機動戦士ガンダムSEED / Re.00 -西暦の蒼き翼- 作:コエンマ
第11話、後半部になります
砂漠の暁は、焦らされるほどにゆっくりと、しかし確実に世界を白ませていく。
岩肌を冷たく撫でる風が細かな砂塵を舞い上げ、地平線の彼方から差し込む朝の光が、分厚い雲の層をわずかに裂いて荒野に長い影を落としていた。空気はまだ夜の冷気を残し、肌を刺すように乾いている。荒野全体が、息を潜めて次の瞬間を待つかのように静まり返っていた。
激しく揺れるジープの助手席で、リアは膝の上に乗せたピンク色のハロを壊れ物を扱うようにそっと抱きしめる。小さな体がシートに沈み込むたび、彼女の細い腕がハロを優しく包み込んでいた。その中でガタガタと揺れる視界が二人の心を緊張感のあるものへと
運転席で前を見据えるのは、先ほどまで意識を失っていた工廠員のメイだ。彼女の額には乱暴に巻かれた包帯が痛々しく残り、傷口から滲んだ血が乾いて黒ずんだ跡を残していた。包帯の下から覗く肌は青白く、唇はわずかに震えている。
「メイさん、本当に大丈夫……? 無理しちゃ、だめだよ」
リアの声は、幼いながらも真剣で、風に混じってメイの耳に届いた。心配が色濃く滲んだ瞳が、横顔をじっと見つめている。
メイは前方を凝視したまま、力なく首を振った。ハンドルを握る手が、かすかに白くなるほど力を込められている。
「大丈、夫……! キラくんとエミリアを行かせたまま、自分だけじっとなんてしてられないよ。フィオさんたちも、みんなあそこに囚われてるんだから……!」
メイの声は掠れていたが、そこには自分たちが招いた災厄に対する強い責任感が滲んでいた。
集落が襲撃された際、バシムの兵士たちに抗い、打ち倒された屈辱。キラを「ガンダムのパイロットかもしれない」という疑念だけで一方的に追い払ってしまった後悔。それらが、彼女の胸を鋭く抉っていた。
もう後悔したくない。それだけを胸に、彼女は痛みに悲鳴を上げる身体を突き動かしていた。
ジープが荒野の凹凸を乗り越えるたびに、サスペンションが悲鳴を上げ、車体全体が激しく跳ねる。その度に歯を食いしばってアクセルを踏む。舞い上がる砂煙が背後へ長く伸び、まるで二人の焦りを視覚化したかのように荒れ狂っていた。
「……ずるいよね、私たち」
「え……?」
ふと、メイが自嘲気味に呟いた。エンジン音と風の唸りに掻き消されそうな、小さな独白だった。彼女の視線は依然として前を向いたまま、しかし瞳の奥に暗い影が落ちている。
「あの機体……フリーダムを砂の中から見つけて回収したのも私たち。パイロットだって言ったキラくんの立場をを利用して、機体を直そうって言い出したのも私たち。キラくんは迷ってた。本当なら反対したかったはずなのに。あんなに悲しそうな目をしていたのに。でも私たちは自分たちの好奇心や利益ばかり優先して、彼を巻き込んだ……」
メイはハンドルを握る指先に力を込める。爪が白く浮き出るほどの強さだった。唇をきつく結び、荒い息を吐く。ジープの振動が彼女の負傷した体を容赦なく揺さぶるたび、その罪を問い詰めるかのように額の傷が疼いた。
「それなのに、ソレスタルビーイングなんて組織が出てきて、自分たちに火の粉が降りかかるかもしれないって分かった途端、手のひらを返して彼を追い出した。一方的に、キラくんの話だってろくに聞かずに……勝手な都合で散々利用しておいて、いざ自分たちがピンチになったら彼が助けてくれるのを期待してる……サイテーだよ」
「メイさん……」
ジープを薙ぐ風がメイの髪を大きく靡かせる。その間から覗く表情には、強い罪悪感がはっきりと浮かんでいた。その肩は小さく震え、年齢よりもずっと小さく見えた。
「フィオさんも、エミリアも……本当は気づいてたんだと思う。キラくんが集落を出ていった後、みんなずっと黙ってた。私たちがやってきたことが、どれほど醜くて情けないことだったか。砂漠で生き抜くために厳しくなきゃいけないって、自分たちに言い聞かせすぎて……一番大切なことを忘れてたんだ」
