たぶん)!

それではまた次回、(よみがえ)る翼(後編)にてお会いしましょう


※今回は同じお話の中なので次回予告はありません。
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