メイの瞳に、悔し涙が滲む。瞬きを繰り返し、視界をクリアにしようとするが、涙はなかなか引かない。
リアはそんな彼女の横顔を見つめ、腕の中のハロをそっとなでた。ハロは少女の心情を察したのか、パタパタと耳を動かし、緑色のセンサーを点滅させている。メイの肩の上に乗ったトリィも同調するように頬に体を寄せていた。
「メイさん……お兄さんは確かに優しい人です。でも、ただ流されるだけの人じゃない。お兄さんもずっと悩んでた。自分がここにいていいのか、戦う力を持っている自分がみんなを傷つけないかって。でも……機体を直し始めてからは、少しだけ前を向いていたように見えたんです」
リアは遠くに見え始めた基地のシルエットを見据えた。その小さな声には、確かな温かさが込められている。
「お兄さん言ってたんです。自分を受け入れてくれた皆には本当に感謝してるって。だから……お兄さんは利用されたなんて思ってないはずだよ。きっと自分にできることを探してたんだと思う」
リアの言葉を聞いたメイは、一瞬ハンドルから視線を逸らし、少女の横顔をそっと見た。瞳に驚きと感謝が混じり、唇を軽く噛んで涙を堪える。痛みを堪えるような表情が、ゆっくりと柔らかく溶け、わずかな微笑みが浮かんだ。
「リアちゃん……ありがとう。もう少し飛ばすよ、しっかり──」
声の震えを抑えながらメイがさらにアクセルを踏み込もうとした、その時。前方に存在する基地から黎明の空を切り裂くような一条の光が奔った。
「──っ! 何!?」
メイが反射的にブレーキを踏む。ジープは砂を巻き上げて、横滑りしながら急停止した。
車体が激しく波打ち、勢いで跳ね上げられた体が再びシートに押しつけられる。砂塵が視界を一瞬覆い、肺にまで入り込むような乾いた臭いが広がった。
二人の視界の先、基地の中央部から浅緑色の光線が天空へ向かって垂直に伸び、直後に耳を聾するような大爆発が起きた。ハンガーの天井が内部からの衝撃で吹き飛び、紅蓮の炎と黒煙が暁の空を汚していく。数秒遅れで届いた爆風と轟音が地面を震わせ、ジープの窓ガラスをびりびりと鳴らした。
土煙を上げる破壊の渦、その中心から信じられないものが飛び出してきた。空を背景に映し出されたその姿に二人の瞳は大きく見開かれ、息を飲む。
「え……っ」
リアが言葉を失って空を見上げた。
爆炎を切り裂き、重力を嘲笑うように急上昇した一つの影。それは工廠艦と共に横たわっていた、あの無機質な灰色の残骸ではなかった。
朝焼けの光をその身に受け、鮮やかな色づきを空の只中に映し出す機体。
肢体は透き通るような白。胴体は闇よりも深い黒に一条の真紅が走り、そして背部には、蒼穹をそのまま切り取ったような蒼と漆黒を併せた翼が、大きく、そして気高く広げられていた。
機体の各所から発せられる熱気が空気と干渉して赤い粒子のような煌めきとなり、まるで天使の羽から零れ落ちる光の粉のように空を舞う。翼から溢れた光は天空に軌跡を残し、砂漠の風さえもその輝きに染まるかのようだった。
「ええっ……!? あれって、まさか……フリーダム!?」
メイが突き抜けるような驚嘆の声を上げた。彼女たちの知る「MS」の概念を根底から覆す、あまりにも美しく、あまりにも超越的な光景。この2か月間、自分たちが必死になって甦らせたモビルスーツの本当の姿。驚愕と畏怖が二人の全身を一瞬のうちに駆け巡る。
リアは、ただ祈るようにその光景を見つめていた。その瞳には空に舞う蒼き翼と、そこに確かに存在する「希望」が映っていた。
「お兄さん……!」
絶望に閉ざされた砂漠の空に、自由の翼が今、甦ったのだ。
基地の中央にそびえる古びたハンガーの周囲を、ずっしりとした無骨なシルエットのティエレン一個中隊が完全に包囲していた。重厚な車体が砂地を軋ませ、滑腔砲の砲身が冷たい朝の空気を切り裂くように向けられている。
「──総員、撃てッ! あの忌々しいガキ共を跡形もなく粉砕してしまえ!」
バシムの狂気を孕んだ怒号が、基地全体に響き渡る。声には、部下たちを支配する苛烈さと、自身の地位を脅かされることへの苛立ちが剥き出しになっていた。
包囲を完了したティエレンの一個中隊が、バシムの号令に応じて一斉にその無骨な滑腔砲の火蓋を切る。断続的に放たれる砲撃は、古びたハンガーの外壁を容赦なく削り取り、砂塵と爆炎が暁前の視界を白く染め上げていく。
バシムは離れた位置に停めたジープの座席に立ち上がり、双眼鏡を両手でしっかりと覗き込みながら、下卑た笑みを深く浮かべていた。風に煽られる軍服の裾がはためき、朝の冷たい空気が頰を刺す。双眼鏡のレンズ越しに、破壊されゆくハンガーが映し出されるたび、彼の口元が歪んだ。
「……ガンダムと思わしき機体は惜しいが、私の地位を脅かす火種ならばここで潰すしかない。いいか、塵も残さず消し飛ばせ!」
低く唸るような独白が、風に混じって消えた。その声には、冷徹な計算と、勝利を確信した余裕が滲み出ていた。
だがその直後──。
地響きを伴う砲撃の轟音を塗り潰すような、異質で高周波の駆動音が戦場全体を支配した。
カッ────!!
ハンガーを覆う瓦礫の隙間から、一条の浅緑色の光が天を衝く槍のように迸った。沈んだ大地から風が吹きあがる様に、分厚いコンクリートの天井を容易く貫いている。爆発的なエネルギーによって齎された常識外の一撃が、その天井全体を内側から方々に吹き飛ばしていく。
轟音が遅れて響き渡り、大量の砂塵と黒煙が巨大なカーテンのように噴き上がった。その煙幕を割り、先鋭的なフォルムを伴った「影」が、重力を否定するように空へと踊り出る。
「な……に……っ!?」
バシムの口から笑みが一瞬で消え、代わりに戦慄が走った。双眼鏡を握る手が震え、額に冷たい汗が浮かぶ。
視線の先で天空に静止したその機体。それは自分たちが接収し、運び込んだあの灰色の人形ではなかった。
装甲は鮮やかに色づき、澄み渡るような白と漆黒、そして情熱的な赤のコントラストに染まっている。背部に展開された十枚の翼は、まるで神話の鳥が羽を広げたかのような威容。その隙間、あるいは胸部の排気口からは、莫大な余剰エネルギーが赤い燐光となって、暁の空へと美しく溶け出していた。
『……と、飛んでいる……!? そんな馬鹿な……フラッグのような骨組みだけのMSならともかく、あれだけの質量を持ちながらどうやって!? 』
『し、司令官っ、あ、あれは……! あれは、ソレスタルビーイングのガンダムなんですか!?』
通信回線に、ティエレン隊のパイロットたちの動揺した声が次々と飛び込んできた。恐怖と混乱が、スピーカー越しに生々しく伝わってくる。バシムの顔が怒りと恐怖で赤黒く染まった。双眼鏡を乱暴に投げ捨て、喉が裂けんばかりに叫ぶ。
「し、知るか! だが、あれを逃がせば、我々の首が飛ぶ! 構わん! 撃て、撃ち落せッ! 全機、空中の標的を狙いを定めろ!」
その絶叫に呼応し、ティエレンの火器が一斉に火を噴いた。長距離滑腔砲、30㎜の機関銃、ミサイルランチャーなど、あらゆる無数の弾丸と砲弾が鉄の嵐となって、天空の白き機体を包囲するように殺到する。空気が裂ける音と、連続する爆発音が戦場を埋め尽くさんと襲い掛かる。
「────」
フリーダムのコックピットの中で、キラの瞳が静かに、そして鋭く細められた。スロットルが押し込まれ、フットペダルが乗り手の意志を機体に伝える。
背部の翼がわずかに角度を変え、纏う空気に変化が生じる。
瞬間、フリーダムの姿が兵士たちの視界から消えた。否、物理的に消えたわけではない。『消えた』と錯覚しかねないほどの常軌を逸した機動性に、兵士たちの視線が追い付かなかっただけ。
無数の曳光弾が朝焼けに入り始めたの空を赤く引き裂く。明後日の方向へと飛んだ弾が外壁に命中し、つんざくような炸裂音を響かせる。しかし、その中に命中音はない。
嵐のように降り注ぐ弾丸の群れ──その合間を、まるで最初から軌道を知っているかのように紙一重でかわしていく翼の騎士。十数機からの放たれる砲弾が自分から機体を避けて通っているのかようだ。空を舞う機影は巨大な質量を持つ機体とは思えないほどの機敏さで、戦場に光の残像を描き出していく。
『一発も当たらないだと……!? 馬鹿な、MS一個中隊の集中砲火だぞ!?』
敵パイロットの戦慄が、通信機越しに声を震わせた。慌てて滑腔砲を旋回させ、追撃の砲弾を放つ。砲口から噴き出す炎と煙が一瞬で膨れ上がり、轟音が遅れて戦場を揺るがす。
だがフリーダムはその着弾地点を先読みしたかのように、滑らかな反転を見せた。バーニアを短く、しかし強烈に吹かして急加速。地を這うティエレンへと、彗星のごとき勢いで肉薄していく。
機体が加速するたび、コックピットに低い駆動音が響き、キラの視界がわずかにブレる。距離が一瞬で縮まり、敵機の無骨なシルエットがモニター全体に迫ってきた。
コックピット内でキラの視線が鋭く動く。右手のコントロールが自然に動き、腰元に携えた柄へと機体の手を伸ばさせた。
引き抜かれたのは、華奢なヘリオンのソニックブレイドや忌々しいフラッグのプラズマソードとも異なる、濃密な桃色の熱量を帯びた光の刃──ビームサーベルだった。刃の輝きがモニターを淡く染め、キラの頰を照らす。
速度域をそのままにしたまま轟音と共に駆け抜ける機影。
ティエレンのパイロットが悲鳴を上げる暇もなかった。フリーダムが通り過ぎた後には、武装の重機関銃と右腕、そして機動を司る脚部の関節を寸分違わず切り飛ばされたティエレンが、火花を散らして大地に沈んでいた。
切断面から白い煙が上がり、砂に倒れ込む重い音が響く。
『っ、な、なんだこの武器は……!? 触れただけで装甲が焼き切られた……!?』
『ひるむな! 背後を取ったぞ、背中にブチ当てて──』
一撃離脱し、背を見せたフリーダムに数機のティエレンが狙いを定める。だが、フリーダムの翼が大きく扇状に展開された。機械的な駆動音が響き、翼の表面が朝焼けを反射して輝く。
「──―っ!」
即座に起動したマルチロックオンシステムが、冷徹な動作で標的を捉える。その瞳と脳内の両方に無数の光点が浮かび上がり、敵機の「武装」と「駆動系」に次々と固定される。膨大な情報で埋まる視界に、しかし彼の呼吸は乱れない。集中が深まるほど、心が静かに澄んでいくのを感じる。
次の瞬間、背部のプラズマ収束ビーム砲、腰部のレールガン、そして右手のビームライフルが同時に火を噴いた。
極彩色の光条が戦場を横断する。現行の主力機の中では群を抜いて頑丈な装甲を持つはずのティエレンだったが、その一撃すら耐えきれず、まるで砂の城を崩すように破壊されていく。稲妻のような煌めきが命中するたび敵機の装甲は溶断され、内部の機構が重厚なフレームごと千切れて吹き飛ぶ。
爆炎の中、次々と「沈黙」していく鉄の巨人。しかし、腕や脚を失い、武器を粉砕され、文字通り鉄の棺となって砂漠に転がるも、そのどれもがコックピットを外されていた。命を奪うのではなく、戦う力だけを奪う──それはかつての世界から自らに課してきた信念であり、彼の意志でもあった。
『ば、化け物だろ、こんな火力!? どの武器も見たことすらねぇぞ!?』
『やはりガンダムなのか!?』
『く、来るなぁ! 来るんじゃねぇええ!』
もはやそれは戦闘ではなく、一方的な蹂躙だった。
ティエレンの放つ砲火は、フリーダムの残像すら捉えることができない。紙一重の回避から、吸い込まれるような正確さで放たれる反撃。キラの手足となったフリーダムは戦場を舞う死神でありながら、同時に命を奪わない守護者のようでもあった。
萌葱色の極光でメインカメラを撃ち抜かれ、または岩石のような剛腕をその武器ごと巨大なプラズマに焼き尽くされ、あるいは光の刃で両足を残して地面に叩きつけられる。
そのどれもがただの一撃のみという神がかり的な正確さ。見たこともない機動と武装を誇る敵機を前に、人革連の誇るMS群は為す統べなく大地へと倒れこんでゆく。
その中で、長距離滑空砲を装備した機体を斬り伏せたフリーダムが振り向いた。わずかに収束した翼から生まれた風が砂を巻き上げながら機体の周囲に渦を巻く。
工廠を取り囲んでいた二十機近い機影などもはや見る影もない。光の嵐が数度戦場を斬り裂いた後にその場に立っていたのは、ひときわ大型の近接武器を背負った部隊長機の一機のみであった。
フリーダムの相貌が冷たくティエレンを捉える。鉄の棺の中でそれを目にしたパイロットは、震えそうになる身体を叱咤して出力スロットルを押し込んだ。
『……ぐ、ぅうう……舐めるなよ、小僧がぁッ!』
部隊長機が近接用のカーボンブレイドを高々と振りかざし、怒号と共に突進する。重い体躯が砂を抉り、迫力ある唸りを上げた。距離を詰めてくるたびに砂煙が尾を引き、刃が朝の光を鈍く反射する。
正面から突っ込んできた敵機に、フリーダムはスラスターを逆噴射して姿勢を低く沈めながら身を引いた。豪快な中にも確かな熟練さが垣間見える動きを最小限の動作でいなしつつ、その死角へと滑り込む。
鉄塊を振り回すようなその一撃はわずかな距離で機体を捉えられず、その手前で空しく地面に叩きつけられた。
『──ッ!!』
やり過ごした攻撃の硬直、その隙の真っ只中にシールドを高速で突き出した。同時に、衝撃で態勢を崩したティエレンにビームサーベルを幾重にも叩き込む。
光の刃が閃くたび、ティエレンの持つ重厚な刃や装甲に覆われた部位が宙を舞った。一瞬のうちに四肢を鮮やかに斬り裂かれた部隊長機はその巨体を砂塵に沈め、最後の剣を突き立てるように無様に大地にひれ伏した。火花が散った機体の切断面から白煙が上がり、ゆっくりと沈黙する。
静寂があたりに満ちた。
時間にして僅か数分。残骸が砂漠の各所に転がり、炎の音だけが小さく響いている。
たったそれだけの時間で、一個中隊規模のアンフとティエレンの混合部隊は、文字通りの壊滅状態に陥っていた。
『あ、あああ……やってられるか! あんなの相手にできるかよ!』
『ガ、ガンダム……本物のガンダムだッ……! う、うわぁああああっ!』
戦った者だけが理解できるその力、そして理不尽さ。正面からその洗礼を受けた兵士たちの士気は完全に崩壊していた。
コックピットから飛び出したパイロットたちは、もはや背後の「神」の如きMSを振り返る勇気もなく、各々違った方向へ我先にと逃げ出していく。 砂を蹴立て、悲鳴を上げながら走り去るその姿は、会ってはならない存在に邂逅してしまった自分たちの愚かさを嘆いているかのようだった。
バシムは離れた位置のジープの上で、その光景を呆然と見つめていた。双眼鏡を握った手が小刻みに震え、顔から血の気が引いている。やがて彼は気を取り戻し、ジープから身を乗り出して叫んだ。
「ま、待て……! 逃げるな! 敵前逃亡は厳罰だと言っているだろうが! お前たち、戻れ! 戻らんかッ!」
叫びを上げるバシムだったが、誰も応えることのないその声は砂漠の風に虚しく霧散する。
そこへ、全ての敵を掃討したフリーダムが、地響きと共にバシムのジープの真正面へと降り立った。
見上げるような巨躯が、朝の光を背に影を落とす。睨むようなデュアルアイが砂を巻き上げる風の中で輝きを増していく。突きつけられたビームライフルの銃口からは、陽炎のような熱気が揺らめいて、砂を焦がしていた。
バシムの喉が、ヒュッと乾いた音を立てた。腰が抜け、ジープの座席に崩れ落ちる。彼の怯えに現実を突きつけるかのように、目の前の機体から、少年の──しかし、深く重い響きを持った声が静かに流れた。
『ここから消えてください……そして、もう二度と彼女たちの前に現れないでください』
冷徹でありながら、どこか哀しみを帯びた最後通牒。それに否を突きつけられるほど、バシムは命知らずではなかった。
「ひ、ひいぃぃぃっ! 出せ! 車を出せェッ!!」
腰を抜かしたまま悲鳴を上げるバシム。そのままジープの床に転がり込むと、彼は運転兵の襟を掴んで乱暴に急かした。ジープは道を確かめもせずに発進すると、砂塵を巻き上げて基地の向こうへと逃げ去っていく。
キラは小さくなってゆく車両の背面を、コックピットの中からじっと見つめる。その姿が砂漠の向こう側へと見えなくなった頃、ライフルの照準を静かに下ろした。
大地に届き始めた暁の光が、蒼色の翼を優しく照らし出す。戦場の熱気がゆっくりと引いていく中、フリーダムはただ静かに砂の丘に佇んでいた。
砂漠の風が、冷たさを帯びた空気をゆっくりと押し流していく。硝煙と焦げた金属の匂いが、まだ微かに残る朝の空気に溶け込んでいた。砂粒が静かに舞い、遠くで残骸の小さな火花がぱちぱちと音を立てる。
地平線から溢れ出した暁の光が、分厚い雲の下で荒野に転がるティエレンの残骸を無慈悲に照らし出していた。先刻までの激戦が嘘のように、辺りには深い静寂が満ちている。破壊された機体の影が長く伸び、朝焼けの淡い橙色が金属の断面を冷たく輝かせていた。
かろうじて原型を留めるハンガーの残骸から這い出したフィオたちは、言葉を失ってその光景を見つめる。埃と煤にまみれた服が体に不快に張りつくが、誰一人として動けない。
彼女たちの視線の先には、朝日を見つめるように砂丘上に立ち、沈みゆく月と昇りゆく太陽の狭間で翼を休めているフリーダムの姿があった。
先ほどまで戦場を縦横無尽に駆け、一個中隊を文字通り「解体」した、蒼き翼の騎士。
砂塵を纏いながらも、その姿には汚れなき威厳が漂っている。腰に収められたビームサーベルの残光が薄く揺らめき、機体各所から立ち昇る排熱の陽炎が、背後の黎明と混じり合って神話的な情景を描き出していた。
「……出鱈目ね」
静寂を破ったのは、エミリアの掠れた声だった。ゆっくりと手に持ったライフルの安全装置をかけ、震える指先を抑えながら息を吐く。額に浮かんだ汗が朝の冷たい風に冷やされ、頰を伝った。
彼女はキラが集落を飛び出す直前に見た「記録デバイス」の断片的なデータを思い出していた。そこに記されていたスペック、運用構想。
知識として理解はしていたつもりだった。だが彼女たちの眼前で繰り広げられたのは、既存のモビルスーツの概念を根底から覆す戦い。否、それはもはや戦いですらなかった。
忘れ去られた砂の荒野、その一角で起こった神話上の伝説もかくやというほどの奇跡。彼女たちの脳裏に刻まれた光景は、意思を持つ刃そのものが戦場を舞っているかのように鮮やかに彩られている。
「まったく、ちょっと暴れすぎよ、キラ……」
エミリアが、苦笑を漏らしながら呟く。声には驚嘆と、どこか呆れたような親しみが混じり、震える手でライフルのストックを握りしめていた。
空想上の産物だと思っていたビーム兵器が戦場を焼き切り、物理法則を嘲笑う機動で空を舞い、たった一機で一個中隊のMSを相手取り、沈黙させた。そして何より、それだけの力を行使しながら、ただの一人も殺めていないという事実。
天才などという言葉ですら、彼とフリーダムが示した底知れぬ「力」の前では淡く霞んでしまう。
「キラ……貴方は一体……」
フィオが呆然と呟く。自分たちが泥にまみれて直してきたものは、果たして本当にただの機械だったのか。そして、その中に座る少年は、自分たちと同じ人間なのだろうか。
視線を砂丘の機体に固定したまま、胸の奥に得も言われぬ感情が込み上げてくる。
そこへ、一台のジープが砂煙を上げて駆け込んできた。車体が急停止し、砂が舞い上がる。
「フィオ姉さま!」
「フィオさん、みんな! 無事!?」
車から飛び出してきたのは、リアと、傷を負いながらもハンドルを握り続けたメイだった。
リアは真っ先にフィオへと駆け寄り、その無事を確かめるように抱きついた。安堵の涙が頰を伝い、声が震える。
「やっぱりお兄さんだったんだね……」
「一部始終を見てたけど……キラくん、凄すぎるでしょ。あんなの、もう言葉にならないよ」
メイが興奮気味に語るが、フィオは視線を落とし、力なく首を振った。
「……助けられてばかりね、私たち。あんなに酷いことを言って追い出したのに……」
周りの少女たちも意を同じくするように顔を伏せた。後悔と罪悪感が、朝の光の中で重くのしかかる。
場に沈黙が落ちるなか、リアが意を決したようにフィオを見上げた。少女の瞳には、かつてないほど強く、真っ直ぐな光が宿っていた。小さな手がフィオの腕を優しく握る。
「……キラお兄さんはね、誰よりも強い人なの。それは戦う力だけじゃない。この世界にたった独りなのに、誰よりも苦しいはずなのに……それでも、私たちに優しくできる心を持ってるから」
「……リア、どういうこと? たった独りって、一体……」
フィオたちが困惑の表情を浮かべる。リアは僅かな逡巡の後、静かに、一文字ずつ噛みしめるように真実を告げた。
「フリーダムとお兄さんは、私たちの世界とは違う世界から来たの。ここじゃない地球がある、別の世界から……」
その瞬間、冷たさを帯びた朝の風がフィオたちの間を吹き抜けた。
言葉の意味がすぐには理解できず、場に奇妙な空白が生まれる。誰もが息を飲み、リアの小さな顔を見つめた。
しかし、エミリアがリアの言葉に同意するように、重く頷いた。彼女の眼差しは、静止するフリーダムに向けられたまま微動だにしない。
「……この世界には、キラの知る過去も、思い出も、守りたかった人たちも……何ひとつ、誰一人として存在しないのよ」
エミリアの声は、乾いた風に乗ってしめやかに響いた。表情は穏やかだが、瞳の奥には深い哀しみが宿っている。
「望まぬ戦いに引きずり込まれて、その中で何度も傷ついて失い続けて。それでも誰かを守るために戦って……その果てに、全く知らない世界へ独り放り出された。彼の存在を示すルーツは私たちの知る宇宙のどこにもない……あの日、この砂漠で目覚めた時から……ずっと」
絶句するフィオ。工廠員の少女たちも口に手を当てて息を吞んだ。
それは、理屈ではとらえきれない想像を絶する孤独だった。どれほど手を伸ばしても、決して触れることのできない『帰る場所』を失った者の痛み。
彼が纏っていたあの「影」。どこか達観し、けれど寂しげだったあの横顔。その正体がこれほどまでに残酷な運命から来ていたなど。
自分たちはそんな彼に何をしたのか。都合よく利用し、ただ「得体が知れない」と恐れ、そして切り捨ててしまった。その時彼が感じた絶望が一体どれほどのものだったのか、考えるだけで背筋が凍る。
エミリアは一歩前に出ると、遠くに静かに佇むフリーダムを仰ぎ見た。
「……あの子の苦しみを知った時、私は決めたわ。彼が何者かなんてどうだっていい。ただ、私は彼の味方でありたいって」
空が白むにつれ、周囲の壊滅した戦場の無惨さが際立ってくる。エミリアはその光景を決して忘れまいと言い聞かせるように言葉を続けた。
「突き放してしまった私たちを、それでもキラは見捨てなかった。だから、私たちは今こうして生きて朝を迎えられている。その事実にこれ以上の理屈はいらないでしょ?」
エミリアの言葉は少女たちの心を強く揺さぶった。
もしも、その立場が自分達だったのなら何ができただろう。
降りかかる理不尽な境遇、癒されぬ苦しみ、どんなに嘆いても消えない痛み……そんなものを抱えたまま、自らを貶めた相手を許すなど到底できなかったはずだ。
だが、その中にあってさえ、彼は憎むのが当然の相手すらも助けてくれた。泣き叫ぶ自分達に穏やかに笑いかけ、その命すらかけてまで、未来へと繋がる希望を齎してくれた。いったいどれほどの心の強さがあればそんなことが成し得るのか、フィオ達には想像もつかない。
エミリアは複雑な心情を浮かべるフィオたちに僅かな笑みを浮かべて視線を流す。その瞳が全員を捉えた後、表情を寂しげに揺らして、「でも」と、彼女は目を細めて続けた。
「キラはここを離れた方がいい。フリーダムや彼の存在は私たちの力じゃ到底隠し通せない。今はまだ大丈夫かもしれないけど、いずれ人革連が……いいえ、AEUやユニオン、あらゆる軍事組織が嗅ぎつけてやってくるわ……あるいは、あのソレスタルビーイングもね」
確信を帯びた声が重く響く。
フリーダムの力は異端だ。それは今の光景を目にした者であれば、誰であろうと等しく理解できるだろう。
この世界にとって過ぎたる力であるこの機体を、人が放っておくはずがないのだ。
「彼はきっと戦うと言うでしょうけど、たった一人で私たち全員を守り切るなんて不可能よ。ここに一緒に留まっても、あるいは彼に付いていってたとしても……どちらにせよ、私たちは足手まといにしかならないわ」
風がフィオの髪を乱す。彼女は、エミリアの言葉を胸の奥に刻むようにして聞いた。もう、あの頃に戻ることはできないという寂しさと共に。
「キラは本当に不思議な子だわ。あの子なら、この先でもきっと助けてくれる人は現れる。力のない私たちにできるのは、どこにいてもキラの味方でいてあげること。何が何でも生き延びて、貴方を信じてるんだってことを示し続けるの。そして、もし彼が進むべき道に迷い、頼ってきたなら……その時は全力で助ける。彼がそうしてくれたようにね。私たちが彼にしてあげられることは……それだけよ」
エミリアの言葉にフィオをはじめ全員が頷く。自分たちの為すべきことが自らの中で形となっていくような気がした。頬を伝う涙を拭わぬまま、フィオの眼差しは再び丘の上へとゆっくりと向けられる。
役目を終えたフリーダムの護りが解かれた。鮮やかだった色彩がゆっくりと、無機質な灰色へと戻ってゆく。
同時に、ハッチが解放される乾いた音が微かに響き、朝日を横顔に浴びたキラが、ラッチワイヤーを使って機体から降りてきた。
その姿に空を舞っていた苛烈な戦神の面影はない。そこには彼女たちもよく知る、どこまでも穏やかで優しげないつもの彼だけが存在していた。
表情に少し疲れた色を混ぜた様子でこちらに歩いてくる少年。その周りを、熱を含み始めた風が静かに走り抜ける。砂を踏みしめる軽い音が響くごとに、世界が優しさで満ちていくようだった。
「キラ……!」
フィオとエミリア、メイやリア、そして工廠員の少女たちが、一斉に彼に向かって走り出した。その表情にも後ろ姿にも、もはや憂いや悲しみはない。大切な仲間と共に朝を迎えられた彼女たちの心は皆同じだった。
長い、あまりにも長い夜が明ける。彼という光がなければ、決して訪れることのなかった今日。駆けていく彼女たちの心には、ただひたすらに、温かく安らいだ気持ちが満ち溢れていた。
異界の空、その下で。一時の静寂に包まれた、砂の丘で。
少年と少女たちの間には決して断ち切ることのできない、確かな絆が刻まれたのだった。
【あとがき】
私の使い方の問題もありますが、生成AIではちゃんと筋道が通った詳細な表現などはまだ難しく、細かい部分は自分で覚えた表現や小説の指南書などを読みながら書き加えたり、まるごと書き直したりしていました。セリフどころか話の筋なども書いているうちに随分変化しましたし。
なんとかといった感じではありますが、キラが西暦に舞うという一つの山場はどうにか越えれたでしょうかね。とはいえ文章的に稚拙な部分も多々あるかと存じます。が、そのあたりは寛大な心でお目こぼしくださいますようお願いいたします。
それでは次回予告です
[ =次回予告= ]
過ぎ去った危機。だが、訪れた静寂にも、世界は停滞を許さない
理想と現実とが齎す、新たなる溝
再び手にした力を前に、キラは……
次回 『 熱風と大地の狭間で 』
その苦悩、